2011年09月03日(土)
ニイヤ! [マラソン評論]
◎スポーツナビ 8月30日(火)12時16分配信
決勝進出の新谷「わがままな性格が世界で通用したのかな」=世界陸上・女子5000m予選
陸上の世界選手権(韓国・テグ)第4日は30日、女子5000メートル予選が行われ、新谷仁美(佐倉アスリート倶楽部)が15分31秒09で決勝進出を果たした。絹川愛(ミズノ)はわずか及ばず、予選敗退となった。杉原加代(デンソー)も姿を消した。
以下、新谷のコメント。
「特に決勝を狙ったっていうわけじゃなく初体験だったので、自分が守るものなんてないし、世界で通用するとも思っていないので、空の状態で走れたのが逆によかったのかなと思います。
(最初から飛ばしたのは)どう思われようが自分のペースでいこうと思っていたので……。あんまりよくない性格が効いたのかなと思います。自己中心的でわがままな性格が世界で通用したのかな(笑)。コーチの方からも、ケニア勢が上げ下げするペースでいくよりも、最初から自分のペースでやった方がプラス(タイム上位5人)でも引っかかるからという言葉をいただいていました。私は頭も空っぽなので、だからできたのかなと思います。今ではこの空っぽな頭にちょっと感謝しています。本当にその通りにいい結果が出ました。
(追いつかれてからは)これが当たり前の世界ということをすんなり受け入れて、粘ることに切り替えていきました。(ペースは)上がっているという感覚はなかったんですけど、ついていけるペースだったんで、最後に落ちても、プラスで拾われなくても、粘って粘ってという感じでした。(決勝は)わたしの性格上、ついていくことが苦手みたいなので、ちょっとでも前の位置で走れたらいいなと思います」
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今回の世界陸上では、女子マラソンの中里麗美選手と男子マラソンの中本健太郎選手の二人をマークしていた。中里選手はうちのヨメさんの若いときに似ているから、中本選手は「京都キャロット」をよく利用してもらっている安川電機の選手だからというのがその理由。
ところが、女子マラソンは録画するのを忘れ、中里選手の活躍が見られなかった。明日の男子マラソンは、しっかりと録画しておかなくては・・・。
あまり期待していなかった女子5000mで快挙。新谷仁美選手が決勝進出。
実はこれも録画しておらず、レース内容は見ていない。しかし、新谷選手のコメントをあとで見てビックリ。「空の状態で走れた」、「どう思われようが自分のペースでいこうと思っていた」。すばらしい。
映像を見て、またビックリ。「別人?」
以前に見たロングヘアーを後ろで束ねたスタイルではなく、髪を短めにし、茶色に染め、かわいくセットされている。
以前ののんびりした受け応えではなく、はきはきと積極的に発言されていた。
「何かあったんかしらん」と思えるくらい。
これは決勝も期待できる。
昨日の女子5000m決勝は、しっかりとリアルタイムで見ることができた。
「スタートから自分のペースで行ってくれよー・・・。」
期待通り先頭へ。
途中同時進行のやり投げに中継が変り、その間に後続集団に追いつかれてしまった(2000mくらい?)。でも、そのあとの走りもによかったように思う。新谷選手は、絶対次に期待できる。そう思えるレースだった。
新谷といえば、岡山・興譲館高校のイメージが強すぎてなかなかそこから抜け出せなかったような気がする。今回のレースで、そこから二段も三段も駆け上がったのではないだろうか。
「ニイヤ!」
ちょっとアフリカっぽい名前の響き・・・、応援しようぜ!
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◎スポーツナビ 9月2日(金)22時19分配信
新谷「後悔まったくない」=世界陸上女子5000m決勝
陸上の世界選手権第7日が2日、韓国・テグで行われ、女子5000メートル決勝では新谷仁美(佐倉アスリート倶楽部)が出場したが13位だった。
新谷はスタート直後からペースを上げ、一時は大きく集団を引き離した。しかし中盤以降ペースを落として、13位でのゴールとなった。
以下、新谷のコメント
「本当はもっと第一集団についていければ盛り上がる状況になったんですけど、今回の目標は達成したんじゃないかなと思います。
前半から自分のペースで、スタートから1周してスローペースというのが分かったので、もうどうせメダルとか入賞とか取れる走りではないので、どう思われようが、ちょっとでも皆さんに(胸の)日の丸が見せられるようにと思っていました。そういう展開にしようと、後半のことは考えていませんでした。
ペースは考えていません。予選のときのように空の状態で走っているので、オーバーペースだろうがオーバーペースじゃなかろうが、自己ベストを狙うつもりもないし、無我夢中で走るのが今回の目標だったので、それが達成できてよかったと思います。最初に(先頭に)出て粘れなかったという後悔はまったくありません。出なかったら逆に後悔していました。2000メートルまでちょっとでも粘れたんだから、その部分だけは満足しています。
(中盤以降は)皆さんが見ての通り、ダメでしたね。終わってみれば、もっと粘れたんじゃないかという部分もあったと思うし、記録もそんなに速いわけじゃないので、後半の失速は日本の皆さんには申し訳なかったなという反省点はあります。
(初の世界選手権は)きついですね。できれば(予選と決勝を走るのは)二度とやりたくないですね(笑)。5000メートル1本なら走ります。2本は間があいても嫌という気持ちが強いです。
結果はどうあれ、目標とする前半自分のペースで引っ張っていくという形をとれたので、それに関してはすごく満足しています」
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2011年02月28日(月)
京都マラソンに妙案 [マラソン評論]
今日、沖縄の智さんから電話があった。
「はじめまして・・・。」
私のこのブログ「パオパオだより」に最近最もコメントを入れてくださっている智さん。「沖縄で福祉の勉強をしている若者」、私が知っているのはただそれだけ。その若者から電話をもらえるなんて・・・。
ブログって、おもしろいですね。
「マラソン大会に出てみようかなと思って・・・。」
おー、意外な展開。まさか、マラソンのことを話し合えるなんて・・・。(その内容は秘密です。)
それは、ひょっとしたら昨日の東京マラソンの報道の影響もあるのかも。東京マラソンの話題は、全国的なものになっているようだ。その華やかな様子は、後発の都市マラソンへの期待とつながっていく。もちろん、来年3月に第1回が予定されている京都マラソンへも。
そこで、わが地元「京都マラソン」を検証してみると・・・。
「京都マラソン」で検索してみると、一目瞭然。「あー、なさけない」という調子の論評が多い。それは、イメージで批評されているのではなく、一つ一つのことを自分なりに検証して論評されているものが多い。(それをくわしく知りたい方は、ご自分で検索して見てください。)
私なりの解釈では、「あー、なさけない」のほとんどは「京都らしくない」のひと言に尽きる。
「東京都って、東の京都やん。1200年の古都とわずか140年ほどの東京と比べることさえバカバカしい。京都マラソンは東京マラソンの『まねし』にはしてほしくない。これぞ『京都』っていうマラソンにしまひょ。」
以前私が考えた「京都マラソン」は、御所の砂利道をグルグル回るコース。交通規制の必要はないし、世界に一つしかない京都御所内を走れるし、我ながらいい案やと思ったんですけどねえ・・・。御所内に温泉掘ってやねえ、京都迎賓館を休憩所に開放してやねえ・・・。でも、この案はまったく反響なし。
今日、新しい妙案がひらめいた。
「京都マラソンに先頭規制を!」
速いランナーは出場を遠慮してもらい、完走するのに6時間から7時間かかるランナーのみ出場許可。ランナーの先頭には、雪の高速道路の先頭規制みたいにパトカー・白バイを時速7kmで走らす。もちろん、これを抜こうものなら即失格(どころか、検挙?)
このペースで行くと、1時間7km、2時間14km、3時間21km、4時間28km、5時間35km、6時間42km。
ゴール関門は7時間。7kmごとに関門を設け、先頭から1時間で関門封鎖。こうすると、各地点の交通規制が1時間ちょっとですませることができる。ということは、交通規制を気にして周辺部ばかりを走らせる必要もない。
「人類史上初の先頭規制マラソン」
オリジナリティーを重要視するなら、これくらいの発想の転換があってしかるべき。
私が考えた京都マラソンコース。
スタート京都駅(京都タワー)→東寺→二条城→金閣寺→御所→銀閣寺→八坂神社→清水寺→三十三間堂→・・・。これでは距離が足らんのでもうちょっと寄り道してっと(やっぱり、最終的には御所ゴールがいいかなあ・・・。)。
先頭を規制しているので、15000人がパラけることもなく固まったままゴールへ。これはこれで見ごたえがあると思うんですけど。もちろん、完走者のゴールタイムは全員6時間台。
先頭ゴールがちょうど6時間だから、ランナーが預けた荷物もゆっくりと輸送することができる。荷物渡しが混雑しそうだが、集中して短時間にやってしまったほうが効率がいい。
「京都マラソンは、遅いあなたが主役です」 (速いあなたは出られません。)
こんなキャッチフレーズにしてほしいなあ。
どうしても出たい人は、6時間台で完走をめざす人をサポートするつもりで出る。「ゆっくり走る人の気持ちもよう考えよ」って話です。
こんな京都マラソンなら、沖縄の智さんもいつかは走ってみようと思ってくれはるかなあ・・・。
(一番上の、京都マラソンのロゴマーク候補を見てください。どこかで見たようなマークばかり。これも、「あー、なさけない」の一つの要素になっているような・・・。)
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【何を今さら5km20分切りメモ】
今日もいつもの5km。かなりゆっくり。
28分37秒(14分08秒+14分29秒)。
ジョグ1kmで合計6km。
2月は合計260.1km。毎日チョビチョビとしか走っていないのに、ほとんど休まなかったので合計ではかなりになった。
懸念の体重のほうも、64.0〜64.7kgの間を行ったり来たり。今日はその中間の64.3kg。来週は64.0kgを切りたいねえ。
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2011年01月21日(金)
藤井勘太選手の背中 [マラソン評論]
今日、藤井勘太選手のお母さんにお借りしていた写真を返しに行った。
「お母さん、ありがとうございました。
勘太君から聞いたんですけど、お母さん、スポーツが得意ではなかったって本当ですか。」
「そうですよ。」
「クラブとかは?」
「中学の時に、バレーとかバトミントンをちょこちょことやっていた程度です。」
「そうなんですか。お父さんも足は速いほうじゃなかったって、うちの姉から聞いてますし・・・。そのお二人からあの勘太君が生まれはったんやね。」
「勘太も小さいときはそれほどでもなかっんやけど、小5の時『大文字駅伝』を家の近くで見てからやわ。自分も走りたいと思ったみたいで、そこから練習しだしたんです。でもね、6年のときの予選会で2位までの学校が出れるのに3位やったから、結局『大文字駅伝』は走れてないの。あの時の予選会を吐きながら走ったのが、勘太の原点です。
中学の陸上部入っても6位以上が上に進めるレースで7位とか、そんなんばっかりでねえ。中3の終わりころにやっとライバルの子に勝てたんですよ。」
「そうなんですか。でも、その悔しさがくじけず長続きした理由かもしれませんね。」
「あっ、それから一つだけお聞きしたいことが・・・。こないだ勘太君としゃべらせてもらって初めて知ったんですけど、去年の前半全く走れへんかったって。それで、体重がずいぶん増えてしもたらしいですね。そのとき、お母さん、勘太君になんかゆうたげはったんですか。」
「実はね、私、それまったく知らんかったんです。」
「えー!!! えー!!!」
「勘太は私には何も言わへんから・・・。6月の教育実習で京都に帰って来たときは、『ちょっと太ったみたい。もう少しやせんと走れへんやろう』とは言いましたけど・・・。」
「えっ、それだけですか・・・。」
「それだけ・・・。」
「よう、そこから猛練習に転換できたもんやねえ。」
「ほんまにねえ。」
お母さんも、確実に勘太君の「背中を押してくれた一人」であると思う。しかし、最近よく見る「息子が大学生にもなっているのにかまいまくる気持ち悪い母親」とは一味ちがう。私には、でーんとかまえて息子の決意を信じている立派な母親に見えた。
お仕事中におじゃましたので長話ができなかったが、勘太君のお母さんとはもっともっとしゃべってみたいと思った。
※ 今日いろいろ検索していると、東海大4年の赤染選手(箱根8区)のブログに行き当たりましたhttp://ameblo.jp/a1k2a3z4o5m6e/。リンクさせてもらおうと思いましたが、またまた失敗。「ゾメ」で検索してみてください。藤井勘太選手の○○な写真も見ることができます。
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【何を今さら5km20分切りメモ】
お昼3時半過ぎ、家から宝ヶ池へ。
こないだ車で測ったら、3.5km。
往復プラス宝ヶ池1.5km2周で、合計10kmになる。
まず家から宝ヶ池、16分31秒。
キロ4分40秒ペース。
1周目、7分01秒。
昨日の雪は、ちょっと少なくなった程度。
ただ昨日は夜で足元が見にくかったが、今日は明るいうちに来たので走るのはまし。
2周目、7分16秒。
シェパードを散歩させておられる方発見。
「すいませーん、ワンちゃんの写真撮らせてください。」
「ありがとうございます。飼っておられるんですか?」
「うちは雑種なんですけど、よくシェパードの子犬にまちがわれるんです。」
日が当たらないところはいつまでも雪が消えない。
せっかく車の心配がなく正確な距離表示があるところなのに、これではなあ。
まだ雪の残っているところは、スタートから200m付近、600m付近、1100m付近。走る予定の方、気をつけて走ってくださいね。(昨日、廉の練習仲間の京都工繊大のY先輩がこけたらしい。)
宝ヶ池から家へ。3.5km、18分06秒。
さすがに帰りは上っているので、キロ5分以上かかった。
合計10km、48分55秒。
帰ってから家の近所を約1kmダウン、7分。
こんなゆるい練習で、5km20分切れるようになるんかな。
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2011年01月18日(火)
藤井勘太選手写真集 [マラソン評論]
今日は、私が連載させてもらっている「ねっとわーく京都」の原稿提出しめ切り日。今日しめ切りで、来月9日に3月号として発売される。
今回は、先日の箱根駅伝の10区を走った藤井勘太選手(東海大4年)について書かせてもらった。今までの記事はこのブログに書いたものをまとめたような内容が多かったが、今回はちがう。
「藤井勘太選手、独占インタビュー!」
と言うほどのたいそうなものでもないが、なかなかいい内容です。「ねっとわーく京都」を少しでもたくさん買っていただきたいので、そのインタビュー記事はブログには書かないことにします。
ぜひ、京都の大きな書店で買ってください。500円です。
その代わりと言ってはなんですが・・・。
箱根駅伝のときに私が撮った写真はみんなピンボケ。「ねっとわーく京都」の記事に添付する写真がない。そこで藤井勘太君のお母さんにお願いすると、たくさんの写真を貸してくださった。
「ねっとわーく京都」に使われるのはそのうちの一枚だけ。それも白黒。これはもったいない。と言うことで、貸してくださった写真をここで公開させていただくことにした。(お母さん、ありがとうございました。
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2011年01月04日(火)
箱根駅伝応援から帰って [マラソン評論]
◎カナロコ(神奈川新聞コミュニティーサイト) 1月3日より
「箱根駅伝:東海大が意地の4位、4年ぶりシード権獲得」
東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)最終日は3日、箱根町から東京・大手町までの復路5区間、109・9キロに関東の19校と関東学連選抜の計20チームが参加して争われ、早大が10時間59分51秒の大会新記録で18年ぶり13度目の総合優勝を果たした。
昨年10月の出雲全日本選抜と同11月の全日本を制した早大は、1990〜91年の大東大、2000〜01年の順大に続く3校目の大学駅伝3冠に輝いた。優勝13度は中大の14度に次いで単独2位。3連覇を目指した東洋大は21秒差で2位となり、駒大が3位。10位の国学院大までが来年のシード権を獲得し、12位の山梨学院大や最下位の日大などは予選会に回る。
往路2位の早大は先頭から27秒遅れで出た高野寛基が東洋大を抜いてトップに立つと7区の三田裕介らが堅実につなぎ、最後はアンカーの中島賢士が追い上げる東洋大を振り切った。早大は5時間29分34秒で18年ぶりの復路優勝となった。
最優秀選手は2区で17人抜きの快走で区間賞を獲得した東海大の村澤明伸が初めて選ばれた。
◆◇◆
復路を最上級生で固めた東海大が「4位の座」を死守した。後輩に3強への挑戦権を―。脇役に徹した先輩たちが、最後に意地をみせた。
「ああ、これで最後だ」。遠くで手を挙げるアンカー藤井の姿をとらえると、主将の9区・金子は激しく首を振りながら直線を疾走した。9キロ付近から5位明治と抜きつ抜かれつ。「少しでも前で渡した方が気持ちがつながる」と、そこから4秒差をつけた。
藤井も明大とデッドヒートを繰り広げ、ラスト500メートルでスパート。一踏ん張りを生んだのは「後輩を、3強(早稲田、東洋、駒沢)を崩す来年の第1候補にしてあげたい」という一念だった。
チームの中心は、往路で活躍した2年生の村澤と早川。4年生は「いつも、足を引っ張ってばかりだった」(金子)という。だがそれは、新居利広監督(58)に言わせれば、「潜在能力がありながら、これまで力を出し切れなかった」から。
だから、「監督が復路を全員4年生で組んでくれてうれしかった」(6区河野)。4年生だけで話し合い、「最後に意地を見せよう」と誓って臨んだラストレースだった。
鬼気迫る2人のスパートに「あれが4年生の意地。やってくれると思っていた」と早川。「次は自分たちが3強を崩して総合優勝したい」。4年ぶりに獲得したシード権とともに、思いは確かに伝わった。
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昨日は、東海大アンカーの藤井勘太選手のゴール前写真を撮ろうと思っていた。しかし、無計画なまま家を出てしまったのでゴールには間にあわなかった。鶴見中継所を少し行ったところで写真を撮ることには撮ったのだが、かなりピンボケ。肝心な時に大失敗。
ゴール写真ならすぐネットで見つかるだろうと思っていたが、意外と見つからず。さっき、やっと見つかりました。(神奈川新聞さん、引用させていただきました。)
昨日は、上武大学の走路員の子たちとしゃべったあとすぐに京都に帰ってきた。
駅弁を買って食べた。夕刊フジ特選「おつまみ弁当」(1000円)とスーパードライ(310円)。ホームのベンチでちょっと食べていたら、向かいのホームに新大阪行きのひかりが入ってきた。あわてて弁当をしまい、階段を走って向かいのホームへ。一番すいている自由席車両・3号車に飛び乗った。
「オー、ノー!」
すいているはず。車内は煙モクモク。まだ、タバコが吸える車両なんて残ってたんですね。
ゆったり座れてよかったけど、京都までの2時間半で体中タバコくさくなってしまった。
新幹線の窓から夕焼けが見えた。
「あっ、あやみちゃんが言ってたざりがに雲見っけ・・・。」
走友でありブログ友だちでもあるみったんさんの娘さん・あやみちゃん。「ざりがに雲」って言ってたなあ。そんなことを思い出しながら、京都の我が家へ。
いつも淡々としている廉が、「箱根駅伝はやっぱりすごいな」と何回も言っていた。それぞれの選手の速さだけでなく、そのフォームにも注目していたのがうれしい。
廉は陸上競技を初めてまだ9ヶ月ほどだが、まだまだ上に何段階もあるレベルをめざして走り続けてほしい。テレビ観戦だったが、いい刺激になったようだ。
北京オリンピック柔道の石井慧選手応援の時もそうだったが、箱根駅伝も私ではなく廉が見に行くべきだった。そういうところに使うお金は惜しくない。来年は計画を立ててみるか。
ヨメさんとも話していたのだが、今年は藤井勘太君のように4回生にして箱根初出場という選手が何人もいた。その数は今までより多かったように感じた。
ここ数年は、大ブレーキやアクシデントが多くあり、少し本来の競技から外れたところがクローズアップされていた。今年も転倒やコースアウトなどがあったが、それほど目立つものではなかった。「落ち着いた箱根駅伝」だったと言ってもいいと思う。
その要因はいろいろあるのだろうが、目先の結果を追うのではなく、長い目で選手を育てられるチームが増えたからではないだろうか。(東海大学の復路は5区間全員が4回生。)
本来の学生駅伝のあるべき姿に戻ったようでうれしかった。(コツコツ努力を続けている選手が報われないでどうする!)
その学生たちが卒業して、またいつの日か指導者になる。長い目で育てられた選手は、指導者になっても同じような視点を持つことができるだろう。そういったプラスの連鎖が、今後も続いていってほしいと思う。
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2011年01月03日(月)
箱根駅伝・藤井勘太選手 [マラソン評論]
「かんたくーん、しっかり! かんたくーん! かんたくーん!」
鶴見中継所でたすきを受け取り、最終区10区を走り出した藤井勘太選手(東海大)。
目の前を通り過ぎる数秒のうちに、かけられた言葉はただこれだけ。しかし、私にしては注意されることも恐れず車道に一歩出て、大声を出すことができた。(少しは耳に届いたかな。)
藤井勘太君のお父さんと私は同郷。(私の姉と勘太君のお父さんは小中同級生。)心から応援できる選手が箱根駅伝に出るからには、応援に行かずにはおられない。
ただ、箱根駅伝は当日エントリー変更が認められている。もちろんその本人には前もって告げてあるとは思うのだが、私たち部外者には知るすべもない。
今朝は早く起きて、「箱根駅伝復路エントリー変更」で検索してみたがさっぱり分からず。藤井勘太選手がエントリーされていた10区は、6チームがエントリー変更をしたことだけは分かった。その6チームの中に東海大学が入っていませんように・・・。
結局ネットのほうでは「エントリー変更」が見つけられず。7時40分ごろ、やっとテレビで復路のメンバーが映し出された。
「東海大学 10区 藤井勘太」
よっしゃー。いざ、10区へ。
10区のコースもほとんど調べず、お金とカメラとケイタイだけ持って家を飛び出す。京都駅のJRの「みどりの窓口」で聞いて乗車券を買う。
新横浜駅へ向かう新幹線の中からヨメさんにメール。鶴見中継所への行き方を聞くと、「京急・鶴見市場駅」が一番近いとのこと。私はすべてJRの乗車券でそろえてしまったのでややこしいことになった。鶴見中継所→品川駅前→大手町ゴールという計画はむずかしそうだ。
しかし、新横浜駅から鶴見市場駅へはヨメさんから送ってもらったメールのおかげでまちがいなく行くことができた。
中継所は駅からすぐ。私が到着したのは先頭が来る30分ほど前だったので、まだそんなに人は多くなかった。でも時間がたつにつれ人が多くなり、先頭が来るかというころには歩道はすごい人の壁になっていた。
私が陣取ったのは、中継所から200mほど先のところ。
私の横には、4歳くらいの男の子と美人お母さん。ワンセグケイタイを見ておられたので、随時情報を教えてもらっていた。
「どちらかの大学を応援しておられるんですか。」
「いえ、最近この近くに引っ越してきたので、せっかくなんで見に来たんです。」
「だったら、ぜひ東海大学を応援してください。」
「東海大学は、水色でしたね。」
「そうそう。」
「どうして東海大学の応援を?」
「10区を走る子が、うちの近所の子なんですよ。元々は京都なんですけど・・・。」
「えっ、京都から応援に来られたんですか。」
「そうなんです。当日エントリー変更がないかを確かめて、朝新幹線に乗って・・・。」
「応援します、東海大学。お名前は?」
「藤井勘太です。」
「パンダ? パンダ?」と小さな男の子。
「○○君、そんなこと言っちゃダメ。ちゃんと、『かんたくん、がんばれ』って言おうね。」
「パンダ、パンダ、・・・」
(走ってたら、「パンダ」も「かんた」に聞こえるかも・・・。)
そんなことをしゃべっている間に先導するパトカーが見えてきた。そこに続く10区の選手。
先頭は、早稲田大学。
2位通過、東洋大学。
3位通過、駒澤大学。
来たー、4位通過、東海大学・藤井勘太選手。
「絶対に車道には出ないように」とそれまで何度も注意されていた。でも、自然に一歩前へ。
「かんたくーん、しっかり! かんたくーん! かんたくーん!」
応援できるのは、ほんの一瞬。でも、自分でもびっくりするくらいの大声が出せた。
さあ、次の応援場所へ。
鶴見市場駅に戻り、JR東神奈川駅に向かおうと駅のホームで待っていると「こうじ君、こうじ君」と呼ぶ声。向かいのホームに目をやると、なんと藤井勘太君のご両親。
「応援に来てくれたんやねえ。」
「はい。今日の朝出てきました。」
「ありがとう。このあとは?反対向きとちがうん?」
「JRの券こうてしもたし、こっち向きなんですわ。ゴールに行かはんのですよね。」
「そう。」
まさか、こんなたくさんの人ごみの中で藤井勘太君のご両親と出会い話ができるとは思ってもみなかった。よかった、よかった。
来た電車に乗ってから気づいたのだが、買ってしまったJRの券は無視して、そのまま京急で品川に向かったほうがよっぽど早かった。品川での応援は断念し、東京駅へ。
ゴール大手町は東京駅から歩いてすぐ。
しかし、ここまで来るのに手間取って、結局東海大学はすでにゴールしていた。近くの方にお聞きすると、東海大学は第4位でゴール。藤井勘太選手は、私が見た鶴見中継所から23kmほど、誰にも抜かれずにゴールまでがんばったのだ。
あとで聞いたのだが、10区区間4位の力走。4回生の最後の最後に花が開いたね。おめでとう。
藤井勘太君のおばあちゃん(うちの実家のお隣り)がいつも言っておられた。
「勘太はなあ、ほんまに走るのが大好きでなあ、ヒマさえあったら走っとるわ。ようあんだけ走れるもんやといっつも感心してんにゃ。」
私もそんな子にこそ箱根駅伝に出てもらいと思っていたが、最後に実現し、私も目の前で応援できたのでもう言うことなし。
私が到着した時には、15位くらいのチームがゴールするところだった。ただ、人垣が何重にもなっていて前が見えない。上の写真はミニ脚立を持ってきておられた方にお借りして撮った一枚。
人垣の後ろにかわいいワンちゃんがいたので写真を撮らせてもらった。
「じん・オス・9歳・ゴールデン」
顔がラプラドールに見えたので、「ラプラドールですか」と聞いたら、「よく言われるんですけど、毛並みはゴールデンでしょ」とのこと。ほんとにそうでした。
後ろのほうにいるとまったく見えないのだが、時折「おー」という歓声が沸きあがるので選手が帰って来たのが分かる。この歓声を聞くだけでも、この場に来た値打ちがあると思った。
20チームすべてがゴールすると、人が引けてやっと前が見えた。
すぐ前にいた黄色のブレーカーを来た走路員が目にとまった。
「すいません、写真撮らせてもらっていいですか。」
「えっ、僕らですか。」
「はい。無償で交通費もなしで走路員しておられるんでしょう。それをみんなに知ってもらいたくて。撮りますよー。」
「ありがとうございます。」
「ブログにこの写真載せたいんですけど、いいですか。」
「はい、お願いします。」
「このブログですし・・・」と言って私の名刺を渡した。
「えっ、京都キャロットさん。いつも買わせてもらってました。」
「えっ、どこの大学ですか。」
「上武大学です。僕は武と言います。」
「わー、上武大学やったん。武君、ありがとうね。ブログに書いとくし・・・。そやけどみんなえらいなあ。」
こんなところで、うちのお客様にお会いできるなんて。
藤井勘太君の応援は一ヶ所でしかできなかったけど、いつも買っていただいている上武大学の子たちとも話せて本当によかった。私にとっては思い出に残る箱根駅伝の応援になった。
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◎あるツイッターより
【RT拡散希望】箱根駅伝をご覧になる皆さん。レースは「無償&交通費支給なし」で正月休みを返上している学生補助員、一般補助員によって支えられています。黄色のジャンパーを着た沿道の補助員にもささやかな声援をお願いしますm(_ _)m
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