パオパオだより

2022年03月04日(金)

「あんたのことかえていかんな」 [平和]

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左側の人物が西光万吉 駒井喜作(中央)、泉野利喜蔵(右側)とともに 1922年

◎京都新聞3月4日朝刊

   水平社100年 差別ない社会へ 「人の世に熱あれ、人間に光あれ」

 人間の尊厳と平等を求めて部落差別と闘った「全国水平社」の創立から100年の節目となる3日、創立の地である京都市左京区岡崎で記念集会が開かれた。約千人が参加し、差別のない社会に向けた「新たなる決意」を表明したほか、戦争は最大の人権侵害であるとしてロシアのウクライナ侵攻を批判した。

□ 創立地の京で集会 戦争の人権侵害 警鐘

 水平社の後継団体である部落解放同盟がロームシアター京都で開いた。式典では「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で知られる水平社宣言を朗読。解放同盟中央本部の組坂繁之執行委員長が「水平社宣言が運動の原点であることを、100周年を機にもう一度胸に刻まなければならない」と強調。松本治一郎初代委員長が「戦争が最大の差別である」と述べたことに触れ、ロシアのウクライナ侵攻に対して「反対の声を上げなければならない」と訴えた。

 続いて「新たなる決意」として、障害者やアイヌ民族などを含めたマイノリティー全体の人権を確立するために包括的な法整備を目指すことや、ネット社会がもたらす差別と闘うことなど4点を示し、参加者らがその達成を誓った。

 式典の前後には、部落差別によって神社への奉納を禁じられた歴史を持つ吉祥院六斎念仏踊り(南区)の披露や、記念事業として制作された映画「破戒」の上映もあった。

 全国水平社は1922年3月3日、被差別部落出身の若者らの呼び掛けで、全国から約3千人が京都市の岡崎公会堂(当時)に集い、創立大会が開かれた。そこで採択された宣言は、「日本最初の人権宣言」とも評される。

□ 言葉胸に、人間の尊厳説き続け

 「全ての人間に光あれ」。水平社宣言を起草した西光万吉(1895〜1970)の実家の西光寺(奈良県御所市)を継いだ、親族の清原隆宣住職(69)は、家族が被害を受けた差別事件を経て、幼少期に触れた西光の言葉を胸に人間の尊厳を説き続けている。

 清原さんは、西光(本名・清原一隆)の弟、道祥の孫に当たる。幼いころ、和歌山県に移住していた西光がたびたび寺を訪れ、父と議論していた光景を覚えている。教員として同和教育を推進していた父の影響もあり、高校で解放運動のサークルを作り、生徒会と協力して「狭山事件」の署名運動などに精を出した。その後、自信も中学教師となった。

 90年代に入り、中学3年だった長女が同級生からガラスやくぎを靴に入れられるいじめを受け、「即時退校せよ」などと差別落書きの対象となった。「自分が差別される方がまだまし。子どもがされたらたまらない」

 長女は食事が喉を通らず、円形脱毛症になった。「それでも、休んだら負けたことになるから、と毎日とぼとぼと家を出ていた」と振り返る。

 加害者が分からない中、長女は仲間と「そんなことしてしんどい思い全然せーへんの? してるゃろ? 腹立つし、許されへんけど、あんたのことかえていかんな、この学校かわらへんねん。まずはヤメて」などと、メッセージを構内に掲示したのだ。娘が取った行動は清原さんを驚かせた。

 「これこそ水平社の思いだ」。

 思い出したのは西光がかつて語った「水平社の運動は長い間の差別に対する復讐でなく、人間を人間と思わない哀れな人間を救う運動である」との言葉。その後、加害者は学校に名乗り出たという。

 被差別部落の若者が反差別の声を上げて1世紀。社会は依然、様々な差別問題を抱える。教員退職後に住職になった清原さんは数年前、説教の専門資格「布教使」の免許を取得した。「水平社は『自分たちさえ差別されなかったらいい』ではなく、全ての人が人として尊ばれる世の中をつくろうとした。そんな精神を伝えていきたい」
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京都のひな祭りは男雛と女雛の立ち位置が逆

 「3月3日はひなまつり」としか頭になかったが、水平社宣言の日だった。
 それも、今年でちょうど100年。私の父が生まれたのが1921年12月なので、その3か月後のことである。

 京都新聞に紹介されていた、西光万吉の親族が中学生の時に差別された時の話。
 「腹たつし、許されへんけど、あんたのことかえていかんな、この学校かわらへんねん。」

 「ほんま、ほんま」と思わず言いたくなった。よう、そこまで言えたね。えらい!

 西光万吉さんがかつて語った言葉。
 「水平社の運動は長い間の差別に対する復讐でなく、人間を人間と思わない哀れな人間を救う運動である。」

 「そやねん。復讐したい気持ちはあるやろう。でもいつまでもいつまでも復讐し続けるのもしんどいやろう」と言いたくなった。

 「復讐のために政治家になったんか」と疑われるような人もいる。
 それはしんどいし、それこそ哀れ。
 人間を人間と思わない哀れな人も救い、復讐に生きているような人もまた救わなあかん。
 100年かけてもこの問題は解決はしていない。まだまだ、先は長い。
 

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