2021年03月02日(火)
ガマフヤー [沖縄]
◎毎日新聞3月2日朝刊
辺野古の海 遺骨で埋めるな
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古沿岸部への県内移設に伴い、防衛省が沖縄本島南部からの埋め立て用土砂の採取を検討していることに対し、批判の声が上がっている。
沖縄本島南部は太平洋戦争末期の沖縄戦で激戦地となり、今なお犠牲になった住民らの遺骨が土の中に眠っているためだ。ボランティアで遺骨収集を続けてきた具志堅隆松(たかまつ)さん(67)は土砂採取の断念を防衛省に求め、1日から那覇市の県庁前で座り込みの抗議を始めた。
「戦没者の遺骨が混じった土砂を埋め立てに使うのは間違っている。国は『沖縄に寄り添う』と言ってきたが、全く逆のことをやろうとしている。死者への畏敬(いけい)の念が全く感じられない」。
1日朝、座り込みの抗議を始めた具志堅さんは訴えた。抗議の意志を示すため、当面は食料を口にしないという。
防衛省は2020年4月、埋め立て予定海域で見つかった軟弱地盤の改良工事を実施するため、沖縄県に設計変更を申請した。県が現在審査中だが、申請書によると、埋め立て用土砂の採取候補地が当初計画から一部変更され、沖縄本島南部の糸満市と八重瀬町などが新たに加わった。
埋め立てには東京ドーム16杯分の約2018万立方メートルの土砂が必要で、大半が岩石を破砕した「岩(がん)ズリ」と呼ばれる土砂。防衛省は申請書で県内で4476万立方メートルの岩ズリが調達可能としたが、うち7割の量は沖縄本島南部だった。政府は「土砂の調達先はまだ決まっていない」(岸信夫防衛相)と繰り返すが、こうした計画内容から、移設に反対する人たちは「南部の土砂が使われる可能性が高い」と指摘する。
県民の4人に1人が命を失ったとされる激しい地上戦となった76年前の沖縄戦では、米軍の侵攻を受けた旧日本軍の司令部が沖縄本島南部に後退し、徹底抗戦を続けた。その結果、避難した住民も戦闘に巻き込まれ、沖縄本島南部で多くの人が命を落とした。
大小無数にある「ガマ」と呼ばれる自然洞窟などでは身を潜めていた住民や日本兵のものとみられる遺骨が今も見つかっており、具志堅さんらは「本島南部の土地が大規模に削られれば遺骨混じりの土が埋め立てに使われる」と懸念する。
土砂の調達は政府の設計変更申請を県が承認した後になるが、採石業者が新たに緑地帯を削って鉱山の開発を始める動きもある。玉城(たまき)デニー知事は2月21日に現場を視察。25日の県議会本会議では「戦没者の遺骨が残されているかもしれない場所から土砂を使用することは、悲惨な戦争を体験した県民やご遺族の思いを傷つける」と述べ、対応を検討する考えを示した。【遠藤孝康】
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沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん(67)がハンガーストライキを始めた。
自らを「ガマフヤー」と呼ぶ具志堅隆松さんは、38年前から沖縄戦で亡くなった人の遺骨収集を続けている。「ガマ」とは自然にできた洞窟のことで、ガマフヤーとは沖縄言葉で「ガマを掘る人」という意味だ。
元山仁士郎さんのハンガーストライキの時のように、駆けつけてひと言でも励ましたい。でも、今はコロナもあって無理。
せめて私のこのブログで紹介して、沖縄以外の人たちにも関心を持ってもらいたい。
全国紙で沖縄の基地問題を取り上げられることはまれ。
毎日新聞さん、ありがとうございます。
沖縄戦では、私の父のいとこの藤井勘六さんが亡くなっています。戦死の知らせとして届けられたのは、名前が書かれた木の札だけだったそうです。沖縄のどこかに、今だ勘六さんの遺骨は眠ったまま。
私の父はたまたま運よく中国から帰還できたものの、同じようなことが起こっていても不思議ではなかった。
父が生きていれば、このニュースを聞いてどう思うかを問うてみたかった。
「パオパオだより」は、先月月間アクセス数が30万を超えました。
その中から一人でも二人でも、沖縄の基地問題に関心を持ち、何か行動を起こしてくださる方が出てきてくれるとうれしいです。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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