2020年10月27日(火)
「粛々じいさん」を忘れない [沖縄]
◎東京新聞Web 2020年10月22日 05時50分
<ふたつの戦後〜菅首相と翁長前知事〜(中)>
翁長氏「米軍最高権力者と重なる」
上から目線の「粛々」使う菅氏に抵抗の弁説30分
「『粛々』という言葉を使う官房長官の姿が、米軍軍政下の最高権力者キャラウェイ高等弁務官と重なる。上から目線の『粛々』という言葉を使うほど、県民の心は離れ、怒りは増幅し、辺野古(へのこ)の新基地は絶対に建設することはできない」
◆「日本の政治の墜落」
沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は2015年4月、那覇市のホテルで菅義偉官房長官と就任後初の会談に臨み、県民の思いをぶつけた。戦後の歴史、過重な基地負担を強いられてきた実情。菅氏が「関係法令に基づき、辺野古を埋め立て、環境に配慮しながら工事を粛々と進めている」と従来の政府方針を説明したのに対し「粛々」の表現に抵抗感を覚えていた翁長氏の弁説は30分近く続いた。「沖縄が自ら基地を提供したことはない。県民に大変な苦しみを与えて、沖縄が負担しろということ自体が日本の政治の堕落ではないか」
沖縄は1972年5月の日本復帰まで米国の施政権下にあり、米陸軍将官が「高等弁務官」として絶対的な権限を持って統治。復帰運動が激化した60年代前半の弁務官が、翁長氏が菅氏に重ね合わせたキャラウェイ氏だ。63年に那覇市で「沖縄の自治は神話にすぎない」と演説し、住民の反発を強めた歴史がある
◆面会断られ続け
翁長氏は米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾市)の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設に反対し、14年11月の知事選で建設を容認した現職に大勝した。だが12月の就任後、上京するたびに安倍晋三首相や菅氏に要請した面会は「多忙」などを理由に断られ続け、4カ月後に実現したのが沖縄入りした菅氏との会談だった。会場のホテルはキャラウェイ氏が演説した米軍将校施設の跡地に立つ。
ようやく会談に応じたものの、菅氏は数カ月後の15年夏に開かれた新基地を巡る集中協議を通じ「辺野古移設は唯一の解決策」との原則を堅持。政権の大番頭として引けない立場だったとはいえ、翁長氏には訴えに耳を貸そうとしない「上から目線」に映った。
菅氏の政治姿勢を読み解くヒントは、民主党政権時代の12年に発刊された自著「政治家の覚悟」にある(今月発売の改訂版では削除)。普天間移設で「最低でも県外」と表明した鳩山由紀夫元首相らを批判。ルネサンス期のイタリアの政治思想家マキャベリの言葉「弱体な国家は常に優柔不断である。決断に手間取ることは常に有害である」を引用し「日本を『弱体な国家』にするわけにはいかない。マキャベリの言葉を胸に歩んでいく覚悟だ」との決意を示した。
◆菅氏、強い国家を意識
自民党は09年衆院選で野党に転落し、菅氏は12年の政権復帰とともに官房長官に就任した。3年間の苦渋の経験があったからこそ、強い国家を意識し、反対論には強行突破も辞さない姿勢につながっているように見える。
沖縄問題に限らず、政策や人事の決定に際し、たびたび菅氏は周辺にこう語る。「おれがやると言ったらやるんだよ」
=肩書などは当時
<ふたつの戦後〜菅首相と翁長前知事〜(上)>翁長氏「菅氏とは別の戦後を生きてきた」 似た経歴でも異なる原点 基地問題で対立
<ふたつの戦後〜菅首相と翁長前知事〜(下)>「県民同士が争う様子を笑って見ている」 翁長前知事、分断狙う政府に苦悩
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◎琉球新報Web News 2020年10月27日 11:28
「口先の『寄り添う」聞きたくない」 菅首相所信表明に沖縄県民が批判
菅義偉首相が26日の所信表明演説で「沖縄の皆さんの心に寄り添う」と強調したことについて、名護市辺野古の新基地建設に抗議の声を上げてきた市民からは「口先だけだ」などと批判が相次いだ。
「沖縄の心に寄り添う」というフレーズは、安倍晋三前首相も繰り返し用いてきたものだ。26日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で抗議の声を上げた県統一連の瀬長和男事務局長(57)は「口先だけの言葉は聞きたくない。沖縄戦の悲惨な体験や歴史をもう少し知れば、本当に『寄り添う』ことがどういうことか分かるはずだ」と不信感を募らせた。
那覇市の大城博子さん(69)は首相が辺野古の工事を「着実に進める」と語ったことに触れ「判で押したようなことしか言わない。どれだけの理由があり、そこまで辺野古にこだわるのか」と疑問視した。
宜野湾市の米軍普天間飛行場野嵩ゲート前では26日夜、ゴスペルを歌う集会が開かれた。駆け付けた市喜友名の池原順子さん(69)は「政府の姿勢は『寄り添う』とは真逆だ。沖縄のためを思うのであれば、今すぐ沖縄の人に土地や自治、人権を返してほしい」と憤った。
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菅さんのことを世間では「令和おじさん」と呼び、そう言われた本人も浮かれているらしい。
でも私は、「辺野古の工事を粛々と進める」との発言が頭から離れない。
「令和おじさん」ではなく「粛々じいさん」、いや憎しみを込めて「粛々ジジイ」と呼びたいくらい。
10月7日、総理大臣になって初めての玉城知事との会談がわずか5分。
「5分!」
ラーメンじゃあるまいし!
バカにするのもええかげんにせいと言いたい。
そして、所信表明では「沖縄のみなさんの心に寄り添って」と。
おらおらおらあー。
一応お上品が売りの私でも、もうしんぼうならん。
イージス・アショアは撤回したのに、なんで辺野古はやめられん。
やっぱり「沖縄差別」としか考えられん。
ドーンとやったれよ。
歴史に残る「辺野古新基地撤回」を!
そしたらもう、○○じいさんとか○○ジジイって言わへんしー・・・。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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