2018年10月23日(火)
さらば、旧京都キャロット [雑感]
2011年5月15日に、うちの最後の飼い猫・あんもが亡くなってから、北区上賀茂東後藤町の旧「京都キャロット」店舗は空家になっていた。
連棟の真ん中ということで、売るにしてもなかなか難しく、長い間放置してしまっていた。
しかしヨメさんがいろいろと手配してくれ、27年前に購入した金額から考えると「二束三文」の価格だが売却できることになった。
1991年、私が小学校教師を辞めたときにこの家を購入。店舗住宅に改装し、ランニング用品店「京都キャロット」が本格的に始動した。
あれから27年、その間いろいろなことがあったが今日でおしまい。
長い間、ありがとうございました。
1991年5月、ヨメさんは妊娠7か月。
番犬・エリちゃんは何歳やったんかなあ。
1994年9月。家族4人勢ぞろい。
廉や真樹はほとんど記憶がないと思うが、私ら夫婦にとってはそれなりに思い出多い旧店舗でした。
さあ、これですっきり。
新たな気持ちで、この先もがんばっていきましょう。
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【RUN】
今日も5kmだけ。
いつもの十王堂橋往復。
うちから400mのところにある更雀寺さんに、「山門不幸」の立て札。
真樹の洛北中学時代の同級生のおうち。
「山門不幸」ーーーその寺の住職の死。また、それを知らせる言葉。
「更雀寺(きょうしゃくじ)」−−− 藤原実方という人物がある。あるとき殿中で藤原行成と口論となり、怒りにまかせて行成の冠を投げ捨ててしまった。その一部始終を見ていた一条天皇は「歌枕を見てこい」と言って実方を奥州へ左遷したのである。
それから3年後、実方は奥州で客死する。馬に乗っていた実方が笠島道祖神社の道祖神をけなしたために神の逆鱗に触れ、馬もろとも蹴り殺されたと伝えられている。一説では落馬が原因で死んだとも伝えられている。いずれにせよ、京都の土を踏むことなく亡くなったのである。
実方が奥州で客死したという知らせが京都へ伝わったちょうどそのとき、清涼殿に一羽の雀が舞い降りて膳の飯をついばむと、さらに藤原氏の私学校である勧学院へ舞い降りてそのまま息絶えてしまった。それを聞いた人は“京都へ帰りたかった実方の一念が雀となって戻ってきたのであろう”と噂しあったという。そして勧学院に【雀塚】なるものを建てて、実方の霊を慰めたという。
妖怪ファンなら、上のエピソードをご存じの方は多いはず。鳥山石燕の【入内雀】こそがこの話をもとに描かれた妖怪なのである。
雀塚は勧学院に建てられたのだが、後に勧学院跡(四条大宮西側)にできた更雀寺に祀られていた。しかし、昭和52年に四条大宮のターミナル化に伴い、左京区の静原に移転することとなり、雀塚も同時に移転した。 (日本伝承大艦より)
亡くなられたご住職というのは、◯◯ちゃんのお父さんなのだろうか。心配。
家に到着、28分45秒。
足の痛みもだいぶましになり、だいぶ普通に近く走れるようになってきた。
ただししばらくは調子に乗らず、おとなしく。
スピードを抑えるためにジャンバーを着てスタートしたが、暑がりの私には耐えられなかった。走る気さえ失せてしまうので、途中から脱いだ。
「だから、もっとゆっくり走れって!」
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【今日のきく】
このごろだいぶかしこくなって、「お客様噛み率(?)」が下がってきたらしい。中には、なでてもだいじょうぶな方も出てきたとか。
いやいや、そんな程度ではまだまだなんですが・・・。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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