2011年07月29日(金)
こま爺とおウメ婆 [家族]
毎年恒例の墓そうじ。
うちは分家なので墓の数は少ない。曽祖父、曾祖母、祖父、祖母、伯母と叔母。そして、ちゃんとした墓石がまだない私の母。母が亡くなってもう20年。ちゃんとした墓石を作らないのは、父が亡くなったときにいっしよにするつもりだからだ。
お墓そうじに行ってビックリした。ほとんど草が生えていない。墓の後ろの土が崩れていたので、鍬で整地。そのあとはひたすら墓石磨き。
墓石を磨きながら、祖父と祖母の命日を確認した。
祖父・駒夫、昭和45年9月10日。
祖母・ウメ、昭和53年7月25日。
おばあさんが亡くなった日のことはよく覚えている。洗濯ものを干している時に倒れ、長い間寝たきりになっていた。でもそれが中1の夏休みだったとは意外だった。私の記憶では、冬であったと思っていた。毎週毎週あるご詠歌が、寒い中で行われていたという記憶があった。実際は真夏だったのか・・・。記憶っていいかげんなもんですね。
おじいさんが亡くなったときの記憶はほとんどない。おふとんのすそで、おばあさんが泣いていたシーンだけ鮮明に覚えている。計算すると、私は4歳9ヶ月。5歳くらいなら、もうちょっと覚えていてもいいようなものだが・・・。やっぱり、あんまりかしこなかったか・・・。
おじいさんは、田んぼの水を見に行ってその場で倒れてしまったと聞いていた。でも、9月で田んぼの水っておかしいな。今やったら稲刈りの季節やで。父に聞いてみた。
「別所は寒いさけ、そのころでも水はっとったんやろ。」
おじいさんは田んぼの脇でうつ伏せのまま息を引き取った。検死の必要があったので、甚六のおっさん(親戚)がうちのおじいさんの横でおまわりさんを待ってくれていたそうだ。
その日、父はなんかの集金日で千本四条まで出て来ていた。帰ってきたら、「おとうさん、死なはったで」と言われ、びっくりしたそうだ。出かける前、元気にしゃべっていたはずなのに・・・。心臓マヒだったんでしょうか。
おじいさんについては、その生前の記憶もほとんどない。いつもニコニコしいた顔しか覚えていない。
うちの母に言わせると、「こま爺は争いが嫌いで、何でも賛成するし『賛成党』と言われていた」らしい。母にとっては、いい舅だったんじゃないでしょうか。私もその血を受け継いで行きたいと思っている。
父は、祖父の命日だけでなく、祖母の命日も正確に覚えていた。
昭和53年7月25日は、花背二中のグランドで消防団の査察があったらしい。当時、私の父は花背消防分団の分団長。責任ある仕事をずっと担っていた。
今日、父と話していて思った。「父はボケてはいない!」
私が死んでも、ここには埋めんといてね。あくまで石像ということで・・・。
ますみちゃんは、その石像の鼻の穴の中にでも入っとく?
「バシッ、ドコッ、ボスッ!」
おー、久しぶりの効果音。
おウメばあさんの写真を撮ってきた。
この写真ではも一つだが、実物はほんまに天皇陛下にそっくり。顔も似ているが、そのしぐさがめっちゃ似ていた。
今日、父にその話をしたら大笑いをしていた。でも、まんざらでもなさそうな気配もあった。
「おっきゃ(屋号・おけや)の顔は、皇族系かーい。」
「おばさーん! おう、こま爺の写真とって来るのん忘れたー!」
(うちの家では、おばあさんことを「おばさん」と呼んでいた。「おばさん」は、「お」ではなく「ば」にアクセント。)
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
すーみー智さん、ほんとうにお久しぶりです。(「すーみー」は「チラ見」という意味でしたよね。)まさかこの地味な記事に、コメントを入れてくださる方があるとは・・・。
うちのいなかは子どもがどんどん減り、学校も統合してなくなってしまいました。老人人口比率はかなり高いです。いわゆる「限界集落」ですね。ただ、京都の中心部からそんなに遠くないので、すぐ帰ることができます。
いなかにはお化けが出るとか火の玉が出るとかよく聞きましたが、私は一回も見たことがありません。お化けや火の玉も、相手を選んで出てきているのかも・・・。
機会があれば、ぜひうちのいなか「花背別所町」にも来てください。真冬、1mほど雪が積もった時なんかいいですよ。
パオパオさん、おひさしぶりです。
それとなく、ブログをすーみーしていました。
パオパオさんのすんでいらっしゃったところって、しぜんがいっぱいなんですね。
僕は、京都のともだちに、離島を案内したことがあるのですが、「『となりのトトロ』がすんでいそうやんけ」と言われました。
そして海辺の砂浜でもサンゴとサンゴが重なって、「ふしぎな金属音みたいな音がする!!」といっていました。
感じ方はいろいろだと思うのですが、
今日のパオパオさんの記事の写真をみると、
ジブリがいっぱいコレクションの・・・
もののけ姫・・・だったり・・・千と千尋の神隠しを
思い出しました。(物語の現場かと思いました)
京都って広いんですね。
僕は京都市内から離れたことが、あまりないのです。
ひさびさに、いろんなところのふるさと感を味わいたくなりました。ふるさと京都の七不思議ツアーってあったらいいですね。
そういえば。。
京都のある婦人と以前メールをしていたのですが、その人の旦那さんが、とても天皇陛下にそっくりとおっしゃっていました。旦那さんは京都の人だったのかなぁ・・・。