2020年02月19日(水)
「宇治川」「篠山」はだいじょうぶか [時事]
◎神戸新聞NEXT 2/19(水) 14:14配信
23日の姫路城マラソン中止に 新型肺炎感染拡大で
新型コロナウイルスによる肺炎(COVID19)の感染拡大を受け、兵庫県姫路市で23日に開催予定だった「世界遺産姫路城マラソン」の中止が決まった。同市が19日に発表した。
姫路市によると、安倍晋三首相が18日、大規模イベントの開催時期を見直すよう呼び掛けたことを受け、開催の可否を改めて検討。各地で感染が広がっている現状を考慮し、中止を決めたという。
姫路城マラソンは、同市などの主催で6回目。昨年12月時点で、海外の246人を含む8061人が出走を予定していた。
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えらいこっちゃ!
「東京マラソン」の一般参加者枠が中止になったことはひとごとのように聞いていた。でも、大阪の「寝屋川マラソン」の中止にはびっくりした。
「横浜からえら離れてんのになあ。まさか、『宇治川』や『篠山』は中止にならへんやろなー。」
そしたら今日、「姫路城マラソン」中止のニュースが。
これは、あかん!
2月23日の「宇治川マラソン」、3月1日の「篠山マラソン」で、「京都キャロット」としての出張販売は終了する予定。(そのあと私一人で行けないものか、現在検討中。)
「有終の美を飾る」というわけでもないが、両大会には知り合いもたくさん出場されているので、お話できることを楽しみにしていたのだが・・・。
中には、「走らないけど、会いたいから行きます」とおっしゃってくださるありがたいお客様もあり。
「中止にせんといてね!」
【追加】
つい今しがた(午後7時44分)、福井のねこ4さんから、「能登和倉マラソン中止」のお知らせ。(ねこ4さんは参加申込していたらしい。)
あかん、あかん、あかん・・・。
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◎岡山放送 2020年2月19日 水曜 午後6:20
「安全に万全」吉備路マラソン予定通り実施へ【岡山・総社市】
新型コロナウイルスで各地のイベントが中止になるなかでの開催決定です。そうじゃ吉備マラソンについて、開催地の総社市は、安全に万全を尽くした上で、予定通り開催すると発表しました。
定例の記者会見の後、片岡市長は強い口調でこう、明かしました。
(総社市 片岡聡一市長)
「そうじゃ吉備路マラソンは、予定通り開催したい」
そうじゃ吉備路マラソンは、中四国地方最大規模のマラソン大会です。4日後に控えた12回目の2020年は、2万1376人がエントリーしていましたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、実施するかどうか検討されていました。
(報告 矢野匠記者)
「実施に踏み切った理由について、市は、こうしたマスクをはじめ、防御策を用意できることを挙げています」
総社市が用意したのは、コースやトイレなど、100カ所に設置する消毒液104リットルと、ランナーと運営スタッフ全員分、2万4000個のマスクです。このほか大会では、手洗いを義務化するなど、安全に万全を尽くすとしています。コロナウイルスを巡っては、備前市のカキを堪能できる「ひなせかき祭」など、各地でイベントが中止に追い込まれています。そんな中での開催決定。市長が語気を強めたのは、その思いを問われたときでした。
(総社市 片岡聡一市長)
「屋外競技については、やってもいいんだよという前例になるべきだと。さらに(豪雨からの)復興に向かってやっていこうというものを創りたい。その熱意。それがそこまでしてやろうということです」
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「やってもいいんだよという前例になるべきだ」
その心意気や良し!
「宇治川」や「篠山」も「そうじゃ」を見習ってほしい。
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【今日のきく】
水曜はバイト帰りの深夜散歩。
寝ぼけているかと思ったら、前の公園に連れて行くとスタスタ歩く。
元気なきくちゃんの歩く姿を見て、私も元気になる。
ありがとう。
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2020年01月29日(水)
時代錯誤の下品な広告 [時事]
1月26日の京都新聞を見てビックリ。
「タイムスリップしたか?」
ビラでは似たような内容のものを見たことはあるが、新聞広告でこんなんを見たのは人生初ですね。
悪代官が「金にもの言わす」というか、いったいいくらかかっているんでしょうね。良識ある京都市民が、この下品な広告をどう判断されるか・・・。
私も現京都市長も60歳代。「反共は戦争前夜の声」という言葉を知っている世代なのに、そのリスクを分かった上での博打広告でしょうか。
私を左翼(共産党系?)と勘違いしている人もおられるようだが、それは大まちがい。なんの関わりもありません。私が一番好きなのは、沖縄の喜屋武真栄元参議院議員のような「革新統一候補」。(ああ、これも死語ですね。)
過去の記憶をどんどん忘れてしまっている私が、この広告をきっかけに鮮明に思い出したことがある。
過去を辿ること40年。
私がやっとのことで小学校教諭になったころ。最初に赴任したのは大原小学校百井分校。そこで児童1人の担任に。でも、へき地校(別所小学校)出身の私にとっては、お隣の百井分校に赴任を命じられたのは名誉なことと思っていた。
「労働組合は、困っている人、弱いものを助ける組織です」と説明され、すぐに仲間に入れてもらった。いざ入ってみると、一番力を入れているのが「授業研究」。ええ加減なルートをたどってギリギリ採用された私にとっては、こんな「ためになる」ありがたいことはなかった。
そんなある日、組合のへき地部が教育委員会に待遇改善要求する会合に出席することになった。
京都市役所内の京都市教育委員会に出向き、へき地校で困っていることを要求させてもらった。その要求のほとんどが、自分たちの待遇ではなく子どもたちに関わることだった。
ところがその答弁に立っているのが、並み居るお偉いさんではなく20代の一係員。「何から何までペラペラと答えてるけど、中身はゼロ回答やん」「お偉いさんたちは言ったことをあとで追及されると困るから、こんな下っ端に答えさせて、あとは責任逃れしようとしてるんやなあ」と思っていた。
その中で、へき地校出身者である私が一番腹が立ったこと。
社会見学に出て行こうにも交通費が莫大にかかる。わずかな補助が出てはいたのだが、それを増額してほしいと言ったときのこと。
「へき地には豊富な自然環境があるわけですから、それを生かした授業に力を入れてもらって、わざわざ街に出てくることにこだわる必要はないのではないかと思います。」
「はあ? 田舎者は田舎に引っ込んどれちゅうこと?」
もちろん新採の私がそんな発言をできるわけがなかったが、へき地校の児童がバカにされたようではらわたは煮えくり返っていた。
その時答弁を一手に引き受けていたのが、当時教育委員会の一係員だった「かどかわ」さんです。
今も40年前も同じ、人を小バカにしたような答弁で活躍した一係員は、のちに教育長に上り詰め、そこで終わらず市長にまで。
これは選挙妨害でもなんでもない。私自身が目の前で見た光景です。40年たって細部は正確さを欠くかもしれないが、同じような証言をしてくれるであろう仲間はいっぱいいます。(昔の仲間がボケていなければ・・・。)
私の父の教えは、「最初に顔を見たら、その人がどんな人かだいたいわかる。のちにその評価が覆ることはほとんどない」。
申し訳ないけど、私の40年前の最初の評価は覆ることなく今も続いている。
(ひとさまのことをほめるにしてもけなすにしても、憶測ではなく、こういうふうに自分の目で見たことをもとにして話してほしいと思う。)
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◎五十嵐仁(法政大学大原社会問題研究所)の転成仁語より
4月29日(金) 再びかみしめるべき..
〔以下の論攷は、『六町だより』第25号、2016年4月号、に掲載されたものです。〕
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」
これは、マルティン・ニーメラー牧師の有名な詩です。今また、これと似たような状況が生まれつつあります。再び「反共は戦争前夜の声」という言葉をかみしめなければなりません。
安倍政権は閣議決定した答弁書によって、共産党が破壊(活動)防止法の適用対象だと回答しました。普通に活動して多くの支持を得ている天下の公党に対するこのような攻撃は古色蒼然たるもので荒唐無稽ですが、まさに「ナチスの手口」に学んだものでもあります。
戦前の日本もドイツも、戦争準備の過程で頑強な反対勢力であった共産党を弾圧しました。やがてその弾圧は自由主義者やカトリックへと拡大していきます。同じように、安倍政権は共産党を狙い撃ちにして、戦争する国づくりをすすめようとしているわけです。
悪質なデマまで使って攻撃するのは、野党共闘の強力な推進力となった共産党を排除できなくなったからです。その力を恐れているからこそ目の敵にしているわけで、共産党が手ごわい政敵になったと自民党が太鼓判を押したようなものです。
これは安倍政権の弱さと焦りの現れでもあります。市民から大きな声を上げて糾弾しなければなりません。「最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった」という間違いを繰り返さないために。そして、後になって「私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」という状況を生まないためにも……。
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2019年12月11日(水)
国民感情とは? [時事]
◎朝日新聞12月11日朝刊・耕論
国民感情と言うけれど
国内外の対立で「国民感情」という言葉を耳にするようになった。今夏の国際芸術祭あいちトリエンナーレでも政治家の発言がきっかけで話題に。その「国民」にあなたはいますか。
*
■誰の思いか、わからない 小田原のどかさん(彫刻家)
「あいちトリエンナーレ」(あいトリ)で、企画展「表現の不自由展・その後」が中止になったことは記憶に新しいでしょう。あいトリに出品していた作家の一人として、企画展中止後に集会を開き、ヒアリングをしました。芸術祭を支える市民ボランティアの率直な受け止めを聞いてみたいと思ったからです。
「友人にボランティアをしているといいづらくなった」「前回は宣伝の意味で(トリエンナーレのロゴ入り)Tシャツを着ていたのに、この騒動で着にくい」。何が問題かわからないという声とともに、そんな戸惑いの意見も寄せられました。芸術祭を支える市民の葛藤を目の当たりにするようでした。
一時中止された企画展で抗議が殺到したのは、慰安婦を題材にした「少女像」、昭和天皇の肖像を使った作品です。いずれも歴史認識に関わっています。河村たかし・名古屋市長が反発し、市が発表した声明で「国民感情を害する」と批判されていました。
「国民感情」という曖昧模糊(あいまいもこ)とした言葉によって、市民が素朴にあいトリを盛り上げたり、応援したりすることを難しくさせられたと感じます。「国民感情」という言葉で、過去の出来事をめぐる対話の機会が、分断と萎縮へと後退してしまったのです。
ただアートと歴史認識が交わる分野の制作現場では、萎縮につながりかねないことは以前から起きています。私は長崎の原爆を題材にした作品をつくってきました。助成金申請の面談で「この題材だと、ちょっと……」と言葉を濁され、暗に承認は難しいという反応をされたことがあります。
今回河村氏にとっては、慰安婦問題に対する従来のスタンスを主張しただけのこと。歴史問題について、私自身は「愛国心」や「日本人の誇り」という言葉に身構えてしまいますが、河村市長や作品に反発する人たちを理解不能だとはまったく思いません。歴史修正主義は否定されるべきですが、誇りやプライドの強調自体は否定されるべきものではないでしょう。
「国民感情」とは不思議な言葉です。国民=私たち、を意味するはずですが、その総体としての感情を誰が決めることができるのか。なのに、その言葉が投入されたことで、ツイッターなどネット上で対話ではなく、罵倒が増長してしまった。萎縮にとどまらない問題です。
しかも今回政府は、手続きの不備を理由に補助金の不交付という形で、「国民感情を害する表現」=「政府が好ましくないと思う表現」という図式を明示しました。誰の感情かわからない「国民感情」が今や政府の意思に置き換わっている。これには危機感を抱きます。(聞き手・高久潤)
おだわらのどか 1985年生まれ。創作活動とともに日本の彫刻の歴史研究も。編著に「彫刻1 空白の時代、戦時の彫刻」など。
*
■歴史観のもやもや、背景 松原隆一郎さん(社会経済学者、東京大学名誉教授)
「表現の不自由展・その後」は展示全体が左派的な作品に偏っていたので、公費で運営される場での展示としては政治的だと感じられても仕方なかったと思います。
ただ、批判派が「国民の感情」を持ち出して展示を批判した点には賛同できません。仮にそうした右派的な心情が日本社会の多数を占めていたとしても、多数派の感情を社会のルールにしろと迫るかのような言い方は適切ではないと思うからです。
「国民」という言葉のカギは、多様な価値観の共存です。「展示が表現の自由を逸脱した」と批判するなら、国民感情を持ち出すのではなく、なぜその展示が多様な価値観の共存を損なうのかをきちんと説明すべきでした。表現が誰の人権をどう侵害するのかなど、丁寧に検討されるべき論点はあったはずです。
今回批判されのは、慰安婦をモチーフにした少女像と昭和天皇の肖像が焼かれたかに見える映像でした。歴史認識が問われるテーマです。
戦前の日本のありようが国際的に否定されている状況に納得がいかない国民はいるでしょう。韓国が歴史問題で日本を批判することに、「いつまで謝ればいいのだ」と不満に思う人々もいます。
ただ、先の大戦は米英と日独伊の両陣営が互いの価値観を賭けた闘いでもありました。共存を拒絶したのですから、負けた側が体制を否定されるのは仕方ありません。また韓国は日本の植民地統治下にあったので、批判が終わらないのも仕方ない。もし解決するにしても数百年かかる問題だと考えるべきです。
頭では仕方ないことだと分かっていても心の整理がつけられない。国民感情というキーワードが浮上した背景には、こうした日本国民の心情があると思います。もやもやした心情にきちんとした言葉や表現を与えることに戦後日本の右派が成功していないことも、一因だと思います。
原因は、戦争責任の問題に日本人の手で決着を付けられなかったことでしょう。戦前を正当化しようとする右派の試みは、そのせいでどこか空転してしまうのです。近年の右派を見ていると、右派的な心情が世論の多数を占めると自負するあまり、丁寧に言葉を探す姿勢がおろそかになっているとも感じます。
国民感情に注目する試みにプラスの可能性が全くないとは思いません。たとえば、見送りが決まった英語民間試験。「経済格差が当然視されるのはおかしい」「地元で安心して教育を受けたい」という批判の中には、政治的な左右の違いを超えた心情の広がりがあったと思います。
こうした心情の根底にあるのは何か。その答えとなりうる言葉を探す作業が求められているのだと思います。(聞き手 編集委員・塩倉裕)
まつばらりゅういちろう 1956年生まれ。放送大学教授。著書に「経済思想入門」など。2008〜09年度に本紙「論壇時評」担当。
*
■「普通」を盾に、分断と排除 明戸隆浩さん(社会学者、東京大学特任助教)
「日本人ならば怒って当然ではないか」。世論を分ける問題が起きると、そんなぼんやりとしたナショナルな言説・雰囲気を支持する風潮が広がります。最近多少落ち着きましたが、数カ月前ならば徴用工や韓国の「ホワイト国除外」を巡る外交上の緊張などについて。連日テレビの情報番組などが韓国を「敵国」視する報道を繰り返し、一部週刊誌もそれに便乗しました。
私はポピュリズム(人民第一主義)とナショナリズムが結びついた問題として捉えています。「普通の人たち」が、そうではない人を批判・攻撃する。ナショナリズムは所属するネーション(国民)への肯定的な感情を指しますが、それだけでは攻撃を伴うとは限りません。今の風潮は自己肯定よりも、日本人以外への批判・攻撃が含まれています。
あいちトリエンナーレで河村たかし名古屋市長が「日本人の心」を持ち出し、慰安婦を題材にした「平和の少女像」に批判の矛先を向けました。彼が率先して世論をリードしたというより、世論の動きを察知、または後押しを受けたというのが正確でしょう。
では、彼をそういう動きに駆り立てたのは何だったか。市職員が作文したのかもしれませんが、市長発言の「日本人の心」は、抗議声明では「国民感情」と「翻訳」されました。「市民感情」「民意」など置き換えられる言葉は他にもありますが、国民感情になったのは示唆的です。
ポピュリズムが根差す「普通の人たち」に、ナショナルな意味が加わっていることを示しています。もちろん、その理由は河村氏が反発した作品がいずれも日本の歴史認識に関わるものだったからです。
歴史認識をめぐっては1996年に「新しい歴史教科書をつくる会」が、まさに団体の名前が示すように、加害の歴史を反省し戦前の日本を否定する、既存の歴史認識に異を唱えた。少なくともこの時期は、歴史の反省・謝罪が普通であったわけです。
ですが戦後レジームからの脱却を目指す安倍政権が長期政権を担う中、「加害の歴史を繰り返し反省・謝罪する」ことへの違和感が定着しつつある。しかもこの文脈での自国=日本の肯定は、同時に朝鮮半島を始め、先の戦争での被害国の人々や、戦前の日本を肯定しない人の否定につながっている。
ポピュリズムがナショナルな言説と結びつく現象は日本だけではありません。米国のトランプ大統領が訴える自国第一主義もそう。かつて国民の感情たるナショナリズムは、国の一体性を生み出すとされていました。しかし今、国民感情は歴史の中で分断と排除を生み出すものになっています。(聞き手・高久潤)
あけどたかひろ 1976年生まれ。専門は多文化社会論。共著書に「奇妙なナショナリズムの時代」など。
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朝日新聞の「耕論」という欄は、いつも読み応えがある。
バイト先の寮で朝日新聞が読めるのがありがたい。
今回の「国民感情」特集もよかった。
その「国民」にあなたはいますか、と問われれば、「一度も国民になったことがない」と答えざるを得ない。
「国民感情」などという言葉を使う人は、自分が多数派であるという前提で物申す人だろう。もうそれだけでゲーが出そう。
少なくとも、あの気色悪い名古屋市長と同じ「国民」でいたくはない。
話は変るが、最近「税金はなんぼ上げてもらってもいい」と思うようになってきた。そのお金が、どうしようもなく困っている人のために使われるであればだが。(例えば、自然災害で途方に暮れている人などのために)。そういう使い方をしてくれれば、みんな惜しみなく税金を払うと思う。
「納税は国民の義務」と言う前に、「困っている人を助けるのが国民の義務」と思える国であってほしい。
こういう「国民感情」なら大歓迎である。
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【今日のきく】
昨日アップするのを忘れてた。
昨日のきく。(以下、全部昨日のことです。)
毎度おなじみ、うちを別荘と思ってくれている黒猫ちゃん。
ちょっと前なら、きくが気付いてファンファンゆってたのに。今はもう、全然気付かない。
夜、「きくちゃん、おちゃんぽ行こか」と言ってもぐーぐー寝たまま。
全然動かない。
むりやり起こしてお散歩へ。
○ッコがジョンジョロリン。
ちょっとしか歩かへんかったね。
でも、食欲はあるでー。
オッサンが一人で食べていた水炊きの残りを、ちょっとだけいただきました。
オバサンは10時前まで鍼灸施術。
そんな遅くからでも、きくのお散歩に行ったげてますよー。
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2019年12月04日(水)
「手をつながさせてください」に大賞を! [時事]
「新語流行語大賞2019」が発表された。
「ONE TEAM」って、なに?
ラグビーのワールドカップ関連の言葉らしいが、ラグビーから取るなら「五郎丸は出てへんのか」でしょう。「ワンチーム」なんて一人もゆうてへんかったけど、「五郎丸は出てへんのか」は何人もの人から聞いた。ノミネートもせえへんなんて、センスなし!
私が選ぶ「新語流行語2019」は迷うことなく、「きもとさ〜ん、手をつながさせてください」。(「あおり運転」はノミネートされたが、「手をつながさせてください」はノミネートされていない。当たり前か。)
あのおあり運転のあと車から降りてきたこっわいこっわい顔のオッサンが、警察に連行されるときには弱弱しく「きもとさ〜ん、・・・」やからねえ。私には、このギャップがインパクトがありすぎた。
今日このニュースを正確に伝えようと思い、昔のニュース映像を見てみた。そしたら、「きもとさ〜ん」はゆってるけど、「手をつながさせてください」とはゆうとらん。まあそれらしきことはゆってるんやけど、人間の記憶ってええかげん。
あおり運転してたオッサンの名前も忘れた。記憶に残るのは「きもとさ〜ん、手をつながさせてください」。そうはゆうてへんにゃけど。
ところで、あの二人、その後どうなったんかなあ。
このニュースを聞いて、ずいぶん前のニュースを思い出した。
通り魔にナイフで刺された青年が、通りすがりの年配の女性に、瀕死の状態から力を振り絞って言った言葉。
「手を握っていてください」。
その記事では、本当にその年配の女性は手を握っていてあげたらしい。残念なことに、その青年は息を引き取ったのだが。
私が息を引き取るとき、ますみちゃんに手を握ってもらい、きくちゃんに顔をベロベロなめてもろたらゆうことなし。両方無理みたいやけど・・・。
※ まじめに言うと、「トリエンナーレ」か「グレタさん」が入ってほしかった。
「表現の不自由展」とちゃんと名乗っているのに、それにいちゃもん付けるもんの気が知れん。不自由なものをさらに不自由にして、なんの意味がある? あんな市長、市民は恥ずかしくないんかな。
グレタ・トゥーンベリさんの「怒りのスピーチ」にはしびれた。
「あなたたちを絶対に許さない」と某国会議員の「恥を知りなさい」は似てるけど、ゆう人によって心への響き方が全然ちがう。そういえば、「恥を知りなさい」もノミネートされんかったなあ。そらそうやわなあ。
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【今日のきく】
私は、水曜日は朝6時前に家を出る。
その時きくは起きていることが多いのだが、さすがに今日は寒すぎたのかまるまったままだった。
車のフロントガラスが凍っていた。
今年初めて。
そら寒いはずやわ。
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2019年11月01日(金)
東京札幌両方しー [時事]
「オリンピックのマラソンなあ、東京も札幌も両方やったらええのに。なんで、誰もそうゆう案を出さへんのかなあ」と私。
「はあ?」とヨメさん。
「2つ会場があって、選手が選べたらええやん。いや、希望者がいたら両方走らしたるちゅうのもええかもしれん。市民ランナーやったら、2週連続どころか2日連続なんてなんぼでもおるからなあ。」
「アンタみたいなそんなええかげんなこと考えてるもんはおらんて。」
さらに考えたのは、選手が分散すると数的にさびしくなるので、各国6人まで代表が出せるちゅうんはどうでしょう。東京に3人、札幌に3人ね。
マラソンのメダリストが6人になってしまうけど、急に会場を変えることに比べたら、こんなことたいしたことでもない。東京オリンピックマラソン・東京コース金メダルと、札幌コース金メダルの2人がいてもいんじゃないでしょうか。
一つだけ大事なことゆうとこ。
「ドーハ世界陸上のマラソン完走率が・・・」という話はまったく無意味。
市民マラソンじゃあるまいし、オリンピックのマラソンの完走率を気にしてどーする。ある意味プロのマラソンランナーたちの目標は、「メダル」。悪くても「8位入賞」。ひどいタイムで完走することには、何の意味もない。
例えば、ドーハマラソン参加費数万円とかで日本からツアー組んでみ。その人らの目標は、「あのドーハのマラソンコースを完走してきたでー」と知り合いに自慢すること。だからどんなに暑くとも、たぶん完走率は100%近くなる。そうゆうもんでっせー。
オリンピックであろうとなんであろうと、暑いところはそれなりに対策して走る。ダメと判断した時は、スパッと途中棄権する。それがプロでしょう。
さてー、私は東京と札幌、どっちを目指しますかね。
暑さに強いから、やっぱり東京コースですかね。
あっ、わしゃプロとちごた。
※宍戸開さんのツイッターには笑った。
レース終了後に東京に向かうなら、新千歳空港をゴールにしてコースを組めば良いんでない!
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【RUN】
水曜の朝から頭痛。
バイト先の寮にあったバッファリンを飲んだがまったく効かず。おかしいなあ。こうゆうのってよく効くほうやと思ってたのに。
昨日の朝、ロキソニンを飲んでみた。すると、30分後くらいにあんなにズキズキと痛かった右こめかみがスッキリ。
今回の頭痛は、バッファリンが効かず、ロキソニンが効く頭痛だったようだ。
そういうことで、昨日は走る時間があったのに走らず。今日はほとんど頭痛が気にならなくなったので、走りに行くことにした。
今度の日曜は、「京都丹波ロードレース」。今まで3kmや5kmに出ていたのだか、今年は10km。これは翌週の「与那国島一周マラソン(25km)」に向けての対策。
去年も、「京都丹波ロードレース」の2日前に宝が池コンクリトラックで5000mを走った。今年もこれしよう。
まずは家から宝ヶ池コンクリトラックまで。3.1km、17分半。
そこから約430mのコンクリトラックを12周。
4:18 4:32 4:25 4:32 4:29で5km、22分17秒。
去年は22分44秒やったから、そこそこ走れてるやん。
帰りはちょっと遠回りして4.5km、34分半。
あさっての10km、43分台は無理かなあ。
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【今日のきく】
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2019年09月25日(水)
「空っぽの言葉」の反対 [時事]
◎ハフポスト9月24日
グレタ・トゥーンベリさん、国連で怒りのスピーチ。
「あなたたちの裏切りに気づき始めています」
「あなたたちが話しているのは、お金のことと経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!」
スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)は9月23日、ニューヨークで開かれた国連気候行動サミットに出席し、地球温暖化に本気で取り組んでいない大人たちを叱責した。
トゥーンベリさんは世界のリーダーを前に、時に涙を浮かべながら約5分間スピーチ。
温暖化解決のための具体的な行動を取らないのであれば、「結果とともに生きなければいけない若い世代」はあなたたちを許さないと強く訴えた。
■トゥーンベリさんのスピーチ全文
私から皆さんへのメッセージ、それは「私たちはあなたたちを見ている」、ということです。
私は今、この壇上にいるべきではありません。私は海の向こうで学校に行っているべきです。それなのに、あなたたちは私に希望を求めてここにきたのですか?よくそんなことができますね!
あなたたちは空っぽの言葉で、私の夢そして子供時代を奪いました。それでも私はまだ恵まれている方です。
多くの人たちが苦しんでいます。多くの人たちが死んでいます。全ての生態系が破壊されています。私たちは大量絶滅の始まりにいます。
それなのにあなたたちが話しているのは、お金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!
30年以上にわたって、科学ははっきりと示してきました。それに目をそむけて、ここにやって来て、自分たちはやるべきことをやっていると、どうして言えるのでしょうか。必要とされている政治や解決策はどこにも見当たりません。
あなたたちは私たちに“耳を傾けている”、そして緊急性を理解していると言います。しかしどれだけ私が怒り悲しんでいようとも、私はそれを信じたくありません。
なぜなら、もしあなたたちが状況を理解していながら行動を起こしていないのであれば、それはあなたたちが邪悪な人間ということになるからです。私はそれを信じたくありません。
二酸化炭素排出量を10年で半分に減らしたとしても、地球の平均気温を1.5℃以下に抑えるという目標を達成する可能性は50%しかありません。そしてそれによる取り戻しのつかない連鎖反応を埋め合わせることは、制御不能になります。
あなた方は50%でいいと思っているのかも知れません。しかしその数字には、ティッピング・ポイント(小さな変化が集まって、大きな変化を起こす分岐点)やフィードバックループ(フィードバックを繰り返して改善していくこと)、空気汚染に隠されたさらなる温暖化、そして環境正義や平等性などの要素は含まれていません。
そして、私たちや私たちの子供の世代に任せっきりで、何千億トンもの二酸化炭素を吸っている。私たちは50%のリスクを受け入れられません。私たちは、結果とともに生きなければいけないのです。
「気候変動に関する政府間パネル」が発表した、地球の温度上昇を1.5℃以下に抑える可能性を67%にするために残っている二酸化炭素の量は、2018年1月の時点で420ギガトンでした。今日、その数字はすでに350ギガトンにまで減っている。
なぜこれまでと同じやり方で、そしていくつかの技術的な解決策があれば、この問題が解決できるかのように振舞っていられるのでしょうか。現在の排出量レベルを続ければ、残っているカーボンバジェット(温室効果ガス累積排出量の上限)は、8年半以内に使い切ってしまいます。
しかしこの現状に沿った解決策や計画は作られないでしょう。なぜならこの数字は、とても居心地が悪いから。そしてあなたたちは、それを私たちにはっきりと言えるほど十分に成熟していない。
あなたたちは、私たちを失望させている。しかし、若い世代はあなたたちの裏切りに気づき始めています。未来の世代の目は、あなたたちに向けられている。
もしあなたたちが裏切ることを選ぶのであれば、私たちは決して許しません。
私たちはこのまま、あなたたちを見逃すわけにはいかない。
今この場所、この時点で一線を引きます。世界は目覚め始めています。変化が訪れようとしています。
あなたたちが望もうが望むまいが。
■ 1年で世界を動かした16歳
気候行動サミットに出席するために、トゥーンベリさんは二酸化炭素排出量の多い飛行機に変えて、ヨットで大西洋を横断していた。
トゥーンベリさんは15歳だった2018年に、温暖化対策を取らない大人へ抗議するために、学校を休んでスウェーデン議会の前に座り込む「学校ストライキ」を始めた。
彼女の主張に世界中の若者たちが賛同。たった一人で始めたストライキは各地に広がった。
賛同者はどんどん増え、国連気候行動サミット直前の9月20日には世界各地で開かれた「グローバル気候マーチ」には何百万人もの人たちが参加して、温暖化の取り組みの遅れに抗議した。
1年で世界を大きく変えたトゥーンベリさん。
16歳の彼女に「成熟していない」と言われた大人たちは、変わることができるのだろうか。
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◎ハフポスト9月25日
「アスペルガーは私の誇り」
グレタ・トゥーンベリさんが投げかける「障がい」の意味
ニューヨークの国連本部で行った演説が大きな反響を呼んでいるグレタ・トゥーンベリさん。アスペルガー症候群であることを公表している彼女は、「アスペルガーであることは才能です」と話す。
アスペルガーでなかったら、こうして立ち上がることはなかったでしょうーー。
9月23日にニューヨークの国連本部で行った演説が、大きな反響を呼んでいるグレタ・トゥーンベリさん。
しかし、彼女が動かしているのは、温暖化問題への人々の関心や行動だけではない。その強い意思と行動力は、「障がいとは何なのか」という問いを全世界に投げかけている。
グレタさんは、その地球温暖化対策を訴える行動が評価され、2018年3月にはノーベル平和賞にノミネートもされた。
彼女の呼びかけはシンプルだ。
「地球温暖化が私たちの生存を脅かす重大な問題ならば、どうして私たちは行動しないのでしょう」
BBCによると、始まりはスウェーデンで総選挙が迫っていた2018年8月。グレタさんは、「気候のためのスクールストライキ」というプラカードを掲げて、ストックホルムの国会議事堂の前で座り込んだ。それは、ストライキは総選挙までの2週間、毎日続いた。その後も、彼女は毎週金曜日には学校を休んで、座り込みを続けている。
彼女の行動はまたたく間に世界中に広がり、地球温暖化対策を求める大規模な抗議運動へと発展した。「#FridayForFuture 」というハッシュタグと共に、欧米を中心に多くの若者が運動に参加し、その様子をSNSで発信している。グレタさんは12月には、ポーランドで開かれた会議COP24(通称:国連気候会議)、2019年1月にはダボス会議(世界経済フォーラムの年次総会)で演説した。
グレタさんは、アスペルガー症候群と強迫性障害、選択性緘黙であることを公表してる。
アスペルガー症候群とは、知的障害を伴わない自閉症のこと。東京都自閉症協会によると、対人コミュニケーションが苦手、興味の対象が限定的、などが主な症状だという。
しかし、グレタさんは言う。「アスペルガーは病気ではなく、1つの才能。アスペルガーでなかったら、こうして立ち上がることはなかったでしょう」と。(本人Facebook 2/2の投稿より)
アスペルガーだからこそ、人とは違った視点で世界が見れるのです。もし私がアスペルガーでなかったら、そんな風に世界を『外側から』見れなかったでしょう スウェーデンのTVトークショー「Skavlan」より
私のようなアスペルガーの人間にとっては、ほとんど全てのことが白黒どちらかなのです。私たちは嘘をつくのがあまり上手ではありません
(中略)
私にとってこれ(地球温暖化)は白か黒かの問題です。生き残りの問題となればグレーな部分はありません Greta Thunberg TEDより
「正直すぎること」もアスペルガー症候群の特徴の1つだ。これは、コミュニケーションにおいては「空気が読めない」という欠点になるが、「社会のルールや常識にとらわれず、思ったことをはっきり言える」という利点にもなり得る。
グレタさんの「温暖化はこれほど深刻な問題なのに、なぜ私たちは行動を起こさないの」というまっすぐな問いかけは、「正直で」「白黒つけないと気が済まない」というアスペルガー症候群の彼女の個性からきているのかもしれない。
一方で、グレタさんは障がい者としての生きづらさも語っている。
(アスペルガーなどの)自閉症であることは、学校や職場、そしていじめとの終わりなき闘いです (本人Facebook 4/2の投稿より)
それでも、
正しい環境下で、正しく適応すれば、(自閉症であることは)スーパーパワーとなり得るのです
(本人Facebook 4/2の投稿より)
とも。
実は著名人にも、発達障害を公表している人は多い。世界的な映画監督スティーブン・スピルバーグは失読症を、経済評論家の勝間和代さんや女優の黒柳徹子さんも、ADHD(注意欠陥・多動症)であることを公表している。
障がいは、「ネガティブ」ではない。むしろ、「世界を動かすほどのパワーをも秘めている」、そんな事実をグレタさん自身が証明している。
「アスペルガーは才能」
「アスペルガーであることは私の誇りです」(本人Twitter 4/2の投稿より)
彼女の存在によって、世界の「障がい」の受け止め方がひとつ変わるかもしれない。
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超久しぶりにしびれたスピーチやった。
16歳のスウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさん。
「空っぽの言葉」の反対のスピーチをありがとう。
何回も読み返します。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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