パオパオだより

2018年09月12日(水)

がん生存率は101人中51番目の患者の値 [病院]

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◎毎日新聞9月12日朝刊

   がん3年生存率71%

◇乳がん95%、膵臓がん15% 
    国立研が初公表

 国立がん研究センターは11日、2011年にがんと診断された人の3年後の生存率を初めて公表した。これまで約10年前に診断されたがん患者の5年生存率を公表してきたが、最新に近い治療を受けた患者の状態を把握するため、5年分のデータがそろうのを待たず算出した。全体の3年生存率は71.3%。前立腺がんは99.0%、女性の乳がんは95.2%と高かった一方、治療が難しいとされる膵臓(すいぞう)がんは15.1%と他のがんより大幅に低かった。

 全国の「がん診療連携拠点病院」など268施設の患者30万6381人のデータを集計・分析。日本人に多い「5大がん」(胃、大腸、肝臓、肺、女性の乳房)など11種のがんについて、進行度を示すステージ別に、がん以外の病気や事故で死亡する割合を除いた「相対生存率」を算出した。

 5大がんでは、肝臓と肺の生存率が比較的低く、胃は進行すると生存率が大きく下がった。乳がんは生存率が高いが、若い患者が多いことも関係していると考えられるという。

 がんは5年生存率が治癒の目安とされることが多い。3年生存率について、同センターの若尾文彦・がん対策情報センター長は「新しい治療法の効果を含むタイムリーなデータを提供した。今後、同じ患者の5年生存率が出れば、対比することで、より早い段階で治療成績などの判断ができるようになる可能性もある」と話す。データはウェブサイト「がん情報サービス」(https://ganjoho.jp)で確認できる。【五味香織】

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 9月6日の毎日新聞夕刊・特集ワイドに、「余命は『「残りの寿命』ではない」という記事が載っていた。「余命1か月」と宣言されたのに、10年後もしっかり生存されている例があげられていた。

 東京女子医科大がんセンター長の林和彦教授(化学療法・緩和ケア)の話。
 一般的に医師が告げる余命は、「生存期間中央値」という指標だという。ある治療を行った患者が101人いたとすれば、ちょうどその真ん中の51人目の人が生存していた期間がその値となる。言い換えれば半数が死亡するまでの期間だ。あくまでも中央値なので、期間が短い人も、反対に長い人もある。
 「ですからその集団の中のどこにいるかは誰にもわからない。告げる場合、『あくまでも集団のデータであって、個別のデータではなく、あなたがどこに入るかは分からない。治療の取り組みや効果で変わるのです。今から余命を気にしていてもしょうがないと思います』と伝えています」
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 なんか納得できるようなできないような話。
 私も2年前の癌宣告を受けたあと、自分なりに自分の「余命」について予測してみた。

 しかし甲状腺低分化癌は、癌の中でもマイナー中のマイナー。患者数が少ないということは、治療法が進んでおらず、治療データも少ない。
 ただ担当の?医師が、いかにもお気の毒というような表情で、(摘出した腫瘍の大きさから判断して、)「全身転移の可能性大です」とおっしゃったものだから・・・。

 そこで私の自己判断は「余命2年」。それやったら、あと1か月ですやん。生きてますがなー。元気ですがなー。

 ごくまれならしいが転移していないということが分かり、その時の私の自己判断は「今後転移しなければ余命5年」。
 今のところアイソトープ治療がうまくいっているらしく、「すぐに転移する可能性は低くなった」とのこと。今年8月の京大病院退院後、担当医師は「来年はアイソトープ治療に来ていただかなくてもいいでしょう」とおっしゃった。

 ああ、ありがたや、ありがたや。この通りになると65歳の誕生日を迎えられるので、65で亡くなった母の年齢も超えられるかも。

 そもそも男性の甲状腺癌患者は極端に少なく、アイソトープ治療に来られている男性患者は重篤な方が多い。
 私はまたもや、「ごくまれに」治療が効果的にできている男性患者なのかもしれない。

 101人中の10番以内くらい、マラソンなら入賞が狙える位置ですかねえ。
 ほんとうにそうならいいんですけど・・・。

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2018年09月11日(火)

走って走って被災確認3 [ランニング]

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 別所、雲ケ畑とくれば、次は静原ですね。

 生まれ育った別所は、正真正銘のふるさと。
 小学校教諭として3年、娘・真樹が中3の時に通学した1年を合わせると4年お世話になった雲ケ畑は、第二のふるさと。
 静原は・・・。特になんでもないけれど、私が走るのに一番走りやすいと感じられるところ。まあ、第三のふるさとと言っても過言ではない。

 今日走りながら考えたこと。
 SNSで被災地情報を発信している人は、「ただむかついて行政に文句だけを言っている人」、「『私がやりました』と自慢ばかりしたい政治家とその支持者」、「正確な情報の発信を心がけて、復旧作業に当たる人に感謝の気持ちを忘れない人」の三つに分けられる。

 残念なことだが、一番先に書いた「ヒステリーぽい」方が圧倒的に多い。決して建設的でない「文句」は、せっかく見てもらった人々の共感を得られないような気がする。これは見ていてつらい。
 二番目の「政治家」については、被災地に訪問してヘルメットもかぶっていない首長がいる。残念ながら我が市の長です。「きーつけなはれやー」と言ってあげる人が身近におらんのかねえ。はずかしい。
 三番目の「冷静な人」は少ないですねえ。 
 被災地域に住んでもいない者がえらそうなことは言えませんが、どんな時も冷静にいらられたらいいのになあと思う。
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 今日は寮2に24時間バイトからの朝帰り。
 7時に帰り玄関を開けると、きくが大喜びで飛び出してくる。しっぽピーンやもんね。

 ただし、こちらは体がクタクタ。
 枕が合わないのか、右肩右首筋が痛くてしょうがない。次に泊まるときは、家から枕を持って行かなあかんね。
 帰ってからは、きくのお散歩以外は何もせずゴロゴロ。

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 「こんなことではいかん」と思い、夕方やっと走りに出かけた。
 家を出て西の空を見上げると、変った形の雲が。

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 家を出るまではどこを走るか決めていなかったのだが、この空を見てなぜか「静原に行ってみよう」と思った。

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 恵光寺さんの掲示板には、豪雨・震災の義援金募集のお知らせが貼られていた。

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 いつもの「ネコだまり」にいるネコちゃんやね、あのネコちゃんは。静かに静かに何かを見つめていた。

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 別所と雲ケ畑がそれぞれ南北に通っている谷であるのに対して、静原は東西に開いている谷である。そのため、まっすぐ北上してきた台風21号の被害は、静原は比較的ましではなかったかと想像していた。

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 家から3kmほど来たところの歩道に、ゆっくりと動く物体。
 よく見ると、かわいい亀さん。まん丸の目がかわいいねー。

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 のんびり走っていたのだが、「西陣織ネクタイ団地前」のバス停を過ぎたあたりから景色は一変。

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 道路わきに倒木が目立つようなってきた。

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 北向きの山はほとんど被害がないように見えたが、南向きの斜面に植林されている杉がえらいことになっていた。

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 電柱が倒れたり、電線が切れて垂れ下がっているようなところは見られなかった。

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 ただ、南向きの斜面の倒木がひどい。

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 「ほっとする里 静原」ポール前で約5km、32分半。

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 さっと記念写真。
 予想より被害はひどかったが、別所・雲ケ畑に比べるとまだましなふうに見えた。

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 帰りは神社の様子ものぞいてみた。

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 別所をはじめ、どことも神社の被害がはなはだしい。それを見て、「神さんが身代わりになって、住民を守ってくださった」と言う人もおられる。でも冷静に考えると、神社にはちょうど「倒れごろ」の古木が多いだけのような気もする。
 信心が足らんかねえ。

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 東側の山の頂上付近だけ日が当たっていた。
 おもしろい光景だと思って写真を撮ったのだが、ボケボケでした。

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 帰りの道でもこんな光景が。
 この倒木は、一時道路に覆いかぶさっていたのかもしれない。

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 「田崎建材」さんのところが、行きの2.5km、帰りの7.5km地点に当たる。つまり、家からここで折り返して帰ったら5km。新5km練習コースとして使えますね。

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 市原バイパス交差点近くでネコちゃん発見。
 どなたかがエサをあげておられるようだった。

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 いろんな柄のネコちゃんがいます。

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 一心不乱に食べ続けているネコちゃんもいました。

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 家に帰って約10km、1時間1分45秒。

 右肩右首筋の具合がよくなかったが、いい練習ができました。
 静原も、まずまず落ち着いていたようだし。
 「ほっとした。」

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 今日は鍼灸のお客様の予約が入っていたので、きくはじゃまにならないように自宅待機。
 あとでヨメさんに聞くと、ランニング用品を求めて来られたお客様やら、問い合わせの電話やらなにやらが重なり、てんてこ舞いだったらしい。

 きくちゃん自宅待機でよかったやん。また今度、しっかり働いてもらうからね。

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2018年09月10日(月)

さたみやのふみちゃんに電話 [私の好きな人]

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「こんにちは。前によく泊めていただいていた京都キャロットの藤井です。」
「まあ―、お久しぶりです。お体を悪くされてたようでしたが、だいじょうぶなんですか。」
「あっ、ありがとうございます。よく覚えてくださって・・・。」
「毎年いただいている年賀状で・・・。」
「2年間入院とか病院通いが続いたんですけど、先月でやっと一区切りできることになりまして。」
「そうなんですか。よかった。」
「実はそのお祝いでもないんですけど、10月14日に輪島から羽咋まで73km走るレースがありまして、それに申し込んだんです。」
「えっ、お一人で?」
「はい。今回は出店じゃなくて、ただ走りに。」
「お体はだいじょうぶなんですか。」
「まあ、お医者さんもいいみたいに言ってはりましたし。」
「じゃあ、今練習されてるわけですね。」
「そうなんですよ。それでね、大会の前の日と当日の夜と、さたみやさんに泊めてもらおうかなあと思って電話させてもらいました。」
「それはそれは、ありがとうございます。時間とかは、どういうふうに?」
「すいません。すごく変則的な時間になってしまうんですけど。
 13日の土曜日に、羽咋で受付と競技説明会があるんです。それが終わったら、七尾のさたみやさんまで行って泊めってもらって、次の日の朝3時ごろにスタートの輪島に向けて出発する予定です。
 輪島を5時スタートで、夜の7時半までに羽咋にゴールしたらいいんですよ。ボクはいっぱいいっぱいの7時半までかかると思います。
 ゴール会場に軽食の用意があるらしいので、その日はそれを食べてからさたみやさんに向かいます。着くのが9時くらいになると思いますけど。お風呂に入らせてもらって泊めていただいて、月曜の朝ごはんをいただいてから京都に帰ります。」
「うちは全然だいじょうぶですけど、藤井さんはそれでだいじょうぶなんですか。もっと便利なところに泊まられた方が・・・。」
「いえいえ、このレースに出ようと思ったときからさたみやさんに泊めてもらおうと思ってたんです。いろいろなことも頼みやすいので。」
「ありがとうございます。今お聞きした通りの予定で準備させていただきます。気を付けていらしてくださいね。」

     ◇     ◇     ◇

 「なかじま万葉の里マラソン→能登和倉マラソン」と、長年出店させていただいていたのだが、その時の宿泊先は七尾市の「さたみや」さんと決めていた。
 
 初めてお世話になったころは、まだうちの子らが生まれていない時。でも、さたみやさんのかわいい3人の子を見て、ヨメさんは「子どもがいたら楽しそうやな」と思い出産を決めたらしい。そんな深いご縁のある旅館です。

※ 「ふみちゃん」は若おかみさんの呼び名です。なんと、お子さんまでがお母さんのことを「ふみちゃん」と呼んでいました。
 美人でかわいい「ふみちゃん」なんですが、写真NGのため、謎の「ふみちゃん」のまま。残念!

「さたみや旅館」(2008年3月8日)
「さたみや」さんは石川の竜宮城(2009年3月7日)
ふみちゃんトークとネコちゃんウォーク(2014年3月23日)
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 「峨山道トレイルラン」の参加申し込みは9月17日まで。ギリギリまで待つと忘れることもあるので、先週申し込み済。あとは泊るところを決めて、細かい行動予定表を作らなければならない。

 まずは大会事務局に電話。
 七尾の旅館に泊まる予定だが、どう動けば一番効率的かをお聞きした。
 大会当日は早く出て、ゴール地点である永光寺(羽咋)近くの駐車場に車を置き、送迎バスでスタート地点の總持寺(輪島)まで行く。そうするとゴール地点に自分の車があるので、そのあとが楽に動ける。
 しかし、羽咋出発の最終バスは午前3時。と言うことは七尾を夜中の2時に出なあかん。これはなんぼ何でもしんどい。

 七尾の「さたみや」旅館さんに電話したあと、もっといい方法がないか考えてみた。
 「あった! これでいこ!」

■10月13日(土)

  10:20 自宅出発
  11:00 名神・京都東
  14:00 北陸・金沢東(4090円)
  15:00 羽咋体育館(受付と競技説明会)
  18:30 さたみや(七尾)着

■10月14日(日)

   3:00 さたみや出発
   4:00 總持寺(輪島)着
   5:00 スタート
  19:30 ゴール
  20:45 羽咋駅発・JR
  21:05 七尾駅着(500円)
  22:15 さたみや着

■10月15日(月)

   9:15 さたみや発
   9:31 七尾駅発・のと鉄道
  10:11 穴水駅着(830円)
  12:13 穴水駅前発・北鉄奥能登バス
  12:45 門前着(690円)
  14:30 北陸・金沢東
  17:30 名神・京都東(4090円)
  18:30 自宅着

 さたみやさんは七尾駅から徒歩5分ほど。
 それなら、大会当日は總持寺(輪島)まで運転して行って車を置いておき、ゴール翌日に取りに行く方が賢いような気がする。
 9時に寝て、3時ちょっと前に起きたら6時間近く寝られる。そうろっと起きて、そうろっと出かけさせてもらうことにしよう。

 さたみやさんの「ふみちゃん」に会うのは4年ぶり。それなのに、電話した時に一番に私の病気のことを聞いてくださったのが感激。
 「ふみちゃん」はヨメさん以外では一番かわいいと公言してもはばからない。それはヨメさんも認めるところです。

 レースの楽しみに+アルファができたなあ。ひひひひひ・・・。

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2018年09月09日(日)

第108回9の日平和ラン [ランニング]

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 今日は、本家「ランナーズ9の会」が京都に集結し平和アピールランをする日。前にも少し書いたが、率先していくべき私は気おくれして参加を見送った。
 それは、2年前の8月から始まった病院通いがやっと一息つけそうになったから。ここで、今までと同じことを続けていてもむなしいだけ。しばらくはおとなしくして、この先どうしていくのかをしっかりと考えなくてはならない。

 昨日おとといと2日連続坂道を走ったため、いつもとちがうところが痛い。昨日の夜、ヨメさんがマッサージとテーピングをしてくれた。それで、今日はだいぶ痛みがましになった気がする。

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 雨が止んだ午後3時過ぎ、久しぶりに「ランナーズ9の会」のユニフォームを着てスタート。
 この「9の日平和ラン」も今日で第108回。つまり、まる「9」年です。

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 「さて、どこを走ろうかしらん。」

 今ごろ、本体はゴールしておふろでも入っているころかなあ。

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 田んぼが荒れているのは、こないだの暴風のせい?

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 まずは地下鉄・国際会館駅前まで。
 2.7km、17分。

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 宝が池通の突き当りにある「旧びぜんぎゃるり」。そこにすごい人だかり。アイドル系のコンサートがあったようだ。

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 叡電・八幡前駅の横を通り北上。

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 八幡さんの中にもちょっと行ってみよう。

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 「ホー、こんなとこやったんか。鳩餅、食べたーい!」

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 バス通りを西へ。
 岩倉で一番賑やかなJA前交差点で5km。
 このまま西に進むと、自然に家に到着する。

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 いつもの線路沿いを走って帰ったのだが、天気が悪いせいか誰にも遭遇しない。

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 家に到着。
 9kmではなく7.7km、48分。

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 いつものダウンジョグコースを多めにまわり、約1.3km。
 これで合計9kmということで・・・。

 黒猫ちゃんがじっとこっちを見ていた。
 「応援してねー。」

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 久しぶりのミニのぼりは、宣伝効果があったでしょうか。
 こんなこと、9年もやってますにゃわ。
 走れるうちは、この先もずっと続けよう!

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 夜は久しぶりの外食。
 と言っても、MKバイキング(550円)ですけど。

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【今日のきく】

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 昨日のきく。
 リラックスしているところを急襲。

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 「あー、ええにおいー!」

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2018年09月08日(土)

走って走って被災確認2 [ランニング]

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 雲ケ畑小学校卒業生のちいちゃんからのリクエストで、台風21号の被災地である雲ケ畑へ。もちろん自動車通行止なので、昨日の別所訪問に引き続き走っての訪問。

 今日一番ショックだったのは、鉄筋コンクリート製の電柱がポキポキポキポキと4連続で折れていたこと。電柱が立っていた同じ場所に立て直すことは無理だろうし、また一から(土台作りから)ですか。その電柱が立ってから、電線を引き直す。ということは、雲ケ畑の停電が解消されるのはだいぶ先のことでしょうか。

 昨日別所に帰る道で倒れていたのは電話線の電柱。別所の電気は、鞍馬側からではなく京北側から引いている。多鶴子姉情報によると、電線が垂れ下がっているところはあったが、電柱ポッキリはなかったような・・・。(あくまでも不確かな伝聞です。)
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 市原の我が家からちいちゃんの実家がある雲ケ畑出谷町までは12kmほど。これを往復となると、昨日と同じくらいのランになる。昨日の峠越えランで足腰のダメージがひどく、少しでも短縮できないか考えた。

 「そうや、通行止の手前まで車で行って、そこから走ったらええやん!」

 十三石橋の手前に車を停め、200mほど走って雲ケ畑街道へ。しかし、そこに立ってられたガードマンさんに止められた。
 「この先は重機が入り、倒木の撤去作業をしています。危険なので、関係者以外は車も人も入れません。」

 実は、昨日の花脊峠越えでも止められそうになった。
 「別所に実家があって、その近くの老人ホームに父が入ってるんです。連絡が取れなくて心配で・・・」と言うと、何も言われなかった。たぶん本来は人も通ってはいけなかったのだろうが、黙認してくださったのだろう。

 今日もその手を使おうかと一瞬思ったが、そうすると昨日黙認してくださった方たちまで裏切ってしまうことになる。ここは自重。
 「たいていの作業は午後5時に終了するはず。それくらいにもう一回出直すか。」

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 十三石橋から見える鴨川と鞍馬川の合流地点。
 昨日の夜の雨で、また水かさが増している。

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 500mほど走って、いったん撤収。

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 午後5時過ぎ、あらためて自宅スタート。
 今度は車ではなく、自宅から走って。

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 また、恵光寺さんのありがたいお言葉を見てから。

 「白髪の頭になったから 長老なのではない
  年を重ねただけならば ただただ老いた人といわれる」
                     法句経(一六〇) 

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 市原バイパスを通らず、下の「川島織物」前を通る道で。

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 十三石橋到着。3.2km、21分。

 予想通り、ガードマンさんの姿はなかった。
 ここから行けるところまで行こう。

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 山幸橋から川を見下ろすと、かなりの急流。
 こんなに降ったかなあと意外だった。

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 雲ケ畑に入る道は道幅が狭く、川に沿っているので、水かさが増えるとさらに道路が削られてしまう危険性あり。

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 花脊峠の南側斜面で見た大量の倒木と同じ風景が続く。

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 谷が狭く、突風の通り道になってしまうと、次々と木がなぎ倒されてしまうのもうなづける。

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 立派な電柱が、ボキっと折れて倒れていた。

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 道路に覆いかぶさっていた倒木は、かなり撤去されていた。

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 またもや、ポッキリ折れてしまった電柱。

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 ここは7月の豪雨で崩れて通行止だったところ。応急処置でやっと通れることになったのに、また通行止めになるかもしれない。

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 通行止が解除されても、、ここはランナーやサイクリストもよく訪れるところなので要注意。

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 やっと大岩に到着。
 ここで自宅から5km弱。

 雲ケ畑の口まで、あと約5km。出谷町までは約7km。

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 「さあ、行けるところまで行こう」と思って進んだとたん、工事車両やガードマンさんの姿が見えた。どう見ても、ここを突破できそうにない。

 今日は無理せずここまで。
 4.95km、33分。

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 十三石橋から大岩までわずか1.8kmくらいなのだが、場所によって被害状況が全然ちがった。
 被害が大きいところを強調しすぎると、もう誰も近づかなくなる里になってしまうかもしれない。本当は、雲ケ畑の住民がこんな中でもしっかり暮らしておられるところを確認したかった。それができなかったのが残念です。


 このあと、あらためて「4連続電柱倒壊」写真を撮っておいた。

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 本格復旧するまでに相当の日数がかかりそう。
 それまで緊急用の電源とか、なんとかならないんでしょうか。

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 道路わきのガードレールにカメラを置き、自撮り。

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 帰りも「川島織物」の横を通って。

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 往復で9.9km、1時間06分。

 しばらくして落ち着いたら、別所も雲ケ畑ももう一度訪れないとあきません。

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【今日のきく】

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 いつものように長代川に沿った土道を散歩中に、小型犬くらいの動物に遭遇。その動物はきくに気づき、ピョンピョンと逃げて行った。

 「ピョンピョンて・・・、カンガルーか?」

 まさかねえ。でもあの動きは、ワラビー(カンガルーの小型類)そのもの。
 逃げて行ってくれたもんやから、きくは大はりきり。それからしばらく「ふぇふぇふぇふぇふぇーん(捕まえたんぞー)」が止まらない。
 向かってきていたら退散していただろうに。

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 オバサンといるときは、叱られるからあんまりいちびらない。でも、イチビリのオッサンといるときはいちびりまくり。困ったやつです。

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2018年09月07日(金)

走って走って被災確認 [ランニング]

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 おととい、近くに住む私の姉からヨメさんに電話があった。
 「台風被害が心配で別所に電話したんやけど、つながらへん。車も通行止めで行けへんし、心配やわ。こうじに走って行ってもらって、見て来てもらおうかなあ・・・。」

 それを聞いて「ほんなアホな!」と思ったが、よくよく考えてみると、「これはボクを喜ばせようと思ってゆってるんやなあ」と思えてきた。末の弟・エドワード、もとえ、末の弟こうじはイチビリ。一番上の姉から「見て来てもらおうかなあ」なんて言われたら、ホイホイ行ってしまいますがな。

 午後2時半すぎ、市原の自宅スタート。別所までは15kmちょっとある。平地なら1時間半で行けるのだが、標高750m超の花脊峠を越えなくてはならない。2時間以内で行けたらいいかな。

 左京区役所静市出張所前の道路情報板では、「全面通行止・倒木・貴船方面」。
 「おっ、ひょっとして花脊方面の通行止は解除か?」
 一瞬そう思って、出張所に入って確認。
 「花脊方面の通行止は解除されていません。」
 そうやろねえ。

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 「人生 うまくいってよし うまくいかない時もよし」

 自然災害は、そう思ってあきらめるしかないのかも。

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 二ノ瀬もえらいことになっていた。

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 あちこちに倒木を処理したものが置かれていた。

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 叡電の線路は見えないくらいに倒木に覆われていた。
 これは復旧まで相当かかりそう。
 10月22日の「鞍馬の火祭り」には間に合わせないとね。

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 これはあかんやっちゃ。

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 火祭りの準備は着々。

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 鞍馬寺が閉まっているため、門前のお店も臨時休業。
 さびしいねえ。

 ここまで5kmちょっと、34分ほど。

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 鞍馬温泉の1kmほど先に、京都バスの回転場がある。そのまた200mほど先から「通行止」。もちろん先に進みましたけど・・・。

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 倒木はかなりその処理が進んでいる。しかし、電話線が悲惨なことに。あちこちで垂れ下ったり、ブチブチに切れていたり。

 このあとは、私が撮った写真を見てください。

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 百井別れで9.8km、1時間14分。
 いなかの我が家まで、あと6km弱。

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 もうちょいで花脊峠というところで、「走ってんのー」と声をかけてくれる人あり。
 「おー、わさおちゃん(私の同級生)。通行止を強行突破してきたんかー。」
 「いやいや、百井回りで。」
 「あっ、そっかそっか。」

 心優しき同級生・わさおちゃんは、「乗っていくか」とは決して言わなかった。それは、私がそんな誘いには絶対にのらないことを分かっているから。わさおちゃんは、ふかーいところでつながっている大事な友だちです。

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 花脊峠で11.5km、1時間32分。
 我が家まで、あと4km。

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 峠を越えると、別世界。
 あれー、倒木ないしー。
 あれー、落ち葉もないし―。

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 別所の在所が見えたところで記念写真。

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 いつもの穏やかな景色。
 パッと見たところでは、被害はないように見えた。

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 この奥のお宮さんが、えらいことになったようです。

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 このおうちだけ、川側の土地が崩れ危ないことになっていた。

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 我が家到着15.2km、1時間54分。
 よく走りました。

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 200mほど先の多鶴子姉の家へ。
 ここで、正確な情報を手に入れることができた。

 別所町は峠の北側に当たるため、暴風雨が花脊峠に当たり和らいだ。ただその一部が竜巻のように降りて来て、神社のあたりで大暴れ。神社は悲惨なことになったが、在所ではほとんど被害らしきものはない。
 停電で水道が止まるかもと心配だったが、発電機が調達できるようになりその心配はなくなった。通行止めの道路も近日中に通れるようになりそうだし、あとは停電と電話がつながらないのが解消されればよしというところ。

 停電でお風呂が沸かせないのが不便だろうと言うと、「近所のおばさんらなあ、この歳になったら、何日か風呂に入れんでも気にならんて。水かって、出んにようになったら谷水飲んだええわーって。」
 ことあるごとに行政側に食ってかかる人たちに比べ、何てお上品なんでしょう。自分が今まで生きて来て身に着けた知恵と、ご近所さんとの協力で、心静かに生きていけたらなあ・・・。
 私は食ってかかる側の人でなく、心静かに生きていける側の人でありたい。

 多鶴子姉からは、別所裏話のようなおもしろい話も聞いてきたが、ここには書けねえー。

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 我が家の前で記念写真。
 黄色のタオルは多鶴子姉にもらったもの。
 帰り道は薄暗くなるので、こういう目立つものを身に着けておかないとね。

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 我が家の裏にある老健施設「花友・はなせ」へ。
 父は変りなく元気にしているのだろうか。

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 自家発電機の大きな音がしていたが、玄関は真っ暗。

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 お構いなしに、どんどん入っていった。

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 夕食の時間だったが、「善一さんは寝てはります」。

 部屋に入ると、本当にぐっすりと寝ていた。
 「おじいさん、こうじです!」
 「ああ」と返事したが、私のことは分かっていない。

 先週姉たちが見舞いに行ったとき、「みき江と多鶴子、分かるか」と聞いても、もひとつだったらしい。「優三は分かるんか」と聞くと、明らかに先とちがう反応だったとか。「こうじは分かるか」と聞くと、「こうじはどうしとるんやろなあ」と言ったらしい。その「こうじ」が、今目の前にいるんですけど・・・。

 父は最後まで敬語。と言うことは、私を分かってへんってゆうことですね。また来なあかんね。

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 「花友・はなせ」を午後5時半ごろスタート。 
 早う帰らな、暗くなってしまう。

 スタートしてすぐ、隆雄にいさん(多鶴子姉の夫)に遭遇。ソフトバンクの携帯電話は、花脊峠まで行くとつながるらしい。それで、わざわざ花脊峠まで行っていたとのこと。たいへんやわ。

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 この花も全然倒れていません。
 風はかなりきつかったらしいが、しっかり倒れない花もあったということ。

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 お地蔵さんの祠が外されていた。
 これも被害と言えば被害なんでしょうか。

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 スタートから2.5kmの阿弥陀寺のところの水飲み場で、スポーツようかん投入。
 あと13kmほど走らんなんからね。

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 花脊峠まで3.9km、31分。
 この先はずっと下り。

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 花脊峠からちょっと下りた見晴らしカーブで、「なにしとんにゃなー」と声をかけてくれる人あり。別所で建設業をされている森口さん。きっと、災害復旧工事の帰りだったんでしょうね。
 「走って、別所の様子を見てきました」と言っておいた。

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 倒木の中に赤い実。
 こんなんを見つけると、ちょっとホッとする。

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 百井別れから、また全面通行止。
 でももう工事関係者もガードマンもいないので、強行突破していく車もあった。

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 走っている写真を自撮り。
 もう薄暗くなっていたので、さっぱりですなあ。

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 久しぶりの坂道走で足がやばい。
 「こむらがえっていいですか」と何度も聞いてくる。
 「それはあかんやろう。」

 いなかの我が家から約9.3kmの京都バスの回転場。「バスが待機してたらええのになあ」と思いつつ走っていたら、ほんまに待機してましたがな。ところが私がもうすぐ着くというときに発車。ダッシュ、ダッシュ。

 「すいませーん、乗せてもらえますか。」
 やっと追いついてそう叫んだ。

 いい運転手さんでした。すぐに停まって、「どうぞ」。
 これで15kmも走らなくて済んだ。

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 二軒茶屋で降りて、家まで400m。

 これで、今日は15.3+9.3+0.4で25km。

 ブルックスMAZAMAは、濡れた路面もしっかりグリップ。私の足にもしっかりなじんできたので、10月14日の「峨山道トレイルラン73km」はこれで行きます。

     ◇     ◇     ◇

 今日別所に入って思ったことは、一つの情報に惑わされないように気を付けること。ブログやfacebookからの情報は、ある意味偏った情報である場合もあり、こわいと言えばこわい。

 いなかの我が家がどうなっているかが一番心配だったが、なんともなかった。建物共済を去年解約していたから、屋根とか飛んでたらどうしようか知らんとビビッていた。

 私の今日のブログの記事も、私の目と多鶴子姉から仕入れた情報をもとにして書いた記事です。いろいろと読み比べていただいて、判断していただいたら幸いです。

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