2018年09月07日(金)
走って走って被災確認 [ランニング]
おととい、近くに住む私の姉からヨメさんに電話があった。
「台風被害が心配で別所に電話したんやけど、つながらへん。車も通行止めで行けへんし、心配やわ。こうじに走って行ってもらって、見て来てもらおうかなあ・・・。」
それを聞いて「ほんなアホな!」と思ったが、よくよく考えてみると、「これはボクを喜ばせようと思ってゆってるんやなあ」と思えてきた。末の弟・エドワード、もとえ、末の弟こうじはイチビリ。一番上の姉から「見て来てもらおうかなあ」なんて言われたら、ホイホイ行ってしまいますがな。
午後2時半すぎ、市原の自宅スタート。別所までは15kmちょっとある。平地なら1時間半で行けるのだが、標高750m超の花脊峠を越えなくてはならない。2時間以内で行けたらいいかな。
左京区役所静市出張所前の道路情報板では、「全面通行止・倒木・貴船方面」。
「おっ、ひょっとして花脊方面の通行止は解除か?」
一瞬そう思って、出張所に入って確認。
「花脊方面の通行止は解除されていません。」
そうやろねえ。
「人生 うまくいってよし うまくいかない時もよし」
自然災害は、そう思ってあきらめるしかないのかも。
二ノ瀬もえらいことになっていた。
あちこちに倒木を処理したものが置かれていた。
叡電の線路は見えないくらいに倒木に覆われていた。
これは復旧まで相当かかりそう。
10月22日の「鞍馬の火祭り」には間に合わせないとね。
これはあかんやっちゃ。
火祭りの準備は着々。
鞍馬寺が閉まっているため、門前のお店も臨時休業。
さびしいねえ。
ここまで5kmちょっと、34分ほど。
鞍馬温泉の1kmほど先に、京都バスの回転場がある。そのまた200mほど先から「通行止」。もちろん先に進みましたけど・・・。
倒木はかなりその処理が進んでいる。しかし、電話線が悲惨なことに。あちこちで垂れ下ったり、ブチブチに切れていたり。
このあとは、私が撮った写真を見てください。
百井別れで9.8km、1時間14分。
いなかの我が家まで、あと6km弱。
もうちょいで花脊峠というところで、「走ってんのー」と声をかけてくれる人あり。
「おー、わさおちゃん(私の同級生)。通行止を強行突破してきたんかー。」
「いやいや、百井回りで。」
「あっ、そっかそっか。」
心優しき同級生・わさおちゃんは、「乗っていくか」とは決して言わなかった。それは、私がそんな誘いには絶対にのらないことを分かっているから。わさおちゃんは、ふかーいところでつながっている大事な友だちです。
花脊峠で11.5km、1時間32分。
我が家まで、あと4km。
峠を越えると、別世界。
あれー、倒木ないしー。
あれー、落ち葉もないし―。
別所の在所が見えたところで記念写真。
いつもの穏やかな景色。
パッと見たところでは、被害はないように見えた。
この奥のお宮さんが、えらいことになったようです。
このおうちだけ、川側の土地が崩れ危ないことになっていた。
我が家到着15.2km、1時間54分。
よく走りました。
200mほど先の多鶴子姉の家へ。
ここで、正確な情報を手に入れることができた。
別所町は峠の北側に当たるため、暴風雨が花脊峠に当たり和らいだ。ただその一部が竜巻のように降りて来て、神社のあたりで大暴れ。神社は悲惨なことになったが、在所ではほとんど被害らしきものはない。
停電で水道が止まるかもと心配だったが、発電機が調達できるようになりその心配はなくなった。通行止めの道路も近日中に通れるようになりそうだし、あとは停電と電話がつながらないのが解消されればよしというところ。
停電でお風呂が沸かせないのが不便だろうと言うと、「近所のおばさんらなあ、この歳になったら、何日か風呂に入れんでも気にならんて。水かって、出んにようになったら谷水飲んだええわーって。」
ことあるごとに行政側に食ってかかる人たちに比べ、何てお上品なんでしょう。自分が今まで生きて来て身に着けた知恵と、ご近所さんとの協力で、心静かに生きていけたらなあ・・・。
私は食ってかかる側の人でなく、心静かに生きていける側の人でありたい。
多鶴子姉からは、別所裏話のようなおもしろい話も聞いてきたが、ここには書けねえー。
我が家の前で記念写真。
黄色のタオルは多鶴子姉にもらったもの。
帰り道は薄暗くなるので、こういう目立つものを身に着けておかないとね。
我が家の裏にある老健施設「花友・はなせ」へ。
父は変りなく元気にしているのだろうか。
自家発電機の大きな音がしていたが、玄関は真っ暗。
お構いなしに、どんどん入っていった。
夕食の時間だったが、「善一さんは寝てはります」。
部屋に入ると、本当にぐっすりと寝ていた。
「おじいさん、こうじです!」
「ああ」と返事したが、私のことは分かっていない。
先週姉たちが見舞いに行ったとき、「みき江と多鶴子、分かるか」と聞いても、もひとつだったらしい。「優三は分かるんか」と聞くと、明らかに先とちがう反応だったとか。「こうじは分かるか」と聞くと、「こうじはどうしとるんやろなあ」と言ったらしい。その「こうじ」が、今目の前にいるんですけど・・・。
父は最後まで敬語。と言うことは、私を分かってへんってゆうことですね。また来なあかんね。
「花友・はなせ」を午後5時半ごろスタート。
早う帰らな、暗くなってしまう。
スタートしてすぐ、隆雄にいさん(多鶴子姉の夫)に遭遇。ソフトバンクの携帯電話は、花脊峠まで行くとつながるらしい。それで、わざわざ花脊峠まで行っていたとのこと。たいへんやわ。
この花も全然倒れていません。
風はかなりきつかったらしいが、しっかり倒れない花もあったということ。
お地蔵さんの祠が外されていた。
これも被害と言えば被害なんでしょうか。
スタートから2.5kmの阿弥陀寺のところの水飲み場で、スポーツようかん投入。
あと13kmほど走らんなんからね。
花脊峠まで3.9km、31分。
この先はずっと下り。
花脊峠からちょっと下りた見晴らしカーブで、「なにしとんにゃなー」と声をかけてくれる人あり。別所で建設業をされている森口さん。きっと、災害復旧工事の帰りだったんでしょうね。
「走って、別所の様子を見てきました」と言っておいた。
倒木の中に赤い実。
こんなんを見つけると、ちょっとホッとする。
百井別れから、また全面通行止。
でももう工事関係者もガードマンもいないので、強行突破していく車もあった。
走っている写真を自撮り。
もう薄暗くなっていたので、さっぱりですなあ。
久しぶりの坂道走で足がやばい。
「こむらがえっていいですか」と何度も聞いてくる。
「それはあかんやろう。」
いなかの我が家から約9.3kmの京都バスの回転場。「バスが待機してたらええのになあ」と思いつつ走っていたら、ほんまに待機してましたがな。ところが私がもうすぐ着くというときに発車。ダッシュ、ダッシュ。
「すいませーん、乗せてもらえますか。」
やっと追いついてそう叫んだ。
いい運転手さんでした。すぐに停まって、「どうぞ」。
これで15kmも走らなくて済んだ。
二軒茶屋で降りて、家まで400m。
これで、今日は15.3+9.3+0.4で25km。
ブルックスMAZAMAは、濡れた路面もしっかりグリップ。私の足にもしっかりなじんできたので、10月14日の「峨山道トレイルラン73km」はこれで行きます。
◇ ◇ ◇
今日別所に入って思ったことは、一つの情報に惑わされないように気を付けること。ブログやfacebookからの情報は、ある意味偏った情報である場合もあり、こわいと言えばこわい。
いなかの我が家がどうなっているかが一番心配だったが、なんともなかった。建物共済を去年解約していたから、屋根とか飛んでたらどうしようか知らんとビビッていた。
私の今日のブログの記事も、私の目と多鶴子姉から仕入れた情報をもとにして書いた記事です。いろいろと読み比べていただいて、判断していただいたら幸いです。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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