2018年09月28日(金)
第105回勝手に国労応援ラン [ランニング]
JR湖西線・大津京駅から山中越えで京都まで。
どうせ走るなら、今はアップダウンのあるところを。
国労応援とはかけ離れていますけど・・・・。
大津京駅と言えば、この駅の名前が「西大津」から「大津京」に変わった時の論争を思い出す。
◇ ◇ ◇
◎朝日新聞2008年3月15日
入試問題に影響? 湖西線「西大津」改め「大津京」駅
「大津宮(おおつのみや)」か「大津京(おおつきょう)」か――。15日のJR西日本ダイヤ改定で、大津市内にある湖西線「西大津駅」が「大津京駅」に改称されるのを機に、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)が667年に造営したとされる都の名称論争が起きている。改称は市がJRに要請して実現したが、本格的な古代都市は見つかっていないのになぜ、「京」と呼べるのか、と学者や市民団体から異論が出ているからだ。歴史用語をめぐる騒動は、教育現場も巻き込みそうだ。
●宮と京が混在
西大津駅から徒歩約10分の閑静な住宅街に、7世紀ごろの遺跡が点在する。中大兄皇子が即位した宮殿の跡とされる近江大津宮錦織(にしこおり)遺跡で、74年に滋賀県教委の埋蔵文化財技師だった林博通・同県立大学教授(62)が、内裏の南門跡とみられる巨大な柱穴を見つけたのをきっかけに宮の存在が徐々に明らかになった。
学術的には、天皇が政務を行う中核部を「宮」と呼び、「京」は、律令制に基づいて宮殿を中心に碁盤目状に区画された都市全体を指す。大津から本格的な都市遺構は見つかっておらず、最初の「京」は694年の藤原京とするのが定説だ。
その一方、同遺跡周辺では、マンションや「緑地」の名称などに「大津京」が定着している。
●百家争鳴
「文化の薫り高いまちづくりに役立てたい」。地元住民らが「駅名を大津京に」と署名活動を始めたのは00年。市側も背中を押される形でJRに駅名変更を要請し、昨年9月、変更が決まった。
市などが大津京のよりどころにするのは、林教授が持論とする日本書紀などの記述だ。林教授は日本書紀に「近江京」の名前があるほか、藤原京以前の記述にも「倭京」「京内」の文字が出てくることから、本格的な都市でなくても当時は「京」という言葉を使っていた、と主張。藤原京を基準に、それ以前を「第1段階の京」、以降を「第2段階の京」とし、大津京は第1段階の京に位置づける。
これに対し、山尾幸久・立命館大学名誉教授(日本古代史)は「京というのは、中国の唐を手本にした律令国家の完成以前にはあり得ない。大津京と呼ぶのは、100年を超す歴史研究を無視したものだ」と説く。日本書紀の記述については「律令政治の下で造営された『京(きょう)』と、単に都を意味する『京(みやこ)』を混同しているだけだ」。
市民団体「皇子山を守る会」は駅名再検討を市に要望。別の市民団体の代表らは先月、「存在しない歴史的な名前を使うことは、観光・文化行政の信頼を失墜させる」として、変更にかかった費用をJRから返還させることなどを市に求める監査請求をした。
●受験に影響も?
名称論争は日本史教育にも影響を及ぼしかねない。「大津宮→飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)→藤原京→平城京……」といった古代史の遷都順は、大学入試での頻出問題の一つ。筆記試験で「大津京」と答えたら、どうなるのか。「間違い、と判断されるでしょう」と大津市内の私立高校社会科教諭。
滋賀県立膳所高校で日本史を教える池田敏之教諭は「西大津駅を利用する生徒も多く、大津京駅になれば混乱する子もいるのでは」と戸惑う。
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■藤原京(ウィキペディアより)
藤原京(ふじわらきょう)は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城[1]。日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。平城京に遷都されるまでの日本の首都とされた。
『日本書紀』には新益京[注釈 1]と著されている。藤原京の名は、宮が同じく『日本書紀』で藤原宮と呼ばれていることから飛鳥京と同様に近世になって名づけた学術用語である。
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歴史学者の見解では、「大津宮」はあったが「大津京」などない。
簡単に言うと「○○宮」はただ単に天皇のいたところで、「○○京」は宮殿を中心に碁盤目状に区画された都市である。
そのため、694年の「藤原京」が最も古い「京」でそれ以前のものは「宮」と区別している。667年に造営された都は、学術的には「大津宮駅」でないとおかしい。
でも「ゴリ押し改名」からはや10年。もう、どうしようもないですね。
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【今日のきく】
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2018年09月27日(木)
良心に従って [沖縄]
◎朝日新聞9月25日朝刊
沖縄 創価学会員の反旗
自公連携でも「辺野古移設おかしい」
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設の是非が争点となっている沖縄県知事選。公明党は、移設を推し進める安倍政権に近い佐喜真(さきま)淳氏(54)を全面支援する。だが、支持母体・創価学会員の中には「移設反対」の意見もあり、党の方針に反旗を翻す人もいる。
告示日の13日、那覇市。「辺野古反対」を貫いた翁長雄志(おながたけし)知事の後継候補・玉城デニー氏(58)の街頭演説を、青、黄、赤の創価学会の三色旗を手に聴き入る男性がいた。浦添市の会社員野原善正さん(58)。「おかしいと感じている学会員が自分の行動を見て声を上げられるよう、あえて三色旗を持ってきた」
24歳で創価学会に入り、熱心に活動してきた。だが安倍政権が2014年7月、集団的自衛権の行使を認める閣議決定をし、公明も容認したことに「おかしい」と感じて公明支持をやめた。学会員の集まりなどのたびに異議を唱え、学会にも抗議したが、相手にされなかった。
沖縄戦の経験から、沖縄の創価学会は伝統的に反戦意識が強いと言われてきた。辺野古移設について、公明県本部は今も「反対」を掲げる。前回知事選では自民が推薦した「移設推進」の仲井真弘多氏を推さず、公明は「自主投票」とした。
だが当選した翁長氏が政権と激しく対立すると、県本部は徐々に自民に接近する。2月の名護市長選では、移設を事実上容認する新顔を党として推薦し、勝利した。今回の知事選は「自公連携」を強化。県本部は佐喜真氏と政策協定を結んだが、辺野古移設に触れていない。
野原さんは言う。「学会も公明党も平和を希求しているはず。辺野古に基地を造ること自体がおかしいのに、学会員を集票マシンとして利用している」
22日の玉城氏の集会では、那覇市出身の住友ヒサ子さん(65)=東京都新宿区=も三色旗を掲げ、「今の公明党は平和思想に反する。真実を見抜いて投票しましょう」と呼びかけた。県内に住む親戚に玉城氏支持を訴えているという。「辺野古反対と言っておきながら、佐喜真さんに投票するなんてあり得ない」
ただ、公明県議はこうした反発を「ごく少数」と言う。「大半の学会員は、国と対立しすぎた翁長氏に疑問を持ち、党の方針を理解してくれている」。県内の公明票は7万〜8万とされる。
那覇市の会社員知念昌光さん(75)は10日、恩納村の学会施設で創価学会の原田稔会長の話を聞いた。原田会長は平和の尊さを訴えつつ「佐喜真さんを応援しよう」と話したという。知念さんも生活の向上を訴える佐喜真氏を支持する。
辺野古反対。翁長氏の「イデオロギーよりアイデンティティー」という言葉に共感した。だが「普天間が返還されれば、実質的には基地の縮小だ」と自分に言い聞かせているという。(伊東聖、山下龍一、伊藤和行)
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■自公連立政権(ウィキペディアより一部抜粋)
自公連立政権(じこうれんりつせいけん)は、日本の政権の一つ。
1999年(平成11年)10月5日から2009年(平成21年)9月16日まで、及び2012年(平成24年)12月26日から現在も継続中の自由民主党と公明党による連立政権である。
◇ ◇ ◇
自民党は1998年(平成10年)7月の第18回参議院議員通常選挙で前回の改選前の61から45に大幅に議席を減らした。この選挙の敗北の責任を取り橋本龍太郎内閣が総辞職し、同月30日に小渕恵三内閣が成立した。8月中旬、元首相の竹下登は創価学会会長の秋谷栄之助と密かに会談を行い、創価学会の協力を取り付けた[1]。
政権運営に行き詰った自民党はまず自由党との連立協議に入り、1998年(平成10年)11月、自自連立の基本合意が首相小渕恵三と小沢一郎自由党代表の間で取り交わされた。同年11月7日、旧公明党系の「新党平和」・「黎明クラブ」・「公明」が合流し、「公明党」を再結成。この際、代表の神崎武法は「自民党の補完勢力にはならない。自公連携、自公連立は考えていない」との考えを表明していた[1]。
詳細は「公明党#沿革」を参照
自民党はこうした不安に配慮した。自民党にとっては、自由党との連立のみでは参議院の過半数には足りず、過半数、さらには安定多数を確保するためには、公明党の議席が必要だった。1998年(平成10年)11月、自民・公明両党は、公明党が主張した地域振興券を補正予算案に盛り込むことで合意。1999年(平成11年)3月には問題発言などで公明党が辞任を求めていた法相の中村正三郎を事実上更迭した。他方、公明党は11月15日投開票の沖縄県知事選挙で従来行っていた革新候補(大田昌秀)の支持を取りやめ、表向き「大田昌秀氏支持を基軸に自主投票」としつつ、実質的に保守(自民)候補の稲嶺恵一を支援し、稲嶺が当選した。
1999年(平成11年)1月14日、自民党と自由党の連立政権が発足。公明党もいまだ名目上は野党ながら、周辺事態法、国旗・国歌法、通信傍受法、住民基本台帳法改正など、政府・与党の重要法案に次々と協力し、与党入りの足場固めをした。同年10月5日、自民党の小渕内閣との自自連立に正式参加。自自公連立政権が誕生した。これ以降森内閣(森喜朗首相)・小泉内閣(小泉純一郎首相)・第1次安倍内閣(安倍晋三首相)・福田康夫内閣(福田康夫首相)・麻生内閣(麻生太郎首相)、そして、自民党が政権を奪還した第2次安倍内閣(→改造)・第3次安倍内閣(→1次改造→2次改造→3次改造)・第4次安倍内閣(安倍晋三首相)においても公明党は自民党との連立政権を維持した。
■公明党の立場
公明党は連立政権内で国務大臣ポストを1人分充てられることが慣例となっている。
公明党は「政権のブレーキ役」を自任する一方、特定秘密保護法の成立などを見ても、自民党が主張する政策・法案の成立に大きく協力しており、「自民党の補完勢力」になっているとの指摘がある[6]。
自公連立政権誕生以来、公明党は自民党と対立しても最後は自民党の主張を大筋で受け入れることが多いため、「下駄の雪」と言われることもあるが、これについて公明党代表の山口那津男は、「公明党の役割を下駄に例えれば、鼻緒の役目を負っていると思う。鼻緒が切れれば、下駄は使い物にならない。単なる下駄の雪というのは極めて実態を見ない言い方だ」と反論している[7][8]。
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今さら公明党や創価学会を批判してもしょうがない。
あの党や教団は「自民党にへばりつくしかない」、そういうところなんでしょう。
「信者は洗脳されているもの」と考えて何の不思議もない。ただ、その中に冷静に判断する力を取り戻しておられる方もある。
県内の公明票7〜8万のうちの「ごく少数」とはどれくらいなのだろう。もしそれが2〜3%なら2000票前後。この程度なら、デニーさんの負け。
しかし、もしそれが20〜30%なら20000票前後。このあたりが勝負の別れ目のような気がする。
信者の前に、人間としての良心に賭ける。
どうか、辺野古に100年以上固定されるという巨大要塞を容認するような知事候補には投票しないでください。
お願いです!
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【今日のきく】
今日は寮1に17時間。
家に帰ると、またヨメさんはお疲れで就寝の模様。
代わりにきくちゃんがお散歩のサービス。
これって、サービスなんかなあ・・・。
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2018年09月26日(水)
はんぺんまき、またね [家族]
真樹は、今帰仁村の一軒家から名護市のアパートに引っ越した。それは、かあちゃんのいろいろな心配から決断したところもある。
家賃は今までの2倍近くになってしまう。
それでも、真樹がいいことを言った。
「一人で○万円と思ったらもったいないけど、3人で○万円と思ったらええやんなあ。」
うまい!
これは私も考えつかなかった。
はん・ぺん・まきで3人かー。
ほんま、そう思ったら安いわー。
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以下は、昨日真樹が撮ってくれた写真。
全部ぺんちゃんです。
「首はしめてません! なでてるだけ!」
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真樹が那覇空港まで送ってくれた。
時間がたっぷりあり、ゆっくりできた。
今回一度もたべなかった沖縄そばを最後に。
ソーキそば(900円)。
空港なのでちょっと高かったが、おいしかった。
空港で轟音。
これは米軍ではなく自衛隊。
米軍基地の近くの住民は、これが毎日毎時間。
沖縄を訪れる人は、この轟音も体験しないと。
帰りもピーチ。
随分早く搭乗が始まり、予定時刻より早く離陸した。
こんなこともあるんやねえ。
関空到着も、予定より10分早く。
ピーチも、やったらできる子やったんや。
思っていたより早く帰ってこれた。
地下鉄・国際会館駅まで、ヨメさんがお迎え。もちろん、きくちゃん付き。
きくがまた固まってしまわないかと心配していたが、しっぽブンブンで出迎えてくれた。
ああ、よかった。
夕食後、雨が降っていたが久しぶりのお散歩へ。
オバサンも付いてきてくれて、きくは大喜び。
いつもお世話になっている「おそうじおばちゃん」と「ナリケン」とうち用のおみやげ。
「ごーやーじらー」の「じらー」は、にせものみたいな意味らしい。
「『真樹はかわいいじらー』って言われんねん」と真樹。
「なんちゅうことゆうねん」と怒っていたパオパオでした。
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2018年09月25日(火)
力 [家族]
24歳の娘の引っ越しを、62歳の父が手伝う。
今日はまず、昨日「かたぶい」で運べなかった冷蔵庫と洗濯機を運ぶ。
真樹のバイト出勤前に、二人で今帰仁→名護。昨日ほどではないが、またずっと雨が降っていた。でも、もう運ばないとどうしようもない。強行突破!
名護に着き、濡れた冷蔵庫と洗濯機を二人で部屋まで運んだ。
階段は「くの字」型なので、中間で一回降ろして休もうと思っていた。また、部屋に入る前も一回降ろして休もうと思っていた。
ところが真樹が「降ろさんと部屋の中まで行ってしまおう」と言う。その言葉に励まされ(?)、一気に部屋の中まで。
私の力が落ちてきているのもあるのだろうが、真樹のその「力」にビックリ。
「だいじょうぶか、だいじょうぶか」と心配ばかりしているうちに、父よりしっかりしてきましたがな。
「知らんかったわー。」
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【RUN】
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2018年09月24日(月)
嵐で引っ越し半分 [家族]
今日は、真樹の家財道具を今帰仁村から名護市へ運ぶ日。
軽トラ2往復で大物を全部運んでしまおうと思っていた。
1回目は、ベッド、ソファ、テーブルなど。2回目が、冷蔵庫、洗濯機、本棚など。
1回目、今帰仁村と名護市の境あたりできついにわか雨。
「ベッドのマットやらソファが濡れてしまうやん!」と心配になったが、あっという間にやんだ。少しは濡れてしまったが、これは許容範囲。
2回目、積みこもうとしたら嵐。雨はジャンジャン、風ビュンビュン。
「ちょっと待ってみよう」と家で待機したがやみそうにない。
仕方なく、第2弾は断念。明日の朝、早めに起きて運ぶことに決定。
沖縄の「かたぶい」(向こうの空は晴れているのにここだけ雨、のような状態)は難儀。
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【RUN】
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2018年09月23日(日)
マラソンでもないのに沖縄 [家族]
12月の「沖縄100K」まで行くことはないと思っていた沖縄。
ところが真樹が引っ越すことになり、その手伝いをせんならんということで急きょ沖縄入り。
関空リムジンバスも少し遅れるとの情報もあったので、いつも乗る2つ前の便に間に合うように家を出た。
ヨメさんに国際会館前まで送ってもらい、地下鉄で京都駅へ。うまい具合に7時40分発に間に合ったが、すでに満席。さらに、次の8時発も満席。8時20分発は取れたのだが、少しでも到着が遅れると搭乗手続きが間に合わない可能性がある。
そこで払い戻し(手数料100円)、JRのはるか8時17分で行くことにした。これだと9時34分に着実に到着し、10時半発のピーチにも余裕で乗れる。
運賃1880円+特急券970円で2850円。前よりだいぶ安くなっているような・・・。
また、以前は全席指定だったような気がするが、6両中3両が自由席でガラガラだった。そんなに値段が変わらないのなら、渋滞の心配がなくゆったり過ごせるJRもいいかも。(関空リムジンバスは2550円、往復券4180円。)
3連休の中日ということで、人多し。
沖縄行きピーチも、もちろん満席。
予定時刻を少し遅れただけで離陸。
10分遅れで到着した那覇空港LCCターミナルは大混雑。
送迎バスもなかなか来ない。
私の後ろには人があふれかえっていた。
沖縄に来て、時間があるときは必ず映画を見ることにしている。
今回時間的に行けそうだったのは、「ニッポン国vs泉南石綿村」(桜坂劇場)と「万引き家族」(シネマパレット)。どうせ行くなら、めったに見られない215分のドキュメンタリー映画「ニッポン国・・・」やなあと思っていた。
しかし飛行機が遅れ、ゆいレールの乗り継ぎもうまくいかず、桜坂1時50分は間に合いそうもなかった。途中、シネマパレットのある「県庁前」を通過。ここで降りたら、「万引き家族」には十分間に合い、お昼ごはんを食べる時間もあるくらいの余裕だった。しかし、多少遅れても「ニッポン国・・・」の勝ち!
ゆいレール「牧志」駅を降りて、荷物をゴロゴロ転がして桜坂劇場へ。
桜坂劇場に着いたのはちょうど2時。
急いで入ったが、10ほどの遅れ。
途中休憩もあったので、終了は5時半ごろ。
◇ ◇ ◇
「大阪・泉南アスベスト国賠訴訟」、8年間の全記録。
悔し涙が止まらなかった日。怒りに震えて立ち尽くした日。それでも、前へ……!
『ゆきゆきて、神軍』から31年、「平成」という時代のニッポン人の自画像を描きました。――原一男
◇ ◇ ◇
私にとっては、自分の死に向き合うという意味で非常に意義のある映画だった。
映画が終わればいつも通り、向かいの公園でネコウオッチ。
こんな光景、京都ではなかなか見られません。
いつまで見ていても飽きなかった。
道路が大渋滞ということで、真樹が迎えに来てくれたのは8時ごろ。
「帰り道、どっかで食べて帰ろう」ということになり、「くら寿司」へ。
カウンター席が早いかと思ってそちらを予約すると、ここは8席しかなくなかなか回ってこなかった。テーブル席にしとけばよかった。沖縄では、一人で食べに来る人なんか珍しいんでしょうね。
真樹は「お寿司は久しぶり」と張り切っていたのだが、そんなに食べなかった。
私は今や何の制限もなしなので、食べる食べる。マヨネーズがどっさりのったサーモンも平気。
帰りに真樹の新しいアパートによって行った。
広くて住みやすそう。周りの環境もよさそうだし・・・。
スーパーによって、今晩のゆんたくのお菓子やく明日の朝ごはんのおかずを購入。
家に着くと、さっそくはん・ぺんにごあいさつ。
2ひきとも逃げ惑っていた。
でも、ぺんのほうは遠くまでは逃げない。
こちらにも興味があるみたい。
「つかまえたー、ベロベロしたんねん!」
あー、おそろしやおそろしや。
はんちゃんは真樹につかまった。
ネコがいる楽しい楽しい真樹家です。
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