パオパオだより

2018年09月23日(日)

マラソンでもないのに沖縄 [家族]

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 12月の「沖縄100K」まで行くことはないと思っていた沖縄。
 ところが真樹が引っ越すことになり、その手伝いをせんならんということで急きょ沖縄入り。
 
 関空リムジンバスも少し遅れるとの情報もあったので、いつも乗る2つ前の便に間に合うように家を出た。
 ヨメさんに国際会館前まで送ってもらい、地下鉄で京都駅へ。うまい具合に7時40分発に間に合ったが、すでに満席。さらに、次の8時発も満席。8時20分発は取れたのだが、少しでも到着が遅れると搭乗手続きが間に合わない可能性がある。
 そこで払い戻し(手数料100円)、JRのはるか8時17分で行くことにした。これだと9時34分に着実に到着し、10時半発のピーチにも余裕で乗れる。

 運賃1880円+特急券970円で2850円。前よりだいぶ安くなっているような・・・。
 また、以前は全席指定だったような気がするが、6両中3両が自由席でガラガラだった。そんなに値段が変わらないのなら、渋滞の心配がなくゆったり過ごせるJRもいいかも。(関空リムジンバスは2550円、往復券4180円。)

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 3連休の中日ということで、人多し。
 沖縄行きピーチも、もちろん満席。
 予定時刻を少し遅れただけで離陸。

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 10分遅れで到着した那覇空港LCCターミナルは大混雑。
 送迎バスもなかなか来ない。

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 私の後ろには人があふれかえっていた。

 沖縄に来て、時間があるときは必ず映画を見ることにしている。
 今回時間的に行けそうだったのは、「ニッポン国vs泉南石綿村」(桜坂劇場)と「万引き家族」(シネマパレット)。どうせ行くなら、めったに見られない215分のドキュメンタリー映画「ニッポン国・・・」やなあと思っていた。

 しかし飛行機が遅れ、ゆいレールの乗り継ぎもうまくいかず、桜坂1時50分は間に合いそうもなかった。途中、シネマパレットのある「県庁前」を通過。ここで降りたら、「万引き家族」には十分間に合い、お昼ごはんを食べる時間もあるくらいの余裕だった。しかし、多少遅れても「ニッポン国・・・」の勝ち!
 ゆいレール「牧志」駅を降りて、荷物をゴロゴロ転がして桜坂劇場へ。

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 桜坂劇場に着いたのはちょうど2時。
 急いで入ったが、10ほどの遅れ。 

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 途中休憩もあったので、終了は5時半ごろ。

     ◇     ◇     ◇

 「大阪・泉南アスベスト国賠訴訟」、8年間の全記録。
 悔し涙が止まらなかった日。怒りに震えて立ち尽くした日。それでも、前へ……!

 『ゆきゆきて、神軍』から31年、「平成」という時代のニッポン人の自画像を描きました。――原一男

     ◇     ◇     ◇

 私にとっては、自分の死に向き合うという意味で非常に意義のある映画だった。

 映画が終わればいつも通り、向かいの公園でネコウオッチ。

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 こんな光景、京都ではなかなか見られません。
 いつまで見ていても飽きなかった。

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 道路が大渋滞ということで、真樹が迎えに来てくれたのは8時ごろ。
 「帰り道、どっかで食べて帰ろう」ということになり、「くら寿司」へ。

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 カウンター席が早いかと思ってそちらを予約すると、ここは8席しかなくなかなか回ってこなかった。テーブル席にしとけばよかった。沖縄では、一人で食べに来る人なんか珍しいんでしょうね。

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 真樹は「お寿司は久しぶり」と張り切っていたのだが、そんなに食べなかった。

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 私は今や何の制限もなしなので、食べる食べる。マヨネーズがどっさりのったサーモンも平気。

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 帰りに真樹の新しいアパートによって行った。
 広くて住みやすそう。周りの環境もよさそうだし・・・。

 スーパーによって、今晩のゆんたくのお菓子やく明日の朝ごはんのおかずを購入。

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 家に着くと、さっそくはん・ぺんにごあいさつ。
 2ひきとも逃げ惑っていた。

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 でも、ぺんのほうは遠くまでは逃げない。
 こちらにも興味があるみたい。

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 「つかまえたー、ベロベロしたんねん!」

 あー、おそろしやおそろしや。

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 はんちゃんは真樹につかまった。

 ネコがいる楽しい楽しい真樹家です。

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2018年09月22日(土)

白鳩と夕鶴 [ランニング・出張販売]

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 9月16日、「マラソンに挑戦する会」の前日のこと。
 金沢みなと会館で泊ったのだが、その近くで「白鳩と夕鶴」に会った。
 と言っても、なんのこっちゃ分かりませんよね。

(注)くわしくは、のちほど。

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2018年09月21日(金)

沖縄だけに押し付け [沖縄]

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政治学者・白井聡さん

◎朝日新聞9月19日朝刊

   戦後の日本 あり方を問う
      ドキュメンタリー映画「国家主義の誘惑」監督・出演者に聞く


 沖縄や憲法、天皇制、日米関係のあり方を問うドキュメンタリー映画「国家主義の誘惑」が、全国で上映されている。沖縄県知事選や自民党総裁選を控え、映画を制作した渡辺謙一さん(67)と、映画に出演した政治学者の白井聡さん(41)に聞いた。
 ――映画で「戦後日本は海兵隊としてのアメリカはないことにして、ディズニーランドとしてのアメリカだけを享受し消費する体制を作った」という白井さんのコメントが印象的です。
 白井 米国の両義性を本土の日本人が実感していたのはベトナム戦争までで、今は沖縄だけに押しつけている。沖縄は「構成的外部」。平和国家・日本の外にあるように見えて、実は戦後体制を成り立たせるのに不可欠。この平和国家は、米国の戦争のお手伝いを一生懸命やっている。この矛盾が押し込められている場所が沖縄だ。
 渡辺 映画でミュージシャンの喜納昌吉(きなしょうきち)さんが「沖縄の本土復帰は美しかったけれども、実際は憲法9条の恩恵も受けていない」と言う。なぜ今、辺野古が問題なのか。なぜ沖縄だけが中央政権に対して反旗を翻しているのかが問われている。
 白井 「海兵隊としてのアメリカ」に、本土側も直面せざるをえなくなってきた。最近、対日貿易赤字をめぐり、トランプ大統領が「真珠湾を忘れていないぞ」と安倍晋三首相に迫ったと報じられ、日本の外交当局は「米国の大統領が日本に不満を持つはずがない」と必死に打ち消しているようだが、第三者的に見れば滑稽の極みだ。
 ――近著「国体論 菊と星条旗」(集英社新書)で、「対米従属」の問題を掘り下げていますね。
 白井 戦前は天皇が日本国民を愛してくれたように、戦後は米国が日本を愛してくれるという幻想のもとに、天皇の上に米国が載った形で「国体」が再編された。沖縄の占領状態を長期間継続させることを天皇が米側にひそかに依頼したとされる1947年の「沖縄メッセージ」も重要な要素として含まれる。
 ――「戦後の国体」はいつまで続くのでしょうか。
 白井 1868年の明治維新から1945年の敗戦までが77年。それから2022年までが同じく77年。「国体」が形成され、いったんは相対的に安定し、そのあと崩壊して社会全体をぶちこわす。このプロセスが二度繰り返されるとすれば、その過程の終わりとして考えることができるのではないか。
 渡辺 日米関係だけで物事は考えられない。地政学的にロシアや中国とも関係してくる。米ロ中という軍事大国のすきまにある島国が日本。競り合うのではなく、生き延びるために個性を強める方が大事だろう。そもそも同盟は対等であるはずなのに日米は対等でなく、戦後も別の形で不平等が継続している。明治人は不平等条約解消になぜあれほどこだわったのか、歴史をさかのぼって考えてほしい。(聞き手 核と人類取材センター・田井中雅人)
     ◇
 映画は第七芸術劇場(06・6302・2073)などで上映中。
     ◇
 わたなべ・けんいち 1951年生まれ。映像作家、映画監督。「天皇と軍隊」など多数。
 しらい・さとし 1977年生まれ。京都精華大学専任講師。著書に「永続敗戦論 戦後日本の核心」など。

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監督・渡辺謙一さん

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 「大変な思いをしている沖縄を自分が語れるか…。内地だと皮膚感覚で問題を感じられない。無知を恥じているんですよ。中に入ってみると、相当な苦しみがあるんですよね」とおっしゃった樹木希林さんはえらいと思う。
 
 私も同じ。
 ただ沖縄が好きというだけで、知ったかぶりをしてはいけない。
 しかし、沖縄が他府県と明らかにちがうのは米軍基地の多さ。それすら分かっていない本土の人間は情けない。
 私は、高校の授業に「沖縄学」を入れてほしいと思っている思っている。まずは、現状を知ること。そこからですね。
 
 ウーマンラッシュアワーの村本さんもえらいと思っている。沖縄の現状を知り、自分なりに感じたことを発信されている。こういう人は応援したい。
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ライブで漫才などについて語る村本大輔さん=3日、那覇市牧志の桜坂劇場

◎琉球新報2018年1月4日

   ウーマン村本が沖縄で明かした 「THE MANZAI」沖縄ネタの裏話

 お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんが3日夜、単独ライブ「ウーマンラッシュアワー村本の大演説〜時は来た…すべての戌どもに村本が吠えて噛みつく2018in沖縄…」を那覇市の桜坂劇場で開いた。現代日本の風刺や漫才への思いを語り、会場の約300人は笑い、拍手を送った。

 ライブの冒頭、自身が出演した討論番組で、大学教授から「無知を恥じなさい」と叱責(しっせき)された一幕を紹介。村本さんは「無知であるからこそいろいろ知ることができる」と反論し、こぶしを突き上げた。

 昨年末に全国放送の番組で、被災地や沖縄を漫才のネタにしたことや周囲の反応などにも触れた。「(沖縄などをネタにして)『重い』などと言われたが、漫才は社会で『空気』のような存在の人に色を付ける役割がある。辺野古にいる人々にもお笑いで色を付けたい」と思いを語った。

 宜野湾市からライブに訪れた木村浩子さん(80)は「自分の言いたいことを全部言ってくれてよかったし、おもしろかった」と話した。

■村本大輔さん一問一答/簡単にレッテル貼るな

 お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんと県内報道各社の主な質疑応答は次の通り。

 ―沖縄と本土の意識のギャップを埋めたい。どう考えるか。

 「(ニュースで)辺野古とかで座り込みをしている人たちが(警察に)捕まえられている映像を見た。なぜこんなことになるのかと(疑問に)思った。なぜ基地を置くのか。なぜ沖縄にいっぱい集中しているのか」

 「僕は基地賛成でも反対でもないけど、もし賛成、反対どちらでも泣いている人がいたら、同じ日本なら『どうしたの』『教えてよ』ぐらいは言えよと思う」

 ―漫才で基地問題を発信するのに勇気が必要だったか。

 「勇気というよりも、下手に語ったと思われる失礼さや、傷つけたらどうしようという方が強かったかもしれない。思ったことは漫才で言いたいと思った」

 「無関心な人を傷つけたいんじゃない。沖縄の若い無関心の人に言いたい。無関心、無知は恥じゃない。無知は最大の武器だと思う。無知はこれからまだ知らない本を読める楽しさがいっぱいある。自分は思い込んでいないという思い込みが一番怖い」

 「(「THE MANZAI」のネタについては)ケーキに問題を混ぜて食べさせてあげないと(視聴者が)口に入れてくれない。僕が知っている範囲で分かりやすくかみ砕いた。ちょっとの角度が広いものになる。漫才のすごいところだ」

 ―辺野古で座り込む人々の話を聞いて何を感じた。

 「それぞれの思いを背負っていることが分かった。(座り込み運動を)『金をもらっている朝鮮人がバイトで行っている』と決めつけた方が簡単に語りやすい。例えば1人、地元のばあさんがいたらその声までレッテルを貼ってしまう。でも、ベッド、ソファの上でネットだけで情報を見て、親指一つで世の中を決めつけている人間が、差別にさらされながらあそこ(辺野古)で自分の思いを語っている人間を否定する権利なんて何一つない」

 「フランスでは革命があった。ストライキやデモが当たり前。日本では声を上げると『やばいやつだ』というレッテルを貼られる。簡単にレッテルを貼るな。辺野古(基地建設)に賛成している人とはまだ話していないから話したい」

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2018年09月20日(木)

友だちは少ないほうがいい [雑感]

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 徳島から遊びに来てくれていたヨメさんの親友・くーちゃんが、昨日私がバイトに行っている間に帰ってしまった。
 「友だちの友だちは赤の他人」と思っている私なので、「ヨメさんの親友に馴れ馴れしくしない」と肝に銘じている。それでも、前から聞いてもらいたかった兵庫「ゆめさき舎」のまっちゃんの話を聞いてもらえてよかった。

 くーちゃんもfacebookをしていることが分かった。友達リクエストはしないが、フォローができるようになっていたのでさっそくフォロー。これは便利。
 私は「友だちは増やさない」という方針なので、こうして友だちにならずに人のfacebookを見られたらありがたい。
 「くーちゃん、見てますでー。」

 今日は三線教室。
 始めて1年3か月になるのだが、私以外のメンバー4名(全員女性)の名前を知らなかった。
 今日、仕事の都合で一時休まられる方のごあいさつがあった。そこで初めてその人の名前を認識した。5名の中で一番若いと思われるNさんは、私が癌の話や「死ぬ前に年金をもらわんなん」という話をしていると、「どうしてそんな深刻な話を普通に話されているんですか」と不思議がっておられた。

 私によく話しかけてくださる方にも、年齢やお名前を聞いてみた。私はてっきり自分の年齢に近いと思い込んでいたのだが、実際は10歳ほど下だった。失礼しました。

 もう1年以上のおつきあいなので、この教室の方も友だちと言えば友だちですね。
 みなさん唯一の男性である私と距離を取っておられたが、アイソトープ治療で入院という話をしてからずいぶん打ち解けてきたような気がする。

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 こんなこと言ったらあかんのかもしれんけど、facebookの友達が何百人ってどうなんと思ってしまう。ヨメさんに言わせると、「そんなもん深い意味はない」とのこと。そうなんや。
 でも、私は「友達」が少ない人ほど信用できるような気がしています。

 「めざせ、facebookの友達一桁!」

 うーん、こんなことにこだわってもしょうがない気もしますが・・・。

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2018年09月19日(水)

死ぬときぐらい・・・ [雑感]

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◎毎日新聞9月19日朝刊・余禄

 オフィーリアは花を抱いて川にまっさかさま。「しばらくは人魚のように川面に浮かびながら、古い歌をきれぎれに口ずさんでいました。まるでわが身に迫る死を知らぬげに」▲2年前、この「ハムレット」のヒロインの死を描くミレーの絵のパロディーが大反響を巻き起こした。川面に浮かぶオフィーリアの顔は樹木希林(きき・きりん)さん。宝島社の広告で、キャッチコピーは「死ぬときぐらい好きにさせてよ」。当人の「全身がん」は広く知られていた▲だが希林さんはそれに「あれは私と違う。私はいつだって好きにしている」。なるほど31歳で11歳年上の小林亜星(こばやし・あせい)さんの母親を演じ、「ジュリー!」と叫んで一世を風靡(ふうび)して以来、はた目には怖いもの知らずに見えたその人生だった▲「がんはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。だからおもしろいんです」。死が「いつか来るもの」から「いつでも来るもの」に変わってから、「がんで良かった」としばしば口に出すようになった▲13年前に乳がんを摘出してからの映画の出演作を並べれば、「東京タワー」「歩いても 歩いても」「わが母の記」「あん」「万引き家族」……。日本映画史を彩る名作に一つ一つ命を刻み込んでいったような演技が心に浮かんでくる▲「生きるのも日常、死んでいくのも日常」はオフィーリアの広告に寄せた希林さんの言葉という。死を思うことでより良い生が探られるこの時代、虚実のあわいでみごとに生き抜かれたその「晩年」だった。
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島袋文子さん(左)の話に耳を傾ける樹木希林さん=2015年7月、名護市辺野古

◎琉球新報9月18日

   「無知を恥じている」 樹木希林さんが生前、沖縄について語ったこと

 15日に死去した俳優の樹木希林さん(享年75歳)は2015年7月、ドキュメンタリー番組の撮影で名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前を訪れ、新基地建設に反対する市民らと交流した。

 辺野古在住の島袋文子さんの隣に座り、新基地建設をめぐる沖縄の現状について聞いた樹木さん。「俳優仲間に辺野古のことを伝える」と話したという。
 16年3月には普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う新基地建設をテーマにした映画「人魚に会える日。」(仲村颯悟監督)の東京公開に合わせたイベントで仲村監督と対談した。「大変な思いをしている沖縄を自分が語れるか…。内地だと皮膚感覚で問題を感じられない。無知を恥じているんですよ。中に入ってみると、相当な苦しみがあるんですよね」と率直な気持ちを吐露していた。
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 「死ぬときぐらい好きにさせてよ」

 生まれてこのかたずっと好き放題してきた私は、残念ながらこうは言えない。
 「死ぬときぐらいかしこうしとけよ」と言われそう。

     ◇     ◇     ◇

 「がんはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。だからおもしろいんです」。死が「いつか来るもの」から「いつでも来るもの」に変わってから、「がんで良かった」としばしば口に出すようになった。

     ◇     ◇     ◇

 私も主治医から癌宣告され、「全身転移の可能性大」と言われたときはそう遠くない死を覚悟した。退院手続を待つ病室で、ほんの一瞬(私にとっては0.1秒くらい)体がブルッと震えて覚悟が決まった。
 現実の「いまわのきわ」には、「しにとうない!」とか「たすけてくれー」とか言って醜態をさらすのかもしれない。でも癌宣告を受けて死を覚悟した日(2016年10月11日)の心は、意外と静かだった。
 だから、「死ぬのがこわい」と言い続けている人には共感できなかった。

 そのあと、ごくまれな「転移なし」の判定。さんまの言う「生きてるだけで丸儲け」の余生ですなあ、いまるちゃんよ。(さんまと私は同い年。)

 「周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれて」いるかどうかはよく分からないが、自分が癌になって新たに見えてきたものはたくさんあった。
 家族には迷惑かけ続けだけれど、私にとっても「がんはありがたい病気」と言えるのかもしれない。

 私にとってのかしこい死に方は、「幸せじゃない犬猫の役に立つ」、「大好きな沖縄の役に立つ」、そんな死に方です。
 死ぬまでちょっと余裕ができたみたいなので、この二つが少しでも実現できるようにがんばってみよう。

【追加】もひとつ大事なん忘れてた。「普通の車いすランナー・下山さんのシティフルマラソン(できれば東京マラソン)参加実現。それを見届けてからでないと、死ねん!

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【今日のきく】

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 今日も寮1に17時間。
 夜12時前に帰ってきたらシーン。ヨメさんはまた疲れ切って、先に寝てしまったようだ。

 その代りにきくちゃん登場。
 「散歩につきあったげるがな」みたいにヘラヘラと出てきた。
 きくは、私を散歩させたげてる、という感覚なんかなあ。
 当たらずといえども遠からず。

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2018年09月18日(火)

友達承認 [ブログ]

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大学時代のナリケンと思われる人物

 「ますみちゃんますみちゃん。」
 「なんやな!」
 「ナリケンがな、やっと友達承認してくれたわ。」
 「へー、そらよかったな。」

 ナリケンは、真樹が中1の時の同級生。ただの娘の同級生なのだが、なぜかずっと気になる存在だった。
 中2で静岡に引っ越して、高校はそのまま静岡。大学は京都の大学に進学し、京都に戻ってきた。かと言って、その間一度も会ったりはしていないのだけれども。

 8月末、ひょんなことからfacebookを始めることになった。私は極めて不器用人間なので、自分の手に負えないことには手を広げない。facebookを使いこなせば、いろいろなことができるのかもしれないがそんな興味もない。

 facebookというからには、「自分の顔を出し、本名もさらして通信しあうもの」と思いこんでいたが、そうでもないみたい。
 一番理解できなかったのが、「友達リクエスト」。
 生涯「友達0」でいいと思っている私なんか、リクエストされたら困るだけ。第一「知り合いかも」欄に出てくる人は、まったくかすりもしない人ばかり。
 「この人、だれ?」
 どうなっとるんじゃー。

 こんな私だか、「友達承認」してほしい人がいる。
 その代表がナリケン。
 リクエストしてから放置状態だったが、やっと今日承認。
 うれしいねえ。
 あとは、高校時代の友だち・石関だけやねえ。 
 早う承認せんかーい!

 友達リクエストされた人を承認せんのは失礼かなあとヨメさんに相談すると、「そんなもん何の気なしにリクエストしてはるだけやから、気にせんでよろしい」とのこと。ほんまかー。知らんぷりしてていいもんなんでしょうか。
 でも、ヨメさんの言うことはいつも正しい。そうゆうことにしときましょう。

 人からの友達リクエストを拒否してるもんやから、自分からもしにくい。あの人やこの人、いろいろと見てみたいFacebookがあるんやけど、ここはしんぼうですね。

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2009年10月、徳島で

 今日、ヨメさんの親友・くーちゃんが徳島から遊びに来てくれた。
 家で晩ごはんをいっしょに食べた。
 そして、そのあと歓談。

 「前からくーちゃんにいっぺん聞きたかったんやけど・・・」
 重度知的障碍者の施設の勤務が長いくーちゃんに、兵庫の「ゆめさき舎」のまっちゃんのことを聞いてもらった。ちょっと心配なこともあって。いろいろと聞いたのだが、その間ヨメさんは一切話に加わらず。そして話が一区切りしたところで、「コウジさんがまともに話しているとこなんか久しぶりに見たわ」と。
 「そうやろ。やったらできんねん。家で食べたらもひとつのもんでも、外で食べたらおいしいような気がするやん。それといっしょや。家ではまともにしゃべれへんのに、外ではしっかりしゃべったりできんねん。」

 それを聞いて、ヨメさんは呆れていた。
 「私の話なんか上の空でしか聞いてへんのに、くーちゃんとの話はまじめに対応かーい」という感じですかね。

 ここで私は「悟りを開く」。
 ああ、浮気というのはこういうことなんや。
 ほとんど同じ料理なのに、家の中では食べる気がわかず、外ではなぜかおいしく感じてしまう。
 家では上の空のことでも、外では同じようなことが新鮮に感じられてしまう。アホやね。

 私は全然まめな方ではないので、まめな人にしかできない「浮気」には向かない。でも、そんな気になってホイホイ浮気してしまう人の気持ちもなんとなく分かるような気がする。ほんま、アホやね。

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