パオパオだより

2017年03月02日(木)

結論は「再手術」 [病院]

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 「結論を先に言いますが、再手術して(右の甲状腺を取ってしまい)、アイソトープ治療(放射性ヨウ素治療)をされることを勧めます。」

 今日は、神戸・隈病院でのセカンドオピニオン。
 55歳と1日の愛妻も、医師の話を聞きたいとついてきた。

 診察室に二人で入り、いきなり言われたのが先の言葉。「そうか、やっぱりね」という感じ。鞍馬口医療センターのI医師から言われたこととほぼ同じ。ちがうのは、こちらの医師のほうが「早くした方がいい」という気迫のようなものを感じた。

 私の検査画像を見せながら、「かなり危険な状態です」というようなことも言われた。
 「細胞が島状になっていて、これはかなり厄介です。」
 「癌細胞が血管を破ろうとしているところも見られます。」

 PET検査で遠隔転移していないという結果を聞かされていたので、そこまでひどいとは思っていなかった。とにかくできるだけ早く残っている右側の甲状腺切除手術をし、例の「放射性ヨードを服用して独房一週間缶詰」治療の予約をすべしということだった。

 説明が一通り終わったあと、ヨメさんが「何もしないで様子を見るということはダメなんでしょうか」と質問した。
 「それは考えられません。もうそんなレベルではないと思ってください。命に関わることですから。
 ただし、患者さんのお考えでどうしても治療をしたくないとおっしゃるんでしたら、治療を強制するわけにはいきません。ほおっておいてなんともなかったという例がないわけではありませんが、そちらに賭けるにはリスクが大きすぎるでしょう。
 私たちは最善と思われる治療法を提示させてもらっているつもりです。あとで聞いてなかったと言われると困りますから。もし私が今同じ状態なら、すぐに甲状腺を切除してアイソトープ治療に入ります。あとから、あれをやっておけばよかったこれをやっておけばよかったと思うのはイヤですから。」

 この時は、かなりきつい口調になっておられた。
 「なにを悠長なことを言ってるんだか」と思ってられたのかもしれませんね。

 「たくさんの症例を見てはるお医者さんが、あんなにきつく言ってはるんやから、ゆわはったとおりにせなしゃーないやろ。」
 帰り道々で、ヨメさんとそんな話をした。
 あとは、残っている甲状腺の切除手術とアイソトープ治療の日程やねえ・・・。
 もちろん、その前にはいろいろな検査もあるやろうし・・・。
 はー・・・。

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 セカンドオピニオンは高くつくと聞いていたので、なんぼ払わんなんかとビビっていた。それもこの病院は、いつもニコニコ現金払いということで困った。私は電車代の数千円のみ。ヨメさんがかろうじて1万円だけもっていた。
 「1万円以上かかったら、食い逃げしょー。」

 会計で請求された金額は、「えっ、370円?」
 腰抜けそうになりましたわ。

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 「病院代ういた分、お昼はちょっとだけ贅沢できるな。」

 と言うことで、国際会館まで帰って「じゅんさい」のランチセット(税込1100円)。
 私はエビフライ。

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 ヨメさんはクリームコロッケ。

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 ヨメさんは、量が多すぎて食べ終わったあと動けないくらいになったらしい。ちょっともらったらよかった。

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 家に帰れば、ヨメさんはきくを引き連れ、すぐ「京都キャロット」へお仕事に。
 入院したら、またきくちゃんと会えんようになるんやね。

 「きくは別にどっちでもええでー」みたいな顔しとるなー。
 病院抜け出して、いじめに帰ってくんどー。

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【RUN】

 今日は何もしていないのに、ずっと腰が痛かった。
 体も重かったので、「今日は走るんやめよかなー・・・。」
 いやいやいや、やっぱり走れるときはちょっとでも走ろう。 
 東北部クリーンセンター往復5km。
 6分10、6分00、5分50、5分36、5分23で29分01秒。
 走り終わったら、腰の痛みがちょっとだけましになった。

 これから、検査、診察、入院、手術のスキを縫って、どれくらい走れるんやろう。しっかり計画立てよう。

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2017年02月14日(火)

バレンタインデーにセカンドオピニオン [病院]

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 「ボクにはチョコないん?」
 「・・・。」
 「チョコないんやったら、チューでもええで。」
 「あーきっしょくわる。頼むし、私にかまわんといて。」
 「ますみちゃんしかかまう相手おらへんし・・・。」

 そのしばらくあと、「はい」と言ってキットカット5個をもらう。

 ・いつも通り! 自分のペースで!  (できとるできとる。)
 ・全力投球 ファイト!! (何に全力投球したらいいんでしょう。)
 ・さあ、大きく深呼吸しよう! (いっつもしとるちゅうねん。)
 ・Good Luck! (なんか他人事ぽい。)
 ・夢に向かってGO! (この歳から「夢」と言われてもねえ。余命が・・・。)

 こうして、今年のバレンタインデーもわびしく過ぎていくのであった。
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 京都バス 地球研前(7:01)〜国際会館駅(7:11) 160円
 市地下鉄 国際会館(7:16)〜四条(7:32) 290円
 阪急電車 烏丸(7:40)〜十三乗り継ぎ〜花隈(8:57) 750円

 自宅から約2時間、1200円。
 
 隈病院は街はずれと聞いていたのだが、三宮の次の「花熊駅」からすぐのところにあった。「これなら京都からでも来れるなあ。」

 神戸は海岸に山が迫っている。だから、駅を出て右折すると坂を上っていくことになる。「花隈駅から徒歩3分」と書いてあったが、本当にそうだった。 

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 「ホテルか」と思うような立派できれいな病院。
 9時すぎに受付に入ると閑散としていた。
 「甲状腺専門病院と言っても、そんなに患者さんは来られへんのかなあ」と思った。しかし、これは私の早飲み込みであったことがあとで分かった。

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 診察の流れを説明され、ナビットというものを持たされた。
 「これ、食堂の『できましたー』ちゅうやつやん。」

 3階が診察室。
 エレベーターを出て、一瞬息を飲んだ。「ゲゲ、なんじゃーこの人の多さは!」
 待合には多くのベンチが用意されていたが、座るところを探さなくてはならないほど混雑していた。まだ9時を少し過ぎたところだというのに、朝早くからいきこんで(?)こんなに・・・。
 「この全員が甲状腺の病気なん? 専門病院て、こういうことなんやなあ。」

 まずは予診票に記入。
 「コンブ、ワカメなどをたくさん食べていますか」という質問項目があった。さすがに甲状腺専門病院。これらの食品には「ヨード」が多く含まれているので、検査結果に影響が出るらしい。(このあたりよく理解できていない。)

 予診室が満員で、私は診察室に通されて予診。話を聞いてくださったのは女性の方(看護師さん?)だった。

 予診の時、身内に癌になったものがいなかったかをくわしく聞かれた。しかし、その点についてはあまりこたえられなかった。。もうちょっと身内のことを調べておけばよかった。とりあえず、甲状腺癌というのは原因不明らしいので。

 今までの経過を話し、「今後の治療について決めかねているので、こちらの専門病院のお話を聞いてみたくて来させてもらった」と説明した。

 そのあとしばらく待機して、いよいよ診察。またさっきと同じようなことのくり返し。
 ベテランぽい男性医師は、「低分化癌と判定されましたか・・・。それはたいへんですね」とおっしゃた。「今日持ってきていただいた資料をしっかりみせてもらって、こちらで受けていただく検査の結果も出てからお話しすることにしましょう。いいかげんなことは言えませんから。検査結果が出た後にもう一度来てください。」

 あー、またモラトリアムかい!
 これ、ひとごとやったらええおちょくり材料になるんやけど。自分のことだけに、おちょくりきれん。どこまで行っても宙ぶらりん。私の大好きなカフカの「城」の世界や。

 それにしても、この癌は緊急性ちゅうのがないのかな。ゆっくりゆっくり進行していくんか知らん。「鞍馬口」のI医師も、「隈」のI医師(こちらも「い」から始まるお名前でした)もなんかのんびりしておられるように感じる。それはそれでええんか。そのついでに、次来たときに「癌細胞なくなってますよ!」てなことにならんかな。ならんわな。

 このあと、採血と超音波(エコー)検査。もう「鞍馬口」でやったんですけど・・・。

 お支払いをすましても、まだ11時前。これなら家に1時ごろには帰れる。ヨメさんに、「病院が早く終わったんで、今日は店番できるし」とメール。急いで家路へ。

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 来るときは急いでいたのでゆっくり見ることができなかった「花隈駅」界隈を観察しながら。

 病院のすぐ南はおふろやさん。病院のあと、ゆっくりお風呂につかって帰るちゅうのもええかも。420円です。

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 その南には「本願寺神戸別院」。
 立派な建物です。

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 駅へと曲がるかどっこのええ場所に鍼灸院。
 ここははやっているかな。

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 駅の向かいの歩道沿いに、楽しそうな往来の絵。
 三宮の次の駅だが、三宮とちがってずいぶん落ち着いた町のように感じた。

 次来るときは、せっかくやし「花隈」探検でもしようかな。
 それにしても「花隈駅から徒歩3分の隈病院」は分かりやすい。初代院長が隈さんで、現理事長も隈さんらしい。でも、花隈町と隈病院は特別つながりはないようだ。
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■花隈町(ウィキより)

【地理】 中央区の南西部、旧生田区域中央部に位置し、東・北・西は下山手通、東〜南は北長狭通に接する。中央区西部の市街地中寄り、花隈城のあった辺り。神戸港の発展に伴い高級料亭が立ち並び花街として有名になった。 飲食店・集合住宅が立ち並ぶ商業地域。

【地名の由来】 花熊・鼻熊・華熊とも書き、「往昔は土東崕を噛み」といわれ、海に面した小高い丘であった。台地の端(ハナ)の一段と高いところ(クマ)からついたという説がある一方、神をクマというところから神内(くまうち)に対し神社領のはずれという意味だという説もある(西摂大観)。花熊の地名は南北朝時代から見え、貞和2年(1346年)4月日付佐藤性妙軍忠書によれば足利方に属していた陸奥国出身の佐藤性妙子息行清らが建武3年(1336年)湊川の戦いの折「摂州天王寺・阿倍野・湊河・花熊・生田森・摩耶山」で奮戦したとある(佐藤文書/大日本史料6-9)
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 店番に間に合うように急いで帰るつもり。そのため、地下鉄四条駅構内で志津屋のパンを買った。
 私が20歳過ぎのころ、府立病院の地下売店のバイトをしていた。その時、志津屋さんからパンをおろしてもらって販売していた。ああなつかしい味。
 その頃が私の唯一のモテ期。みんな病院関係の人だったのだが、あの人たちもみな60歳前後になっている。今、どこでどうしているのやら。かわいいオバサンになっているのかなあ・・・。
 去年10月の「もうすぐ死ぬかもしれんシリーズ」が続いていたら、きっと「昔惚れてくれたやつに会いに行く」と血迷ったことを言っていたでしょうね。そういう意味でも、その時点で転移してへんでよかったわ。醜態さらすとこやった。我ながら、この「自分勝手なオッサン」には手を焼きまっさー。

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【RUN】

 今日は店番する気満々やったのに、「バイトさん頼みました」とヨメさんからメール。私は店番はできるけど、通販の発送業務ができないのでダメとのこと。またまた「役に立たんやつ」の烙印押されました。まあそれでも、発送する商品をそろえるのだけは手伝いましたけど・・・。

 夕方時間があったので、昨日と全く同じ「ゆば泉往復6kmコース」。
 5分26、5分14、5分36、5分20、5分14、5分07で31分59秒。
 キロ5分20秒ペースで気持ちよく走れた。

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【今日のきく】

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 こんなじゃじゃ馬系のきくだが、ここに引っ越してきたころはボーイフレンドか2ひきいた。
 1ぴきはゴールデンのゴンちゃん。でも、すぐに死んでしまった。 
 もう1ぴきは大型雑種のタロちゃん。こちらはすぐに引っ越して行ってしまった。でもなぜか、タロちゃんの飼い主さんのおねえさんとは年賀状のやり取りは続いていた。今年の年賀状には悲しいお知らせ。「タロはついに亡くなってしまいました」。

 ああ1回でも会いに行っとけばよかった。あの飼い主さんなら絶対に嫌がられなかっただろうに。
 「きくちゃん、もうチョコあげる相手おらんようになってしもたねえ。」

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 もうタロちゃんの匂いもするはずもないが、今日はバレンタインデーなのでタロちゃんをしのんできた。
 タロちゃんが引っ越した後に入られたご家族もまた引っ越され、今は空き家。どなたかまた、犬連れの人が引っ越してきてくれはったらいいのになあ。

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2017年02月13日(月)

準備万端 [病院]

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 今日は鞍馬口医療センターへ、紹介状をいただきに。
 10時に行ったのだが、今日はものすごい混雑。12時を過ぎたころから、「こら、やばいかも」と思えてきた。
 今日はまたヨメさんが勉強したいというので、1時半から店番をするつもりだった。ところが12時を過ぎてもまだまだ待っておられる方が多かった。けっきょく、私が呼ばれたのは12時45分ころ。「1時半なんか絶対無理やん。」

 でもそのあとは意外な展開。
 「腫瘍のプレパラートというのを持っていけば、セカンドオピニオンもスムーズに行くと聞いたんですが、貸し出しは可能ですか。」
 「だいじょうぶですよ。」
 「貸し出ししていただくのに何日もかかると聞いたんですが・・・。」
 「いえ、今、病理の者がいますので、少し待ってもらったらお渡しできると思いますよ。」

 あらあら、こんなにすぐにいろいろなものがそろうとは思ってもみなかった。これで準備万端。これは、セカンドオピニオンにはよ行けちゅうことですね。

 駐車場を出たのは2時少し前。病院に来た人は1時間100円なのだが、もうちょっとで500円になるところだった。

 神戸の甲状腺専門病院「隈病院」、明日行ってこー。

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【RUN】

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 今日は軽く6km。
 「ゆば泉」往復。

 5分58、5分47、6分00、5分59、5分51、5分45秒で35分21秒。

 相変わらず腰が痛いが、それ以外はだいじょうぶ。

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【今日のきく】

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「きくちゃん、きくちゃん、お迎えに来たでー。」

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 「はよはよ、はよ車に乗せてー」と言っているきくちゃんでした。

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2017年02月09日(木)

家族ががんになったとき [病院]

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◎毎日新聞2月9日朝刊・くらしナビ ライフスタイル

   がんになり すれ違う夫婦

 がん闘病には、家族をはじめ周囲の支えが大きな力となる。しかし、配偶者ががんになったことで、心のすれ違いが生じる場合もある。人生の大きな試練に共に立ち向かえない。そんな悩みを抱える人は少なくない。


 ●痛み分かち合えず

 東京都在住の美樹さん(53)=仮名=は、がんをきっかけに夫との関係が壊れ、離婚に至った。「痛みを分かち合うことができなかった」と美樹さんは振り返る。

 2002年5月、美樹さんに直腸がんが見つかった。放射線と抗がん剤を経て手術。人工肛門や尿管へのステント(管)も必要となった。術後の抗がん剤治療も無事終えたが、やがて体調が悪化。04年8月に放射線性直腸炎と診断され、40度の熱と腹痛が続いた。がんが分かって以来、何度も入退院を繰り返した。一時帰宅しても就寝中、おなかの痛みに襲われる。苦しむ美樹さんを見て、夫は「またか」と言い、枕を抱えて別の部屋に行った。救急車で運ばれても「大丈夫?」の一言もない。

 「私の突然の病や入院に、気持ちが追いつかなかったのでしょう」。2人は同い年で高校時代に知り合い、25歳で結婚。3人の子どもに恵まれた。美樹さんのがんが分かった時、長女は中学2年、長男は小学6年、次女は小学1年。「もともと会話の多い夫婦ではなく、病気についてもほとんど話し合わなかった」。長女が家事を支えたが、父である夫は娘にいら立ちをぶつけた。長女は一時、精神的なバランスを崩す。「そんな時、妻であり母である私がクッションになっていたら。でも病気でその役目が果たせませんでした」

 やがて家庭内別居。夫は美樹さんの義兄のもとで働いていたが、ある日帰宅して「もう疲れた。別れよう」と言った。「本心ではなかったと思う。私の身内が彼に責めるようなことを言ったのでしょう」。しかし美樹さんは、病で相手を思いやることができないことに負い目を感じ、05年12月に離婚。子どもは引き取った。「結局、私は逃げてしまったんです」

 ●支える側の悩み

 「夫婦関係に悩む患者さんから相談を受けることがある」。腫瘍内科医で日本医科大武蔵小杉病院教授の勝俣範之さんは話す。「どちらかといえば『主人が全く頼りにならない』といった女性側の訴えが多い」。そんな時は夫にも来てもらい、理解を深めてもらうよう指導するという。

 支える側の夫も悩みは大きい。フリーライターの桃山透さん(48)は11年5月、妻に乳がんが分かり、ほどなく円形脱毛症になった。「ダメな夫です。妻のほうが心の整理が早かった。一人娘がまだ6歳で、落ち込む暇なんてなかったでしょうから」。手術で胸を全摘出したが、術後の抗がん剤治療が終わったタイミングで肝臓への転移が分かった。医師からは「治ることはない」と言われ、死を意識する日々となった。

 「ゴールのないマラソンを走っているような気分」と桃山さん。「ダメな自分」を突き詰めると苦しくなるので「『自分』というパロディーを生きてみよう。そう思って気持ちをコントロールしています」。

 フリーランスで収入は不安定だ。お金があれば治療に加え、生活に潤いを与えることもできる。しかし「稼げないなら動くしかない」。妻は薬の副作用で手先に支障があるため、洗濯やゴミ出しは引き受け、食器洗いは11歳になった娘にも手伝わせる。桃山さんも家で仕事をするため、共にいる時間が長い。「仕事が忙しくて余裕がないと、妻とどう接していいか分からなくなる」。常に試行錯誤だ。「お互いに我慢している部分があるでしょう。でも僕もがんばっていることを、妻は評価してくれていると思う」

 転移再発から5年近くたった。妻は治療を続けながらも週2回、楽しみ半分でパートに出る。病と生きる夫妻の日々を、桃山さんは著書「娘はまだ6歳、妻が乳がんになった」につづった。「日々、感謝の言葉を口にして、『気にかけている』ことを行動で示すようにしている。しんどいけど、妻のほうが大変には違いないですから」と桃山さん。「妻思いなわけでも何でもない。結婚も長いと残るのは家族愛です」。病気の妻から逃げる人もいると聞くが、桃山さんは逃げない。「近所に散歩に行くにも、やっぱり妻とでなきゃと思うから」

 ●精神的サポートは

 国立がん研究センターの精神腫瘍医で、がん患者の心のケアが専門の内富庸介さんによれば、「一般的に、男性は車の送り迎えなど身体的なサポートは得意だが、女性が求めているのは精神的なサポートとされます。そこにずれが生じる可能性はある」。米国や韓国の研究では、男性より女性のがん患者のほうが、離婚率が高いとデータで示されている。離婚率自体は一般と変わらないため、男性がん患者の離婚率は低いと言える。「男性ががんになると、夫婦の絆が強まるのかもしれない」。がんに限らず、病がきっかけでカップルの関係性が変わることは少なくない。日本でも、これから研究が進む。

 美樹さんは夫と別れた約半年後、今度は大動脈瘤(りゅう)破裂で入院した。その時、元夫が思いがけず病室に現れた。交流はその後も続き、別れる前より会話はずっと多くなったという。ところが元夫は今から2年前、突然の病で亡くなった。「その少し前、年を取ったら隣同士でいいから同じアパートに住もう、なんて言ってました」。美樹さんは穏やかに話す。「当時、諦めずにいろいろ話をすれば良かったのかもしれません。彼は本当はどんな気持ちだったのかな。今となっては聞けませんね」【三輪晴美】
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 今日は寮2(出町)24時間。さすがに2日連続は眠とうてしゃーない。
 また、新聞をしっかり読んだ。今日の秀逸は毎日新聞のこれかなあ。

 「家族ががんになったとき」、みんなはどうしているのだろう。
 私が35歳の時、母が胃がんで亡くなった(65歳)。母ががんであることを知ったのは、死の1年前くらいのことだったと思う。すべての責任を負ってくれていた兄から聞いた。
 その時は、「がんとかゆうて、なんやかんやできっとまだまだ長生きするんやろう」とたかをくくっていた。母も「冬のさぶい間だけ入院させてもろて、ぬくなったら退院して、また冬になったら入院させてもろて、これからずっとそうやっていくわー」と明るく話していた。でも、そんなふうに話していた2週間後に死んでしまった。

 「えー、まだまだ生きるゆうとったんちゃうん!」
 すべて兄任せで、母に対して何もしてこなかったツケが回ってきた。私にとって、母の死は衝撃的な「突然の死」だった。
 臨終の場にも入り込む余地はなかった。末っ子で一番かわいがってもらったはずなのに、母の意識の中に私はまったくなかった。なんでやろ。それがすごく不思議だった。

 さて、私。
 「甲状腺低分化癌」と診断されたとき、そう遠くない死というものを覚悟した。動けるうちに、今までお世話になった人にお礼を言っとかなくてはと思った。
 家族に対しては、とにかく「煩わせないこと」重視。ヨメさんとは離婚して、子どもたちとは親子の縁を切って、だれにも看取られず一人で死んでいくのが私にふさわしいと思った。
 私が癌と判明した時の家族の反応は、私が見た限りは以前通り。特別変わったことはなかった。「あー、またやらかしたか」系の私は、癌も「またやらかしたかー」と思われるだけの範疇だったのかもしれない。
 私がどんな悲惨な状態のときもヘラヘラしているので、「またヘラヘラしながら死ぬに決まっとる」とでも思ったんかなー。それならそれでうれしい。その期待に応えたろうやないかい。

 私は、この先もヘラヘラしながら生きていく。ヨメさんはそんな私がきっしょくわるーてしょうがないらしい。あきらめんかーい、今のところまだ家族なんやから。

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2017年02月06日(月)

モラトリアム [病院]

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 今日は、鞍馬口医療センターで経過観察。
 一週間前に採決してもらった血液検査の結果をお聞きする。

 名前を呼ばれて診察室に入ると、またもやいやーな間。ああ分かりやすい。血液検査の結果がよくなかったんですね。

 「サイロブログリンの値が少し上がってきています。」
     ◇     ◇     ◇

◎サイログロブリン Thyroglobulin (隈病院ホームページより)

■サイログロブリンとは
•血中に分泌される甲状腺ホルモン(T4=サイロキシン)の直前の物質のことです。
•甲状腺組織の中で合成され大量に貯蔵されています。
•正常の状態では血液中にはわずかにしか出てきません。
甲状腺に病気が出現した時に血液のサイログロブリン値が高い値を示します。
•その値は血液中の濃度で表現されます(正常値46ng/ml以下)。

サイログロブリンは甲状腺の血液検査でしばしば測定されるもので、Tgと記されています。
血中サイログロブリン値は、
•甲状腺の腫瘍がサイログロブリンを産生する時
•甲状腺を刺激する物質で甲状腺が刺激された時
•甲状腺の炎症で甲状腺組織が破壊された時

に高い値を示します。甲状腺乳頭癌、甲状腺濾胞癌などの甲状腺の腫瘍マーカーとして使用されることがありますが、良性の甲状腺腫瘍、やバセドウ病、慢性甲状腺炎などでも値が高くなり、必ずしもがんの存在を示すものではありません。

甲状腺乳頭癌や甲状腺濾胞癌になった方は、甲状腺全摘術の後に腫瘍マーカーとしてサイログロブリンの測定を行います。もし低下していた血中サイログロブリン値が高くなった時は、頸部のリンパ節の再発、遠隔臓器への転移、たとえば肺転移や骨転移などが考えられます。

サイログロブリンの値が高いだけでは、甲状腺癌の確定診断はできません。血液のサイログロブリン値では甲状腺腫瘍の良性悪性の鑑別は不可能です。良性悪性の鑑別には超音波検査、細胞診などを行います。


■サイログロブリンの特殊な使い方

・大きく腫れた頚部のリンパ節が、甲状腺癌由来であるのかを診断します。注射針でそのリンパ節の組織を採取し、食塩水で稀釈してサイログロブリンの値を測定します。サイログロブリン値が高い時は甲状腺癌由来と診断できます。

・甲状腺から遠く離れた組織(たとえば肋骨や腰の骨)が腫大した時、甲状腺癌由来のものかどうかを診断します。その組織の中にサイログロブリンが存在するかをプレパラートの上で染色し、顕微鏡で観察して、サイログロブリンが陽性であれば甲状腺癌の転移と診断されます。
     ◇     ◇     ◇

 私のサイロブログリン値は、8月22日-197.2、12月5日-33.2、1月30日-46.8。(基準範囲は33.7以下としている医療機関が多い。)12月初めには正常値に戻っていたのに、その値が再び上がっているということは癌細胞が増殖しつつあるということ。

 「決して安心できる状態ではありません。今後の治療をどうされて行くかは決められましたか。」
 「それがねえ、癌と言われても手術後の喉元に違和感があるだけで、それ以外は以前と何も変わらないので・・・。」
 「そういうものですよ。奥様は何かおっしゃっていないんですか。」
 「特になんにも。」
 「えー! なにも! それなら藤井さんが自分で決めるしかないじゃないですか。」
 「たしかにそうなんですけど・・・。」
 「ほかの病院で一度話を聞かれるのもいいと思いますよ。」
 「私の友だちに兵庫県の方がいて、『神戸に甲状腺専門病院があるので、一度診てもらったら』って言ってくれてるんですよ。」
 「はい、隈病院ですね。ちょっと遠いけど、一度行ってみられますか。それはそれでいいと思いますよ。」

 この話に出てきた「兵庫の友だち」は、実は友だちでもなんでもなく、このブログにコメントを入れてくださった方。まさかこのブログがこんなところで役に立つとは、思ってもみませんでした。

 ということで、鞍馬口医療センター耳鼻咽喉科の?医師に紹介状を書いてもらい、神戸の隈病院に行くことになった。もうちょっと先の話だけれど。

 ああ、モラトリアムモラトリアム。
 癌治療に「猶予」などあるんでしょうかねえ。
 さて・・・。
     ◇     ◇     ◇

◎当病院での甲状腺疾患に対する治療方法(隈病院ホームページより)

■甲状腺癌の遠隔転移の病変に対する放射線性ヨウ素内用療法(アイソトープ療法)

肺、骨などに甲状腺癌(乳頭癌、濾胞癌)が遠隔転移を起こすことがあります。この時に行うのが放射性ヨウ素による放射線性ヨウ素内用療法(アイソトープ療法)です。

甲状腺の細胞は、甲状腺ホルモンの原料であるヨウ素という元素を細胞内にとりこむ性質をもっています。甲状腺癌の細胞も、甲状腺の細胞と同じようにヨウ素元素を取り込む性質を有している場合があり、その性質を利用して遠隔転移(多いのは肺や骨)を起こしている癌に対して行う治療です。

このヨウ素元素には、放射性同位元素(アイソトープ)といって放射線を放出する種類のものがあります。甲状腺を全部摘出した後に、この放射性ヨウ素を投与すると、転移をおこしている癌細胞がヨウ素元素を取り込む性質があれば、シンチグラフィーで検出されますし、放射性ヨウ素を大量に使用することによって癌細胞を破壊することが期待できます。遠隔転移を起こしている病巣を外科的に切除できるのであれば、それが優先されますが、切除不可能な病変、多発性の転移などの時には有効な治療と考えられます。


•放射線を使用しますが、アイソトープ(131I)のカプセルを服用するだけです。
•体外から放射線を当てる外照射ではありません。体の内部から放射線を当てるので内照射と言います。
•甲状腺全摘術をすでに済ませていることが前提です。
→甲状腺組織が残っていると、服用したアイソトープは正常の甲状腺組織に全て入ってしまい、癌の組織には入らないからです。
•甲状腺ホルモン剤の補充をいったん中断してからカプセルを服用します。
→甲状腺の癌細胞はヨウ素を取り込む力が弱いので、脳下垂体のホルモンであるTSHを増加させる必要があるからです。
大量のTSHが存在するとアイソトープが癌細胞の内に取り込まれやすくなります。
•内服したアイソトープ(131I)が転移の部位(肺、骨など)に取り込まれると、131Iから放出されるベータ線が、その組織を破壊します。アイソトープが取り込まれる可能性は高齢者の癌より若年者の癌が高いようです。
•アイソトープの副作用はほとんどありません。
•この治療にはアイソトープ使用の許可を得たアイソトープ病棟のある特別の施設が必要です。当院ではこの施設を完備しています。
 

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【RUN】

 夕方6時すぎから、ひとっ走り。
 いつもの十王堂橋往復5km。

 なぜか分からないが、今日はすごく軽快に走ることができた。いつもこんなんやったらええのになあ。
 5分29、5分26、5分27、5分14、5分12で26分49秒。

 2月11日の「出雲くにびきマラソン」は10kmに申し込んでいたのだが、私一人で出店ということになったのでDNS。今は体調がいいのに、こういう理由で出られないのは無念。
 翌日12日が「武庫川ロード記録会」なので、走りに行きましょうかねえ。でも、出雲からの帰りの雪道がねえ・・・、どうなるか。

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【今日のきく】

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 今日も「京都キャロット」終了の7時に、ヨメさんときくをお迎え。
 私の車が店の前の駐車場の到着すると、きくは大喜び。

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 「はよかえろー、はよかえろー。」
 入口前でのアピールがきつい。(ピンボケです。)

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 「もうちょっと待ってな」と言うと、かしこー待ってるきくちゃんでした。

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2016年12月12日(月)

甲状腺低分化癌、経過観察 [病院]

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 42日ぶりの診察。
 今日は1週間前に採血してもらった血液検査の結果を聞くことと、甲状腺の超音波検査。この先の治療方針を決めて行かなくてはならないので、ヨメさんも付き添い。

 診察室に入ると、I医師(女性)がいきなり「サイロブログリンの値が、190から33に下がりました」と。何もかもよく分かっている相手に話されている感じ。
 「あの、そのサイロブログリンというのは何なんですか。」
 「あっ、ごめんなさい。がん細胞のところにたんぱく質が集まるのがサイロブログリンです。がん患者さんによっては、この値が何千何万になることもあります。」
 「えっ、そうなんですか。ということは、今は平常値に収まっているということですね。」 
 「そうですね。『今は』そうですけど、この先はどうなるか分かりません。転移が見つかればアブレーション治療をしなくてはなりません。」
 「あの、そのアブレーションというのは・・・。」
 「患部を焼き切る治療です。」

 血液検査の結果は、現時点では転移がないと思われる。超音波検査も異常なし。
 このあと、診察室にヨメさんも入れてもらい医師からの説明を受けた。ヨメさんはいろいろと質問すると思っていたのに、ずっと黙ったまま。I医師からの専門用語ばかりの早口の説明に圧倒されていたようだ。その説明に対して、私が応対し、要所要所で質問していたことにも圧倒されていたらしい。「なんであんな専門的な難しい話に、普通に応対できんの?」と。
 私は相手の話を分析し、自分の理解できるところとそうでないところを分別する能力がある。分からないことを恥ずかしがるということもない。的確に質問するので、的確に答えていただける。ふだんボーとしている私が医師と普通に話している様子が、ヨメさんには不思議だったようだ。
 私が「なんにもでけへんくせに、突然頭だけはよう動く男」であることを忘れてましたね。

 今後の治療方針については・・・。

 以前お聞きしたのとほぼ同じ。
 1.残っている右側の甲状腺も取ってしまい、ヨード治療を開始する。(転移の可能性が低くなるが、甲状腺から出るはずだったホルモンの薬を一生飲み続ける。)
 2.経過観察を続け、転移が見られた時点で右側の甲状腺を取り、全身に転移している可能性を考慮し新たな治療を開始する。(例、一週間ほど独房のようなところに軟禁されヨード治療を受ける。それを何度もくり返す。)

 甲状腺低分化癌は症例が極めて少なく、低分化癌と判定された時点で他の部位に転移していないかった例はほとんどないらしい。それが今の私の状態です。

 1のほうは、現在ちゃんと働いている甲状腺を切除してしまうというのに抵抗がある。でも切除したあとの治療は、比較的楽なものというニュアンスだった。
 それでももう手術はかなんなあと思っていたので、2の「手術をせず経過観察」に気持ちは傾いていた。しかし、「一週間独房みたいなところ」の話を聞いてまたヒビッてしまった。そうなってしまったら、気が狂うかも・・・。もちろん、こちらの場合もこのあと一生薬を飲み続け。なんでもすぐ忘れてしまう私に、そんなことできるんでしょうか。
 ああ、どっちもどっち状態です。

 あとは、「ずっと放っておいても転移しない」という奇跡に賭けるか。
 I医師の話では、それはどうも考えにくいらしい。

 とりあえず、症例が少なすぎて有効な治療法が確立されているとは言い難いらしい。少ない情報から、「自分で判断してください」と言われてもねえ・・・。
 次は、1月の終わりから2月の初めにかけての診察になる。それくらいまでには決断しなければならないんでしょうね。どうしましょう。

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 病院のすぐ近くの「スーパー・くらら」さんでお買い物。
 ちょうど抽選券を配っておられ、ますみちゃんは知らない方から2人も券をもらった。「かわいいからくれはったんやわ」とゴマをすっといた。
 自分の分も足して、3回分の抽選。
 残念ながらティッシュだけでしたけど。楽しめました。

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 トヨタのカードでためたポイントを「黒毛和牛」に交換。それが今日送られてきた。
 今日は超めずらしい「家で焼き肉」。

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 スーパーで買った豚肉と野菜も焼き、豪華なものになった。すごく柔らくておいしかった黒毛和牛は、300gあったのだが食べきれずに残してしまった。お腹パンパン。

 今年の通院は今日で終わりなので、「病院一区切り祝い」ということかな。

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 きくちゃんにも1枚だけおすそ分け。

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 きくは牧場生まれで「牛守る犬」のはずやったのに、「牛食う犬」になってしもたね。

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