2014年12月21日(日)
北山高女子応援2014 [陸上競技]
第26回全国高校駅伝・女子の応援に。
今年も、沖縄今帰仁村の北山高等学校女子駅伝部を応援する。去年は5区間全員の写真を撮ることができなかったので、今年こそ全員の写真を撮るのが目標。
第1中継所になる平野神社前には、2区を走る仲井真エンドリアみどり選手と補助の植田さんが待機していた。声をかけさせてもらっての1枚。中継まであまり時間がないときに無理を言ってすいませんでした。でも、すごくいい写真です。
このあとも電動アシスト自転車を駆使して、かんばって写真を撮りました。その何枚かをプリントして、宿に届ける約束。今から、京都駅近くまで写真を届けに行ってきます。
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先週北山高校を訪問させていただいたとき、監督である大城昭子先生から「西京極でお会いしましょう」と言われお別れした。私も最初はそのつもりでいたのだが、西京極まで行ってしまうと1区と5区しか応援できない。やはり去年と同じく、第1中継所で1区2区を応援し、折り返し付近で3区を応援、そこから第4中継所に戻って4区5区の応援。これがうまくいけば、5人全員の写真が撮れる。
9時半ごろ、平野神社に到着。
2区の選手はあちらこちらでアップしていたが、仲井真選手は見つからない。
平野神社の中では、千葉県人会の方々がお餅をついておられた。たぶん、高校駅伝の応援に来られている方でしょう。
西大路通の西側に仲井真選手発見。
「なかいまさーん」と呼びかけ、北山高校駅伝部父母会が作られたエコバックを掲げると、「にこっ」と微笑み返し。しかし、そのときはちょっと写真を撮らせてもらえそうな雰囲気ではなかった。
しかしそのあと、撮れるチャンスがないかとカメラを構えて待っていると・・・。仲井真選手がそれに気付いて、立ち止まってくれているじゃないですか。
「OKです。」
私がそう言うまでじっと待ってくれていた。
なんてかわいい子なんでしょう。
そのあと、私はまた道路の東側に退避していた。
ところが、道の向かいを見ると、仲井真選手が誰かとしゃべっている。
「たしか、去年は一人ポツンといたような・・・。」
そこは本当はもう関係者以外は入れないところだったが、スーと入っていった。
「マネージャーさん?」
「いえ、補助で付いてきています。」(植田さんは短距離パート)
「写真撮らせてね。」
北行きの車道を完全にストップし、いよいよ中継が始まる。
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【第1区】長山夢芽選手(2年)
故障上がりでの1区挑戦となったが、去年のタイムより34秒遅れの22分12秒。
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【第2区】仲井真エンドリアみどり選手(3年)
去年より10秒縮め15分03秒。
一人抜いて46位に浮上。
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【第3区】宮城亜美選手(3年)
比叡山をバックに走る。
撮影場所としてはここが最高。
去年より18秒縮め11分24秒。
去年名前をまちがって応援してしまったので、今年は「みやぎさーん、しっかり。ほくざんこうこう、がんばれー!」と大声で。
あとで聞くと、「応援の声がちゃんと聞こえました。分かりましたよ」とのこと。
なんてかわいい子なんでしょう。
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【第4区】渡具知莉乃選手(1年)
去年は唯一の3年生・比嘉優乃選手が走った区間。
今年は1年生ががんばった。11分14秒で去年の比嘉選手より18秒遅れ。
ここまで戻ってくるのにかなり時間がかかってしまい、第4中継所に行こうとしたら通行止め。だんご状態の人ごみから脱け出したら、もう目の前に渡具知選手。そのため、こんなアップの写真になってしまいました。
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【第5区】嶋袋由惟選手(2年)
去年より9秒縮め18分58秒。
かなり離れたところから撮ったので、こんな写真しかありません。ごめんなさい。
ゴールは、1時間18分51秒で47位。
残念ながら、去年のタイムから15秒遅れ。
しかし、常に前が見える位置で走れていたことが大きい。
ぜひ来年も県大会を制し、今年のタイムを3、4分縮めるつもりでまた京都に来てほしい。もちろん男子といっしょにね。
夕方、京都駅近くの旅館まで写真を持っていった。写真を渡したときはあんまり反応がなかったのに、「チーズケーキも持ってきました」と言ったら「おー!」と歓声。
なんてかわいい子たちなんでしょう。
また、来年!
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【今日のきく】
たいてい毎日ヨメさんのふとんに入って寝ているきく。
いったいふとんのどこらへんに寝てるのかふしぎだったが、今日それが判明した。
「そーか、そんなとこから顔出して寝てたんかいなー。」
「ふぁっふぁっふぁっふぁっふぁー。」
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2014年12月20日(土)
二度と繰り返すまい [平和]
◎毎日新聞12月19日夕刊
大阪市天王寺動物園100年の歩み・(中)
ヒョウは爪立てて死んだ
戦局悪化 26頭殺処分
大阪市天王寺動物園は1937(昭和12)年、100年の歴史の中で最多となる323種2984点の動物を飼育し、全国から年間約140万人もの来園者が集まり、園内はにぎわっていた。だが、太平洋戦争が4年後に始まり、子どもらの笑顔も見られなくなる。戦火の広がりとともに、動物園も悲劇に見舞われた。
「お国のために」。南太平洋の拠点を米軍に次々に占領され、本土上陸が懸念され始めた43年9月、天王寺動物園でライオンなど猛獣の殺処分が始まった。爆撃で壊れたおりから逃げた猛獣が市民に危害を加える恐れがあったからだ。飼育員は動物たちの冥福を祈りながら、毒入りの肉を食べさせた。
天王寺動物園によると、管理する大阪市が猛獣の殺処分の方針を決め、最終判断は就任間もない故・寺内信三園長に一任された。悩み続けた寺内さんは数日間で5キロやせたという。陸軍大尉でもあった寺内さんは、戦況確認のために軍司令部に何度も通うことで殺処分まで時間稼ぎをしたと伝えられているが、最後は殺処分に踏み切った。翌44年3月までにホッキョクグマやトラ、ブチハイエナなど計10種26頭が殺された。
「大阪市天王寺動物園70年史」にその経緯が記されている。元園長の宮下実さん(64)は70年史作製のため殺処分に関わった寺内さんや当時の飼育員らを取材した。宮下さんによると、ライオンは毒入りの牛肉を食べた約5分後、ゆっくりと歩きながら前脚から崩れるように倒れた。肉は何度もかまれると毒入りだと気付かれるため、一口サイズにしてのみ込ませるように食べさせたという。
ヒョウだけは肉を吐き出してしまうので、毒殺できず、絞殺することになった。当時の飼育員は宮下さんに、「心を鬼にしてロープを首に掛けた。おりの外でロープを引っ張る同僚に合図を出すと、私はおりから飛び出た。むごすぎて見られなかった」と明かした。おりに戻ると、ヒョウは全ての爪を立てて息絶えていたという。
寺内さんは85年6月、大阪府松原市の自宅で宮下さんの取材を受けた際、殺処分について切り出されると、急に口を閉じた。同席していた妻が「主人にとってつらいことをこれ以上聞かないで」と言うほど落ち込んだ様子だったという。
終戦間際には、ゾウやキリンなど多くの動物が栄養失調で次々に死んだ。
動物園の一室に、殺処分された猛獣などの剥製が保存され、2006年以降、毎年夏にある企画展「戦時中の動物園展」で展示されている。企画担当の獣医師、芦田貴雄さん(38)は「飼育員の悲しみを無駄にせず、負の事実も後世に伝えないといけない」と話す。国内で少なくとも100頭以上の猛獣が殺処分されたとされる。70年史は猛獣たちについて「二度と戦争の悲劇を繰り返すまいと訴える影の証人だ」と結んでいる。【岡村崇】
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◎テレビ朝日「報道ステーション」(2014/12/19)
国が「武器輸出」企業を支援
低利融資などで軍需産業化か
安倍政権が解禁した武器輸出、総選挙の勝利を経てその動きが加速している。国が武器を輸出する防衛企業に資金投入の可能が出てきた。安全保障の専門家が集まりその仕組の検討に入っている。佐藤丙午教授は目的外使用が行われた時のリスクは非常に大きなものなどと話している。江渡聡徳防衛大臣は武器輸出の経済効果による期待を示しパトリック・クローニン氏は日本の武器輸出はアメリカの負担軽減につながると期待している。
国が武器輸出を支援することについて古賀茂明は公共事業と同じことが起きる可能性がある。戦争ができる国ではなく戦争がないと生きていけない国になってしまう。今、ぎりぎりの岐路にあたっていると話した。
「防衛大臣が頭から経済の為と言っているのに驚いた。日本は戦争がないと生きていけない国になる。今のアメリカがそうであるように」
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なにかことが起こったとき、ヨメさんや廉は自力でなんとかするだろう。一番心配なのは、人と話すことができないきくちゃんだ。
一時避難所には犬は連れて行けない。
そんな日が来ないように、「戦争反対、原発再稼動反対」それだけは言い続けよう。
しかし、私が心配しなくとも、案外きくはじょうずに生きていくのかもしれない。いっちゃん危ないのは、なにもかも中途半端なこの私かも・・・。
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2014年12月19日(金)
「名護ハーフ」に申し込み [ランニング]
今日は、来年2月1日の「名護ハーフマラソン」の申し込み締切日。
前回の「名護ハーフ」では、夫婦そろって名護の真樹のアパートに泊めてもらった。そして、大会実行委員会に許可をいただき「京都キャロット」の出店もさせていただいた。ヨメさんは店番で走れなかったが、私はハーフに、真樹は大学の友だちといっしょに10kmを走った。
次は私が店番をして、真樹とヨメさんがいっしょにハーフ走ったらいいわと思っていた。
ところが今年はヨメさんの鍼灸のお勉強がたいへんで、出店は無理。ヨメさんも、名護に走りにだけでも行くという余裕はないようだ。真樹といっしょに走れるいい機会なのに、残念。
そして、私は・・・。
締切日になって、やっと「名護ハーフ、行っていい?」と恐る恐るヨメさんに聞いているいつものパターン。まあ、なんとか・・・。
真樹は、今度はハーフを一人で走ると言っている。地元で父親といっしょに走るのを見られるのがはずかしいのかな。
ということで、私は今年は10kmにエントリー。公認コースなので、ここで10km40分切りをねらう。毎年「亀岡元旦ロードレース」の公認10kmで記録を狙っていたが、開催時期変更のためその代わりということにしてもらいましょう。
今の状態ではとてもそのレベルは望めないが、あと40日ほどあるので、しっかり練習して本番かんばろう。
来年も、稲嶺市長さんとお話できるかな。
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【RUN】
ここ3日まったく走っていなかった。
今日はちょっとでも走ろうと、夕方7時前、寒い中を出ていった。もうウインドブレーカーを着て走っても暑くなることはない。
今日は3km、17分58秒。こんなんで練習って言えるんでしょうか。
長代川沿いの土道をダウンジョグしていると、なにやら人がうずくまっているよう・・・。「いや、とうしようかしらん」とドキドキしながら近づくと、「なーんや、雪だるまかーい!」
暗くて分かりませんでしたわー。
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【今日のきく】
これが、例の雪だるま。
ワンちゃんに○ッコをかけられているのか、きくはずっとにおいでいた。
家の前では、また「待てからの・・・」。
「あー、きくちゃんかしこいなー」とほめようと思ったら、となりのガレージに入ろうとしとるがな。隙を見せたらあかんちゅうことですね。
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2014年12月18日(木)
自転車禁止 [雑感]
朝起きると、予報通りの雪。
京都市内の平地に積もるのは今年初。
昨日から、沖縄の北山高校女子駅伝部が入洛しているはず。去年も雪だったので、2、3年生は驚かないかな。1年生は、人生初の雪体験かも。
ヨメさんを国際会館駅まで送る途中、自転車に乗った高校生がスリップして歩道沿いの家の門扉に激突。
「あかんあかん、廉にメールしょ。自転車禁止や。こうじさん、廉送ったり。」
お昼前になっても雪はやまず。
車道はもうほとんど消えていたが、歩道には滑りごろの雪がべったり。
万一の事が起こったらいやなので、大学まで車でお送り。
12月からこんなに積もるのもめずらしいかな。
廉は「パンク王」と呼ばれるほど自転車運が悪い。
何かにつけて、用心するに越したことはない。
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【今日のきく】
久しぶりの雪。
いなかにいた時は、きくは雪が積もると大喜び。
でも、こちらでの暮らしが長くなるとそうでもないみたい。
「きくちゃん、オッサンやで!」と言われても、最初は分からんかったようだ。
しばらく間があってから、ダッシュ!
どんなにいそがしくても、どんなに寒くても、朝散歩に連れて行ってくれるオバシャンに感謝。
お昼を過ぎても雪はいっぱい。
ロープを外して走り回れるとこがあったらいいんやけど・・・。
「背黒セキレイは雪によく似合う・・・、いや背黒きくちゃんはやったなあ。」
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2014年12月17日(水)
花背交流の森・翠峰荘で誕生会 [家族]
兄・優三が段取りしてくれた父の誕生会。
うちのいなかから北へ6kmちょっと、花背八桝町の山村都市交流の森。その中の「翠峰荘」さんでの昼食会。
ここなら父の家から車で10分。昼食会なら3時間ほどなので、父も安心。
それに、ここには兄夫婦の次男の拓郎君が働いている。本当にいいところを見つけてくれました。
うちのヨメさんが仕事で欠席だったが、姉夫婦二組と兄夫婦、それに私をプラスして合計8人での誕生会になった。
私とみき江姉夫婦は京都バスで。
11時半ころ「花背交流の森前」で降りると、拓郎君が迎えに来てくれていた。入口から翠峰荘さんまでは数百メートルだが、氷点下の中を歩くのはつらい。
あとで聞くと、父や兄夫婦、多鶴子姉夫婦もこの車で送ってきてもらったとのこと。至れり尽くせりです。
立派な建物の中へ。
私がここに来るのは、2012年9月以来。「ランナーズ9の会」のSay Shoeさんとお昼ごはんを食べに来て以来。
みんな揃ったので、まずは記念写真(トップの写真)。
今日は牡丹鍋と寄せ鍋。
みき江姉夫婦からは、お花のプレゼント。
私は何もなかったので、5年前の米寿お祝いの時の写真を大きくして持って行った。
兄・優三のあいさつ。
私の母は、死ぬ間際に「なんでも兄ちゃん兄ちゃんゆうて聞かなあかんで」と言って遺した。それは、「こうじは末っ子で甘やかして育ててしもたけど、ゆうぞうはしっかり育てたさかい」という意味だと思う。もちろん、母の遺言はずっと守っている。
ずっと昔に一度だけ食べたことのある牡丹鍋。めったに食べられない物なので、こちらのテーブルに座った。
自分の子たちとその配偶者だけなので、父も気遣うこともなくリラックスできていた。
父をはじめみんな高齢なので、畳に座るより椅子が楽。
送迎車やバスで来ているので、ビールも気がねなくいただいた。
兄が中心になって、いろいろな話題で盛り上げてくれた。
私的には、「権力を持った女の人は西太后になる理論」がおもしろかった。「自分のお気に入りばかり周りにつけているようでは、後継者は育たん」と。
また、うちのヨメさんのこと、廉や真樹のことも話題にしてくれていた。「気配りの優三さん」の本領発揮だった。
翠峰荘さんから、12月のプレゼント。
恵藤兄さんは、一番大きなものをゲット。中身はバッグだった。
私はかわいいお人形さん。父にはピッタリの手鏡だった。
隆雄兄さんは、得意のマジックを披露。千円札が一万円札に!
ここら界隈では、「マジックの隆雄さん」と有名になっているらしい。
「来年には、おじいさんとおばあさんの歴史をまとめて本にでもしょうかと思てんねん」と、兄・優三の締めのあいさつ。
「こうじは文章書くのがうまいし、じょうずにまとめてもらえたらなあと思ったり・・・。」
兄は、出来の悪い弟をほめるのもうまい。
私らが帰るバスの時間になったので、2時半ころお開きに。
父のいつもの立派なあいさつを楽しみにしていたのだが、その時間がなくなってしまった。でも、今日で終わりではないし・・・。
拓郎君の運転で、全員父の家へ。
父の家から、私とみき江姉夫婦は京都バス。
兄のおかげで、いい父の誕生会ができた。父もすごく喜んでいた。
次は、12月30日の「おもちつき」やね。それにはヨメさんと廉も来れると思うので、またよろしくお願いします。(沖縄にいる真樹が来れへんのが残念やけど・・・。)
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【今日のきく】
いなかからバスで帰ってくると、きくちゃんがてぐすね引いて待っていた。
「おちゃんぽ、行ってもらえますやんねえ。」
このごろはやりの、「待て〜こっちこい」。
「オッサンばっかりではあきる。にいちゃんかオバサン、はよ帰って来んかなあ。」
「がうがうがう・・・。」
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2014年12月16日(火)
国頭トレイルラン・ゴール後(12/13) [沖縄]
12kmを2時間かかると思っていたが、1時間32分でゴール。
上りも下りも、ほとんど歩くことなく走り続けることができた。
使ったシューズは、トレイル用ではなくターサージールTS。私はトレイルレースに何回も出るわけではないので、これで十分だった。
「なんぼブツブツがあったかて、すべるときはすべるわーい。」
それよりも、このコースのように大粒の砂利がまいてあるようなところは、やや厚めのソールのシューズがいい。薄いソールだと、石の角が足裏にガンガン来る。
前にも思ったことだが、ふだん使い慣れたシューズでレースに出るのが一番。トレイル用のシューズでレースに出るのなら、それまでに十分はき慣らしておくことが必要だ。そうでないと、とっさの行動がとれない。
準備段階で細かいところまで気にしていなかったが、この距離で天気がよければ、トレイルでもガンガン攻めていけると思った。私にとっては、久しぶりの「思いのほかうまくいったレース」と言える。
(注)まだまだ、続きます。
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