2014年05月15日(木)
あんも・葵祭・本土復帰 [ランニング]
「5月15日は、あんもの命日やな。もう3年や」と私。
「ほかのネコさんらの死んだ日は何にも覚えてへんくせに・・・」とヨメさん。
「5月15日は葵祭やし、忘れへんねん。(沖縄の本土復帰の日でもあるし。)」
あんもが死んでしまったとき、私の人生で最高と言っていいくらいに泣いてしまった。たぶん、この先にこんなに泣くこともないだろう。「あんもの死」は、確実に「私のターニングポイント」だった。
沖縄の本土復帰42年、42年前は私がまだ16歳(高2)の時。
娘の大学進学によって、この歳で沖縄に関われていることがうれしい。これからも何やかや理由をつけて、沖縄に関わっていこう。
去年の5月15日のブログ「あんもをしのぶラン」を見ると、今年とほとんどいっしょ。見比べたら笑ってしまう。
まあ、あんもの生まれ故郷・雲ヶ畑には行っておかなくては。
今日も午後からバイトなので、朝10時に自宅スタート。今日は、昨日おとといは一変涼しくなった。
去年も撮りました「シャガ」の花。
あんもを弔ってくれているような・・・。
雲ヶ畑に入ると、突然の雨。
「天国のあんもが泣いている」と一瞬思ったが、あんもは地獄行きでした。地獄で、パオパオが来るのを首を長くして待っているはず。忘れてた。
雲ヶ畑に来るといつも励まされる横断幕。
たしか、私の兄の高校時代の同級生のおうちです。
着きましたー、雲ヶ畑小中学校。
1989年の夏休み、ヨメさんが学校の近くで中くらいの黒猫を保護。そのまま、私がいた職員室に持ってきた。
「ネコ7ひきもおんのに・・・」とか言っていたが、黒猫は黒猫でまたかわいかった。それから22年近く、先住ネコにいじめられたのによう長生きしてくれたなあ。生きてたら、もうすぐ25歳やったんやなあ。
学校前で約9.2km、52分56秒。
ここで小雨に。
私も校門前で1枚。
あんもをしのんで黒Tシャツで走ったらよかったかも知れないけど、山道はカーブが多く、木が生い茂って薄暗いいところも多かったので車が来ると危ない。今度、黒猫Tシャツを見つけて買おうっと。
帰りは下りだが、できるだけ上りと同じくらいのスピードを意識して。
中島みゆきの「まつりばやし」を口ずさみながら・・・。
肩にまつわる夏の終りの風の中
まつりばやしが今年も近づいてくる
そうか、「まつり」と言えば秋祭か。でも、あんもちゃんを思い出す時はこの歌もセットなんですよねー。
東北部クリーンセンター手前の寒暖計は18℃。
走りやすいはず。
自宅到着、なぜか約9.6km、52分59秒。
同じ道を走ったのに、行き帰りで0.4kmもちがうとは・・・。
おかしいことはおかしいのだが気にせず、今日は18.8km、1時間46分の「あんもをしのぶラン2014」ということにしておこう。
「あんもー、もうすぐ行くから楽しみにして待っといてやー、地獄で。」
------------------------------------------------------------------------------
◎京都新聞より
緑ぬれ古都華やぐ 葵祭、平安王朝の雅を再現
京都三大祭りのトップを飾る葵祭が15日、京都市内で繰り広げられた。平安王朝の雅(みやび)を再現する行列が、フタバアオイを揺らしながら新緑まばゆい都大路を、しずしずと進んだ。
曇り空、気温19・4度(京都地方気象台調べ)。総勢約500人、牛馬計40頭の行列は午前10時半、「路頭の儀」として、京都御所(上京区)の建礼門前を出発した。前方の「本列」では神への供え物を収めた「御幣櫃(ごへいびつ)」が運ばれた。いっとき小雨もぱらついたが、牛車が車輪を「ギシギシ」ときしませ、行列で最高位の近衛使(このえづかい)代は威儀を正して進んだ。
あでやかな「斎王代列」(女人列)が後に続いた。玉砂利を鳴らす命婦(みょうぶ)に先導され、十二単(ひとえ)姿の斎王代、神戸大2年の太田梨紗子さん(20)が乗る腰輿(およよ)が近づくと、見物客は席を立ってカメラのレンズを向けた。沿道では約2万3600人(午前11時現在、京都府警調べ)が見守った。
行列は下鴨神社(左京区)で「社頭の儀」に臨み、午後に上賀茂神社(北区)に向かう。
葵祭は両神社の例祭。正式には「賀茂祭」といい、起源は6世紀までさかのぼる。
【 2014年05月15日 14時00分 】
-------------------------------------------------------------------------------
◎毎日新聞5月15日朝刊
亡き母へ 沖縄へ 9条へ
心託す 琉歌30音
米寿(とうかち)ゆ迎(む)けて 振り返(けぇ)てみりば 平和世(ゆ)ぬ宝 幾世(ゆ)までぃん。
沖縄は15日、本土復帰から42年を迎える。戦中から兵庫県尼崎市に住む沖縄出身の宮城(みやぎ)正雄さん(87)は半世紀余り、沖縄に伝わる短歌「琉歌(りゅうか)」に故郷への思いを託してきた。沖縄戦で母を亡くしたが、米軍軍政下の古里に帰れず遺骨と対面したのは戦後13年目だった。 「幾代を経ても平和な島であれ」−−。そう願い続けている。【高尾具成】
尼崎の87歳「忘れないことが孝行」
「普段は関西弁やけど、琉歌の30音を刻む時はウチナーグチ(沖縄方言)」。琉歌は琉球古典民謡の基本とされ「8・8・8・6」の音数律を定型とする。沖縄県人会兵庫県本部(尼崎市)で続く月1回の琉歌の合評会で、宮城さんは最高齢の参加者だ。1950年代からわき上がった復帰運動に共鳴し、会社勤めの傍ら関西を拠点に琉球芸能の舞台監督や演出を手がけ、復帰の実現を訴えた。琉歌を詠み始めたのはこの頃だ。
27年、沖縄の旧美里村北部(現うるま市)に生まれた。太平洋戦争中に16歳で徴用され、大津市の軍需工場で特殊潜航艇を製造。44年に移った尼崎で敗戦を迎えた。2年後に母カメさん(当時38歳)の死を知った。
45年4月。米軍の沖縄上陸後、カメさんは山中に隠れ、深夜や早朝に水やサツマイモを運んだ。6月1日早朝、沖縄本島中部の恩納村喜瀬武原(きせんばる)で近所の主婦と芋掘りに行く途中に米兵に撃たれ、即死した。主婦は足を撃たれたが生き延び、カメさんの遺体を溝に隠して芋の葉をかけた−−。
宮城さんは軍政下の沖縄に渡るために必要なパスポートを何度も申請したが、発給されなかった。理由は不明だが、宮城さんは「復帰運動に関わったからかもしれない」と振り返る。結婚後の58年、やっと古里の土を踏んだ。
当時の沖縄では遺族に配慮し、骨を勝手に埋めたり動かしたりしなかったという。母の最期を知る主婦の案内で現場を訪ねた。芋畑はサトウキビ畑に変わり、散らばった遺骨と一緒に髪ひもが残っていた。「親孝行をしたかった。ウチナーグチを、沖縄を忘れないことが今の私にできる孝行なんです」。母がこうして亡くなったことをずっと語り残していこう、と思い詠んだ。
戦場(いくさば)に散(ち)たる 母親(うやがなし)哀(あわ)り 子孫代までぃん 沙汰ゆ残(ぬく)さ
宮城さんの父・伊波政貞さんは26年ごろにブラジルに単身で渡り、農園などで働いた。家族を呼び寄せようとして果たせぬまま、復帰前年の71年に死去。連絡が途切れがちで消息がつかめず、帰国した移民から父の遺骨を受け取ったのは88年だ。母の墓に納めた。
安倍政権は集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更に向け、15日にその方向性を発表しようとしている。
宮城さんは今月、本土復帰の日に向けて詠んだ琉歌を合評会で披露した。「憲法9条をノーベル平和賞に」との市民運動が認められたと報じられ、胸が躍った。「9条は平和の象徴。なんとか、踏みとどまれないものか。もう何年も生きられんからこそ、こう詠むんです」
ノーベル(賞)候補に 憲法九条 夢叶(いみかな)てたぼり 命(ぬち)どぅ宝
-------------------------------------------------------------------------------
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.kyoto-carrot.com/tb.php?ID=2479
コメント
卵かけご飯さん、ぜひ大学でもやり投げを続けてください。
私ら「草やり投げ(?)選手」は練習場所がなくて困っています。近所の田んぼで、のぼりのポールを投げて練習しているような状態です。大学なら練習スペースもやりもあるだろうし、バンバン投げてください。
競技会に出たいのはやまやまなんですが、なかなか日程が合わなくて出られません。たぶん、10月の「甲賀市民体育大会」くらいまで出る機会はないと思います。とりあえずの目標は25m超えです。レベルの低い話ですが・・・。
もしかして日曜日の甲賀市の大会などに出場されたりしますか?もしされるならお会いできたら良いですね^ ^
もう3年で引退まで残された時間があまりないので残念です(´・ω・`)
もしかしたら大学でも続けるかも知れないので、その時はまたゆっくりお会いできたら嬉しいです。
ベストは50m弱くらいですが僕も競技歴2年くらいなのでこちらが教えてもらいたいくらいです笑
卵かけご飯さん、コメントありがとうございます。
めっちゃうれしいです、やり投げ競技者の方からコメントがいただけるなんて!「高校でやり投げを」って、高校生さんですか。機会があれば、ぜひやり投げを教えてください。
私は自己流の練習で、やっと24mまで投げられるようになりました。目標は、60歳で30m超えです。
やり投げはおもしろい。まだ始めて2年ですが、できればずっとずっと続けて行きたいです。
滋賀県で陸上をされてるということで気になったのでコメントさせてもらいます。
僕は県内の高校でやり投げをしています。
いつまでたっても元気に陸上を続けていらっしゃる姿に感動しました!応援しています!