2012年08月28日(火)
目標を考えながらラン [ランニング]
今日は少し時間があったので、いつもの5kmコースの折り返し点を1km伸ばして7km。スピードを落として考え事をしながらのランニング。
私の近々の目標は、来年2月の「関西学連ハーフ」で1時間25分台を出すこと。そのために、まずフルやウルトラ用に定着してしまった「すり足走法」を改善すること。今は、800mや1500mの中距離の練習をしっかりやっている。これで、ダイナミックなフォームが身につけばいいのだが。
とりあえずは、トラック公認5000mで20分切り。10月7日に「滋賀マスターズ選手権」があるので、狙うならここかな。
その次は、10km。昨シーズン、3km、5km、ハーフ、フルとここ10年ほどのベストを更新したが、10kmだけはダメだった。今から思うと、すり足走法の限界が10kmに顕著に現れたのかもしれない。
まず、10kmで40分台。次は40分を切りたい。公認10000mはなかなないので、公認10kmロードを探す。12月9日にありました。以前「京都キャロット」が出店させていただいていた「西脇子午線マラソン」。ここの公認10kmでねらいたいなあ。
そのあとも10kmレースが中心かな。ハーフを何度も走るのはしんどいし。10kmで39分台を出して、その勢いで「関西学連ハーフ」に突入・・・、という作戦にしようかな。
考え事をしながら走っていると、3.5kmなどすぐ。
うちから北稜高校前を通り、コーナンから地下鉄・国際会館駅。宝ヶ池通りを真っ直ぐ東へどんつきまで。そこから北上して、叡電の踏み切り前で3.5km。20分25秒。ぎりぎりキロ6分を切るペース。
帰りも同じようなペースで20分14秒。7km、40分39秒。
1kmダウンジョグをして、今日は8km。
このごろスピード練習をしてへんのであかん。また、トラックを走らなければ。
神鍋の帰りに買ったこだまスイカ(500円)。
皮のすれすれまで食べられてお得。味もお上品でよかった。
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2012年08月27日(月)
新婚レース [昔話]
今日は早朝バイトのない日なのだが、ジジィ仲間の Iさんがお休みのため代役。このあと9月も休まれるということなので、私は月火木金と週4日行くことになってしまった。出張販売の翌日の早朝バイトは、やっぱりちょっとつらい。
午後は、いなかに帰って倉庫の整理。今年4月からいなかに住んでいる多鶴子姉(2番目の姉)が、「はよう倉庫の整理しー」とせかす。でも、こんな口うるさい人もいないとなかなか整理はできない。感謝しないと。
残暑が厳しすぎる。いなかに帰れば涼しいと思っていたのに、倉庫で動き回っていると汗ダラダラ。けっきょく4時間近く物を運んだりしていた。そのおおかたは本。本の重いこと重いこと。明日の古紙回収で、大事にしていた本たちともおさらばです。
本以外のものも少しあった。
懐かしい写真も出てきた。
上の写真は、1986年3月の「京都ロードレース」。私たちが結婚した翌年のこと。当時はまだ「5km宣言タイムレース」というのがあった。眞寿美さんは、人生初レースだった。
私は18分00秒の宣言で19分11秒。1分11秒差で34位。
ゴールしてすぐ眞寿美さんを探して伴走。
眞寿美さんは35分00秒の宣言で37分12秒。2分12秒差で42位。
私はそのころ人生で一番速かったころなので、5km18分くらい軽々だと思っていた。ええかっこ見せようとして力みすぎてしまったのでしょうか。
眞寿美さんは初の5kmをしっかり走った。それまで、京都ランナーズの例会4.1kmは何回か走っていたはず。35分はそこからはじき出したタイムだと思うのだが、やっぱり練習会とレースとでは勝手がちがったんでしょうね。
眞寿美さんは、この後5km23分台まで縮めていく。立派なもんです。私はこの後ひたすら下り坂を・・・。
26年前、私30歳・眞寿美さん24歳のときの写真でした。
写真といっしょに出てきた一通の手紙。
それは、当時私と同じ学校に勤務されていた先輩の女性の先生から(眞寿美さんは私と同じ小学校に勤務したのは1年だけで、その後別の小学校に勤務していた)。私たち二人それぞれに、ていねいなお手紙を下さった。
もう27年も前の手紙なので公開してもいいですよね(私宛の分のみ)。
◇ ◇ ◇
藤井先生、ご結婚おめでとうございます。
どこまでじょうだんで、どこまでが本気なのかわからず まだ、「うそ!」という気持ちがとれませんが、それでも事実なんですね。
やっぱりほんとうなんですね。12日に聞いて以来、何かこれまでの藤井先生とは全く別人のようにみえてしかたありません。
臼井先生と結婚されるのは別の藤井先生だって、でもこの学校にはお一人しかいないし、やはりあの方だなあって自分にいってみるのですが・・・、まだ夢のようです。
男心は私にはわからないので、どんな気持ちでおられるのかわからないのですが、女心として、どうか臼井先生を幸せにしてあげてください。おっちょこちょいで、すぐなみだが出てものすごくかわいいやさしい人です。(なんて、数年前にに出会った時の思い出しかないのですが)
人はいろいろあって、いいところもよくないところもあるのですが、うまくいっているとスムーズにいきますが、悪くなると人の欠点ばかりがめに入り、よけいその人を悪くしたりしてどうしようもなくなるんですね。でも、きっとお二人のことだからしんどいことはのりこえてのご結婚だと思います。二人のすばらしい若さでこれからものりこえていって下さい。
ただ、私としてはもうじょうだんで相手にできませんね。とてもさみしいですねえ。また一人へり、また一人とお一人の男性先生がへっていくのはさみしいかぎりです。
職場ではあいかわらずおもしろい藤井先生でいてくださいね。
あっそうそう、遊びに寄せてもらっていいですか。ずっと先ですが、なつかしい臼井先生のお顔をみたいです。夏休み一度会い、ひさしぶりでびっくりしましたが、これで二度びっくりです。今度はおちついてお話ししたいです。
藤井先生にお願い
あまりこれからは一人で遊ばないでください。足が悪くなるくらい走りすぎないでください。臼井先生をぜったい幸せにしてあげてください。
◇ ◇ ◇
○○先生とはずいぶん長くお会いしていません。当時、小さなお子さんの子育てをしながらも笑顔を絶やさない素敵な先生でした。同じ職場の先輩の先生として、二人の結婚をハラハラして見てくださっていたんでしょうね。心配かけて、本当に申し訳ありませんでした。私の先輩の先生でしたから、もう定年退職されたのでしょうか。
こちらは教師は辞めてしまいましたが、夫婦としてはまあ何とか27年はもっています(365日×27年=9855日。おう、もうすぐ10000日突破!)。
○○先生がこのブログを見てくださったらうれしいんですけど・・・。
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2012年08月26日(日)
第33回神鍋高原マラソン [ランニング・出張販売]
今年も5kmで親子対決の予定だった。しかし、廉が大学陸上部の合宿で長野へ行ってしまった。今年こそ、廉から5分以内の目標を達成しようと思っていたのに・・・。
去年は、廉16分26秒、私22分18秒で5分52秒の差。
今年もし廉が走っていたら16分として、私の目標は21分切り。去年より1分20秒ほど縮めなければならないが、目標は常に高く。
結果は・・・。
スタートしてもなぜかスピードに乗れないという感覚がずっと続いていた。「5kmなんかあっという間に終わってしまうのに、これではなあ・・・」と思いながら走り続け、ゴールして腕時計を見ると「20分36秒」。
どうなっとるんじゃー。去年より1分42秒も短縮。走りながら「遅い遅い」と思っていた感覚は、自分の内なるレベルがアップしているということなんでしょうか。よう分からん。
例年、神鍋では前日受付のときによく売れる。ところが、今年は午後5時過ぎに客足がパタッととまってしまった。前日受付4時間中2時間ヒマだった。結果、売り上げはほぼ半減。どうも、泊まりで参加の方ガ激減したようだ。
私の知り合いもほとんどが日帰り。
8時過ぎにアップに行くと、兵庫「ゆめさき舎」のまっちゃんに会った。もちろんまっちゃんも日帰り派。それどころか、ハーフスタート前30分を切っているというのにまだ着替えもしていない。
「京都キャロット」の商売という観点からみると、みなさんもっと余裕を持って参加してほしいと思うのですが・・・。
8時半似ハーフがスタート。その15分後、私の5kmがスタート。
1km 4分17秒
2km 8分31秒(4分14秒)
3km 12分54秒(4分21秒)
4km 16分44秒(3分50秒)
5km 20分36秒(3分51秒)
スタートしてすぐ、目の前に青のランシャツランパンの女性軍団。何とか一人追い抜いてチーム名を確認すると「八鹿高」。「何とかこのグループの後ろについていこう」とがんばったら、最初の上り坂1kmで去年より20秒ほど短縮。
最初の折り返し点(約1.8km)手前で、「藤井さん!」と呼ぶ声あり。歩道にいたのは、久保井洋次さん(「みかた残酷」実行委員長)。先週ウルトラを走られたばかりなので、今日は応援のみのようだった。折り返してきたときカメらを構えておられたので、私の写真撮ってくれはったんかなあ。
去年は1kmから3kmまでが、9分32秒もかかってしまった。しかし、今年は「八鹿高」の後ろのほうの子と競ったので8分36秒。この2kmで1分も短縮!
残り2kmはほとんど下り。ここをうまくまとめて、ゴールは20分36秒。去年より1分42秒も短縮。
ただ、体感的には遅くて遅くて。速く走れたとという実感が全くないままのゴールだった。これは、まだのびしろがあるということだろうか。
来年は、「めざせ、20分切り!」ですね。
前日受付のとき店がヒマだったので、当日は大混雑になるのかなあと思っていたがそうでもなかった。何が原因かよく分からないが、今年はさっぱりだった。
ヒマなので、私らの10分後にスタートした10kmのランナーの応援に。
私の若き日のライバル、北出さん。
この20年ほどははるかかなたというくらい先行されていたが、やっと背中が見えるところまで来れた。また、直接対決で追いかけさせてください。
「京都キャロット」のお得意様の吉田さん。
マラソンランナーの中ではかなり大柄な方なので見つけやすい。今日も気持ちよく走りきられたようだ。
兵庫の三宅さん。
三宅さんには、常に大きなジェスチャーでこちらの存在をアピール。気がついてもらえてよかった。
「ランナーズ9の会」のロッキーこと尾崎さん。
ゆっくりお話したかったのですが、この一瞬だけ。
岡山の海部さん。
70歳以上の部があれば、絶対入賞なんですけどね。これだけ70歳以上のランナーが増えているのだから、大規模大会では70歳以の部も作ってほしい。
マイペースのカッパちゃん。
「写真撮らせてもらいまーす」と声をかけたらこのポーズでした。
さて、朝日さんは・・・。
いつもどおり、ムダのないきれいなフォームで坂を下りてこられた。
背筋がしゃんと伸びた朝日さん。
もうすぐ(10月)76歳です。
今日は3kmほどアップして、レースが5km。ダウンはしていないが、写真撮りランが全部で3kmほどとして、合計11kmにしておこう。
廉といっしょに走れると思っていたのがキャンセル。
「京都キャロット」の売り上げは激減。
私の5kmもいいタイムが出たとは言え、去年より下の第16位。
朝日さんにお会いできたこと以外は、あまりいいことのなかった「神鍋」でした。
あっ、そうそう。
「道の駅・神鍋高原」の前で買ったかき氷はおいしかった。
宇治金時(300円)にアイス(50円)とミルク(50円)をトッピング。生クリーム(100円)ものせてと言ったら、お店のお姉さんに「へんな味になるかも」と止められた。アドバイスどおりで正解。来年も食べたいなあ。
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2012年08月25日(土)
第33回神鍋高原マラソン・前日受付 [ランニング・出張販売]
大会会場の但馬ドームに着いたのはお昼12時半。家から4時間ちょっとかかった。
前日受付は午後3時から7時まで。まずまず余裕を持って準備することができた。
3時半ころ、一段落着いたので自分のレースの受付へ。
そのとき、「あっ、ふじいさーん」と声をかけてくださる方あり。
「朝日さん・・・。」
私の敬愛するランナー、朝日啓介さん。朝日さんは大会では必ず声をかけてくださる。ところが、去年の12月の「万博クロスカントリー」以来お顔を見ることがなかった。
こちらに来る車の中でも、ヨメさんと話していたところ。
「神鍋で朝日さんに会えたらいいんやけど。去年『ランナーズ賞』に応募しときますゆうたのに、締め切り過ぎとったからなあ。今年は2年がかりでやっと応募できたし。それも報告しとかんなん。
奥さんの具合があんまりよくないって言ってはったし、心配やなあ。」
8ヶ月ぶりにお会いできた朝日さんとは、まずは固い握手。しかしそのあとの朝日さんからのお話は、悲しいお知らせだった。
「実は、7月に家内が亡くなりました。」
私は、思わずもう一度朝日さんの手を強く握らせてもらった。そのあとのお話は、ここでくわしく書くことではないのでふせておきます。
最後に朝日さんはこう言われた。
「この大会もやめておこうと思ってたんやけど、淀川ランナーズの仲間がものすごくさそってくれてね。来てよかったです。このあとも、いっぱい大会には申し込んであるんですよ。この先、ずっとやりたいことはあります。」
心臓のペースメーカー埋め込み手術を3回もされて、ずっとマラソンやアクアスロンに参加されている朝日さん。私とは20歳ほどの年の差があるが、いつも穏やかにお上品に話しかけてきてくださる。そしていくつになってもきれいなランニングフォーム。私は朝日さんのランニングフォームから、遠くからでも見つけることができる。
そんな朝日さんに、ぜひランナーズ賞を!
神鍋前日受付では、一番会いたかった人に会えてよかった。
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2012年08月24日(金)
ぬちがふう [時事]
◎京都新聞8月18日朝刊・天眼より
「ぬちがふう(命果報)」 瀬戸内寂聴
ぬちがふう。チンプンカンプンのこの単語は、沖縄のことばで「命あらばこそ」「死なないでよかったね」という意味だとか。
そういう題のついた映画のDVDがある日、突然、朴寿南(パクスナム)さんから送られてきた。寿南さんと私は50余年来の友人だが、会ったのは数回に満たない。彼女は日本で生まれ育った韓国人で、その出生の運命だけで、一方的におそいかかる理不尽で苦難の人生を歩まなければならなかった。彼女の名が世に知られたのは、高校生と23歳の女性が殺された小松川事件(1958年)で被告の韓国人李珍宇(イジス)とたびたび面会して往復書簡を交わし、それが出版されてベストセラーになってからだった。その「罪と死と愛と」という本を読んだ私が手紙を出したことから私たちの交際は始まった。李珍宇は後、絞首刑になった。当時の寿南さんは雨にぬれた白芙蓉のように嫋嫋とした美女だった。
「子供の頃、ひどいいじめに苦しんで、もし魔女がいて日本人にしてくれるなら、声でも足でも何でもあげると思った」と告げられた時、思わず手をとって泣いてしまった。
私が出家して寂庵を結んでから、突然元従軍慰安婦だったという韓国の女性を3人つれて訪ねてきた。すでに中年の寿南さんは別人のように太っていて頬もふくよかになっていた。元慰安婦たちは、こもごもに、日本軍に拉致され、慰安婦にされてしまった経緯をよどみなく語ってくれた。私は恥じ入りうなだれてあやまるしかなかった。
76歳になっても美しく色っぽい寿南さんは、今や記録映画の監督になっていた。その映画は、大平洋戦争の沖縄戦で、島民と、強制動員された朝鮮人軍属が、日本軍の盾にされ、むごい犠牲を強いられた理不尽極まりない差別の実態を明らかにしていく。執念の証言者探しをし、70人にも及ぶ人の真実の声を寿南さん自身が聴き手になって、120時間にも及ぶ収録テープを回している。証言者たちは、寿南さんに向き合うと、魔法にかかったように素直になり、絶対死ぬまで秘し通そうとしてきたつらい経験や見聞のすべてを語りつづけてしまうのだった。聴き手の無限のやさしさと真摯さが語り手の心の扉を自然に開かせるのだろう。語り終わった人の顔は一様にほっとした明るさと和やかさに表情がやわらぐのは、観る者に言いようのない感動を呼びおこす。
無理を重ねた寿南さんが、足元も弱く、目はほとんど見えなくなったという。娘の麻衣さんという杖がなければ、何の行動も不可能になっている。それでも華やかさの残る美しい顔を紅潮させ、これからも歴史の闇に光をあて嘘をあばいてゆくという。真実はこうして誰かの情熱と努力によって、必ずいつの日にか取り出され、この世に伝えられていくのだろう。ぬちがふう。命あればこそ、この映画にめぐりあえたということである。
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◎毎日新聞8月22日朝刊
「慰安婦強制、証拠ない」
橋下市長が持論を展開
大阪市の橋下徹市長は21日、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島上陸について「従軍慰安婦という日韓の課題が根っこにある」と指摘した上で、「慰安婦が軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられた証拠はない」と述べ、強制連行はなかったとの認識を示した。市役所で記者団に述べた。
橋下市長は「韓国の言い分を全部否定しているわけではない」と前置きし、「証拠があったというのであれば韓国の皆さんに出してもらいたい」と述べた。
また、尖閣諸島の問題にも絡め、「領土問題はしっかり国民の認識に落とし込む教育をしないといけない。一時的に火が付いたことで物事を進めたら危険な状態になる」と述べ、近現代史教育を充実させる必要があるとの持論を展開した。【茶谷亮】
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戦争体験を語れる人が少なくなっている。終戦時に20歳だった人が今87歳。そのとき10歳の人でも77歳だ。中国戦線に4年送られていた私の父は、今年12月で91歳になる。
「戦争体験を語れる人が、みんな亡くなるのを待っている人がある」と聞いたことがある。「証拠を出せ」と言う人は、そんな人たちの仲間だろうか。
映画「ぬちがふう」、ぜひ見たい。橋下さん、いっしょに見に行きませんか。
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2012年08月23日(木)
おめでたい我が家の八月 [家族]
今日8月23日は真樹の誕生日。18歳になりました。
生まれるまでずっと男の子だと思い込んでいた。生まれたとき「本当に女の子ですか」と電話で聞き返すと、看護師さんが「もう一度確認してきます」と言ってしばらく間があった。
そんな子が、いまや立派な娘さん。いろいろな面で積極性も出てきたように思う。とにかく、大学受験をがんばって。今の私にできることは、「真樹のじゃまをしない」こと。よう分かってます。
この前の8月10日は廉の誕生日。21歳になりました。
生まれた日はとても暑い日だった。その年、私は教職を辞しトラックで乳製品の配送の仕事をしていた。「子どもが生まれたので休ませてください」と電話すると、すごく困っておられた。「おめでとう」と言ってもらえると思っていたのに・・・。
廉はこれから何をめざすのだろう。もう廉のレベルになると、私はじゃまのしようもない。これからは、自分も楽しみ周りの人も楽しくさせるような人になってほしいな。
8月20日は私たちの結婚記念日。27周年になります。
27周年で上の子が21歳。「6年も子どもができなかった・・・」わけではありません。当時の未熟な二人で相談した結果です。
「こうして4人そろってお祝いをすることも、廉が結婚とかしてでけへんようになるんやろうなあ」とヨメさんはしみじみ。
「(それより、パオパオがこの家族から追い出されるのが先やろうが)」と私もしみじみ。口に出しては言えんけど・・・。
松ヶ崎の「サンマルク」。
私とヨメさんは「結婚記念日のコース」。
真樹と廉は「誕生日のコース」。
テーブルのローソクがいつの間にかウサギの形になっていた。
パンを持ってきてくださるおねえさんが、AKB48のあっちゃんに似ていた。
誕生日を迎えた本人にはスペシャルサービスあり。
ヨメさんは、ワイン2杯で「ヨッパライ、ヨッパライ。」
お店の方にお願いして、家族の記念写真。
それぞれ写り具合にご不満もあるでしょうが、みんな笑ってるのでいいということで・・・。
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【RUN】
夕食前に、腹減らしのランニング。とは言っても、毎度おなじみの5kmコース。行き13分14秒、帰りはリズミカルに走れて12分32秒で25分27秒。
「毎日毎日同じ道を走ってあきひんか?」と思われるでしょうね。
それが、あきひんのです。そんなこと思う間もなく5kmが過ぎてしまうので。
私のふだんの練習は、ほとんどこの5kmコース。知り合いのランナーさんのブログを見せてもらうと、故障もしてなくてこんなに練習の少ない方はいない。でも、私はもともと「練習せずにレースばっかり」というランナーだったので、これでも進歩したんです。長い距離を走ると必ずどっかおかしくなるし・・・。「マラソンは体に悪い」と言ってもいいかも、です。
800mと1500mの練習をかなりやったおかげで、5000m20分切り(公認記録で)が見えてきた。それが達成できたら、10000mか10km公認コースでまずは41分切り、最終的には40分切りをめざす。まあ、故障しないようにボチボチ・・・。
※少し放置してあった8月18日の「ひろしまクロスカントリー」と19日の「三瓶高原クロスカントリー」の記事を書き上げました。よろしければ、戻って見てください。
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