2012年08月09日(木)
第35回9の日平和ラン [ランニング]
今日は、「長崎原爆の日」。
今日こそ、反核平和をアピールするのぼりを持って走らなければ。
昨日、元国労闘争団の中野勇人さんにメールを送った。2年連続で参加させてもらっていた「徳島反核平和の火リレー」に参加できないことをお詫びしておいた。明日から、真樹の受験予定の大学のオープンキャンパスについて行かなくてはならないからだ。
今年は、「大阪反核平和の火リレー」参加、「神奈川反核平和マラソン」と「徳島反核平和の火リレー」不参加。しかし、「兵庫反核平和マラソン」に初参加できたので、「夏の反核平和アピールラン」はトントンというところでしょうか。
10時過ぎ、家をスタート。
ヨメさんに頼んで、写真を撮ってもらった(上の2枚)。
このあとの写真は、適当なところにカメラを置いてのセルフ写真。ようやりまっしゃろ。
めざすは地下鉄北大路駅。
たしか、家から北大路駅往復が10kmだった。うまいこと9.99kmにならへんかしらん。
産大前で1km。
残念ながら前期テストが終わってしまい、学生はまばら。
御薗橋で3km。17分20秒。
いつもは賀茂川河川敷を走るのだが、人影なし。上の道を走ったほうが、車の人やバスのお客さんが見てくれていい。
北山大橋で4km。
飛び石があったので、それを使って東岸から西岸へ。
北大路ビブレ前到着。
なんと、ぴったり5km。30分48秒。
今日は8月9日「長崎原爆の日」なので、駅前でなんかのアピールでもあるかと期待していた。しかし、なーんもなし。まあ、暑くて人の姿もまばらだし。
ここで1分だけ休けい。
家に向かって再スタート。
また、飛び石を使って対岸へ。
渡る時、日傘をさした女性から声をかけられた。よく聞き取れなかったのだが、とりあえず「がんばって走ってます」とこたえておいた。
西賀茂の「舟形」を見ながら北上。
まあええ天気ですわー。気温は34℃くらいでしょうか。
町内会の回覧板を持った女性が、「わー、がんばってられますねー。」
「ありがとうございます。」
柊野別れバス停前で、家まであと2km。
産大前でちょうど9km。
家まであと1kmなので、9.99kmが狙える。
家に近づくにつれて、ゆっくり走って時計をちら見。
そろりそろり走って、なんとうちの玄関前で9.99km。
やりました!
ウイニングラン! (なんの?)
まあ、ちょっとは「憲法九条」のアピールになったかな。
シャワーを浴びる前に体重測定。
「59.6kg」
いつもこれくらいやといいんですけど・・・。
よう汗かきました。
私のことを左翼と勘違いしているネット右翼の方に言いたい。
「じーっとすわってパソコンばっかりさわってたら体に悪いでー。私と一緒に炎天下を走りませんか。楽しくしゃべりながら走ったら、また新たな世界がひろがるかも・・・ですよ。」
右翼の論客・鈴木邦男さんはいいこと言ってらっしゃる。
「『右翼と左翼の対立』ではない。『話し合える人』と『話し合えない人』がいるだけじゃないのか。」
そうですよね。もっともっと「翼」をひろげ、話し合いましょうよ。
午後4時半ごろ、出勤中のきくちゃんをお迎え。
1000円散髪してきたんですけど・・・。
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2012年08月08日(水)
オスプレイはタカ派? [時事]
◎毎日新聞7月7日朝刊
ニュースの匠 : 米のオスプレイ配備問題=鳥越俊太郎
◇沖縄だけではない
先日「方丈記」を読んでいて気がついた。ええ、あの鴨長明さんが書いた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
という書き出しで始まるドキュメンタリーの傑作ですね。文中終わりに近い部分にこういう記述があります。
「みさごは荒磯にゐる。すなはち人を恐るるが故なり」
この“みさご”の英語名が実はオスプレイなんです。私も人から聞いて知ったんですけどね。今、日本の巷(ちまた)を騒がすオスプレイ、正式には「垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ」です。「方丈記」の書かれた鎌倉時代、みさごは人を恐れて荒磯にいたのに、現代のみさごは人を恐れさせています。
開発段階から墜落事故が多く、4回の事故で30人が死亡。「未亡人製造機」というあだ名がつけられたというやっかいなシロモノなんです。今年もモロッコとフロリダでもう2回も墜落事故を起こしています。
米政府はこのやっかいなみさごをあろうことか、「住宅街の真ん中に基地がある」と言われる沖縄・普天間飛行場に24機も配備しようとしています。しかもこの配備行為は日米安保条約上の事前協議事項にはあたらないとして、米政府は「10月に配備する」と有無を言わせぬ通告をしてきました。
情けないのは日本政府−野田政権。本来なら日本国民の声の代弁者として米政府に「NO!」と言うべきところを、森本敏防衛相を沖縄に派遣、地元説得を試みたが、地元からはモーレツな反発を受けてしまいました。特に痛烈なパンチを繰り出したのは沖縄県の仲井真弘多知事。「事故が起きたら(在沖縄米軍基地の)即時閉鎖撤去だ!」
沖縄県の知事で「基地の閉鎖撤去」まで言及した人は最近では記憶にない。沖縄の人たちの怒りがどれだけ深いか、これで分かろうというものです。
しかし、実はコトは沖縄だけの問題ではないんです。米政府=米軍は日本列島で6ルートの試験飛行を計画しています。
実戦を想定した上でのテストフライトでしょうから、低空飛行もやるし、垂直離陸から水平飛行への転換行動もあるでしょう。日本の空のどこで何が起きるか分からないのが、今回のみさごの実情。みさごは荒磯(米国)にいればいいんです。
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「方丈記・第四段」 鴨長明
おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども*、今すでに五年を経たり。仮のいほりも、やゝふるさととなりて、軒に朽葉ふかく、土居に苔むせり。おのづから、ことの便りに都を聞けば、この山にこもり居てのち、やむごとなき人のかくれ給へるもあまた聞こゆ*。まして、その数ならぬたぐひ、尽くしてこれを知るべからず。たびたび炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ*。たゞ仮りのいほりのみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜臥す床あり、昼居る座あり。一身をやどすに不足なし。かむなは小さき貝を好む*。これ事しれるによりてなり。みさごは荒磯に居る*。すなはち、人をおそるゝがゆゑなり。われまたかくのごとし。事をしり、世をしれれば、願はず、わしらず*、たゞしづかなるを望とし、うれへ無きをたのしみとす。惣て、世の人のすみかをつくるならひ、必ずしも、事のためにせず。或は妻子・眷属の為につくり、或は親昵・朋友の為につくる*。或は主君・師匠、および財宝・牛馬の為にさへ、これをつくる。
われ、今、身の為にむすべり。人の為につくらず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべき奴もなし。縦*、ひろくつくれりとも、誰を宿し、誰を据ゑん。
夫、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねむごろなるを先とす。必ずしも、なさけあると、すなほなるとをば不愛。只、糸竹・花月を友とせんにはしかじ*。人の奴たるものは、賞罰はなはだしく、恩顧あつきをさきとす*。更に、はぐくみあはれむと、安くしづかなるとをば願はず。只、わが身を奴婢とするにはしかず。いかゞ奴婢とするとならば、若、なすべき事あれば、すなはちおのが身をつかふ。たゆからずしもあらねど*、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。若、ありくべき事あれば、みづからあゆむ。苦しといへども、馬・鞍・牛・車と、心をなやますにはしかず。今、一身をわかちて、二の用をなす。手の奴、足の乗物、よくわが心にかなへり。身、心のくるしみを知れれば*、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。物うしとても、心を動かす事なし。いかにいはむや、つねにありき、つねに働くは、養性なるべし。なんぞ、いたづらに休み居らん。人をなやます、罪業なり*。いかゞ、他の力を借るべき。衣食のたぐひ、又、おなじ。藤の衣、麻のふすま、得るにしたがひて、肌をかくし、野辺のおはぎ*、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじはらざれば、すがたを恥づる悔いもなし。糧ともしければ、おろそかなる報をあまくす*。
惣て、かやうの楽しみ、富める人に対していふにはあらず。只、わが身ひとつにとりて、むかしと今とをなぞらふるばかりなり。
流布本による追加
夫、三界は只心ひとつなり*。心若やすからずは、象馬七珍もよしなく*、宮殿・楼閣も望みなし。今、さびしきすまひ、一間のいほり、みづからこれを愛す。おのづから、都に出でて、身の乞となれる事を恥づといへども、帰りてこゝに居る時は、他の俗塵に馳する事をあはれむ*。若、人このいへる事を疑はば、魚と鳥とのありさまを見よ。魚は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林をねがふ。鳥にあらざれば、其心を知らず。閑居の気味も又おなじ。住まずして、誰かさとらむ*。
(*マークは脚注ですが省略しました。)
■現代語訳
そもそも、ここに住み始めた頃には、ほんの暫くと思っていたのだが、すでに5年を経過した。仮の庵といいながら、ここももはやふるさととなってきて、軒には朽ちた木の葉がつもり、土台には苔も生えた。事のついでに都の事を聞くと、私がこの山に入ってからも、多くの高貴のお方が死んだ。まして、そういう身分でない人々は数を尽くして知ることを得ない。度々の火事によって消失した家々もまた幾許であったことであろう。ただこういう仮の庵こそ、何事もなく安心だ。狭いとはいえ、夜寝る場所が無いわけではない。昼に座る場所も無いわけではない。一身が住まうに何の不足も無い。ヤドカリはできるだけ小さい貝を好むという。これは、変事があることを恐れてのことだ。ミサゴは荒磯にいる。これは、人が怖いからだ。私もまたこれに同じ。物事を知り、世の無常を知れば、無益な願いは持たず、右往左往はせず、ただ閑静をのみ望み、悩みの無いことを楽しむ。
すべて、世人が家を作るのは、必ずしも、自分のためにするのではない。場合によっては、妻子や眷属のために作ったり、或いは親しい者や友人のために作る。また或いは、主君や師匠のために作り、財宝や牛馬のためにも作ったりする。
私は、いま、自分のためにだけ庵を結んでいる。人のために作ったのではない。なぜかといえば、この無常の世にあって、家族もなく、仕えてくれる使用人もいない。だから、広く作っても宿す人がいない、住まわせる人が居ない。
そもそも、人の交友というものは富んでいるものを優遇し、親しい者を優先する。必ずしも、情が厚いとか、正直などを好むわけではない。だから、楽器や自然を友として生きるのが一番だ。従者は、恩賞を沢山くれる人やよく面倒を見てくれる人を重んじる。優しくいたわってくれるとか、心安い人とかを願うのではない。だから、従者を持つのではなく、自分自らが自分の従者となるのが一番だ。
どのようにして自分自身を従者とするかといえば、やるべきことがあったらすべからく自分の体を使ってやる。くたびれことがあっても、他人を従えて、人に気を配るよりこの方が気が軽い。もし、歩くことが必要であれば、自分から歩く。歩くことは、苦しいといっても馬だ、鞍だ、牛だ、牛車だと悩むよりはましだ。
いま、体を二つの用に用いる。手という従者、足という乗り物、これらは私の言うことをよく聞いてくれる。体は、心が苦しいときには休ませる。気分が満ちているときには、これを使う。使うといっても、酷使するのではない。だから、物事が憂鬱だといっても、心が動揺することは無い。まして、常に体を動かし、常に働くのは、かえって体を養生することになる。どうして、無益に休む必要があろうか。人を苦しめるのは罪業なのだ。これは他者の力によって解決するものではないのだ。
衣食についてもまた同様だ。ふじごろも、あさぶすまは、そのまま着る。野のよめなや木の実、これらによって命をつなぐ。人と会わないのだからおのれの姿の貧しさを恥じるまでもない。食べ物が少ないのは自分の努力が足りないのだから、これは甘受するしかない。
すべてこのような楽しみを、くだくだと豊かな人に向かって言うのではない。ただ、私の一身上に起こったくさぐさを、昔と今とについて語ったまでだ。
それ、三界はただ心一つ。心が安穏でないのであれば、どんな宝も意味がなく、宮殿楼閣もなんの希望にもならない。いま、私はこのさびしい住まい、方丈の住まいをこよなく愛している。時として、都に出て、おのれの身の貧しさを恥じることがあるといっても、ここに帰ってくれば、人々が俗塵に心を乱していることを憐れにさえ思う。
もし、こういう私の言を疑うのなら、魚や鳥のことを思え。魚は水に飽きることはない。そんなことは魚でなければ分からない。鳥は林を恋する。そんなことは鳥でなければ分からない。閑居もまた同じ。住まずして、これが分かるはずがない。
■鴨 長明(かも の ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日(1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家である。俗名はかものながあきら。禰宜・鴨長継の次男。位階は従五位下。
〔経歴〕 賀茂御祖神社の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれた。俊恵の門下に学び、歌人としても活躍した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神職としての出世の道を閉ざされた。後に出家して蓮胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られている。
出家の後、建暦2年(1212年)に成立した『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして名高い。他に同時期に書かれた歌論書の『無名抄』、説話の『発心集』(1216年以前)、歌集として『鴨長明集』(養和元年 1181年)といった作品がある。『千載和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に25首が入集している。
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時事問題というのにはちょっと古い記事の引用ですが・・・。
いまだというか、これからずっと問題になり続けそうな「オスプレイ配備問題」。この鳥越さんの記事が載っていたのは、もう1ヶ月も前のこと。
二、三日前、ヨメさんに「オスプレイって、タカの仲間なんやてー」と話したら、そこから鴨長明の「方丈記」の話になった。
「オスプレイって、日本では『ミサゴ』ゆうんやて。『方丈記』にも出てくるらしいわ。」
「へー、調べてみよう。」
「ほんで、鴨長明って、いったい何もんやねん。」
「随筆家、歌人やろ。」
「えー、そんなんで食うていけるんか。」
「なんか、下鴨神社のえらいさんの次男らしいで。ええしのぼんぼんやん。」
「ええしのぼんぼんて・・・、そのひと言でしまいかい!」
でも、ヨメさんが「方丈記」の中の「ミサゴ」が出てくる段をくわしく解説してくれたので、一つ賢くなった。鴨長明、ええこと書いとるやん。
時事問題が時事問題に終わらず、話が広がっていくのはいいことですね。
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【RUN】
今日は、夕方6時から最短3kmコース。
ひょっとしたら、ぎりぎり30℃を切っていたかもしれない。
京都では30℃以下なら、「すずしおすなあ」と言う(・・・ほんまか?)
3km、15分13秒。これにいつもの1kmプラス。
両足のアキレス腱付近が痛い。このごろ薄い系のシューズで走ることが多いからだろうか。
ちょっと気をつけなければ。
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2012年08月07日(火)
また京都御所ラン [ランニング]
今日もまた、きくの「帰りません攻撃」から一日が始まる。
今日は、きくのほえ声を聞いた真樹が助け舟を出してくれた。
きくはしっぽたれたれでどうしようもなかったのに、真樹のお迎えでうれしくなってしまった。
あんまりうれしくなって、真樹をほったらかしにして一番にゴール。
どうなってんの?
今日も真樹は「地学」の補習。毎日毎日マンツーマンで1時間半ほど特訓してもらっているので、もう「地学博士」やね。
私は真樹の補習が終わるまで、また京都御所ラン。
午後2時過ぎ、最高気温を記録するころ梨木神社前をスタート。たぶん34℃くらい。
ジョガーや犬の散歩、まったくなし。それどころか、歩行者ともほとんど会うことはない。
今出川通の同志社前もこんな感じ。
烏丸通に入ると日がガンガン。
帽子はうっとうしいので今日はかぶっていない。帽子は日光は防げるが、せっかく自分が作った風を抑えてしまう。それなら日が当たっても、風を感じながら走るほうが気持ちいい。
丸太町通もほとんど人影なし。
広い歩道を思いっきり走ることができる。夏以外はこうゆうわけにはいきません。
寺町通に入り、しばらく車道を走った後は御所の塀沿いを走る。
1周約4.1km、18分39秒。
こないだよりだいぶ速く走れた。
さあ2周目・・・というところなんですが、実は1周目を走り始めてすぐお腹が痛くなっていた。続けて2周は無理と判断。御所のトイレへGO!
約3分半のトイレタイム。「はやべん!」
これって、廉の言う「レペティション」になってへんかなあ。
さあ、再スタート。
身も軽くなりいい感じ。
以前御所の周りを走っていたとき、1周を3分割して自分の調子を計っていた。2周目はそれを久しぶりにしてみた。
スタートから烏丸今出川角まで(約1.4km?)、6分12秒。
次は、烏丸丸太町角の交番まで(約2.75km?)、11分53秒(5分40秒)。
そこからゴールまで(約4.1km)、17分48秒(5分55秒)。
おー、真夏にしてはなかなかいいタイム。トイレいっといてよかった。
ちょうどいい時間になったので、真樹のお迎えに。
そしたら今日は補習が早く終わり、暑いところでだいぶ待っていたそうだ。ごめんなー。次から、ケイタイ持って走らなあかんね。
今日は、アップ0.5km+御所2周8.2km+ダウン0.5kmで合計9.2km。
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2012年08月06日(月)
お墓まいりとすいかわり [家族]
京都走ろう会の例会のあと、いなかへ。
父の家に着いたのは1時前。もう焼肉パーティーは終わりかけていた。
「今年はもうよう来んかも知れん」と言っていた清作のおじさんたちも来てくださっていた。あと、私の兄弟やその子や孫たち。すごくにぎやかだった。
私の母や祖父母のお墓のある福田寺のお墓参りは午前中に終わっている。私はお墓そうじをしてきたので、そっちは堪忍してもらった。もう一ヶ所、別のところにもっと前のご先祖さんのお墓がある。そちらのお参りは、お昼ごはんを食べて休けいしてから。
90歳の父は、先日からの猛暑で倒れてしまい、点滴をしてもらったそうだ。うちのいなかは標高600mほどのところ。京都市の中心部に比べると5℃以上涼しい。それでも熱中症になるのだから、今年は例年以上に暑さが厳しいと言っていい。
たくさん来ている子どもたちのために、すいかわりをすることになった。
最後の〆は、まあちゃん(私の姪)のダンナさん。
私が彼に会うのは、二人の結婚以来13年ぶり。
見事、われましたー。
みんなで群がって食べる。これもいいもんです。
お腹がいっぱいになったところで、お墓参り第2弾。
歩いて200mほどのところの「南段」。
ここには、うちが分家する前のご先祖さんのお墓がある。
いつもはすごい霊気を感じるのだが、今年はなし。
たぶん、元気な子どもたちも含め例年の2倍くらいの人数でお参りに来たので、ご先祖さんもびっくりされているのだろう。
父は母のお墓参りには行かないのに、こちらには必ず来る。
父が生まれる前に亡くなられたご先祖さんのお墓ばかりなのに・・・。
ここでもヒルが見つかり大騒ぎ。でも、被害はなかったようだ。
父たちはここで先に帰っていった。
ちょっと横の「チブスで死んだ人の墓」がまだ残っている。
足を滑らせてしまいそうな細い道を通ってそのお墓へ。
私の兄・優三が、お墓の説明をみんなにしてくれていた。
墓石に引っ付いていたセミの抜け殻。
子どもらは、軽トラの荷台に乗せてもらって大喜び。
家に戻ってくつろいでいると、家の横を走るネズミ。
小さくてかわいかったけど、病気のもとを運んでこられたら大変。しばらくすると、前の川のほうへ逃げていってしまった。
「やー、そうへい君。メイの散歩?」
「メイよ、おっちゃんのこと覚えてる? こないだ『散歩しょう』って、誘いにいったやろう。」
「知らん。忘れた。」
でも、今日はそうへい君といっしょなので、「ウー」はなし。ペロペロもしてくれた。
家に戻ってきくをつれて、あらためてメイちゃんちへ。
「ウー、ガウガウ・・・」
「ガウガウ、ガガガ・・・」
あきません。
よわもん・きくは身の程知らず。調子に乗ってたら、またやられるでー。
夜にはヨメさんと廉も帰ってきて、久しぶりの家族そろってのいなかでの食事。
きくもうれしそう。
いなかで見ると、ますます口の周りの黒いきくでした。
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【RUN】
夕方、いつもの最短3kmコース。15分31秒。
1kmダウンジョグプラスで合計4km。
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2012年08月05日(日)
京都走ろう会例会〜「朔太郎日記」で検索を訂正「咲太郎日記」で検索〜 [ランニング]
「藤井さん、うちの犬見てください。」
吉田康彦さんが、ケイタイの画像を見せてくださった。
「柴ですね。柴って、飼い主さん命でほかの人には愛想悪いでしょう。」
「いや、うちのはけっこうよその人にもいきますよ。」
「そうよ。こないだ例会につれてきてはって、私にもなついてなついて・・・」と津田昌子会長。
「まだ、1歳なんですよ。」
「お名前は?」
「さくたろうです。」
「さくたろうって、萩原朔太郎から取らはったんですか。」
「そうです。うちに来たのが去年の春やったもんで・・・。」
萩原朔太郎と春とどういうわけがあるんやろう・・・。
「『朔太郎日記』と言うブログ書いてるんで見てください。」
たぶん、そこに名前のいわれも書いてあるんでしょう。
「朔太郎日記」で検索ですね。
【訂正】
この記事を見てくださった吉田さんからメール。「聞きまちがえられたようです。うちの犬の名前は『咲太郎』です。」(さくたろうはさくたろうで合っていて、字がちがっていた。)
すいませんでした。聞きまちがえて勘違い。これで、名前と春の関係が分かりました。「朔太郎」もなかなかいい名前だと思いますが、「咲太郎」のほうがかわいくていいですね。さっそく、「咲太郎日記」で検索してみます。
今日は一年で一番暑いと思われる例会日(8月第1日曜)。念入りにアップしておくことにした。
3.1kmコースを走らせてもらおうと思っていたのだが、その同じコースをゆっくりアップすることにした。
出雲路橋東詰を北に向かってスタート。すると、日向でかわいいワンちゃんが笑っていた。
「うちのもそうなんですけど、何でこんなに暑いのに日向が好きなんでしょうね。」
「ほんとにねえ。」
日傘をさしてワンちゃんを見守っておられた飼い主さんも笑っておられた。
「グッディー・オス・14歳」
元気なおじいちゃんコーギーでした。
3.1kmコース試走は、私のGPS腕時計で3.08km、15分58秒。これでアップはバッチリ。
出雲路橋西詰の集合場所に行くと、またまたかわいいワンちゃん。
「かみますでー」とのこと。「うーうー」と唸ってました。
去年もこの8月第1日曜の例会に参加させてもらったのだが、暑い割りには参加者数は意外に多い。
準備体操をいつも指導してくださる八田努さんは欠席。たぶん、京都マスターズの大会に出場されているのでしょう。
その代わりに松山健治さん。
「トドみたいな体やのに、写真撮らんといてえなあ・・・。」
今日はもともと10kmはなし。1.4kmを走る人もおらず、5kmと3.1kmが10人ずつくらいということになった。
3.1kmコース、スタート前の写真。今日は小学生も一人参加してくれてます。
私の今日の目標。
佐藤光一さん説によると、大文字山ランニングと例会3.1kmはほぼ同じタイムになるとのこと。実際、去年私は大文字14分48秒→例会14分33秒だった。今年の大文字が13分14秒だったので、狙うは12分59秒ですね。
3.1kmはスピード勝負なので、よっぽどカメラを置いて走ろうかと思ったが・・・。持っててよかった。賀茂川パートナーズさんに追いついた。
「写真撮らせてもらいまーす。」
「あっ、ありがとうございます、キャロットさん。」
また、別の一組に追いつき・・・。
「写真撮らせてもらいまーす。」
北山大橋の真ん中へんが中間点。だいたい6分半。
そこからは下りになるので、13分切りは確実か。
おーっと、下りでももう一組。
あらら、京美人さんじゃありませんか。
走りながら撮ったので、ピント合ってません。残念!
その後ろから、また一組。
賀茂川パートナーズさんの練習日と京都走ろう会の例会日は完全に重なっているので、こうして必ずお会いできます。
さて、私のゴールは・・・。
下流に向かって走りだすと、思っていたより強い向かい風。なんとか13分切りを・・・。
津田会長さんたちが待ってくださっているゴールめざしてラストスパート。13分02秒。惜しい!
でも、すべてのランナーの先頭を切って気持ちよくゴールできました。
あとは、ダウンジョグを兼ねて仲間の写真撮り。
今日は、3.1kmアップ+3.1kmレース+1.5kmダウンで合計7.7km。
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2012年08月04日(土)
京都マラソン値上げ決定 [マラソン評論]
◎京都新聞8月4日朝刊
「京都マラソン 最大2500円値上げ決定」
第2回大会 全国最高額 経費膨張で予算不足
京都マラソン実行委員会が3日、京都市中京区の市役所で開かれ、来年3月10日に開催する第2回大会の参加料を国内ランナー1万2千円、海外ランナー1万5千円と決めた。1500〜2500の値上げで、全国の都市型市民マラソンで最も高い参加料となった。
第1回は同じ都市型市民マラソンの東京、大阪、神戸、名古屋の大会とほぼ同額の国内ランナー1万500円、海外ランナー1万2500円(東日本大震災の義援金500円を含む)を設定した。
しかし、交通安全対策などに想定以上の費用がかかり大会経費が膨張。予算4億円に対し2億3千万円の不足に陥った。第2回大会も同額予算しか確保しておらず、不足分を参加料値上げなどで補うことにした。
ペア駅伝(1区約24キロ、2区約18キロ)は4千円アップの1組2万円。市スポーツ振興基金に対し一定額以上を寄付したランナーは無抽選で参加できる枠も新たに設ける。義援金は1口500円で任意で募る。定員はマラソン1万4900人、ペア駅伝100組200人、車イス駅伝は20人で、8月下旬から募集する。 (広中孝至)
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「2500円」を「25000円」と見まちがえましたわー。以前の私の計算どおり、「思い切って25000円にしたかー」と一瞬思ったけど、よーく見たら値上げ幅でした。
国内ランナーは「1500円の値上げ」のように書いてある。しかし、第1回は500円の強制義援金を含めた金額なので実質は2000円の値上げ。そこはきちんと報道せんとあかんね。
それから、こないだの私の記事(7月11日「京都お金持ちマラソン」)に批判のあった「お金持ち枠」。ちゃんと採用してはります。ただ、「一定額以上の寄付」とはまたあいまいな。「入札」とか「5万円以上」とか、しっかり表示せんと。
それに、その枠は何人? この枠をぐーんと広げれば、一般のランナーの値上げは必要ない。むしろ、マラソン大会の適正価格まで値下げができるかも。それができれば、一般出場枠の競争率が上がってもほとんど文句は出ないように思う。
さあ、またこのあたりの発表が二転三転・・・でしょうかねえ。
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【RUN】
今日は朝5時起きで、女子10000mをテレビ観戦。
「ニイヤ!」
オリンピックで自己ベストを29秒更新して30分59秒。すごい! 5000mもしっかり!
午後5時半からは女子トライアスロンの放送がある。その前に少しだけ走ることにした。
今日も暑かったが、薄曇りで少し風もあった。最短3km、16分33秒。1kmジョグをプラス。
そのあときくのお散歩をして、急いでテレビ。
テレビをつけたら、もうバイク。「水泳はどうやったんやろ。」
バイクでは足立選手が先頭グループ(22人)、井出選手が第2グループ(23位争い)。
「えっ、上田藍選手は?」
あとで調べると、上田選手はスイム53位で、そのまま上がってくることはなかったようだ。地元京都、それも上賀茂の子やから応援してたのに・・・。
最終結果は、足立選手14位、井出選手34位、上田選手39位でした。私が見ていた限りでは、上田選手は一度もテレビに映らなかった。あー、残念。
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