パオパオだより

2011年01月07日(金)

とよぞのおっさん・続き [家族]

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今朝の二軒茶屋公園前

 胸のあたりに花を置き、豊三叔父さんの顔をのぞきこんだ瞬間涙がこみ上げてきた。
 「あかん、あかん、ちがう、ちがう。」
 叔父さんの奥さんと4人の子どもたち(娘3人、息子1人)がまだこらえているのに、甥である私ごときが先に泣いてどうする。そうは思ったが、もう耐え切れなかった。一歩二歩後ずさりして、人の影に入って泣かせてもらった。(ハンカチを持ってきていてよかった。)

 20年前私の母が亡くなったとき、もっともっと話をしておけばよかったと後悔した。今度またまったく同じ後悔を・・・。
 上品で物知りで、それでいていつも謙虚だった「とよぞのおっさん」。きっと、私のような者でも話を聞きに行けば喜んでくださっただろうに・・・。

 ◇ ◇ ◇

 今日もまた、雪。いなかから出てきたうちの本家のおじさんは、「一晩で40cm積もった」と言ってはった。
 うちのあたりも2、3cmの積雪。しかし、葬儀場のある円町あたりはまったく積もっていなかった。

 私は、昨日に引き続き立礼役。
 昨日は、100円ショップの数珠とただ黒いだけの690円のドタ靴がばれないかとハラハラしていた。まあそれも2日目となるとちょっと余裕。
 滞りなく式は進行し、あとは出棺を残すのみとなった。私はお山(火葬場)には行かないので、今日のお役目はこれにておしまいという感じだった。

 ◇ ◇ ◇

 昨日は、いろいろなことを考えた。
 家から円町まで一人で運転してきたのだが、その間ずっと豊三叔父さんの上品な語り口を思い出していた。自分が話されるだけでなく、人の話を聞くのもすごくうまい。人に自分の考えを押し付けたり、怒鳴ったり怒ったりしているのも見たことがない。
 それは、退職されるまで長年ハイヤーやタクシーの仕事をされていたのと関係あるのかもしれない。いや逆か。そういう性格だったからこそ、その仕事が長く続けられたのかもしれない。

 ◇ ◇ ◇

 豊三叔父さんに関する間接的なエピソード。

 今から32年前、私の教師1年目のこと。そのとき担任していたクラスは、子ども一人だけ。学芸会の劇を一人ではやりようがないので、私もかつらをかぶり武士の役で出演した。
 その学校はうちのいなかの隣りだったので、私の両親も見にきていた。そして、私の武士の姿を見た母がびっくりぎょうてん。「とよぞのおっさんに、そっくり!」本当に目を丸くして言っていた。
 私は自分ではそんなに似ているという意識はなかったのだが、かっこいいと思っていた「とよぞのおっさん」にそっくりと言われていい気分だった。
 
 この話、「とよぞのおっさん」本人にはしてへんかったなあ。残念!

 ◇ ◇ ◇

 私の兄は、中学校の3年間、豊三叔父さんの家にお世話になりその地域の中学校に通わせてもらった。(いわゆる里親里子の関係です。)どういういきさつでそうなったのかは知らないが、当時はそういうこともめずらしくはなかったようだ。
 兄は「とよぞのおっさん」のことをどう思っていたのだろう。自分の甥を預かった豊三叔父さんは、私の兄のことをどう思っていたのだろう。私には想像もつかない。

 ◇ ◇ ◇

 昨日お通夜が終わったあと、食事の準備ができるまで少し間があった。
 そのとき、私は飾られている叔父さんの写真を一人で見続けていた。遺影が何かを語りかけてくるということはない。こちらが一方的に話しかけるだけだ。

 しかし、ずっと見続けていると写真の表情が変る錯覚に陥る。まわりを飾る花やろうそくも動き出すような・・・。

 「とよぞのおっさん」は私のことを「こうじ」と呼んではったっけ? 
 いやいや、「こうじ君」と君付けで呼んではったように思う。
 最後に会ったのは2年前のお墓参り。若いときに毎日あの道を通って山仕事に行かれた話をしてくれはりましたよね。そのときは、「こうじ君」とは呼んでくれはらへんかったけど・・・。

 ◇ ◇ ◇

 叔父さんにお花を捧げたあと、なかなか涙が止まらなかった。しかし、叔父さんにとってただ一人の孫・Sちゃんが横で大泣きしている姿に気づいてやっと我に返った。

 私の母が亡くなったとき、お通夜でもお葬式でも泣かなかった。なぜかしら現実味がなかった。しかし、亡くなって1週間くらいたってからだろうか、運転中に急に涙があふれ出して運転できなくなってしまった。
 たぶん、叔父さんの奥さんと4人の子どもたちもそれと似たような状態なのかもしれない。本当に悲しいのは、もうちょっとたってから・・・。

 ◇ ◇ ◇

 父は、最後のお別れにと無理してお山までついて行った。
 自分の弟が自分より先に死んでしまうなんて・・・。

 何年か前から、父は「出かけるというと、葬式ばっかり」と嘆いていた。ましてや、自分に最も近い肉親を送り出さなくてはならないとは・・・。

 出棺の前、父も何度も何度も涙をぬぐっていた。
 もしかしたら、その輪の中で一番泣いていたのは私の父だったかもしれない。

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