パオパオだより

2010年08月26日(木)

「キャタピラー」 [映画]

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【ストーリー】
一銭五厘の赤紙1枚で召集される男たち。シゲ子の夫・久蔵も盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。しかしシゲ子の元に帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿であった。村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に、“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。四肢を失っても衰えることの無い久蔵の旺盛な食欲と性欲に、シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていく。四肢を失い、言葉を失ってもなお、自らを讃えた新聞記事や、勲章を誇りにしている久蔵の姿に、やがてシゲ子は空虚なものを感じ始める。敗戦が色濃くなっていく中、久蔵の脳裏に忘れかけていた戦場での風景が蘇り始め、久蔵の中で何かが崩れ始めていく。そして、久蔵とシゲ子、それぞれに敗戦の日が訪れる……。
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 昨日の2本目。会場は満員。立ち見の方もあり。主演の寺島しのぶが賞をもらったので話題になっているらしい。
 しかし、私は見終わって、「この映画は何を言いたかったのか」という思いになった。題材は新しいようで、実は今までさんざん見て来たパターン化された戦争関連映画とあまり変わらないような気もした。
 その中で一番印象に残ったのは、久蔵の家の床の間に掲げられていた両陛下の写真である。その位置がどう考えても変だった。私の実家にも掲げられていたが、それは部屋の一番高い位置。久蔵の家では、床の間の中間くらいの高さだった。人の頭の位置より下?まさか!
 このシーンが(意図的だと思うが)何回も映り、すごく気になった。なんか、意味があったのかな。(その場面の画像は、パソコンでいくら探しても見つかりませんでした。やっぱり、陛下の写真は軽々しく扱えんのかな。)

 あっ、思い出した。
 立ち見のお客さんの中に「まいこは〜ん」。
 家に帰って勢い込んでヨメさんにその話をしたら、「それはにせもん」。「まいこは〜ん」は、プライベートはゆかただそうです。たぶん、旅行者の「まいこは〜ん」体験やろとのこと。ガックリ! 

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2010年08月25日(水)

「ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者」 [映画]

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 6月2日以来の京都シネマ。
 月2本は見ないと元が取れないゴールド会員。ぼやぼやしてたら、知らん間に60歳(シルバー料金)になってしまうって!

【映画ちらしより】「ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者」は、朝鮮民主主義人民共和国で暮らす広島・長崎の被爆者を取り上げた映画である。今まで「被爆者」「原爆」についての映画は数多く制作されてきたが、在朝被爆者を取り上げたものはこれが初めてだ。最悪の日朝関係のなか、08〜09年に3度の平城ロケを敢行。ある一家の日常生活を追いながら、日本政府に放置され続けてきた在朝被爆者の怒りと悲しみを描く。激動の時代を生きた在日朝鮮人の歴史と、現在の異常な日朝関係も見えてくる。

【メッセージ】監督・伊藤孝司
 「日本による朝鮮支配が終焉して65年。ところが日本と朝鮮民主主義人民共和国とは国交がいまだにないばかりか、敵対的な状況が続く。そのことは米軍基地存在の口実となり、在日コリアンへの差別を助長させている。在朝被爆者への取材の中で、核兵器を使った戦争の悲惨さや、国家関係に翻弄される庶民の姿を見た。それだけでなく、日本という国家の今の姿がくっきりと浮かびあがった。」
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 人の語りが大半を占めるドキュメンタリー映画は、心の中にすっと入ってくる。
 その語り手は、平城で暮らす李桂先(リ・ゲソン)さんと、広島で暮らすその母。桂先さんは、3歳の時、原爆投下の12日後だった広島市に母とともに入り、放射能をあび被爆。しかし、その事実は59年間隠され続けてきた。
 その後、桂先さんは家族の中で一人だけ北朝鮮に帰国。体のあちこちに痛みが出てくる姿を見た母は、2004年、ついに被爆の事実を娘に告げた。

 「おばあちゃん、娘に被爆したことがあるという話をしなかったでしょ。それはどうしてですか。」
 「嫁いかれんけ。ハハハ、嫁いかれんけ、隠したの。嫁いかれんや。孫まで何になるけ。嫁いかれんけ、絶対言わん。」
 「その後ね、ご主人と一緒に平城に何回も会いに行かれましたよね。その時にも言わなかった?だけど、その時は嫁に行ってたでしょう。」
 「行っても言わんかった。」
 「言わなかったの?」
 「それは、別れたらいかんけ。」
 「ああ、そういうことですか。」
 「そうよ、だまされたというて、別れたらいかんけ。そうよ、その点がある。絶対言わん。
 自分がね、言うたらもう、胸抱えたらいかんけ思うてから、何にも言わんかった言うたら、ものすごう泣きおったよ。お母さん、何で言わんかったかいうて、治療せないけんのに。何でいわんかったかいうて。」

 桂先さんの夫「4年前に被爆を知って驚き、あわてました。でもじっくり考えてみると、これは運命のようなもので、信念が揺らいではいけないと。愛情と信頼で、だれよりも誇らしい生活を送るべきではないかと決心しました。」
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 李桂先(リ・ゲソン)さんの被爆者健康手帳の取得は、北朝鮮への制裁措置によって滞っている。いったい、どこの誰を制裁しているのだろう。李桂先さんは、当時の日本政府が朝鮮半島から強制連行した人々の子どもである。

 映画の最後の場面が、あまりにも悲しくやるせなかった。「えっ、まさか」と思うのはうれしいほうであってほしかった。

 みなさん、ぜひこの映画を見てください。
 (残念ながら、この日のお客さんは20数名でした。) 

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2010年06月08日(火)

「沖縄・第二部」 [映画]

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◎琉球新報・過去の記事

 那覇市内で劇映画「沖縄」の試写会   1996年6月18日

 在沖米軍基地問題が注目を浴びる中、東京などで再上映され、話題を呼んでいる劇映画「沖縄」の試写会が17日夜、那覇市のリウボウホールで開かれた。上映委員会事務局のシネマ沖縄では、この日を皮切りに上映会を全国各地に拡大し、県内各地の各種集会などとも連結させ、多くの人に「沖縄」を見てもらいたい考え。
 製作から27年たった今も変わらない沖縄の現実が、スクリーンに二重映しされ、日米両政府にほんろうされ続ける“基地の島”の叫びが観客の胸に響いた。
 「沖縄」は1969年10月から撮影を開始したが、米民政府の嫌がらせで主だったスタッフが沖縄に入ることを拒否された。沖縄の実写と徳之島と奄美大島で撮った芝居を組み合わせている。
 映画は2部構成で3時間15分の長編。この日は第1部「1坪たりともわたすまい」(1時間15分)を上映。銃とブルドーザーによって土地を奪われた農民たちの怒りが全編にあふれた。
 「沖縄」の応援監督を務めた橘祐典さんが、東京から駆けつけて舞台あいさつし「沖縄の人たちの強力な支援で完成した歴史的な映画だと思う。当時、支援し闘った人たちは今も闘っており、今日に続いている」とも述べ、変わらぬ沖縄を痛感している様子だった。
 今年2月からこれまでに首都圏で約30回上映されているほか、2本組みのビデオが本土で約700本も売れるなど大きな反響を呼んでいる。
 基地の中に消えた読谷村渡具知に焦点を当てて、復帰の内実を鋭くえぐり出した記録映画「あけもどろ」も併映された。
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■あらすじ (goo映画より)

 〈第一部=一坪たりともわたすまい〉昭和三十年。「アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」これが代々の土地を奪われた三郎の生活哲学だった。三郎は仲間の清と、基地周辺を物色中、黒ん坊の混血児・亘とその姉朋子を知った。米軍基地拡張に伴う平川部落の強制接収が威嚇射撃で始った。古堅らの抵抗は厳しく身体を張ってのものだった。演習が始まり、朋子の祖母カマドが戦闘機の機関銃弾を受けて死んだ。だが、米軍は何の保証も与えなかった。カマドの葬式の日、朋子は、米軍にとりいって資産を殖す山城の静止を破って、軍用地内の墓に向った。白旗ののぼりをたてて連なる葬列、それは抗議の列でもあった。それから間もなく農民たちの闘いは全沖縄の闘いへと拡がっていった。

 〈第二部=怒りの島〉それから十年。三郎は父親の完道と共に米軍基地に、朋子はドル買い密貿易などに、そして亘は軍用トラックの運転手として働いていた。ある日、三郎と朋子は米軍曹長より、模擬爆弾や薬莢の換金を頼まれた。朋子はここぞとばかり買いたたき、その度胸は三郎を驚かせた。完道が足に負傷してクビになった。軍労働者の怒りは、やがてストライキ闘争へと発展、米国は威信にかけて弾圧した。三郎は米兵に拉致され、朋子は山城の企みで逮捕され亘も解雇された。山城の息子、朝憲は、亘が軍用トラックにひかれて死ぬと、アメリカ民主主義のウソを、軍人法廷で糾弾、父とも訣別した。動揺する三郎たちに、反米破壊活動で独房入りした知念から、団結の叫びがとどいた。翌朝、沖縄基地にストライキが決行された。
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 昨日の夕方、先日見た映画「沖縄」の第二部を見に行った。
 場所は河原町二条の河二ホール。この上映会の共催の「京都映画センター」さんが入っておられるビルの8階のホールだった。ホールといっても折りたたみいすが35並べてあるだけ。ほぼ満員で、少し息苦しい感じがする部屋だった。

 第二部は、土地を奪われ米軍基地で働かざるをえなくなった沖縄県民の姿が描かれている。ほとんど私の知らなかったことばかり。

 こないだ第一部を見た後で知り合った芳沢あきこさんとも言っていたのだが、この映画を学校で見せてもらいたいなあ。

 あっ、そうや。
 真樹の高校では、沖縄への研修旅行の前に、映画「GAMA−月桃の花」を見るらしい。それだけでも、ええ高校に入れたもんやと思ってしまう。
 何の目的かようわからんシンガポールに行く高校よりはずっと値打ちがある・・・、と思われませんか。

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※ 映画「沖縄」の上映会の主催は「京都映画人・九条の会」。共催は、「京都映画センター」。
 ともに、会員を募集しておられます。両会とも、会費は無料です。
 私は両方とも入会しようと思っています。みなさんもいかがですか。
 (下に申込書を添付しておきます。)

PDFファイル(847KB)

京都映画人・九条の会 (847KB)

PDFファイル(540KB)

京都映画センター (540KB)


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2010年06月03日(木)

「カケラ」 [映画]

画像(200x280)

チラシ・表

 強烈な印象が残る映画を見た場合、その後どうするか。
 ?その余韻を大事にし、そっと帰る。
 ?リハビリ(?)のため、もう1本楽な映画を見る。
 私が選択したのは後者です。

 韓国映画「息もできない」の殴打シーンが頭に焼き付いて離れず、どうしてもそのまま帰ることはできなかった。
 「京都シネマ」の通路には、その日の上映作品に関する新聞記事などが展示してある。時間がピッタリ合って、楽に見られそうなもの・・・。

 ありました。
 「カケラ」。

 あの名作(迷作)「愛のむきだし」の満島ひかり主演。
 それに監督が、安藤モモ子。「愛のむきだし」で、満島ひかりを拉致していくオカルト教団の幹部役を演じていた。奥田瑛二と安藤和津の長女で、まだ27歳だそうだ。
 満島ひかりのかわいらしさと安藤モモ子の気持ち悪さがみごとに対比されていて、まあ名作中の迷作でした。(※後で気づきました。あれは、次女の安藤サクラでした。私としたことが・・・、ああかんちがい。)


 「カケラ」の内容は・・・。
 まあ、楽に見られる映画です。
 一番印象に残ったシーンは、満島ひかりがマシュマロをやけ食いしてゲーをあげている時、同じベンチに座っていた大学生の言葉。
 「いくら好きなものでも一度にたくさん食べるのはよくないよ。少しずつ味わって食べなければ・・・。」

 「ふーん。」

 満島ひかりは主役の映画が次々と公開されているのに、どうしてテレビドラマではチョイ役なんだろう。
 安藤モモ子はお父さんもお母さんもシュッとしたかっこいい人なのに、どうして彼女はそうでもないのだろう。(※ここも安藤サクラとかんちがいして書いています。「モモ」と「サクラ」、ややこしいやろがー。)

 そんなことを考えながら楽に見られる映画でした。

画像(200x280)

チラシ・裏

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2010年06月02日(水)

「息もできない」 [映画]

◎「息もできない」公式サイトより

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◆ストーリー◆

二人の時だけ、泣けた。
漢江、その岸辺。引き寄せあう二人の魂に涙が堪えきれない。
偶然の出会い、それは最低最悪の出会い。でも、そこから運命が動きはじめた……。
「家族」という逃れられないしがらみの中で生きてきた二人。父への怒りと憎しみを抱いて社会の底辺で生きる男サンフンと、傷ついた心をかくした勝気な女子高生ヨニ。歳は離れているものの、互いに理由もなく惹かれあった。ある日、漢江の岸辺で、心を傷だらけにした二人の魂は結びつく。それは今まで見えなかった明日へのきっかけになるはずだった。しかし、彼らの思いをよそに運命の歯車が軋みをたてて動きはじめる……。

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 最近、下調べをせずに映画館に行くことが多い。
 今日も車の運転中の信号待ちのときに、新聞の映画欄を見て決めた。
 「息もできない」・・・、ええ題や。確か韓国の映画やったはず・・・。「京都シネマ」やから、ゴールド会員の900円で見られる。でも、10時からって間に合わへん。これは、大丸の近くの駐車場に入れなしゃーない(かなり高い)。 
 駐車場からダッシュ!
 「京都シネマ」に着いたのは10時2分。まだ予告をやっていて本編にはセーフ。

 この映画は私のよく知らない裏社会の話。
 借金取立てのチンピラと、一家を支える女子高校生の話。酒がからみ、DVがからみ、借金がからみ、犯罪がからみ、服役がからみ、延々と続く殴打のシーン・・・。本当に「息もできない」映画でした。

 制作・監督・脚本・編集・主演のヤン・イクチュン、女子高校生役のキム・コッピ、その弟役のイ・ファン、そのほかの配役も抜群だった。
 ヤン・イクチュンは、この映画制作資金捻出のため自宅を売り払ったそうだ。ええぞ。ようやった。
 みなさん、ヤン・イクチュンさんが家を買い戻せるよう、この映画を見るべし!
 (ちなみに、この回の観客は私を含め12人でした。少なー。)

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2010年05月27日(木)

「沖縄・第一部」 [映画]

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◎京都イベントナビより

劇映画『沖縄 第一部』特別上映会

 5月26日(水)14時/16時/19時(3回上映)、京都教育文化センター(京都市左京区聖護院川原町4−13。京阪本線「神宮丸太町」5番出口より徒歩3分。Pなし)TEL075・771・4221/FAX075・771・4224。

上映作品=『沖縄』第一部「一坪たりともわたすまい」
 沖縄本土復帰前、1970年製作作品。米軍に土地を奪われた農民、土地を失って基地労働者となった人々の闘いをダイナミックなドラマに謳いあげた力作!!
 戦後、沖縄は“太平洋のカナメ石”としてアメリカの軍政下に置かれていた。1955年、アメリカに土地を奪われた島袋三郎は、基地周辺の鉄杭や米軍物資を物色中、黒人とのハーフ・亘とその姉朋子を知った。米軍基地拡張に伴う平川集落の強制接収が威嚇射撃で始まった。古堅らは身体を張って厳しく抵抗する。演習が始まり、朋子の祖母カマドが戦闘機の機関銃弾を受けて死んだ…。

 監督・脚本=武田敦
 出演=佐々木愛、地井武男、加藤嘉、戸浦六宏、佐々木すみ江、高橋俊行、富山真沙子、岩崎信忠、トニー和田、中村翫右衛門
 (1970年/日本/75分)

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 昨日4時からの映画「沖縄・第一部」が終わり、教文センターの階段を下りていった。
 そこには、一人でビラを配っている女性がおられた。

 (そのビラの内容は以下のとおり。)

PDFファイル(1347KB)

(表) (1347KB)

PDFファイル(907KB)

(裏) (907KB)


画像(320x240)・拡大画像(640x480)

 その場に立ち止まって、ビラを表裏全部読んだ後に。

 「あのー、この会はどこが主体でやっておられるんですか。」
 「はい、私がやってます。」
 「えっ、個人で? おひとりで?」
 「はい。たくさんの仲間に助けてもらってますけど・・・。」
 「そうなんですか。」
 「私、今、大阪の箕面市にいるんですが、沖縄出身なんです。それで、沖縄の現状をみなさんに知ってもらいたくて、こんな運動をしてるんです。」
 「沖縄県人会の方では・・・」
 「県人会のみなさんとはあまりお付き合いはないんです。」
 「そうですか。滋賀沖縄県人会に高間悦子さんという方がおられまして、その方と4年前にお話しさせていただいたんです。高間さんは、沖縄はただ消費されるだけの島だと言っておられました。若い人は沖縄の遊びの情報はほしがるけど、基地の話を出すと少しも聞いてくれない。『本土の人は、自分の見たいものだけしか見ないのか』と嘆いておられました。」
 「そうですよね。沖縄の基地の問題などどこからも教えてもらっていませんからね。」
 「今日の映画なんか、学校で見せてもらえたらすごい勉強になるのにね。」
 「ほんとにそうですよ。出演されている方々も往年のすごいメンバーだし、内容も素晴らしかったですね。戦闘機の爆撃訓練の場面は、実際の訓練の映像を使ってましたね。」

画像(320x240)・拡大画像(640x480)

 「今日も思ったんですけど、こういう場に出てこられる方の年齢層が高くて・・・。って言ってる私も、だいぶ高齢者に近づいてきてますけど・・・。」
 「そうですね。それはやっぱり、若い人たちに米軍基地の問題に関心がもたれないような教育がされているからじゃないですか。」
 「私も含めて言えることなんですけど、自分の子どもにさえその問題をしっかりと伝えきれていないと思います。なんていうのかなあ、遠慮みたいなものもあって・・・。」
 「でも辺野古の問題なんかは、環境破壊やジュゴンの問題もあって、若い人たちもだいぶ関心をもってくれてますよ。」
 「ボクね、個人的には、学校の授業で週1時間「沖縄」っていう授業があってもいいなって思ってるんです。」
 「そう、ほんとにそう。」
 「今の日本が抱えている問題のほとんどが、沖縄に集約されてますよね。『沖縄を勉強したら、今の日本がわかる』と言ってもいいと思います。米軍基地に100%反対できない立場の人もあったり・・・。いろいろな問題がからんでいますよね、日米安保とか。
 私ら京都生まれの京都育ちは、米軍基地どころか、自衛隊も見たことないし、戦闘機も見たことなかったです。30過ぎで初めて沖縄に行った時、観光地の上空を飛ぶ戦闘機の爆音にビックリしました。近くにいたヨメさんの声も聞こえへんかったんで。」
 「まず沖縄の現状を知ってもらうこと、そこからですね。だから、私もこうしてビラ配りを続けてるんです。もしよろしかっら、お手伝いしていただけませんか。」

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 < 基地のない平和で豊かな沖縄をめざす会 大阪 >

 代表の芳沢あきこさんから、今後もいろいろと教えていただけそうです。その場でこの会の賛助会員にならせてもらいました。
 「自分の見たいものだけしか見ない本土の人たち」に、何とか沖縄の現状を知ってもらえるよう会の活動に協力します。

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