2011年01月12日(水)
おっはー [雑用]
行ってきましたでー。
ただ、このことをどう書くかがちょっと問題。
いろいろな制約があるらしいが、私が覚えている限りの会話をそのままここに書くというのはどうでしょう。(もしご迷惑をおかけする箇所がありましたらご指摘お願いします。即座に訂正または削除します。)
「すいませーん、突然おじゃまします。」
「どうぞとうぞ、お入りください。」
「あのー、いきなりですけど激励に来ました。」
「ありがとうございます。まずは・・・」と言われ、両手を出されかたい握手。
「えー、どういうつながりで来させてもらったかと言いますと・・・。お父さん、じょんのび村の。」
「あっ、父ですか。」
「私、お父さんの友だちの友だちです。その友だちは京都ランナーズというランニングクラブの・・・。」
「あっ、京都ランナーズ・・・・。」
(知ってくれてはるんや。)
「私、『平和・憲法九条』と書いてあるのぼり持って走ってるんですよ。門さんが知事選に出られたときも応援に行って、いっしょに走らせてもらいました。生まれて初めて選挙カーに上らせてもらって、応援演説もさせてもらいました。
実はね、今日免許の更新に来たついでにちょっとのぞかせてもらおうかなと思って寄ってみたんです。」
「そうだったんですか。ありがとうございます。」
「私の義理の兄が、何回か前の市長選に立候補した中村です。」(あとで思い出したのだが、16年前と12年前。)
「えっ、中村さん。ついさっきも来ておられたんですよ。」
「そうですか。ボク来たゆうといてください。」
「はい。・・・と言うことは、お姉さんはタヅコさん。長岡市役所にはきちんとした労働組合がなかったんですよ。それをね、お姉さんたちが中心になって作っていかれたんですよ。」
「そうなんですか。私も20年前までは組合の活動してたんですけど、仕事も辞めて、今はヨメさんに食わしてもらってる身ですから・・・。今はそのへんのことさっぱり分かりませんねん。
あっ、そうそう、その姉が暮れのもちつきでおうた時ゆうてましたわ。O君はほんまによう勉強してる。候補者同士の討論会のときも、具体的な数字をどんどん出して反論してた。抽象的な政策じゃなく具体的な話をしてもらえると説得力あるなー、って。」
「そう言っていただけるとうれしいです。」
「あのー、せっかく寄せてもらってこんなこと言うのもなんなんですけど、ここに来たことをブログに書いたりできないんですよね。まだ全面解禁じゃないですもんね。」
「いや、候補者本人やその選挙関係者についてはちょっと厳しいですけど、一般の人が選挙事務所に行ってきましたというのをブログに書く程度ならまったく問題ありませんよ。」
「そうなんですか。・・・そうですよね。」
「投票依頼さえ書かなければ大丈夫です。」
(選挙のプロが言っておられるのだからまちがいないでしょう。)
「投票日っていつでしたっけ?」
「今度の日曜です。」
「あー、それやったらもう日がありませんねえ。にぎやかしになんかさせてもらおうかなあと思ってたんですけど・・・。」
「それなら、土曜の3時から、イズミヤ前からパレードをするんです。よろしかったらそれに来ていただけませんか。」
「分かりました。できるだけ来れるようにします。」
「ありがとうございます。」
最後に、同席されていた選挙本部長さん(?)にお願いしてOさんとの2ショット。どうもありがとうございました。
(なお、上の会話はOさんだけでなく写真を撮ってくださった方の話も混ぜてあります。)
今日の記事の題「おっはー」は、Oさんの愛称。
京都府南部N市の、33歳の市長候補。
ご本人のホームページ、「おっはー!」にリンクさせてもらおうと思いましたがうまくいきませんでした。まあ、それはそれで変なところからいちゃもんをつけられんでよかったかも・・・。
興味のある方は、「おっはー!」で検索を。
(注) 昨日(1/12)、○○天神の写真をまちがって載せていました。昨日の写真は、祇園会館の近くの八坂神社でした。かっこわるー。
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2011年01月05日(水)
雪かき [雑用]
朝、藤井勘太君のお母さんに箱根駅伝の写真を持っていった。当日は線路をはさんだ向かい合わせのホームで出会っただけなので、あまりお話ができなかった。
一番お聞きしたかったのは、10月16日の箱根駅伝予選会にも出ていなかった勘太君が、2ヶ月ほどの間でどうして16人の登録メンバーに選ばれ、10人しか走れない本番も走ることができるまでになったのか。いろいろお聞きしたが、お母さんの結論は「私も不思議です」。
今度本人に会うことができたら、そのへんをくわしく聞いてみたいと思った。
藤井勘太君のプロフィールについては、テレビや新聞、雑誌などでもほとんど取り上げられていない。いわゆるノーマークの選手であったようだ。今までの箱根駅伝で脚光を浴びた選手とは、またひと味ちがう選手であるようにも思う。ぜひ、自分の歩んできた道を自分の言葉で語ってほしい。
そのあと、車検のため倉庫にいったん降ろした荷物を積み込むためにいなかへ。
暮れに降った雪は水分を多く含んでいたようで、たくさんの杉の木が倒されていた。
ただし、道路はきれいにブルドーザーでかいてあったので、チェーンを巻かずに帰ることができた。
雪は一番多いところで50cmくらいだろうか。
この雪の状態だと、道路から家に入るのが大変だ。
家の前の橋に積もっていた雪は、踏み固められていなかったので割と雪かきは楽だった。
でも、その近くの倉庫はブルドーザーで集められた雪が凍ててしまってカチカチだった。ここの雪かきがおよそ1時間。この雪をどけないことには荷物が出せないので仕方ない。久しぶりに力仕事をした。
そのあと、在庫表を作り直しながら荷物の積み込み。
11時前にはいなかに到着していたのに、すべての積み込みが終わったのは3時過ぎだった。
倉庫からいなかの我が家のほうを見ると、右手坂の上に藤井勘太君のお父さんの実家が見える。人の気配がなかったが、家に上る坂はきれいに雪かきがしてあった。
この春には、勘太君も京都に帰ってくるらしい。ぜひ、おじいちゃんおばあちゃんのいるいなかにも顔を出してほしいと思う。
「もし時間ができたら、いなかの雪かきもしてあげてね。」
今日は久しぶりに仕事らしい仕事をしたので、今年初めての外食でもまあまあ大きな顔して食べることができた。
「ろくに仕事もせんとメシばっかりバクバク食べて・・・」とは言われなかった。
「ほっ!」
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2010年12月18日(土)
年賀状の準備 [雑用]
そろそろ年賀状を作らなければならない。
ここ数年は、1年間撮った写真の中でよさそうなものを縮小して年賀状にしていた。その写真の数は年々増え、ついに今年は30枚くらいになってしまった。ちっちゃい写真がいっぱいで、通称「目がチカチカ年賀状」。
これはいかん。来年の年賀状は、写真の数を減らして見やすくしよう。「ベストショット」と言えるものを厳選しよう。
今まで撮った写真はすべて私の記憶に残っているので、ヨメさんはコレ、廉はアレ、真樹はコレという感じで候補作がすぐ思い浮かぶ。きくもたくさん撮っているので、候補作が多すぎるくらい。
ところが困ったことに、あんものいい写真がない。というわけで、最近毎日あんもの写真を撮っている。ところが、ばあさんネコの割りに動きがすごく速い。いい写真がなかなか撮れない。
上の写真は昨日撮ったもの。ヨメさんに見せると、「お口のまわりがよごれてるし、ダメ」とのこと。めずらしくあんもが上をむいているとこが撮れたのになあ・・・。
今日も撮ったけど、なかなか「ベストショット」と言えるものはない。ああ、もう日がないのに・・・。
「あんもちゃん、わろてんか。」
今日も用事があって、いなかに帰った。
花背峠を通ったのは午後2時半ころ。気温は1℃。北向きのところは0℃だった。
年末年始にはいなかの家でゆっくりしたいのだが、ヒマなのは私だけ。廉と真樹はバイト。ヨメさんも、友だちと遊びに行ったり、実家に顔を出したり・・・。
一人でボーとしててもなあ・・・。まあ、1月2日、3日は「箱根駅伝」のテレビ観戦で時間がつぶれるけど。
いなかのお隣りのお孫さん・藤井勘太選手(東海大)が走ってくれたらなあ。登録メンバーには入っているんやけど・・・。
せっかくいなかに帰ったので少し走ろうと思っていたが、あいにくの雨。無理はしない。
明日は「京都走ろう会例会」。
昨シーズンの例会10km最高タイムは44分14秒。明日はこれを目標に走りたい。
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2010年10月31日(日)
京都マラソンコース前半視察 [雑用]
京都マラソンのコース案が発表されたので、さっそく半分でも走ってみようかと思ったがあいにくの雨。仕方ないので、車でまわることにした。
ほとんどの写真が、車の中から一瞬ワイパーを止めて撮ったもの。すごく見にくいですが、どうかお付き合いください。
(コース図に写真番号A〜Yを入れました。あわせて見てください。クリックで大きくなります。)
まずはスタート地点に予定されている西京極陸上競技場。
この一帯はサブトラック、野球場、体育館なども含めかなり広いので、15000人の収容には問題ないだろう。ただし、今日のように雨になると大混乱が予想される。雨がしのげる場所は少ない。
それからゴール地点が平安神宮ということで、15000人分の荷物を輸送しなくてはならない。マラソンで交通規制をかけている街中をどう輸送するつもりだろう。また、当然サイフを持って走るわけにもいかないので、貴重品も預かってもらわねばならない。それはどうするんでしょう。
スタート直後に五条通りへ。
ここは東に少し進むだけなので、両側4車線を完全規制(車両通行止め)してほしい。
光華女子学園を過ぎた葛野大路五条交差点を左折(北上)。
光華女子学園と言えば、廉が中学校スキー部の時、大会参加や合宿で何度もお世話になった。当時は、女子校の合宿に廉一人で乗り込むというすごいことをやっていた。なんといっても、京都府でクロカンスキーをやっていた男子中学生は廉一人だけだったから。
葛野大路も両側4車線を完全規制してほしい。
そうでないと、15000人がバラけられない。
葛野大路四条交差点を左折(西行き)。
京都外大前を通る。ここらはまだ片側2車線あるところなので、できれば両側4車線全部を規制してもらいたい。
四条通も途中から片側1車線になる。
ここまででバラけていたらいいが、道路幅が狭くなったところでランナーの渋滞がおこる可能性もある。
松尾橋手前を右折(北上)。ここらで、約5km。
いよいよ桂川左岸道路へ。
桂川左岸道路。
ここで景色ががらっと変る。
ここまではかわりばえのしない退屈な景色。しかし、ここから前がぐんと広くなり、遠くに山(愛宕山?)も見える。きっと気持ちよく走れると思う。
かの有名な渡月橋。
この橋を左前に見ながらゆっくりと・・・。
でも残念ながら橋のたもとまでは行けません。そのちょっと手前を右折。
嵐電(らんでん)とJRをまたぐ高架橋。
ここがこのコースで初めての上り坂。
高架橋を下りきると丸太町通りとの交差点。
ここは交通規制による大渋滞が予想される。
ここをもう少し進むと右折。広沢、宇多野方面へ。
広沢池で、約10km。
ここらは風致地区なので、新しい建物は一切なし。田んぼや畑もたくさんある。「ほんとにここは京都?」と思わず言いたくなってしまう。
意外に広い広沢池。
ここに、大きな鯉がいっぱいいるらしい。
この通りには人家が少ないので、レース当日は車両全面通行止めにすべきでしょう。
こんな竹林の中も走ります。
ただし、けっこうな上り坂。完走が目標の人は、ここらは歩くのもいいかも。
福王子交差点手前もかなりきつい上り坂。
ここは、高雄や周山に帰る国道162号と交差する。ここを規制すると、影響のある人が多く出てくるような気がするが・・・。
出たー、仁和寺山門。
これは値打ち。
ほかにも有名なお寺の前をたくさん通りますが、この仁和寺が記念撮影のベストスポットです。(龍安寺、金閣寺などはは本当に前を通るだけという感じです。)
記念写真を撮られる時は、できるだけ門から離れられると人物背景ともにきれいに撮れます。
北大路通りに出ると、ちょっとだけ高校駅伝のコースと重なる。
北大路通りを左折(北上)。
ここらで15kmくらいかな。
時間に余裕のあるランナーは、今宮さんのあぶり餅を食べていきましょう。
今宮神社から上野街道を北上。
御薗橋通りに出るまではちょっと退屈。途中にあるのは「大宮交通公園」くらい。
御薗橋手前を右折(南下)。
京都以外の方、京都市バスはうす緑です。まあ、変な色ですね。
ここから、鴨川右岸道路(加茂街道)。
鴨川のユリカモメを見ながらゆっくりと・・・。
北山大橋側へ左折(東行き)。
右手の植物園を見ながら北山通りを東へ。
ノートルダム女学院の先を左折。宝ヶ池方面へ。
ここから上る狐坂は、ふだんは車しか通れないところ。振り返れば京の街が見渡せる。ゆっくり走りたいところです。
宝ヶ池トンネルを抜けると、もう中間点。
このゴルフ練習場あたりが中間点のようです。
雨でなければ、目の前に比叡山がくっきり見える。
「さあ、後半」と思えるいい場所であると思います。
次は、車ではなく実際に走ってみたいです。
コース前半のポイントは、広沢池から金閣寺に続く道。
かなりグネグネで、アップダウンも小刻みにある。ここで力を使い果たしてしまわないように注意が必要。試走できる方は、ここだけでも一度走っておかれるほうがいいと思います。
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2010年07月23日(金)
インターハイで京都キャロットの宣伝 [雑用]
ポケットティッシュ500個を仕入れ。
裏に、「高校陸上部応援セール」の宣伝。昨日廉に原案を作ってもらい、今日バイトさんにその広告文をティッシュにセットしてもらった。
今日、このうち300個を沖縄のホテルに発送した。これを、沖縄インターハイに来ている高校陸上部員に配る予定である。
「京都キャロット」の通販のお客様は、以前は高校生も多かった。年末に京都で行われる「高校駅伝」に出ている選手も、うちで買ってくれる子がたくさんいた。「高校駅伝」を見るたびに、「あの子、あの子」と言いながら見ていたものだ。
ところが、最近は高校生からの注文がめっきり減ってしまった。原因はいろいろとあると思う。
そのひとつには、気軽に注文しにくくなったという点があるのかもしれない。現在、通販の注文はほとんどがパソコンから。以前のように電話で直接注文される方はほとんどなくなってしまった。それが定着しすぎてしまったのかもしれない。
高校陸上部の子なら、自分でパソコンを持っている子も少ないだろうし。中には、携帯電話自体が禁止という部もあると聞く。それだと、なかなか注文しづらい。
そこで、「電話でも注文できますよ」、「携帯電話があればQRコードを使って、簡単にうちのホームページが見られますよ」ということを宣伝しなくてはならない。
全国の陸上競技部の子が集まるところ・・・。そりゃー、インターハイ会場以上のところはない。うーん、今年は沖縄ってかー。これは、「お仕事」として行かねばなるまい。
ということで、来週、「沖縄インターハイ」に行ってきます。あくまで、「お仕事」として・・・。悪魔で、押し事として・・・???
私が行けるのは、陸上競技初日。
この日は、400mの予選、準決、決勝がある。
このレースに出場する京都・洛南高校の福永拓哉選手は、私がお世話になっている「あいおわ治療院」の常連さん。それもそのはず、彼は「あいおわ治療院」のすぐそばの西賀茂中学校の出身。私の担当の高橋大輔似の先生も、ずっと前から彼のマッサージなどをしておらるそうだ。これは、応援せねば。
今シーズンのベストタイムで言うと、福永選手は第10位。予選は軽々突破するだろうが、準決突破は微妙。何とか決勝に残ってもらいたい。(ただし、午後4時からの決勝は見られない。その日の空港便で関空に帰るので。)
400mの予選のあと、男女1500mの予選がある。できれば、このレースに出る選手にうちの宣伝入りティッシュを配りたい。
さあ、お仕事、お仕事・・・。
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2010年06月23日(水)
小谷屋のおばさん [雑用]
「おばさん、ちょっと写真撮らしてもらいますわ。」
「えー、こんなおばあさん撮ってどうすんにゃなあ。」
「まあまあ。」
(パチリ!)
「いや、おばさん、顔が白う白う写ってしまいましたわ。」
「頭が白いさかい、そう見えんのとちゃうかなあ。まあ、私は顔は白いほうやけど・・・。」
そうそう。小谷屋のおばさんは、ぼくらの同級生のお母さんの中では色白で美人。それは、80歳になった今も変わらない。
今日の午後、久しぶりにいなか(花脊別所町)に帰った。
おじいさん(父)の家に行く前に、ちょっと小谷屋(元旅館)へ。
「おばさーん、また来ました。」
「ああ、こうじさん。よう来てくれはった。」
「電気ついてへんさかい、いやはらへんのかいなと思いましたわ。」
「一人でおったら電気はつけへん。もったいないやろ。」
「またね、富士山のお菓子買うて来ましてん。富士山行ったら、おばさんのこと思い出しますにゃわ。」
「いやー、ありがとうな。私みたいなよそのおばさんのことまで心配してくれて・・・。」
「そんなたいそうな。一年に一回だけですやん。」
「中学の時担任やった中古賀先生が、ブルガリアから帰ってきてはるんですわ。もうむこう引き払って、元の家に住まはるみたいですよ。」
「そうかー。ほんなら、また同窓会するんやな。」
「そうですねん。よりちゃんにも連絡せんならん。」
「こうじさん、よりさだも呼んだってな。よりさだは気楽なもんやわ。あんたとこはええわ、よめさんがしっかりしてはるさかいなあ。」
「ほんまにそうですねん。何でも『ははー』ゆうとったらうまいこといきますねん。」
「そら、あんたもちゃんと考えてるさかい、うまいこといってるんやわ。」
「いやいや、みんなそうゆうてくれはるんですけど、ほんまのほんまにヨメさん頼りで生きてますねん。」
「はははー、そうか。それでええて。ヨメさんがしっかりしとる家はみんなうまいこといっとるてー。」
「うちのありさん(だんなさん)はな、58で死んでしもたんやわ。そやし、よりさだもあと4年したら気つけんなんゆうとる。」
「ありさん、そんなはよ死なはったんでしたっけ。うちもね、おかちゃんが65で死んだんです。そやし、ボクもあと10年ほどしたら気つけんなんなあ思とるんです。」
「あんたはだいじょうぶやてー。腹も出でへんし、元気そうやし・・・。よりさだは心配やわ。」
「こうじさん、あの写真見てみー。あのころはスキーのお客さんがいっぱいで・・・。」
「あー、これはぼくらが小学生くらいの時やね。45年ほど前ですわ。このころは、リフト乗るのんが1時間待ちとかゆうこともあったしねえ。」
「そうやで、こうじさん。うちの前でバス待ってる人におでん売ったら、鍋に入れる間もなく次々と売れてなあ。おにぎりかて、まだごはんも炊けてへんうちから次々とお金出さはんにゃわ。みんな我先にな。ほんまににぎる間もないくらいに飛ぶように売れたんやで。
そんでな、その売れたお金はどこ行ってしもたんやてよう言われるんやけど・・・。おおかた、その時働いてくれはった人に渡してしもたわ。」
「うちの駐車場にも車があふれてなあ・・・。とめるとこないゆうておこられるくらいやったのに・・・。」
「おばさん、ごはんちゃんと食べてはります?」
「それがな、ちゃんと食べとるんやわ。朝はパン、昼と夜はごはん。」
「でも、農協もなくなってしもたし、買いもんたいへんやね。京都とか行ってはります?」
「いやー、めったに行かんわ。」
「家から出て行かはることも少ないんやね。」
「そうや。そやけどな、あんたとこの裏の診療所にはちゃんと歩いて行ってるんやで。去年、私の弟が二人ともガンで死んでしもてなあ。あんたもしっかり検査してもらわなアカンてみんなに言われて・・・。そやけどな、『兄弟3人中2人がガンで死んだら確率的には後の1人はだいじょうぶです』て先生に言われて・・・。うまいこと言わはるわ。」
「こうじさん、私もよりさだに電話しとくし、呼んだってな。」
「はい、電話します。でも、富山から出てきてくれるかなあ。」
「そら分からんけど、さそたって。」
「ほなら、おばさん、帰りますわ。またしゃべりに来ますし。」
「ほんまにありがとうね。よう来てくれたね。」
2年ぶりの第2回中古賀クラス会の目標は、1回目に来てもらえなかったメンバーに1人でも2人でも来てもらうこと。
「よりちゃーん、来てくれよー。」
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