パオパオだより

2013年11月02日(土)

いつ走るのをやめる? [私の好きな人]

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「諏訪湖マラソン」の帰りに食べたおすし(1100円)

 私といりえゆかさんはあやしい関係です。 
 先日の「諏訪湖マラソン」で2年ぶりにお会いしました。その間年賀状のやり取りくらいしかなかったのですが、どこかでつながっている感じがします。
 ここ数ヶ月は、私がブログの記事としていりえゆかさんを取り上げ、それに対していりえゆかさんがブログの記事として応えてくださる。その記事に対してまた私が応え、そしてまた・・・。
 ねっ、あやしいでしょう。

 まっ、その件は深追いしないこととして・・・。
 昨日のいりえゆかさんのブログ「ラスティックなひとりごと」の中に気になる一文がありました。

 「どこかでRUNのやめどきを探っている気がする・・・」

 ほー。そうなんですか。
 実は私もいりえゆかさんは「初ウルトラ100kmサブ11」を達成されて、もう次に目標にするものは何もないのではないかと思っていました。最近しんどそうな様子ですが、そらしんどくもなるわな。100km10時間台で走りきってるんやから。

 ランニングは、無理してしがみつくようなものでもない。走る気がなくなれば、やめてみるのもいいでしょう。ただ、私はちょっと走らないとすぐ体重が増える。左ヒザを痛めて走れなかった数日で2kg増えてしまった。今また走り出して、1kgはすぐに減った。こんな感じで無理しないで走り続けることは、体重管理にはよさそうですけど・・・。

 いりえゆかさんの「ウルトラ100kmサブ11」には、私はとうてい対抗できそうにない。私の得意分野でその記録に匹敵するのは、「60歳で5000m18分台」でしょうか。
 それが達成できれば、私も競技としてのRUNはやめてもいい。どうかそれまでは「あやしい関係(?)」を続けましょうね。
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【RUN】

 「あいおわ治療院」の高橋大輔似の先生に、「もう普通に練習していいですか」と聞いてみた。
 「急に走る距離を増やさないこと、下りをバンバン走るのはやめておくこと」
 この2つを守れば普通に走っていいらしい。

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 今日は練習にちょっと変化をつけてみた。 
 まずは3km、15分38秒。

 1kmジョグのあと、超久しぶりの1000mタイムトライアル。3分49秒。思っていたより速く走れた。

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 一条山一周1kmジョギングのあと、2km線路北コース。
 行きの1kmに4分16秒もかかってしまった。
 「これではいかん」と帰りはスピードアップ。4分04秒で走れ、トータル8分20秒。まあまあですか。

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 1.2kmダウンジョグ。
 そのあと店往復1.3kmをプラスして、今日は合計10.5km。
 これくらいが、今一番いい感じで走れる距離です。
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【今日のきく】

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 「なんじゃー、こりゃー。」

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 「帽子のようで帽子でない、ベンベン。」

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 「髪飾りのようで髪飾りでない、ベンベン。」

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 「それはなにかとたずねたら、ベンベン。そりゃ、ただのでっかいきのこでっかいきのこ・・・。」

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2013年10月29日(火)

続・いりえゆかさんに聞け! [私の好きな人]

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 「いりえゆか門下に入らせていただきます。」
 「えー、そんなそんな。」
 「ウルトラのかみさまー」と手を合わせて拝む。
 「えー、そんなそんな。」

 去年は「諏訪湖マラソン」の日程変更のため出店できず、いりえゆかさんには会えなかった。まるまる2年ぶりの再会。以前は体の痛みでゴール後にまっすぐ立てず、動きもできないくらいだったいりえゆかさんなのに・・・。(今でも「いりえゆかさん」と言えば、諏訪湖マラソンゴール後に痛みで固まってしまったあの姿を一番に思い出す。)
 しばらく会わないうちに、初ウルトラ100kmでサブ11のランナーになられているとは。何がどうなっているのかさっぱり分かりません。もうここまで行くと、私から見れば神の領域。いりえ門下に入れてもらって、一からウルトラをやり直したいという気持ちもあります。でも、「そんなそんな・・・」ですから、無理ですね。

 思い当たることと言えば・・・。
 私は若いころトライアスロンをやっていて、当時出場に際し義務付けられていた負荷心電図をとってもらっていた。そのときお世話になったW先生(女医さん)は、ご自分の医院に負荷心電図をとりにきた十数人のデータを分析し、講演で発表された。
 その講演を聞いていた私は笑ってしまった。
 スイム3.9km、バイク180km、ラン42.195kmの「第1回びわ湖トライアスロン」の完走者でW医院にかかったランナーの最大酸素摂取量が表にまとめてあった。ほとんどの選手が一般成人の平均を大きく上回っていた。しかし一人だけ飛びぬけて低く、一般成人の平均さえ下回っている選手がいた。
 「なんちゅう低さ。笑ってしまうねー。これで完走とはある意味すごいねー・・・、ってそれボクやん!」

 結論。
 私は元々フルもウルトラも無理。そんなん適してないんです。それに反して、いりえゆかさんはめっちゃ最大酸素摂取量が多いにちがいない。1kmのスピードで100kmを走りきってしまうランナー。そうゆうことですね。

 「どうしたら短い距離も速くなりますか」といりえゆかさん。
 「いや、何をやってもほとんど効果ないと思いますよ。ボクが何をやってもウルトラが完走できなかったのと同じで、いりえゆかさんには短いのは向いてないんですよ。」
 「えっ、そうなんでしょうか。」
 「いいことばっかり続くより、よくないこともあってまたいいことがあるほうが楽しいじゃないですか。」

 でも初ウルトラ100kmサブ11で、この上にまだなにがしたいんかなあ。そこをもうちょい聞いとけばよかった。また、ブログ「ラスティックなひとりごと」をしっかり読むことにしましょう。

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 手作りケーキ、ありがとうございました。
 すごくおいしかったです。
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【RUN】

 昨日も走らなかった。
 今日は久しぶりにコーナン往復5km。28分27秒。
 左ヒザも痛くならず、しっかり走れた。でも、今度は右ヒザがちょっと気になる。
 1kmをプラスして今日は6km。 
 これから少しずつ距離を伸ばしていこう。

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 夜は外食。すぐ近くの中華料理店。
 安くていいのだが、消費するエネルギーと摂取するエネルギーのバランスが崩れている。はっきり言って、今の私はデブです。あーあ。

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2013年10月24日(木)

天野祐吉さん [私の好きな人]

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◎朝日新聞10月21日朝刊

【評伝】 ありがとう さよなら CM天気図
             フツーですごい引っかき回し役

 天野祐吉さんはフツーの人だった。CMはみんなが見る。そのフツーなものの中に、時代のそよぎや、人の心のうつろいを見つけて届けてくれた。フツーで、すごい人だった。

 1979年に「広告批評」を創刊。待ち受けていたかのように「おいしい生活。」(西武百貨店・82年) 「おしりだってあらってほしい。」(東陶機器・同年)などなど、話題のCMがあらわれ、社会現象として語られる時代になった。

 「CMは、想像力を切り開き、鍛える」。天野さんはそう語っていた。やわらかいことばの下には思索者のゴリッとした芯があった。「広告批評」82年6月号には「まず、総理から前線へ。」「とにかく死ぬのヤだもんね。」と反戦広告を並べて話題を呼んだ。

 こだわりと月並みとヤボが嫌い。ひっかき回し役を進んで買って出た。

 連載中の「CM点気図」の前身「私のCMウオッチング」では90年に、洗濯機のCMを語った回がきっかけで、「妻が夫のパンツを洗うのは常識か否か」の論争が勃発した。いや、男女共同参画時代の到来を「パンツ洗い」を通して告げるべく、天野さんがしかけた。

 けれど、90年代も終わるころにはCM文化がやせ細っていく。「広告批評」も2009年に休刊。それでも最期まで書くことはやめなかった。20日の朝刊読者面では、前回東京五輪の年、1964年のベストセラーを語っている。

 図らずも最終回となった16日付「CM天気図」では顔写真付きの野菜販売を取り上げ、こう結んだ。「アンチグローバリズムのささやかなCMだったりして」
                         (編集委員・鈴木繁)
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 有名人が亡くなられても、ほとんど思うことはない。
 しかし、今年はちがう。
 島森路子さんと天野祐吉さん。「広告批評」という雑誌の編集に携わったお二人。島森さん66歳、天野さん80歳。テレビでしか見たことのないお二人だが、きっとお会いしたら私のような者にでも「ニコッ」と微笑みを返してくださりそうな・・・。そんなイメージのあるお二人でした。

 島森さんは長い闘病生活を送られていたようだ。だから、亡くなられたと知ったときは「やっぱり・・・。」
 天野さんは、私のバイト先で朝日新聞の連載を毎週楽しみにして読んでいただけに「えっ!」(先週も読んだのに・・・。) もう「CM天気図」は読めないんですね。

 テレビから、フツーの「下品でない」方が消えていくのがさびしい。 

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2013年10月17日(木)

真樹が初めて会った沖縄県人 [私の好きな人]

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日米共同訓練のため、饗庭野演習場に向かうオスプレイ。奥は高島市の市街地

◎京都新聞10月17日朝刊

   高島オスプレイ訓練実施 日米共同 初の使用
          市街地を飛行 知事らの要請反し

 陸上自衛隊と米海兵隊が新型輸送機オスプレイを使用した16日の饗庭野演習場(高島市)での日米共同訓練で、オスプレイが同市新旭町の市役所本庁舎や中学校の近くなど市街地上空を飛行し演習場に入っていたことが同日、市などへの取材で分かった。

 市によると午前10時15分ごろ、オスプレイ2機が市役所本庁舎の南側から西側の新旭駅南側の高架を横切って饗庭野演習場に向かうのを、飛行音に気づいた複数の職員が目撃した。

 また市役所の東側に面した湖西中でも午前10過ぎ、校庭の南方を2機のオスプレイが飛行しているのを校長らが確認。同中はこの日、台風26号の影響で朝から休校となり、生徒はいなかった。

 オスプレイの飛行に関しては、同市の福井正明市長や滋賀県の嘉田由紀子知事が防衛省に対し、住民の安全を考慮し、市街地や琵琶湖の上空を飛行しないように繰り返し要請していた。近畿中部防衛局は「オスプレイの飛行経路の詳細は現在確認中で、現時点ではコメントできない」としている。

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「高島でのオスプレイ訓練は沖縄の負担軽減にはならない」と指摘する高間さん(湖南市・沖縄館)

   「負担軽減は詭弁」 沖縄出身、湖南の女性
           反対機運高まらず、もどかしさ

 湖南市に住む沖縄県出身の高間エツ子さん(62)は湖国から訓練反対の機運が高まらないことに、もどかしさを抱く。「高島での訓練が沖縄の負担軽減となるというのは詭弁。国は『オスプレイは日本防衛に必要な抑止力』と説明しているが、戦争につながる武器だと知ってほしい」。憂慮は消えない。

 9月29日。高島市であった反対集会に赴いた。参加者は主催者発表で約800人。訓練当日の抗議活動の参加者は20人あまり。沖縄で見てきた抗議集会と比べると規模は圧倒的に小さかった。

 高校時代。クラブ活動中、歩道をランニングしていた学生が米兵の車にはねられた。沖縄全土で抗議の声があがったことを思い出す。卒業後、パスポート持参で神奈川県へ集団就職した。職場のラジオで日本復帰を知ったときは本土での差別や基地問題は改善に向かうと信じた。しかし、基地は今も沖縄に押しつけられたままだ。昨年10月には県の容認がないまま、沖縄にオスプレイが配備された。

 「オスプレイ1、2機が1日訓練するだけでなぜそんなに騒ぐんだ」。そんな声も漏れ伝わる。「結局は沖縄の問題でしょ」。そう言われているように聞こえる。

 想像通り、訓練を終え、日本政府はオスプレイの安全性をアピールした。国が説明する負担軽減は、普天間飛行場(宜野湾市)を名護市辺野古に移設するための口実でしかないとあらためて感じた。

 8月に米軍キャンプ・ハンセン(宜野座村など)の敷地に米軍ヘリが落ちた。日本復帰以降、沖縄で起きた米軍機の墜落事故は40件を超える。オスプレイの危険性を踏まえた上で、高間さんは言う。

 「オスプレイが、落ちなければよいという話ではない。知らないうちに戦争に加担しているという想像が働かないのなら、そこに危機感を覚える」
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 今までにも何回か書いたことだが、真樹が生まれて初めて会った沖縄県人は滋賀の高間エツ子さん。今から7年前、真樹が小6の時。
 社会の勉強で沖縄に興味を持った真樹は、「沖縄、行ってみたいなあ」とよくつぶやいていた。ちょうどそのとき、「沖縄本土復帰34周年記念日」(2006年5月15日)の京都新聞の記事に高間さんがコメントを寄せられていた。その内容は、「沖縄を消費の島として楽しむだけでなく、沖縄戦や米軍基地問題にも目を向けてほしい。自分の見たいものだけを見るような人には沖縄には来てほしくない」というものだった。

 沖縄に行くには、たとえ小学生であれそれなりの心構えが必要だ。私の乏しい知識を絞り出すよりも、沖縄県人に直接お会いしてお話を聞いた方がいい。そう思い、高間さんの連絡先を調べ、娘に沖縄の話をしてもらえないかお聞きした。そうお願いすると、高間さんはすごく喜んでくださった。
 京都のいなかから滋賀のいなかまで。真樹と私の二人で旧「沖縄館」にお邪魔した。その時の高間さんのお話が、「真樹の沖縄」の始まりといっていい。

 そんな真樹が、今や沖縄の大学生。子どもなりに長年温めてきた夢が、この春にちょっとだけ実現した。京都から引っ越して半年がたったが、今のところ何とかがんばっている。今もきっと心の隅に「見たいものだけを見る人間にはなるな」という高間さんの言葉を置いてくれていると思う。

 「高間さん、ありがとうございます。
  真樹、高間さんのこと忘れるなよ。」
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【今日のきく】

 今日も、お昼前から寮の管理人代行のバイト。
 朝のきくのお散歩に行ったろかなと思ったが、やっぱりヨメさんでないとあかんらしい。

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 玄関にあったハロウィンのシールを、ペタ!

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 かぶりもんも平気やけど、シールも全然平気なきくちゃんでした。

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2013年10月12日(土)

池田先生の水彩画風景展 [私の好きな人]

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京都新聞10月11日夕刊より

 今日の滋賀での陸上競技会の帰り、北大路ビブレに寄った。
 廉と真樹がお世話になった上賀茂保育園の元園長先生である池田先生の個展が行われている。池田先生の絵は、私が一番好きなもの。こんな絵がかきたいとずっと思っている。

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 久しぶりにお会いした池田先生は、すごく元気そうでよかった。
 「廉君も火曜日に来てくれてたんですね。会えなくて残念でした。」
 「廉も先生の絵が好きで、近いから絶対見に行くってゆってました。」
 「そう言ってもらうとうれしいです。」

 「私も先生の絵が大好きなんで、見に来させていただきました。」
 「ありがとうございます。」
 「これだけの絵だと、完成させるのにだいぶ時間がかかるでしょう。」
 「かき始めたら早いんです。でも、かき始めるまでがね・・・。目の前の景色の声をじっと聞いて、その声が理解できるまではかき出せないんですよ。」

 「前回まで『スケッチ展』という名前にしていたら、画家が見に来んかったんですよ。それが悔しくてね。今回は白いところを残さず全部色をつけて『水彩画展』にしました。そしたら、ちゃんと画家が見に来てくれています。」

 「先生の絵では、森が水に反射しているのがやっぱり一番いいですね。」
 「そうですか・・・。これから、もっと水に映る絵をかこう。」

 先生のお話は、いくらお聞きしていてもあきない。 

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 84歳の池田先生。
 「この個展は2年ごとにしてるんですが、次はもう死んでるかも・・・。」
 「だいじょうぶですよ。うちの父は91ですけど、いなかで元気に暮らしています。」

 久しぶりに絵をかいてみたくなった。かけたら、池田先生に見てもらおう。 

 池田先生の水彩画風景展は明日まで。
 北大路ビブレに行かれる方は、ぜひお立ち寄りください。

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2013年10月07日(月)

ナリケン主義 [私の好きな人]

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 「あなたは何主義ですか?」と聞かれたら、すかさず
 「ナリケン主義です」と答える。
 まあ意味不明な問答ですが・・・。

 ナリケンは、うちの真樹が中1の時の同級生。学年一人きりの小学校から学年250人の中学校に進学し、心細くなっていた真樹を一番楽しませてくれたのがナリケンである。ごっついナリケンは、何事もスケールが大きく、お笑いのセンスも抜群だった。
 中2の暮れに静岡に引っ越してしまったが、今年の春、大学生として一人京都に戻ってきた。5年のうちにすっかり変わってしもたかなあ。ゴツゴツの野球少年の印象しか残っていないが、めっちゃイケメンになってたりして・・・。

 今日10月7日は、そのナリケンの19歳の誕生日。午前0時に「誕生日おめでとう」のメールを送りたかったが、なんせジジィは夜更かしができない。昨日の夜11時前に、フライングのおめでとうメールを送っておいた。

 その返事。
 「お久しぶりです。

  ありがとうございます!

  ただいまアメフトで鎖骨を折って入院中です。
  早く元気な姿をおみせしたいです。」

 いい子でしょう。
 ヨメさんは、「どこの病院か聞いて、お見舞いに行ったげ」と言う。
 でも、どこの誰かよう分からん初老のオッサンがお見舞いに来てもうれしないやろ。
 まあ、ナリケンのことは「ずっと気にかけてんでー」ということでね。また、どこかでいいおみやげが見つかったら送るしねー。
 しっかり治して、また大活躍してくれよー。

 ところで、ナリケンは「パオパオだより」見てくれてんのかなあ。

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