2011年01月08日(土)
学校が大好き [学校]
◎毎日新聞1月8日朝刊 「新教育の森」欄より
「不適切な授業 なぜ多発」に全国からお便り
◇先生取り巻く問題、指摘と提案の数々
昨年11月に、このページで「不適切な授業」をしてしまう先生の実態と背景を取り上げ、ご意見を募集したところ、全国からお便りをいただいた。先生の資質や家庭教育の重要さ、多忙な教員の現状など、体験を交えて指摘された方もいた。一部を紹介する。【まとめ・澤圭一郎】
◇先生への敬意を家庭で教えなければ
不適切な授業をしてしまう先生が、その理由を問われると「子供たちの関心を引きたかった」と説明するケースが多い。親しみを持たれたいと考える先生が、行き過ぎた指導や授業をしてしまうのかもしれない。しかし、「教師と生徒の立ち位置は違う」と指摘する投書もあった。
大阪府高槻市の主婦、森佳奈子さん(41)は、幼稚園や小学校で読み聞かせをしている。その中で「おふざけが過ぎて羽目を外す子供もいますが、そういう時は大人として毅然(きぜん)とした態度で接します」という。「それで子供たちが私に対して距離を置くかというとまったく逆。一種の畏れを抱きつつも慕ってくれる。信頼を得ていると感じます。家庭で先生に対しての敬意を教えることが必要」という結論だ。
◇資質審査できないものか
資質や経験を問題視する意見もあった。東京都品川区のピアノ奏者、本田成子さん(59)は、自身の子供がかかわった教員の問題を書き、「国が何らかの方法で、適性のような基準を設けたらどうか」と、教員の資質審査ができないものかと問いかける。
愛知県豊田市の主婦(40)は「先生になる前に多様な子供とかかわるべきだ」とした上で、「人の話に注意を向けたり、聞き続けることが難しい子や席に座り続けることができない子、発達障害の症状がある子供たちを理解できずに、行き過ぎた発言や授業をしているケースもあるのでは」という見方だ。
先生の多忙さや環境に遠因を求める意見も多かった。
横浜市に住む国際救急法研究所理事長の宇田川規夫さん(64)は「戦後の教育行政は、教育にはなじまない目標管理体制がとられ、それが給与にも及ぶ仕組みになっている。報告書作りに追われ、管理だけを考える校長、安易に文句を言う親などとのあつれきが教員を襲い、学校がバラバラにされている」と書く。さらに「相談するゆとりもない中で、若い教員が試行錯誤することも許されず、孤立し、過労にさいなまれている実態」に原因があると見る。
◇書類作りに追われ孤立、過労にさいなまれている
東京都杉並区の元教員の女性(79)も「子供に向き合う時間もないほど、形ばかりの会議が多く、誰のために書くのかわからない書類の多さ、追いまくられる学校にしてしまったのは教育行政のせいではないか」と憤る。
◇保護者も教師と共に育つつもりで
大阪市の助産師、涌嶋嘉子さん(36)は、専門学校で教員をしていた経験から「教員は本当に多忙で、家に帰っても夜中まで授業の準備に追われていた」と振り返り、「小学校の先生は保護者の対応もある。保護者が学校に多くのことを求め過ぎている。しつけや道徳教育まで押しつけて、先生の目についたことに文句をつけるのでは、教師がつぶれてしまいます」という。報道されたケースは不適切だとした上で「保護者も教師を育て、共に育つつもりでつきあわないといけないと思います」という感想だ。
◇校長のリーダーシップで成果は上がる
不適切な授業が公立校で多発する現状に対し、埼玉県所沢市の元日本教育大学院大教授、井口哲夫さん(57)は「教育公務員である公立教員は、サラリーマン化してしまいプロ教師としての研さんを放棄しているところに問題がある」と指摘。「公立校でも、校長が、教育理念を実現しようとする意志の強さを持ち、教員集団をまとめ上げるリーダーシップがあれば、目に見える成果が上がる」という。
現役の先生からもメールをいただいた。埼玉県に住む高校の女性教諭(52)は、授業をバラエティー番組のように“面白く”することを難じつつ、「勉強が楽しくなる前には、単調な作業を我慢し集中力を身につけさせなくてはならない。それを乗り越えさせず、レベルの低い『おかしさ』だけで終わらせては生徒に申し訳ない」という。
◇背景まで踏み込んだ報道を
また、報道にも注文がついた。茨城県つくば市の会社員、秋元靖史さん(47)は、埼玉県で起きた「セクハラサイコロ」を作った教員について「この教師は父母に非常に評判が良く、復帰を願う署名運動まで起きていると報じている新聞もある」とし、「いたずらにセンセーショナルな面のみ針小棒大に報じ、熱意ある教育現場の努力を無にすることは慎まないといけない」と、問題の事象だけでなく、教師の背景まで踏み込んだ報道が必要と指摘した。
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「学校と私」欄より
学校と私:先生に集会打ち切られ憤った=シンガー・ソングライター、中川ひろたかさん
◇絵本作家、シンガー・ソングライター、中川ひろたかさん
はた目には楽しい学校生活だったと思うよ。クラスの人気者で、学級委員をみんなで決めるとたいていぼくが選ばれた。勉強もそこそこできた。
でも大学中退まで、学校には何も期待していなかったし、先生にはどこか冷めていたと思う。良くされたと感じたのは小学1年の秋、給食の時間にうんこを漏らし、後始末をしてもらった時ぐらいかな。生意気かもしれないけど、少しも影響を受けたとは思わない。
どうしてだろう。印象に残るのは中学の時、学校集会が先生たちに一方的に打ち切られたこと。確か「校則」についてだったかな。世は学生運動華やかなりしころ。意識の高い子もいて、議論は盛り上がった。でもぼくたちは、説明もなく学校から帰されてしまった。
後で知ったのはその日放課後、学校でテレビ番組の収録があったということ。人気バンド「ザ・テンプターズ」のメンバーが卒業生だったことから撮影があったらしい。学校側は混乱を嫌ったんだろうね。ぼくは大人の一方的な圧力に小さく憤ったよ。まあ、先頭に立ってガンガン怒ったり、学生運動に目覚めたりしたわけじゃなく、実に中途半端だったけれど。
そういえば小学校の時、担任の先生に何か質問をしたら、「勉強のしすぎで頭がおかしくなったんじゃない」と言われたこともあったね。
学校で教わることがすべてじゃない。学校は子どもが友だちに会いに行くための場所。子どもは自分で面白いことを探せばいい−−。保育園に勤務したこともあるからか、そう思う。学校はその支援をすればいい。
こう言うと怒られるかもしれないけど、いい先生の条件って、子どもに害をなさないことじゃないかな。大人にはしないような失礼なことは、子どもにもしない。それでいて「学校に毎日行きたい」と思わせられればいい。授業なんて、子どもの目の色が少しでも変われば御の字だよ。
そうそう、この場を借りて言いたいことがあったんだ。学校の教室ってどうして、声や音が響きすぎるんだろう。仕事でおじゃますると、実に落ち着かない。みんな、情緒不安定にならないのかな。【聞き手・遠藤拓】
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■人物略歴
◇なかがわ・ひろたか
1954年埼玉県生まれ。87年にバンドデビュー。代表作は「世界中のこどもたちが」。95年からは絵本も手がける。「D1だじゃれグランプリ」「A1あそびうたグランプリ」主宰。
今日は、私の「勘ちがい」シリーズということで・・・。(うん? そんなシリーズあったっけ?)
「何? 55のオッサンが『学校大好き』って・・・。どうゆうこと?」
そう思われるのも無理もない。
23歳から12年間小学校教師をしていたとは言え、退職してから早20年。その年に生まれた長男はもうすぐ成人。
私が学校が大好きな理由の一番は、やっぱり給食。だから、学校と言えばそれはイコール小学校になってしまう。
私の小学生の時、給食はすぐ近所の「おハナさん」が作ってくださっていた。料理の腕は超一流。でも私は、ネギとタマネギとニンジンが嫌いだった。今もニンジンは苦手なまま。ごはんも全部は食べられなくて、いつも富雄ちゃん(同級生)に食べてもらっていた。
そんな私でしたが、給食はやっぱり大好きだった。
理由の二番は、そりゃ夏休みでしょう。今も「夏休み」という言葉を聞いただけで心が熱くなる。
何で大人には夏休みがないんかなあ。いっそ、7月中旬から8月中旬まで日本中休みにしたらどやねん。
そして最後に、学校にはおもしろいことがいっぱいつまっていた。いやなこともちょっとはあったけど、そんなもんみんな忘れた。おもしろかったことは今も覚えている。
いっちゃん覚えてるんは、授業中に前に出て一発芸をしてみんなを笑わせてすっと席に戻ったことかな。あれはそうとうやりかましたな。小4の時。担任の先生困っとったなあ。
学校大好き少年の念願かなって小学校教師になってはみたものの、どうしたらええか分からんことばっかり。そんな時の決まり文句は、「班で相談しなさい」。もちろんほったらかしではなく、ちゃんと話し合いは見守ってはいたけれど・・・。
確かに経験の少ない若年教師一人の考えより、6人の少学生の話し合いのほうが明らかに上。これでなんぼ助けてもうたか分からん。
学級崩壊が話題になっているけれど、私はそれ以前の「人間崩壊」。先生が人間崩壊していたら、クラスはまとまるぞー。
小学生であってもしっかりとした考えを持った子が何人もいて、先生に頼れないと判断すると自分たちの力を最大限に発揮しようとする。みんな学校に楽しみに来ているのに、それをジャマすることだけはしたらアカン。それだけはいつも胆に命じていた。
6人の班のメンバーは抽選で決めていたので崩壊する班が出てくるかもと思ったが、奇蹟的にそれもなかった。運がよかっただけなんかなあ。
自分一人がよかったらいいという考えの子がいなかったのが、今思ったら不思議でたまらん。なんで、みんないっしょにと思ってたんやろう。前の担任がよっぽどよかったんかな。
教師を辞めて20年になるのに、今も学校や教育についての新聞記事は気になる。今日の毎日新聞の「新教育の森」はおもしろかった。教育に関しても人の考えは様々。一番大事なのは、様々な意見があるというところからスタートすること。そこからアウフヘーベン(止揚)すること。(へへへー、哲学用語つこたったー。)
「学校と私」の中川ひろたかさんの記事の後半部分にびっくり。常々私が思っていたこととあまりにも似ていて・・・。
「学校で教わることがすべてじゃない。学校は子どもが友だちに会いに行くための場所。子どもは自分で面白いことを探せばいい−−。」
「こう言うと怒られるかもしれないけど、いい先生の条件って、子どもに害をなさないことじゃないかな。大人にはしないような失礼なことは、子どもにもしない。それでいて「学校に毎日行きたい」と思わせられればいい。授業なんて、子どもの目の色が少しでも変われば御の字だよ。」
ほんまにそう思います。
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2010年10月28日(木)
幸せそうじゃない先生 [学校]
※以下、あくまでも私個人の考えです。ご批判があれば、それはすべて私に。
前々から気になっていることがある。
ある学校の先生が、授業があるごとに「こんなことも分からないのか」と言われるとのこと。
「えっ!」私はわが耳を疑った。
その言葉は、何をねらった言葉なのだろう。子どもたちがどう反応することを願っておられるのだろう。私にはまったく分からない。それを言って何になるのだろう。
もし私が生徒であってそう言われたとしたら、「はい、分かりません。だから、分かるように教えてください」とお願いすると思う。その先生はそれをねらっておられるのだろうか。
しかし残念ながら、そのクラスには私のような鈍感態度デカ生徒はおらず、その先生は毎時間毎時間「こんなことも分からないのか」という言葉をくり返す。生徒たちは、ただただそのうっとうしい時間が過ぎていくことだけを願っているようだ。
ああ、もったいない時間!
そして、幸せそうじゃない先生!
前々からずっと思っていた。
先生になった人たちは、小さいときからお勉強がよくできる人が多い。そして、公立の教育大学や教育学部を卒業した人が多い。いわゆるエリートコースを歩んできた人たちである。私のように働きながら夜間大学を卒業し、通信教育で教員免許を取ったようなものはなかなか教員採用試験に合格しない。
エリートコースを歩んできた人は、「簡単な問題が分からない」人間など今まで見たこともないのだろう。
自慢じゃないけど、私はお勉強のできる側とできない側の両方が理解できる。小中学校まではいなかの学校だったので、クラス十数人のうちのいつも一二位争いをしていた。そのころ、「自分は賢い」と勘ちがいしていた。
しかし、高校に入って大ショック。通知簿で言うと「5→3」、「4→2」という感じ。さすがに「1」だけは免れたが、それまでと同じように普通に勉強していたのにさっぱり分からなくなってしまった。一番苦手な授業では、とうとうずる休みするまでになってしまった。
「いやー、ボクって賢くなかったんやー。」
やっと、気づきました。
それでも学校が大好きだったので、先生になりたいと思った。私の実力からいうと、当時5倍の競争率だった小学校教員採用試験はまあ無理。ところが2回目(2年目)の採用試験で、私が勉強したところばかりが出た。奇跡! それで、めっちゃまぐれの合格。
先生になれた時、一番に思ったことは「自分が一番楽しんだろ」ということ。毎日毎日「何ぞおもろいことはないか」とキョロキョロしよう。
別に無理にそう思わなくても自然にそんなふうになったみたい。夏休みも一日も休まず出勤している私を見て、教頭先生が「藤井君はよっぽど学校が好きなんやなあ」とあきれておられたことをおぼえている。(当時は夏休みの「自宅研修」が認められていた。)
だから、「こんなことも分からないのか」というようなことは言ったことはないと思う。
「先生、分かりません」と言われたら、「私を頼ってくれてるんや」とうれしくなった。もちろん、それに十分応えられたわけではないけれど・・・。
「先生、分かりました!」と言うときの子どもらのうれしそうな顔・・・。それは、たいていは分かったのでなく、「スカタン」なんですけど。でも、一瞬でも子どもらのそんな生き生きした表情を見られるなんて、先生って仕事はええぞー。
もう一つ。
どういう話の流れかははっきりとは分からないが、その同じ先生は「学校をやめなさい」とも言われるらしい。
もう、ここまで来るとあぜん。教師としてそれだけは絶対言ってはならない言葉ではないか。あなたたちの一番の仕事は、「子どもたちに生き生きとした学校生活を送らせること」ではなかったのか。職務放棄ととられても仕方のないような言葉をくり返すのは、なぜ?
一度もお会いしたこともなく、その授業も見せていただいたこともないが、私が想像するにはその先生は「楽しめていない」。「分かりません」ゆうてる子を分からすのは、やりがいがあってめっちゃおもしろいのに。
20年近く前に教壇を去った人間が何をえらそうにと思われるかもしれないけど、誰かそのおもしろさをその先生に教えてあげてほしいな。
今の教育界にはいろいろなしばりがあって大変だとは思いますが、「子どもらの笑顔が見られたらうれしい」という気持ちが教育の基本であることはまちがいないでしょう。
「あーあ」とため息ばかりついている先生の授業では、子どもらは笑顔になれません。どうか、まず、ご自身が楽しいと思える授業をめざしてください。お願いします。
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2010年10月02日(土)
第62回学園祭 (体育祭)・続き [学校]
学年別種目の一番初めは、1年の種目・大縄跳び。
一番前を跳ぶ真樹。背の順番だそうです。写真が撮りやすくてよかった。
それにしても、すごく足が上っている。
クラス対抗リレーの女子の部の3走として、真樹が出場。
2走からしっかりバトンを受け取り、最後まできっちり走り、アンカーに確実にバトンを渡すことができた。毎晩かあちゃんと一緒に走った練習が役に立ったね。
アンカーのMちゃんががんばり、2位でゴール。よかった、よかった。
後で真樹に聞いてみると・・・。
「もうめちゃくちゃ緊張したわー。」
「えー、真樹ってそんなタイプやったっけ。パオパオは、全然緊張しいひんにゃけどな。」
「そうゆうふうに見えへんようにしてるから余計にたいへんなんやー。」
「ふーん、そうなん。かあちゃんに似たんちゃう?」
ここで、午前の部終了。
紫野グランドの隅には、学食の出張販売。
おばちゃんが、「予約している人はこっち。してない人はそっち」と仕切っておられた。
いい感じの学食です。
仕事があるので、ヨメさんはここでおしまい。
午後の部は、私だけで見ることになった。
「?クラブ対抗リレー」は、お昼を食べに帰っていたので見ることができなかった。男子は、バトンの代わりににんじんをリレーした野球部が優勝したらしい。女子はバスケ部。
二人三脚には、真樹と仲良しのYちゃんとで出場。
そこそこの順位でゴール。よかった、よかった。
体育祭を見ていたヨメさんの言葉。
「死ぬまでにもう一回教師の仕事したいなあ。」
何か思うところがあったのでしょう。
私はそう思ったことはただの一度もありませんが・・・。
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2010年10月01日(金)
第62回学園祭 (体育祭) [学校]
今日の真樹の笑顔を見ていて・・・。
思い出した。
ちょうど3年前の中1の体育祭。
学年1人だけの小学校から学年250人の中学校に入り、初めての体育祭。そのとき、親の心配をうれしいほうに裏切ってくれた。
自分で体育委員に立候補し、体育祭でも大活躍。笑顔を絶やさず動きまわっている姿を、私たち夫婦は遠くから目を細くして見ていたものだ。
あれからいろいろあったけど、また知り合いのほとんどいない高校に入り、ちょっと忘れかけていた笑顔が戻ってきたように思う。
今は部活はやっていないけど、ほんとは真樹は体を動かすことが大好きやもんね。
今日のように、ニコニコできる時間がもっともっと増えていきますように!
※ またもや、真樹から写真使用についてダメ出しの続出。どう使うか、現在思案中。もうちょっと書きたいんですけど・・・。
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2010年09月24日(金)
ドミノ倒しコンクール優勝 [学校]
今日、真樹の高校で文化祭のコンクールの成績発表があった。
1年の「ドミノ倒しコンクール」は、真樹のクラスが見事優勝。この夏、連日の猛暑の中、「来てくれる人が少ない」と嘆きながらもがんばった甲斐があったね。
この喜びを忘れることなく、次に・・・。
※ 今日24日は「勝手に国労応援ラン」の日ですが、「駒ヶ根高原マラソン」への出張販売の準備のため、走る時間がありません。よって、29日(水)に延期します。
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2010年09月10日(金)
第62回学園祭 〈文化祭〉 [学校]
今日、真樹の高校の文化祭を見に行ってきました。
1年は、「ドミノ倒しコンクール」でした。
今年の真樹の夏休みは、「沖縄旅行・バイト・ドミノ」で終わりました。暑い中、クーラーをつけてもらえない教室でドミノ作りに励んでいました。続けてずっと準備に来ていたのは、クラスの中の数人だけだったそうです。
でも、がんばって準備した人ほどやり遂げた時の喜びは大きいんちゃうん?
「人の写真を勝手に載せてはダメ!」と真樹にきつく言われているので、載せられる写真は上のとおりです。
一番下の写真は、とっても元気のいいカメラウーマンさん(業者の方)です。もう、声がかすれていました。プロの方が撮られた「ドミノ倒し」の写真を見せてもらうのが楽しみです。
昨日は3年生の「仰げばパレード」も見せてもらいました。私が写真を撮ろうとするとこっちに向かってポーズをとってくれたり、「ありがとうございます」と言ってくれた子らが印象的でした。(それらの写真も載せてはいけないんですよね。)
今の子は今の子なりに、しっかり楽しくやってますよ。そんなに心配することはないのかも・・・。
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※ 一枚だけ、「仰げばパレード」の写真で顔の写ってないものがありました。↓
府立病院の前あたりを南に向かっています。
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