2020年06月20日(土)
廉、半年ぶり [家族]
廉が、年末年始以来の帰省。
2年間の霞が関勤務が終わり、大阪に帰ってきたのが4月中旬。生活が落ち着き、他府県への移動規制も解除されたので京都に帰ってきてくれた。
きくちゃんは前ほど大喜びはしなかったが、車に乗ってきた廉の手をすぐにペロッとしたらしい。
いつもTシャツボックスの中に入ったままで出て来ないおかあさん猫。
なぜか、廉はこわがらずに出てきていたらしい。
若いにいちゃんが好きなんかー。
今日の午後は、「ヤクルト対中日」を二人でテレビ観戦。
球場で見れたら最高だったが、テレビでもいっしょに観戦できてよかった。6対2で勝ったし。
野球が終わって、みんなで宝が池へ。
きくちゃんは車の中でも寝ていたくらいなので、まだ寝ぼけていた。
調子が出ないので、廉が後ろからアシスト。
池の中のカメを見ていたら、明らかにカメじゃない大型生物が。
ヨメさんが「スッポンやなあ」と。
みんながきくのスピードに合わせて、ゆっくりゆっくり。
ちょっとだけオッサンの背中に担がれて。
ゆっくりながらも、なんとか宝が池を一周。
最後はヨメさんがきくを抱っこ。
きくは大暴れ。
オバサンの顔を噛む。
でも、抵抗はちょっとだけ。
すぐ観念する。
夜は、ヨメさん大はりきりの豪華晩ごはん。
廉の好きなものの勢ぞろい。
きくはいつもならすぐハウスに戻るのに、今日は私たちのところ(というより廉の近く)にずっといた。やっぱりうれしかったんやね。
「廉ちゃんのおふとんゲット!」
これは、廉と寝るという意志表示でしょうね。
いくつになってもかわいいもんです。
---------------------------------------------------------------------------------------
【RUN】
明日から沖縄。
今日は雨じゃないので、ちょっとでも走っておかなくては。
また夕方6時半から。
東北部クリーンセンターへ。
沖縄は今年も雨みたい。
涼しくていいんやけど、一日中走る予定やからねえ。
今日の猫だまりは、1ぴきだけ。
5km、29分52秒。
6月23日「沖縄慰霊の日」は、無理せずゆっくり走る予定。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2020年06月19日(金)
そんなとこからカメラ [病院]
昨日から二日連続の鞍馬口医療センター。
昨日は腎臓内科で、今日は泌尿器科。
担当のM医師が、私のデータをすべて見てくださっていたので話が早い。
私も、今まで不安に思っていたことを全部聞くことができた。去年2月から始まった最初のころの血尿と、最近の血尿は原因がちがうようだ。今の腫瘍の大きさだと、いくら長くても一年以内と思われるとのこと。
一番聞きたかったこと。
「筋層に浸潤していたら膀胱全摘と言われたんですが・・・。」
「その通りです。ガイドラインに沿う治療なら全摘です。」
「温存して治療していく病院もあるって聞いたんですが・・・。」
「あることはありますが、転移のリスクを考えればお勧めできません。膀胱癌は、転移すれば治らない癌ですから。」
「そうなんですか!」
結論。
そんな先先のことを考えるより、今できることをする。
CT検査、MRI検査の後に、内視鏡を使って膀胱腫瘍切除手術。その時に、筋層まで削って病理検査。その結果、筋層まで浸潤しておれば膀胱全摘手術へ。そんな段取り。
MRIが6月30日、CTがその翌日の7月1日。
そしてそのあと、手術の説明を受けるのが7月7日。この日はヨメさんも付いてきてもらわんなん。
あとは1週間ほどかかる手術入院の日取りだが、これはバイト先と相談しなくてはならないのでもうちょっと先に。
さあ今日はこれで終わりかなと思ったら、「膀胱の中、カメラを入れて見ておきます」と。
「えっ、膀胱にカメラ?」
「はい、5分ほどで終わりますから。」
そのあとズボンもパンツも脱ぎ、えらいとこからカメラを入れられ膀胱の撮影。私も寝ころんだまま見せてもらった。はっきりと腫瘍が写っていた。
でもM医師が、「検査してみないと分かりませんが、筋層までは行っていないかもしれませんね」とおっしゃった。これでちょっとだけほっこり。
ほんまに筋層まで行ってへんかったらいいのになあ・・・。
--------------------------------------------------------------------------------
今日、4ひき保護していた子猫の最後の1ぴきがもらわれていった。
一人で何から何まで世話をしていたヨメさんは号泣。
いつか来る日と分かっていても、心の中に大きな大きな穴が開いてしまった。
幸せになってね。
--------------------------------------------------------------------------------------
【今日のきく】
夕方5時、きくのお散歩へ。
アジサイはまだ青いねえ。
いつもとおんなじ道は飽きるなあ。
今日は遠くに行けんかった。また今度。
夜はオバサンにひっぱられ・・・。
--------------------------------------------------------------------------------------
【RUN】
夕方6時半から走りに。
いつもの十王堂橋往復5km。
うちのすぐ近くの畑に新しく家が建つ。
またきくが歩けるところが減ってしまう。
今日は5km、29分05秒。
もっと速く走りたいけど、今はがまん。
晩ごはんはめずらしく、鶏のから揚げ。
鶏のモモ肉を3等分して、きく・私・ヨメさんに。
もちろん、きくはから揚げじゃないですけど。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2020年06月18日(木)
7対3 [病院]
今日は鞍馬口医療センター・腎臓内科。
先週京大病院で撮ってもらったCT画像を見てもらって、今後の治療についての相談。
「CT画像に膀胱癌が写っていたので、血尿の原因はこれだったみたいです。」
「そうですね。これは泌尿器科になりますね。今後どうされます?」
「京大病院の先生は、京大病院でも鞍馬口でもどちらで治療してもらってもいいので相談してきてくださいとのことでした。」
「そしたら、とりあえずうちの泌尿器科で相談されますか。」
「はい、お願いします。」
膀胱癌は大雑把に言って2段階に分けられる。
1.根が浅く、腫瘍を切除すれば膀胱を温存できる段階。
2.根が深く筋層にまで浸潤していると、基本膀胱全摘。
この2つの割合がだいたい7対3。
どちらにしても、尿道から内視鏡を用いて膀胱腫瘍を切除しなくてはならない。その結果筋層への浸潤がなければ、再発を抑えていく治療を継続していく。筋層にまで浸潤が認められれば、さらに膀胱全摘手術へと進むようだ。
7対3ねえ。
私は、また少ない方の3割に入ってしまうような気がする。
いろいろ調べてみると、筋層に浸潤していても徹底的に膀胱を温存する治療方針をとっている病院もある。
甲状腺の両方、胆のうと取ってしまって、次にまた膀胱まで取ってしまうのはつらいわ。私を生んでくれたおかちゃんに申し訳ない。
できることなら今残ってる臓器は全部温存したいけど、そういう特殊な治療は費用が高くつくんでしょうね。
「あー!」
明日は、鞍馬口医療センター・泌尿器科へ。
家に帰れば、足に絡んでくる子猫ちゃん。
「オッサンかまってくれて、ありがとね。」
明日、お別れやね。
さぴしー。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2020年06月17日(水)
あと2日 [わんこ・にゃんこ]
今日は水曜なので、早朝からバイト。
いつも朝出かける時がなんともいえんさびしいんやけど、今は「にゃーにゃー」ゆうのが見送ってくれる。
私がドアを開けると、ちまきのササで遊んでいた。
「早起きやねー。」
いっぱいいっぱい遊びたかったけど、そんな時間はない。
金曜日にお迎えが来るので、うちにいられるのはあと2日。1ぴきになってからのびのびと遊ぶようになった。ほんまにかわいくてかわいくて。
名残惜しいけど、仕方ない。
里親さんに、かわいがってもらいやー。
----------------------------------------------------------------------------------
今日はいつもより30分ほど帰るのが遅くなった。
ヨメさんの話によると、きくが大暴れしたらしい。やっぱり欲求不満がたまってんのかなあ。
私が帰ったころは、もう落ち着いてグーグー寝ていた。
おかあさん猫は、Tシャツボックスに入ったままて出て来ない。私は嫌われているようでつらい。長いこと、おかあさん猫の顔見てへんわー。
子猫ちゃんは寝ていたのだが、ヨメさんが起こしてくれた。
ああ、つぶらな瞳。
体重501g。
これで、どこに出しても恥ずかしくないりっぱな子猫になりました。
お腹に乗せても、飽きずにずっと遊んでくれる。
あと2日、いっぱいいっぱい遊ぼうな。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2020年06月16日(火)
玉木昌美弁護士 [私の好きな人]
◎京都新聞6月16日朝刊
玉木昌美氏死去 再審の「日野町事件」で主任弁護人、元滋賀弁護士会会長
玉木 昌美氏(たまき・まさみ=元滋賀弁護士会会長)9日、肝臓がんのため死去、64歳。岐阜県可児市出身。自宅は大津市。葬儀・告別式は近親者で営んだ。喪主は妻泉(いずみ)さん。
1983年に弁護士登録し、98年4月〜99年3月に滋賀弁護士会会長を務めた。日野町で84年、酒店経営の女性が殺害され金庫が奪われた「日野町事件」で、強盗殺人罪で無期懲役が確定した阪原弘元受刑者=2011年に死亡=の弁護人を当初から務めた。主任弁護人だった18年7月、第2次再審請求審で大津地裁の再審開始決定を得た。その後、大津地検が即時抗告し、現在、大阪高裁が審理中。
----------------------------------------------------------------------------------
今日の新聞を見て、ショック。
私と同い年の走友・玉木昌美弁護士が亡くなった。
去年4月の沖縄、「伊江島マラソン」でいっしょに走らせてもらった。
「こんなところでお会いできるとは思ってもみませんでした」と言って、記念写真におさまってもらった。あんなにお元気そうだったのに・・・。
その時がお会いした最後かと思っていたが、よく調べてみるとその1か月後の5月の「鯖江」のときにもお会いしていた。
こうして、見つけたときは必ず写真を撮らせてもらっていた。
1年1か月前に元気に走られていた方が、こんなに早く亡くなられてしまうとは。こんなことが身近にあるなんて、本当にショックです。
----------------------------------------------------------------------------------
◎滋賀第一法律事務所のホームページより
2016年3月24日
弁護士走快 マラソン日誌
走ることは生きること
弁護士 玉木昌美
私の趣味は走ることであり、昼休みや夕方に琵琶湖岸を走り、時折市民マラソン大会に出場しています。1991年8月、琵琶湖ジョギングコンサートで5キロを走ってから、運動音痴だった私の人生が完全に変わりました。走ることは生きることであるといってもよいくらいです。また、休みがとれたたまの日曜日、家族をおいてひとり走りに行くのはけしからんという抗議に、妻や子をマラソンに巻き込むことにより家庭サービスを実現しました。
1995年、子ども達が小4と小2で、ホノルルマラソンを家族全員で完走しました。その影響で小2のときホノルルのフルマラソンを完走した長男は、中学、高校、大学と陸上部で走り続けました(長距離と競歩)。
スタートラインに立てることは健康である証です(これまで体調を壊したり、膝を壊したりして医師から止められ休んだこともありましたが、奇跡の復活を遂げました)。気力を奮い立たせながら、ゴールに向かいます。他のランナーとの駆け引き等心理ゲームの面白さがあります。また、ゴールしたあとの達成感と完走後のビールのおいしさは格別です。次の大会のことを考えるだけでわくわくする楽しさがあります。さらに、びわこランナーズのメンバーや弁護士仲間は勿論のことあちこちの大会で出会う人と仲よくなり、マラソン仲間が増えていき、再会を楽しみにしています。
2016年2月で還暦になりましたが、アンチエイジングでさらなる進化をめざしながら元気に走り続けています。加齢による体力の衰えを気力でカバーしているといえます。遅いながらもタイムにもこだわり続けています。
2016年のベストタイムは、10キロは5月の鯖江つつじマラソンの50分13秒で60歳以上の部で116人中19位でした。ハーフは2月の香川丸亀ハーフマラソンの1時間53分31秒でした。3月に久しぶりに板橋Cityマラソンでフルを走りましたが、4時間53分49秒でした。
2017年3月、ある工業高校に18歳選挙権、主権者教育をテーマに出張授業に出かけましたが、その高校では毎週全員が2・4キロ走るマラソンをしているということでした。「運動音痴だった私が還暦を過ぎても走ることに夢中になっている。次のマラソン大会をどこにするのか思うだけで楽しい。人生わくわくすることを持つことが大切です。」という話に力が入りました。
仕事をしつつ、また、憲法運動等に積極的に参加しつつ、かつ、走り続けています。マラソンが人生を変えたといってもよいほど重要な意味を持っています。
---------------------------------------------------------------------------------
ご家族でホノルルマラソンを走られたのは1995年でしたか。今から25年前ですね。
「小学生が着られるランシャツ・ランパンはないでしょうか」と京都キャロットを頼ってきてくださった。ヨメさんが探してお渡しできた時、ものすごく喜んでくださったのをよく覚えている。
25年前ということは、うちの廉が4歳で真樹が1歳。
「いつかはうちも家族4人でフルマラソンを」という気持ちはあったんですが、残念ながら実現できませんでした。玉木さんご一家がうらやましい。
一度ゆっくりお話がしてみたかったです。
残念です。
--------------------------------------------------------------------------------------
【RUN】
玉木昌美さんを偲んで、「ランナーズ9の会」のTシャツを着て9km走る。
午後6時、ちょうど北郵便局に用事があったので、差出物を腰にぶら下げてスタート。
上賀茂神社はなにやら工事中。
その前の酒屋さん、理容院、金物屋さん、お好み焼き屋さんは取壊し。道路を広げて、新しい御薗橋につなげる予定。
北郵便局まで3.74km。
思っていたより近かった。
郵便物をポストに入れ、再スタート。
まともに折り返すと7.5kmくらいにしかならない。
遠回りして帰ろっと。
北山通りを東へ。
北山大橋を渡り、まだまだ東へ。
地下鉄・北山駅前で左折して北上。
深泥池の西の道を通ると、父が入院していた京都博愛会病院が見える。
父が亡くなって、もう5か月近くがたつ。
途中、店の軒下にツバメの巣。
「おかあさーん」って鳴いていた。
うちに帰って9km、59分半。
9kmというのは、走るのにはちょうどいい距離。
玉木さんの走ってはる写真、ご家族に送ってあげよう。
---------------------------------------------------------------------------------------
【今日のきく】
昨日は4時間以上歩き回ったので、さすがに夜に起きることはなかったらしい。
でもヨメさんの説によると、「散歩だけではあかん。もっともっとかわいがったらんと」。最近猫の世話ばかりしているので、きくが焼きもちをやいているとか。
前の公園を散歩させているとき、ご近所さんが通りがかられた。私はここぞとばかりに、きくをべた褒め。きくもまんざらでもないという顔をしていた。
褒めて褒めて、かわいがってかわいがって、長生きしてもらわんなん。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2020年06月15日(月)
きくは歩き続ける [わんこ・にゃんこ]
昨日、私もヨメさんも用事があり、きくの散歩が少しだけ。その分、きくの欲求不満がたまっていたようだ。
夜中に起き出し、ヨメさんの顔を何回も踏んだらしい。たぶん、わざと。仕方なくそこから深夜のお散歩。今日ヨメさんは睡眠不足でグッタリだった。
あらっ、きくもグッタリやん。
また昼間寝て、夜中に歩き回る作戦か。
それはあかんで。
今日はオッサンがヒマやから、いっぱい歩いてもらおうかなあ。
11時前、きくを連れて柊野グランドへ。
ここは駐車場がタダなのがありがたい。
さっそくすぐ横を流れる鴨川へ。
きくはすごく入りたがっていたのだが、雨で増水していて危険。きくが流されたら、よう助けに行かれへん。
やっと浅いところが見つかったので、ちょっとだけ・・・のつもりが下半身ズボズボとはまって行った。それでもきくはうれしそうだった。
そのあと、柊野グランドのまわりを一周。
そろそろ帰ろうかと言ったのだが、きくはまだまだ歩くつもり。
ミニ逆落とし。
元気に下りて行った。
もう1回川につかり、もう1回グランドのまわりを一周。
これでやっと納得したようだ。
--------------------------------------------------------------------------------
家に帰る前に、近くの大きな公園へ。
車から降ろすと、きくはまたスタスタと歩き続ける。
さあ帰ろうかと言っても、まだまだという感じ。
----------------------------------------------------------------------------------
それなら、家の前の小さな公園へ。
公園の水を私の手にためて、きくに飲ませた。
ちゃぷちゃぷ。
そして、またまた歩き続ける。
ここまでで2時間近く歩いたことになる。
--------------------------------------------------------------------------------
午後に1時間以上、庭をウロウロ。
そして夕方、また庭へ。
歩いて歩いて歩いて・・・。
また1時間以上歩いたので、今日は全部で4時間以上。
こんだけ歩いたら、夜は熟睡してもらわんと。
Posted by パオパオ パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
【 過去の記事へ 】