2020年01月29日(水)
時代錯誤の下品な広告 [時事]
1月26日の京都新聞を見てビックリ。
「タイムスリップしたか?」
ビラでは似たような内容のものを見たことはあるが、新聞広告でこんなんを見たのは人生初ですね。
悪代官が「金にもの言わす」というか、いったいいくらかかっているんでしょうね。良識ある京都市民が、この下品な広告をどう判断されるか・・・。
私も現京都市長も60歳代。「反共は戦争前夜の声」という言葉を知っている世代なのに、そのリスクを分かった上での博打広告でしょうか。
私を左翼(共産党系?)と勘違いしている人もおられるようだが、それは大まちがい。なんの関わりもありません。私が一番好きなのは、沖縄の喜屋武真栄元参議院議員のような「革新統一候補」。(ああ、これも死語ですね。)
過去の記憶をどんどん忘れてしまっている私が、この広告をきっかけに鮮明に思い出したことがある。
過去を辿ること40年。
私がやっとのことで小学校教諭になったころ。最初に赴任したのは大原小学校百井分校。そこで児童1人の担任に。でも、へき地校(別所小学校)出身の私にとっては、お隣の百井分校に赴任を命じられたのは名誉なことと思っていた。
「労働組合は、困っている人、弱いものを助ける組織です」と説明され、すぐに仲間に入れてもらった。いざ入ってみると、一番力を入れているのが「授業研究」。ええ加減なルートをたどってギリギリ採用された私にとっては、こんな「ためになる」ありがたいことはなかった。
そんなある日、組合のへき地部が教育委員会に待遇改善要求する会合に出席することになった。
京都市役所内の京都市教育委員会に出向き、へき地校で困っていることを要求させてもらった。その要求のほとんどが、自分たちの待遇ではなく子どもたちに関わることだった。
ところがその答弁に立っているのが、並み居るお偉いさんではなく20代の一係員。「何から何までペラペラと答えてるけど、中身はゼロ回答やん」「お偉いさんたちは言ったことをあとで追及されると困るから、こんな下っ端に答えさせて、あとは責任逃れしようとしてるんやなあ」と思っていた。
その中で、へき地校出身者である私が一番腹が立ったこと。
社会見学に出て行こうにも交通費が莫大にかかる。わずかな補助が出てはいたのだが、それを増額してほしいと言ったときのこと。
「へき地には豊富な自然環境があるわけですから、それを生かした授業に力を入れてもらって、わざわざ街に出てくることにこだわる必要はないのではないかと思います。」
「はあ? 田舎者は田舎に引っ込んどれちゅうこと?」
もちろん新採の私がそんな発言をできるわけがなかったが、へき地校の児童がバカにされたようではらわたは煮えくり返っていた。
その時答弁を一手に引き受けていたのが、当時教育委員会の一係員だった「かどかわ」さんです。
今も40年前も同じ、人を小バカにしたような答弁で活躍した一係員は、のちに教育長に上り詰め、そこで終わらず市長にまで。
これは選挙妨害でもなんでもない。私自身が目の前で見た光景です。40年たって細部は正確さを欠くかもしれないが、同じような証言をしてくれるであろう仲間はいっぱいいます。(昔の仲間がボケていなければ・・・。)
私の父の教えは、「最初に顔を見たら、その人がどんな人かだいたいわかる。のちにその評価が覆ることはほとんどない」。
申し訳ないけど、私の40年前の最初の評価は覆ることなく今も続いている。
(ひとさまのことをほめるにしてもけなすにしても、憶測ではなく、こういうふうに自分の目で見たことをもとにして話してほしいと思う。)
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◎五十嵐仁(法政大学大原社会問題研究所)の転成仁語より
4月29日(金) 再びかみしめるべき..
〔以下の論攷は、『六町だより』第25号、2016年4月号、に掲載されたものです。〕
「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」
これは、マルティン・ニーメラー牧師の有名な詩です。今また、これと似たような状況が生まれつつあります。再び「反共は戦争前夜の声」という言葉をかみしめなければなりません。
安倍政権は閣議決定した答弁書によって、共産党が破壊(活動)防止法の適用対象だと回答しました。普通に活動して多くの支持を得ている天下の公党に対するこのような攻撃は古色蒼然たるもので荒唐無稽ですが、まさに「ナチスの手口」に学んだものでもあります。
戦前の日本もドイツも、戦争準備の過程で頑強な反対勢力であった共産党を弾圧しました。やがてその弾圧は自由主義者やカトリックへと拡大していきます。同じように、安倍政権は共産党を狙い撃ちにして、戦争する国づくりをすすめようとしているわけです。
悪質なデマまで使って攻撃するのは、野党共闘の強力な推進力となった共産党を排除できなくなったからです。その力を恐れているからこそ目の敵にしているわけで、共産党が手ごわい政敵になったと自民党が太鼓判を押したようなものです。
これは安倍政権の弱さと焦りの現れでもあります。市民から大きな声を上げて糾弾しなければなりません。「最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった」という間違いを繰り返さないために。そして、後になって「私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」という状況を生まないためにも……。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
速歩マンさん、コメントありがとうございます。
私は父の歳は超えられません。
まずはあと1年で65、次は「目指せ70」でしょうか。
お父様の訃報・・心からお悔やみ申し上げます・・
28年前に67歳で他界した父が生きてたら・・こんな感じかなとこのブログを見て思っていました・・
昨年父の歳を越えて68歳に・・昨年は帯状疱疹や膝の悪化で予定の半分も活動できなかった・・
これもなにかの節目だと・・
もう無理は効かない・・これ以上悪化させないように・・
リハビリしながら活動していかねばと・・
身体が動く限りは・・自分をがんばりたい・・・感謝