パオパオだより

2017年10月13日(金)

「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」 [映画]

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◎シネマトゥデイより


■(C) TBSテレビ
 製作年:2017年
 製作国:日本
 日本公開:2017年8月26日 (ユーロスペースほか)
 上映時間:1時間47分
 配給:彩プロ
 カラー(一部モノクロ)/ビスタサイズ/ステレオ

■見どころ:占領下の沖縄で米軍の弾圧にひるむことなく非難の声を上げ続けた政治家の瀬長亀次郎氏の人生をひもとくドキュメンタリー。2016年にテレビ番組「報道の魂」で放送された内容に追加取材や再編集を行い、瀬長氏の闘いを描く。監督は、長年TBSでキャスターを務めてきた佐古忠彦。テーマ音楽を坂本龍一が担当する。

■あらすじ:第2次世界大戦後、米軍統治下の沖縄でアメリカに抗った瀬長亀次郎氏。演説会を開けば何万人もの人々が押し寄せ、祖国への復帰に向けて民衆を先導し、那覇市長選挙で当選する。度重なる弾圧を受けながらも立ち向かい、アメリカを恐れさせた瀬長氏を写真や映像、彼の次女や元沖縄県知事の稲嶺惠一氏らの言葉で紹介する。

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◎琉球新報2001年10月6日

   「私は米軍が一番嫌いだ」/瀬長亀次郎語録

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▽「白、黒で争うべきではない。アメリカは軍用地料を支払え、祖国復帰を勝ち取ろうと叫ぶべきだ。瀬長一人が叫んだなら50メートル先まで聞こえる。ここに集まった人たちが声をそろえて叫べば、全那覇市民まで聞こえる。沖縄の90万人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を越えてワシントン政府を動かすことができる」(1950年9月13日、沖縄群島知事選挙の立会演説会で)

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▽「瀬長の口を封じることはできても、虐げられた幾百万人の口を封じることはできない。被告瀬長の耳を閉ざすことはできるが、一般大衆の耳を閉ざすことはできない。被告瀬長の目は砕かれ盲目にされても、世界の民衆の目を砕き盲目にすることはできない。被告瀬長を投獄することはできても70万県民を閉じ込めることはできない」(1954年10月18日、人民党事件裁判に第2回公判で不宣誓陳述)

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▽「2時間40分の最終弁論を準備したが、十分間に制限したのは米琉検察官の自信のなさを表している。この裁判は明らかに政治的裁判である。階級裁判であり、植民地裁判である。この裁判が世界の人民に軍事的支配の弱点を暴いた。最終的判決は世界の働く人々によって行われるだろう」(1954年10月21日、人民党事件裁判の最終弁論)
▽「私は11万市民のために市政に精魂を傾け、何一つ悪いことをしていないにもかかわらず、財界や軍の威力をかさに着た24人の議員によって不信任された。私は断固汚辱の市会に解散を命ずる。近く市会議員選挙が行われるが、彼ら24人の中から一人でも当選することがあれば、那覇の街は暗黒に化するであろう」(1957年6月17日、那覇市議会の瀬長市長不信任案可決後、議場で傍聴人に訴え)
▽「基地権力者による私の追放は一応成功したようだが、50日後の市長選挙の結果、再び第二の瀬長が現れ、基地権力者に対する市民の無言の抵抗を示すであろう。不当な圧迫、干渉に対しては四原則貫徹、祖国復帰を掲げた闘争を断固継続することを宣言する」(1957年11月25日、那覇市議会が2度目の市長不信任案を可決した際の弁)

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▽「国政参加は実現したが、日米帝国主義との戦いはこれからだ。佐藤-ニクソン会談はまやかし。沖縄の核を認めた形での返還であり、基地の自由使用を認めたものだ。基地をなくし、アメリカのいない沖縄をつくることが県民の願い。その願いを国会に持ち込み全面返還に努力する」(1970年10月23日、国政参加選挙の第一声)
▽「国会では真っ先に返還協定の内容を明らかにさせ、米軍の撤退、布告布令の廃止、一切の損害補償、基地買い取り、資産買い取りの取りやめを実現させる。アメリカの占領が続き、真の復帰が実現しない限り、人民党は存続する」(1970年11月16日、国政参加選挙の当選の抱負)
▽「私の発言時間は十分に制限された。かつて軍事裁判で私は2年の懲役を受けたが、その際、判事が私の申し開きの時間を十分と制限した。発言を保証し、その時間も均等にすべきだ。各委員の配慮を求める」(1970年12月3日、衆院沖特委)
▽「私は日本共産党が好きだ。常に国民のために節を曲げずにきたからだ。私は米軍が一番嫌いだ。連中はうそばかりついている。沖縄は米軍に支配され、苦しめられてきた。毒ガスを持ち込んだり、核兵器を持ち込んだり、県民の貴い生命を虫けらのように扱ってきた。こんな連中を好きになれといっても無理だ」(1971年、地方選挙応援の全国行脚で)
▽「祖国復帰の原点について述べたい。これは遺骨だ。それは風にさらされ、大地と化している。その母なる大地は何を求めているのか。再び戦場にするな。沖縄を平和の島にして返せ、と叫んでいる。これが原点である。この県民の切なる願いに対し、一国の総理として責任を果たすのか」(1971年12月4日、衆院沖特委で佐藤首相を追及)
▽「沖縄のことわざに『ユクシェ、ジョーヌエーカントゥラン(うそは門を出る前にばれるもの)』というのがある。(略)核を抜けば部隊の任務がなくなる。沖縄にはハブという毒ヘビがいる。これから毒牙を取ったらハブではなくなる。任務がなくなった部隊はどうなるか」(71年12月4日、沖特委で福田外相が「沖縄に核があるとにらんでいるが、返還後は核はなくなる」と答弁したことを追及)
▽「沖縄を再び灰にしようとする米軍と安保条約というマジムン(魔物)、沖縄経済を食い荒らし吸い上げている大企業というマジムン、これらに全面奉仕している自民党というマジムン。このマジムンを日本共産党の躍進で退治しよう」(1984年、県議選の応援演説で)

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 今日は寮2(出町)24時間。

 昨日見た映画のことを思い出していた。
 映画を見て思うことは人それぞれ。
 私はこの映画の中で2つのことを思った。

 1つは、「恐いから攻撃する」ということ。
 トランプさんも金さんも、恐くて恐くてしょうがない人なんでしょうね。ネトウヨと呼ばれる人たちもそうかもしれない。そういう人たちに、この映画を見てほしいなあ。

 もう1つは、「政敵も排除しない」ということ。
 那覇市長職を追い落とされたあとの後継者選びの選挙で、カメジローさんの後継者が当選。しかし、政敵であった人たちにも、「一緒にガジュマルになろう」と呼びかけたそうだ。「排除」が好きな人たちにも、この映画を見てほしいなあ。

 まあ、私の感想はこんなとこです。

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