2015年10月14日(水)
バラバラでいっしょ [ガードマン]
◎「百寺巡礼」より
浄土真宗・・法然の弟子の親鸞が創始した浄土教の一派。阿弥陀仏の力で救われる絶対他力を主張し、信心だけで往生できるとする。親鸞は初め比叡山で天台宗を学び、のち法然の専修念仏の門に入る。法然の思想をさらに徹底させ、絶対他力による極楽往生を説き、悪人正機を唱えた。
◇ ◇ ◇
本願寺派の分裂・・親鸞の没後、娘覚信尼は、廟を京都大谷の地に造り、その留守職として、門弟たちから援助をうけつつ、親鸞の墓所を守った。留守職は、親鸞の子孫へと受け継がれていったが、しだいに力を持ち、門弟たちの保護管理から独立の気運を見せ、本願寺と称した。とくに第八代蓮如の時代には、北陸方面を主として各地に布教を行ない、強大な教団を築き、大名にも匹敵するほどの勢力をもち、各地に一向一揆が勃発して、城主達を悩ませた。
最後の戦いは、石山本願寺(大阪城の近く)が紀州雑賀の門徒を中心とし、織田信長と戦った石山合戦であった。長年続いた戦も、朝廷の斡旋によって信長と和解したが、第十一代門主顕如と長子教如とは、和睦をめぐって対立し、顕如が天正八年(1580)四月退城したのちも、教如は石山に籠っていたが同年七月ついに退城した。これにより、父顕如は長子教如を義絶する。
顕如が文禄元年(1592)に没すると、その室如春尼は、顕如の遺書により門主の地位を第三子准如に継がせることを主張した。この譲状の真偽が紛争の元になった。豊臣秀吉は、第十二代の門主の地位を准如に継がせた。
のちに徳川家康が、教如に対し、京都鳥丸六条の地に寺地を与え独立させる。
ここに、本願寺教団は准如の本願寺派に対し、教如の大谷派と二分された。
◇ ◇ ◇
西本願寺 正式名称「龍谷山 本願寺」(浄土真宗本願寺派) 龍谷大学
東本願寺 正式名称「真宗本廟」(真宗大谷派) 大谷大学
今日は東本願寺。
今まで気付かなかったのだが、烏丸通りの東側に東本願寺の看板が。
「バラバラでいっしょ」
何のことかよく理解できなかったが、帰ってから調べると「バラバラでいっしょ 差異をみとめる世界の発見」というのが東本願寺のテーマだそうだ。いいね! (やなせたかしさんのテーマ「バイキン的なものとの共生」とも似ている。)
さしずめこの私に当てはめると、「ネトウヨと呼ばれる人たちも排除せず、すべての人が幸せに暮らせる平和な世界の構築を目指す」ってとこでしょうか。
ついでに言っとくと、「そんなに戦争したいならお前が行け」も絶対言ってはならない言葉。どんな人であっても、戦争で殺し殺されてはならない。腹が立つからと言って、簡単に「戦争に行け」なんて言うのはやめましょう。
今日も足場解体の警備。
ここの改修は10年以上かかっているそうだが、もうすぐ完成のようですね。
「あっ、こんなところに『きく』のガウガウ!」
「ちゃうって。」
今日は、ここの系列の石川県の高校生が団体で訪れていた。
いつもと雰囲気がちがい、その子らの様子を見ていておもしろかった。
足場解体はこんな感じ。
ふるえあがりますなあ。
クレーンで吊り上げ、さらに細かく解体して外へ搬出。
大規模な足場なので、一日かかっても少ししか解体できない。まあその分、ガードマンの仕事が確保できていいんですけど・・・。
帰りのお楽しみは、ネコちゃんウォッチング。
いつも近づいてきてくれるネコちゃんは、避妊手術済みの耳カットがしてあった。ちょっと安心。
お寺にネコちゃんはよく似合う。
いつまでも長生きしてねー。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
リュウさん、コメントありがとうございます。
さすがです。誰も知らないデータで勝負ですね。京都に住んでいても東本願寺と西本願寺のちがいも知らなかった私には、いい勉強になります。
私のブログも今や「ガードマンブログ」化していますが、飽きられないようにいろいろネタを探して書いています。アクセス数が減っていないので、以前からの読者は辛抱強く見てくださっているようです。
リュウさんの「寺院ブログ(?)」も、私は好きですよ。時々部外者には何のことか分からない言葉が入っていますが、そのあたりを分かりやすく書いていただくとうれしいです。
あっ、もちろんランニングもがんばってくださいね。私も、時々はランのことも書きますので・・・。
日々のガードマン仕事、お疲れさまです。
今回のコメはワイが書かしてもらわな??あかんでっしゃろ。
と、ゆーものの何から書きだしてええのか分かりまへんが、、、
ウチは西なんですが、浄土真宗本願寺派のことを略して
本派(ほんぱ)といい、意外と本派の寺院は京都(京都教区)は少ないのです。
本願寺手帳によると、全国の本派の寺院数は10,217ヶ寺。
内、京都には225ヶ寺、滋賀には601ヶ寺と圧倒的に
滋賀の方が多いのです。
むかしは、それだけご法義が熱かったのでしょうね、きっと。
人口に対する寺院数は多くても、違う見方をすれば1ヶ寺当りの
門徒さんがそれだけ少ない・・・。