2014年12月27日(土)
2014後半・特別編 [振り返って]
1年を前半後半に分け、半年ごとに振り返ってRUN・家族・ブログに関する記事を書いている。
しかし年末になって、私にとって大きなニュース(さびしいニュース)が入ってきた。それは、「笠木透さん大往生」と「ベルパライソごんた引退」。ここに、そのことを「振り返ってシリーズ・特別編」として書き残しておきたい。
-------------------------------------------------------------------------------
■笠木透さん大往生
◎毎日新聞 2014年12月25日 02時30分
訃報:笠木透さん77歳=フォークシンガー
笠木透さん77歳(かさぎ・とおる=フォークシンガー)22日、直腸がんのため死去。葬儀は近親者で営んだ。仲間による「お別れ会」を来春開く。自宅は岐阜県中津川市駒場1526の95。喪主は次男淳(じゅん)さん。
岐阜県恵那市(旧岩村町)出身。小学校教諭などを経てフォークシンガーになり、日本の野外コンサートの先駆けである中津川フォークジャンボリーを企画した。2009年に同フォークジャンボリーが約40年ぶりに開催された時には、あがた森魚さん、遠藤賢司さんらとともに出演した。
3年前の7月、円山公園音楽堂で最後の「宵々山コンサート」が行われた。私たち夫婦は最期にして初。
途中で、見たことのないアロハシャツの老人が登場。
ヨメさんと2人、「だれ? だれ?」と言い合っていた。
しかし、その歌を聞いて納得。
「高石ともやさんが必ず歌わはるあの歌は、この人の歌やったんか・・・。」
私の子どもたちへ
【作詞・作曲】笠木 透
1.生きている鳥たちが
生きて飛びまわる空を
あなたに残しておいて
やれるだろうか 父さんは
目をとじてごらんなさい
山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい
コブシの花があるでしょう
2.生きている魚たちが
生きて泳ぎ回る川を
あなたに残しておいて
やれるだろうか 父さんは
目をとじてごらんなさい
野原が見えるでしょう
近づいてごらんなさい
リンドウの花があるでしょう
3.生きている君たちが
生きて走り回る土を
あなたに残しておいて
やれるだろうか 父さんは
目をとじてごらんなさい
山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい
コブシの花があるでしょう
※ この私のエピソードと同じようなことが、ブログ「晴徨雨読」の12月25日の記事「笠木透さんが亡くなった」に書かれています。じょんのびさんは30年ほど前、沖縄伊是名島で笠木さんと同じ宿になり、いっしょに飲まれたそうです。ぜひご覧ください。(私のリンク集から→)
そして、2回目はつい2か月前の府立文化芸術会館での「大往生一座」。
本当に行っておいてよかった。
車いすに座られたまま歌われたのだが、闘病中とは思えない力強さだった。中でも、「海を汚すなよ 水に流すなよ 私は恥ずかしい」が延々と繰り返される「水に流すな」は圧巻だった。
またわざわざ小林啓子さんを呼び出され、「夫は出産に立ち会ってはいけない」という持論をとうとうと述べておられた。私には「余計なお世話」のようにしか聞けなかったが、あれが笠木透さんの遺言だったんでしょうか(まさか、ちがいますよね)。
公演が終わり会館を出ようとすると、ホールで笠木透さんがサイン会をしておられた。ここでヨメさんと相談。
「もう次はないかもしれんし・・・」ということで二人それぞれ1枚ずつCDを買い、サインもしてもらった。
いろいろ調べてみると、12月19日に東京で行われた高石ともやさんの「年忘れコンサート」でも歌われたらしい。それは亡くなられる3日前のこと。
「大往生一座」とはうまい命名だ。
「永六輔さんと笠木透さん、どっちが先かなあ。案外、高石ともやさんが先ちゅうこともあるかもねえ」とか言っていた。
笠木さん、勝ち(?)ましたね。
--------------------------------------------------------------------------------
【ベルパライソごんた引退】
◎ブログ「きょうのごんた」2014年12月24日
ごん太君 ベルバライソ看板犬卒業します・・・。
突然のお知らせとなりますが この度 ごん太君はベルパライソを退職することとなりました。 永らく 全国各地 沢山の方達が ごん太君に逢いに来られ 数えきれないほど愛情を頂き 誠にありがとうございました。
今後は のんびり お家で ご隠居生活となりますが 引き続き 私達家族の一員として幸せに暮らして行きますので 皆さん ご心配なく(^_^)
また どこかの海辺で逢えるを お待ちしております(^-^)/
-------------------------------------------------------------------------------------
真樹が高3のとき、名護の名桜大学のオープンキャンパスに行くことになった。ヨメさんも大学を見ておきたいということで、3人で行くことになった。
8月中旬で飛行機代もホテル代もどことも高かった。その中で比較的安かったのが、名護市の北隣の今帰仁村の「リゾートホテル・ベルパライソ」。
ただし値段だけで決めたのではない。ホテルのホームページに看板犬・ごん太の紹介ページかあった。野良犬だったのを保護し、今やホテルの看板犬となっている。そんなワンちゃんに会えるチャンスがあるなら、ぜひ会いに行きたい。それがごんちゃん詣での始まりだ。
あれから2年。
私は名護の真樹のところに行くたびに、ベルパライソに寄っていた。
会えなかったときも含めて、全部で10回くらいだろうか。
12月12日にベルパライソに泊まり、そのあとごんちゃんの引退をお聞きした。
飼い主の★の砂さんには、「ごんちゃんや★の砂さんのおかげて、娘の真樹は元気に大学生活を送っています」とお礼のお手紙を送らせてもらった。私はほんとうにそう思っています。
ヨメさんがいつも言っている。
「ごんちゃんは、いい人に飼ってもらったなあ。ほんまに幸せなワンちゃんやわ。」
もう、ごんちゃんに会えないのかなあ・・・。
(注)ごんちゃんは「ごん太」という名前ですが、メスです。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.kyoto-carrot.com/tb.php?ID=2725