2011年07月11日(月)
ああ、第30回宵々山コンサート・続き [私の好きな人]
「宵々山コンサート」への参加は、最初にして最後ということになった。
今まで29回も行われていたのに一度も参加しなかったのは、やはり世代のギャップがあるから。高石ともやさんのファンは、私の8歳上の姉や7最上の兄の世代(つまり団塊の世代)が中心だ。私やヨメさんの世代は、トライアスロンや超ウルトラマラソンに取り組んでおられた高石ともやさんの姿しか知らない。
そんな私たちが最後の「宵々山コンサート」に参加しようと思ったのは、高石さんの奥様・てるえさんのお弔いという気持ちが強かった。だから、正直に言って「場ちがいな客」になってしまうかもという不安もあった。
ところが、参加してみるとそんな不安は吹き飛んだ。
参加者の年齢層の高さは少し気になったが、コンサートの中身はすばらしいものだった。
高石ともやさんやナターシャセブンのファンでもない私たち夫婦であったが、このコンサートは来てよかった。値打ちがあった。
正直に言って、高石ともやさんのランナーとしての実績は熟知していても、歌い手としての過去の実績についてはほとんど知らない。生の歌は、マラソン会場のミニコンサートで初めて聞いた。そして、そこで歌われる歌はランナーを応援している歌がほとんど。つまり、私たち夫婦は、ほとんど何の予備知識もなくこの「最後の宵々山コンサート」に参加したのである。
だから、まわりにおられる方々と私らは、何かにつけていちいち反応がちがったように思う。私らには「思いいれ」というものがまったくなかった。
しかし、予備知識のない私らには私らなりの楽しみ方ができたと思う。出演された方はみんなすばらしい実績を持たれた方ばかりだったようだが、その「名前」を通してではなく、実際自分の目の前で披露される「音楽」や「表現」を新鮮な気持ちで受け取り楽しむことができた。特別な「思いいれ」がなかった分、かえってお得だったのではと思うくらい。
こんなふうに楽しめた参加者もいたということが分かってもらえたらありがたい。
最後に、出演者の紹介。
(全員写真を撮らせてもらおうと思ったが、一部抜けてしまった方もあります。)
最後の最後に、桂米朝さんの登場。
「今日は最後ということですので、みなさん舞台に上っていただいて、この舞台の真ん中の出入り口から帰ってください。」
ああ、なつかしい。
うちのヨメさんが初めてランシャツランパンを買った、「アスレティックアティック京都」の元店長・高松さんと。
私が今まで会った人の中で一番好きな三宅誠孝さんの奥様・愛子さんと。
「また、ぼちぼち走りましょうね」と私。
「そやね。走ろう。」
ほんまに、愛子さんがまた走られるのを待っているんですから・・・。
八坂神社の境内では、祇園祭の準備中という感じだった。
たくさんのちょうちんがぶらさげられ・・・。
神輿を担いで練り歩き・・・。
おなかがへったので、京阪「祇園四条」駅前の「天下一品」さんでばんごはん。ミニラーメンとシャーシュー、キムチ、メンマ、ゆで卵をあてに生ビールをぐいっと。
ちょっと酔っばらった(ふり?)ヨメさんの言葉。
「私とデートしたら、ええか?」
「いやー、ほんまによかったわ。また、お願いします。」
「む、むふふふふー・・・。」
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )
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コメント
やまたくさん、さすがです。
「お店のほうにお邪魔して、お若くてお美しい奥様にぜひとも挨拶させて頂きたかった。」
これ、京都キャロットの必須アイテムです。そのあたりをかぎ分ける能力、ただものではない!
これで終わりにならないように、みんなで声をあげて行きましょう。
パオパオさん、会いたかったなぁ。
夜行でとんぼ返りしたから、コンサートが跳ねたら、一目散で京都駅に行きました。
時間があったら、お店のほうにお邪魔して、お若てお美しい奥様にぜひとも挨拶させて頂きたかった。
バスは京都に着くまではあまり寝れませんでした。興奮してたし。
流石に帰りは熟睡でした。
ベッドのある夜行電車でも、あんまり寝れたことが無かったので、やっぱり歳ですわ。
ファンは結構僕らの世代も多いですよ。
並んでるときに知り合ったご夫婦も同世代でしたし、何よりもびっくりは、大学も一緒でほぼ同期!
学生時代のローカルテーマで盛り上がっておりました。
「梶川さんの力学とれた?」って、学生かい!
ええ音楽会でした。
また会いたいなぁ・・
やまたくさん、コメントありがとうございます。
せっかく京都に来られていたのなら、会場でお会いしたかったですね。まあ、こちらはチケットを忘れて大慌てでしたけど・・・。
今日調べて見ると、ナターシャーセブンの結成は1971年1月。私が高校に入る前です。そして、「第1回宵々山コンサート」が1973年7月。私は高3です。当時の私は、そっち方面にはまったく興味関心がありませんでした。
本文中にも書いたように、高石ともやさんがホノルルマラソンや皆生トライアスロンに挑戦されるようになってから後のことしか知りません。
会場では、私の知らない思いをいっぱい持った人たちが集まっておられたように感じました。なかなか味のある深いコンサートでしたね。これで最後と言わず、またやってもらいたいです。
ところで、夜行バス、寝られました?
私も参加しました。
土曜日に夜行バスで日曜日朝、京都駅着、日曜日に夜行バスでとんぼ返り。
僕は、ほぼ、最初からのナターシャおっかけ。
東京に就職するまで、宵々山はぼちぼち参加してました。
最初は渥美清さんがゲストで、最後はカーターファミリーがゲストの81年でした。
永さんの命がけのステージ。
米朝師匠の車椅子を立ち上がって力演のご挨拶。
そして、なにより、もう二度と会えないと思っていた、高石ともや、城田じゅんじ、金海たかひろのナターシャセブン。
人生、ええもんです。