2018年09月27日(木)
良心に従って [沖縄]
◎朝日新聞9月25日朝刊
沖縄 創価学会員の反旗
自公連携でも「辺野古移設おかしい」
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設の是非が争点となっている沖縄県知事選。公明党は、移設を推し進める安倍政権に近い佐喜真(さきま)淳氏(54)を全面支援する。だが、支持母体・創価学会員の中には「移設反対」の意見もあり、党の方針に反旗を翻す人もいる。
告示日の13日、那覇市。「辺野古反対」を貫いた翁長雄志(おながたけし)知事の後継候補・玉城デニー氏(58)の街頭演説を、青、黄、赤の創価学会の三色旗を手に聴き入る男性がいた。浦添市の会社員野原善正さん(58)。「おかしいと感じている学会員が自分の行動を見て声を上げられるよう、あえて三色旗を持ってきた」
24歳で創価学会に入り、熱心に活動してきた。だが安倍政権が2014年7月、集団的自衛権の行使を認める閣議決定をし、公明も容認したことに「おかしい」と感じて公明支持をやめた。学会員の集まりなどのたびに異議を唱え、学会にも抗議したが、相手にされなかった。
沖縄戦の経験から、沖縄の創価学会は伝統的に反戦意識が強いと言われてきた。辺野古移設について、公明県本部は今も「反対」を掲げる。前回知事選では自民が推薦した「移設推進」の仲井真弘多氏を推さず、公明は「自主投票」とした。
だが当選した翁長氏が政権と激しく対立すると、県本部は徐々に自民に接近する。2月の名護市長選では、移設を事実上容認する新顔を党として推薦し、勝利した。今回の知事選は「自公連携」を強化。県本部は佐喜真氏と政策協定を結んだが、辺野古移設に触れていない。
野原さんは言う。「学会も公明党も平和を希求しているはず。辺野古に基地を造ること自体がおかしいのに、学会員を集票マシンとして利用している」
22日の玉城氏の集会では、那覇市出身の住友ヒサ子さん(65)=東京都新宿区=も三色旗を掲げ、「今の公明党は平和思想に反する。真実を見抜いて投票しましょう」と呼びかけた。県内に住む親戚に玉城氏支持を訴えているという。「辺野古反対と言っておきながら、佐喜真さんに投票するなんてあり得ない」
ただ、公明県議はこうした反発を「ごく少数」と言う。「大半の学会員は、国と対立しすぎた翁長氏に疑問を持ち、党の方針を理解してくれている」。県内の公明票は7万〜8万とされる。
那覇市の会社員知念昌光さん(75)は10日、恩納村の学会施設で創価学会の原田稔会長の話を聞いた。原田会長は平和の尊さを訴えつつ「佐喜真さんを応援しよう」と話したという。知念さんも生活の向上を訴える佐喜真氏を支持する。
辺野古反対。翁長氏の「イデオロギーよりアイデンティティー」という言葉に共感した。だが「普天間が返還されれば、実質的には基地の縮小だ」と自分に言い聞かせているという。(伊東聖、山下龍一、伊藤和行)
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■自公連立政権(ウィキペディアより一部抜粋)
自公連立政権(じこうれんりつせいけん)は、日本の政権の一つ。
1999年(平成11年)10月5日から2009年(平成21年)9月16日まで、及び2012年(平成24年)12月26日から現在も継続中の自由民主党と公明党による連立政権である。
◇ ◇ ◇
自民党は1998年(平成10年)7月の第18回参議院議員通常選挙で前回の改選前の61から45に大幅に議席を減らした。この選挙の敗北の責任を取り橋本龍太郎内閣が総辞職し、同月30日に小渕恵三内閣が成立した。8月中旬、元首相の竹下登は創価学会会長の秋谷栄之助と密かに会談を行い、創価学会の協力を取り付けた[1]。
政権運営に行き詰った自民党はまず自由党との連立協議に入り、1998年(平成10年)11月、自自連立の基本合意が首相小渕恵三と小沢一郎自由党代表の間で取り交わされた。同年11月7日、旧公明党系の「新党平和」・「黎明クラブ」・「公明」が合流し、「公明党」を再結成。この際、代表の神崎武法は「自民党の補完勢力にはならない。自公連携、自公連立は考えていない」との考えを表明していた[1]。
詳細は「公明党#沿革」を参照
自民党はこうした不安に配慮した。自民党にとっては、自由党との連立のみでは参議院の過半数には足りず、過半数、さらには安定多数を確保するためには、公明党の議席が必要だった。1998年(平成10年)11月、自民・公明両党は、公明党が主張した地域振興券を補正予算案に盛り込むことで合意。1999年(平成11年)3月には問題発言などで公明党が辞任を求めていた法相の中村正三郎を事実上更迭した。他方、公明党は11月15日投開票の沖縄県知事選挙で従来行っていた革新候補(大田昌秀)の支持を取りやめ、表向き「大田昌秀氏支持を基軸に自主投票」としつつ、実質的に保守(自民)候補の稲嶺恵一を支援し、稲嶺が当選した。
1999年(平成11年)1月14日、自民党と自由党の連立政権が発足。公明党もいまだ名目上は野党ながら、周辺事態法、国旗・国歌法、通信傍受法、住民基本台帳法改正など、政府・与党の重要法案に次々と協力し、与党入りの足場固めをした。同年10月5日、自民党の小渕内閣との自自連立に正式参加。自自公連立政権が誕生した。これ以降森内閣(森喜朗首相)・小泉内閣(小泉純一郎首相)・第1次安倍内閣(安倍晋三首相)・福田康夫内閣(福田康夫首相)・麻生内閣(麻生太郎首相)、そして、自民党が政権を奪還した第2次安倍内閣(→改造)・第3次安倍内閣(→1次改造→2次改造→3次改造)・第4次安倍内閣(安倍晋三首相)においても公明党は自民党との連立政権を維持した。
■公明党の立場
公明党は連立政権内で国務大臣ポストを1人分充てられることが慣例となっている。
公明党は「政権のブレーキ役」を自任する一方、特定秘密保護法の成立などを見ても、自民党が主張する政策・法案の成立に大きく協力しており、「自民党の補完勢力」になっているとの指摘がある[6]。
自公連立政権誕生以来、公明党は自民党と対立しても最後は自民党の主張を大筋で受け入れることが多いため、「下駄の雪」と言われることもあるが、これについて公明党代表の山口那津男は、「公明党の役割を下駄に例えれば、鼻緒の役目を負っていると思う。鼻緒が切れれば、下駄は使い物にならない。単なる下駄の雪というのは極めて実態を見ない言い方だ」と反論している[7][8]。
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今さら公明党や創価学会を批判してもしょうがない。
あの党や教団は「自民党にへばりつくしかない」、そういうところなんでしょう。
「信者は洗脳されているもの」と考えて何の不思議もない。ただ、その中に冷静に判断する力を取り戻しておられる方もある。
県内の公明票7〜8万のうちの「ごく少数」とはどれくらいなのだろう。もしそれが2〜3%なら2000票前後。この程度なら、デニーさんの負け。
しかし、もしそれが20〜30%なら20000票前後。このあたりが勝負の別れ目のような気がする。
信者の前に、人間としての良心に賭ける。
どうか、辺野古に100年以上固定されるという巨大要塞を容認するような知事候補には投票しないでください。
お願いです!
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【今日のきく】
今日は寮1に17時間。
家に帰ると、またヨメさんはお疲れで就寝の模様。
代わりにきくちゃんがお散歩のサービス。
これって、サービスなんかなあ・・・。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
速歩ランナーさん、コメントありがとうございます。
今娘が住んでいて、この先もずっと住み続けたいと言っている沖縄から米軍基地がなくなってほしいです。
38年前ハネムーンで沖縄に・・
元自衛官から見れば・・基地の島にしか見えない・・
あれから38年・・1度も沖縄には行くこともないが・・
沖縄はなんにも変わっちゃいねえな〜
日本ではないアメリカのなかの沖縄村・・
パスポートがなくても行けるだけのような・・
家の中での騒音がなんだって〜・・基地の町の住人は年中爆音の中で暮らしてるんだ〜・・こういう現実を本土には届かない・・無関心です・・基地の70%が沖縄にあることさえも無関心です・・騒音ストレスなんて甘いんだよ〜
わたしは難聴で静かですが・・