パオパオだより

2017年03月03日(金)

パオパオダッシュ! [雑感]

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 今日は寮2(出町)24時間。
 いつも通り、朝日と日経チェック。
 その中にドラえもんの映画の広告があった。
 「パオパオダッシュ!」やてー。
 (正確には「パオパオドラ」の「パタパタダッシュ!」)

 これはうれしい。
 「パオパオよ、癌なんかに負けてんと、ダッシュせんかーい」ちゅうことですかね。

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 昨日のこと。
 メーカーさんの営業担当者が代わり、「京都キャロット」店舗までごあいさつに来られた。新しい担当者さんは犬好きのようで、ヨメさんが目を離していた時にきくにさわろうとされたらしい。
 「ガウッ」の一撃。
 もちろん、このあとオバサンからのびしゃたたき。

 「きくはますみちゃんとそっくりやなあ。かわいいし手を出したら、えらい目にあうちゅうやっちゃ。」
 「なんでやねん!」とヨメさんは怒っていたが、「かわいい」にはちゃんと反応しとったな。

 「アンタが変なこと言うし、ひとに聞いてもらおうと思っても無理やわ。」
 「なんのこと?」
 「離婚して家出て行くんやったら、首絞めてから行けとかゆうとったやん。」
 「そやで。ますみちゃんいっつもゆうとるやん。犬や猫飼えんようになって保健所持って行くくらいやったら、自分で飼い犬飼い猫の首絞め―って。」
 「それは、飼うんやったらそれくらいの気持ちで飼わなあかんという意味やん。」
 「そやろ。人間もいっしょ。夫を捨てて家を出て行くんやったら、息の根止めてから行かんかいちゅうこっちゃ。」
 「なんでそんなことせんならんねな。気持ち悪い。」

 うーん、なかなかのもんです。
 熟年崩壊型夫婦による哲学的な会話ですなあ。
 でも、私の「息の根」を止めてもらうのを頼めるのはヨメさんしかおらん。来たるべき時にはよろしくお願いしまーす。

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2017年02月03日(金)

雅ている [雑感]

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安野さんがスケッチしたとみられる花背の集落。寒波の影響で雪景色となった=京都市左京区、伊藤菜々子撮影

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安野光雅「花背」=「洛中洛外」(産経新聞出版)から

◎朝日新聞1月26日夕刊・都ものがたり

   安野光雅 友と行った京都・花背

 「花背(はなせ)峠を越えると小盆地が連続している。このあたりは江戸期にあっては天皇領であった村が多く、家々の屋根は檜皮(ひわだ)ぶきで、どこか雅(みやび)ている」

 司馬遼太郎が「街道をゆく」の中で、京都市左京区の花背地区についてこう記したのは1972年のこと。当時、挿絵を描いていたのは須田剋太(こくた)だったが、91年からは画家の安野光雅(90)が担当した。その安野のお気に入りも、花背の風景だという。

 叡山電鉄の鞍馬駅あたりからさらに北に進むと道は急に細くなり、薄暗い森を抜けてゆく。つづら折りの花背峠を過ぎ、開けたあたりが、別所と呼ばれる地域だ。

 安野がここを初めて訪れたのは、75年の秋。東京都小金井市で近所づきあいをしていた動物行動学者の日高敏隆(1930〜2009)が京都大に赴任し、左京区に構えた家を訪ねたのだった。

 著書「チョウはなぜ飛ぶか」などで知られる日高とは不思議に馬が合った。安野も昆虫好きだが、むしろ日常の会話を楽しんだ。

 そんな日高から、「せっかく京都に来たんだから、鞍馬にも行ってみよう」と誘われ、日高の妻、喜久子(75)が運転する車で鞍馬から花背を走ったという。

 「京都にこんなところがあるのかと思った」と安野は振り返る。「京都市街の観光地はノーサンキューで、立て込んでいる場所は絵にも描きにくい。その点、花背には、かやぶきの家が残り、伝統を大切にしているように思えた。京都を控えているからではないか」。「雅ている」という司馬の記述ともどこか重なる指摘だ。

 以来、「花背に行かないと、京都に行った気がしない」と、機会があれば足を運んだ。最近では2010年の12月、別所あたりでスケッチを試みた。

 喜久子によると、日高もまた花背を愛した。中でも冬。枯れ山に見えても、春の到来を待つ生き物のうごめきが感じられるからだという。10年に冬の花背を訪れた安野が翌年発表した絵も、冬を耐えた草木が芽吹いたような新緑あふれる風景だった。

 毎冬、花背は何度か雪に包まれる。しかしその下では、確かな命が胎動している。=敬称略(編集委員・大西若人)

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 <安野光雅(あんのみつまさ)> 1926年、島根県津和野町生まれ。小学校教員を経て画家に。多くの画集、絵本がある。文化功労者。

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■あんない

 京都バスで、「出町柳駅前」から「別所上の町」までが約1時間10分。工房や多目的ホール、休憩所などがある「山村都市交流の森」近くの「花背交流の森前」までは、さらに約20分かかる。

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 うれしいねえ。
 私のふるさと花背別所町が、新聞に取り上げられていた。それも、かの有名な安野光雅さんのお気に入りとは・・・。

 「花背」と言われると、私たち別所人は別所と広河原の中間の「大布施・八桝・原地」の総称だと思っている。自治会もこの3地区で1つ、旧小学校区もこの3地区で1校だった(八桝小学校)。
 だから、ガイドブックなどで「花背」が取り上げられていても、たいていは別所よりもさらに北に入ったこの地区のことがほとんど。別所は、その字の通りそこらとは別の所なんです。

 そして、さすがの司馬遼太郎氏。
 「どこか雅ている」とは鋭い。

 別所人が一番よく使う言葉は「たもれ」。「食べてたもれ」とか「ゆっくりしてたもれ」とか。とても山深い片田舎で聞く言い回しではない。
 そして、「そち」。これは「うち」に対する言葉で、「あなた」とか「あなたのおうち」という意味で使う。
 司馬遼太郎氏は、こういった言葉からも「雅ている」と感じたのではないだろうか。

 私の95歳の父・善一は、この「雅ている」別所を代表する人間と言っても過言ではない。息子の私は、全然「雅ていない」似ても似つかん人間になってしもたけど・・・。

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2017年02月02日(木)

感謝も恩返しもない生き方 [雑感]

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 去年のクリスマスにまっちゃんサンタが持ってきてくださった玄米を、おととい精米しに行った。私は昨日は寮の管理代行のバイトだったので、家で食事はせず。今日初めて精米したお米をいただいた。

 「うまい!」
 文句なしにうまい。
 まっちゃんにあらためてお礼を言わなければ。

 ここで、最近ムカついていることを思い出した。
 インタビューで「応援してくださったみなさんへの感謝の気持ちを込めて」とか、「応援してくださったみなさんへの恩返しのつもりで」とか。
 じゃかましい、じゃかましーい。
 感謝も恩返しも心の中にしまっとけよー。アンタら、人とおんなじことしか言えんのかー。自分の頭でしっかり考えた自分の言葉でしゃべらんかーい。
 感謝や恩返しはその人に直接にせーよ。インタビューなどで誇らしげにしゃべるようなこととちゃうやろ。

 私の癌が発覚して以来、多くの方が励ましの言葉をかけてくださっている。本当にありがたいと思う。しかし、私は感謝も恩返しもするつもりはない。なんてったって、自分のことで精一杯ですから。感謝や恩返しをしたら、余命が伸びますか。癌細胞はそんな生やさしいものではないでしょう。

 しかし、かもなす由美さんからの「これからは私のために生きて!」という言葉はこたえた。なかなかここまで言えんぞ。由美さんのために生きられるかどうかは分からないけれど、いつも頭の中にあの言葉があるのはまちがいない。ひとにわざわざ言うのなら、由美さんくらいに腹をすえた発言をしてほしい。

 ついでに言っとこう。私が一番嫌いな言葉は「元気をもらう」。
 このブログにもそのことを書いているので、名護の玉城さんなんか「お金を出して藤井さんの元気を買いたい」とメールされてきた。

 「Good!」
 うれしいねえ、ヘンタイ的パオパオのヘンタイ系発言にきっちり対応してくださって。自然にこういうことができる人を「友だち」と言うんですね。

 ついでのついでにもう一つ。
 「○○かなと思う」ってなんやねん!
 これを一番使うのが、あの天下の大谷翔平選手。世界にただ一人のスーパースーターやのに、「かな」って・・・。そんなに自信ないんかいな。
 それに比べると、わがヤクルトスワローズの山田哲人選手は「かな」とは言わない(ような気がする)。自信がないけど、けっこう言いきっている(ような気がする)。

 兵庫・ゆめさき舎のまっちゃん、おいしいお米をありがとうございました。恩返しはしませんので・・・。

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MKボウルの近くにある精米機

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【RUN】

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 今日も父の見舞いに行こうかと思ったが、ダラダラしている間に夕方になってしまった。 
 今日はまた、叡電線路沿い2kmコースを使ってスピード練習ですね。

 まずはアップジョグ。
 家から木野踏切まで行き、渡って京都精華大前まで折り返すとちょうど2km。11分ちょっと。

 北コース2km、4分29、4分21で8分50秒。
 おそー、おそすぎる!

 2.5km16分ジョグのあと、今度は南コース。
 4分19、4分19で8分39秒。めちくちゃがんばったつもりなのにこのタイム。こんなことでは・・・。
 1kmなら3分48秒で行けるのに、2kmが8分半以上もかかっていたらあかんなあ。ここで8分が切れるようになるまでがんばろう。

 2km14分半のダウンジョグ。
 これで2+2+2.5+2+2で10.5km。
 これからもこの2kmコースでスピードを磨こう。

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【今日のきく】

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2017年01月28日(土)

比翼連理 [雑感]

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■ひよく-れんり【比翼連理】の意味  新明解四字熟語辞典

 男女の情愛の、深くむつまじいことのたとえ。相思相愛の仲。夫婦仲のむつまじいたとえ。▽「比翼」は比翼の鳥のことで、雌雄それぞれ目と翼が一つずつで、常に一体となって飛ぶという想像上の鳥。「連理」は連理の枝のことで、根元は別々の二本の木で幹や枝が途中でくっついて、木理が連なったもの。男女の離れがたく仲むつまじいことのたとえ。

■比翼連理の出典  白居易(はくきょい) 「長恨歌(ちょうごんか)」

■比翼連理の句例  ◎比翼連理の仲◎比翼連理の誓い

■比翼連理の用例  これらすべてを二人がやがて比翼連理の契りをかわした暁、花鳥風月の清遊をほしいままにする別荘地として<中山義秀・厚物咲>

■比翼連理の類義語  偕老同穴(かいろうどうけつ) 双宿双飛(そうしゅくそうひ)
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 読み終わった本のことはすぐ忘れ去ってしまうのに、「逆髪」は尾を引いている。

 「アノお母ちゃん」から生まれた父親違いの鈴子・鈴江姉妹。姉鈴子は結婚して主婦となるが、夫が寝たきりになり「早く死んでほしい」と願う日々を過ごす。妹鈴江は結婚せず、物書きとして自由な日々を送っている。そんな鈴江から「比翼連理とは言わないが・・・」というせりふ。どの部分の発言だったか、もう忘れてしまった。

 でも、この小説の最後から3ページ目にこんなところが。
     ◇     ◇     ◇
 「叔母さん、どうして結婚しなかったの?」と明美に聞かれたことがある。この叔母さんはね、結婚制度ハンタイとかそんなんじゃないの、なんていえばいいのかなあ、男と女が性で組になるの無理だって気がずっとしているの、ま普通は、性でしか男と女は組になれないっていうか、それが自然だと思いこんでるわけよ、でも、男と女でウマク行く方が不自然な気がするのよ、証明はできないよ、でもそんな気がするの、男は女と暮らしたくないの、女も男と暮らしたくなんかないの、セックスしたいと思ったことはあっても、だからってずっと暮らしたいと思ったわけではないの、ホントはね、でもそういう習慣だからそうするものだって思ってそうしたまでなの、それなのに、ウマクいかないとなにか理由があったのじゃないかって、理由を探すのね、そしてなにか都合のいい理由が見つかるのね、制度にまでしているのに、しないひとがいるところを見ると、どうしても生きていけないわけじゃないでしょ、みんなしてるから便利そうに見えるのね、多数派だから。でも生物として無理しているような気するのね、セックスを日常のことにするわけでしょ、のべつ発情してるって錯覚していっしょに暮らすんでしょ、でも、非日常なことだと思うわよ、一年に一回しか発情しない動物ならそのことよくわかると思うのよ、とにかくアタシは真面目なんでね、明美ちゃん、人生はまあそんなものなんだからって、ゴマカシみたいな気がするのに、目つむってできないのよ、結婚に限らずね、それで損したって別にいいと思っているんだから、とかなんとか喋ったのを覚えているが、、明美がそれに対してどんな風に反応したか忘れてしまった。「叔母さん、さみしいときなかった?」と明美はその時にいったのだった。「ずーっと、さみしいよ、ちっちゃいときから」と答えたのではなかったか、そのときは。
     ◇     ◇     ◇

 富岡多恵子は、若いころ銅版画家・池田満寿夫と同棲していた。
 元々私が富岡多恵子の小説を読むようになったのは、池田満寿夫の版画から富岡多恵子にたどり着いたのだと思う。
 鈴江叔母さんの言葉は、富岡多恵子の言葉なのだろうか。
 それにしても長い、読んでいて息切れする。決して美しい文章ではない。でもおもしろい。

 「逆髪」を読了した日、タイムリーにこんなことをブログに書いている人がいた。
     ◇     ◇     ◇
「この人、早く死んでくれないかなあ」という瞬間って夫婦やってると心ならずも普通にあるような気がするが、間違ってるか。普通にはないのか。好き嫌いの問題ではなく、そんな魔が刺すそんな瞬間がぼくにはある。そんな時、結婚なんかするんやなかった、と思う。

若い頃、こんなに好きだった人のことをこんなふうに思う自分が恐ろしいとも思う。

好きになることと一緒に暮らすことは両立しない。必ず、嫌いになってしまうのが結婚。ずっと好きでいたいなら少し距離を置いてきれいなところだけ見ていればいい。
     ◇     ◇     ◇
 私にとっては、これは恐ろしい文章だった。
 「若い頃、こんなに好きだった人のことをこんなふうに思う」、ありえない。好きなものは死ぬまで好き。途中から嫌いになるということは今までなかったし、この先も考えられない。
 ヨメさんにこの話をすると、「自分はちがうってゆう優越感に浸ってるんやろう」と言われた。

 ちがう。優も劣もない。
 私はますみさんと出会ったときと今と比べて、愛情が増したこともなければ減ったこともない。35年ほど前のあの時と今も何も変わることはない。たぶん、それは私が死ぬまでずっと同じように続いていくことであると思う。それは優とか劣とかというレベルの話ではない。

 私とますみさんの関係は比翼連理とは言えない。でもそれでいい。二人の日々はバラバラでも、それなりにバランスが取れているように思う。
 今ますみさんの頭の中は鍼灸の国家試験のことばかり。私の影は全くない。私にできることは、「できるだけ煩わせない」ことだけ。ただしヨメさんに言わせると、私は「いるだけでうっとおしい」らしい。そうなんかなあ・・・。

 ますみさんは「逆髪」ではないが、私は「蝉丸」に近いような気がする。
 「雨露をしのげる藁屋」で生きていければいいじゃないですか。

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【RUN】

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 明日は「くみやまマラソン」。私は10kmを走る。

 先週の「名護ハーフ」で、「これが老化現象ってことか」という体験をした。思っているほどに体が動かないという体験は、今までほとんどなかったことだ。
 明日は43分を超えれば「老化」確定、42分台なら普通、41分台で走れたら「まだまだ行ける」ということになる。がんばらねば。

 今日はレース前日なので、1000m全力1本。
 久しぶりの「アディゼロタクミ・センブースト」で。
 2kmアップジョグを、いつもより速めの10分で走ったあと、1000m全力。
 前傾姿勢を保ち、しっかり腕を振り、しっかり膝を上げることを意識して。結果、3分48秒。おー、がんばったやないかーい。
 2kmダウンジョグをして、今日はこれでおしまい。

 いい感じで終われたので、「明日は41分台で走れるような気がするー。」

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2017年01月06日(金)

のん [雑感]

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 今日はこれ。
 新聞の一面広告(1月3日)。
 沖縄の桜坂劇場で真樹と見た「この世界の片隅に」はよかった。
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◎毎日新聞11月15日夕刊・ニッポンへの発言

   キーワード 女優のんと「この世界の片隅に」=中森明夫

 能年玲奈に会った! いや、現在は「のん」に改名している。3年前、「あまちゃん」で大ブレークしたが、所属事務所との確執が報じられ、休業状態に陥っていた。先ごろ、独立して改名、活動を再開したのだ。

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のんが演じる北條すず 

 アニメ映画「この世界の片隅に」の主演で声優として抜擢(ばってき)された。9月半ば、マスコミ試写の初回は大雨の朝の渋谷だったが、ずぶ濡(ぬ)れになって駆けつけた。映画の冒頭、コトリンゴの唄(うた)う「悲しくてやりきれない」が流れ、青い空に「のん」とクレジットされた瞬間、思わずウルッときた。ああ、能年玲奈がスクリーンに帰ってきた!

映画は素晴らしかった。こうの史代の漫画原作を片渕須直監督がアニメ化した。昭和19年、広島から呉に嫁いだ若い女性の物語だ。戦時下の日常を丹念に描く。戦争の悲惨さを声高に訴える作品ではない。今、生きる人々のように暮らしがある。それゆえ終盤の戦災の場面はより痛切だ。

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昭和8年の大正屋呉服店(現在のレストハウス)周辺の再現

 こうの史代には広島の原爆被害を独自の手法で描く傑作「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」がある。だが、「この世界の片隅に」では呉を描いたことに着目したい(こうのの母の故郷だという)。「黒い雨」や「はだしのゲン」等、広島の原爆を描いた作品は数ある。“HIROSHIMA”は人類史上初の原爆投下の街として世界中の人々が知っている。しかし、呉はどうか? 広島の隣に軍港・呉があって、兵器が造られ、戦争に出撃していった。そうして、その街にも普通の人々が暮らし、女も子供も空襲に遭って死んだ。こうのが描いた呉や原爆で失われた戦前の広島の街を、片渕監督は執念の取材でアニメによって詳細に再現した。この映画は世界14カ国での公開が決定している。この歴史的傑作によって世界は初めて“KURE”を知るだろう。

 『キネマ旬報』誌の対談でのんに会った。この映画の彼女は素晴らしい! のんさんの声がぴったりで、もうそれ以外は考えられないと伝えた。2年前、映画「ホットロード」公開時に対話したが、主人公の少女が能年さんに憑依(ひょうい)したみたいだと言うと「えっ、憑依?」と彼女の顔が急に曇る。「それじゃダメなんです」と俯(うつむ)いた。憑依ではなく技術によって演じたいという。能年玲奈は実にクレバーな女優だ。「あの頃は憑依と言われることに神経質になっていて、それが顔に出たんだと思います」と今、のんは言う。

 今回の作品の主人公すずは絵を描くのが好きなこと等、のんと重なる。戦争の苦境を生き抜き、大切なものを失う女の子の物語だ。彼女は芸能活動停止の苦境に耐えた。能年玲奈という大切な名前さえ失った。のんの声には喪失の響きがある。「演じた」のではない、彼女は主人公を「生きた」のだ。そう言うと、また憑依の時みたいに怒られるかな? 「いえ、今はもう大人になりました。えっ?と思っても、顔には出しません」と、のんは笑った。

 なるほど「あまちゃん」の能年玲奈はもういない。そこには意志的な大人の女優がいた。のんさんがこの作品に出合ったのは運命のように思えます、と伝えると「一生に一度、出合えるかどうかの作品です」としっかりとうなずいた。とても美しい顔をしていた。

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 戦争によって少女すずの描く絵は途絶える。戦後生まれの漫画家こうの史代はそれを描き継ぐ。映画監督・片渕須直の強い想(おも)いがアニメ化へと向かう。小さな資本だ。でも、この映画が見たい! 日本中の観客たちが支援金を寄せて、遂(つい)にすずは動き出す。そうして最後に女優のんの声が魂を吹き込む。この映画は成り立ちそのものが一つの奇跡のような劇だ。多くの人々の祈りがこめられている。すずよ動け! のん=能年玲奈よ甦(よみがえ)れ! そんな祈りが絶対に通じない訳がない。私もまた祈りをこめて、この文章を書いている。あなたに向けて。どうか、この映画を観(み)てください!!

 私たちの存在はちっぽけだ。戦争にも巨大資本にも強権大統領にも敵(かな)わない。でも……。片隅に生きる者の輝き、祈りがきっと何かを変えると信じる。「この世界の片隅に」は、「この片隅」から「世界」に向けて大きく広がってゆくだろう。(コラムニスト)=毎月第3火曜掲載
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2017年01月01日(日)

新年 [雑感]

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 毎年毎年代わり映えのしない新年を迎えていたが、今年はちがう。
 今普通に暮らしていて、普通に走ったりできることがありがたい。

 一昨年の大学の同窓会で「100歳まで生きるとしてあと40年。どう暮らしていくか計画立てんとな」と言っていた女子がいた。その時「ボクは1年先までしか考えられんわ」と言っていたのだが、それももう半年先、いや3か月先くらいまでしか考えられなくなった。癌が転移したら治療に集中となるので、なにもかもできなくなるし・・・。

 今年の目標。
 1.家族に迷惑をかけない。特に、国家試験を控えるヨメさんに。
 2.働けるだけ働く。動けなくなるまではとにかく働く。
 3.平和アピールランと伴走をがんばる。
 4.たまっている本を読む。
 5.きくちゃんに長生きしてもらう。

 これで十分かな。
 万一病状急変して死に至ることがあっても、ヘラヘラ笑っていたい。
 以上。

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【RUN】

 今日は朝から「ニューイヤー駅伝」をテレビ観戦。
 「村山兄弟(双子)は仲が良くないが、市田兄弟(双子)は気持ち悪いほど仲がいい」という宗茂さんのコメントが頭に残った。その地味な市田ツインズが大活躍して旭化成が優勝。大番狂わせと言ってもいいでしょう。

 夕方、十王堂橋往復5kmへ。
 5分12、4分55、4分51、4分49、4分53で24分42秒。
 いい感じ。まだまだ上げていける感覚がある。
 明日も走ろうっと。

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【今日のきく】

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 今日はけっこうわがまま。
 ヨメさん曰く、「彩ちゃんの前でええかっこしてたみたいやな」。(今日、廉・彩が帰ってしまった。)
 犬にもそんな感情があるんかな。自分をよく見せたいって?

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