2016年09月17日(土)
「カーサ・ミア」ふたたび [グルメ情報]
金沢での宿泊は、中心部から少しはずれた「さらら館」。犀川・上菊橋近くにあるペンションで、10kg以下のワンちゃんなら部屋にいっしょに泊まることができる。今回はきく連れの出張なのできくも部屋に入れたいところだったが、7kgオーバーはごまかせません。
夕食はここから歩いて行けるところ。今年は久しぶりに、イタリアン居酒屋「カーサ・ミア」さんへ。
金沢での宿泊は、中心部から少しはずれた「さらら館」。犀川・上菊橋近くにあるペンションで、10kg以下のワンちゃんなら部屋にいっしょに泊まることができる。今回はきく連れの出張なのできくも部屋に入れたいところだったが、7kgオーバーはごまかせません。
夕食はここから歩いて行けるところ。今年は久しぶりに、イタリアン居酒屋「カーサ・ミア」さんへ。
私の胆のうの具合がよくないので、できるだけ脂っこくないものを選んで注文したつもり。
まずは「豆腐サラダ」。これと生ビール。
次に「○○ピザ」。
なんのピザか忘れてしまったが、これがすごくおいしかった。
「肉巻きギョウザ」。
これもビールが何倍も飲めそうな…。
最後に「男爵いものクリームグラタン」。
これは胆のう炎に悪そうだったが、全部ヨメさんと半分こしたので、量としては問題ないのでは。
最近きくを出張販売に連れてくるようになり、いろいろと心配ごとが多くなった。中でも一番の心配は、お客様や子どもをかんだりしないかということ。
そのあたりは経験豊富な奥様がいろいろとアドバイスしてくださった。
「本気でかむ犬は、こちらの骨が砕けるくらいの力でかみます。そこまで行っていないということは、まだかげんしてるんです。」
そうかー、あんなに痛いけど、あれはあれできくちゃんなりのかげんやったんかー。
「無抵抗な子犬をかんでしまう犬はまずいません。すぐ威嚇する犬には、子犬をあてがうと心を開くことが多いです。」
そう・・・、きくちゃんに子犬・・・。どうなんでしょうねえ。
久しぶりのイタリア料理、みんなおいしかったです。(胆のうも暴れませんでした。)
また、ワンちゃんのお話をいろいろ聞かせていただいてありがとうございました。
お仕事やワンちゃんのお世話の関係で、遠くの大会には出ておられないようですね。でももし機会があれば、ワンちゃんたちを連れて京都にも遊びに来てください。
能登谷さんご夫妻が飼われているワンちゃんはすべて保護犬。
聞かせてもらった話の中で一番印象に残ったのは、15歳で飼育放棄されてしまった大型犬の話。そこから引き取られ、いろいろと手を尽くし、それから息を引き取るまで2年間お世話をされたそうだ。これはなかなかできることではない。
なかなかお会いすることはないが、これからはホームページやブログをしっかり見せてもらおう(居酒屋「CASA MIA」ホームページ)。
カーサ・ミアから帰り、きくのお散歩。
知らない土地のせいか、○ンコは出ません。
きくちゃん、しんどいやろけど慣れてな。すまんな。
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きく暴走 [わんこ・にゃんこ]
今日から金沢遠征。
明日行われる「マラソンに挑戦する会」で出店予定。台風の影響で秋雨前線が刺激され、明日は一日大雨の予報。
それは天気のことなので仕方ないが、今回はきくを連れて行かなくてはならない。それも仕方のないことなのだが、昨日からちょっと困ったことが起きている。
昨日の朝の散歩中から左前足の具合が悪い。ゆっくりゆっくりぴょたんぴょこたん歩きしかできない。昨日の夜、「京都キャロット」を30分だけ早じまいし動物病院へ。
どうも足の肉球からばい菌が入ったようだ。
薬をもらって、ついでに伸びすぎた爪も切ってもらって帰ってきた。以前は病院で大暴れしたのに、今はすごくかしこくなっている。
ところが家に着いて、さあ家に入ろうとしたときにきくが逃走。慌ててヨメさんが追いかけてくれた。そして家に連れて帰ろうとしたとき、「ガウウ・・・」と。
今日の朝も散歩の帰りに動かなくなり、またヨメさんに「ガウウ・・・」と。
ちゃんとゆうこと聞いてもらわんと困るんですけど・・・。
さあ、きく連れで金沢へ。
雨に負けないように、きくがゆったりとした気持でいられるように、がんばってきます。
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2016年09月16日(金)
逆送 [病院]
今日は朝から鞍馬口病院。
手術前のいろいろな検査。
血液検査異常なし、尿検査異常なし、心電図検査異常なし、レントゲン検査異常なし。
さすがマラソンで鍛えてるだけあるねー、と自画自賛。
そして最後の血圧測定。「188ー122」。
「なんじゃー、こりゃー!」
何回測りなおしてもほぼ同じ。
「高血圧だと手術中に不測の事態になり、ごくまれにですが半身不随になるような可能性もあります。もう一度Kクリニックに戻って、先生に診てもらってください。」
ああ、この期に及んでまさかまさかの逆送。
いったん家に帰ると、これですわ。
きくちゃんの「おもんな攻撃」。
「あんよが痛いけど、おちゃんぽお願いできませんか。」
「オッサン、もういっこ病院行かなあかんね。それ終わったら散歩行ったるから。」
家から歩いて3分。
近くに病院があるとありがたい。
K先生。
「血圧を抑える薬を飲んでください。それでだいじょうぶです。」
そんな簡単なもんなんかとちょっと不安。
しかし、薬を飲んでから測ったら「112−79」。
「こんな一挙に下がるもんなんか。」薬が効きすぎて、ちょっとこわい。
お約束通り、きくのお散歩。
ピョコタンピョコタンやけど、けっこうたくさん歩きました。
もうちょっと行きたかったみたいやけど・・・。
「また、夜にいこな。」
足の具合、早く良くなったらいいんやけど・・・。
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私の高血圧はたいしたことではないということで、10月3日入院、4日手術は変更なし。あとは、お支払いの心配だけですかね。
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2016年09月15日(木)
遺影選択 [病院]
「遺影選択」、こんな題でブログを書いてもいいのでしょうか。絶対まじめな人から怒られますね。
おとといの「余命ラン」も、大したことを書いてないのにアクセス数が多い。「余命」に引っかかっている人が多いんでしょうね。すいません。ただし、私自身は「余命、追悼、遺影」などの言葉を決してネガティブな気持ちでは使っていません。早い遅いの差はあれど、いずれ訪れるものですから。
そこそこの歳になったら、自分の遺影用写真を決めておかなくてはね。ボロボロになってからでは無理なんで。私もはよう撮っとかんと、トレンディエンジェル・斎藤さんになりかけてます。
こないだきくちゃんといっしょのいい写真が撮れたので、「この写真、ボクの遺影につこてー」とヨメさんに頼んだ。そしたら、「そんなん、きくちゃんがかわいそうやわ。」どうもヨメさんの頭の中では、きくより私が先に死ぬので、生きているきくちゃんを遺影の道連れにすなということらしい。
そうか、それやったら私の得意な自撮りでええ写真撮っとかなしゃーないな。
今日は寮2(出町)の管理代行。
お昼に屋上に上がって、比叡山をバックに自撮りしてみました。これ、どうでしょう。
京都に生まれ、京都以外のところに住んだことがないので、やっぱりバックは京の山ですね。
その京の山、京の空、京の雲を見ていると、7年前に亡くなられた三宅誠孝さんのことを急に思い出した。
こんな遺影がええわ。ほんまにすばらしい人やった。
とても真似はでけんけど・・・。
私の大好きな三宅誠孝さんについては、ぜひ過去のブログの記事を見てください。
「三宅誠孝さんが・・・」2009年1月23日
「三宅愛子さんからのお手紙」2009年3月24日
「第17回みかた残酷マラソン〜追悼・三宅誠孝さん」2009年6月14日
今日もお昼は「黄身残し」。
次は、もうちょっとかっこいい「遺影」を自撮りしよっと。
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2016年09月14日(水)
追悼 永遠の女優・原節子 [映画]
原節子 略歴
◆1920年6月17日、二男五女の末子として、神奈川県橘樹郡保土ヶ谷町(現・横浜市保土ヶ谷)に生まれる。本名は會田昌江(あいだまさえ)。小学校時代から日本人離れした顔立ちは目立っていたという。35年、姉・光代と結婚した熊谷久虎の勧めで、女学校を中退し14歳で日活多摩川撮影所に入所。同年のデビュー作『ためらう勿れ若人よ』の役名の「節子」をそのまま使い芸名となる。36年、山中貞雄監督に乞われ『河内山宗俊』に出演。その撮影中にアーノルド・ファンク監督の目に留まり『新しき土』(37年)への出演が決まる。映画は大ヒットし、一躍スターダムにのし上がる。戦争中は『ハワイ・マレー沖海戦』(42年)をはじめ、『望楼の決死隊』(43年)などの戦意高揚映画に出演。戦後、『わが青春に悔なし』(46年)、大ヒットした『青い山脈』(49年)など戦前とは一転し戦後民主主義を体現するスターとなる。47年、フリーの女優として独立。49年、初めて小津安二郎監督と組んだ作品『晩春』に出演。以後、61年の『小早川家の秋』まで小津監督の6作品に出演。『東京物語』(53年)は小津監督の最高傑作となり、原節子もまたこの作品で女優として頂点を極める。62年、稲垣浩監督による東宝創立30周年記念作品『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』が封切られ、原は大石内蔵助の妻りくを演じた。これが原にとって最後の出演作品となった。63年12月12日、小津が60歳の誕生日に死去。小津の通夜、そして68年の小津を支えた脚本家の野田高梧の通夜に出席したのを最後に、表舞台には一切姿を見せなくなった。引退宣言も何もないまま女優業を引退。何の声明もない引退は謎を呼び、「伝説の女優」と呼ばれた。2015年9月5日死去。享年95。亡くなったことは11月25日までふせられていた。
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「娘・妻・母」
1960年/東宝/カラー/124分/35mm
監督:成瀬巳喜男/脚本:井手俊郎、松山善三/撮影:安本淳/美術:中古智/照明:石井長四郎/音楽:斎藤一郎 出演:原節子(曾我早苗)、高峰秀子、三益愛子、森雅之、団令子、草笛光子、淡路恵子、仲代達矢
♦金銭面などから亀裂が生じていく東京山の手の中流家庭の母と嫁と娘たちに、東宝の第一級の女優たちが扮するオールスター映画。長女に原節子、長男の嫁に高峰秀子と、成瀬映画で初めてで最後の二人の共演作品となった。この年の東宝No.1ヒットを記録。原は夫に急死された出戻りの母親思いの娘を演じ、「永遠の処女」と言われた原と仲代との初めてのキスシーンが話題となった。
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「北の三人」
1945年/東宝/白黒/41分(72分)/35mm
監督:佐伯清/脚本:山形雄策/撮影:中井朝一/美術:平川透徹/音楽:早坂文雄
出演:原節子(上野すみ子)、高峰秀子、山根寿子、佐分利信、藤田進、河野秋武、志村喬、田中春男、中北千枝子
○東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品
◆1945年8月5日に封切られた戦時下最後の作品。戦後占領軍にフィルムを没収されたが、2004年にアメリカ議会図書館よりフィルムセンターに返還された。現存するフィルムは全8巻中、5巻しか残っていないが、主役の北方警護に当たる三人の女子通信士(原節子、高峰秀子、山根寿子)のストーリーは理解出来る貴重な必見作。戦死した兄の恋人に原、妹の高峰にはわだかまりが…。
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「山の音」
1954年/東宝/白黒/95分/35mm
監督:成瀬巳喜男/原作:川端康成/脚色:水木洋子/撮影:玉井正夫/美術:中古智/音楽:斎藤一郎 出演:原節子(尾形菊子)、山村聡、上原謙、長岡輝子、杉葉子、丹阿弥谷津子、中北千枝子、金子信雄
♦川端康成が戦後発表した小説の映画化。息子の浮気に心を痛める舅と、その嫁の間に芽生えるほのかな感情に生起するエロチシズム。浮気する夫との忍従の辛さを噛みしめて寂しく生きる嫁を、原節子が好演。夫の上原謙、舅の山村聡も見事な演技をみせ、監督した成瀬の代表作となった。長年、アップ撮影のため強いライトを浴びた結果、撮影後、白内障と診断され、1年あまり休養することになる。
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9月11日、武庫川で10km走ったあとシネ・ヌーヴォへ。
せっかく京都から遠征するので、京都で見られない映画をと思い、シネ・ヌーヴォの原節子特集を見に行った。今回の特集では、11本の映画を日替わりで4本ずつ上映される。
正直、あんまり期待していなかった。1本見たあと昼ごはんを食べ、よさそうだったらもう1本見ようかなあというくらい。私が生まれる前後の映画だし、過去の亡霊のような女優男優が次々出てきてもねえ・・・。
しかし、映画に見入ってしまった。
古いのに新鮮? 全然見飽きない。そのあとの野球の予定がなかったら、4本全部見るくらいの勢いだった。
一番最後に見た「山の音」は中でも秀逸。
加山雄三のおとっつぁんが山村聡の息子役で出ていたが、この映画が封切られたとき、二人はともに44歳。上原謙のほうが3か月年上。原節子はこの二人の10歳下で34歳。映画の設定では、父62歳、息子30歳くらい、息子の嫁20歳過ぎということらしい。実年齢とはかけ離れているが、それを何とも思わせない演技がすごい。
「まいりましたー!」
原節子さんはたぶん地球人ではない。宇宙人が地球に忘れていったものにちがいない。ほかの出演者から完全に浮いてしまっている。しかしそれが見ていて苦にならず、かえって引き込まれてしまう。不思議な女優さんだ。
うちの父が1921年生まれなので、父の1歳上ですね。いったいどこの星で生まれたんやろうね。
また上映されることがあったら、絶対に見に行こう。
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【今日のきく】
寮1(二条)の管理代行から帰ってきたのが12時前。
「きくちゃん、今日一日全然おもんなかったんやてー」とヨメさんに言われると、「ちょっとだけおちゃんぽ行くか」と誘ってしまう。甘やかしすぎですかね。わたしゃ、明日また早起きして寮2(出町)に行かんなんのですけど。
「口が黒くてかわいいから、行ったる行ったる」ということで町内をうろうろ。
「明日は帰ってこれへんから、お散歩行けへんわー。ごめんなー。」
あさってはいっぱい遊ぼうぜ。
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2016年09月13日(火)
余命ラン [ランニング]
「最悪中の最悪やったら、余命1年やな」とヨメさん。
「おう、ラッキー! あと1年も生きられるんかいな」と私。
「ほんまに、アンタだけは・・・。」
私をビビらせようとして言ったヨメさんにはあきれられたが、あと1年生きられたら御の字。1年あったら、冥土の土産だらけになるやん。ほんまラッキーやで。
結婚31年で会話もマンネリ化していたが、最近病気ネタの会話がはずむ。これはこれでええことなんでしょう。
私は今日もバイトはお休み。
お昼に専門学校から帰ってくるヨメさんを、地下鉄・国際会館駅まで迎えに行く。きくちゃんといっしょにね。
「食べるもんないし、スーパーでこうてくるわ」とヨメさん。
「こうじさんにはマッタケ弁当にしといたわ。高いやつ・・・。」
「おう、愛情いっぱいかい」と思って見たら、「498円かーい! 高ないやん。」
そうそう、今日の朝、ヨメさんが出かけるときに「昨日、兵庫の松本さんから電話あったで」と。
「えー、そんなんはようゆうてもらわんと。」
松本さんは、ご自身のブログ「立川さんに聞きにいこう!」の中で私のことを書いてくださっていた。(9月12日「速達〜親愛なるパオパオさんへ〜」)
そして、その流れで苦戦中の「京都キャロット」の宣伝もしてくださった。その結果、さっそく松本さんのお友だちからのご注文があったらしい。いろいろ心配していただいて、ありがとうございます。
私のことなんか心配したら損するだけですよー。私はお気楽に生きていくのでだいじょうぶですよー。
今日は夕方6時からラン。
あてもなくだが、とりあえず宝が池通りへ。
3km、17分16秒。
ええ感じで走れているので、このまま岩倉を左回りで。
三宅八幡のあたりで4km。
明日からお祭り。「はと餅」食べたい。真樹が中学生の時に頼んだら、こうてきてくれたなあ。
岩倉の中心と言っていい農協前。
この先で5km、28分53秒。
京都精華大のキャンパスをかすめて自宅へ。
7.3km、43分48秒。キロ6分44秒ペース。
GPS腕時計があると、こうしてあてもなく走り出せるので便利。
「えーと、余命1年としたら、あと何回走れるんかな。」
明日は寮1、あさっては寮2で走る時間もないし・・・。その次の日はまた病院ですわ。
この先も、走れるスキを見ては走ることにしよう。
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【今日のきく】
今日もきくのツンツン。
今日は色仕掛けふう攻撃もあった。
散歩中にポッキーちゃん(ダックスフンド)のおばちゃんに遭遇。
ポッキーちゃんはまだ7歳なのに、後ろ足が動かせなくなり車いす生活になるらしい。もう散歩中に会うことはなくなるのか。
「比叡山バックに、ええお顔の写真撮っとこか。」
これは、お昼すぎに「京都キャロット」に出勤した時の顔。
やっぱり、なんか元気ないんですよね。
なんでかなあ。
元気出してーな。
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2016年09月12日(月)
5段階の3 [病院]
「ちゅーとはんぱやなー。」
私らしいと言えば私らしいか・・・。
ええならええ、悪いなら悪いとはっきり判定してほしかったねえ。通知簿で「5段階の3」ゆうたら、いっちゃんしょーもない「ふつう」やないですか。
今日は運命の日。先日注射針で採取した甲状腺腫瘍の細胞検査の結果発表。それなりにドキドキして診察室に入ったのに。「1、2があまり心配しなくてよくて、4、5が『悪い顔』で心配ということです。藤井さんはちょうど真ん中の3ですが、今後のことを考えると手術して取ってしまうことをお勧めします。」
手術自体は難しいものではないらしい。ただ甲状腺は声帯に引っ付いたような場所なので、手術後声が出にくくなったり低くなったりする人が多いらしい。
診察初日は頭ごなしの言い方だったが、その時に「今ここですぐにはお返事できません」とはっきり言ったのがよかったのか、今日は柔らかい表現だった。それに加えて看護師さんが感じのいい方で、「いろいろご都合がおありでしょうし、よく相談なさってからお返事してください」とのこと。
幸い、9月25日の「駒ヶ根」から10月23日の「諏訪湖」まで出張販売はない。寮1(二条)と寮2(出町)の管理代行は、もう一人の方に融通してもらった。ガードマンのほうは、声が出しにくくなれば役に立たん。まあ、私の代わりはなんぼでもおる。
あとは、手術前の説明の時と手術当日待機してもらう家族の選択。これは13年前の顔面骨折手術の時にも来てもらった8歳上の姉しか考えられなかった。もし姉がダメだったら、ヨメさんに都合付けてもらうしかない。そう思って姉に電話したら、「なんぼでも行ったげるで」と心強い言葉。これでほとんどのことがクリアできた。
9月はもう手術の予定でいっぱいということで、10月のしょっぱなに手術してもらうことにした。3日入院、4日手術、翌週11日抜糸退院。これで行きます。
駐車料金がもったいないので、今日は自転車で通院。なんぼ元気やねん。
手術後も、今と変わらず元気やったらいいのにね。
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【今日のきく】
「家にいるんやったら、散歩行ってもらわな困るなー」ときくがツンツン攻撃。
「行くがな、行くがな。」
この時は元気いっぱいで、夕方、夜も散歩に。
ところが寝る前になって、急にしっぽタレタレで元気がなくなってしまった。
「どうしたん、きくちゃん!」
オッサン(私)に合わさんでもえにゃでー。
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