2014年06月04日(水)
苦しいときは静原ラン [ランニング]
絶不調継続中。全然走る気がわいてこない。重症です。
ただし、最初の一歩が出るとなんとかなる。今日は、朝のうちに大好きな静原コースを走ることにした。
自宅から静原江文峠往復は15km弱なので、私には一番ゆったりと走れる距離と言える。10時すぎに自宅スタート。
御旅神社の手前の人気のないおうちから、ひょこりと出てきたネコちゃん。こんなんに出会えると走る気がわいてくる。
この先で5km、29分14秒。ずっと上りのわりにはいいペース。
静原小学校前で6km。
ちょうど体育の鉄棒の授業中だった。
江文峠で7.32km、43分14秒。
さすがに最後の急坂1kmは6分半ほどかかった。それでも、上り坂の苦手意識は確実になくなっている。
しっかり走れたのがうれしくて、休まずそのまま折り返して下りへ。
下りに入るとキロ5分以内のペースで走れたので、最後までこのペースが維持できるよう意識して走った。できるだけゆったりとしたフォームで走れるように。
野中橋の手前で5km、23分59秒。
残り2kmちょっとも気を緩めずに。
自宅到着7.35km、35分18秒。
往復で14.67km、1時間18分32秒。
走り始めたらなんとかなるもんですね。
あとはお楽しみの、ご近所本物シェパードのエルちゃんクーリングダウン。犬小屋からなかなか出てきてくれなかったが、何べんも呼んだらやっと出てきてくれた。顔をペロペロしてもらってから1km。
これで今日は約15.7km。
これからもまた無理のない練習をしていこう。
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今日は天安門事件25周年。
生まれた日が分からない捨て猫「あんも」は、推定で勝手に天安門事件の日に生まれたことにした。「てんあんもん」から「あんも」と名づけた。センスのない私にしては、抜群のセンスいい命名だと自画自賛。
22歳になる直前に死んでしまったけど、生きていたら今日で25歳やったんやねえ。
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2014年06月03日(火)
おさるさん、みにいきたい [雑感]
◎京都新聞5月26日夕刊
「中年」サル お産失敗死 出産期の嵐山モンキーパーク
職員に人気、園内で発見
野生のニホンザルが見られる「嵐山モンキーパークいわたやま」(京都市西京区)でサルが出産期を迎えた。今年はすでに2匹の赤ちゃんザルが誕生した一方で、職員に人気の「中年」メスザルがお産の失敗で母子ともに死んだ。園内で死が確認されるのは珍しく、職員らが悲しみを乗り越え、新しい命と向き合っている。
死んだのは19歳の「チビコブ」。人間で言えば40歳前後といい、約130匹の群れの中では上位(約2年前までメスのトップ)だった。サルの世界では22〜23歳以上が「高齢出産」の部類に入り、チビコブは今後の出産も期待されていた。母親譲りの大きな体形とそり込みが入ったような顔つきが特徴で職員が呼べば近づいてくる人なつっこい性格だった。
陣痛は今月19日から始まった。職員のいる小屋の周辺をゆっくりと歩き、出産する体勢でいきむことを繰り返した。群れは夕方になると山に帰るが、チビコブだけ園内に残った。翌日以降はいきむこともできず、座ったり横になったりしていた。4日後の昼、小屋から少し離れた場所で死んでいるのが見つかった。園によると、ほとんどのサルは死ぬ際に姿を消すため人前で死ぬのはまれという。
チビコブは2年前、難産の末に赤ちゃんを失った経験があり、浅葉慎介園長(51)は「1日目にうまく生まれれば母子ともに助かっていた可能性が高い。お産が不安で人から離れたくなかったのかもしれない」と語る。新緑に囲まれた園内では赤ちゃんザルが増える時期が到来した。浅葉園長は「自然の厳しさがあるからこそ、誕生の喜びがある。母と子のふれあいを見て癒やされてほしい」と来場を呼び掛けている。 (冨田芳夫)
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私が一番好きな動物は、ハイエナ。
そして一番恐いのが、意外や意外・・・「サル」。それは自分に似ているからでしょうか。好きなんやけど、なんか恐いんです。
「いわたやま」に行ったのは、廉がまだ2歳のときなので20年前。
「おさるさん、みにいきたい」と廉が言ったわけではないでしょうが、あの山を登って見に行った。私もすごく楽しみにしていたのに、坂の途中で最初の1ぴきに出会ったときから身がすくんでしまった。(ヨメさんは全然平気だった。)
もっとビックリしたのは、目をはなしたスキに廉がおさるさんと手をつないでいたこと。心臓止まるかと思いましたわー。
死んじゃったチビコブちゃんは、そのときはまだ生まれてへんかったんやね。生きているうちに見たかったな。
「孫が生まれたらまた見に行こう」なんて言っててもいつになるか分からんし、また走って見に行こうっと。
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【今日のきく】
夕方から雨がパラパラ。
夜のきくの散歩のときも、パラパラと降っていた。
「きくちゃん、今日は雨やしホタルおらんかもね。・・・おったー!」
長代川のホタルが見られて、満足なきくとパオパオでした。
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2014年06月02日(月)
第29回たたらぎダム湖マラソン・続き [ランニング・出張販売]
去年この大会の5kmで、同い年最強ランナー・北出さんと死闘。北出さん20分00秒の5位、私20分02秒の6位。北出さんの調子が悪かったとはいえ、次の年に期待を抱かす結果だった。
しかし、今年は3月からの腰痛を引きずり、それがましになった5月はなぜか走る気がわいてこず練習不足。5月11日の「鯖江つつじマラソン」3kmが前年の30秒遅れ。ということは、5kmだと前年1分遅れを覚悟しなければならない。
それでもなんとか21分切りだけは達成したいと思いつつスタートラインに向かった。
前から2列目に、私の勝手なライバル・松本一之さん発見。
「こっちのコース初めてなんやけど、どんな感じですか」と聞いてこられた。
「こっちは前のコースとちがって、十分走れる坂です。松本さんやったら、前半からガンガン行ってください。」
これはいい目標ができた。松本さんと同じ大会を走ることは多いのだが、同じ距離を走ることはほとんどない。松本さんの背中を見て、レース展開の勉強をさせてもらおう。
今年の結果 去年
1km 4分23秒 4分24秒
2km 8分51秒(4分27秒) 4分20秒
3km 13分13秒(4分21秒) 4分01秒
4km 17分15秒(4分02秒) 3分40秒
5km 21分16秒(4分01秒) 3分35秒
1km地点では松本さんと5秒差。2km地点でもその背中がはっきりと見えていた。ところが折り返して下りに入ると、どんどん差が広がり・・・。去年の私の記録と比べても、最後の下り2kmだけで50秒ほど遅い。
記録証をもらうと8位。やはり去年並みに走らないと6位入賞は無理。
でもラッキー。抽選会で三等の岩津ねぎをゲット。三等はこれで2回目。来年こそ特等の肉じゃー。
「腹へらし」のヨメさんは、肉丼みたいなんを買ってきて食べていてた。
暑さのせいか、ゴール後のお客様は少なかった。
松本さんは、5km男子60才以上の部優勝。
タイムは19分11秒。
「松本さん、顔洗って出直してきます。」
「えー、なんでやな。」
ほんまに情けなかった。「勝手なライバル」なんて恐れ多い。せっかくの5km直接対決だったのに、2分以上の大差とは・・・。
あまり売れない「たたらぎダム湖マラソン」だが、ほかの大会の落ち込みがえげつない割りには安定。「もう出店をやめよう」とまで思っていた大会なのだが、二人ともレースに出られることもあり、うちにとっては重要な大会になってきている。
例年通り「ドライブインたたらぎ」で遅い昼食。
そのあと和田山で、お肉を買って野菜を買って、ついでに「しまむら」にも寄って・・・。
家に帰ると、きくちゃんが「ハーハー」。
今日の京都の最高気温は36.0℃。
「きくちゃんもあつーて、留守番たいへんやったね。」
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2014年06月01日(日)
第29回たたらぎダム湖マラソン [ランニング・出張販売]
今日もスタートはネコちゃん。
「スカイビラさのう」さんのネコちゃんが、私たちの出発を見送ってくれた。
5時半起きで、6時会場入り。今年の出店場所は道路に近い場所だったので、準備も楽だった。受付は7時からだが、受付場所が離れているためなかなかお客様が来られなかった。
出店関係車両の臨時駐車場は、近くの「北村建設」さんの土地をお借りしている。
そこにはかわいいワンちゃん。
「ウォーーーン!」
この暑さの中、準備体操もしっかりしていた「ゆるきゃら・たけじぃ」。
「えらい!」
「気温はすでに31℃を超えています。」
9時半ごろの会場内のアナウンスを聞いてびびった。
「これはウォーミングアップもほどほどにしとかなあかんな。」
10時、ガードマンのおっちゃんに一声かけてヨメさんの応援に。
「あー、地味なウェアは見つけにくいなー。」
本当は今日は「みかた残酷」用の恥ずかしいコスプレで出る予定だった。しかし、迷っている間に本命のウェアが売れてしまい、別のものを注文して今日には間に合わなかった。
ちっちゃい子たちがぎょうさん出てたし、あのウェアやったら大受けやったのに・・・。
いったんテントに戻って接客して、またゴール地点へ。
坂を駆け下りてくるますみさん。
めっちゃ速いランナーみたいじゃないですか。
ここの2kmジョギングコースは、ダムの上まで行って下りてくるので全国一きついジョギングコースかも。
2km、13分49秒。たぶん、去年と同じくらい。
記録証発行係は地元の中学生だそうだ。ご苦労さま。
お楽しみ抽選会で、ヨメさんは四等、ブルーベリーをゲット。
私は割りによく当たるほうだが、ヨメさんが当たるのはめずらしい。走る前に抽選に行っていた人が多かったが、やっぱり走った後のほうがいいですよね。「ごほうび」のような感じがして。
さあ、次は私の5km。
(注)後半に続きます。
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2014年05月31日(土)
スカイビラさのう [宿情報]
最近は、ずっと山の上の宿泊施設「スカイビラさのう」さんのお世話になっている。
お料理はおいしいし、宿泊料は安いし。
明日は練習不足のため、去年の5km20分02秒には遠く及ばないだろう。でも、なんとか21分は切りたいなあ・・・。
以下、「スカイビラさのう」さんの外猫さんたちです。
すごくかわいいです。
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2014年05月30日(金)
基地が地域の自発的なまちづくりを阻害する [時事]
◎毎日新聞5月30日朝刊・記者の目
[沖縄・普天間飛行場の移設問題] 政治部 上野 央絵(なかえ)
◇揺れる辺野古の民意
沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先に名護市辺野古が浮上してから間もなく18年。移設反対を訴えて国と対峙(たいじ)する稲嶺進市長の下で、辺野古住民が揺れ動いている。住民の大半を占めるとされる「容認派」は、国を相手にした補償金要求などの「条件闘争」がままならないことに危機感を深める。一方、「反対派」はこうした容認派の焦りを背景に、自治組織として強力な決定権限をもつ辺野古区行政委員会が2010年に出した「条件付き容認」決議見直しに向けた動きを進める。「容認」と「反対」の分断状態にあった辺野古の民意は静かに流動化しつつある。
◇賛成と反対は「紙一重」の差
「(区内にある米軍キャンプ・)シュワブに移設されるだけではなく、(新たに)大きな騒音を伴うことになる。補償を求めるのは子や孫のためです」。容認派で辺野古区行政委員を務める雑貨・食品店経営、許田正儀(きょだまさよし)さん(64)は、移設に伴う補償金要求について、こう話した。12年秋に普天間に配備された米軍新型輸送機オスプレイは、訓練でしばしば辺野古の住宅地上空に飛来。住民は既に騒音を実感している。県内で「条件闘争している」と批判されることに対しては「本当はうるさいのは来ない方がいいと思ってるよ。でも政府と対峙して反対してもその通りいくものではない」と反論した。
区は今年4月14日、沖縄防衛局に対し、世帯ごとの補償金や米軍機が離着陸するヘリパッドの撤去などを求める要請文を提出した。しかし防衛局は補償の法的根拠がないことなどを理由に消極的。首相官邸にも要請するつもりだが「会ってもらえるかどうか。市長選前に移設推進派候補と訪問した時は対応が良かったが、負けてしまったから……」と危機感をにじませる。ある行政委員は「回答によっては反対闘争も辞さずだ」と漏らす。
一方の反対派は、従来の政治色が強い反対運動団体の看板を下ろし、区に容認決議を撤回させる道を模索する。
「賛成と反対は紙一重だと僕は思ってます。17年間やってきて」。移設に反対する地元住民の団体「命を守る会」を1997年に設立した金物店経営、西川征夫(いくお)さん(70)はこう話す。今年3月、会を解散した。選挙のたびに政治の動きに振り回され、地元住民の純粋な運動としては衰退したとの反省からだ。代わって「辺野古区民の会」を作り、住民を個別に説得して回る地道な活動を続ける。
目下の目標が、住民の1%にも満たない18人から成る区行政委員会がまとめた条件付き移設容認決議の見直しだ。46年ぶりの選挙で昨年3月誕生した区長は、移設受け入れについて「区民の総意で決める」と表明している。西川さんは「区長を支えるのが会の役割。会単独で反対闘争など行動をするつもりはないが、市長や区長が先頭に立つならば行動を起こす」と言う。
◇まちづくり阻害、根強い基地構造
今月11日の本紙朝刊ルポ「ストーリー」の取材で、こうした辺野古住民の民意の変化を感じた。一方で、基地が地域の自発的なまちづくりを阻害する根強い構造も見えた。
「ベトナム戦争以来、辺野古は寂れっぱなしですよ」。移設容認派の辺野古商工会長、飯田昭弘さん(66)は言う。辺野古商店街は50年以上前、シュワブ建設時に米軍の協力で開発されて以来、再開発は全くなされていない。シュワブを抱えることで辺野古に入る軍用地料は区行政委員会がため込み、まちづくりには向かわない。さらには普天間移設受け入れと引き換えの振興策の恩恵もほとんどない。わずか十数店舗となった米兵向けの飲食店の店主の中には「国から補償金が出ればすぐにでも出ていく」という人が何人もいる。飯田さんは「せめて再開発のきっかけになれば」と国の補償に期待する。
辺野古でのフィールドワークを04年から続ける明星大の熊本博之准教授(地域社会学)は「シュワブは仕方がないが、これ以上の負担は望まないというのが辺野古の声だ」と指摘する。
基地があるがゆえに新たな基地を押し付けられる一方で、国の金がいくら投じられても地域振興につながらない辺野古の現状は、沖縄全体が抱える米軍基地問題の縮図だ。沖縄にとって基地問題は、イデオロギーではなく住民個人の生活の問題。国が「条件闘争=受け入れありき」と、辺野古の民意にたかをくくっていると、住民こぞって反対に転じ、沖縄全体の反基地感情に火を付ける可能性もある。そうしないために、国は辺野古への移設断念を考えるべき時だと思う。
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◎沖縄タイムス5月15日
名護市長が出発「米国で沖縄の内実伝える」
【名護】名護市の稲嶺進名護市長は15日午前、米軍普天間飛行場の辺野古移設反対などを米議員や市民らに直接訴えるため、正午過ぎ、米ニューヨークに向け出発した。稲嶺市長は那覇空港で記者団の取材に答え、「辺野古移設、県内移設反対の民意を受け止め、米国でできるだけ多くの人に会い、沖縄の内実をしっかり伝えていきたい」と述べた。
稲嶺市長は現地時間の18日まではニューヨークに滞在し、辺野古移設反対の声明を出した有識者らとの意見交換や、市民向けトークイベントなどを行う。
その後、ワシントンに移動し、元大統領補佐官や米下院議員らとの面談など実施。日本時間の24日夜に沖縄に戻る。
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◎沖縄タイムス5月22日
稲嶺名護市長が米で講演「住民犠牲許されない」
【ワシントン20日=伊集竜太郎】稲嶺進名護市長と玉城デニー衆院議員は20日夜、ワシントンのカフェでトークイベントを開いた。稲嶺市長は「米国のような大きな国では、住宅地の近くに基地があるのは考えられないと思う。しかし、沖縄という小さい島だと必ず住宅地の近くに基地を置くことになる」と述べ、基地被害の実態を語った。
稲嶺市長は「国益や国策といっても、そこに住む人たちを犠牲にして成り立つというのは、民主主義社会では許されない」と強調。玉城衆院議員は「新基地を造らないという政策をとることこそ、民主主義を尊重する政策になる」と提起した。
参加したキャンプ・シュワブにも駐留経験があるというフランク・ダナペラさん(73)は「沖縄は米兵の暴行事件も多い。米国民は、大統領や駐日米大使らに移設反対を訴える手紙を送るべきだ」と話した。
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◎沖縄タイムス5月24日
辺野古移設「米も当事者」 名護市長帰国へ
ワシントン22日=伊集竜太郎】米軍普天間飛行場の辺野古移設反対を訴えるため訪米中の稲嶺進名護市長らは22日、ワシントンのナショナル・プレスクラブで記者会見した。稲嶺市長は「基地を造るのは日本政府だが、使うのは米軍。この問題では米国も当事者だ」と訴え、移設問題に対して、米側からの取り組みを求めた。
自身が会談した議員や専門家の中には「(移設に向けた)手続きが進んでいるから仕方ないという人や、辺野古に造るのは厳しいんじゃないかという人もいた」と振り返った。
移設に向けた日本側の強硬姿勢や知事の埋め立て承認で「米国では強力な印象で受け止めていると思った」と振り返った。一方で、地元の根強い反対の中で「物事はそう、うまくいかないと言いたい。そのことをぜひ分かってほしい」と述べ、理解を求めた。
また、「いくら国防といえども、地域の一部の犠牲の上に成り立って進むものではない」と強調。「名護市民は孤立していない。世界中からも注目され、応援してもらっている。それを受けて移設反対に向け、市民の代表として前に立って闘いたい」と気持ちを新たにした。
稲嶺市長らは同日、米議会調査局(CRS)日本研究グループや下院議員補佐官とも面談した。稲嶺市長は現地時間の23日、ワシントンを出発し、日本時間の24日夜、帰沖する。
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◎朝日新聞5月22日朝刊・声
沖縄 米国民への訴えに意義
プログラマー 大畑 靖夫(熊本県 58)
米軍普天間飛行場の辺野古移設反対を訴えるため訪米した稲嶺進・沖縄県名護市長が、ニューヨークでの市民集会で沖縄の現状を伝えたことに日本国民として大変心強く思った。この行動は、安倍晋三首相の米国との軍事行動に偏った外交姿勢とは正反対に思える。
歴代の日本の首相が米国民にこれまで何をアピールしてきただろうか。少なくとも、日米安保条約の名の下に置かれる米軍基地の、沖縄県民への過重な負担の実情については直接語ってこなかったのではないか。
一方、米国政府が、自国の国益を優先するのは当たり前であり、米軍基地を沖縄に置き続けることが米国の国益にかなっていれば、在日米軍基地の国外移転など検討するはずもない。
それを考えると、稲嶺市長が米軍基地が名護市民の平穏な暮らしを脅かす要因になっていると、米国市民に直接訴えたのは意義深い。
同時にこの行動は、憲法9条の非戦の理念を広めることにもつながるのではないか。本来、日本政府が一番にやるべきことを沖縄の一市長が米国に出向き、訴えた意義は大きい。
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最後に紹介させてもらった朝日新聞の投書欄の大畑さん。この人の言葉に尽きる。「沖縄の一市長が米国に出向き、訴えた意義は大きい」。
私と同い年の大畑さん。いいとこ見てますねえ。会ってお話したいくらいです。
稲嶺市長さんも「まちづくりに基地は不要」とおっしゃっている。
これだけ行動力があり、フルマラソンを完走できる体力もある人だから、名護市長にとどまらず次期沖縄県知事候補にしてもいいくらいじゃないでしょうか。
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