パオパオだより

2012年11月15日(木)

カープ・栗原選手の思い [平和]

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◎毎日新聞11月14日夕刊

   ヒロシマと生きる 「被爆者 プレーで元気付けたい」
                  カープ・栗原選手 FA行使せず残留

 プロ野球のフリーエージェント(FA)権行使の申請期間が13日終わり、広島の栗原健太(30)の残留が確定した。公式ブログで被爆地への思いを発信する栗原だが、今季は5月に右肘を手術、原爆の日前夜に開かれたピースナイターも自宅観戦するしかなかった。「来季こそは全力プレーで、被爆された方々を元気づけたい」と話している。

 右肘手術の影響で今季は21試合出場にとどまり、0本塁打、5打点、打率2割1分1厘。主力になって最低の数字に終わった。

 山形県生まれ。日大山形2年の98年夏、甲子園の土を踏んだが、広島は遠かった。原爆のことは教科書でしか知らず、初めて訪れたのは17歳、入団発表の日だ。原爆資料館の前で記念撮影したものの入館しなかった。

 転機は04年の結婚だった。妻(27)が被爆3世で、8月が近づくたび原爆のことを口にした。被爆体験を語らぬ親戚がいること。被爆者が減り、広島でさえ原爆への関心が薄れていること。資料館も一緒に見学した。黒く変色した弁当箱の白飯に、言葉を失った。「一発の爆弾が日常を奪ったのか」

 焦土の広島に球団が生まれた意義も考えた。被爆者を含む市民は、創設時から募金で球団を支えた。その思いに応えられないか。08年まで本拠地だった旧広島市民球場では、原爆の日に試合がなかった。疑問に思い、その年8月6日、ブログで書いた。「とても大事な日ですが、僕たちは毎年遠征で広島にいません。理由はあるのでしょうか?」

 静かに過ごしたい被爆者に配慮し、市条例の施行規則で市民球場が休場と知って反省したが、のちに規則は改正される。11年8月6日、マツダスタジアムでピースナイターは開かれた。今年は日程の都合で前夜に開催された。しかし、立つべき打席に自分がいない。歯がゆかった。

 「ピースナイターを楽しみにしてくれる被爆者の方もいる。全力で打ち、走り、元気を送る。それが広島で野球を続ける意義」。来季の活躍を誓って振り抜いたバットが、広島の室内練習場に快音を残した。【平川哲也】
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  <橋下・大阪市長>「核廃絶無理」発言 広島市長が苦言

 遊説先の広島市で10日、核兵器の廃絶を「現実には無理」などと発言した日本維新の会代表の橋下徹大阪市長に対し、広島市の松井一実市長は14日の定例記者会見で、「被爆の実相を十分理解していない人の発言」と苦言を呈した。広島を訪れて実相を理解してもらうよう橋下氏に求めるという。

 松井市長は発言を「いろいろな考え方の一つ」としながらも、「被爆者の話を聞いていただければ、おのずと分かるのでは」と述べた。政令指定都市の市長が集まる会合などで、橋下氏と面会した際に広島訪問を求める意向だ。大阪市は、核兵器廃絶を求める国際NGO「平和市長会議」(会長、松井市長)に加盟している。

 一方、橋下氏は14日、「核廃絶を訴えても世界には響かない」と改めて持論を展開した。市役所で記者団に「核廃絶は理想だが、政治は現実に即して戦略を考えないといけない」と主張。日本が国連安全保障理事会の常任理事国ではない現状を指摘し、「一地域でペーパーをまとめるだけでは世界は動かない」と、湯崎英彦広島県知事らに反論した。【中里顕】
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 プロ野球でお金をたくさん持っているチームは、自力で選手を育てようという気がないように見える。。他チームの主力選手を引き抜き、他チームを弱体化させるのがチームの方針なのだろうか。
 わがヤクルトスワローズからは、ハウエル、ペタジー二、ラミレス、グライシンガー、ゴンザレス・・・。苦労して探してきた主力外国人選手を札束で・・・。
 広島東洋カープも、江藤、金本、新井と次々と4番バッターを取られてしまった。次に狙われるのはヤクルトなら林 昌勇(イム・チャンヨン)、広島なら栗原かなあと思っていた。
 しかし、栗原はちがった。今年は故障で出番が少なかったが、本調子なら広島の4番を打つバッターである。広島の安月給に対抗して、厚い札束を出してくる球団があれば心も揺れるものだ。
 これを押しとどめたのは、被爆3世の奥様の力が大きいだろう。実際に被爆した者の恐怖、痛み、苦しみ、悲しみを祖父母から直接聞いた奥様は、ご自身も体に異変があるのかもしれない。そういう話をしっかり受け止め、自分の生き方に反映させている栗原選手は立派だと思う。
 まるで他人事のようにしか発言できない大阪市長とはえらいちがい。まず、栗原選手ご夫婦と橋下大阪市長との対談でもしてもらったらどうでしょう。

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2012年09月17日(月)

「放射能副読本」学習会 [平和]

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 正確には、放射能から子どもを守る会・茨木主催の「放射能」について共に考える連続学習会の第1回。実は文科省から公立小学校に配布された副読本も「放射線について考えてみよう」であって、どこにも「放射能」という言葉は使われていない。
     ◇     ◇     ◇
■放射線(ほうしゃせん、radiation)とは、放射性元素の崩壊に伴い放出される粒子線 あるいは電磁波のこと。主にアルファ線、ベータ線、ガンマ線の3種を指す。また、それらと同程度のエネルギーを持つ粒子線や宇宙線を含めることもある[1]。広義には、様々な粒子線や電磁波の総称である。電離作用を持つ電離放射線について考えることが多く、励起なども起こり、これらに基づいて、物理作用、生理作用のほか、化学作用も現れる。
■放射能(ほうしゃのう、英: radioactivity)とは、原子核が崩壊して放射線を出す能力のことである。原子核の崩壊により、出された放射線のうち、電離作用をもつ電離放射線について考えると、励起などもおこり、これらにもとづいて、物理作用、生理作用のほか、化学作用も現われる[]。
 放射能の単位はベクレル(記号 Bq)であり、1Bqは1秒間に1個の原子核が崩壊することである。
 日本語ではしばしば放射能と放射性物質と放射線とが混同されているが、その意味は明確に異なる。日常会話やマスコミ等において「放射能を浴びる」「放射能に汚染される」などの誤用が一般に定着し常用されている。また、英語では放射性物質のことを radioactive materials と表記するが、標識などにおいて radioactive と略記することが多く、これを放射能と日本語訳してしまい(厳密には放射性と訳さねばならない)、誤用が起きていると考えられる[要出典]。放射能は英語で radioactivity である。(ウィキペディアより)
     ◇     ◇     ◇
 まず、ここからです。
 9月7日の「茨木金曜日行動」で、この学習会のビラを配らせてもらった。それを配っている本人が、その学習会に全くかかわらないということは問題だ。そう思い、昨日の京都走ろう会のあとお昼ごはんも食べずに駆けつけた。
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 茨木市民会館に着いたのは1時50分くらいだったので、学習会はもう半分ほど進んでいた。参加者は私を含めて8名。こないだの「茨木金曜日行動」に参加されていた方が4名、呼びかけに応じて来られた方が4名だった。

 「小学生版副読本『放射線について考えてみよう』を読んで、疑問点を出し合おう」ということで、副読本の項目に沿って話し合われていた。

 私が到着したときは、「放射線を受けると、どうなるの?」という項目。以下、原文のまま引用。
     ◇     ◇     ◇
 (放射線を表す単位は)長さを表す単位「1メートル=1000ミリメートル」と同じで、1シーベルトは1000ミリシーベルトです。マイクロはミリより小さいときに使い、1ミリシーベルトは1000マイクロシーベルトとなります。
 自然から1年間に受けている放射線の量は、一人当たり約1.5ミリシーベルトです。一度に100ミリシーベルト以下の放射線を人体が受けた場合、放射線だけを原因としてがんなどの病気になったという明確な証拠はありません。

【考えてみよう】
 絵を見て健康的な暮らしのためには、どのようなことに心掛けるとよいか考えてみよう。
     ◇     ◇     ◇ 
 その絵というのは、中心に「がんなどの病気」があり、上から右回りに「年をとる」、「遺伝的な原因」、「ウイルス・細菌・寄生虫」、「働いている所や住んでいるところの環境」、「食事・食習慣」、「放射線・紫外線など」、「たばこ」、「酒」。
 なるほど書いてあることはまちがいではないが、明らかに「放射線」を薄めるために書かれている。その放射線も「紫外線」と同等の扱いとは・・・(「放射線・紫外線など」のところの絵は太陽光線を手でさえぎる女性の姿)。

 次は、「放射線は、どうやって測るの?」という項目。
     ◇     ◇     ◇
【調べてみよう】
 文部科学省は、学校に放射線測定器「はかるくん」を貸し出しています。「はかるくん」を使って学校の中や周りを測ってみよう。
※「測定器で放射線を測っているよ」という小学校の教室の写真。
     ◇     ◇     ◇
 参加されていた元小学校教員の方がおっしゃった。
 「小学生は測定器に興味を持つと思います。そして、目に見えないものが数値として測れたら喜びます。そのものの危険性などには関心がなくなり、何がどんな値か、中には大きな値が出ると「わー」と喜ぶ子もいるかもしれません。」
 中学校の理科の先生のご意見。
 「教室や学校で簡単に測れるものなら何も恐れることはない、という新たな安全神話作りじゃないですか。」
 また、福島から避難されているお母さんは、「避難生活を送っている自分の子と同じ小学生が、楽しそうに測定器を使っている写真は受け入れられない」とおっしゃっていた。

 最後に、「放射線から身を守るには?」という項目。
     ◇     ◇     ◇
 放射性物質を利用している施設の事故によって、放射性物質が風に乗って飛んでくることがあり、この時に放射性物質から出る放射線を体の外からと体の中から受け取ることがあります。
 体の外から受ける量を少なくする方法があります。一つは放射性物質から離れること。もう一つは放射線を受ける時間を短くすること、そして放射線を通しにくい建物の中に入ることです。建物の中に入った時は、放射性物質が建物の中に入らないようにドアを閉め、外からの空気を取り込むエアコンや換気扇の使用を控えるなどの対策をとることが大切です。また、長袖を着ることにより、放射性物質が体に付かないようにすることができ、服や体に付いても放射性物質を洗い流すことができます。
 体の中から受けることから身を守るには、体の中に放射性物質が入らないようにマスクをしたり、放射性物質が決められた量より多く入ったりした水や食べ物をとらないように気を付けたりするなど対策を取ることが大切です。
 なお、体の外から放射線を受けたことを原因として、人が放射線を出すようなことはなく、かぜのように人から人へ伝染することはありません。
     ◇     ◇     ◇
 「なんで、原発(放射性物質を利用している施設????)をなくすというのがないやろう。」
 これが、参加者全員の疑問。事故が起こったあとの対策よりも、事故を起こす元をなくすという発想は初めからないのだろうか。
 また、中学の理科の先生の言葉。
 「震災がれき処理なんて、まやかしのような言葉を使ってはいけませんよ。あれは正しくは『死の灰処理』です。」
 テレビや新聞がそう正確に報道してくれたら、また今の事態も変わっていくだろうに。

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世界が輸入禁止にしている日本の食品 (1094KB)

 副読本のほかにもいくつかの資料をいただいた。その中で、みんなが「びっくりした」、「知らなかった」と言われていたのが、「本当に食べても安全ですか? 世界が輸入禁止にしている日本の食品」。
 8月27日現在、日本の食品の輸入規制をしている国は14ヶ国。中でも、日本の原発を後押ししているはずのアメリカが細部にわたって規制。アメリカは遺伝子組み換え食品などの規制もゆるいようなのに・・・。
 「どうゆうこっちゃ?」
 「これはほんまに危ない証拠とちがうんかいな。」

 私は遅れていったせいもあり、時間が短くて掘り下げた意見交換もできなかった。それでも認識を新たにしたことがいっぱいあった。
 多くの人にアピールするデモも大事かもしれないが、まず自分が勉強して基本的な知識を身につけなれればと思った。
 「茨木金曜日行動」で配らせてもらったもう1種類のビラ、「内部被ばくを生き抜く」の上映会にも都合をつけて行こうと思っている。

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帰りの京都市地下鉄

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2012年09月07日(金)

茨木金曜日行動「再稼動反対、全ての原発をゼロに」 [平和]

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 「あー藤井さん、よく来てくださいました。びっくりしましたよ」と山下けいきさん。
 「山下さんからもらったメールの最後の一文、『一人でもやります』を見たら来んわけにいかんでしょう。」
     ◇     ◇     ◇
 茨木金曜日行動のご案内

東京での毎週金曜日の首相官邸前脱原発活動にあわせて
茨木でも毎週金曜日午後6時から阪急茨木市駅東口で
再稼動反対、全ての原発をゼロにのアピールをやりたいと思います。

種々のビラや署名などご自由にアピールください。
参加される方の自主性を重んじ、また協調性にも期待したいと思います。
準備はこれからですが、一人でもやります。
     ◇     ◇     ◇

 今日は、「京都キャロット」の仕事で私ができそうなことがほとんどなかった。きくちゃんの散歩を早めにすまし、夕立が来そうだったので干してある布団を取り入れ、食洗器をまわし、お米を洗い・・・。よし、これで出かけてもいいだろう。
 4時51分の京都バスに乗り、地下鉄国際会館駅。四条から阪急で茨木市駅へ。5時55分に到着。

 山下けいきさんは6時ちょうどに到着。
 

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 集まった人は全部で10人ほど。
 心配していた「一人でも・・・」にはならなかった。

 最初に山下さんからの訴え。

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 次に「福島のお母さん」からの訴え。訴えというより切なるお願いでした。
 ビラを配りながら聞いていたので、内容をすべて覚えているわけではありません。正確に伝わらないと困るので書くのはやめておきます。ただひとつだけ。
 「私のかわいい子どもたちが、福島の出身ということでこれからどうなっていくのかが心配です。」

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 「走らないアピール行動は初めてです」と私。
 「えっ、走らないって・・・」と福島のお母さん。
 「藤井さんは、こののぼりを持っていつも走ってられるんですよ」と山下さん。
 「そうなんですか。『9の会』って、憲法九条の?」
 「そうです。毎月9日にはのぼりを持って9km走って、最終水曜にはJR不採用の国労組合員の職場復帰を応援するランをしてます。」

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 配ったビラは2種類。
 「映画・内部被ばくを生き抜く」上映ビラと、「子どもたちを放射能からまもろう!」学習会紹介ビラ。

 ほとんど方がスルーされてしまったが、マイクの声のほうをチラッとでも見られた方は100%受け取ってくださった。そういう方は、「ありがとうございます」とお礼を言うとニコッとされる。

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 放射能から子どもを守る会の山本さんからの訴え。
 「何十年か先に原発をなくすなんて話は納得できません。いつまでも待てません。今すぐなくしてください。」

 すごくしっかりした口調と「いつまでも待てません」という言葉から、私よりかなり年配の方かと思っていた。しかし、よく聞いてみると私より少し年上なだけだった。

 「この時間に京都から大変だったでしょう。お仕事はだいじょうぶだったんですか。」
 「私、仕事ありませんねん。」
 「えっ、ひょっとして失業中とか・・・。」
 「いえいえ、もう21年もヨメさんに食わしてもろてますねん。」
 「あー、・・・家事をしておられるってことですね。」
 「いえいえ、それもほとんど。」
 「それでだいじょうぶなんですか。」 
 「だいじょうぶなもんですか。毎日が離婚の危機で・・・。」
 「・・・。」

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 真剣に活動しておられる人たちの中に、私のようないいかげんな人間が入っていいんでしょうか。
 「いいんです。にぎやかしです。」 ( これは私の心の中の言葉。)

 最後に、山下けいきさんと福島のお母さんと一緒に記念写真。
 私のような「ほとんど役立たず」でもよかったら、またにぎやかしに行かせてもらいますね。

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上映ビラ・表 (1101KB)

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上映ビラ・裏 (1231KB)


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学習会ビラ (1897KB)


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2011年08月10日(水)

第24回反核平和の火リレー・徳島 [平和]

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 去年に引き続き、今年も「反核平和の火リレー・徳島」に参加してきました。
 ヨメさんは私に聞く、「どういう関係で参加してるん?」「いっしょに走ってる人は、どういう人?」
 それらの答えはすべて同じ、「全然知らん。」
 「ほんまにアンタはええかげんなやっちゃなー」とヨメさんは言う。
 「そのとおーり、私はええかげんなオッサンです。まあ、ひと言でゆうたらこれやね。『にぎやかし参加』。」

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 朝早起きして温泉入浴。
 そのあと、右アキレス腱テーピング。
 「21km、3時間、何とかもってくれ!」

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 和歌山港8時30分発の南海フェリーで徳島港へ。

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 朝ごはんを食べる時間がなかったので、フェリーの売店のお弁当。値段が安く、味もなかなかよかった。
 ゆったりとした船のデッキで食べるから、よけいおいしく感じるのかも・・・。

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 フェリーの中に描いてあったキャラクター。
 タオルやシールも販売してあった。

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 大鳴門橋を撮ったつもりなんですけど、遠すぎて分かりませんね。

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 船室内は冷房が効きすぎていたので、ずっとデッキ。

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 10時35分、徳島港着。

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 徳島道に入り、三好市池田町をめざす。

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 吉野川SAには、高知に出張する阿波踊りのグループ。

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 去年は時間がなく、お昼にろくなものを食べずに「反核平和の火リレー」のスタートを切ってしまった。その結果後半フラフラに。
 今年はその轍を踏まないように、しっかり食べることにした。
 「あなご丼」、750円。ごはんもしっかり入っていて、残さず食べたら力が湧いてくるような気がした。

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 中野勇人さんが待つ三好市役所についたのは1時前。
 少し休けいさせていただき、ランニングウェアに着替え、車で中継地点へ。

 今日、「反核平和の火」は朝に上板町役場を出発。午後2時過ぎにこの中継点に到着予定。ここは美馬市と三好市の境にあたるところだ。

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 待機していた場所は、日陰のないところ。

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 でかい看板があったので、せめてその日陰で直射日光を避ける女性たちの姿も。

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 2時20分ごろ、やっと先導車の姿が。

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 去年は初参加で、不安な面のほうが大きかった。しかし、今年はコースも日程も去年とまったく同じということで気持ちの余裕があった。

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 便乗ランナーという私の立場も忘れ、一番にお迎えに行ってしまった。
 でも、去年に続けて参加されている方がほとんどということなので、私ののぼりを見つけて喜んでくださった方もあったと思う。

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 2時半ごろ、いよいよ私たちがスタート。
 ところで、ここで中継したグループは何グループなんでしょう。三好市職労グループかな?

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 約1kmごとに立ち止まり、「反核平和の火」をリレーする。

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 この火は、もともとは広島、長崎、沖縄から採られたものらしい。

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 「青年学生」と言われると、おっちゃんはつらい。みなさん、私の半分くらいの年齢です。

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 役所(支所)前でのセレモニー。
 建物の中からもっと人が出てこられるものと思っていたのに、少なくてちょっとガッカリ。

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 中野さんののぼりは、茨木市議・山下けいきさんの制作されたもの。背中にポールをしっかり固定できるバックとセットで、横風にも強そう。

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 一番前に回って、全体をパチリ。
 それを見ていたサポート組の方が、「写真撮りましょう」。
 以下12枚の写真は、その方が撮ってくださったものです。(ありがとうございました。)

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 ここからあと、また私が撮った写真です。

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 この手前、去年こちらに向かって手をふってくれた男子中学生がいた。なんと、その同じ場所で、今年もちがう男子中学生3人が手をふってくれた。これは、本当にうれしかった。

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 土地勘がないのでどのあたりのことだったか忘れたが・・・。
 坂道を集団で下っている時、後ろから「バッバッバッーーーーー!」
 何事かと振り返ると地元のタクシー。
 車の上に会社名を掲げ、ナンバープレートをつけて走っている公共性の高いタクシー会社の社員がこれですか。タクシーなら、他府県のお客様を乗せることも多いだろう。たった一人の行為が、その県全体のイメージダウンになってしまうこともある、ということを教えてあげないとね。

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 橋の手前の温度計は34℃。去年と同じ。

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 見よ、この中野さんのくたばりぶり。ほぼ、死にかけ。去年の私みたい。
 去年、中野さんのとっておきのゼリーをぶんどってしまい、そのあと中野さんの元気が一挙になくなってしまった。しかし、今年はそんなこともなしなのに去年以上に消耗しているように見えた。
 「歳ですか?」

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 一方、私は元気元気。便乗ランナーである自分の立場も忘れ、時々先頭に立って走る場面もあった。

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 あの長い橋を渡りきると、あとゴールまで2km足らず。

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 最後のリレー地点からは、女性や子どもさんもたくさん加わりにぎやかに。

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 5時10分過ぎ、三好市役所にゴール。

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 ゴールした時、「藤井さん、遠くからのぼりが見えてすごくよかったですよ」と声かけ。去年もずいぶんとお世話になった今村さん。
 去年も同じようにほめてくださったんですよね。だから今年も来たんです。私の「のほりラン」を喜んでもらえれば・・・。

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 私の「のぼりラン」はカミキリムシの一歩のようなもの・・・、(意味不明)。
 SAのトイレにいたカミキリムシは、ほんまにゆっくり歩いていた。でも、私はあきずに観察していました。
 「来年も・・・。」

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2010年12月07日(火)

日本酒「九条」 [平和]

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 12月5日は、私の父・藤井善一の誕生日。89歳になった。
 明日の夜、恒例の誕生会をする。
 何かお祝いをと思ったが・・・。

 そうそう、「ねっとわーく京都」に佐々木酒造さんの日本酒「九条」の広告が出てたっけ。

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 問合せ先に電話してみると、佐々木酒造さんではなく「ねっとわーく京都」の事務所だった。
 「父の誕生日のお祝いに、日本酒『九条』をあげようと思ってるんですけど・・・。」
 「藤井さん、お父さんの誕生日のお祝いなら、こちらからプレゼントさせてもらいます。」

 私の父については、「ねっとわーく京都」の10月号にも書かせてもらった。父の戦争体験を、孫である私の息子と息子の所属する大学陸上部のメンバーに話したこと。その記事には父の写真も載せてもらったので、編集人さんにも親しみを持っていただいたのかもしれない。
 また、私の兄が退職まで長年市職労に所属しており、「ねっとわーく京都」とのつながりも深いのも関係しているのかもしれない。(兄は今も「ねっとわーく京都」を定期購読している。)

 いずれにしても大変うれしいお言葉。お祝い事なので、気持ちよく受け取らせていただくことにした。
 私にできることは、「ねっとわーく京都」の連載記事をよりしっかり書くこと。そして、今以上にたくさんの方々に読んでもらえるよう努力することですね。
 本当にありがとうございました。

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 さて、その日本酒「九条」だが・・・。
 私がほしいと思った「吟醸あらばしり 1.8L」は直接佐々木酒造さんに行かないとないとのこと。一度行ってみたかったのでちょうどよかった。

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 丸太町智恵光院の北側をちょっと東に入ったところ。まあ、京都の人以外ならたどり着けないでしょう。京都らしい狭い道路に面したところに佐々木酒造さんはありました。

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 「ああ、ここが俳優・佐々木蔵ノ介さんの実家かー」などとしげしげ眺めてから、「ごめんくださーい。」
 「ねっとわーく京都」さんのほうから電話を入れてもらっていたので、すぐに日本酒「九条」を渡していただいた。

 お礼のごあいさつに伺わなければ。
 そのあとすぐ、「ねっとわーく京都」の事務所のある寺町夷川へ。

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ねっとわーく京都・最新号

 事務所には、いつもお世話になっている宮内さん、丸山さんがおられた。ご両名とも、私はお会いするのは初めて。
 ゆっくりお話してみたかったが、車で来ていたためお礼だけ言って帰ってきた。

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 ついでなんで、最新号に載っていた広告もご紹介。

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 明日、父が喜んでくれればいいのだが・・・。

※佐々木酒造さんのホームページがすごくおもしろい。佐々木蔵ノ介さんの弟さんが跡継ぎをしておられます。(蔵ノ介さんは佐々木家の次男。)ぜひ、のぞいてみてください。→佐々木酒造株式会社

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2010年09月02日(木)

「攻められたら死ぬ」 [平和]

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叡電・京都精華大前駅付近の黒猫ちゃん

◎毎日新聞8月30日夕刊より

 今、平和を語る:作家・日本ペンクラブ会長、阿刀田高さん

 ◇「攻められたら死ぬ」が9条精神−−阿刀田高さん(75)

  社団法人・日本ペンクラブは今秋、創立75年を迎える。平和を希求し、表現の自由に対するあらゆる弾圧に反対してきた。阿刀田高会長(75)は「ゆるやかな反体制派」を自任し、平和と表現の自由を守るには覚悟がいると語る。26年ぶり3度目の国際ペン東京大会を前に、阿刀田会長に聞いた。<聞き手・広岩近広>

 ◇平和と表現の自由、覚悟して守れ
 −−まず、「ゆるやかな反体制」とは。

 阿刀田 現在、日本ペンクラブには約2000人の会員がいますが、皆が同じ方向を向いているわけではありません。いろいろな考え方を持っていて当然ですし、国際的な活動も反体制ばかりではやっていけない。しかし、いまの世の中を考えると、そうそう体制にべったりというわけにもまいりません。日本ペンクラブは良心と良識にかけて「ゆるやかな反体制」を維持しますが、時と場合によっては「厳しい反体制」の旗を掲げます。

 −−厳しい事例は。

 阿刀田 一例をあげると、03年に当時の小泉純一郎首相が自衛隊をイラクに派遣したときです。自衛隊についての考え方は、会員のなかで種々の意見があると思います。ですが、自衛隊をイラク駐留の多国籍軍に参加させるとなると多くの会員が許し難く思い、ひとつのコンセンサスが得られると考えました。そこで日本ペンクラブとして、憲法の不戦原則に背くので断固として反対する、との声明を出したのです。

 国家にとって重要な問題が持ち上がったとき、文学者は意見の対立を乗り越えて、つまり小異を捨て大同につくと申しますか、そういう行動をとるのがこの団体だと思っています。

 −−このとき日本ペンクラブが45人の会員に呼びかけて緊急出版した「それでも私は戦争に反対します」(平凡社)に、阿刀田さんは短編「神々は笑う」を寄せられました。自衛隊が軍隊になり、ついには徴兵制度が始まったという近未来はリアルでした。

 阿刀田 軍隊は戦争する組織ですから、戦場で死ぬこともあります。そうなったら日本では志願兵なんて出てきませんよ。おのずと徴兵制が敷かれます。徴兵制になったら、貧しい人や恵まれない人たちが兵隊にとられる。いつの時代でも変わりません。

 私は10歳のときに長岡大空襲に遭い、強いと教えられた日本の軍隊が国を守ってくれないことを思い知らされました。広島、長崎の惨禍も防ぐことができなかった。だから軍隊を持てば国を守れると言われても、どこまで信頼したらいいのかと思ってしまう。

 −−一方で、軍備を持つ国から攻め込まれたらどうするのか、と必ず問われます。

 阿刀田 私の答えは決まっています。そのときは死ぬんです、とはっきり申し上げております。

 実は私たちの世代は戦時下の子ども時代、国家のために死ぬんだと教えられました。だから、やれ本土決戦だと竹やりを持つようになると、敵国が攻めてきたら死ぬ覚悟でした。しかし戦争が終わって日本国憲法が施行されたとき、戦争の放棄をうたい軍隊を持たないというのだから、なんと素晴らしい決心だろうと感動した覚えがあります。

 私は、人を殺すくらいならば、自分が死ぬ道を選びたい。特別な倫理ではなく、同じ倫理観の持ち主はきっといるはずです。だから私は命がけで平和を守り、それでも攻撃を受けたら、丸腰で死ぬんだと覚悟を決めています。攻められたら死ぬんです、という覚悟が憲法9条の精神だと思います。私たちはこうした憲法を保持し、培ってきた。だから、この65年間戦争しないでやってきたのです。

 といっても誰しも死にたくはありません。将来のある若者を死なせたくはない。だから、そういうことにならないように、外交努力はもちろん、ありとあらゆる努力をする、やり尽くすのです。平和を守るには並々ならぬ覚悟がいります。命がけでなくてはならない。それを実行するのが政治です。

 −−昨今の政治は力がなくなったようです。

 阿刀田 政治家の言葉が貧しくなっていますね。言葉の後ろに覚悟や信念がない。言葉は覚悟を伴わなければ、いい言葉になりません。消費税の問題にしても、いまちゃんとやらねば国家存亡の問題になると、本当に信じて、本当に考えて発言したなら、国民は聞き耳を立てるはずです。腰が引けた調子でやっているもんだから、ダメなんですよ。言葉は熟慮したうえで、覚悟をもって発してほしい。要は覚悟の問題なのです。

 −−ところで阿刀田さんはわが国の表現の自由度は5段階で3と指摘しています。

 阿刀田 最近の例でいえば、ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の上映自粛です。内容に賛否両論のある映画とはいえ、一部の団体の抗議を受けて上映中止に至ったのは残念です。過去にも同様の抗議行動により、映画の上映や講演会が開けなかったケースがあります。自分の考えと異なる意見にも耳を傾け、発言する機会を保障できる社会でなくてはいけません。

 表現の自由に対する覚悟が薄い、民度がゆるいからだと思います。表現の自由がいかに大切であるかわかっていないのではないでしょうか。弊害的なことには、すぐ目がいくのですがね。表現の自由を、民衆がいかに大切にしているか、その意識の甘さにおいて日本は世界からあまり評価されていません。

 −−「環境と文学」を主題にした国際ペン東京大会が9月23日から早稲田大・大隈講堂などで開かれます。日本ペンクラブは「日本の環境文学100選」に原爆文学の井伏鱒二「黒い雨」を選びました。

 阿刀田 私たちは、表現の自由、平和の維持、環境の改善、文芸の発展の4本柱を目標に掲げて活動しています。東京大会では自然環境をとりあげますが、原爆は顕著な自然破壊です。「黒い雨」は市民の生活を描きながら原爆の被害を訴えています。井上ひさしさんの戯曲「父と暮らせば」もそうですが、原爆を日常の感情で描いた文学作品は味わいが深いですね。

 −−最後に、この国を担う世代にメッセージを。

 阿刀田 もともと貧乏な国でしたから、日本人は資源を使わずに、どうしたら心が豊かになるかを考えるくせをもっています。俳句や茶道にみられるように日本文化はシンプルなのです。今一度、おカネをむやみやたらと使わずに、抑制のきいた生活に戻るべきでしょう。人間は理性を持たないとダメです。(専門編集委員)

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 ■人物略歴

 ◇あとうだ・たかし
 1935年東京生まれ。早稲田大学文学部卒。国立国会図書館勤務を経て作家に。79年に「来訪者」で日本推理作家協会賞、「ナポレオン狂」で直木賞を、95年に「新トロイア物語」で吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。03年に紫綬褒章を受章、09年に旭日中綬章を受勲。07年から日本ペンクラブ会長を務める。近著の「闇彦」(新潮社)は国際ペン東京大会の記念として特別書き下ろし。

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きくに向かってふいています

 どえらい記事を見つけてしまった。
 なんて、分かりやすい!

 聞き手ーー軍備を持つ国から攻め込まれたらどうするのか、と必ず問われます。
 阿刀田ーー私の答えは決まっています。そのときは死ぬんです、とはっきり申し上げております。
 私は、人を殺すくらいならば、自分が死ぬ道を選びたい。特別な倫理ではなく、同じ倫理観の持ち主はきっといるはずです。だから私は命がけで平和を守り、それでも攻撃を受けたら、丸腰で死ぬんだと覚悟を決めています。攻められたら死ぬんです、という覚悟が憲法9条の精神だと思います。私たちはこうした憲法を保持し、培ってきた。だから、この65年間戦争しないでやってきたのです。


 そうか、日本はどんなことがあろうと絶対に戦争しない国なんです。戦争をしないためにありとあやゆる手を尽くす国なんです。そして、万策尽き、攻められた時はみんな死ぬ国なんです。
 いざとなったらこわくてこわくて、そんな覚悟は決められないだろうが、そういう国であるということは世界中に広めて行きたい。

 

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