2009年12月07日(月)
「憲法と人権を考える集い」 [平和]
◎京都新聞12月7日朝刊
戦争体験通じて平和へ思い語る
左京で集い 益川さん講演
ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英京都産業大教授が6日、戦争体験と平和をテーマに京都市左京区の国立京都国際会館で講演した。来場した市民約1100人を前に、戦争のない世界の尊さと平和憲法の堅持を訴えた。
京都弁護士会主催の「憲法と人権を考える集い」で講演した益川教授は、名古屋市の空襲で焼夷(しょうい)弾が家の屋根を突き破って床に転がった幼時体験を語り、「不発弾だった。爆発していたら大やけどをするか、死んでいた」と振り返った。
学生時代に平和運動にかかわった経験にふれつつ、「今の憲法9条を改正して手に入れようとしているのは交戦権しかない。改憲論者が憲法改正の提起をする前に、『このまま行ったらおれたちは負けるぞ』と思わせて断念させるぐらいまで、日本の津々浦々にまで反対の声が響き渡るように運動していきたい」と力説した。
先の戦争について「僕は力で相手をねじ伏せるやり方が大嫌い。日本がアジアの人たちに与えた苦しみは非難され続けても何ともいいようがない出来事だ」と述べた。
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12月5日、おじいさん(父)の誕生パーティー中、私の横に座っていた姉と、この「集い」の話題になった。
「沖縄に視察に行った京都の中高生が、国際会館で報告会すんにゃってなあ。私、見に行こと思てんにゃけど・・・。」と姉。
「ああ、それ、ボクも行こと思てんねん。」
8歳上の姉と話が合ったのは久しぶり。でも、よーく考えてみると・・・。
私が生まれて初めて「おきなわ」の存在を知ったのは、小学生の時。当時高校生だった姉から、「沖縄を返せ」という歌を教えてもらった。
「沖縄を返せ」
作曲:荒木 栄 作詞:全国法福岡高裁支部
かたき土をやぶりて
民族の怒りに燃ゆる島
沖縄よ
われらとわれらの祖先が血と汗をもて
守り育てた 沖縄よ
われらはさけぶ 「沖縄は
われらのものだ 沖縄は!」
沖縄を返せ
沖縄を返せ
当時小学生だった私は、「大きな輪を返せって何?」という感じだった。姉から、九州鹿児島のずっと南に「沖縄」というところがあり、そこは日本なのにドルを使って、車が右側通行、アメリカ軍の基地がそこらじゅうにあると教えてもらった時は目が飛び出た。
そして高校生になった私は、生徒会執行部に入り、返還前の沖縄に京都の高校生を派遣する運動に力を尽くした。わが洛北高校から2名、京都全体で10名ほどの高校生を沖縄に送り込んだ。1週間ほどの視察旅行だったが、その費用を工面するために、暑い中あちこちカンパのお願いに走り回った。
あの時のあの運動はどこが主体となってやっていたのか。今となっては思い出せない。
でも、今回のこの企画を知ったとき、私らが一生懸命やったのと同じようなことを今もやっているんやとうれしくなった。
この「憲法と人権を考える集い」は、2部構成。
第1部 講演「平和について理論物理学者は考える」
ノーベル賞の益川敏英さんのお話とインタビュー。
第2部「ぼくとわたしが見たオキナワ」
京都の中高生が沖縄の戦跡を訪ね、沖縄南風原町の中高生と戦争について考えました。
ということで、私はどちらかと言えば第2部重視。第1部はおまけのように考えていた。
ところがどっこい、益川さんのお話を聞いてびっくり。
実は廉から「益川さんの話はあんまりおもしろないらしいでー」と言われていたのだ。とんでもなかった。
自分の体験をもとに、自分が感じたままのことを話されている。言葉一つ一つが平易。だれが聞いても理解できるように、聞く側を気づかった話し方をされていた。
私はメモをとりながら話を聞くということができない。だから、お聞きしたお話の半分以上は忘れてしまった。印象に残っていることと言えば・・・。
「改憲を狙っている勢力は全体から見ると多数ではない。しかし、なぜかこの勢力は改憲に自信を持っているように見える。その自信がどこから来るものなのか理解できないが、ありとあらゆる手を使うつもりだ。そういった勢力をあきらめさせる運動が大事だ。」
「伝えたい〜私の戦争体験と平和への思い」と題したインタビューは、さらによかった。
「朝鮮で財産を築いた祖父母の自慢話は、聞いていて腹立たしかった。」
「ノーベル賞受賞の対象となった論文は32歳のときに書いたものだが、それは人生で一番忙しい時だったかもしれない。労組の役員もしており2つも3つも仕事が重なったが、時間をものすごく大切に有効に使うようになった。」
「家の仕事(砂糖屋)を手伝ってためたお金で、古本屋で念願の本を買った。現代数学全書33巻。初めて読んだ時は、そのほとんどが理解できなかった。でも、何回も読み返して徐々に理解できる部分が増えていった。」
「モーツアルトファンには申し訳ないが、モーツアルトの曲は聴く気がしない。モーツアルトは、ひらめきで曲を作り、そのあと推敲した形跡がない。そういった曲はどうも・・・。」
若い人たちに向けてと司会者に促されると・・・。
「今の受験制度はおかしいところがいっぱいある。あんな膨大なテストが本当に必要か。大学に入ってくる者は、受験に力を使い果たし『余力』というものが残っていない。気の毒だと思う。」
「努力しなくても熱中できることを見つけてほしい。最初は人のまねでもいい。うまくいかなくてもいい。何もしないよりも何でもいいから何かを始めてほしい。」
たぶん初めの「努力しなくても」という部分は、「無理をしなくても」というニュアンスだと思う。
今年の春には、うちの廉は大学生、真樹は高校生。本当に、何でもいいから何かを始めてほしい。
司会者の最後の質問。
この質問のあと、益川さんが固まってしまった。それまでも言葉を選び選び話されている様子がよく分かったが、ここは本当に固まってしまわれた。
私はその表情に目が釘付けになってしまい、肝心の質問内容を完全に忘れてしまった。どなたかしっかり聞いておられた方があれば、教えてください。(もちろん、戦争と平和に関する内容ではあったと思います。)
しかし、このときの益川さんのしっかり考えておられる表情を見て、「この人は信用できる人だ」と確信した。
いいお話を聞かせていただきました。
第2部 ぼくとわたしが見たオキナワ
こちらは、どうしても38年前高1だった自分たちと比べてしまった。
5人の京都の中高生は、みんなまじめないい子。沖縄南風原町から来てくれた3人の高校生と1人の大学生も、みんなまじめないい子。
ただ、聞いているほうとしては、ちょっといい子ちゃん過ぎてしんどい部分もあった。もうちょっとくだけてもよかったんちゃうかなあ。
聞いていて、笑ってもいい箇所はほとんどなかったような・・・。沖縄って、そんなとことちゃうような気がする。「てーげー」はどこいってもた?「なんくるないさー」は聞かんかった?
38年前私たちが送り出した仲間は、沖縄を十分楽しんで帰ってきたぞ。そんな話を聞いて、「自分が行ったらよかった」と後悔したもんや。
一つだけ感心したこと。
福知山の高校生(男子)が言っていた。
「嘉手納基地がある嘉手納町は、町全体の80%が基地である。私が住む福知山市の80%が米軍基地だとしたらどうだろうと思った。」
それ。それが自分のこことして考える第一歩やね。そういうふうに考えられた君はえらい。
私は以前から言っている。
選挙で人口比による一票の格差を訴えている人たちは、米軍基地分布の格差も訴えてもらいたい。本当に米軍基地が今の日本に必要であるなら、受益者負担の原則から、人口の多い首都圏や関西圏に大きな米軍基地を誘致すべきである。東京湾や大阪湾には余った埋立地があるじゃないですか。
それに伴い、米軍人やその家族が引き起こす犯罪も沖縄に集中することなく全国平均的に分布していくはず。
とにかく、もうこれ以上沖縄の人たちを裏切ったりだましたりするのはやめましょう。
京都に米軍基地を誘致すればいいと思った子はいなかったのかなあ。京都の中高生たちにも、そこまで踏み込んで考えてほしかったと思います。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )
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コメント
S木さん、コメントありがとうございます。「ランナーズ9の会」のZENです、と言ってくださればすぐわかるのに・・・。
「集い」の会場でも感じたのですが、参加者の年齢層が高い。7、8割は私より上ではないかと思えたくらいです。せっかくいい企画なのに、30代、20代、高校生、中学生の姿がほとんど見られなかったように感じました。どうしたら若い人たちに関心を持ってもらえるんでしょうかねえ。
ノートルダム女学院の子が言っていたように、「ジャニーズのことで頭がいっぱい」の子が多いんでしょうか。
一人でもいいから、テレビに出ているような若い子が、「憲法9条を守りたい」と言ってくれたらうれしいんやけど・・・。
また、コメント入れてくださいね。
山科のS木といってもだれのことかわからないですよね。京都ランナーズのS木zeneiならわかりますか?
ブログときどき楽しく見てます。「憲法と人権を考える集い」へはぼくも参加予定でしたが、都合で行けませんでした。実行委員長のF田弁護士さんとは学生以来の知り合いで、企画の苦労話などいろいろ聞かされてました。パオパオさんのブログに講演会のことが紹介されていることを知らせておきました。すぐに、見たみたいで、弁護士会もこういう方たちにささえられているとコメントされてました。かってに「パオパだより」のこと紹介させてもらったので、はじめてのコメントを送ります。ブログ楽しいですよ。ずーと見てると、パオパオさんのいろんなことがわかってきますね。
M見ちゃん、お元気そうでなによりです。
限りある人生ならば、大食いのほうが得なんじゃないでしょうか。私なんなか、いつもよりちょっとたくさん食べただけで、おなかゴロゴロです。
正直に言って、M見ちゃんのブログの「大食いシリーズ」を見てちょっと気分がめいった時もありました。テレビでやってる「大食い番組」も、見るのは苦手です。
「よりたくさん食べるのではなく、どのように食べるか」ちゅうことが大切なんでは?(M見ちゃんの文のパクリです。)
私は、来年もヨメさんに捨てられんように踏ん張るのが目標ですなあ。
お久しぶりです。
やっとこさ、パソコンを開けました。
まずはメールチェックから始まり、ウィルスバスターのアップデートなどなど・・・
ブログに入るまで、けっこうな時間を要しました。
もうすぐ2009年も終わりですね。
来年はどんな年になるのか、何をしているのか、どんな人と出会えるのか、ぜ〜んぜん予想もできませんね。
人生って、本当に何が起こるか分かりませんね。
一分、一秒先さえ分からないのですから。
だけど、どんな状況にあっても、どんな人でも、金持ちでも貧乏でも、生があれば死が訪れるのは、みな平等だということですよね。
より長く生きる・・・ではなく。どのように生きるかっちゅう事が大切なんですね♪
・・・
な〜んて、シビアな話題より、大食いキャラが似合いのM見ちゃんでした。
2010年は、お菓子の魔力に打ち勝つぞ〜〜〜!
大食い卒業、頑張りま〜す。