2009年04月11日(土)
2009龍王桜マラソン [ランニング]
今日は、「ランナーズ9の会」ユニフォームのデビュー。
いつも写真をお願いするときは、人選で悩んでしまう。しかし、今日はラッキーなことに、本部前で竜の着ぐるみ君を発見。ちょうど役員さんと何やら話しておられるところだった。
竜の着ぐるみ君の話相手の役員さんにお願いし、パチリ!
これで、今日は心おきなくレースに専念できる。役員さん、竜の着ぐるみ君、どうもありがとうございました。
今日は、5時半起き。
みんなに内緒でそーっと家を出ていこうとしたら、きくちゃんが私の気配を察知してのそのそ出てきた。
「オッサン、おさんぽですか。」
「なんでやねん、こんなはよから。ちゃうちゅーねん。」
それでもきくはうれしくなって、しっぽふりふり。
「ガッチャーン!」
その時、外ですごい音が・・・。
家を出て分かったが、クレーン付きのトラックがクレーンをしまい忘れ、道路標識に激突。支柱は完全に折れていた。
いやな予感。
これはカーナビに「錫杖湖水荘」を入れ、安全運転でっと。
しかし、新名神ができたおかげで三重県が近くなった。草津JCTから亀山JCTまでは、わずか30分ほどで行ける。うちの家から会場まで、2時間かからなかった
本当に申し訳ないが、三重県のマラソン大会の印象が薄い。以前に何回か「鈴鹿シティマラソン」に出店させてもらった程度である。
マラソン以外でも、三重県と言えば・・・。
パッと思いつくのは、お伊勢さんと鈴鹿サーキットくらいですかね。でも、高速が開通したので随分身近なところに感じられるようになった。
ただ、会場である「芸濃町」が初耳。今は津市に合併されているようだが、海沿いの「津市」のイメージとはかけ離れた深い山の中だった。
会場のすぐ隣に、「二宮金次郎像」と「河内小学校100周年記念の碑」を発見。その碑は、昭和52年建立と書かれていた。
そうか、ここに小学校があったのか。いや待てよ、ここに上がってくる間、民家が全然なかったぞ。いったいどこから子どもが来てたんやろう。
不思議だったので、駐車場係をされていた女性スタッフに聞いてみた。
「たくさん家があったんですよ、ダムができるまでは・・・。」
私としたことが・・・。
重大なことを見落としていた。民家は、みんなダム湖の下に沈んでしまっていたのだ。
何千人(あるいは何万人)の人が便利に暮らせるように、何十人(あるいは何百人)の人が犠牲になったわけだ。村が消滅し、もちろん学校も廃校。
そんなこともまったく我関せず、レースを楽しんでる「よそもの」は・・・。せめて、ここらへんの歴史を大会要項に書いてほしかったなあ。
ちょっとうれしいこともあった。
2週間前の「美杉の里・桜マラソン」のブログのトップ写真にさせてもらったK.Yさんに再会。
私が駐車場から大会会場に向かおうとしていた時、下の方からジョギングで上がってこられた。K.Yさんのほうが私を見つけてくださった。
「あっ、こないだの・・・」
「あー、(名前が出てこない)。 ・・・ブログ見てくれはりました?」
「はい。」
「今日は、何キロ?」
「10キロです。」
下のお名前の○○子さんはしっかり覚えていたのだが、名字がさっぱり。実名を書いた人は忘れることはないんやけど、イニシャルではあかんね。
でも、もう私の中では、K.Yさんは(勝手ですが)三重のお友だちです。
開会式でお話を聞いていると、20km、10km、3km、5kmウォーキングを合わせて737名。これくらいのこじんまりした大会もいいもんです。
他の方はどうだか分からないが、私は土曜日に大会があると参加しやすい。これなら、翌日日曜の例会(京都ランナーズと京都走ろう会)にも行ける。
大会会場は、錫杖湖水荘の横なのでトイレやレストランも近くで便利。荷物預かりも分かりやすい場所にあり、ありがたかった。その反対側のテントでは200円のおうどんも販売されていた。
ちょっと笑ってしまった選手宣誓。
普通、選手を代表して大会会長に向かってするものだが、こちらに向かって宣誓されていた。終わってから役員さんから指摘があって、最後の方の部分だけやり直しておられた。
でもよく考えてみたら、これはこれでよかったようにも思う。どんな人が代表として出ておられるのか、しっかりと見ておきたいですもんね。
9時30分、最初の種目20kmがスタート。
スタート前、横のランナーから「1時間半くらいで行くんですか?」と聞かれた。「それくらいで行きたいですね」と答えたものの、この暑さと坂。それはちょっと欲張り過ぎですね。
スタートからしばらくはゆるやかな上り。そして下りに入ると、短いトンネルが三つ。2km過ぎからは、かなり急な下りになった。ということは、帰り17km過ぎから強烈な上り坂になるっていうこと。
龍王桜のある長徳寺が4km地点。この間、民家なし。ただし、ずっと下りなので応援がないのもそんなに気にならなかった。
民家の並ぶ狭い道路に入ったところが5km地点。なんと、ここまで20分49秒。はやっ! でも、帰りが、こわっ!
しばらく応援してもらえる箇所を走れるのかと喜んでいたら、5km過ぎから田園地帯へ。
田んぼらしきところにびっしりと青々としたものが育っていたので、トウモロコシかいなと思って走路員さんに聞いてみた。
答えは、「小麦」。
折り返し地点(10km)は、芸濃総合文化センターのお隣りの芸濃中学校グランド。中学生5人ほどが、通過確認をしてくれていた。
10km、43分35秒。(22分46秒)
校舎からは、ブラスバンド部(?)の演奏が・・・。どうせなら、見えるところでやってほしかったなあ。
ただし、ちょっとうれしいこともあった。
校舎付近で野球部の子らが声援してくれていたのだが、その横におられた女性の先生らしき方が私のユニフォームを見ておっしゃった。「憲法9条の・・・」
復路は、ほとんどが上り。
ここは気合を入れて走らねば。
困ったときの私のまじない。空の雲が、大好きな三宅誠孝さんに見えへんかいなー。ガックリ。本日は快晴、雲一つありませんでした。
あと、頼るのは雑種犬。
ところがどういうわけか、出くわすのはラブラドール系の上等犬ばかり。
いや、でも、確かあのおうちに雑種ぽいワンちゃんがいたぞー。
庭をのぞきこんでも見えなかったので、ちょっと敷地に入らせてもらった。
「ガウガウガウガウ、ガウー」
猛烈な勢いで、ちっちゃいワンちゃんが牙をむいてきた。もうすってんでかまれるとこやった。びっくりさせて、ゴメンね。
この先が15km、1時間06分58秒。(23分23秒)
さあ、残りの5kmはきつい上り。
特にきつくなる17kmあたりに給水所。これはありがたい。
「氷、入ってますよ。飲んでって。」
「ありがとうございます。このよく冷えているのがうれしいですわ。大会によったら、生ぬるい水しかないところもあるんですよ。」
「そうなんですか。残り3km、がんばって!」
さっきから、気になっているランナーがいた。私と抜きつ抜かれつ。
濃紺のTシャツの背中に「庭球魂」の文字が目立つ女子高校生。その隣りには、白髪まじりの中年の男性。これは、どう見ても親子でしょう。
お父さんらしき人は、タイミングよく娘さんに声をかけておられる。娘さんはかなり疲れ切っており、返事ができる状態ではない。しかし、二人の歩調はきれいにシンクロしている。
これはまるで、いつかの真樹と私のよう・・・。またこんな日が来るのだろうか。
このお二人の走る姿は、全国の娘を持つお父さんのあこがれです。
さすがに17kmからのきつい上り坂は、1km6分12秒もかかった。
心配していたのは、暑さではなく、やはり上り坂のほうだった。こんな坂をスイスイと上れたら、このコースでもいいタイムが出るんやろなー。
私のゴール手前100mくらいのところで、K.Yさんに遭遇。(本来なら、ラストスパートをするところ)
「あー(名前が出てこない)、 どうでしたー。」
「(ニコッと笑顔で、指3本)」
「えー、3位ですかー。」
「はい!」
「美杉の里」に続き、連続3位入賞。うらやましい。
私のゴールは、1時間32分11秒。(25分13秒)
最後の坂も、まあまあがんばったほうかなあ。
すぐに記録証も発行。私は44位。(でも、何人出場かは分からない。この大会は、参加者名簿がないんです。)
「ランナーズ9の会」ユニフォームデビューレースとして、思い出に残るいい大会でした。
レース中にはあまり気づいてもらえなかったようなので、できるだけ着替えず会場付近をうろうろしていた。
少しは会の宣伝になったかな。
ダム湖にはガーガーちゃんがいっぱい。お花見のお客さんのお弁当の残りをおねだりしている。
風が吹くと、桜の花びらが・・・。
ぜひ、来年も出たい大会です。
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2009年04月10日(金)
「ぬくっ!」というより、「あつっ!」 [雑感]
今日の最高気温は何度だろう。
朝、きくの散歩に行った時から暖かかった。
うちの近所の長代川沿いの桜も満開。
昼過ぎに鴨川沿いを車で走ったら、風に吹かれて桜の花びらが舞っていた。
車のエアコンを「AUOT」にしていると、冷房がきいていた。それほど車内の温度が上がっている。最高気温、27℃くらいまでいってんのかな。
つい1週間ほど前の4月2日。北の山や比叡山は白くなっていたのに・・・。
父の話によると、父の家のあたり(花脊別所町)は5cmほど雪が積もったらしい。ほとんどの人がタイヤをノーマルに換えていて、難儀したらしい。
今年は(というか、今年も?)、変な天気が続きますね。
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2009年04月09日(木)
久しぶりにおじいさん(父・善一)と [家族]
昨日の夜、約2か月ぶりにいなかの家に帰った。
ところが、市原交差点の道路掲示板に「花背峠・夜間通行止」の文字。
「あちゃー、早くもとんぼがえりかー」
ガードマンのおっちゃんが立ってはったので聞いてみた。
「通行止めは10時からやから、まだ間に合う、だいじょうぶ。」
ぎりぎりセーフだった。
昨日帰ったのは、長くしゃべっていないおじいさん(私の父)に会うためだ。
父は、深泥ヶ池近くに住んでいる私の姉夫婦の家にはよく行っているらしい。だから、父の様子は姉から間接的に聞いてはいる。今年の冬はちょっと元気がなかったらしい。たまには、しゃべりに帰らんとね。
それに、うちのバイトさんから預かっているバレンタインデーのチョコ、まだおじいさんに渡してへん。ヨメさんと真樹からの分も。おじいさん、おこっとるで、きっと。
暖かくなったとはいえ、夜10時前の花背峠は7℃だった。昼間は暖かいが、朝晩はまだまだ。
修理の終わったうちのおふろに初めて入った。いなかのおふろは、今のおふろの1.5倍くらいの大きさ。足を思いっきり伸ばしてゆっくり入ることができた。
そして、今日の朝。
うちの家から300m北のおじいさんの家に行った。
うちの家は、いなかでは「かんろくのいんきよ」と呼ばれている。別所下の町の「かんろくのおもや(本家)」のとなり。
しかし、13年ほど前、道路の拡幅計画にかかり、家は取り壊しになった。おじいさんは、300m北のうちのたんぼだったところに家を新築。それ以来、私の兄夫婦と同居している。
道路工事が終わり、狭い土地が残った。
ちょうどそのころ、うちの廉が小学校に入る前。都会のせせこましいところではなく、いなかの伸び伸びしたところで育てたかった。
そこで、ちょっと無理をして、私たちも家を新築。廉が中学校を卒業するまでの9年間、そこに住んでいた。
ここら界隈で、「藤井善一」を知らない人はいない。私も父のおかげでどれだけ大きな顔をさせてもらったか分からない。うちの子らも、私の父をはじめ地域の方々のあたたかい目で育てられた。(こんなときに、「はぐくまれた」という言葉を使うのでしょうか。)
今では、夏休み冬休みにちょこちょこっと帰る程度。でも、子どもたちにとっても、そこは今でも大事な場所ではないだろうか。
12年前の餅まき(上棟式)の日(1997年6月)。私の兄が写真を撮ってくれていた。なつかしい写真を公開。
朝9時過ぎにおじいさんの家に行くと、おじいさんは家の前の草むしりをしていた。
チョコと日本平のみやげのまんじゅうを置いて帰ろうとしたら、「茶でも飲むか」。そこから1時間半ほどしゃべった。
おじいさんは心配したほどもなく、意外と元気だった。
おじいさんの話は大きく分けて三つ。
?別所界隈の最近の話題(特に、自分が長年かかわった「花背山の家」の話題)、?近所の方でなくなった方、病気になった方の情報、?旅行の話。
私はどの話も好きである。
「だれだれが死んだ」という話はちょっとつらいが、それ以外はどれも楽しそうに話してくれる。歳をとって一番大切なものは、「話し相手」ですね。
そろそろ帰らなくてはならなくなったとき、「おじいさん、ゆっとかなあかんことがあんねん」と、私がきりだした。おじいさんは、一瞬真顔に。
私はオチャラケで父を喜ばせるのが役目。父にまじめな話などしたことがない。
唯一の例外は、1991年3月31日。次の日の新聞に、教職員異動退職の報が出る。私は父に話もせず、その日(退職)を迎えようとしていた。しかし「それはないわな」と思い返し、前日の夜、2ヶ月前母を亡くしいなかで一人暮らしをしていた父に会いに行った。
そのときも、父は「そうかー」と言って、何事もなかったかのように話し続けていた。私の父は、どんなことがあっても私の味方です。
「実はなー、真樹がなー、・・・(以下都合により省略)」
「そうかー、そんなもん、何ぼでもあるこっちゃ。・・・はー、そら、よかったな。まあ、いろんなことがあるわい。」
(このあたりの会話、なんのことかよく分からないと思いますが、ブログに書くのはここらが限界。お察しください。)
私の父は、私の家族のつよーい味方でもあります。孫のことも、いつも心強く見守ってくれています。
おとちゃん、まだまだ死んでもろたら困るでー。
せめて、月に1回でもしゃべりに帰ろう。
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2009年04月08日(水)
バド! [家族]
超久しぶりの家族ネタ。
真樹の学校がお昼までだったので、午後、ヨメさんと真樹が買い物に出かけた。100円ショップに行ったついでに、バドミントンセットを買って来た。
うちのまん前の公園に家族勢ぞろい。(もちろん、きくも入っています。)
最初、真樹とかあちゃんがやっているときは、きくが落ちてきた羽根を拾って大喜び。けっこう、じゃまをしていた。
途中から廉も参加。
廉対真樹になると、力が余っているのか、羽根が枝に引っかかったり、隣のおうちに入りそうになったり。
家族4人+1ぴきで、こんなのんびり遊ぶのはいつ以来でしょう。
きくは公園に落ちているどんぐりをボリボリ。
「食べたらあかん!」
怒られたら、今度はなにを思ったか、急にグルグル走り出した。
きくも、みんなにかまってもらってうれしかったんかな?
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2009年04月07日(火)
ランナーズ9の会・その後 [平和]
「ランナーズ9の会」のユニフォームを申し込ませてもらったら、さっそく昨日の夜に届いた。
代金は「大会で会ったときでいい」と書かれていたが、早くお支払いしてしまわないとどうも落ち着かない。今週末にでも着て走りたいので、振込先を教えてもらって早く支払いを済ませてしまおう。
まるきり仕事の役に立たず走りほうけている私に、ヨメさんは怒り続けている。でもどうせ走るのなら、走ることでみんなを元気にしていきたい。
「ランナーズ9の会」のユニフォームを着て走れば、世界を平和側に0.1ミリでも引き寄せられるかもしれない。
これからは、そう思って走ろう。
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2009年04月06日(月)
第25回日本平桜マラソン・続き [ランニング・出張販売]
ゴールして、飯田さんの写真を撮らせてもらった。
そしたら、飯田さんが、「いっしょの写真、どなたかに撮ってもらいましょう。」
高校生ぽいスタッフが前を通ったので、飯田さんが頼んでくださった。パチリ!
チップをはずす場所で写真を撮ってもらったのは、初めてかな。
うちの出店テントに戻ると、お客さんもなくヒマそうだった。
「馬杉裕子さん、来やはったよ。何回も『ご主人によろしく』って言ってはったわ。今日は走らはらへんかったんやって。」
まあ、あんな美人ランナーに気づかいしてもらえるなんて。めっちゃうれしいやん。
星野芳美さんは、どうされたんでしょう。プログラムに名前は載っていたのたが・・・。
3連覇のあと、1回中国のランナーに負けたが、そのあとまた4連覇。今年も、元気に「こんにちはー」と言うお声が聞けるものとばかり思っていたのに・・・。
出店場所の前の桜は満開。何人もの人がデジカメや携帯で写真を撮っておられた。
日本平「桜」マラソンと言うからには、桜が咲いていないとね。
この大会には真樹がついてきてくれたけど、明日から新学年が始まる。真樹は、新たな気持ちでがんばってみるらしい。
もう、真樹は出張販売についてきてくれへんのかなあ。ちょっとさびしいような・・・。
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