2008年12月12日(金)
憲法九条・静市の会 [平和]
今日、「憲法九条・静市の会」に入会した。
あさっての私の誕生日までに入りたいと思っていたので、間に合ってよかった。
福知山マラソンで、京都ランナーズの藤井眞さんが「9条の会」のユニフォームで走ってられるのを見て、「負けへんでー」と思った。そのあと、藤井眞さんに「私も、『9条の会』に入ります」と宣言した。その約束が早くはたせてよかった。
私が住む静市に「九条の会」があるのに、入らなかったらもったいない。
以前から会の通信を入れてもらっていたので、それを見ては気にはしていた。ただ、きっかけがなかった。そういう意味で、藤井眞さんのユニフォームは私の背中を押してくれた。
私は何の主義主張もない人間ですが、戦争だけは絶対にイヤ。全世界が絶対に戦争をしないと約束してくれるなら、消費税100%(物の値段が全部2倍)になってもしんぼうします。
戦争につながりそうなことは、どんな小さなことでもたいそうにたいそうに言います。絶対にイヤなんです、自分勝手な主張で人殺し(または、殺される)をするのは。
最初インターネットで「憲法九条・静市の会」の連絡先を調べてみたが見つけられなかった。そこで、「京都民報」に電話。(私は困ったことがあると、よくここに電話します。)
すぐに教えていただいた。
電話してみると、予想通り、私よりだいぶ年配であると思われる方(伊藤さん)が電話に出られた。私は話べたなのでうまく伝えられたかは分からないが、「お仲間に入れてください」と言うと とても喜んでくださった。
そして今日、伊藤さんの奥さんがいろいろな書類を家まで持ってきてくださった。
その中で、「あんなぁへぇ 沢田研二さんのこと」という資料を見てびっくりした。
最近、沢田研二さんが作詞された歌「我が窮状」。
♪麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
忌まわしい時代に 遡るのは賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ
麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ
諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
この窮状 救いたいよ 声を集め歌おう
我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない
この窮状 救えるのは静かに通る言葉
我が窮状 守りきりたい 許し合い信じよう♪
あの沢田研二さんが、こんな詩人であったとは・・・。今、60歳だそうです。いろいろなことに気づくまでには、かなりの時間がかかります。
私も、あさってで53歳。平和を守ってきていただいた諸先輩に負けないよう、自分のできることを見つけ努力していこう。沢田研二さんのような、品のある活動をしてみたいな。
自分の誕生日に入会をねらっていたのだが、「じゃあ、今日入会ということにしておきます」と言われた。まあいいか。
今日は、12月12日。「イチ、ニッ、イチ、ニッ! 平和を守ろう!」 そうおぼえておこう。
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2008年12月11日(木)
おじいさん(父・善一)の誕生日(12月5日生まれ) [家族]
私の父は、1921年(大正10年)12月5日生まれ。今年で87歳になる。
11年前、私たち家族がいなか(花背別所町)に帰ってから、毎年この時期にささやかな誕生日会をしてきた。(もちろん、ヨメさんの発案です。)
去年の4月に市原に引っ越したが、去年からは父にこっちに出てきてもらい誕生日会をしている。
今年も去年と同じ、「東華菜館・洛北店」(ノートルダム小学校西向い)。うちや姉夫婦の家から近く、お料理もおいしいのでここにした。店自体も落ち着いたいいふんいきで、従業員さんも感じがよい。
水曜日がうちの定休日なので、誕生日は少し過ぎてしまったが、昨日(12/10)父に出てきてもらった。
6時半、父と姉が店に到着。たぶん、深泥ヶ池の家から歩いてきたのだろう。姉の夫・恵藤さんは少し遅れるとのこと。
誕生日会を始めることに。
初めのあいさつと乾杯の音頭は、今日のスポンサーである京都キャロット代表・藤井眞寿美さん。
今年は早めに料理の注文をしておいたので、次々と運ばれてきた。味はややうすめで、父には物足りないかもしれないが、どれもおいしい。
恵藤さんも到着し、にぎやかに。
私は4人兄弟姉妹の末っ子で、一番上の姉のだんなさんが恵藤さんである。
私より一回りほど年上だが、いつも明るく話題豊富で、その場を盛り上げてくれる。そして、何でもおいしそうにパクパク食べてもらえるのもいい。
私の父が、よく姉夫婦のうちにおじゃましているのもうなづける。本当に頼りがいのあるおにいさんだ。
父の話は、どうしても戦争のことになる。
「田母神ゆうのんが問題になっとるやろ。あんなもん、おじいさんの時代やったら、銃殺や。」
「銃殺!?」
「おお、国のゆうことに逆らうようなもんはみんな銃殺。おじいさんらの隊でも、二人銃殺になったわ。家族には、『戦死』ゆうことになっとるけどな。」
私も初めて聞く話でびっくりしたが、廉や真樹はどうなんやろ。こんな貴重な話、なかなか聞けへんぞ。おじいさんが元気なうちに、ようよう聞いときや。
一番最後に、買ってきて用意しておいたケーキを出し、ろうそくに火をつけた。そして「ハッピィバースディ」の歌を歌おうと思ったら、その前におじいさんは一瞬のうちに火を吹き消してしまった。
「おじいさん、早すぎるって!」
「はははー」
喜んでもらえたかな。
一番楽しいはずの青春時代は戦争に翻弄され、その後は農家の長男として家を守り、地域の人の役に立つよう地道に努力してきた。私の父は、そんな人です。
同じ人が、同じ理由で何回も何回も表彰されるのを見るたびに思います。なんで?
うちの父も立派に生きているのに、なんで何にも表彰されへんのかなあ。よう分からんね。
それから、うちのヨメさんに言わせると・・・、
「おじいさんはダンディで品があるのに、なんでアンタは似んかったかなあ・・・。」といつも嘆いています。確かになあ・・・。(自分でも、そう思う。)
なかやかやと言いながら何から何まで準備してくれた眞寿美様さま、どうもありがとう。おじいさんは、まだまだ長生きします。これからも、どうぞよろしくお願いします。
【おまけ】私たちのテーブルのお世話をしてくださった、劉藤(りゅうとう)さん。記念に一枚写真を撮らせていただきました。
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2008年12月10日(水)
第75回京都学生駅伝競走大会(12/7) [マラソン評論]
12月7日、京都学生駅伝が行われた。
北大路橋をスタートし、左京区岩倉、北区上賀茂をぐるぐる回る6区間の駅伝である。
京都キャロットもそのコース上にあるため、大会のチラシが郵便受けに入っていた。(下の通り)
チラシに書き加えたのだが、A地点が自宅、B地点が産大前店、C地点が通販事務所。つまりは、うちの庭で駅伝をやっているようなものである。(???)
廉が大学生になった時、この駅伝に出てくれたらなあ。応援のしがいがあるんやけどなあ。これからも、しつこく、ゆうだけゆうてみよっと。
スタート地点(北大路橋西詰)を見て驚いた。
テントも横断幕もなし。第75回という伝統ある大会だというのに。ちょっとさびしい。
鴨川には、必ずワンちゃんの応援がある。
名前を聞いたのだが、忘れてしまった。(ゴメン!)
歳は13歳。
「さわってもいいですか」と聞くと、「かみますよ。」
「えっ、こんなおとぼけ顔で?」とは言いませんでしたが、ちょっとかまれてみたかった。
「Run&Walk in かもがわ」に参加するため、西賀茂橋へ。
そこは、第3区(庄田橋〜北大路橋、5.4km)のコースにあたる。
9時10分過ぎ、次々と3区のランナーが。
これで、全チームの写真を撮ったつもりだが・・・。
当たり前だが、後ろの方でもかなり速い。見ていて気持ちいい。ただただ、「きれい」と見とれてしまう。
結果は、立命館大学が優勝、2位産大、3位佛大だった。
廉、こんなレースに出るのを目指してくれんかな。
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2008年12月09日(火)
第10回 Run&Walk in かもがわ・続きの続き [ランニング]
最終ランナーのゴール。
上の写真は、撮影用にゴールしなおしてもらった時のものです。実際は、お父さんお母さんとも、一度も手助けされませんでした。
声掛けはずっとされていましたが、手を引っ張ったり、無理に走らせたりすることなく・・・。
私も少し気になって、自分のゴール後、御薗橋のほうへひっかえしました。そこには、小さな子をみんなで見守る一かたまりの集団が。
よーく見てみると、その子は「1歩前進10歩後退(逆走)」などもたびたびあり。
「楽しんでるねー。」
ゴールはどれくらいやったんやろ。1時間20分くらいかな。お天気がよくてよかったね。
このご家族(りゅうのすけ君とご両親)が、文句なしの1等賞!
いっぱい写真を撮らせていただきました。
生まれてすぐから3年連続出場のりゅうのすけ君のためにも、来年も何からの形で走らせてあげたいですね。
そのほか、いくつかのエピソード。
サンタ・柿原さんは、結局優勝しやはったんかな。たくさん賞品のお野菜持ってはったし。
スタート前の私との会話。
「今日は息子さんは来てないんですか。」
「はい、部活が午前中やから、なかなか連れて来れないんです。補欠の補欠で試合にも出してもらえないんですけどね。」
「えー、どこの高校ですか。」
「紫野高校の・・・、サッカー部ですねん。」
「サッカー部? 陸上部じゃないんですか。」
やっと納得してもらえました。陸上部で、補欠の補欠はないわなあ。試合に出してもらえへんはないわなあ。
柿原さんは、うちの息子の憧れの的のようです。またどこかでお会いできましたら、うちの息子に声をかけてやってください。
私の元ライバル・法貴さん。
「法貴さんの写真、うちのブログに載せてもいいですか。」
「ああ、何ぼでも載せてや。でもな、私、それを見るすべがないねん。きれいに撮れてたら、写真送ってちょうだいやー。」
私の知り合いには、こういう人が多いので助かります。でも、「きれいに」はちょっとハードル高いかも・・・。
大西さん。
「どのくらいで走らはったんですか。」
「37分台です。」
「いやあ、すごいですやん。快調ですね。」
「先週ね、『つくば』へ行って、フル走ってきたとこですから。」
「ああ、例の・・・。(大西さんは、定年までつくばの会社におられました。)」
「まだまだ、『つくば』は続けて出られるんでしょう。」
「あと2年出たら、30回になるんですよ。それまでは、続けようと思ってるんです。」
この元気さ、少しおすそ分けしてもらいたいくらい。
表彰式なども終わり、最後に大会会長・灰山由美さんのごあいさつ。
「応援してくださるみなさんのおかげで、この『Run&Walk in かもがわ』は、10回も開催することができました。この10回を区切りとして、これでファイナルとしようと思っていたのですが、『続けてえな』という声をたくさんいただき、今どうしようかなあと考えているところです。みなさん、ほんとうにありがとうございました。」
拍手拍手拍手!
これから10か月ゆっくり考えてください。もし次があるようでしたら、その時は私もお手伝いします。2か月もあればなんとかなりますよね。
またどこかの大会などでお会いできましたら、遠慮なく声をかけてください。大きな役には立ちませんが、ちょっとはお役に立てるかも・・・。
これからも、灰山さんがまかれた種が、大きく大きく育っていくことを期待します。
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2008年12月08日(月)
第10回 Run&Walk in かもがわ・続き [ランニング]
「孫がな、三人出てくれんねん。」
大会会長・灰山由美さんがうれしそうに話してくださった。
「ほら、向こうで緑の服着たちっちゃいのん、おるでしよ。あの横に立ってるのが、主人です。今主人が着てるウィンドブレーカーも、キャロットさんで買ったんよ。」
これは写真撮りに行かなー。
ご主人にことわりを入れてから、パチリ。
閉会式後、灰山由美さんにも見てもらった。
「こんな写真撮らしてもらったんですけど、ブログに載せてもいいですか。」
「いやあ、こんなん撮ってくれはったん。ありがとう。」
「歳、教えてください。」
「えっ、私? 私は体重は教えられへんけど、歳は言えるで。」
「いやいやそうじやなくて、お孫さんの歳・・・。」
「いや、書いてもらうんやったら正確でないとあかんし、お母さんに電話してみるわ。」
「今な、孫の取材してもらってんね。」
そんなたいそうなもんやないけど、まあいいか。
名前も載せていいということだったので、ここに灰山由美さんの自慢のかわいいお孫さんを発表。
一番上は、海大(かいた)君、小1・7歳。
二番目は、海里(かいり)君、4歳。
三番目は、海夏(かいな)君、2歳。
3kmは、8kmの5分後スタートだったので、走っているところは残念ながら撮れませんでした。でも、私がゴールしたあとに会ったらケロッとしていたので、きっと楽しく走れたんだと思います。
ちっちゃい子が元気よく走ってくれると、大会が盛り上がります。そしてなにより、この三人の走る姿を灰山由美さんに思いっきり見てもらえたこと。ほんとによかった。
灰山由美さんのいいところを、少しでも受け継いで行ってくれたらうれしいですね。
よう出てくれたね。おっちゃん(私)も、うれしい。
10時ちょうど、8kmの部がスタート。
前列を見てビックリ。
先頭左から、法貴和美さん、大西紘夫さん、・・・ふむふむふむ、私の好きな人がちゃんといい位置取り。これはいいスタート写真が撮れるわい。
そしてなななんと、その横にはサンタクロース。よーく見ると、この立派なサラブレッドのような足はまぎれもなく柿原貴次さん。このかっこうで、ぶっちぎるつもり?
3kmの部の折り返し点には、ヒゲの原田さんと吉田康彦さん。(また、私の好きな人が・・・)
お二人ともてっきり走られるものだと思っていたのに、しっかりお手伝い。頭が下がります。
途中で、雑種犬発見!
これは、写真に撮らんわけにはいかん。
「オグリ、オス、2歳」
「さわらせてもらってもいいですか」と聞くと、
「ちょっと難しい犬なんで・・・」と言われた。残念!
北大路橋をくぐると、すごい人。
小学校の駅伝記録会が開催中だった。
出雲路橋手前では、塚本政琉さんの姿が。(またまた、私の好きな人)
今日は京都走ろう会例会ではなく、こちらの走路員をしていただいているようです。
葵橋手前の折り返しで、19分30秒。写真撮りながら走っている割には早い。
「おーい、ふじいさん!」と呼ぶ声は、川橋豊さん。
ご自分が代表をされている醒泉ランナーズ所属の小学生の応援に来られているのだろう。
北大路橋まで戻ってくると、上の道から下りてくる人あり。
「あれっ、法貴さん、どこ走ってんにゃな。」
「道まちごーてしもたわ。」
「どこまちがえるとこあります? そんなとこ走られたら、写真とれへんしー。」と言いつつ逆走して、パチリ。世話焼けまんなー。でも、本当に憎めない味のある人です。
北大路橋を越えると、京都走ろう会例会参加のランナーに追いついた。追い抜いてふりかえると、河田武さん。
「河田さん、快調ですやん。」
「いやあ、ふじいさん。」
「また、ブログに、『元気な73歳』って載しときまっさー。」
北山大橋まで来ると、ちょうど橋を渡っていくランナーが。京都走ろう会の松山健治さんでした。写真は撮れなかったけど、「おーい」と呼んだら気づいて手を振ってくりはりました。うれし!
3kmの部の最終ランナーらしき姿が。
バリバリ走れそうなお父さんと、すっごく小さな子。
「うわー、すごいですやん。おいくつですか?」
「2歳です。3年連続出場なんですよ。」
はー? 0歳から出場やって? わけわからんなあ。でもよーく見てみると、無理には走らせておられない。その子も、今の状況を全然いやがっていない。「じっくり待つことのできる」お父さんなんやね。
御薗橋を越えた所に、西村さん。
「写真、撮りまっせー。」
「なんやなー、藤井さん。今、そんなんかいなー。」
これは、たぶん、「前はけっこう速かったのに、なにチンタラ走っとんにゃなー」ていう意味かな。
でもね、なんか早くゴールしたらもったいないような気になって・・・。
ああ、もったいない。もう、ゴールか。
なんか、もっと走っていたいような気分。こんな気持ちになったのは、初めてかも。
タイムは、40分38秒。・・・、ダメ! 早すぎる。もっと、逆走とかしたらよかった。・・・、イヤ、それは違反か。
楽しみすぎた私は、50等賞くらいには入れたでしょうか。
(注)まだ、続きます。
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2008年12月07日(日)
第10回 Run&Walk in かもがわ [ランニング]
閉会式もすべて終わった時、一人の女性が大会会長・灰山由美さんに近づいた。
「今まで、ありがとうございました。」と言われたのだと思う。その言葉とともに、灰山さんの首に大きなメダルが。
「えー、こんなんくれはんのー・・・」
そのあと、灰山さんは絶句。そして、あふれる涙。
大会のフィナーレは、こんな感動的なものでした。
この大会には、今まであまり参加させてもらっていない。廉が小学生の時、いっしょに4kmを走って以来。5年ぶりになるのかな。
今年、第10回がファイナルということで、ぜひとも参加させてもらおうと思った。個人の力だけで大会を開催されている灰山さんに、敬意を表したいと思ったからだ。
近くに駐車場がないので、自転車で行くことに。
気温は低いが、空は晴天。風もないので、走るには絶好かも。
会場である西賀茂橋に向かう前に、北大路橋に向かった。8時半に京都学生駅伝がスタートする。
スタート時間にわずか間にあわず、対岸を一団となって走り去る大学生を見送った。速い!
2年後、あの中に廉がいてくれたらいいのになあ・・・。
今度は、西賀茂橋へとんぼ返り。
まだ、人がまばらだった。
9時過ぎに、この前を京都学生駅伝のランナーが通過するということで、西賀茂橋の上まで見に行った。
この駅伝ではこの前を2回通過するはずだが、一周目は早い時間、二周目は河川敷ではなく上の車道を走るらしく、ぶつかることはないらしい。
全チーム通過するのを見て、再び会場へ。
ここでびっくり。すごい人。
スタッフ、応援の人を含めると200人くらいはおられる感じ。こんなたいそうな大会やったかいなー。
本部テント前に近づくと、灰山由美さんが私を見つけ声をかけてこられた。
「藤井さん、走りに来てくれはったん? こないだはごめんねえ、たくさん賞品持って来てくれはって。お礼も言いに行かんと・・・。」
「あれはみんなヨメさんのおかげです。私は何もしてませんねん。それにしても、すごい人ですね。この大会って、こんな大勢でしたっけ。」
「いや、私もびっくりしてんねん。おままごとの続きみたいなつもりで始めたことやのに。ピークは150人くらいになったんかな。でもここ何年かは減っていく傾向やったんやで。今回は宣伝も何もしてへんのに、ファイナルっていうことでたくさん来てくれはったんかなあ。」
「そら、灰山さんの人徳ですって。」
「なにをゆうてんにゃな。そうそう、福知山マラソンのブログでこの大会のこと紹介してくれはって、ありがとうね。」
「あっ、写真まあまあよかったでしょ。」
「まあ、もとがこれやからしゃーないわなあ。でも、上手に書いてくれはって、あのおかげで参加者が増えたんかもしれんし。」
「増えたとしても、3人くらいちゃいますか。」
「いや、その3人がありがたいんや。」
「でも、ここまでしようと思ったらいろいろたいへんでしょ。」
「そうなんや、この場所使うのんもな、土木事務所に届け出しに行ってお金払ったら、後はおまかせなんや。早いもん勝ちってゆう感じやから、今日も暗いうちから寒い中場所取りや。これはきびしかったわ。」
「そうなんですかー。そんなんせんならんにゃ。知りませんでしたわ。」
「それとな、昨日になってゼッケンが足らんことに気がついて、急きょ弟に電機屋さんに走ってもらったんや。数字ペタッとはるやつあるでしょ。あれしてもらおうと思って。」
「あらま、そんな間際にたいへんなことでしたね。」
「でも、なんとかここまでこぎつけられてよかった。」
9時半を過ぎ、開会式が始まる。
大会会長・灰山由美さんのごあいさつは、ほとんど聞いていませんでした。(ごめんなさい)
ただ、「楽しんだあなたが一等賞!」というのを強調されていたことだけはしっかり耳に入れました。
競技委員長さんの競技説明も、簡潔でわかりやすく、手作り大会のよさが十分に出ていました。
選手宣誓のあと、八田努さんの準備運動。
これで準備万端。あとは、スタートを待つばかり。
おっと、忘れてました。この大会の準備をほとんど一手に引き受けて、毎日がんばってくれはった灰山さんの弟さん。この人の存在なしにこの大会は語れません。
本当にお世話になりました。ここまでお姉さんのために尽力される人は、そうはいないと思います。
「灰山さん、弟さんへの感謝の気持ちも忘れたらあきませんでー。」
(注)まだ、続きます。
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