2008年11月11日(火)
こうじ君 [学校]
私の名前は、ふじいこうじ(藤井廣司)。
だから、「こうじ君」にまちがいないのですが、今日の話題の「こうじ君」は私ではありません。
昨日の夕方、通販事務所で商品の発送の準備をしている時、ドアをあける人あり。
「ここでは販売はしてないんです・・・。」と言おうとして立ち上がると、その学生さんぽい男性はにこっとして言った。
「あのー、高山康司です。」
「えー、こうじくんかいなー。ひっさしぶりやなー。なんや、小学生の時と全然変わってへんやん。」
「ちょっと、この近所のお客さんに用事があって、そのついでによってみました。」
17年前の小学校の卒業式以来である。
私が最後に担任し、卒業させた三人のうちの一人。
ともちゃんには、2年前の「丹波ロードレース」で15年ぶりに会った。新婚ほやほやのダンナさんがマラソン好きで、そのつきそいで来ていた。そのあと、かわいい赤ちゃんも生まれ・・・。
ゆっくりまったりなしゃべり方は、小学生の時のまま。幸せそうなふんいきが、こちらにもよく伝わった。
ちーちゃんとは、その3ヶ月後の「宇治川ロードレース」で。こちらも15年ぶり。ちーちゃんは、なんと、レースに出ていた。小学生の時、たしかマラソンは好きじやなかったのに・・・。
福祉の仕事をしながら大学院に進学。そして、にが手だったマラソンにも挑戦。なんでこんなええ加減な担任から、こんな立派な子が育つかねえ。(中学からあとがんばったんかな。)
この二人ともが言っていたこと。
「こうじ君なあ、日産で自動車整備士の仕事続けてんのは知ってるんやけど、全然会ってへんねん。」
昨日会ったのは、その「こうじ君」です。
「いっつも年賀状もらってるのに、出さんとすんません。ちょっとそんなんがにが手で・・・。」
「分かってるって、気にすな気にすな。そやそや、今うちで飼ってる犬なあ、こうじ君とこのおとなりの高山菊司さんとこからもらったんやで。」
「えっ。」
「前なあ、雲ヶ畑小学校のまわりうろついてた犬おったやろ。こうじ君のお姉ちゃんの咲ちゃんらが、『エリ』って名づけて、給食のパンとか牛乳やっとったやん。あの犬、家につれて帰って飼ってたんやけど、16歳くらいで死んでしもてなあ。」
「えっ、あの犬飼ってはったんですか。」
「そうやね。そんでな、エリが死んでから娘がさびしがって、どうしてももう一回犬飼いたいゆうてなあ。それやったら、高山牧場のワンちゃんが子犬産むかもしれんし、まあ聞くだけ聞いてみたろゆうことで、行ってみたんや。そしたら、行った3、4日前にほんまに子犬産んどってなあ。びっくりしたで。そんでな、高山菊司さんからもらったから『きく』っていう名前にしてん。」
「へー、そうやったんですか。(ニコニコ)」
「ちーちゃんやともちゃんともゆうとったんやでー。こうじ君、どうしてるんかなあって。」
「元気にしてますよ。僕も、もう働き始めて10年です。」
「そうかー。もう、30くらいやね。」
「29です。」
「そっかー。元気そうで、前と全然変わってへんかって、安心したわ。」
「先生も、元気そうで。」
「元気やでー、相変わらず。」
「また、来ます。」
「おん、また来て。」
なんて、好青年なこと。
元担任がええ加減でも、こんなに立派な好青年に・・・。と言うか、やっぱり中学からあとがんばったんやろね。
最後の教え子は三人三様だけれど、それぞれの分野でしっかり活躍している。それに引き換え元担任は・・・。
言うまい言うまい。これでも、自分なりにいっぱいいっぱいなんやから。
(注)「高山牧場」は、京都市北区雲ヶ畑で、高山康司君のお父さんとおじさん(高山菊司さん)のお二人が共同経営されています。
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2008年11月10日(月)
第18回南紀日置川リバーサイドマラソン・続き(我が友そうへい君へ) [ランニング・出張販売]
ブログは、個人の日記をインターネット上に公開したもの。その内容は、ほとんど自己満足の産物と言っていい。
今日は、一人の人に向かって書きます。そんなブログがあってもいいでしょう。
去年のこの大会で、久しぶりにハーフマラソン1時間40分を切った。
特に調子がよかったわけでもないのに、なーんでかな。それは、気持ちに「張り」があったから。走り始めたとたん、ある人の姿が頭に浮かんできたのである。
その人は(というより、その子は)、当時小6のそうへい君。(ヨメさんは迷惑がかかるからひとの名前を出すなと言うが、私にとってそうへい君はそうへい君。S君やS平君では、文を書く気が起こりません。でも、もし迷惑だったら言ってきてね。)
去年、そのそうへい君が頭に浮かんできたわけは・・・。
さらにもう一年さかのぼりおととしの11月。
去年の引越し前まで、うちの子が通っていた学校の校内マラソンの時のこと。私は娘といっしょに走ろうと決めていたのだが、娘が直前に手を骨折してしまい断念。そんな時、娘が言った。
「そうちゃんといっしょに走ったら。喜ぶと思うで。」
そうか、マラソンがにが手と言っているそうへい君が喜んでくれんにゃったら走ろうっと。
当日の朝、そうへい君の言葉。
「だれか、僕がしんどくなったとき、横から言葉をかけてくれませんか。」
だれかっていっても、だれも聞いてへんし。と思ったら、私が聞いてました。わなにはまってしもたかー。(いっしょに走るって言ってへんのに、ばれた?)
スタートして下り坂を快調にとばしていたそうへい君が、突然「いたたー」とおなかを押さえて失速。
こんなことしてみ、あんなことしてみ、と思いつくことを全部言ってみた。そしたら、あらまふしぎ。青ざめていたはずの顔が血色よくなり、そのあとスイスイと。
私が、応援してくださっている人に向かってあいさつをしたりお礼を言ってるのを見て、同じように「ありがとうございます」と言う余裕まで。おみごと。なんにも、マラソンにが手じゃないやん。
そしてそのまま失速することなく、気持ちよくゴールへ。 あの日のそうへい君の晴れやかなゴールシーンは、一生忘れません。
そして、次の年の11月。(話がややこしいけど、去年の11月。)
この日置川マラソンで、走っている間中ほとんどそうへい君のことを思い出していた。ちょっと先輩ぶってえらそうなことゆったのに、だらしない走りはできひんな。
あの時そうへい君に言ったように、しんどなったら深呼吸。おなかの痛いところをもんだり、腕をグルグル回したり。
そうや、一番大事なんは思いつめんことやな。たかがマラソン。なんぞおもろいことを見つけたろかい。そんな気持ちで走らんとね。
そんなことを思いながら走り続け、結果は1時間38分52秒。「まだこんな力が残っとったんかー、ふしぎ。」ちゅう感じやったね。
そして、今年。
やっと今年の大会のレポートができます。
実は、走り始めるまでそうへい君のことはすっかり忘れていた。ところが、スタートするとなんか知らんふしぎな力がわいてくる。そうや、去年もそうやったんや。これ、そうちゃんパワーかもね。
途中でちょっと雨がきつくなった時もあったけど、あんまり気にもならん。
8km地点あたりか、声をかけてくださるランナーあり。
「京都キャロットの店長さんですよね。がんばりましょう。」
「いや、実はヨメさんが社長で、私はしがない雑用係・・・。」と言おうとしたが、あっという間に抜き去られてしまった。ああ、これでまたヨメさんから、「バシッ、ボコッ、ドスッ!」
ナンバカード337さん(有田市の狗巻さん?)、そういうことですので、よろしく。
10km通過は、46分19秒。先週の土山より6分ほど早い。いや、これひょっとして去年よりええ記録出たりして。そうへい君に自慢できるがな。
折り返して11km地点あたりで、森本・花村ペアとすれちがい。
「撮りまーす!」と大声を出したら、こっちに向かって、ニコッ。いい写真が取れました。
伴走はまだまだ修行が足りんから無理やけど、こうしてレース中の写真をコースの中で撮ってあげられるのも希少価値があるかも。
残念ながらご本人には見てもらえないが、ご家族やお仲間に喜んでいただけたらうれしい。
もし「心の目」みたいなものがあるのなら、ご本人にもぜひ見てもらいたい。あなたを撮っている私の姿が、あなたの頭に浮かんできてくれたらなあ。
最初からめずらしくがんばろうと思って走ったつけがまわってきたのか、さすがにゴール前3kmほどからはつらかった。特に前から痛めている左足アキレス腱がビリビリしてきて。
ボーとしてきた頭で計算すると、今までのペースを守りきりゴールまで行ければ、ギリギリ去年のタイムを上まわるかも。
「負けへんでー」
ゴール前のゆるやかな上り坂も、ペースダウンせず上りきった。
久々の、なだれ込むようなゴール。
1時間38分47秒。
やったぜ!
5秒だけやけど、去年の記録を上回った。
これは、まぎれもなくそうちゃんパワーのおかげ。ほんとうに、ほんとうに。
そうへい君、今年から校内マラソンは12kmやね。もう、にが手とかいってる場合じゃないで。
おっちゃんも今回はめずらしくがんばったし、ちょっとどう?
しんどくなったら、へんなおっちゃん(もちろん私のことです)を思い出して、リラックスしようぜ。
今度会ったら、マラソンの話、聞かせてね。そんで、おっちゃんもちょっとほめてね。(って、あつかましい?)
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2008年11月09日(日)
第18回南紀日置川リバーサイドマラソン [ランニング・出張販売]
今年の京都キャロットの方針は、「もうけのでない出張販売は切る」。そのため、今までほぼ毎週だった出張販売が、今年はかなり少なくなっている。
今日の「日置川マラソン」も、小学生や幼児も入れて1000人にも満たない大会。本来なら「切る」大会である。
それでも行くには、わけがある。
まず、ランニング用品の出店業者がうちだけであること。
それに、うちの出店を楽しみにして待っていただいているお客様が多いこと。
大会が町の一大行事のようで、みなさんが楽しい大会になるように努力されているのがこちらにも伝わってくること。
そして・・・、この大会は、私と廉が親子レースで初優勝した思い出の大会なんです。
廉が小3の時なので、もう8年も前の話。
前の年、親子レースに母ちゃんと出た廉は、ゴール前で母ちゃんを待つという悔しい結果に。それなら、親子レース最後の小3はパオパオと。
勢い込んでスタートしたのはよかったが、いきなり廉のシューズが脱げてしまうというアクシデント。「あちゃー、これで優勝はゆめまぼろしかー」と思ったが、そこから抜いた抜いた。折り返し点につくまで全員抜き、トップへ。折り返してからの残り1kmはダントツの二人旅。たぶん2位に100m以上の差をつけたと思う。(2km、8分26秒)
シューズが脱げたのにはきなおして優勝した人は、世界でも少ないのでは。(って、そんなたいそうなもんでもないか)
シューズが脱げた時はボロクソに怒ってしまったが、めっちゃ引っ張ったのに弱音をはかず最後までついてきた廉はえらかった。
これは、一生忘れられないいい思い出です。
さて、今年の大会に戻ります。
朝から、雨がパラパラと。
しかし、ここはいつも大きなテントを貸してくださっているのでまだまし。走るには、このパラパラ雨くらいが一番いい。
一番最初は、小学生未満と親のペアが走るバンビの部。その次が、小1〜小3と親のペアが走るファミリーの部。この雨の中を走っている親子の姿は見ごたえがあります。
トップでゴールする親子ではなく、最後の方に泣きながら歩いてゴールする親子こそ見てほしい。親が子にどんな言葉をかけているかを聞いてあげてほしい。どの子も、親といっしょになにかをすることは大好きなんですよ。
ハーフスタート前に、見慣れたお客様の姿が。
この大会で必ずうちのテントに来てくださる花村さん。今日は視覚障害ランナーの伴走をされるようだ。
花村さんは、以前、私たちに梅干しをおみやげにくださった。お世話になっているのはこちらの方なのに。こんな気配りのできる人だから、伴走もできるんですね。
雨はまだやまず。
雨の日の伴走は、普段以上に気を使わなければならないだろう。
何年か前にはこの大会でも優勝されている花村さん。個人の記録のためではなく、こうして人のためにも走られている。そして、それが楽しそう。うらやましくなってくる。
スタート直前、校舎の玄関で雨宿りをされていたお二人を写真に撮らせてもらった。
森本さんはちょっと緊張、花村さんはにこやか。「どうか、アクシデントが起こりませんように」と祈ります。
スタートは、日置小学校の正門前。みなさん雨にぬれるのがいやなので、ぎりぎりまでスタートラインに並びません。
さあ、スタートと思ったら・・・。
ゲストの小ざきまりさんが、サインの最中。
「雨の日は体が温まるまで時間がかかるので、初めはくれぐれも無理しないように」といったごあいさつ。
それは分かっています。分かっているけど、今日はちょっとがんばるつもりです。(おー、めずらし!)
その理由は、また明日。(続きを読んでください。)
(訂正)「1000人にも満たない大会」と書いてしまいしたが、実際は1179人だったようです。しっかりとした大会運営をされているので、参加者が増えているのかもしれません。認識不足をおわびします。
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2008年11月08日(土)
第15回キツツキ会木彫工芸展 [雑用]
京都走ろう会の井上孝夫さんから「木彫工芸展」の案内をいただいていた。会場は、「相国寺 承天閣美術館」。上京区の同志社大のおとなりである。
今日の午前、少しだけ時間が空いたので行ってみることにした。
同志社のすぐ横に、こんな大きなお寺があるとは知りませんでした。お寺の拝観にこられた方も多かったようです。
敷地の中央には、立派な法堂。
そのななめ奥に、承天閣美術館がありました。
井上さんの出店作品は、上の三点。
額はもちろんのこと、中の水墨画や水彩画も井上さんの作です。
週2時間の木彫教室でこつこつ作業されているので、一つの額が完成するまで一年以上かかるそうです。根気がいります。
私は午後から出張のため短時間しかおられなかったのですが、見に行ったことをすごくよろこんでいただきました。
せっかく来たので、ほかの方の作品も鑑賞。
外は小雨でしたが、お寺の境内を歩くのも気持ちいいもんです。
この展覧会は11月10日まで。明日9日は、会場に井上さんがおられます。時間のある方は、ぜひ足を運んでみてください。
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2008年11月07日(金)
「文化の日」におもう [雑感]
最近、ほとんど祝日を意識することがない。
それは、祝日にも何がしかの仕事(のようなもの)があって、遊びに行ったりしにくいからだ。
今年の11月3日は、滋賀・沖縄県人会の高間さんからお誘いを受け、「佐渡山豊コンサート」に参加することができた。文化の日に、文化的な行事に参加できてよかった。
新聞各紙も、祝日だといって特集を組むこともない。
ただ、11月4日の毎日新聞の小さなコラムに、すばらしい記事が載せられていた。
■憂楽帳 「歴史を学ぶ日」に
「自由と平和を愛し、文化をすすめる」
国民の祝日に関する法律(祝日法)に記された「文化の日」の趣旨だ。文言から連想できるように1946年11月3日の日本国憲法公布を記念した日だ。
当時は、終戦直後の物資不足の時代。通常2ページの毎日新聞(大阪)は翌4日、公布式典の模様などを4ページの特別版で報じた。自由、平和、民主などの文字が躍る紙面からは、新しい時代を迎える人々の喜びが伝わってくる。
それから60余年。旧憲法時代の記憶の風化が激しい。戦後生まれによる近隣諸国侵略の歴史を否定する発言が目につき、教育現場では日の丸・君が代の強制も進む。先月31日には、航空自衛隊のトップ、田母神俊雄航空幕僚長が「日本が侵略国家だったというのは濡れ衣だ」と論文出主張していた事が判明した。
新旧の憲法の歴史をみても、いまの「自由と平和」が、近隣諸国の、そして、日本の人々の大きな犠牲の上にあることは明らかだ。
祝日法の条文を「自由と平和を愛し、歴史に学び、文化を進める」に改正しては、どうだろう。
【湯谷茂樹】
☆私の好きな言葉。
「過去を知り、現在を知るものは、未来を知るものである」
上賀茂小学校で高学年を担任していた時、教室にこの言葉をはっていたけれど、一人くらいはおぼえてくれているかなー。
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2008年11月06日(木)
佐渡山豊in琵琶湖ライブ 〜変わりゆく時代の中で〜(11/3)・続き [沖縄]
第2部は、いよいよ佐渡山豊さんのコンサート。
誤解を恐れず言わせてもらうと、「まだこんな歌手がいたんや」。
プロフィールには年齢が書いてなかったが、ネットで調べると私の5歳上。50代半ば。
私が若いときは、こういうタイプのフォーク歌手の全盛期だった。社会に対するメッセージを魂の底から歌い上げるタイプ。
沖縄出身なので、もちろん沖縄がかかえる問題・・・一番は米軍基地に関わる歌が多かった。
それにプラス、集団自決の問題、琉球人差別の問題(人類館事件)、死刑制度に関する問題、などなど。
私が一番心に残っているのは、「日の丸・君が代を指導せよと、校長がヒットラーのように言う」というフレーズが入っていた歌。題名はおぼえてていないが、沖縄の言葉の題名だったように思う。
こんなことを歌にして歌ってくれていた歌手がいたんや。ありがとうございます。これからも、この歌を歌い続けてください。
コンサートの様子を文章で説明するのは本当にむずかしい。これは、実際に聞いてもらうしかないと思う。
今回は、「佐渡山豊&SwingMASAライブコンサート」。
全曲、謎の(?)サックス奏者とのジョイントだった。
主催者からもらったチラシには、ふたりのことを以下のように紹介してあった。
■佐渡山豊プロフィール
沖縄、コザ(現沖縄市)生。1995年「ドゥチュイムニー」が泡盛(菊の露酒造)のCMに起用され、大きな話題となる。1997年、アルバム「さよならおきなわ」を発表。
関西、関東はじめ四国や北海道など全国各地で精力的にライブをおこない、2004年5月にはNY在住サックスプレーヤ―のMASAとN.Y.PEACEツアーを成功させ、着実に活動の幅を拡げている。現在、新年リリース予定の新CDを製作中。
■SwingMASAプロフィール
中学入学と同時に吹奏楽部でサックスを吹き始める。高校時代、JohnColtraneのMyFavoriteThingsを聞いてJazzへと傾倒してゆく。1987年、コンサートの収益金と、支援者の出資金でJazz修行のためNewYorkへと渡る。1996年、NewSchoolUniversityJazz&ContenporaryMusicを卒業。在学中、ReggieWorkman、BillyHarperらに師事する。1997年、JazzSaxophonistとしてビザを取得。1999年、演奏活動の実績が認められ、グリーンカード(アメリカ合衆国永住権)を取得。2001年、大阪府よりプリムラ奨励賞を受賞。NewYork、Harlem在住。アメリカと日本を往復しながら、演奏活動を続け、現在に至る。
Feminist、Pacifist、Vegetarian、Ecologist、死刑廃止運動はライフワーク。
全部で何曲聞かせてもらったのだろう。
ほとんどお話はなく、次から次へと歌われていった。
佐渡山豊さんは見かけによらず(すいません!)、すごくきれいないい声だった。
MASAさんのサックスは、嘆きの表現が秀逸だった。
「そうか、あんなふうにもふけるんや。」
自己紹介の時、死刑廃止運動に力を入れておられるとのことだったが、なにをきっかけにそこに力を入れられるようになったか、もう少しくわしく聞きたかった。ちょっと残念。
コンサートの様子を文章にするのには限界がある。
機会があれば、ぜひもう一度行きたい。人にもすすめたい。そう言うのが精いっぱいです。
コンサートが終わり、最後のあいさつも終わり、ホールを出た。
出口で、高間悦子さんを発見。参加者のみなさんにお礼を言っておられた。
「高間さん、京都の藤井です。今日は、先生のお話もコンサートも両方よかったです。」
「ありがとうございます。よく来てくださいました。藤井さん、ちょっと、こっちこっち・・・。」
「えっ、なんですか。」
「うちの主人です。」
「いつもお世話になってます。と言っても、今日のようなイベントしか参加させてもらってないんですけど・・・。」
「藤井さん、実は私、ついこの間も沖縄に帰ってたの。これ、おみやげです。」
何の役にも立っていない私におみやげなんて。申しわけない。いつか必ず何かのお役に立てるように、努力します。ほんとうにありがとうございました。(想定外の出来事で、うれしかった。)
2階の階段前には、滋賀・沖縄県人会の方々のお見送り。会場を出る一人ひとりにお礼のあいさつをされていた。
その時思ったのだが、こういったイベントの中で、短時間でもいいから沖縄県人会の普通の方のお話を聞けないものだろうか。普通の人の普通の話の中に、沖縄を考えるさまざまなヒントがかくれているような気もする。
会場を出る前、佐渡山豊さんのCDを展示販売してあるコーナーを見てみた。私がもう一度聞きたいと思った曲は、そこにあるCDには入っていなかった。「新年リリース予定の新CD」っていうのが、要チェックですね。
その代わりと言ってはなんですが・・・。
CDの横に、松島先生の著書が。
「琉球の『自治』」。目次を見るだけでも、ワクワクする。石垣島の開発史、西表島の開発史、「日本復帰」と奄美諸島の開発、琉球の開発と米軍基地、八重山諸島における「経世済民」の実践、琉球独立を巡る動き、・・・。
全344ページ、2940円。
今日は、1時間の講演を集中してしっかり聞くことができた。
このぶ厚い本も、絶対最後まで読む。期限は、今年中。
負けへんでー。
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