パオパオだより

2008年11月25日(火)

第18回福知山マラソン・続きの続き [ランニング]

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 いろいろありましたが、いよいよ最後の上り坂。
 「確か、松田さん、10km走り終わったら応援するってゆってはったよなー。」
 そう思いながらあの坂を小股でチョコチョコ。キョロキョロ見てんにゃけど、「おらんがなー。」

 ゴール前200mくらいのとこかなあ、ああ、いました。松田さんとお連れの村江さん。お二人は、「マラソンのつぼ」のお仲間だそうです。

 「応援ありがとう。写真撮っときまっさー。(パチリ)」
 「藤井さん、撮ったげよっか。」
 「いいっす、いいっす。」

 あと200m。そして、怒涛の(?)ゴール!

 4時間37分23秒。
 たぶん、自己ワースト2。
 それにしても、ちょっと長時間楽しみすぎたかな。

 話はちょっと前に戻って、ゴール前1km付近。
 「パオパオさん!」と声をかけてくださる方あり。
 「えっと、どなたでしたっけ?」
 「諏訪湖で声をかけさせてもらった・・・。」
 「あー、大阪の下村さん。もう、ゴールしやはったんですか。」
 「いや、今日は走ってないんです。疲労骨折しちゃって・・・。」
 「えー、諏訪湖でですか?」 
 「いや、そのあとの『いびがわ』で。」
 「あらー、そうやったんですかー。写真撮っときます。(パチリ)」
 あとで確認してみると、この写真は失敗。せっかく旗を2本持ってがんばって応援してられた姿を撮れたと思ったのに、残念。

 ゴール直前、「藤井さん!」の声。
 京都走ろう会の阿加井さんでした。
 「こないだは、ありがとうございました。」(京都走ろう会35周年記念式のこと)
 「これから、ぎょうさん例会にも行かせてもらいますので、よろしくお願いします。写真撮っときます。(パチリ)」
 あとで確認してみると、これも失敗でした。すんません。

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 なんでワンちゃんの写真は上手に撮れるんかなあ。
 エル君、11月12日に5歳になったばかりだそうです。
 「写真撮らせてください」とお願いすると、こんな大サービスのポーズ。すまんなー。でも、なごむなー。

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 お借りさせていただいているHさん宅へ。
 玄関前に、外峯さん。さっぱりした顔。そらそうや。3時間13分やてー。
 私の記録証を見てもらうと、ノーコメントでしたなあ。
 「陽子ちゃんは遠くなりにけり」か。

 お部屋に入れてもらって着替えようとしたが、こぶらがえりが・・・。しゃーないし、かなり長い間つっ立っていました。
 25km過ぎくらいから、ずーっと、右ヒザの内側と左ふくらはぎが「こぶらがえったんどー」とうなっとったもんな。よう、最後までもったもんや。
 それでも気持ちが途切れへんかったんは、三宅誠孝さんのおかげやね。

 マラソンは、タイムだけを目標にしてたらあかん。自分なりのテーマをしっかり決めて走らんとね。
 今回はしんどかったけど、楽しく走れた。私ががんばって走っても、三宅さんの病状がよくなるわけでもなし。それでも、勝手に応援したかった。

 誰かのことを考えながら走り続けられた私は、幸せもんです。

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2008年11月24日(月)

第18回福知山マラソン・続き [ランニング]

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 大混雑のスタートから1kmも行かないところで、「藤井さん!」の声。
 このぐちゃぐちゃの中で私を見つけ出してくれるってすごい人やなと思って振り返ると、おー、京美人・伊藤千尋さん。それからしばらく、しゃべりながら走った。
 「伊藤さん、今日はいつもの紺のTシャツじゃないんですね。」
 伊藤さんとは今まで3回お会いしている(岐阜根尾、たたらぎ、大阪城公園)が、いつも紺のTシャツ。それが、今日は赤のTシャツ。それって、ひょっとして私とおそろい?
 私もスタート直前まで、黄色ランシャツにするか赤Tシャツにするか迷ったが、赤にしといてよかった。集団に埋没していても見つけやすい。

 それから何回も先行して写真を撮ろうとしたが、大混雑のためことごとく失敗。けっきょく、撮れたのは12kmあたりだったと思う。
 つまり、伊藤さんとはつかずはなれず10km以上走ったことになる。先行したつもりがいつの間にか追いつかれ、だいぶ離されたんかなあと思っていたらいつの間にか追いついていた。こんなことめずらしいね。

 「藤井さんの走る姿を後ろから見ていたら、すごく軽く走ってられるように見えます。」
 「なんかね、最近、私のおしり大きくなったんですって。そやから、安定した走りに見えるんちゃいます?」

 こうして前半は気持ちよく走れていたのだが、困ったこともあった。
 5kmたりからか、おなかがチャプンチャプン。トイレ行きたいなー。
 沿道では、立ち○○○をしているランナーが。
 ええなあ。私はできません。なんせ「京都キャロット」の看板背負って走ってますから。そんなことしたら、絶対、「キャロット、立ち○○○しとったぞー」と言う人が出てきますから。

 15kmあたりにあった仮設トイレでやっと用が足せました。
 「ホッ!」 よかった。

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 さて、かんじんの写真撮影は・・・。

 最初に会ったのが、吉川さん。
 「藤井さん!」と声をかけていただいたが、時すでに遅し。撮れなかった。それにしても、吉川さん、早すぎへん。

 次は、外峯さん。
 割と早く気がつき、しっかり止まってシャツターを押したつもりが・・・、大失敗。確認したら、道路しか写ってませんでした。

 その次は、池田さん。
 気がついた時、もうかなり近づいていたので、私はコースを逆走。何とか流し撮りをしたつもりだったが、結果はピンボケ。かんにんしてね。ほんまむずかしいんやから。
 でもよく見ると、池田さんが手を上げてはるところがちゃんと分かる。ありがとね。初フルで必死やったやろうに。

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 私がトイレに行っている間に、伊藤さんははるかかなた。
 折り返し地点近くで、もう1kmくらいの差。いろいろえらそうなこと言ってたのに、完璧に負けとるがなー。伊藤さんは、すごいいいペース。これなら、走りながら話してた4時間10分前後はだいじょうぶ。
 それに引き換えこの私は、左アキレス腱がちぎれそうなくらい痛い。これは、収容バスで帰らんなんかも。

 折り返し前の給水所で、秘密兵器「干し梅」の補給。その後折り返して、灰山由美さんのありがたいお言葉の補給(?)。これでちょっと盛り返した。

 そうや、今日はタイムがどうのこうのとちゃう。
 みなさんの写真をしっかり撮ること。
 それともう一つ。ガンと長い付き合いをされている三宅誠孝さんにほめてもらえるような走りをすること。
 それには、最後までしっかり走らんと。アキレス腱ブチ切れても、ゴールまで行くぞー。

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 ヒゲの原田さん。
 収容車のちょっと前やったけど、だいじょうぶかなあ。6時間制限やから、行けると思うんやけど・・・。

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 藤井眞さん。
 やっと追いつきました。憲法九条の会のユニフォーム、かっこいい。
 あとで聞いたら、71歳やそうです。また、目標にさせていただく人が現れました。
 「藤井先輩、よろしくお願いします。」

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 30km手前、背中に20個くらいアンパンを詰めて走っているような背中を発見。
 この背中、見覚えがある。追い越して振り返ると、やっぱり。アンパンマン1号・杉原さんじゃーあーりませんか。
 いやー、もうちょっとで杉原さんに負けるとこやった。抜けてよかった。

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 この大会は、全日本盲人マラソン選手権も兼ねている。そういえば、たくさんの視覚障害ランナーに出合った。
 中でも、畑の前のかかしをさわっておられたランナーには笑ってしまった。(すいません)
 伴走者というのは、ただいっしょに走るだけではなく、コース沿道のガイドもせんとあかん。知らんかったなあ。伴走って、ほんまに奥深いですね。

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 もうちょい行くと、視覚障害者の女性と伴走者の女性の女女コンビが。これもめずらしい。
 写真を撮らせてもらって、「ブログに載せてもいいですか。」と聞くとOKが出ました。ナンバーカード4008は、新野紀代美さん(JBMA・静岡)でした。

(注)まだ、続きます。

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2008年11月23日(日)

第18回福知山マラソン [ランニング]

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 24km過ぎの折り返しポストをまわり、ヘロヘロと走っていると、「藤井さん!」と呼ぶ声あり。
 西賀茂のお米屋さんの看板娘(?)、灰山由美さんでした。

 「ブログ見せてもらってるよ。藤井さんてどんな人かよう分からんかったから、今までようしゃべらんかったけど、ブログを見て安心したわ。ああ、こういう人やったんやて、よう分かったわ。この人となら、しゃべってもだいじょうぶ。」
 「そら、ありがとうございます。それやったら、今しゃべりましょ。」
 マラソン大会は、社交の場?
 それからしばらくの間、並走しながらいろいろな話をした。
 
 灰山由美さんは、古くからのうちのお客様。
 走り始められてしばらくして、ご自分で大会も主催されるようになった。
 「Run&Walk inかもがわ」
 ランニングをみんなとともに楽しみたい、という気持ちで始められたようです。キャッチフレーズは、「楽しんだあなたが一等賞!」 (今年が第10回大会ですが、残念ながら今年を最後の大会にされるそうです。)

 今年は12月7日に、西賀茂橋をスタートゴールとして行われる。8kmと3kmの2種目。マンモス大会では味わえない、あたたかい手作りの大会です。
 事前申し込みは、11月25日までですが、当日参加も可です。
 興味のある方は、主催・かもナス事務局(内田米穀店内)へ。(TEL 075-491−5828) 

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 さて、話は朝に戻り・・・。
 
 京都ランナーズ恒例「福知山マラソン大会バスツアー」。
 私は、初めての参加です。
 福知山マラソンは、第1回大会に出場して以来。そのころは、三段池公園ではなく市街地がスタートゴールだった。京都キャロットも、会場近くの自動車工場のガレージを借りて出店していた。それが会場が変わったため、長らくのこぶさただった。

 6時20分、京都駅八条口集合。
 松田さん、見っけ。
 「松田さん、ガスター10、こうてきましたー。」
 「えー、でも今日はウルトラじゃないよー。いるんかなー。」
 そんなこと言われても・・・。ウルトラに効くんやったら、フルでも効くでしょう。でも、今日の私のコンディションは、胃がどうのこうのと言う以前の問題が・・・。左腰、右ヒザ、左アキレス腱・・・。

 6時30分、予定通りバスは京都駅を出発。総勢23名中18名がここから、残り5名は途中でひろう。

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 五条通、ダイヤモンドシティ・ハナ前で外峯さんをひろう予定が、姿が見えない。携帯に連絡すると、「あと1分で着きます。」
 しばらくして左手を見ると、大きなカバンをさげてかなりのスピードで走る女性あり。おお、これこそ国際マラソンにエントリーできるランナーの走りじゃわい。見とれてしまって写真が撮れなかった。残念!
 日ごろのトレーニングが、こういう時に役立ってますね。

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 バスの中では、肥田さんが司会進行役。
 今日のレースへの抱負を、順番に語ってもらった。

 その中で一番よかったのは、池田一夫さん。
 「今日、私は初マラソンです。朝早いので、昨日嫁さんが京都駅まで車で送ったげると言ってたんですが、ちょっと無理でした。でも、さっきメールが来ていて、『おはよう。・・・』と書いてあってよかったです。今日はいい走りが出来るようにがんばります。」
 愛妻家・池田さんの言葉で、バスの中がすごくいいふんいきになりました。

 私の抱負は・・・。
 「私の目標は、みなさんの写真をたくさん撮ることです。人数が多くて見落とすことが多いと思いますので、すれちがう前に『しゃしーん!』と大声で言ってください。」

 道の駅「わち」で休けいし、福知山の会場近くのHさん宅へ。

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 Hさん宅は、本当に会場のすぐ近く。バスを駐車させてもらい、荷物を置いたり着替えのできるお部屋も提供していただいた。
 どういういきさつでここを貸していただけるようになったのかは知らないが、すごいと思った。マラソン大会では、けっこう会場やコースの近くの民家からクレームが出ると聞く。しっかりマナーを守れば、こういうふうに暖かくむかいいれてもらえるのだ。
 この一点だけでも、福知山マラソンの印象が変わってくる。

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 受付は、9時を少し過ぎてしまった。

 自分の番号のところでナンバカードを受け取っていると、「こうじさん!」と呼ぶ声あり。
 「あら、ようへい君。」
 私の姪のダンナさんです。
 「写真撮っとこ。ブログに載せるし。あっ、そや、ようへい君てみよじなんやったっけ。」
 「かわたです。」
 ええ加減で頼りない叔父です。
 少し走っているとは聞いていたけど、1万人の大会で会えるとはねえ。顔色もいいし、今日はけっこう行けそうなふんいき。「おっちゃんも、負けへんでー。」

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 10時15分、スタート地点に向かう。

 「藤井さん!」
 いつも必ず声をかけてくださる岩井さん。最後尾に並んでおられた。
 「この前は、無理やり写真撮って、すいません。」
 ニコニコしてはったので、おこってはらへんな。

 それにしても、すし詰め状態。
 確かこの大会は、申告タイム順に並んでるはずやけど・・・。
 私は、5月に3時間48分で走ったので、3時間50分で申告したはず。それなのに、かなり後ろの方。6時間制限の大会やのに、おかしいんちゃうん?

 慢性的に痛かった左腰の具合が最悪。バスにすわっているだけでも、痛くて痛くて。それに、前から痛めている左アキレス腱も、歩くだけでビリビリしている。
 それでもアホなもんで、「ひょっとしたら急に痛みがなくなって5月なみのタイムで走れたりして・・・」とか思ってしまう。
 でも、こんな後ろですし詰め状態では・・・。

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 やっぱり、スタート地点を越えるのに6分ほどかかってしまった。スタート地点を越えてもすし詰め状態は解消されへんし。これは、先が思いやられるなあ。

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 5km地点付近では、吹奏楽部の演奏。
 写真を撮らせてもらった時、指揮をされていた男性(先生?)が会釈をしてくださった。
 そのだいぶ先の給水所では、女子高校生(?)がスタンバイ。「写真撮らせてねー。」と言ったら、「えー」と言われたが、いい笑顔を返してくれました。
 この大会も、いろいろな人たちに支えられています。 

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 どのへんかは忘れたが、太田さんの姿が。
 いつも、京都鴨川ゆっくりランでお世話になってます。今日は、どなたの応援に来られたのでしょう。 

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 かなり進んだ所で、京都ランナーズ会長・冨田さんのジョギング姿。
 冨田さんはまだ故障からのリハビリ中で、レースには出場できません。それでも、こうしてコースをスロージョグしながらみんなを見守ってくださっています。

(注)まだ、続きます。 

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2008年11月22日(土)

いい夫婦の日 [家族]

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きくちゃんはうちの夫婦の「かすがい」かなあ

 今日、11月22日は「いい夫婦の日」らしい。

 さて、いい夫婦とは・・・。
 日本に4000万組の夫婦がいるとして、うちの夫婦はいい方から3000万位くらいに入るのだろうか。(無理ですか?)

 「パオパオだより」をすみずみまで見ていただいている方ならお気づきでしょうか。
 「パオパオだより」は、最初はポツンポツンと書いていたのだが、5月9日から今日まで毎日書き続けている。その中でただ1日だけ途切れた日がある。
 それは、8月20日。実は、この日が私たちの結婚記念日である。

 この日は、「ますみちゃん23年しんぼうばっかり」という題で書くつもりだった。
 8月13日、北京オリンピック応援ツアーに行く前日、ヨメさんに服をプレゼントした。私が初めて自分ひとりで買いに行ったものだ。もちろん、その服を着たヨメさんをトップ写真にしようと思っていた。
 感謝の言葉を書いた手紙を添えて渡したのだが、それももう捨ててしまったらしい。

 それよりなによりも、そんなブログを書けるような状態ではなかったのだ。
 毒嫁診断計というものがあるとしたら、その時のヨメさんの毒嫁度は10(限界)を越えてしまっていた。自分のしたいことばかりしている私に対して、完全にあいそをつかしてしまったのである。
 そのあと、ヨメさんの毒嫁度はエスカレート。完全に診断計の針は振り切れてしまった。

 「ますみちゃん、今日はしゃべってもいい?」
 最近はお伺いを立ててからでないと、しゃべる事も困難になってしまった。

 「いい夫婦」になりたいなあ。

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2008年11月21日(金)

三宅誠孝さんは元気です! [私の好きな人]

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4月13日、京都ランナーズ総会で

 ドキドキ、ドキドキ。

 今日、三宅誠孝さんのお見舞いに言った。
 ヨメさんが、高石ともやさんから聞いた話。
 「三宅誠孝さんは、腎臓の具合が悪くなり、京大病院に入院している。」

 ドキドキ、ドキドキ。

 どんな理由であれ、今度入院した時は危ないのでは・・・。去年8月までの命と宣告され、それをもう1年3ヶ月もオーバーランしてるんやから。いつお迎えが来てもフシギではない。

 ドキドキ、ドキドキ。

 カナートでシュークリームを買い、京大病院へ。
 受付で、「三宅誠孝さん」の病室をたずねる。
 「三宅誠孝さんという方は、おられません。」
 「1週間前におられたのなら、もう退院されたのかもしれませんね。」
 いっしょについてきてくださった守衛さんが、そうおっしゃった。
 まさかまさか、まさか最悪の事態っていうことはないですよね。

 ドキドキ、ドキドキ。

 私の姉夫婦が何か知っているかもしれない。
 上賀茂の姉夫婦の家へ。
 「三宅誠孝さんの家、知らん?」
 「家は知らんけど、電話番号やったら分かる。電話してみー。」

 ドキドキ、ドキドキ。

 「プルルー、プルルー。はい、三宅です。」
 「あっ、すいません。京都ランナーズの藤井です。みやけ・せい・こう、さんですよね。」(よかったー、本人や。)
 「ともやさんから、三宅さんが入院してはるって聞いて、さっき京大病院行ってきたんです。そしたら、おられませんって言われて・・・。」
 「いやあ、それはありがとうございます。私が入院していたのは第二日赤で、それもこないだ退院したんです。」
 「えー、そうやったんですか。」
 「それもあっち(ガン)の方じゃなくて、腎臓を悪くしまして、39度の熱が出て2週間入院してたんです。」
 「でも、今はお元気そうで、ホッとしました。」
 「そうなんです。やっと落ち着きました。早くしっかり直して、ともやさんのマネージャーの仕事せんならんと思ってるんですけどねえ。」
 「そんな、無理したらあきませんて。」
 (「仕事」という言葉を聞いて、絶句。「まだまだくたばってたまるか」という強い意志を感じました。)

 「三宅さん、私のブログに三宅さんのことも書いていて、それを今日渡して見てもらおうと思ってたんですよ。それ、また郵送しますわ。
 それといっしょにお手紙も書いてたんですよ。『12月30日に、うちのいなかで餅つきをするので、来てください』って書いてたんですけど。」
 「それはそれは、ありがとうございます。実は、うちも12月30日に餅つきするんですよ。私はもういいかなと思ってるんですけど、孫がよろこぶからねえ。日が重なってしまいましたね。」
 「それは残念。これからどんどん寒くなりますし、くれぐれも無理はされないように。また、調子よくなったら、京都ランナーズにも顔出してくださいね。
 今日は、三宅さんのお元気そうな声を聞かせてもらって、ほんまによかったです。もう、心配で、心配で・・・。」
 「気を使ってもらって、すいませんねえ。ほんとうに、ありがとうございます。」
 「ブログ、プリントアウトしたやつ郵送します。また、読んでください。早く元気になってくださいね。」

 三宅誠孝さんとしゃべっているうちに、ずーっと続いていた「ドキドキ」がやっとおさまった。私が想像していたよりずっとお元気そうだった。よかった。

 三宅誠孝さんのお見舞いに持っていく予定だったシュークリームは、姉夫婦の家に。いつも来ている孫二人(小学生の男の子)が、パクパクと食べてくれるだろう。

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 三宅誠孝さんは、長年、京都市会議員(左京区選出)として活躍された方。議員さんだったのですが、とても気さくで、あれもこれも何でもがんばる普通の人という印象。手話もできはるんですよ。現在、72歳かな? 今、議員さんであっても全然おかしくない歳です。

 私は人を尊敬したことなどないのですが、どうしてもと言われれば、一番に三宅誠孝さんを思い浮かべます。
 だから、まだまだ死んでもらったら困ります。

 「三宅誠孝さん。どうか、生きて、生きて、生き抜いてください。」
 

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2008年11月20日(木)

高石ともやさんと家族 [私の好きな人]

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 今日の京都新聞朝刊を見てビックリ。

 1面左の部分、〜命ときめく日に 第1部 病から始まった 第3部 高石ともやさんと家族 「妻を、母を、自分が支える」〜

 自宅でギターを抱えた高石ともやさんの写真。横には大きく「みんなが少し生き方変えた」の大きな文字。

 月刊誌「ランナーズ」を読んでおられた方なら、今年の春まで連載されていた「てるえさんへの手紙」をおぼえておられるでしょう。(くわしくは、私の3/18のブログを見てください。)

 末期の大腸がんと診断された奥様を、家族みんなで支えていく決意を手紙にされていた。しかし、それは決意というよりは、自然な家族の姿、自然な高石ともやさんの姿勢が感じられた。

 今回の京都新聞の連載は、それをもう少しくわしく書かれているようだ。

 1面に続き3面へ。
 両手を広げ、笑顔満面の奥様の写真。1993年、アメリカ横断マラソンの時のものだ。

 そして、その横に「完治むずかしいけれど、負けず、引き分けくらいで」の文字。
 びっくらこいたー。

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今年6月8日、みかた残酷マラソンで

 私のブログをしっかり呼んでいただいている方なら、お分かりでしょう。6月10日の記事を見てください。
            ☆
 みかた残酷マラソンで高石ともやさんがゴールした時、私の背中に付けた応援メッセージの「のぼり」をあらためて見てもらいに行った。
 「ともやさん、さっき三宅誠孝さんにもゆってたんですけど、『ガンに負けるな』はちょっとあかんかったかなあ。『負けるな』じゃなくて、『ガンと引き分けよう』くらいがよかったですかねえ。」
 「そうそう、勝とうなんて思ったらダメ。『引き分け』、いいねえ。」
 「サッカーでよう言いますやん。『アウェイは引き分けで十分』って。ガンはアウェイやと思わなあかんのかもね。走りながらね、そんなこと考えとったんですわ。」
            ☆
 この話をした時、高石ともやさんは、「引き分け」という言葉にすごく感心しておられた。それをずっとおぼえてくれてはったんや。

 私は得意と言えるようななことほとんどないのだが、言葉に関することはちょっと自信がある。いろいろ考えていると、突然頭にひらめくことがある。「ガンと引き分け」という言葉も、みかたのきつい坂を上ったり下ったりしている時にひらめいた。

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ともやさん、私、三宅さん

 あの時は、マネージャー役を務められていた三宅誠孝さんもいっしょ。
 先日、うちの店にお買い物にこられた高石さんのお話によると、三宅さんは体調をくずし入院されているらしい。(三宅誠孝さんについては、4/13のブログを見てください。)
 三宅さんは、ガンで去年の8月までの命と宣告された。しかし、それから1年3ヶ月、まだまだねばっておられる。
 そう簡単に死んでもらったら、私も困る。もっともっといろんなことを教えてもらいたい。

 とりあえず、明日、病院にお見舞いに行こう。いやがられても、このブログをプリントアウトしたものだけでも渡してこよう。

 「三宅誠孝さん、ガンと引き分けましょう」
 「高石てるえさんも、ガンと引き分けましょう」

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