2014年05月28日(水)
第53回勝手に国労応援ラン [ランニング]
今日の1枚はこれ。
JR草津線の線路沿いを走っていると、横の藪に動くもの発見。すばやくカメラを取り出して撮ってみると、「リス!」
「駅伝はおもしろいと思うけど、クラブ主催とかの駅伝は駅伝と言うよりリレーやんなあ。JR主催で、ほんまに駅ごとでたすきを渡す駅伝をやったらおもしろいのに・・・」とか走りながら考えていた。
そんなときに姿を現してくれたリス。走っていたら、なんやかやとおもしろいことがある。
最近全然走る気かわいてこない。今月の後半はひどい。2回しか走っていない。
こんなとき「月の最終水曜日は『勝手に国労応援ラン』をする」と決めていると、いやおうなく走りにいけるのでありがたい。
今日は最高気温が30℃を超えるというし、「仮想・沖縄ラン」にはピッタリのコンディション。「これは、一番暑くなる2時すぎから走るのがいい。」
先月の続きで、JR草津線・石部駅へ。今回は比叡山の山中越えで大津に出て、近江大橋を渡り草津から石部へ。
先月「石部って、どこじゃい」と失礼なことを書いてしまったが、石部は東海道五十三次の有名な宿場町だった。
出かけるときあわてて、用意していた「ランナーズ9の会」の黄色Tシャツを置いてきてしまった。普通の格好で走っても何のアピールランにもならん。「普通のおっさんがひーひー言いながら走っているだけ」になってしまう。
まあJRのローカル駅を紹介しながら走るということで、遠回りに国労の応援に・・・、って無理ですか?
駅近くの有料駐車場に車を入れ、3時前スタート。気温は30℃を超えている模様。
国道1号線に平行して走る甲西農道。
歩道が広くて走りやすいのだが、周りは麦畑。ほかには何もない。
変化に乏しいところを走り続けていると、駅が見えるとホッとする。
甲西駅到着、3.63km、22分08秒。
殺風景な駅に見えるが、こちらは裏口。国道1号線方向に向いた正面玄関はもう少しにぎやか。
ここらを走る車両は緑。
広大な麦畑を走り抜けていく。
途中で農道が終わり、旧東海道へ。
狭くても、走るにはやっぱりこんな道のほうがいいかなあ。
踏み切りでちょうど電車が通過。これはさっきのと色がちがうので特急かな。
三雲駅到着、7.64km(4.01km)、47分59秒。
このあたりはJRの線路と川に挟まれた道で、ほかに何もなし。家もなければ、通る車もほとんどなし。
そのとき、道の横で「カサカサ」という音。
ヘビでもおるんかいなとよく見たら、リス。
一瞬止まってくれたので、うまい具合に写真が撮れた。
もう1枚撮ろうとしたとき、ぴゅうー。
どっかいっちゃった。
ガンガン照りで、首に巻いてきた濡れタオルもパリパリに乾いてしまった。
さっきからずっと横に流れている川は「杣川」というらしい。
このあたりの住民の気配がまったく感じられない家を通過したとき、横の小屋でなにやら動くものが。すぐに引き返すと、なんとかわいいワンちゃん。
「えっ、このおうち住んではるんや。ワンちゃん、だいじょうぶかー。」
全然ほえずにこっちを見ていたが、「たすけてー」とは言っていないようだったのでだいじょうぶでしょう。
貴生川駅到着、13.16km(5.52km)、1時間21分38秒。
ほんとうはもうちょっと先まで行きたかったのだが、ここで電車に乗らないと次の電車までだいぶあいてしまう。
16時32分の草津行きがあり、ちょうどよかった。
ホームに降りると、橋が落ちて運休中の信楽高原鉄道の電車が停まっていてた。
せっかくなんで記念撮影。
前のほうは甲賀忍者の絵。
後ろのほうは信楽焼きのたぬきの絵。
やっと復旧のめどが立ったらしい。信楽高原鉄道はJRから切り離された第3セクターだが、ここを走ってみるのもおもしろい。
来ました、緑の車両。
貴生川〜石部間は240円。
つい今走ったコースを眺めながら電車の旅。これがすごく贅沢な感じがして大好き。私と同じように「一人駅伝」をしている人をあまり知らないが、これはお勧めですよ。
【中野勇人さん情報】
元国労・中野さんの国会前アピールラン行動は、5月14日(水)に第26回を実施。26周(約32km)を走られた。
最近、「LCC利用の関空〜成田往復+都内ホテル」が格安で出ている。これなら安くで行けるので、「国会前アピールラン」も行きやすくなった。
来月は6月25日(水)。「おっ、また水曜。これは久しぶりに参加させてもらおうか」と思ったら、なんとこのときは私はちょうど沖縄。
でも、こうしてブログ「国鉄闘争」で予告してもらえると計画が立てやすい。今年中には必ず一度は走りに行きたい。
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2014年05月27日(火)
「一人沖縄平和ラン・2014」計画 [ランニング]

一人沖縄平和ラン・2013
今年も6月23日「沖縄慰霊の日」に、那覇から名護までの約70kmを「平和・憲法九条」ののぼりを背負って走ります。
去年は暑さよりも海風にやられたという感じで、半分も行かない30kmあたりでコブラがえり。そこからほとんど歩きになってしまい、55km地点の「みゆきビーチ」で撤収。ああ、情けなや。
今年は根性入れ替えて、「最低でも完走」をめざします。
去年の6月23日はうまい具合に日曜だったが、今年は月曜。それも日程変更第1回目となる「兵庫神鍋高原マラソン」の翌日。マラソンが終わったら急いで片付け、京都まで戻って荷物を持って関空へ。関空発沖縄行き最終便で那覇へ。那覇のホテルに泊まって、翌朝名護に向けて出発。
かなり強硬日程ですが、まあこれも遊びですから贅沢は言うまい。
那覇を8時に出て、名護市役所に7時に着きたい。去年は宜野湾市の嘉数高台と読谷村の米軍上陸の地に寄る予定で出発したが、今年は欲張らずまっすぐ名護をめざす。
先日の「香住ジオパークフルマラソン」でのぼりを背負って海沿いの42kmを走り通せたので、去年みたいなふがいないことにはならないでしょう。
もう残り1ヶ月を切ったので、これからは無理をせず、体調を整え、故障だけはしないように気をつけること。
月曜7時は、真樹はバイトかなあ。自動車教習所かなあ。部活かなあ。去年は名護市役所のゴール地点で迎えてもらう予定だったが、今年はお迎えには来てもらえそうにない。しゃーないなあ。
でも、翌日午後から真樹といっしよに西表島に行く予定。4年前とほとんどいっしょで、6月25日は星砂の浜で泳ぎ、よんなあよんなあさんの犬めぐりツアーの一日。
こっちが楽しみなんですわ。

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2014年05月21日(水)
扶桑橋ラン [ランニング]
土日月火と4日間走れなかった。腰痛などの体の痛みではなく、なぜか走る気が起こらなかった。こんなことはめずらしい。何もしていないのに動悸が激しくなったりもした。
「歳ですかねえー。」
今日は雨上がりで涼しくなった。こんなときこそ走りに行かねば。
先日の「香住ジオパークフルマラソン」のTシャツを着て、めざすは鞍馬温泉の奥。
それにしてもこのTシャツ、なんか背が高く見えるじゃないですか。
二の瀬の猟犬。
ここで3km、17分。走り出したら何とか走れるもんですね。特にしんどいということもない。
二の瀬トンネルの鞍馬側出入り口。
このちょっと先にきくのそっくりさんがいるのだが、今日は留守。家に入れてもらっているのかな。
鞍馬寺山門前。
ここで5kmちょっと。
鞍馬温泉前。
6km、33分。
ああ、森林浴!
鞍馬簡易水道の浄水場を超えて。
扶桑橋到着。
7.5km、42分47秒。
ここで引き返したらちょうど15kmになる。雨も降ってきたことだし、引き返そう。
雨はしばらくするとやみ、日が差してきた。
貴船口でもう一度きくのそっくりさんを探したが、やっぱり留守。残念!
自宅到着、7.3km、38分43秒。
なんでか知らん帰りが200m少ない。GPS腕時計もええかげんなもんですなあ。
まあ、14.8kmも気持ちよく走れたしいいか。
「香住」のTシャツ、「笑うしかないようなシンプルなデザイン」と酷評していた人があったが、私はこんなん好きですけど・・・。
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【今日のきく】
「きくちゃん、わろてんの?」
「へへへ・・・。」
「きくちゃん、わろてんの?」
「ふぁっふぁっふぁっふぁー・・・。」
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2014年05月15日(木)
あんも・葵祭・本土復帰 [ランニング]

2011年5月13日
「5月15日は、あんもの命日やな。もう3年や」と私。
「ほかのネコさんらの死んだ日は何にも覚えてへんくせに・・・」とヨメさん。
「5月15日は葵祭やし、忘れへんねん。(沖縄の本土復帰の日でもあるし。)」
あんもが死んでしまったとき、私の人生で最高と言っていいくらいに泣いてしまった。たぶん、この先にこんなに泣くこともないだろう。「あんもの死」は、確実に「私のターニングポイント」だった。
沖縄の本土復帰42年、42年前は私がまだ16歳(高2)の時。
娘の大学進学によって、この歳で沖縄に関われていることがうれしい。これからも何やかや理由をつけて、沖縄に関わっていこう。
去年の5月15日のブログ「あんもをしのぶラン」を見ると、今年とほとんどいっしょ。見比べたら笑ってしまう。
まあ、あんもの生まれ故郷・雲ヶ畑には行っておかなくては。
今日も午後からバイトなので、朝10時に自宅スタート。今日は、昨日おとといは一変涼しくなった。
去年も撮りました「シャガ」の花。
あんもを弔ってくれているような・・・。
雲ヶ畑に入ると、突然の雨。
「天国のあんもが泣いている」と一瞬思ったが、あんもは地獄行きでした。地獄で、パオパオが来るのを首を長くして待っているはず。忘れてた。
雲ヶ畑に来るといつも励まされる横断幕。
たしか、私の兄の高校時代の同級生のおうちです。
着きましたー、雲ヶ畑小中学校。
1989年の夏休み、ヨメさんが学校の近くで中くらいの黒猫を保護。そのまま、私がいた職員室に持ってきた。
「ネコ7ひきもおんのに・・・」とか言っていたが、黒猫は黒猫でまたかわいかった。それから22年近く、先住ネコにいじめられたのによう長生きしてくれたなあ。生きてたら、もうすぐ25歳やったんやなあ。
学校前で約9.2km、52分56秒。
ここで小雨に。
私も校門前で1枚。
あんもをしのんで黒Tシャツで走ったらよかったかも知れないけど、山道はカーブが多く、木が生い茂って薄暗いいところも多かったので車が来ると危ない。今度、黒猫Tシャツを見つけて買おうっと。
帰りは下りだが、できるだけ上りと同じくらいのスピードを意識して。
中島みゆきの「まつりばやし」を口ずさみながら・・・。
肩にまつわる夏の終りの風の中
まつりばやしが今年も近づいてくる
そうか、「まつり」と言えば秋祭か。でも、あんもちゃんを思い出す時はこの歌もセットなんですよねー。
東北部クリーンセンター手前の寒暖計は18℃。
走りやすいはず。
自宅到着、なぜか約9.6km、52分59秒。
同じ道を走ったのに、行き帰りで0.4kmもちがうとは・・・。
おかしいことはおかしいのだが気にせず、今日は18.8km、1時間46分の「あんもをしのぶラン2014」ということにしておこう。
「あんもー、もうすぐ行くから楽しみにして待っといてやー、地獄で。」
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◎京都新聞より
緑ぬれ古都華やぐ 葵祭、平安王朝の雅を再現
京都三大祭りのトップを飾る葵祭が15日、京都市内で繰り広げられた。平安王朝の雅(みやび)を再現する行列が、フタバアオイを揺らしながら新緑まばゆい都大路を、しずしずと進んだ。
曇り空、気温19・4度(京都地方気象台調べ)。総勢約500人、牛馬計40頭の行列は午前10時半、「路頭の儀」として、京都御所(上京区)の建礼門前を出発した。前方の「本列」では神への供え物を収めた「御幣櫃(ごへいびつ)」が運ばれた。いっとき小雨もぱらついたが、牛車が車輪を「ギシギシ」ときしませ、行列で最高位の近衛使(このえづかい)代は威儀を正して進んだ。
あでやかな「斎王代列」(女人列)が後に続いた。玉砂利を鳴らす命婦(みょうぶ)に先導され、十二単(ひとえ)姿の斎王代、神戸大2年の太田梨紗子さん(20)が乗る腰輿(およよ)が近づくと、見物客は席を立ってカメラのレンズを向けた。沿道では約2万3600人(午前11時現在、京都府警調べ)が見守った。
行列は下鴨神社(左京区)で「社頭の儀」に臨み、午後に上賀茂神社(北区)に向かう。
葵祭は両神社の例祭。正式には「賀茂祭」といい、起源は6世紀までさかのぼる。
【 2014年05月15日 14時00分 】
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半世紀余りにわたって、故郷への思いを琉歌に託し続けてきた宮城正雄さん=兵庫県尼崎市で、高尾具成撮影
◎毎日新聞5月15日朝刊
亡き母へ 沖縄へ 9条へ
心託す 琉歌30音
米寿(とうかち)ゆ迎(む)けて 振り返(けぇ)てみりば 平和世(ゆ)ぬ宝 幾世(ゆ)までぃん。
沖縄は15日、本土復帰から42年を迎える。戦中から兵庫県尼崎市に住む沖縄出身の宮城(みやぎ)正雄さん(87)は半世紀余り、沖縄に伝わる短歌「琉歌(りゅうか)」に故郷への思いを託してきた。沖縄戦で母を亡くしたが、米軍軍政下の古里に帰れず遺骨と対面したのは戦後13年目だった。 「幾代を経ても平和な島であれ」−−。そう願い続けている。【高尾具成】
尼崎の87歳「忘れないことが孝行」
「普段は関西弁やけど、琉歌の30音を刻む時はウチナーグチ(沖縄方言)」。琉歌は琉球古典民謡の基本とされ「8・8・8・6」の音数律を定型とする。沖縄県人会兵庫県本部(尼崎市)で続く月1回の琉歌の合評会で、宮城さんは最高齢の参加者だ。1950年代からわき上がった復帰運動に共鳴し、会社勤めの傍ら関西を拠点に琉球芸能の舞台監督や演出を手がけ、復帰の実現を訴えた。琉歌を詠み始めたのはこの頃だ。
27年、沖縄の旧美里村北部(現うるま市)に生まれた。太平洋戦争中に16歳で徴用され、大津市の軍需工場で特殊潜航艇を製造。44年に移った尼崎で敗戦を迎えた。2年後に母カメさん(当時38歳)の死を知った。
45年4月。米軍の沖縄上陸後、カメさんは山中に隠れ、深夜や早朝に水やサツマイモを運んだ。6月1日早朝、沖縄本島中部の恩納村喜瀬武原(きせんばる)で近所の主婦と芋掘りに行く途中に米兵に撃たれ、即死した。主婦は足を撃たれたが生き延び、カメさんの遺体を溝に隠して芋の葉をかけた−−。
宮城さんは軍政下の沖縄に渡るために必要なパスポートを何度も申請したが、発給されなかった。理由は不明だが、宮城さんは「復帰運動に関わったからかもしれない」と振り返る。結婚後の58年、やっと古里の土を踏んだ。
当時の沖縄では遺族に配慮し、骨を勝手に埋めたり動かしたりしなかったという。母の最期を知る主婦の案内で現場を訪ねた。芋畑はサトウキビ畑に変わり、散らばった遺骨と一緒に髪ひもが残っていた。「親孝行をしたかった。ウチナーグチを、沖縄を忘れないことが今の私にできる孝行なんです」。母がこうして亡くなったことをずっと語り残していこう、と思い詠んだ。
戦場(いくさば)に散(ち)たる 母親(うやがなし)哀(あわ)り 子孫代までぃん 沙汰ゆ残(ぬく)さ
宮城さんの父・伊波政貞さんは26年ごろにブラジルに単身で渡り、農園などで働いた。家族を呼び寄せようとして果たせぬまま、復帰前年の71年に死去。連絡が途切れがちで消息がつかめず、帰国した移民から父の遺骨を受け取ったのは88年だ。母の墓に納めた。
安倍政権は集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更に向け、15日にその方向性を発表しようとしている。
宮城さんは今月、本土復帰の日に向けて詠んだ琉歌を合評会で披露した。「憲法9条をノーベル平和賞に」との市民運動が認められたと報じられ、胸が躍った。「9条は平和の象徴。なんとか、踏みとどまれないものか。もう何年も生きられんからこそ、こう詠むんです」
ノーベル(賞)候補に 憲法九条 夢叶(いみかな)てたぼり 命(ぬち)どぅ宝
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2014年05月14日(水)
シネマラン [ランニング]
映画を走って見に行くと一石二鳥。
ただし、今日も最高気温が29℃の予報。走って行って映画を見るというのは、汗ビチョビチョになりほかのお客さんの迷惑になる。これは見終わった後走って帰るということにしよう。
「京都シネマ」で見たい映画は、「夢は牛のお医者さん」と「そこのみにて光輝く」。2本とも見ようと思ったが、完全に上映時間が重なっていた。こういう場合は、上映期間が早く終わるほうを優先。「そこのみにて光輝く」を見ることにした。
行きはバスと地下鉄。11時45分に家を出て、12時20分過ぎに到着。映画は12時50分からだったので、コンビニで買ったサンドイッチをゆっくり食べられた。
「そこのみにて光輝く」。
「輝いてへんぞー」と言いたくなる重い映画。終わった後、走って帰る元気が残っているか心配になるようないい映画だった。(くわしくは、明日のバイト中に書きます。)
さあ気を取り直して、COCON烏丸前を3時にスタート。
外はカンカン照りだと思っていたが、曇り空。ただし湿度は高そうで、走るには暑い。今日はランパンではなく長ジャージということもあるし・・・。
以前もここから走って帰ったが、鴨川を通って帰ると9.7kmくらい。今日は鴨川を通らず、もっと直線的に最短距離で帰ることにした。
烏丸丸太町、御所の西南角で1.5km、9分。
烏丸通に面するお店のウインドウに映る自分の姿。
「なんちゅう太い胴回り。これで入賞狙うなんておこがましい。せめて体重60kgを切らなくては・・・。」
烏丸今出川、同志社大前で2.7km、16分。
京都に誰かえらいさんが来ておられるのか、交差点にはたくさんの警官。空にはヘリ。
北大路駅前を右折し北大路橋へ。4.6km、27分。
いつもならこのあたりから鴨川を北上。今日は、京都府立大の南側を通り、左折してそのまままっすぐ北へ。
北山駅前、5.8km、35分。
ここまで来ればあと3km。
前に見えている山をまっすぐ登れば最短距離。めっちゃきつい坂やけど・・・。
自宅到着、8.83km、53分47秒。
これで地下鉄+バス代計450円は節約できた。
走った距離は少なかったが、やっぱり汗ビチャビチャ。こうして、少しずつ暑さになれていけますように・・・。
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2014年05月13日(火)
暑い日こそ走ろう! [ランニング]
「明日の京都の最高気温は30℃を超えるでしょう。」
昨日の天気予報を聞いたとき、「明日は絶対に昼の暑いときに走ろう」と思った。
もちろん「一人沖縄平和ラン」対策。できるだけ日なたを選び、アスファルトの照り返しがきついところを走る。信号待ちで止まった場合も、絶対に日影に入らない。これで、12kmほど走りたい。
3時半ごろ自宅スタート。うちの辺は京都盆地の北の端なので、30℃までは行っていない。ただし、走り始めてすぐ息苦しくなった。ええぞー。これでこそ、仮想・沖縄。
国際会館前で2.7km。
突き当りを右折して白川通りへ。
松ヶ崎橋で4.8km、28分。
ここから北山通りを西へ西へ。
まっすぐな北山通りは飽きる。
でも、京都の中では沖縄の通りに一番近いかもしれない。
北山大橋東詰で7.6km、45分.
ここは7年前まで「京都キャロット」があったところ。今はきれいなブライダルショップになっている。
上堀川の北郵便局前で8.3km、49分。
この先も北山通りは続くのだが、これ以上いくとオーバーワーク。ここを右折すると、家まででちょうど12kmくらいになるはず。
御薗橋で9.1km、54分。あと3km。
さすがにかなりのどが渇いた。
「京都キャロット」前まで来ると、あと650m。
「きくちゃん!」
こちらに気づいたみたいだが、まず家まで。
「すぐ、お迎えに来るしなー。」
家到着、12.1km、1時間13分10秒。
これくらいでは耐暑ランの練習にはならんかな。
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【今日のきく】
家に戻ってすぐ店へ。
きくは大喜び。
ところが、帰り道で「パンパーン!」(猿追いの脅しのピストル音。)
「腰抜けたー。」
ここから家まで帰るのがたいへんだった。
きくちゃんはパオパオといっしょ、ビビリンチョの弱虫やね。
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