2014年12月17日(水)
花背交流の森・翠峰荘で誕生会 [家族]
兄・優三が段取りしてくれた父の誕生会。
うちのいなかから北へ6kmちょっと、花背八桝町の山村都市交流の森。その中の「翠峰荘」さんでの昼食会。
ここなら父の家から車で10分。昼食会なら3時間ほどなので、父も安心。
それに、ここには兄夫婦の次男の拓郎君が働いている。本当にいいところを見つけてくれました。
うちのヨメさんが仕事で欠席だったが、姉夫婦二組と兄夫婦、それに私をプラスして合計8人での誕生会になった。
私とみき江姉夫婦は京都バスで。
11時半ころ「花背交流の森前」で降りると、拓郎君が迎えに来てくれていた。入口から翠峰荘さんまでは数百メートルだが、氷点下の中を歩くのはつらい。
あとで聞くと、父や兄夫婦、多鶴子姉夫婦もこの車で送ってきてもらったとのこと。至れり尽くせりです。
立派な建物の中へ。
私がここに来るのは、2012年9月以来。「ランナーズ9の会」のSay Shoeさんとお昼ごはんを食べに来て以来。
みんな揃ったので、まずは記念写真(トップの写真)。
今日は牡丹鍋と寄せ鍋。
みき江姉夫婦からは、お花のプレゼント。
私は何もなかったので、5年前の米寿お祝いの時の写真を大きくして持って行った。
兄・優三のあいさつ。
私の母は、死ぬ間際に「なんでも兄ちゃん兄ちゃんゆうて聞かなあかんで」と言って遺した。それは、「こうじは末っ子で甘やかして育ててしもたけど、ゆうぞうはしっかり育てたさかい」という意味だと思う。もちろん、母の遺言はずっと守っている。
ずっと昔に一度だけ食べたことのある牡丹鍋。めったに食べられない物なので、こちらのテーブルに座った。
自分の子たちとその配偶者だけなので、父も気遣うこともなくリラックスできていた。
父をはじめみんな高齢なので、畳に座るより椅子が楽。
送迎車やバスで来ているので、ビールも気がねなくいただいた。
兄が中心になって、いろいろな話題で盛り上げてくれた。
私的には、「権力を持った女の人は西太后になる理論」がおもしろかった。「自分のお気に入りばかり周りにつけているようでは、後継者は育たん」と。
また、うちのヨメさんのこと、廉や真樹のことも話題にしてくれていた。「気配りの優三さん」の本領発揮だった。
翠峰荘さんから、12月のプレゼント。
恵藤兄さんは、一番大きなものをゲット。中身はバッグだった。
私はかわいいお人形さん。父にはピッタリの手鏡だった。
隆雄兄さんは、得意のマジックを披露。千円札が一万円札に!
ここら界隈では、「マジックの隆雄さん」と有名になっているらしい。
「来年には、おじいさんとおばあさんの歴史をまとめて本にでもしょうかと思てんねん」と、兄・優三の締めのあいさつ。
「こうじは文章書くのがうまいし、じょうずにまとめてもらえたらなあと思ったり・・・。」
兄は、出来の悪い弟をほめるのもうまい。
私らが帰るバスの時間になったので、2時半ころお開きに。
父のいつもの立派なあいさつを楽しみにしていたのだが、その時間がなくなってしまった。でも、今日で終わりではないし・・・。
拓郎君の運転で、全員父の家へ。
父の家から、私とみき江姉夫婦は京都バス。
兄のおかげで、いい父の誕生会ができた。父もすごく喜んでいた。
次は、12月30日の「おもちつき」やね。それにはヨメさんと廉も来れると思うので、またよろしくお願いします。(沖縄にいる真樹が来れへんのが残念やけど・・・。)
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【今日のきく】
いなかからバスで帰ってくると、きくちゃんがてぐすね引いて待っていた。
「おちゃんぽ、行ってもらえますやんねえ。」
このごろはやりの、「待て〜こっちこい」。
「オッサンばっかりではあきる。にいちゃんかオバサン、はよ帰って来んかなあ。」
「がうがうがう・・・。」
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2014年12月14日(日)
59歳、還暦まであと1年 [家族]
今日は私の59歳の誕生日。
ヨメさんがケーキを買ってきてくれた。
60歳まであと1年。
これからの1年は、亀岡の快速ランナー・松本一之さんへの挑戦権を得るためにがんばる1年。
そして、家族の和をリストラ(再構築)できるようにがんばる1年。
あと、薄くなった髪の毛をリストラ(再構築)できるようにがんばる1年。うーん、これは無理かなあ・・・。
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2014年12月05日(金)
藤井善一、93歳 [家族]
今日12月5日は、私の父・善一の誕生日。
1921年(大正10年)生まれなので、今日で93歳。
今年も恒例の誕生会をしようと思っていたのだが、長時間の外出はしんどくなってきたらしい。そら無理もない。この歳なんやから。
いつも面倒を見てくれている兄夫婦が、いなかの家の近くで誕生会ができるところを予約してくれた(12月17日)。
平日昼間ということで、我が家からは「いつもヒマな」パオパオしか出席できない。ちょっとさびしいが、「ターコおばさん」とかほかのメンバーが来てくれるでしょう。
このブログの中で父のことを書いたものを探してみた。「誕生会」と「もちつき」の記事が多い。子どもの成長もおもしろいが、おじいさんの年ごとの移り行きもまた味わい深い。
今度の誕生会に、写真をプリントして持って行こう。

2008年12月11日「おじいさんの誕生日」

2009年6月10日「父の似顔絵」

2009年8月15日「1945年8月15日」

2009年12月5日「祝米寿・藤井善一」

2009年12月30日「善一家大もちちき大会」

2010年1月23日「藤井善一米寿お祝い」

2010年12月8日「父の誕生会」

2011年1月11日「おかちゃんの思い出」

2011年12月15日「90歳の野心」

2011年12月30日「餅つき2011」

2012年9月22日「別所運動会2012」

2012年12月19日「91歳」

2012年12月30日「おもちつき2012」

2013年12月11日「私の父は92」

2013年12月30日「もちつき2013」

2014年6月12日「花背出張所へ」

2014年9月22日「父へのみやげに鬼饅頭」
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2014年10月22日(水)
真樹のひと言 [家族]
今回の沖縄行きでは、真樹がたくさんしゃべってくれた。いつもだと、必要なこと以外はほとんどしゃべらない真樹なのに。
その内容をここにくわしく書いてしまうと、また問題を起こしそうなので自重。真樹がぼそっと言ったひと言くらいなら書いてもいいかな。
まずはマラソン前日。
民宿「ヨナ・パハレ」さんの近くの前浜ビーチでのこと。
「きれい、透き通ってる!」
旅行前、海に行くのを誘ったのだか真樹はあまり乗り気でなかった。しかし朝からカンカン照りで、ちょっとビーチに出てみようという気になったみたい。
ぞうりも持ってきていなかったので、前浜ビーチにある「東急リゾート」さんの売店で一番安いぞうりを買いビーチへ。
その雪のような細かい砂浜と、透き通った海を見ていっぺんに宮古島が好きになったようだ。
「こんなとこで働きたいな」とも言っていた。
そして翌日の「宮古島マラソン・ハーフ」。
そのゴールで、メダルを首にかけてもらったときのひと言。
「初めてメダルもらった!」
今まで、2013おきなわマラソン29km、2013NAHAマラソン30km、2014おきなわマラソン31kmまでだったので完走メダルはもらえず。今回はハーフだったけど、やっと完走メダルがもらえた。ほんとうにうれしそうだった。
中1のときハーフを2時間20分で完走して以来、7年ぶりの完走。あのときより30分以上時間がかかったが、うれしさは2倍くらいあったのかも。
走ることがずっと好きでいてくれて、パオパオはうれしい。
最後に、名護に帰ってきた夜のひと言。
「なんか買って帰ろうか。」
5時から10時のバイトは、実際に後片付けが終わって帰れるのは10時40分すぎ。そのころ、私の携帯に真樹から電話がかかってきた。
真樹のところに行った時は、夜に「ゆんたく」するのを楽しみにしている。それでも、さすがに夜11時ころからではしんどがるやろなあと思っていた。だから、真樹から電話がかかってきて大喜び。「スーパー・かねひで」に集合して、いろいろなものを買って帰った。
ハーフマラソンもいっしょに走れたし、いろいろなところにもいっしょに行けたし、とにかくたくさんしゃべれたのが値打ちだった。また行きたいなあ。
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2014年09月22日(月)
父へのみやげに鬼饅頭 [家族]
昨日の大江山登山マラソンの帰り、いなかの父の家に寄った。おみやげに買った「鬼饅頭」を持って。
前にだれかのおみやげでもらって喜んでいたのを、ヨメさんが覚えていた。
「きっと喜んでくれはるわー・・・。」
父の家に着いたのは、夕方6時すぎ。
父は晩ごはんも終わり、デザートぽいものを食べていた。
「おじいさん、久しぶりやけど誰か分かるか」とヨメさんを指さして聞いてみた。
「分かる、分かる。」
「学ちゃんのヨメさんとちがうで。」
「そんなん、まちごうてもろたらうれしいがな」とヨメさん。
一応眞寿美さんは、藤井善一家の中で、かわいらしさでは牧子さん(私の甥の学のヨメさん)と張り合っているつもりらしい。おじいさんの判定やいかに。
「鬼饅頭」のおみやげで、ポイントアップしたかしらん・・・。
うち用にももう1個買ってきた。
あんこが480gは圧巻。
味もすごくよかった。
ただし、饅頭が鬼の顔の形だと思い込んでいたのでちょっと残念。
92歳の父は、食べる方は全然だいじょうぶらしい。
だいぶ動きにくくなったようだが、今日の運動会にもがんばって出たらしい。廉が運動会に来ていたことも喜んでくれていた。
また、なんかおみやげ持って行くわー。それまで元気でねー。
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【今日のきく】
金沢行きの準備をしている間、きくは車の陰で待機中。
決して怒っているわけではありません。
あくびの途中はこんなんです。
ほんとはこんなかわいい「見返り美人」。
「かしこう、待っててね。」
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2014年09月06日(土)
明日は名護市議選 [家族]

海保職員にボートに引き上げられる市民や、カヌーに乗って抗議する市民ら=30日午後12時8分、名護市辺野古沿岸(沖縄タイムス)
◎YAHOOニュースより
名護市議選告示 辺野古焦点、35人立候補
産経新聞 9月1日(月)7時55分配信
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古移設への賛否が焦点となる名護市議選(定数27)が31日告示され、辺野古移設容認、反対両派の35人が立候補した。辺野古移設に反対している稲嶺進名護市長を支える与党と、移設を条件付きで容認する野党が激しい選挙戦を展開。7日に投開票される。
現在の議会構成は与党15人、野党10人、中立の公明党2人。市議選に立候補したうち与党系は16人、野党系は15人とされ、公明党も現職2人が出馬した。
沖縄県の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事は昨年12月、政府の辺野古の埋め立て申請を承認したが、今年1月の名護市長選で稲嶺氏が移設推進派の候補者に勝利した。政府は移設に使う作業場を設けるため、辺野古漁港を埋め立てる計画だが、埋め立てには稲嶺氏の許可が必要で、稲嶺氏は許可しない方針だ。
市議選で与党系候補者は移設反対を強調し、議会の過半数を維持することで市長、議会がそろって移設に反対する姿勢を改めて鮮明にしたい考えだ。
一方、移設を容認する野党系候補者は、保守支持層でも移設への異論があるため争点化を避けたいところだ。稲嶺市政で市の経済が停滞していると主張し、政府との協調路線による経済振興を前面に打ち出す。
公明党の候補者は辺野古移設に反対している。
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沖縄県名護市に住む真樹は、今年8月23日に20歳になった。11月の沖縄県知事選が人生初の投票だと思っていたら、その前の9月に名護市議選があった。これが記念すべき初投票です。
私の初投票は、何の選挙だか忘れました。立会人として来られていたいなかの町内のおばちゃんが、「こうちゃん、はたちになったんかー」とつぶやいておられたのを覚えている。
そのあと、大昔の「7党相乗りの京都市長選」を棄権しただけでそれ以外は38年間全部投票した。(あれを行っておけば皆勤賞だったのに・・・。)
真樹は誰に投票するんでしょう。いや、もう「期日前投票」に行ったのかも。でも、京都とちがって全市1区で35人も候補者がいたら悩むやろなー。
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