パオパオだより

2014年11月18日(火)

「投げ出し」ではなく「こき逃げ」 [時事]

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うちはこき逃げていません。きちんと持って帰っています

◎毎日新聞11月18日夕刊

   橋下氏 出馬濃厚
          衆院選 公明 都構想拒否で

 橋下徹・大阪市長(維新の党共同代表)が、衆院解散・総選挙の場合、市長を辞職して衆院選に立候補する可能性が高まった。看板政策の大阪都構想を巡り、公明党との関係修復が困難になったためで、都構想を国政から進め、状況を打開する狙いがあるとみられる。その場合、松井一郎・大阪府知事(維新幹事長)も知事を辞職して、ともに衆院選に立候補する見通し。橋下氏は大阪3区、松井氏は大阪16区から立候補予定で、公明幹部の現職と対決することになる。


 維新は法改正による都構想実現を目指す公約作りに着手した。一方、市議会の公明、自民、民主系、共産の4会派は18日、橋下氏が出馬した場合、統一候補を擁立し、維新の後継候補と対抗する方針を確認した。

 大阪都構想は、公明など他党の反対で大阪府・市両議会が否決。橋下氏らは公明側に都構想の是非を問う住民投票実施まで協力するよう求めていたが、公明は「議会で都構想議案を否決した重みは大きい」と拒否する方針を決めた。橋下氏周辺は「公明との話し合いが駄目なら出るだろう」と語り、当初は出馬に慎重だった維新幹部も「2人とも出馬意欲は強く、止められない」と話した。

 ただし、両氏とも任期を約1年残しているだけでなく、橋下氏は今年3月に出直し市長選で再選されたばかりで、「投げ出し」との批判は避けられない。

 維新は2012年衆院選で、公明から都構想への協力を得る代わりに、公明候補のいる大阪・兵庫6選挙区で維新候補を立てない選挙協力をしたが、今年1月、決裂。橋下氏が公明の対応を「裏切り」と批判していた。

 大阪3区は大阪市住吉区、西成区などで、公明党大阪府本部代表の佐藤茂樹氏が、大阪16区は堺市堺区などで、公明党副代表の北側一雄氏が、それぞれ立候補予定。【熊谷豪、重石岳史】

 

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 「投げ出し」というと、相撲の決まり手のようでかっこいい。あれはそんなもんじゃなく、よそ様の大事な土地に○ンコなどを「こき逃げ」するようなもの。
 日本一のお下品市長もいいかもしれないが、「こき逃げ市長」という呼び名がふさわしいかも。

 「なんぼなんでもまただまされるほど、大阪の人もそこまでアホやないやろう」とヨメさん。
 「いやいや、どこまでいってもアホはアホ。だまされるもんはまただまされる」と私。こんなこと言ったら、大阪の人に怒られるかー・・・。

 私の予想。
 新大阪府知事候補→東国原英夫、新大阪市長候補→中原徹、ついでに新大阪府教育長候補→尾木直樹。一つでも当たったらおもしろいのになあとひとごとのように思っていた。
 すると、先日紹介させてもらったブログ「ドーラクチホーセージ」のやくもさんのツイッターを見てびっくり(「ゃましい山師」というハンドルネームで書かれています)。
 こんな手があったのか・・・。
     ◇

ゃましぃ山師
‏@shirasagi485
 法的な事は分からないが、仮に橋下氏と松井氏が衆議院選挙に出馬して当選しても、即座に辞職して身内に繰り上げ当選させて、また市長・知事選挙に出馬するんじゃないの。すると公明党は恫喝に屈するというシナリオなのかね。
     ◇
 まさかー、そんな江川みたいなこと!
 江川ゆうても、今の若い人には分からんわなあ。ドラフト制度の空白の一日を悪用して、勝手に巨人と契約したあの江川投手です。ちなみに私と同い年。

 衆議院選にも立候補して、当選しようが落選しようがまた知事選や市長選に立候補することは日程的には可能。これが実現できたら「衆議院選こき逃げのUターン市長」になれます。こんなおもしろいことをしたら、またあのだまされやすい人たちは何回もだまされてしまうんとちゃうやろか。

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【今日のきく】

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 きくは今日も店で大暴れ。
 私の手袋を取って振り回していた。

 夜は夜で、私にヤラセ「こき逃げ」写真をいっぱい撮られてめちゃくちゃ怒っていた。
 「ごめんなー。」

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【RUN】

 今日もちょっとだけ伸ばして、岩倉・三宅八幡の先の「ビューティーサロン・イトウ」往復8km。45分20秒。
 今まで痛かったところが、だんだんましになってきているように思う。

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 今日はヨメさんがお疲れのため、久しぶりに外食。
 ご近所の中華料理店「紅華」さんへ。大学生向けの店なので、安くて大ボリューム。ヨメさんはいそがしくて、夕方5時すぎにお昼のお弁当を食べた。その2時間後くらいの晩ごはんだったので、フーフー言いながら食べていた。

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2014年11月17日(月)

カチャーシー [時事]

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初当選が確実となり、カチャーシーを踊って勝利を祝う翁長雄志さん(中央)。左は妻・樹子さん、右後方は稲嶺進・名護市長=那覇市壺川で2014年11月16日午後8時32分、野田武撮影

◎毎日新聞11月17日朝刊

   オール沖縄の選択 翁長さん手踊りで喜び
               知事選「基地問題心一つに」

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設に、沖縄県民は「ノー」を突きつけた。16日投開票された沖縄県知事選は「辺野古に新基地は絶対に造らせない」と訴えた前那覇市長の翁長雄志(おなが・たけし)さん(64)が初当選した。普天間飛行場移設を争点にした5回目の知事選で、県民は初めて県内移設反対を明言した候補を選んだ。基地と経済振興に揺れてきた県民は「オール沖縄」に向けた一歩をしるした。【比嘉洋、前谷宏、平川哲也】

 「当選確実」の速報に、那覇市の翁長さんの陣営事務所は大勢の支援者の指笛と拍手に沸いた。支持者と共に沖縄の手踊り「カチャーシー」で勝利を祝った翁長さんは「県民のために党利党略を乗り越えて心を一つにできたのが大きかった。基地問題でも心を一つにして日米両政府にぶつかっていきたい」と決意を述べた。

 8月にボーリング調査を始めるなど辺野古移設を進める政府にタッグを組んで対峙(たいじ)する名護市の稲嶺進市長も駆け付け、翁長さんと固い握手。稲嶺市長は「知事と主張が異なり厳しい状況もあったが、これからは『辺野古移設反対が沖縄の声だ』と世界に届けたい」と満面の笑みで語った。

 かつて自民党県連幹事長を務め、辺野古移設を容認したが、2009年の民主党政権誕生を機に県外移設を訴えた。米兵事件への抗議や県内移設反対の県民大会には革新主導でも壇上に立った。12年9月、米軍のオスプレイ配備に反対する超党派の県民大会で共同代表に。13年1月には県内全41市町村の首長が署名した県内移設断念を求める建白書を政府に提出し「オール沖縄」をリードした。

 「ハイサイ、グスーヨ。チューウガナビラ(皆さん、こんにちは。ご機嫌いかが)」。陣営の集会は必ずウチナーグチ(沖縄方言)であいさつを始め「沖縄のアイデンティティー(存在証明)」を前面に打ち出した。

 翁長さんは県民の支持が得られた理由を「やはり沖縄のアイデンティティーだと思う。オール沖縄という新しい展開の希望、県民の思いの先頭に立ちたい」と話した。

 国土面積の0.6%の沖縄に全国の74%の米軍専用施設が集中する現状に「日本の国も変わっていただき、日本国民全体で安全保障を考え、負担をしてもらいたい。0.6%の沖縄にこんなに押しつけてはいけませんと申し上げたい」と述べた。

 ◇解説 「アメとムチ」に決別

 次点の仲井真氏に大差をつけた翁長氏の当選は、普天間飛行場の辺野古移設への県民の反発の強さを裏付けるだけにとどまらず、振興策とセットで米軍基地の維持を図ってきた政府の「アメとムチ」に対する沖縄の決別宣言と言える。沖縄は政府との協調を前提にした振興ではない新たな道を選択した。

 転換点となった知事選の素地は、民主党政権の県外移設断念や新型輸送機オスプレイ配備で積み重なった県民の憤りにある。保守層にも広がった対本土意識と自立志向は、増額された振興予算の提示2日後に辺野古埋め立てを承認した仲井真氏に対する厳しい批判になった。「県民が一つになって日米両政府と対峙(たいじ)を」と訴える翁長氏の主張が保革を超えて浸透するのは自然な流れだった。

 翁長氏当選で、沖縄県知事も名護市長も辺野古移設反対派になった。政府は知事選の結果に関わらず移設を進める方針だが、選挙に表れた民意の否定は地方自治の否定であり、民主主義国家とは言えない。仮に移設を強行すれば、県民には日本政府版「銃剣とブルドーザー」による基地建設と映るだろう。沖縄に渦巻く被差別感情と政府への反発は憎悪へと転化し、沖縄の基地は県民の敵意に囲まれかねない。

 政府は「辺野古がだめなら普天間が固定化する」と繰り返すが、それは政府の責任放棄に等しい。真摯(しんし)に日米間で県外移設を模索すべきだ。【佐藤敬一】

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 なぜか理由は分からないが、小さいときから沖縄が好きだった。小学生のとき、沖縄の「セント」と書いてある切手がほしくて文通をしたこともある。そのころは、子ども心に「日本やのに、なんで『セント』やねん」と思っていた。
 そんな沖縄だが、初めて訪れたのは1988年のNAHAマラソン。私はもう32歳だった。

 そして、次は娘の真樹が小6のとき(私は50歳)。1年上の九ちゃんのお母さんが沖縄の今帰仁村出身ということもあり、沖縄への興味が高まっていった。
 真樹が「沖縄、行ってみたいなあ」と言うので、沖縄返還の日の新聞記事にコメントを寄せられていた滋賀沖縄県人会の高間悦子さんにお話を聞きに行った(2006年5月)。そのときのことは、2008年1月に「高間悦子さん」という題で記事にしています。

 高間さんはすごく穏やかな方で、私がちんぷんかんぷんみたいな質問をしてもずっとにこやかに答えてくださっていてた。ただし、私のこの質問にはちょっと言葉を詰まらされた。
 「沖縄って、人が集まったら必ず『カチャなんとか』という踊りをするんですよね。」
 「ちがいます・・・。カチャーシーは、お祝いの場で最後にみんなで喜びあうときに踊るんです。」
 あとで理解できたのだが、高間さんは「沖縄は・・・」と何でもイメージだけで決め付けたように言われる発言が一番嫌いだったのだ。
 あの時も思ったけれど、初めてしっかりお話させていただいた沖縄県人が高間さんで本当によかった。最近はずっとお会いできていないが、真樹が沖縄に住んでいることを年賀状でお知らせしたときもすごく喜んでくださった。

 沖縄県知事選の当確が出たあとカチャーシーを踊る翁長さんや稲嶺さんらを見て、すごくうらやましかった。あの中に入っていっしょに踊れたら・・・。
 私はもう無理だが、真樹は沖縄に根を下ろして、カチャーシーが似合う沖縄人になっていくのかもしれない。

※今日のニュースステーションを見て
 「安倍首相、あなたの『日本を取り戻す』という言葉の中に沖縄は入っていますか」という翁長さんの発言はよかった。

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【今日のきく】

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 「なんかおる、なんかおる!」

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 「きくちゃん探検隊か!」

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【RUN】

 今日はいつもより1kmだけ伸ばして6km。33分38秒。
 キロ5分半くらいで走れてるからいいほうかな。

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2014年11月14日(金)

ザンの海に生かされた [時事]

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◎京都新聞11月14日夕刊(沖縄タイムス11月4日の記事を転載)

   豊かな海「命の恩人」
          辺野古の89歳女性 米軍キャンプ建設前語る

 米軍キャンプ・シュワブが造られて57年、普天間飛行場の移設計画が浮上して18年。昔語りを聞きながら、基地建設に覆われる前の辺野古を知りたいと思った。
 16日に投開票を迎える沖縄県知事選。名護市辺野古で生まれ育った島袋エイさん(89)の自宅を訪ねた。
                    (沖縄タイムス・矢島大輔)

 あれは7歳のころ、浜に生える大きな松の木に登り海面を眺めると、なめらかな曲線をした大きな生き物が横切った。

 イルカではない。「ザンじやないかぁ」。漁師の父に尋ねると、事もなげにそう言った。ジュゴンが食べる海藻を地では「ザン草」と呼び、当時は畑の肥料にするほど身近な存在だった。

 「あの海はよお、見た人としか話せないよお」。名護市辺野古で生まれ育った鼻袋エイさん(89)は言う。

 生粋の「辺野古人」。1957年に米軍キャンプ・シュワブが建設される前の「原風景」を知る数少ない一人だ。半農半漁の貧しい生活ながら、夫と共に戦後9人の子どもを育て上げた。「それは海のおかげさあね」

 海は命の恩人さぁね。波の音は子守歌だったんだよぉ。エイさんの昔語りが始まった。しわが刻まれた足裏には豊かな海辺の記憶が残る。

 海沿いのかやぶき屋根の家で生まれ育った。父はサバニ漁師。母は畑仕事をするとき、赤ん坊のエイさんを浜に生えるアダンの葉影で寝かせていた。

 ある日、授乳に向かうと、娘の体が熱い。意識を失い、呼吸が聞きとれなくなっていた。駆け付けた助産師が海に流れ込む清流に浸すと、途端に行きを吹き返したという。物心付いてから聞かされたエイさんはしみじみ言う。
 「このころから、海に生かされていたんだねぇ」

 24歳のころ。漁師の久一さんと結婚し、夫のいさり火漁に同行した。暗闇の中、星座の方角でタコの穴を見つけ、モリで刺す。ロマンチックな夜だった。「新婚気分だったからねえ」と、恥ずかしそうに言う。

 干潮時にははだしで浅瀬を歩き、漁をした。砂浜に潜むヒラメに足を滑らせた。天然の真珠貝が雨後のたけのこのようにずらりと生え並んでいたこともあった。
 「ボケてないよぉ、ホントだよぉ」とズボンの裾を上げ、自宅の畳の上で砂を足でかき分けるしぐさをした。

 戦後9人の子どもを育てたが、重さ数十キロの海の幸を名護の市場で売り、別の食料や衣類を買って帰れば事足りた。「辺野古ではいくら子どもを産んでも食うには困らない」との母の言葉は本当だった。

 32歳のころ、米軍キャンプ・シュワブができた。基地から出る廃品のリサイクル業で生活は安定した。一方、思い出の松の大木や命を救ってくれた清流は姿を消した。海辺は立ち入り禁止になり上陸演習で水陸両用車が走る。フェンス越しに時々眺めるだけになった。

 80歳を過ぎ、地元住民向けの基地開放日に海辺を歩いた。白かった砂は泥のように濁り、油の匂いが鼻を突いた。

 宣伝カーが行き交う夕暮れ。自宅の軒先で洗濯物を畳みながら始まった昔語りは3時間に及んだ。

 あのころの海を語れる人はもう自分だけのような気がする。「案内できればよかったんだけどねぇ」。坂道を歩くのが難しくなった右足をさする。

 昨年、92歳で久一さんが亡くなり、1人暮らし。記者移設問題にふれると、「あれが終わるまでは生きたいねえ」と言った。先ほどまでの生き生きとした表情が、少しだけ曇った。

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 「途絶えた息が清流に浸すと吹き返した」というとこがいいです。
 「白かった砂は泥のように濁り、油の匂いが鼻を突いた」は悲しい。

 米軍基地がどうしても必要なら、京都に造ってもらったら・・・。
 あっ、丹後にXバンドレーダー基地ができるんやった。その分、沖縄の基地を減らしてもらえへんもんやろか。

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【今日のきく】

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 またまた店で大暴れ。

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 「ふんふんふぁんふぁんひーひー・・・」

 きくの大事なお仕事、眞寿美さんの警護をはや引き。
 そしたら、大○ッコと大○ンコ。
 しんぼうして、それで暴れてたんかなあ。

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【RUN】

 今日も、廉は午前中練習に行っていた。
 私は今日もいつもの5km。25分59秒。
 昨日よりだいぶ速く走れて気持ちよかった。

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2014年11月08日(土)

八百長会談? [時事]

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桜井誠・在特会会長(右から2人目)との面談を終え、会場を後にする橋下徹・大阪市長(左から3人目)=大阪市役所で2014年10月20日午後4時11分(毎日新聞)

◎THE PAGE 11月7日(金)10時0分配信    

   政治に逆流する排外主義 橋下市長・在特会会長の会談から見えたもの 
                  徳島大学准教授・樋口直人

 排外主義ってなんだ?――この言葉にピンと来ない人でも、10月20日に橋下徹・大阪市長と桜井誠・在日特権を許さない市民の会(在特会)会長が机越しに怒鳴り合ったシーンは記憶にあるのではないか。だが、あの珍奇な光景の本質は「会談」そのものではなく、翌日の記者会見にある。そこで橋下市長は、在日コリアンの在留資格である「特別永住」を廃止し、一般の外国人と同じ「永住」に一本化する必要があると述べた。この発言は何を意味するのか、在特会を調査した者として解説していきたい。

■排外主義運動の担い手たち

 家に引きこもってネットにかじりつき、中国、韓国を攻撃することで、不遇をかこつ自らの境遇に対する不満を爆発させるネット右翼。昨年の流行語大賞トップテンにも入った「ヘイトスピーチ」をまき散らすのも、そうした「異常な人たち」の行動にしかみえない――筆者も当初そう思っていたが、実際に調査して各国の研究結果と付き合わせていくと、「下層の鬱憤晴らし」という見方は間違いであると結論づけざるをえなかった。

 今年、私が公刊した『日本型排外主義』(名古屋大学出版会)で述べたように、排外主義運動の担い手は、年齢・職業・学歴的にさまざまで、活動家層ではむしろ大卒のホワイトカラーや自営業者が多い。社会的属性でいえば、男性比率が高いこと、独身者が多いのが目立つ程度である。将来への不安や生活への不満を軸に結集したとも言い難い。

 では何が共通点なのか。筆者の調査では、政治的に保守層である点ではおおむね一致がみられた。保守といっても、右翼的な教育を受けた者から、自民党に任せておけば安心という者、平等とか人権とか平和って胡散臭いという「左翼嫌い」まで一定の幅がある。だが、左派的な価値に懐疑的な「保守層」が担い手となった運動というのが、筆者が見聞きした限りの結論となる。

■極右政治家に呼応する排外主義運動

 では、なぜ保守層が外国人排斥を訴えるようになるのか。この問いに答えるには、運動の担い手より政治、特に排外主義運動に影響を与えている極右の変化を見た方がよい。「極右」とは、ナショナリズムと排外主義に対して「保守」より強硬な主張をする者を指す。日本ならば、2012年に東京都による尖閣諸島の買い上げを訴えた石原慎太郎氏を最高顧問に据える次世代の党が、典型的な極右となる。

 冷戦時、自民党内の極右政治家にとっての敵は圧倒的にソ連だった。冷戦後には、中国、北朝鮮、韓国という近隣諸国が極右の標的となった。東アジアには、歴史や領土問題のような解決困難な課題が山積している。ナショナリズムに訴える極右政治家は、拉致、尖閣、「慰安婦」といった問題での強硬発言により存在をアピールし、支持を調達する。

 在特会の活動家だったJは、「田母神がやっぱりこう、自分が目覚めるきっかけだった」という。元航空幕僚長だった田母神俊雄氏は、今年2月の都知事選で60万票を獲得した。在特会も、彼のような政治家に呼応したことで勢力を伸ばしたわけであり、「本体」たる極右政治家の主張を街頭で垂れ流す「影」のようなものでしかない。

■橋下発言の意味――政治へと逆流する排外主義

 冒頭で紹介した橋下氏の発言「特別永住を廃止すべき」は、「影」たる在特会の主張が「本体」に逆流したことを示す。在特会は、特別永住資格、朝鮮学校補助金交付、生活保護優遇、通名制度を「在日特権」とするが、これは意図的に各種制度の理解をねじ曲げた虚構にすぎない。だが橋下市長は、「特別永住」という資格に対して疑問を投げかけた。その根拠は「特別扱いは差別を生む」からだという(注1)。

 特別永住は植民地時代に日本国民だった者に適用される在留資格で、歴史的経緯から他の外国人とは異なる法律が適用されているにすぎない(注2)。橋下市長は、これを「特別扱い」と呼ぶことで、在特会の主張に呼応した。いかに極右政治家といえども、これまで特別永住資格の見直しを主張した者はいなかった。橋下市長は、日本の政治家で初めて在特会の主張を後押ししたわけで、それが橋下−桜井会談の本質ということになる。


(注1)『朝日新聞』2014年10月21日付(http://digital.asahi.com/articles/ASGBP3RLBGBPPTIL00C.html)
(注2)金明秀「特別永住資格は『在日特権』か」『シノドス』2014年10月22日(http://synodos.jp/politics/11245)

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樋口直人(ひぐち なおと)
 徳島大学准教授、社会学。著書に『日本型排外主義』(名古屋大学出版会)、『日本のエスニック・ビジネス』(世界思想社)、『国境を越える』(青弓社)、『顔の見えない定住化』(名古屋大学出版会)などがある。

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 昨日はまた、午後3時から11時半まで寮の管理代行のバイト。今回は、朝日、読売とも新聞ネタでいいのがなかった。

 しかしYahooニュースの「安い学費+独自カリキュラム 大阪市の公設民営学校が開設へ加速」という記事を読んでいると、「あわせて読みたい」という欄に先日の「橋下VS在特会」の記事が出ていた。
 私自身は、例の会談は「八百長くさいなあ」くらいにしか思っていなかった。「30分の予定が8分で打ち切りて、それはないはなあ」という感じ。ショーやったら「金返せ!」の世界ですね。でも8分全部を見てみたが、双方おんなじようなことの繰り返しばかりで、あれでは30分は持たんなあとも思った。
 吉本新喜劇のギャグの「今日はこれくらいでかんにんしといたろ・・・(フラフラ)」ちゅうやつですかね。さすが大阪!(ちがうか?)

 「会談を実現させたのは、双方にとって得なことがあるからにちがいない」とは思っていたが、それが何かはよく分からなかった。樋口さんがどういう方か知らないが、最後のまとめは「ふーむ、ふむふむ」とうなづいてしまう。
     ◇
 いかに極右政治家といえども、これまで特別永住資格の見直しを主張した者はいなかった。橋下市長は、日本の政治家で初めて在特会の主張を後押ししたわけで、それが橋下−桜井会談の本質ということになる。
     ◇
 掴みかからんくらいのけんまくに見えたけど、実は向いている方向はまったくいっしょやったりして・・・(パフォーマンス、パフォーマンス)。
 やっぱり、八百長?

 ふつうの人があの会談を見て、何のバトルか分かっただろうか。まあ、「下品さの競い合い」くらいにしか見えないのでは。そういう点では、市長が大差で勝利です。
 日本一わいせつな横山知事を生んだ大阪で、今度は日本一お下品な市長が誕生です。(「言葉づかいなどたいした問題ではない」と、そのあたりはご自身も認めておられるようです。)これは記憶に残りますね。

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【追加】

◎ブログ「ドーラクチホーセージ」より

2014年11月07日(金) 16時03分13秒
橋下市長に溜飲下げてもらっても意味がないのに
テーマ:論壇のような漫談

 先日、橋下市長と在特会の会長の公開討論がありました。
 内容は、お互いを罵り合うだけでどっちもどっちだったのですが、普段ヘイトスピーチを批判している反レイシストの人達が「橋下市長は支持しないが、あのやり方は効果的」と賞賛しているのです。

 たしかにヘイトスピーチ(レイシスト)に対して怒っているから、あの振る舞いに賞賛しているのかもしれないけど、言っておきますけど橋下市長に溜飲を下げてもらっても効果がないことは、これまでの実績が証明しているんですよ。
 それこそ、卒業式に君が代を歌わない教員に対し口パクチェックをしたり、不祥事が続く公務員に対し厳しい条例を施行したりしましたけど、相変わらず毎年卒業式には君が代を歌わず処分される教員が出ているし、公務員の不祥事が劇的に減ったという話は聞きません。
 また施行当時は公務員バッシングへの追い風があり、「橋下さんのやり方は強引だけど、あれくらいやらないとしょうがない」という声が多かったのです。ヘイトスピーチ問題も同じ構図じゃないですか。
 たしかにマスコミにレイシストの蛮行が取り上げられるようになったけど、公開討論後も相変わらずヘイトデモは続いているじゃないですか。テレビに映った嫌韓本も売れ出したそうじゃないですか。

 だいたい、あの公開討論の狙いは、世間を騒がしているヘイトスピーチに対してテレビカメラの前で止めろとアピールすることで、視聴者に好感を得ようとしたのと、その後に在日韓国・朝鮮人らに認められている特別永住資格を見直すと表明したように、都知事選挙の田母神氏のようなネトウヨ層の票を得ようとして、来年の統一地方選挙に弾みを付けようとしたのが狙いでしょう。
 選挙で勝てば何をしてもいいと公言している人なんだから、橋下市長の言動は何らかの形であれ選挙で勝つためのアピールと見ておくべきでしょう。

 それにしても、反レイシストの人達までも「賞賛」させる橋下市長の言葉には人を惑わす効果があるんだなあと思わざるを得ません。
 反レイシストの人達は維新に投票する事は今後もないと思うけど、彼らですら惑わされるのなら何も知らない一般の人は今後も惑わされるのだろなあと思いましたわ。

 同じ橋下不支持の人でも、これまでの大阪の行政での振舞いを知っている人に言わせれば、そもそも公開討論会を開く意味がないというツイートがほとんどでしたし、僕もそれに同意します。
 橋下市長の振る舞いは、耳だけでなく全身で感じなければならないということですよ。
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 私が愛読しているブログ、やくもさんの「ドーラクチホーセージ」(道楽地方政治?)。
 「文章の転載は自由にしていただいて結構ですが、その事による苦情の対処は当方では出来かねます」とのことですので、まるまる引用させていただきました。おもしろい分析ですね。

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2014年09月26日(金)

ネトウヨさん、もうかんにんしたって [時事]

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◎朝日新聞9月25日朝刊・論壇時評

   〈個人的な意見〉 「愛国」の「作法」について

               作家 高橋 源一郎

 学校で「新聞」を作るプロジェクトに参加している小学生の息子が、おれの机の上に積まれていた新聞と雑誌を見つけ、「これ、なに? 読んでいい?」と訊(き)いてきた。おれは、少し考えて、「止(や)めときな」といった。

 「なんで?」

 「下品で卑しいものが混じってるから。そのうち、きみはそういうものにたくさん出会うことになるだろうが、いまは、もっと気品があって美しいものを読んでいてもらいたいんだよ。パパとしては」

 「わかった」。そういって、息子は書斎を出ていった。おれは、なんだかちょっと悲しく、憂鬱(ゆううつ)だった。

 朝日新聞は、二つの大きな「誤報」を作り出した〈1〉〈2〉。「誤報」に関しては、擁護のしようもない。その後の対応も、どうかしている。だから、批判は甘んじて受けるべきだ、とおれは考えていた。机の上にあったのは、その「誤報」を批判するものだった。

 その中には、有益なものも、深く考えさせられるものもある。だが、ひどいものも多い。ひどすぎる。ほんとに。罵詈雑言(ばりぞうごん)の嵐。そして、「反日」や「売国」といったことばが頻出する。

 そんなことばが使われること自体は珍しくない。「前の戦争」のときにおれたちのこの国で、1950年代のアメリカで、旧ソ連時代のロシアで、そして、ナチス支配下のドイツで、「愛国」の名の下に、それに反すると認定された者は、「売国奴」(ときに、「共産主義者」や「人民の敵」ということばも使われた)と呼ばれ、容赦なく叩(たた)きのめされ、社会的に(あるいは身体的に)抹殺された。いまも世界中で、同じことは行われ続けている。いや、気がつけば、おれたちの国では、その「語法」が、「憎しみ」と軽侮に満ち、相手を一方的に叩きのめす「語法」が広がっている。

     *

 2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センタービルに2機の飛行機が突入した。イスラム原理主義グループによる同時多発テロだ。ベルリン滞在中のアメリカ人作家スーザン・ソンタグは、その2日後、このことについて意見を書き、テロから6日後に発売された雑誌に掲載された〈3〉。ソンタグはこう書いている……まず、共に悲しもう。だが、みんなで一緒に愚か者になる必要はない。テロの実行者たちを「臆病者」と批判するが、そのことばは彼らにではなく、報復のおそれのない距離・高度から殺戮(さつりく)を行ってきた者(我らの軍隊)の方がふさわしい。欺瞞(ぎまん)や妄言はなにも解決しない。現実を隠蔽(いんぺい)する物言いは、成熟した民主国家の名を汚すものだ、と。

 この発言は、「団結」を乱すものとして、全米で憤激を巻き起こした。ソンタグは「アメリカの敵」を擁護する「売国奴」と見なされ、殺害予告をされるまでに至った。それでも、ソンタグはすぐにニューヨークに戻り、発言を続けた。

 彼女は、どうしてそんな発言をしたのだろうか。おれは、ずっと考えてきた。もしかしたら、彼女は、殺されても仕方ないと思っていたのかもしれない(彼女は、長期にわたる癌〈がん〉闘病生活を送っていて、2004年に亡くなる)。愛する祖国が、憎悪にかられて、暴走するのを止めるために、「正気」に戻るよう促すためには、それしか方法がなかったのかもしれない。実際、ブッシュ政権下のアメリカはやがて、「イラクには大量破壊兵器がある」という情報を捏造(ねつぞう)して、戦争を開始することになるのである。

 おれは、ソンタグのような人間こそが、最高の愛国者ではないかと思う。同じような事件がこの国で起こったとき、同じような感想を抱いたとして、ソンタグのようなことが書けるか、といわれたら、おれには無理だ。そんな勇気はない。

 ソンタグはこんなことをいっている。「自分が大切にしている諸権利やさまざまな価値の相克に、私は取り憑(つ)かれている。たとえば、ときとして、真実を語っても正義の増大にはつながらないということ。ときとして、正義の増大が真実の相当部分を押さえ込む結果になるかもしれない、ということ。(略)

 私自身の見解は、もし真実と正義のどちらかを選ばざるをえないとしたら――もちろん、片方だけを選ぶのは本意ではないが――真実を選ぶ」〈4〉

     *

 ジャーナリズムのことばと文学のことばは違う。けれど、共有しているものもある。だから、いまのことばを朝日新聞に贈りたい。「誤報」問題が起こったのは、自分たちの「正義」を絶対視してしまったからであるように思えるのだ。

 人は間違える(おれもしょっちゅう間違える)。組織や社会も間違える。国もまた間違える。それがすべての出発点であるように、おれは思う。それがどのような「正義」であれ、「おれは間違っていない」というやつは疑った方がいい。「愛国者」であると自称する連中は「国の正しさ」に敏感だ(だから、「正しくない」といわれると攻撃する)。だが、正しくなければ愛せないのだろうか。ソンタグにとって、祖国アメリカは、「正しさ」と「不正」の入り交じった存在だった。その、矛盾する、等身大のアメリカをこそ彼女は愛した。

 自称「愛国者」たちは、「愛国」がわかっていないのではない。「愛」が何なのかわかっていないのだ、とおれは思う。こんなこといってると、おれも、間違いなく「反日」と認定されちまうな。いやになっちゃうぜ。

     *

 〈1〉本紙記事「慰安婦問題を考える(上)〜『済州島で連行』証言」など(8月5日)

 〈2〉本紙記事「本社、記事取り消し謝罪 吉田調書『命令違反し撤退』報道」(9月12日)

 〈3〉スーザン・ソンタグ「9.11.01」(『同じ時のなかで』〈2009年〉所収)

 〈4〉スーザン・ソンタグ「言葉たちの良心 エルサレム賞受賞スピーチ」(同)

     ◇

 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。小説作品に『さよならクリストファー・ロビン』(谷崎潤一郎賞)、『日本文学盛衰史』(伊藤整文学賞)、『優雅で感傷的な日本野球』(三島由紀夫賞)など。近刊にエッセー集『還暦からの電脳事始(ことはじめ)』。
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 先代の番犬エリちゃんが元気だったころの話。
 エリちゃんはおとなしくてかしこい犬だったが、時々「アタン」する。
 お墓参りで親戚がたくさんいなかに帰っていたとき、初めはかしこくしていたのだが突然家の庭を掘り出した。ヨメさんがいくら怒ってもやめようとしない。
 「エリちゃん! ええかげんにしいや!」
 ヨメさんがエリちゃんをビシャたたきにしそうな勢いだったとき、私の叔母さんが「ますみさん、かんにんしたって、かんにんしって・・・。」
 犬が大好きな叔母さんにとって、こんなにかしこく見えるエリちゃんを怒るなんて・・・、「かんにんしたって、かんにんしたって・・・。」

 さて、朝日新聞バッシング。
 実は、私は生まれたときから毎日新聞。うちのいなかはどの家も京都新聞だったのに、なぜかうちだけ毎日新聞だった。うちの父のこだわりがあったんでしょうか。だから私もずっと毎日新聞。毎日新聞読者歴50年以上です。
 朝日新聞はほとんど読んだことがない。だから、誤報がどうのこうのと言われても全然ピンと来ない。ヤクルトファンに、「DeNAをどう思うか」と聞くようなもの。(ちょっとちがうか。)

 最近思うのは、週刊誌の見出しの汚いこと汚いこと。あれはヘイトスピーチとはちがうん?
 人をののしる汚い言葉を見るのはつらい。ほな、見んかったええやんと言われるね。でも、新聞広告てついつい見てしまうんよねー。

 高橋源一郎さんのこの言葉はよかったなあ。
     ◇
 自称「愛国者」たちは、「愛国」がわかっていないのではない。「愛」が何なのかわかっていないのだ、とおれは思う。
     ◇ 
 これぞ文学的表現ですね。
 私のことも、なぜか「反日」「売国」認定したがっている人がいる。まあ別にそれでいいけど、ワンパターンのしょうもない表現ではなく、自分の言葉で話してほしいなあ。できれば、「ぷっ」と笑うユーモアをまじえたような表現でね。

 「かんにんしたって、かんにんしたって・・・」は、名せりふでしょ。

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2014年09月13日(土)

ごみ人間? [時事]

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◎京都新聞9月8日朝刊 

   「ごみ屋敷対策」京都市条例案
          氏名公表、過料も徴収

 自宅にごみをため込んだ「ごみ屋敷」の解消に向けて、京都市は立ち入り調査や処分命令ができる条例案を、19日開会の9月市議会に提案する。京都市は「命令は最後の手段で、総合的な支援を行う」としているが、第三者による審議会を通さない命令規定や罰則など、居住者に厳しい姿勢が指摘されている。ごみ屋敷対策で先行する東京都足立区や大阪市の条例と比較しながら課題をまとめた。

   居住者に厳しい姿勢
          先行の東京・足立区、大阪市と比較

 【審議会】

 足立区と大阪市の制度では、改善命令を出すときは諮問機関の審議を受けなければならない。だが京都市の案は「必要に応じて有識者の意見を聴取する」としており、行政の行き過ぎに対して歯止めとなる規定ではない。危害防止のため緊急性があるとき、指導や勧告を経ずに即時執行する規定もある。

 【罰則】

 京都市は調査や命令に従わない居住者に対し、氏名の公表や過料の徴収ができる。足立区と大阪市は過料の規定がない。足立区は命令拒否、大阪市は調査拒否に対して氏名公表できる。

 【対象】

 何をごみや迷惑とみなすかは財産権と関わる。京都市は「不良な生活環境」の定義として「多数の動物の飼育、給餌、給水」も含めている。足立区や大阪市より対象範囲が広い。

 【費用負担】

 足立区と大阪市はごみ片付けに協力した団体への謝礼など費用負担の規定がある。京都市は「地域が協力し合う」という理念から報酬はない。

■社会から孤立救う仕組みを

 「京都市ごみ屋敷問題を考える会」の共同呼びかけ人で精神科医の高木俊介さんの話

 ごみ屋敷の問題をひとくくりにすることはできず、原因はさまざまだ。認知症の独居高齢者も多いし、強迫性障害や統合失調症などの精神障害が関連していることもある。共通するのは地域社会から孤立していること。他人に対して猜疑(さいぎ)的になっているのに、いきなり行政が介入しても、余計にかたくなになり、不信感が生まれてしまう。

 医療や福祉の支援を含め、居住者をいかに孤立から救えるか。個別の事情に応じた専門家や地域住民を交えて、対策を一緒に考える仕組みが必要だ。条例案の骨子からは、そのような理念は読み取れず、強制執行をするための制度に見える。

 氏名公表や過料という罰則を設けているのも問題だ。処罰の手段があるということを示し、脅すような姿勢を見せるのは、結局は居住者の拒絶をあおるだけになる。居住者との交渉を妨げかねない。

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 なんかこわい記事だった。
 「ごみをためたら立ち入り調査、処分命令。氏名公表、過料徴収。そして、行政代執行。」
 うちもあぶないかもと思ってしまった。

 最後の精神科医の高木さんの話はよく分かる。
 なんでもかんでもすぐにひとくくりにしてしまう風潮はこわい。京都市は先行する自治体とはちがい「第三者による審議会を通さない命令規定や罰則」ということだ。では、いったいだれが「ごみ屋敷」と認定するのだろう。ごみ屋敷認定専門家? 
 「強制執行するための制度より、社会から孤立救う仕組みを」に同感。

 先日の盲導犬が刺された事件。数日後に、「盲導犬の後ろをニヤニヤしながらつけていた男がいた」と報道された。一瞬、「ボクもそう思われているかも」と思った。
 盲導犬に付いていったことはないが、かわいい雑種犬にはニヤニヤしながら付きまとったことは何度もある。もしなにか事件が起こったとき、「そういえばあやしい50代男が・・・」とか言われるかもしれない。「まともに仕事もされてなかったようですしね・・・」とか、「昼間もブラブラされてましたよ・・・」とか。

 なんでもかんでもひとくくりにしたい人たちは、そんな私にどんなレッテルをはりたいのだろう。
 うーん、世間から見れば私は「ごみ人間」?
 本気で心配。

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【今日のきく】

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 ヨメさんと朝の散歩に行ったあと、おふろ連れ込み。
 「久しぶりの全身丸洗われですわー。」

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 元々黒い口の周りが真っ黒に。

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 さあ、お庭できゅっきゅちゃんきゅっきゅちゃん。

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【RUN】

 昨日の右足親指の痛みが気になる。
 朝から「あいおわ治療院」へ。

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 高橋大輔似の先生の話。
 「左足のアーチはもう前からつぶれているんですが、右足も後ろの部分がつぶれています。そのせいでつま先に力がかかりすぎているようです。テープをはっておきますので様子を見てください。何もしないのに痛むようでしたら、そのときはすぐ病院に行ってください。」

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 夕方、家の前の小さな公園で軽くやり投げの練習。けっきょく、8月初めの北陸マスターズ大会から練習は1回もしていない。付け焼刃だが、肩の痛みがないので案外いいのかも。

 さてランニング。
 右足親指が心配だったので、ソール厚めのシューズで土の上を走ることにした。
 鴨川河川敷まで行けばたくさん走れるのだが、ちょっと遠い。さいわい、うちの近所の長代川には土の散歩道がある。わずか350mほどだか、ぜいたくは言うまい。

 まず家の近くで500mほどアップ。
 そして土の350m。これは具合がいい。足の指もだいじょうぶそう。
 350mを2往復半したら1500mの練習になるな。結果は1.67km、10分14秒。指はだいじょうぶ。
 500mスロージョグをはさんで、土の道で1000m全力をしてみた。これはさすがに4分30秒と遅かった。
 このあとゆっくりダウンジョグ1km。

 これで合計、0.5+0.35+1.67+0.5+1+1で約5km。
 近所で足に優しいコースがあるのはいいのだが、夕方は犬の散歩の方が多くて私はじゃまだった。走るのなら、夕方は避けたほうがよさそう。

 明日の中国マスターズ大会は、行くだけ行ってみて出られそうなら出るということにします。(とにかく、池田動物園のハイエナのレン君が見たくて・・・。)

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