パオパオだより

2011年06月10日(金)

布や音に忠誠を誓う? [時事]

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◎毎日新聞6月10日朝刊

 記者の目:唐突な大阪府「君が代起立条例」成立=田中博子

 大阪府議会で3日、教職員に君が代斉唱時の起立を義務付ける条例が成立した。橋下徹知事が代表を務める首長政党「大阪維新の会」が他党の抵抗を押し切り、わずか2日の審議で可決させた。個人の思想や歴史観にもかかわる問題なのに、あまりにも性急で乱暴な経緯をたどったと感じる人も少なくない。この問題を取材し、時間をかけた丁寧な議論が必要だと感じた。

 ◇知事が突然発案
 条例制定のきっかけは、橋下知事が5月初め、今春の入学式で起立しなかった教諭に関する新聞記事を読んだことだった。府立高校で38人いたことを知って激怒し、維新の会の幹部に条例案の作成を促した。条例案は同会府議団の議員提案として提出されたが、事実上は知事の発案によるものだった。

 知事は府議会で、学校の組織マネジメントの必要性を訴え、起立しない教員を「自由横暴きわまりない」と厳しく批判。条例によって「組織の命令に従わない教員をたたき直す」と主張した。

 条例案は6月2日の委員会、3日の本会議で審議され、他党からは「条例案は拙速に出てきた。反対の意見もしっかり聞くべきだ」と丁寧な議論を求める意見が相次いだ。しかし、維新側は「政治のスピード感の違い。十分丁寧に説明している」と採決を主張し、条例を成立させた。その強引なやり方に、私は驚きを通り越して恐れすら感じた。

 99年に国旗・国歌法が成立した後も、起立しない教師の処分は慎重にされてきた歴史がある。大阪府教委は02年に日の丸掲揚と起立斉唱を文書で指示した。しかし、09年度卒業式で初めて職務命令違反による戒告処分を出すまでは、厳重注意にとどめていた。思想・良心の自由にかかわる問題だからこそ、慎重な対応が取られてきたのだ。府教委内でも「条例で従わせるより、粘り強く指導すべきだ」という意見が強い。

 条例案提出の動きを受けて私は5月下旬、ある府立高校の男性教諭を取材した。学校の君が代斉唱では、一度も起立したことがないという。教諭は「私も人間なんです。内心はいつも揺れ動いています」と心情を語った。理想に凝り固まった人物を想像していただけに、意外な感じがした。

 ◇悩みながら拒否
 教職30年のベテラン。小柄で表情は柔らかく、丁寧に言葉を選ぶ話し方が誠実な人柄を感じさせる。99年以降、君が代斉唱が学校行事で一律実施されるようになったのを機に、君が代について学び直した。日の丸・君が代が国民を戦争に駆り立てる役割も果たした歴史を再認識し、学校で起立斉唱することへの抵抗感を拭えなかったという。

 校長は「仕方ないから立って」と促すばかり。職員会議で起立斉唱が議題に上がると、黙っていた方が楽だと思いながらも「起立の押し付けはおかしい」とあえて発言してきた。それを聞き、君が代に関する歴史を勉強した後輩教師もいる。「僕も直接には戦争を知らないが、若い人はもっと知らない。だからこそこの問題を知ってほしいし、知るべきだ」と教諭は言葉に力を込めた。

 だが条例成立を受け、次の卒業式でどうするかは決めかねている。「私にも家族がいて生活がある。でも簡単に捨てられるほど軽い信念ではない」。教諭はそう言ったまま無言でうつむいた。

 66年前の戦争の記憶はどんどん遠ざかる。五輪やサッカー・ワールドカップでも君が代が流れ、若い世代には国歌として自然に受け入れられているのかもしれない。私も学生時代は抵抗なく起立斉唱してきた。だが歴史観は人によって大きく異なる。

 ◇選挙公約になし
 4月の統一地方選で大勝した維新の会は「府民の意思」を盾に、起立しない教員の排除をもくろむ。だが君が代関連の条例は、選挙公約になく、選挙の争点にもなっていなかった。同会は「条例は(公約に掲げた)公務員改革」と説明するが、府民が真っ先に期待する改革がこの問題だとは到底思えない。

 橋下知事は9月議会で、公務員の処分基準を定める条例案を提出し、不起立を繰り返す教員には免職処分まで盛り込む方針を示している。個人の思想にかかわる問題を、知事の強い指揮の下、条例や厳しい処分で片付けることが本当に民主的なのだろうか。

 大阪は在日韓国・朝鮮人らマイノリティーの人々が多く暮らす地域性もあり、雑多で自由な空気が魅力の一つだと私は思ってきた。その大阪で、さまざまな考えを学び合うはずの学校が、一つの型にはめ込まれようとしている。子どもの将来を思うと、取り返しのつかない道を進んでいる気がしてならない。

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 今まで「思想信条の自由」など意識したことがない。それだけ日本がいい国だということだと思う。
 しかし、ただの印をつけた布と、よく理解できない歌詞がついた歌を何よりも大事にしろと言われても・・・。
 1986年の冬、突然上から「卒業式に日の丸・君が代を入れろ」と命じられた京都の校長先生方はどんな気持ちだったのだろう。どんな脅しがあったのかどなたも教えてはくださらないが、一夜にしてオセロゲームのように全員白から黒に変わってしまった。今までご自身が言って来られたこととの整合性を保つため、みなさんマニュアル通りのような言葉を述べ始められた。この事実こそ恐ろしい。
 「京都中の校長先生が、遠隔操作されているロボットになってしまった」と怖くなった。

 戦前の奉安殿でもあるまいに、子どもの命よりあの布(旗)や音(歌)が大事なのでしょうか。(実際、戦前には火災から御真影を守ろうとして殉職された校長先生もおられたようです。)

 毎日新聞の田中博子記者も、よく調べていい記事を書いておられると思います。ただし、「何が何でも日の丸・君が代推進派」の意見が取材できていない。私も知りたいです。なんでただの布や音に血まなこになれるのかを。それが分かれば対話も可能。そんな布や音のために、不毛な対立で時間と労力を奪われるのはもったいない。 

 私は、あれは踏み絵的(今は「絵踏み」と言うらしい)に使われようとしてるのかと思う。
 「上からの命令で、ただの布と音にどこまで忠誠を誓えるか」
 
 あなたはどこまでロボット化に耐えうるか。そのリトマス紙に使われているとしたら、あの旗と歌も気の毒な気がします。
 あの旗と歌が日本中に強制されたら、誰が喜び、だれを幸せにするのか、それを調べて記事にしてほしいです。
 

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「きくちゃん、よその花食ったらあかんて・・・」

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2011年04月22日(金)

大江さん勝訴 [時事]

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沖縄ノート」訴訟で勝訴判決が確定、記者会見する作家の大江健三郎さん=22日午後、東京・霞が関の司法記者クラブ

◎京都新聞4月22日夕刊

 「沖縄ノート訴訟 集団自決に軍関与確定 最高裁・大江さん勝訴」

 太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとする作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、沖縄・慶良間諸島の当時の守備隊長らが名誉を傷つけられたとして、大江さんと出版元の岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は22日までに、原告側の上告を退ける決定をした。21日付。
 集団自決に軍が関与したことを認め、名誉毀損に当たらないとした大江さん側勝訴の一、二審判決が確定した。 
 軍や元隊長らによる住民への命令の有無などが争われたが、最高歳は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張で、民事訴訟で上告が許される場合に該当しない」と判断は示さなかった。
 原告は元少佐で座間味島守備隊長だった梅沢裕さん(94)と、元大尉で渡嘉敷島の守備隊長だった故赤松嘉次さんの弟。「沖縄ノート」(1970年出版)と故家永三郎さんの「太平洋戦争」(1968年出版)の集団自決に関する部分の記述をめぐり「誤った記述で非道な人物と認識される」と2005年に提訴した。
 08年3月の大阪地裁判決は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘。「元守備隊長らが命令を出したと断定できないとしても、大江さんらが命令があったと信じる相当の理由があった」と請求を棄却。
 大阪高裁判決も同10月、「集団自決に軍が深くかかわっていることは否定できず、総体としての軍の強制や命令と評価する見解もあり得る」と判断していた。
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 とにかく、よかった。
 あったことをなかったことにしようとしている勢力に、一撃を食らわしたと言っていいと思う。
 
 この「沖縄ノート」、私は若いときに一度、裁判になってからもう一度読みました。
 はっきり言います。二回読んでも、さっぱり分からん。
 あの大江健三郎さんのこねくり回したような文章は、私の頭になかなか入らなかった。けっきょく、二回読んでもなーんにも頭に残っていない。
 あの「沖縄ノート」を読んで、一個人を貶める目的で書いたものと判断された人はそうとうな人です。わたしゃ、なにが書いてあるかさっぱり分からんかったもんで。
 原告は、「沖縄ノート」を読まずして訴訟に踏み切られたらしい。いったい誰にそそのかされたんでしょうね。ちゃんと読まれたら、個人攻撃目的で書かれた本でないことくらいは分かると思いますが・・・。

 文学まで規制する世界は、ただただ恐ろしいだけです。

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今日のきく

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2011年04月20日(水)

すべての武器を被災地に [時事]

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「すべての武器を三線に」Tシャツ (2008/08/06)

 今日、いいニュースがあった。
 今まで誰も言わなかったことだが、多くの人が心の中で思っていたことが実現した。

◎毎日新聞4月19日

 「東日本大震災:復旧優先、地デジ完全移行延期へ 被災自治体は歓迎 /宮城」

 ◇受信施設遅れ
 東日本大震災の被害が甚大だった岩手、宮城、福島の3県について、総務省が7月24日の地上デジタル放送(地デジ)への完全移行を延期する方向で調整に入ったが、移行への準備不足を懸念していた被災地の自治体などからは歓迎の声が上がった。テレビは地震や津波の貴重な情報源の一つだが、ライフラインの復旧が優先され、工事が間に合わず「地デジ難民」が多数生じる恐れがあるからだ。
 震災で住宅3軒が半壊、住民3人が仕事先などで被災し死亡したという石巻市小船越山畑。三浦正一郎・前自治会長(71)によると、この地区では山陰による難視聴のため住民約30世帯が組合を作り、昨年11月から共同受信施設の建設準備を開始。今年6月末の完成予定だった。
 しかし、工事を受注した仙台市内の通信設備会社が震災後、有線をひくため大手通信会社に既存の電柱の利用を申請したところ、「電力の復旧に忙しい」と断られたという。今後いつ工事を始められるか未定だ。通信設備会社幹部は「住民向けに共同受信施設の工事説明会をしようとしていたところに津波で壊滅し、連絡がとれない被災地もある」と話す。
 三浦さんは「もっと厳しい状況の被災者のことを思えば、地デジが間に合わなくてもラジオで我慢すればいい」と50年以上使うラジオをいとおしそうに見つめた。
 地デジ難民を出さないよう、市民に繰り返しPRしてきた石巻市の鈴木瑞彦・情報政策課長は「アンテナ工事を進めようにも、ライフラインの復旧が最優先でそれどころではない状態。7月に間に合わせるのは難しい。延期なら歓迎だ」と話す。
 放送する側にも震災のダメージがのしかかる。東北放送(仙台市)では南三陸町で地デジの中継局1局が津波で流失した。同社技術管理部は「被災地の状況を考え、震災直後から、7月25日以降の地デジとアナログ放送の同時送信を検討していた。国にはアナログ放送にかかる経費や被災地での新たな地デジ対策費を支援してほしい」と話す。
 放送ジャーナリストの坂本衛さんは「元々準備が遅れている東北でのアナログ放送停止の延期は当たり前だ」と指摘している。
 総務省などによると、全国の地デジ対応受信機の世帯普及率は10年12月現在、94・9%だが、県内は90・7%にとどまっている。【土本匡孝】

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 震災後に一番に思ったこと。
 いなかでのお年寄りの一番楽しみはテレビを見ること。震災直後は関連のニュース番組ばっかりで見たくもなかったやろうけど、落ち着いてきたらテレビが見られんかったらつらいやろうなあ。ほんまにささやかな楽しみやのになあ。
 それが、7月24日ですべてのテレビが見られなくなるなんて。
 
 「地デジ化」を急ぐ意味がいまだによう分からん。今まで普通に見られていた何千万台ものテレビがすべてゴミになるなんて。史上最大の反エコ政策としか思えんのですけど。
 そんなことを平気で決定するような人たちは、都会といなかの人口だけを単純に比較し「一票の格差」をなんかの一つ覚えのように唱えている人にちがいない。
 「一票の格差」がうらやましい人は、どうぞいなかに移住してください。そして、テレビを見るのを唯一の娯楽としているようないなかの暮らしを体験してください。そしたら、「一票の格差」もそうそう強行主張しにくくなるし、「地デジ化」も・・・。

 とにかく、被災地3県だけでも延期が決まってよかった。いっそ、全国一斉延期にしても何の問題もないのでは。もし問題があるとしたら、どっかとどっかの癒着としか考えられません。どうですか。

 さて、本題。(長い前ふりじゃー。)

 「地デジ化」の延期については、震災後に思っていたのだがブログに書く機会がなかった。思ったことはすぐ書いとかななあ。
 
 これ。
 「今日本の軍隊(自衛隊)が史上最高に手薄になっている時なのに、どうして仮想敵国とやらは攻めてこないんですか。」
 どなたか、これをきちっと説明してください。
 日本を攻めるなら今しかないでしょう。「9.11」のような方法で原発施設に突っ込まれたら、日本はもう終わりでしょう。自衛隊が持っている武器なんて、何の役にも立ちません。それから米軍に援護を頼んでも後の祭り。と言うか、このたびの対応を見ても米軍は放射能の漏れている地域には入ってこないでしょう。

 この際、何の役にも立たない(役に立っても困るけど)武器の購入はやめましょう。その予算を、全額震災復興に使うというのはどうでしょう。そうすれば、今ドサクサまぎれに消費税増税が画策されているが、それを阻止できるかも。「財源を示せ」とよく言われるけど、これで立派な財源になる。
 この非常時に、殺人兵器の使用訓練なんかしている場合ですか。不謹慎な。自粛、自粛。(「不謹慎」、「自粛」という言葉ははこういうふうに使いましょう。)
 そんな訓練せんでも、自衛隊の皆さんには当分の間災害復旧という大事な仕事が待っている。人を殺すのではなく、人を救うというやりがいのある仕事が。どうか、それに専念してください。

 「すべての武器購入予算を被災地に!」

 これが、私の真意です。

 ついでやし、もう一つ言っとこ。(これは以前から言ってます。)
 「一票の格差」を言う人は、「一原発の危険の格差」も「一米軍基地の危険の格差」もいっしょに論じること!
 原発は過疎地に、米軍基地は沖縄に押し付けるな!
 受益者負担の原則から言えば、人口の多い関東圏関西圏は原発・米軍基地を積極的に受け入れるべき。

 「東京湾大阪湾に、原発・米軍基地を!」

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2011年04月19日(火)

「野球バカ」はどこ行った? [時事]

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ファンの声援に応え好投する高津臣吾=長岡市悠久山野球場

◎asahi.com 4月17日より

「新潟アルビ引き分け、高津投手も登板 BCリーグ開幕 」

 プロ野球独立リーグ・BCリーグが16日、開幕した。新潟アルビレックスBCは、長岡市悠久山野球場で群馬ダイヤモンドペガサスと対戦、投手戦の末0―0で引き分けた。高津臣吾投手が9回に登板し、球場に訪れた1081人のファンを湧かせた。震災の影響で1週間開幕が遅れたが、選手らは「被災者に元気と希望を」と、無失策の全力プレーを見せた。

 9回、高津の名前が呼ばれると、この日一番の歓声が上がった。群馬の小林恭兵に二塁打を浴びたが動じず、後続を抑えた。高津は試合後、「こんなに大きな震災の後に、たくさんの人が球場に足を運んでくれ、感謝している。登板して、今年も野球ができたという実感がわいた。仕事ができた」と話した。

 観戦した新潟市の大野彦栄さん(63)は「高津も見られたし、ぴりっとした試合で、最高にいい開幕戦だった」と話した。

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 東日本大震災後、私が一番残念だったのはプロ野球の開幕が遅れたことである。
 被災地仙台を本拠地とする「東北楽天」が所属するパリーグは、早々に開幕延期を決定。しかし、セリーグは経営者側は当初の予定通りの開幕、選手会側がパリーグとの同時開幕を主張していた。紆余曲折があったが、最終的に選手会側の主張通り、4月12日・セパ同時開幕となった。

 震災の数日後、ツィッターにこんなつぶやきがあった。

 普段は「スポーツは人に夢と希望を与える」と言いながら、一番それらが必要な時には不謹慎ということで自粛される。さすがに矛盾を感じる。
 【スポーツ協会へ】不謹慎という言葉を恐れてイベントを止めないでください。

 私も同じことを思った。
 
 まず、「東北楽天 」。
 新監督は、原発のCM(いわゆる広告塔)を長年されていた星野氏。あの人は、震災後いったい何をされていたんでしょう。自分のまったく専門外の分野のCMを引き受け、「絶対に安全です」みたいなことを言っておられた。あなたの専門分野は、「野球」。もし心に引っ掛かるところがあるなら、一日も早く「野球」で償うべきでしょう。
 「東北楽天」と名乗っているのなら、仙台の球場にこだわらなくても東北にはいい球場がいっぱいあると思いますけど・・・。収益は度外視して、東北全体をワクワクさせるような試合を早く開催するのはでけんかったんかねえ。

 それから、選手会。
 選手会も、震災後何をしていたんでしょうね。私には、ただ開幕を遅らせることだけ主張しているように見えた。その代わりに何をされたんでしょう。避難所で退屈している子どもらとキャッチボールをしたりとか、被災地の高校生と交流戦をしたりとか、私の知る限りではほとんどなかったような・・・。もししていたとしたら、アピール不足ですね。
 人それぞれでいろいろな考えがあるとは思いますが、私がプロ野球が好きなわけは、「野球バカ」の集まりだと思っているからです。「他のことはなーんにもでけへんけど、野球やらせたら目が飛び出るほどうまい」人の集まりだと思っているからです。
 ほんまかウソかよう分からんけど、清原は野球ばっかりやってたから電車の乗り方も分からへんかったとかゆううわさ。ふつうそんな大人がいたらエライこっちゃけど、プロ野球の一流選手ならどうってこともない。ほほえましいくらい。
 大の大人があんなちっちゃいボールを必死で投げて、必死で打って、必死で追いかけるからおもしろい。「あの人ら、あれでけんようになったら(人生)しまいやで」と思うから、こっちも必死で見てしまう。

 ちゃいまっかー、選手会さん。
 「野球バカ」が野球やらんで、どーする!
 世の中の多くの人と同じように「にわか善人」になっても、誰も喜ばんと思いますけど。
 そんなもん、似合わんちゅうねん!
 野球で一流のプレー見してくれちゅうねん!

 私が日本一の野球バカだと思っている「高津選手」は、今回の選手会の動きをどう見てはったやろうね。聞いてみたい。

 最後に、私の大好きな高津の言葉。
 「野球が大好きなので、お金を出してでも野球をやりたい。
  死ぬまで野球をやり続けたい、もちろんプロの現役選手として。」

 あー、ちょっとすっきりした。
 (新潟まで、高津見に行きたいなあ。)

 全然関係ないけど、もうひと言。 
 「47歳の『野球バカ』工藤にも野球やらしたってくれー!」 (現在、浪人中。)

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2011年03月08日(火)

八百長 [時事]

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うちの近所の畑の見張り番(?)

◎京都新聞3月8日朝刊

 「TM抽選違法確定 最高裁が上告棄却 京都市側に賠償命令」

 京都市で開かれた政府主催のタウンミーティング(TM)の抽選で意図的に落とされたとして、応募者が国と市に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は7日までに、応募者側、市側の上告をいずれも退ける決定をした。原告4人のうち3人に対し計15万円を支払うよう命じた二審判決が確定した。4日付。国は上告していなかった。

 一、二審判決によると、TMは2005年11月に開催。共催の京都市教育委員会は原告2人が過去の行事で進行妨害をしたとして、内閣府に抽選で落とすよう要請。内閣府は2人の受付末尾番号を落選予定数字に入れ、意図的に落選させた。

 09年9月の二審大阪高裁判決は「抽選すると公表した上で作為的な選別をするのは公務員の職務義務に反し、違法だ」と判断。

 他の原告1人については、末尾番号一致のため不当に落とされたとして損害を認定し、08年12月の一審京都地裁判決を変更、原告4人のうち3人に5万円ずつ慰謝料を支払うよう命じた。

 一審判決は「公務の信頼を傷付けたのは否定できないが、混乱を避けるためで、不合理とは言えない」として違法性を認めず、請求を棄却した。
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 最近(と言ってももう5年以上前のことだが)、もっとも腹が立ち、かつ恐ろしくなったニュース。
 「京都市タウンミーティングいかさま抽選事件」。

 首謀者は京都市教育委員会。直接いかさま抽選の手を下したのは政府(内閣府)。地方公共団体内の一組織と国がぐるになっていかさまを策略するなんて・・・。どうして一地方の小さなニュース扱いなんでしょう。大相撲の八百長より、こっちの八百長のほうがずっとずっと恐ろしいことなのに。
 国や地方公共団体が一般市民にでっち上げのレッテルをはり陥れるなんて、これって戦時中の特高警察の発想と同じでは。
 
 このいかさま抽選事件の一番の責任者は、当時の京都市教育委員会の教育長だと思いますが、まちがっていますか。
 新聞社も、なぜ当時の教育長さんのコメントを取りに行かないのだろう。すぐ近くにおられるのに・・・。また、「知りません」「記憶にございません」「全部担当者に任せておりました」とか言って逃げられてしまうのがオチだからかな。

 「しっかりせい! 新聞社!」
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【何を今さら5km20分切りメモ】

 さすがに昨日(月)、今日(火)と完全休養。
 篠山マラソンでは元気よくゴールしたものの、レース中からまったくかがめないくらい腰が痛い。じっと立っている分にはどうってことないのだが、かがむ姿勢がねえ・・・。

 明日は9日。「9の日平和ラン」で、ランニング復帰します。
 あっ、それから明日9日は「ねっとわーく京都」の発売日です。今回の私の連載のテーマは、「うちの娘と沖縄」。今回はちょっとブログの焼き直しぽいですが、ぜひ読んでください。500円です。
 (なお、来月発売号は特集号のため、すべての連載がお休みだそうです。原稿料あてにしてたのに・・・、トホホー。)

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2010年11月30日(火)

海老蔵顔面崩壊 [時事]

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◎サンケイスポーツ11月30日

 「にらみ」復活まで全治6週間…海老蔵、2時間半に及ぶ手術内容は


 都内の飲食店で殴られ重傷を負った歌舞伎俳優の市川海老蔵(32)は29日、東京・港区の総合病院で顔面整復手術を受けた。(サンケイスポーツ)

 関係者の話を総合すると、手術は午後5時ごろから2時間半ほど。左目の下の陥没骨折部分の修復と、殴られて顔の空洞部分にたまった血液などをメスで取り除くもので、耳鼻科部長が執刀した。術後は顔が腫れるため10日間の入院が必要で、その後は自宅療養しなければならず、完治には6週間かかるという。

 詳細については不明だが、世田谷井上病院の井上毅一理事長は「海老蔵さんが受けた手術は、上顎洞(じょうがくどう=眼球の下にある空洞)の根治手術が中心と思われます。頭蓋骨(とうがいこつ)を軽くする機能を持つ顔の空洞部分に、殴られて血液がたまってしまったのでしょう。そのまま放置すると化膿(かのう)してしまうので、それを取り除く手術です」と説明。「形成外科医や眼科医が立ち会った可能性もあります」と語る。

 気になるのは、市川家伝統の「にらみ」ができるようになるまでに、どれくらいの期間を要するかだが…。井上理事長は「私も歌舞伎をよく見に行くのですが、『にらみ』は両目を内側に寄せたり、斜めに動かしたり、かなり目の筋肉を使う。今回の手術と目の部分も殴られたことを考えれば、少なくとも1カ月半から2カ月はかかるでしょう」と指摘する。

 この日午後4時前には父の市川團十郎(64)、母の希実子さんが病院に到着。付きっきりで看病にあたる妻の麻央(28)と手術を見守ったものとみられる。


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 「顔面崩壊整復手術経験者・パオパオがお答えします。」

 私の場合は相手がこぶしではなく氷の板でしたが、ほぼ海老蔵さんと同じ症状。
 私の手術後7年目の経験から言うと、海老蔵さんは「にらみ」はできるようになったとしても「せりふ」がはっきり言えるかどうかねえという感じです。
 私は手術後約7年たった今も、「満面の笑み」もできないし、「早口言葉」もできません。右上唇のしびれがなくなっていないから、自分の思い通りには動かせないのです。

 2004年2月9日、家族4人そろって「醍醐スケートリンク」へ。
 当時NHKの朝ドラで「てるてる家族」をやっていて、その中に何度もスケートのシーンが出ていました。これは一回スケートに行かんならんわい、ということで小6の廉、小3の真樹をつれて醍醐まで。
 だいぶ慣れてきたので、2人組で駅伝をやろうということになりました。第1走者は廉対パオパオ。廉は母ちゃんに、私は真樹にタッチすべく猛然とスタート。そのあとの記憶なし。(氷に引っかかったようで、バタッと倒れたらしいです。)
 気がついた時は、六地蔵病院の診察室から出てきた場面。待合室で廉と真樹が笑っていました。絶対にいてくれたはずのヨメさんの記憶が、なぜかまったくありません。これ、不思議。

 翌日精密検査をするということで入院。
 ここでは生まれて初めて車イスにも乗せてもらったし、生まれて初めての点滴も経験しました。口が痛くて全然動かせず、なにも食べられなかったからです。
 検査の結果、右側の頬骨が砕けているとのこと。手術が必要。ただし、入院など長くかかるので少しでも家に近い病院に転院をすすめられました。結局、京都府立病院に行くことに。
 府立病院は、私の大学時代3年間アルバイトをしたところ(地下の売店)。まさか、こんな姿で凱旋(?)するとは・・・。

 口が動かせないので何も食べられません。でも水分は補給することができます。その時気がついたのですが、ペットボトルを口につけても感覚がないのです。神経がやられてしまっているらしい。
 担当のお医者さんの説明では、それは手術してもたいていはよくならない。突然感覚が戻ることもないとは言えないが、死ぬまでそのままの人も多いそうです。(今の感じでは、私は後者のようです。)

 一旦退院し、その間に静岡に出張販売にも行きました(2月22日)。左目のまわりが紫で、ほとんどしゃべれず物も食べられない状態で。

 2月の終わりに再入院。そして、いよいよ手術。
 右の上の歯茎と唇の間を切り、そこから器具を入れて砕けた頬骨を修復する手術だったらしい。
 ヨメさんは仕事で抜けることができなかったので、家族への説明は姉夫婦に来てもらいました。いつまで姉に世話かけるんじゃーって話です。(当時、私は48歳。)

 私にも手術の説明があったのですが、いっちゃんビビったのは「髪の毛が手術のジャマになるかもしれないから切ってほしい」と言われたこと。
 「えー、ちっちゃい子どものときでも、丸坊主にしたことないのにー・・・。」
 でもそんなことゆうてられません。病院の地下の理髪店でバッサリと。やってみたら、そんなにへんでもなかったです。

 手術は午後5時から。
 手術の前は絶食。「痛いですよー」と脅されながら、ふっとい筋肉注射もされました。こんなんもすべて初体験。
 手術室に運ばれると、「いち、にの、さん!」で手術台へ。そして点滴による全身麻酔。意識があったのは5秒くらいでしょうか。


 「藤井さーん! 藤井さーん! 終わりましたよー」という声で起こされる。
 その時私が最初に発した言葉・・・。
 「今何時ですか?」
 「はい、今9時半です。」
 そうか、4時間半も手術台の上にいたのか・・・。大手術やったんやね。

 その日の夜はほとんど眠れませんでした。夜中に口から血を吐いて、「ナースコール」ちゅうやつもさせてもらいました。ほんまにお世話になりました。

 次の日の朝、「朝ごはんを食べていい」と言われてビックリ。口の中の切ったとこにご飯つぶとかはさまらへんのかいなと心配。でも1日半ほど何も食べてへんかったので、出てきた食事は全部たいらげました。今までの人生で、あの時の食事が一番うまかったかもしれません。

 そのころ(2月29日)、ヨメさんが子ども2人を連れて淡路島に出張販売に行ったらしい。結果は惨敗だったらしい。でも、その時ヨメさんが子どもらに言った言葉が泣かせます。 「パオパオがおらんようになっても、かあちゃんがちゃんと食べさしていったる!」
 「わしゃー、顔面骨折くらいで死んでしまうんかい!」と突っ込みたかったけど・・・、ねえ。

 手術の後1週間ほどで退院。
 退院前に手術の写真も見せてもらいました。上唇をビローンとめくり、洗濯バサミみたいなものではさんで引っぱっている写真。そんなん見せてもらっても・・・、という感じでしたけど。

 3月7日の篠山マラソンから出張販売復活。次の週(3月14日)のなかじま万葉マラソンでは親子レースにも出場。

 そうして順調に回復していくのですが、やっぱり右上唇のシビレはずっと残ったまま。それは7年近くたった今も同じ。

 いや同じでないこともありました。
 丸坊主にした頭。
 こちらも順調に回復・・・と思ったら、それから脳天の毛が薄くなってきたようで。そんなもん関連性はないとよく言われますが、私はこの事件以来髪の毛が薄くなってきたと信じています。

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(注)私の丸坊主時代の写真が手元にありません。代わりに2005年の年賀状を見てください。

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