2018年10月25日(木)
せやろがいおじさん、松本人志の「死んだら負け」に対する叫び全文 [私の好きな人]
お〜い
死んだら負けって言った
松本人志さぁ〜ん
負けとか
言わんどこ〜
松本人志さんと
せやろがいおじさん
芸人として
天と地どころか
天とマントルぐらいの
差あるけど
言いたいことがあるから
マントル在住の
地底人の戯言
聞いたって!
いや松本さんの
言いたい事は分かる!
死んだら皆んな
私に優しく
してくれるんや
じゃあもう
いっそのこと
死んじゃおうかな
ってなる風潮を
どうにか
しようぜ!
ってことなんやな!?
これ自体は
大賛成!
ただ!
言葉尻捕まえるようで
申し訳ないけど
やっぱり
負けという言葉には
亡くなった方を
罰したり
ジャッジ
したりする
ニュアンスが
こもってるから
そこに
引っ張られて
本来伝えたい
意味が
伝わって無いなぁ
というのが
勿体無いなあ
と思うんや!
それにやっぱ
限界まで
追い込まれたら
勝ち負けっていう
価値観って
やっぱ
弱い
と思うねん
例えば
4の地固め
ガッツリ
決まってて
痛い痛い
痛ァ〜い!
痛い痛い
痛ア〜い!
って言ってる
人の隣で
おい!
ギブしたら
負けだぞ〜
おい!
ギブしたら
負けだぞ〜
って言ってる
セコンド
ポンコツやん!?
そんなん
言われても
いや
負けでええから
早く楽に
ならせて
って思うたり
やと思うねん
おい!
いっかい体
反転させて!
相手の体勢を
戻そうとした
反動を
活かして
ロープまで
逃げろ!!
って具体的な
逃げ方のアドバイスした方が
絶対
役立つ
と思わん!?
メディアでは
亡くなった方を
憐れむ報道や
追い込んだ側を
バッシングする報道に
重きを置きがちや!
確かに
自殺した方の死は
悼まれるべきやし
追い込んだ側の
社会的責任は
追及されるべき
やと思う!
けど
行政とかNPOが
こんな感じの
相談窓口設けてて
こんな感じで
支援・対応
してくれるよ〜て
アナウンスして
逃げ方を
お知らせ
した方が
メディアとして
より良い役割を
果たせると
ちゃうかな!?
えっ?
そんなところに
相談したって
何の解決にも
なるわけないじゃん
お前
めっっちゃ
ええこと
言うやん?
そういう意見が出たら
じゃあうどういう
逃げ場にしていったら
みたいな感じで
建設的な議論に
発展して
逃げ場の
質が高まったり
逃げ場の
数が増えたり
すると思うんや!
結局のところ
死んだら負けは
どこまで
行っても
具体性のない
精神論で
仕組みを変える
議論には
発展せえへん
と思う!
まぁ結局
何が言いたい
かと言うと!!
死んだら負け
より
逃げるが勝ち
の方が
のええんとちゃうか〜
せやろがい
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昨日見つけた「せやろがいおじさん」の動画(2分45秒)。以前からチラチラと見ていたのだが、昨日のは秀逸。
私のこのブログにリンクできたらよかったのだが、それはどうもできないみたい。せめて、誰かその叫び全文をアップしてないかと探したがなし。
自分で書き起こすしかない。
時間がかかったけど、これはこれで動画とはまたちがっていい感じ。
「死んだらは負け」のあの発言は胸がムカムカしたが、自分ではそれに対してうまく論じることはできなかった。
「せやろがいおじさん」、ありがとうございました。これでちょっと心が静まりました。
これからも応援します。がんばって「せやろがいおじさんの叫び」続けていってね。
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【今日のきく】
「きくちゃん、見て見て、ネコちゃんがいっぱい。」
「(小さく)ふぇふぇふぇーん・・・。」
7ひきのネコちゃんに圧倒されたのか、きくはまた見て見ぬふり。
「今はちょっとお腹の調子が悪くて、強気には出られませんにゃわ」と言い訳するきくでした。
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【RUN】
今日は久しぶりに、コーナン往復5km。
27分55秒。
太ももの痛みはほとんどなくなったが、体が重い。
しばらくは、この程度の軽い練習を続けよう。
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2018年10月10日(水)
くーちゃんとちさっちゃん [私の好きな人]
ヨメさんの親友・くーちゃんが、昨日また徳島から遊びに来てくれた。
高校時代は京都の別々の高校のフェンシング部で、ライバル関係。大学は同じ大学になり、もうフェンシングはやめていたがそこからさらに仲良くなったらしい。
高校時代からだと、もう40年ですか。長い親友やねえ。
私が眞寿美さんと知り合ったとき、くーちゃんを紹介してもらった。
「二人でいると、いい男は全部くーちゃんのほうに行ってしまう」とぼやいていたが、心の中で「フムフム」と思ったりして・・・。
「私はいっつもヘンタイぽい男ばっかり・・・。」
さらに「フムフム」。
そんなこと言ってたって、もう二人とも56歳やん。これくらいの年齢って、女性にとっては「なに期」に当たるんでしょうね。
若き日のくーちゃんは、今でゆったら「有村架純」。
「そんなええもんか!」と疑うみなさん。けっこういけてましたよ、ほんま。
対するうちのますみちゃんは、今でゆったら・・・。
恐れ多くて、そう簡単に出て来ない。
まあ、私にとったらくーちゃんの何倍も魅力的でしたが。
うーん?
やっぱり私はヘンタイ?
facebookのプロフィール写真に、ワンちゃんの写真を使うのは納得いかない。それだけ今の自分の顔に自信がないということでしょうか。
うちのますみちゃんなんか見てみ−。顔バンバン出してまっせー。
きっと今の自分の顔に自信があるんやわ。ええことやね。
「元・有村架純、自信持ってがんばれ!」
いや、ほんま似てましたわ。
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くーちゃんとこの次男の千里君。私ら夫婦は「ちさっちゃん」ゆうてますけど。
千里君は廉と同い年。小さい時に何回か徳島に遊びに行かせてもらった。
千里君は少年野球をしていたのだが、当時はすごく太っていた。でも、すごく気の優しい子で。廉も真樹も好きだったと思う。
一番の思い出は、徳島の海水浴場にいっしょに行った時のこと。千里君は、昆布と戯れていて全然泳がない。
「泳ごうやー」と言ったら、「ボク、泳げません」と申し訳なさそうに応えた。野球やってたから、泳いだら肩こわすとか言われてたんかなあ。
ぶっとい体で「泳げません」と言ったから、思わず真樹と顔を合わせて笑ってしまった。
それからだいぶあと、高校生になった千里君はシューとした好青年になっていた。私はぶっとい千里君が好きやったんやけどなー。
3年前横浜スタジアムで「横浜対ヤクルト」を見たとき、筒香選手が小さい時のちさっちゃんにそっくりだと思った。
それ以来、ちさっちゃんのことを「つつごー」と言っている。当の本人にとっては迷惑だけなのかもしれないが。
8月末から、思いもかけずfacebookに足を踏み入れた。
「自分の手に負えないことはできるだけ手を広げない」という方針だったのだが、先日千里君のfacebookに行き当たった。現在、お父さんと共に福祉関係の仕事をがんばっている。その様子がアップされていた。
千里君の文が、何の抵抗もなしに心地よく私の体にスーと入ってくる。正直に言って、そのお父さんやお母さん(くーちゃん)の文には引っ掛かったりしてしまうこともあるのに。千里君は文才があると思う。
これは素直にうれしい。ヨメさんの親友は、私にとっては赤の他人。ましてや、その息子さんなんかもっともっと遠い存在。それが、facebookを通して近しい存在に思えてきた。
がんばれ「つつごー」。
いや、今の千里君はさらにシューとした好青年なんやね。
小さい時のイメージだけで「つつごー」と言われるのはイヤだろう。でも私らは、ちさっちゃんがDeNAの4番を張っているような気がしてしょうがない。
ジジイのたわごと、お許しください。
くーちゃんに来てもらってばっかりは悪いから、近々徳島まで行かせてもらおうと思っています。その時はどうぞよろしくお願いします。
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2018年10月02日(火)
「きっと優しい男に」、なれへんかったんかーい! [私の好きな人]
最近の大きなニュースは・・・。
「玉城デニーさんが沖縄県知事に」
「京大・本庶氏にノーベル賞」
「富田林逃走容疑者逮捕」
「貴乃花親方退職決定」
すごくうれしいニュースからどうでもいいようなニュースまでいろいろ。
ただし、私にとってはこれらのニュースより大きなニュースがあった。
「ブログ『きっと優しい男になれるはず』が閉鎖」
私の数少ない友だちである兵庫「ゆめさき舎」のまっちゃんのブログ「きっと優しい男になれるはず」が、9月末をもって閉鎖。今までの記事も全部削除するそうだ。
人には人の事情があるので、しょーもない詮索はしない。しかし、「きっと優しい男になれるはず」というテーマはどうなるのかしらんと思う。
以前、(私のこのブログを見て)「いつも藤井さんと同じことを思っている」と言ってくださったまっちゃん。「偏屈」で通っていた私にとっては、それはラブコールのようなものだった。
まっちゃんの「偏屈」の火はいったん消えてしまうのかもしれないが、私がその種火を残していこうと思っている。気が向いたら、ぜひその種火をもらいに来て、輝かしい(?)「偏屈」の火を再燃させてください。
(ブログを通して知り合ったまっちゃんには、ブログで呼びかけます。)
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以下、まっちゃんのブログを追悼(?)して、まっちゃん風の記事を。
タイトルはーー「本庶氏は『本』当に『庶』民を救うか?」ーー
京都大高等研究院特別教授・本庶佑氏(76)がノーベル医学生理学賞を受賞。受賞理由は「がんの免疫逃避機構の抑制による治療法の発見」。免疫反応のブレーキ役となる膜タンパク質PD1を発見し、このタンパク質の動きを抑える抗体をがん治療薬として用いる研究開発を主導した。
抗PD1抗体は、小野薬品工業が悪性黒色腫(メラノーマ)の治療薬「オプジーボ」として2014年7月に市場に出した。
天下の高額治療薬として有名になった「オプジーボ」。たしか以前は年間3500万。最近値下げされたと言っても年間1000万はかかるらしい。
またすべてのがん治療に万能ではなく、パオパオさんの「甲状腺低分化癌」には効かない。さらに、有効とされるがんにしてもその効果は個体差が大きい。「すごく効く患者もあれば、そうでない患者もある」ということ。それで年間1000万を用意できる「庶民」は、いったいどれくらいいるだろう。
研究者はただ研究に没頭しておればいいのではなく、その研究の成果が本当に一般庶民の手に届くかまでを見届けてほしい。
受賞記念会見で、本庶氏は「何事も疑え」とおっしゃっていた。
京大と言えば、現在進行形中の問題が「タテカン規制」と「吉田寮強制退去」。この問題にも少しでも触れてほしかった。
「タテカン規制は愚の骨頂。歴史ある京大タテカンを撤去して、汚い石垣をさらして、何の景観条例なんでしょうねえ。また吉田寮が老朽化して危険と言ったって、そっちがいいという学生がいるなら話し合いを続けなければ。一方的に退寮通告書を出すなんて、京大のすることじゃない」くらい言ってほしかったねえ。
「本」当の「庶」民と覚えれば覚えやすい本庶氏。
その名前の通りのノーベル賞受賞者であれば、私たちもうれしい。
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まっちゃん、どうですか。
まっちゃん風記事になったでしょうか。
私の癌が発覚してから「ゆめさき舎」には一回しか行ってないけど、また突然お邪魔するかも。その時はよろしく。
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◎朝日新聞10月1日
京大吉田寮、大学が退去求める通告書「不法占有となる」
京都大学は1日午前、学生寮「吉田寮」(京都市左京区)の玄関に、学生の退去を求める通告書を貼り付けた。「10月1日以降に吉田寮に居続けることは不法占有となる」と警告している。
築105年の吉田寮の老朽化対策をめぐっては、耐震性を理由に9月末までの退去を要求した大学側に対し、学生の寮自治会が反発して対立が続いている。
大学側は1日午前11時ごろ、吉田寮に「退舎通告」を貼った。「まだ吉田寮を退舎していない学生諸君は、直ちに退舎するよう通告する。なお、本年10月1日以降に吉田寮に居続けることは不法占有となる」と書かれている。
寮自治会の学生らは取材に対し、「話し合いが中断している中で、一方的に(通告書を)持って来られても困る。まずは話し合いをしたい」と訴えた。自治会によると、吉田寮には1日時点で100人以上が残っているという。
吉田寮について、京大は昨年12月、今年1月以降の新たな入寮を禁止し、今年9月末までの退去を求める基本方針を公表。吉田寮自体は廃寮とせず、寄宿舎として再開すると説明している。これに対し、寮生の間には「退去後に、歴史的にも文化的にも価値のある建物が取り壊されるのでは」との不安が広がっている。(徳永猛城、向井大輔)
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◎毎日新聞10月2日
京大タテカンで本庶さん祝福…でも大学側撤去
京都大吉田キャンパス(京都市左京区)北西角の石垣に2日朝、本庶佑さんのノーベル医学生理学賞受賞決定を祝う立て看板(タテカン)が設置されていた。「本庶佑先生 京大の誇り! 癌(がん)治療に希望!」と書かれていた。京大の正門脇の石垣にもノーベル賞のメダルを印刷して「おめでとうございます」と書かれた紙が貼られ、通行人らが足を止めて興味深そうに眺めていたが、いずれも午前9時に大学側に撤去された。
タテカンは京大の「自由な学風」の象徴とされていたが、京都市の屋外広告の規制条例に基づく指導を受けた大学が5月から撤去。学生らが新たに設置する「いたちごっこ」が続いていた。【菅沼舞】
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2018年09月10日(月)
さたみやのふみちゃんに電話 [私の好きな人]
「こんにちは。前によく泊めていただいていた京都キャロットの藤井です。」
「まあ―、お久しぶりです。お体を悪くされてたようでしたが、だいじょうぶなんですか。」
「あっ、ありがとうございます。よく覚えてくださって・・・。」
「毎年いただいている年賀状で・・・。」
「2年間入院とか病院通いが続いたんですけど、先月でやっと一区切りできることになりまして。」
「そうなんですか。よかった。」
「実はそのお祝いでもないんですけど、10月14日に輪島から羽咋まで73km走るレースがありまして、それに申し込んだんです。」
「えっ、お一人で?」
「はい。今回は出店じゃなくて、ただ走りに。」
「お体はだいじょうぶなんですか。」
「まあ、お医者さんもいいみたいに言ってはりましたし。」
「じゃあ、今練習されてるわけですね。」
「そうなんですよ。それでね、大会の前の日と当日の夜と、さたみやさんに泊めてもらおうかなあと思って電話させてもらいました。」
「それはそれは、ありがとうございます。時間とかは、どういうふうに?」
「すいません。すごく変則的な時間になってしまうんですけど。
13日の土曜日に、羽咋で受付と競技説明会があるんです。それが終わったら、七尾のさたみやさんまで行って泊めってもらって、次の日の朝3時ごろにスタートの輪島に向けて出発する予定です。
輪島を5時スタートで、夜の7時半までに羽咋にゴールしたらいいんですよ。ボクはいっぱいいっぱいの7時半までかかると思います。
ゴール会場に軽食の用意があるらしいので、その日はそれを食べてからさたみやさんに向かいます。着くのが9時くらいになると思いますけど。お風呂に入らせてもらって泊めていただいて、月曜の朝ごはんをいただいてから京都に帰ります。」
「うちは全然だいじょうぶですけど、藤井さんはそれでだいじょうぶなんですか。もっと便利なところに泊まられた方が・・・。」
「いえいえ、このレースに出ようと思ったときからさたみやさんに泊めてもらおうと思ってたんです。いろいろなことも頼みやすいので。」
「ありがとうございます。今お聞きした通りの予定で準備させていただきます。気を付けていらしてくださいね。」
◇ ◇ ◇
「なかじま万葉の里マラソン→能登和倉マラソン」と、長年出店させていただいていたのだが、その時の宿泊先は七尾市の「さたみや」さんと決めていた。
初めてお世話になったころは、まだうちの子らが生まれていない時。でも、さたみやさんのかわいい3人の子を見て、ヨメさんは「子どもがいたら楽しそうやな」と思い出産を決めたらしい。そんな深いご縁のある旅館です。
※ 「ふみちゃん」は若おかみさんの呼び名です。なんと、お子さんまでがお母さんのことを「ふみちゃん」と呼んでいました。
美人でかわいい「ふみちゃん」なんですが、写真NGのため、謎の「ふみちゃん」のまま。残念!
「さたみや旅館」(2008年3月8日)
「さたみや」さんは石川の竜宮城(2009年3月7日)
ふみちゃんトークとネコちゃんウォーク(2014年3月23日)
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「峨山道トレイルラン」の参加申し込みは9月17日まで。ギリギリまで待つと忘れることもあるので、先週申し込み済。あとは泊るところを決めて、細かい行動予定表を作らなければならない。
まずは大会事務局に電話。
七尾の旅館に泊まる予定だが、どう動けば一番効率的かをお聞きした。
大会当日は早く出て、ゴール地点である永光寺(羽咋)近くの駐車場に車を置き、送迎バスでスタート地点の總持寺(輪島)まで行く。そうするとゴール地点に自分の車があるので、そのあとが楽に動ける。
しかし、羽咋出発の最終バスは午前3時。と言うことは七尾を夜中の2時に出なあかん。これはなんぼ何でもしんどい。
七尾の「さたみや」旅館さんに電話したあと、もっといい方法がないか考えてみた。
「あった! これでいこ!」
■10月13日(土)
10:20 自宅出発
11:00 名神・京都東
14:00 北陸・金沢東(4090円)
15:00 羽咋体育館(受付と競技説明会)
18:30 さたみや(七尾)着
■10月14日(日)
3:00 さたみや出発
4:00 總持寺(輪島)着
5:00 スタート
19:30 ゴール
20:45 羽咋駅発・JR
21:05 七尾駅着(500円)
22:15 さたみや着
■10月15日(月)
9:15 さたみや発
9:31 七尾駅発・のと鉄道
10:11 穴水駅着(830円)
12:13 穴水駅前発・北鉄奥能登バス
12:45 門前着(690円)
14:30 北陸・金沢東
17:30 名神・京都東(4090円)
18:30 自宅着
さたみやさんは七尾駅から徒歩5分ほど。
それなら、大会当日は總持寺(輪島)まで運転して行って車を置いておき、ゴール翌日に取りに行く方が賢いような気がする。
9時に寝て、3時ちょっと前に起きたら6時間近く寝られる。そうろっと起きて、そうろっと出かけさせてもらうことにしよう。
さたみやさんの「ふみちゃん」に会うのは4年ぶり。それなのに、電話した時に一番に私の病気のことを聞いてくださったのが感激。
「ふみちゃん」はヨメさん以外では一番かわいいと公言してもはばからない。それはヨメさんも認めるところです。
レースの楽しみに+アルファができたなあ。ひひひひひ・・・。
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2018年09月01日(土)
よりちゃん、見つけたり! [私の好きな人]
facebookの使い方がさっぱり分からん。
ヨメさんに聞いても、うっとしがって教えてくれない。
今凝っているのは「知り合いかも」欄。
自分の手に負えないfacebookは、できるだけ手を広げたくない。元々「友だちはいらん」と思っている方なので、できればも「友達0」で行こうと思っていた。
しかし、いきなり「友達リクエスト」に4名。
そのうちの一人は、私の小学校教諭時代の最後の教え子であるちいちゃん。これを無視したら人間失格。あわてて承認。あとの3名は「知りませんでしたー」で押し通そう。
うちの子どもたちもfacebookをしているので、真樹と廉にこちらから友達リクエスト。真樹はなりすましかもと疑い、メールで確認してから承認してくれた。廉はなしのつぶてだったが、ヨメさんが「承認したって」とラインをしてくれ、しぶしぶ(?)承認。
「知り合いかも」欄の仕組みが分からない。
いきなり、「なんで知り合いってばれてんねん」と私の知り合いが出ていた。そして、ちいちゃん、真樹、廉を友達承認すると、私の知らん人がいっぱい「知り合いかも」欄に。
私は「友だちの友だちは赤の他人」と思っているので、これはちょっとうっとおしい。できるだけ「友達」を増やさんようにせんとあかんね。
ところが「知り合いかも」欄を見ていると、ナリケン(真樹の中学時代の同級生)発見。すぐ友達リクエストをしたが、いまだ承認なし。
「わしゃ、おまえのことを本気で友だちやと思っとるから、承認してくれよー!」
今日は出張販売の前日で、広島の聖湖で宿泊。
そこでまた「知り合いかも」欄を見ていると、よりちゃん(幼なじみで小中時代の同級生)発見。
「よりちゃん、元気にしとったんかいな」と涙が出るほどうれしかった。
私がおふろに入り、上がってくるともう承認されていた。まさか、こんな形でまたつながることができるとは・・・。facebook、ええやん。
ついでにもう一回「知り合いかも」欄を見てみると、常本治君(同い年、久多小学校出身)発見。
昨日NHKの「えぇトコ」に出ていたばかり。
◇ ◇ ◇
「癒やしのパワースポット 命の水湧く山里〜京都・洛北〜」
京都市左京区、鞍馬大原の山に分け入ります。出会ったのは、熊やいのししと一緒に暮らしてきた82歳の猟師。仕留めたばかりの鹿を心を込めてさばき振る舞ってくれます。さらに山の奥へ。かやぶきの屋根が残る里でごちそうになったのは鶏すき。旅人に庭で飼う鶏を振る舞うのが習わしだといいます。そして、夜に見せたいものがあると言われて・・・。それは、かやぶきの家のそばを流れる清流に映える、奇跡のような蛍の乱舞でした。
◇ ◇ ◇
ああおもしろかった。
もう「facebookあそび」はこれくらいにしとこー。
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2018年02月07日(水)
ススムさん [私の好きな人]
◎毎日新聞2月7日
<名護市長>稲嶺氏退任式 辺野古移設の無念さ吐露
沖縄県名護市の稲嶺進市長(72)の退任式が7日、市役所であった。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画に反対し続けて2期8年務めたが、4日の市長選で敗れた。稲嶺市長はあいさつで「一つだけ心残りと強い懸念が私の心の重しとしてのしかかっている。辺野古移設の問題だ」と無念さを吐露した。
稲嶺氏は「未来の名護市のためにも新基地建設は許してはいけないとの思いは固く変わらない」と強調。「名護市は20年にわたって分断され、国策の名の下で市民は翻弄(ほんろう)されてきた。寂しいことだ。いつまで続くのか」と時折言葉を詰まらせながら語った。
大勢の市民らが花道を作って「お疲れ様でした」などと涙声で見送る中、稲嶺市長は市庁舎を離れた。看護師の具志川生(いく)さん(41)は「国から攻められて苦しかったと思うが、歯を食いしばって頑張ってくれた。本当にありがとうと言いたい」と語った。【佐藤敬一、川上珠実】
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(注) 胆のう大暴れ。寝ます。
また、のちほど。
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