パオパオだより

2018年11月26日(月)

ウチナー(沖縄)とヤマト(本土) [時事]

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◎朝日新聞11月24日朝刊

   【平成とは あの時14】 沖縄と本土 広がる隔たり
                       
                       編集委員 真鍋弘樹(52)

 沖縄の負担軽減が目的だったにもかかわらず、当の県民の意思を押し潰して県内に新基地建設を強行する。米軍普天間飛行場の返還計画は、本来の目的を見失って迷走を続けた。この20年余で、日本本土と沖縄の隔たりは繕いがたいほどに広がった。

 ■基地移設交渉、元名護市長の執念
 自分の身をぎりぎりと削りながら政府と向き合っているのだろう。あの時、そう感じた。
 明らかに酒臭かった。名護市の故・岸本建男市長に、いわゆるぶら下がり取材をしていた時のことだ。
 沖縄でサミット(主要国首脳会議)が2000年に開催された翌年、当時も焦点は名護市の東海岸、辺野古だった。
 群青のサンゴ礁をつぶし、どんな工法で、どれほどの規模の新基地を造るのか。数カ月に一度、首相官邸で行われる早朝の会合に、地元市長として出席する。会議後、ICレコーダーを口元に近づけて質問をすると、ぷーんと酒がにおった。
 眠れない、と市長時代はいつもこぼしていた。そう妻の能子(たかこ)さん(70)に聞いたのは10年以上も後だった。若き日は市職員として基地反対の立場だった。そんな岸本氏が市長となり、1999年に基地受け入れを表明すると、反対派は「変節」と受け取った。
 その半面、交渉相手となった政府の担当者は、この市長に手を焼いていた。多くの振興策を国から引き出した上で、基地移設については軍民共用化や使用期限を区切ることを求め、しぶとく交渉を続けたからだ。
 国と地元、双方から疑いのまなざしを向けられ、その本音は家族にも明かさなかった。「政府も、夫のことを信じてはいなかったでしょう。孤立し、寂しかっただろうと思います」
 基地受け入れを決めてからは記者を遠ざけ、肉声を聞けるのは会見などに限られていた。その岸本市長と一度だけ、那覇支局の記者だった頃に酒を酌み交わしたことがある。
 どんな風の吹き回しか、その日は側近を通じて市長室に私を招き入れ、午後5時になるとロッカーから泡盛の一升瓶を取り出した。もう勤務時間を過ぎたからね、と言い訳をして、グラスに透明の液体を注ぐ。
 記事にはしないようにと念を押し、杯を傾けながら、こんな意味のことを言った。条件闘争を続けていれば、いずれは状況も変わり、基地が必要なくなるかもしれない――と。
 「父はずっと交渉を続けるつもりで、基地建設が決まったとは思っていなかったはずです」。息子で名護市議の洋平さん(45)は今、そう語る。「残したかったのは、ウチナーンチュ(沖縄人)の誇りだったのかもしれません」
 市長在任中に肝臓がんが見つかった。だが、岸本氏はそれを公表せず、2006年、退任の翌月に世を去った。享年62。
 「自分は基地容認市長だったと言われるのかな」。入院の直前、能子さんに、そうもらしたという。「夫がぶつかった相手は、日本政府でした」
 国家に立ち向かうとは、どういうことか。
 「コップに水が入っている。ほんの少しだけでいいから、ちょっと口をつけるだけ、と言われてコップを持ち上げると、無理やりぐいっと全部飲まされる」
 そんな例えを、沖縄県の金武(きん)町長だった吉田勝広さん(73)に聞いたことがある。キャンプ・ハンセンという巨大基地を抱えた町でやはり日本政府と基地移設の交渉をした。その彼は今、政策調整監として県知事を支えている。
 このページに広がる東シナ海の青い水面で、沖縄島最北端の辺戸岬と鹿児島県の与論島を分かつのが北緯27度線だ。奄美諸島が日本に返還された1953年から沖縄復帰の72年まで、米軍支配下の沖縄と日本を隔てた「国境」である。
 沖縄の人たちには、この線が今も大きく立ちはだかっているようにみえる。そこに生身でぶつかることの激烈さを、私は想像することしかできない。

 ■「感情の根」語った翁長氏
 差別という言葉を沖縄の政治家が頻繁に口にするようになったのは、2010年ごろだと記憶している。
 「抑止力のために必要なら国民全体で考えるべきで、沖縄だけに押しつけているのは差別ではないか」
 辺野古への移設反対を掲げて名護市長となった稲嶺進氏も10年5月、鳩山由紀夫首相にそう問いかけている。「最低でも県外」と自ら言った公約を鳩山氏が覆し、「抑止力」を理由に普天間の移設先を辺野古へと戻した時のことだった。
 差別。沖縄の人たちがそう心に刻む感情の根を私に教えてくれたのは、翁長雄志・前知事である。
 同年、当時那覇市長だった翁長氏は、搭乗直前の那覇空港で、取材を依頼した私に休みなく語り続けた。
 「基地を他の地域に負わせるのは忍びないと考えるのが沖縄の人たちです。なのに本土にはそれに対する愛情がない。お金が欲しいのかと言う人すらいる。そこまでされて、なぜ日本を守らないといけないのか」
 「全国市長会で、少しでも基地を負担して下さいと提起しても、『申し訳ないが沖縄しかない』と言われる。見て見ぬふりです」
 本土の記者である私に、けんか腰で怒りをぶつけてきた。そんな語りだった。
 普天間飛行場を「最低でも県外」に移すという鳩山首相の公約に、沖縄の人々は希望を抱いた。だが、それに対して本土、沖縄の言葉でいう「ヤマト」の人たちは目をそらし、取り合おうとしなかった。これは、差別ではないのか、と。
 自民党県連の幹事長として、以前は基地の県内移設を進める側だった翁長氏は、こうも言った。「私は共産党とは考え方が違う。しかし、沖縄にもう基地はいらないということでは、保革は一致するんです」
 基地問題と言えば、沖縄でも「保守対革新」「右対左」のイデオロギー対立が背景にあった。だが平成の半ばに「ヤマト対沖縄」の構図がはっきりと浮かび上がる。沖縄に基地をとどめているのは、実は米国ではなく日本なのだと気づかせたのが鳩山政権だった。
 今年死去した新崎盛暉(あらさきもりてる)・元沖縄大学長は生前、取材にこう語っていた。「日米安保の構造そのものが沖縄を差別し、踏み台にして成り立っていることに県民も気付き始めた。沖縄はもう、後戻りできない」
 その思いは、世代を超えて引き継がれている。翁長氏の息子で那覇市議の雄治(たけはる)さん(31)はこう話す。
 「おやじは変わらずにまっすぐ歩いたのだと思う。オール沖縄とは、日本に対してウチナーンチュの心を表すということなんです」
 1995年の少女暴行事件を機に動き出した普天間返還が、最後は県民の代表たる知事の拒絶すら踏みつけて巨大基地建設へ邁進(まいしん)する。その根にあるのは間違いなく日本の意思である。
 ニューヨーク支局勤務時に取材したウォルター・モンデール元駐日大使(90)の証言がそれを裏付ける。95年に基地返還交渉の当事者だった元大使は、米国務省にこう証言している。
 「彼らは、我々を沖縄から追い出したくなかった」
 この発言について、元大使は私に、こう語った。「改善はして欲しいが、基地撤退は望まないと日本の指導者から聞いた。沖縄の基地問題は日本で決めるべき、日本の問題なのです」
 生身の人間として、日本という国家に立ち向かう。その覚悟とは、どんなものなのか。翁長氏が訪米した際、ワシントンで問うたことがある。翁長知事はたった一言、こう答えた。
 「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ってね」
 知事在任中の今年8月、翁長氏は膵臓(すいぞう)がんで他界する。享年67。
 死の数日前に本人が後継指名した玉城デニー氏は、翌月の知事選で過去最多の票を得て圧勝した。沖縄とヤマトを隔てる見えない裂け目は、ますます広く、深くなっている。

 ■米軍駐留、一番に望んでいるのは日本 鳩山由紀夫・元首相
 普天間飛行場の「最低でも県外」という公約については、民主党のマニフェストに明記されていなかったものを私が踏み込みました。正確には「沖縄の民意があるなら」という言い方でしたが。沖縄を初めて訪れた時、他の地方とは違う重さを感じ、政治家としてできることはないかと考えたのです。
 加えて、常時駐留なき日米安保、つまり国難の時のみ米軍に協力を求める安全保障条約を以前から考えていました。外国の軍隊に頼り切るのは、真の意味での独立国ではありません。
 居心地がよく、思いやり予算で日本が経費を負担する沖縄の基地は、米軍も手放したくないでしょう。しかし、彼ら以上に「出て行かないで」と考えているのが日本です。少なくとも首相在任中、オバマ大統領から「普天間の移設先を辺野古に決めて欲しい」と直接言われたことは一度もなかった。
 私が辺野古やむなしと考える前提となった「基地の65カイリ以内に訓練場が必要」という米軍のマニュアルは存在しないことが明らかになっています。日本の官僚は偽りのペーパーで私をだました。つまり日本は、自発的に辺野古に新基地を造っているのです。
 首相辞任については、自身の公約を実現できなかったことで身を引くしかないと考えました。米国の圧力で辞めたのではありません。首相に協力せずに米国の意をくんで動く官僚が日本の側にいたからで、外国の圧力に屈するよりも情けない状況だと思います。このことには首相在任中に早く気づかなければいけなかったのですが、当時は早く移設案をまとめることばかり考えていました。反省しています。
 翁長知事には生前、お会いしたことがある。自分は那覇市長になることが夢で、それをすでにかなえたから無欲なんです、と話していた。沖縄のために無欲に尽くすことから、あの信念が生まれているのだと感じました。
     *
 1947年生まれ。自民党を離党し民主党を結党、2009年から翌年まで首相。12年に政界を引退。

 ■私と平成 編集委員・真鍋弘樹(52)
 約20年前から記者として沖縄に関わり続ける間、知り合った多くの人が亡くなった。大田昌秀元知事や辺野古に住む基地反対派のオジイら、国に体を張って向き合った人たちが次々とこの世を去った。
 普天間返還が新基地建設へといつの間にか姿を変え、沖縄の人々は希望と絶望の間を何度も行き来した。国というものが、組織と金と権力の全体重をかけて意思を押し通そうとする時、一人の人生はあまりに短く、もろい。
 米軍基地という異物を、一部の地域に押しつける。そのエゴと偽りを自覚し、自分の体感を広げて、どれだけ我がこととして考えることができるか。沖縄を報じることの意味を、いつも自分に言い聞かせている。これは「沖縄問題」ではなく、日本の問題なのだと。
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バイト先の中庭の紅葉

 寮2の管理代行は原則金曜日なのだが、今週金曜は月末締め日のため寮長寮母さんは休めない。そのため、今週は月曜に代行。

 またいつもの朝日・日経チェック。
 いい記事を見つけました。

 岸本健男・元名護市長、翁長雄志・前・沖縄知事、鳩山由紀夫・元首相の話。
 鳩山さんのは、「今ごろ何ゆうとるんじゃい!」って感じですが、岸本さんと翁長さんの話はしっかり読んでほしいと思う。

 もう「沖縄」の人たちの「人のよさ」に付け込んで、迷惑施設である「米軍基地」を押し付けるのはやめましょう。
 京都も丹後に米軍レーダー基地ができたが、米軍基地がない都道府県が沖縄の米軍基地引き取れよ。

 普天間だけでなく、沖縄のすべての米軍基地を撤去して、なんか困ることあるん?
 どっこも引き取らんにゃったら、京都にもう一つ増やしてもええがな。京都府も京都市も、政権側の知事と市長なんやから。
 役に立たんやっちゃなあ、山田知事と門川市長!

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2018年11月25日(日)

第39回瀬戸内海タートルフルマラソン [ランニング]

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 今回は犬つながりで・・・。

 去年の10km42分21秒は無理としても、それより1分遅い43分半の目標でスタート。そこそこいい感じで走れていたのに、ゴールは44分38秒。

 失意のゴールだったのだが、そこに待っていたのは「パンダ犬」。私の少し前にゴールされた女子3位の方の飼い犬だった。

 この犬、見たことあるぞ。
 そうそう、5月の「小豆島オリーブマラソン」のときにもいた。今日走ってられた女性のお母さんが、「皮膚病でねえ、年寄りに見えるけど、まだ6歳なんですよ」とおっしゃっていた。
 その時は遠慮して写真は撮らなかったのだが、今日は「撮らせてもらっていいですか」とお聞きして撮らせてもらった。
 ゴールされた女性が、「モモ、モモ、こっち向いて」と言ってくださっていい写真が撮れました。「本当はかわいいんですよ」とおっしゃておられたが、今でも十分かわいいですよ。

 また来年の「小豆島オリーブマラソン」で会いましょうね。
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 朝6時起き。
 着替えてすぐ出発し、6時10分くらいに役場前到着。

 出店準備中に朝日が昇ってきた。

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 会場レイアウトが毎年同じなので、うちを目当てに来てくださるお客様も見つけやすい。

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 お弁当引換所の横なので、全ランナーが前を通ってくださる。

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 開会式の前に、恒例の地元小学生のマーチングパレード。
 先頭を引っ張る女子があまりにも美少女でビックリ。

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 この人数はすごい。
 たぶん小さな小学校だと思うのだが、伝統が受け継がれているんですね。

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 この大会はゼッケン先送りなので、みなさん自分のペースで行動できる。開会式参加者も多い方だと思う。

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 しっかり練習できており、見ごたえ聞きごたえがあった。

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 一番前で見ておられるのは、ひょっとしてパレードに出ている小学生のご家族でしょうか。ランナーではなさそう。

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 小豆島のゆるキャラ、「オリーブしまちゃん」。

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 9時ごろからアップジョグへ。
 3kmほど走って帰ってきたら、フルの部のスタート(9時30分)が間近。
 フルが1139名、ハーフが1180名、10kmが809名のエントリーで合計3128名。

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 フルの10分後にハーフ、そのまた10分後に10kmがスタート。

 このコースは、きつい峠越えがあるのだがなぜか走りやすい。
 2012年、41分25秒で15位。
 2013年、40分55秒で13位。
 2017年、42分21秒で26位。

 今年は練習できていないのだが、なんとか去年の1分遅れ以内の43分半が目標。
 ヨメさんと飛び賞はどれがいいかを見ていたのだが、29位の「小豆島オリーブ牛賞」狙いで行くことに決定。牛肉もらえるんかなあ。

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 このコースは、2km付近のエイドを過ぎたあたりから急な上り坂。ここをうまく上れば、下りでリズムに乗り、残り7kmが快適に走れる。

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 登り坂の途中にかわいいパンダが2頭。
 これはうれしい。

 その先の峠を過ぎた下りでパワー全開。
 いい感じで走れていた。

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 5km22分半くらい。
 遅いがな―。ゴール45分超えるがなー。

 折り返しで順位を確認すると32位。
 女子が2人いたようなので、私は男子30位。一人抜いたら29位でお肉ゲットかなあ。そう思って一人抜くことだけを考え必死で走った。

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 何とか前の一人を抜き、その前のランナーも抜けそうだったが「肉狙い」だったので自重。思い通りの「29位」でゴールのはず。

 後ろにもランナーが来てなかったので、ゴールテープを張ってもらうまで待ってからゴール。ヨメさんが写真を撮ってくれてるかもしれんし。

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 記録証をもらうと、総合31位で男子の28位。
 あかんがなー。
 私の前の女子は2人だと思っていたら、3人もおられた。それに飛び賞は総合順位で。今まで女子には負けていなかったので、総合順位という意識がなかった。
 総合順位31位ということは、私はあと2人抜いておかないと肉はもらえなかったということ。あーあ、残念!

 ゴールタイムは44分38秒。
 ラップは以下の通り。

 4:20
 4:36
 4:50(上り)
 4:10(下り)
 4:29     前半5km22分27秒
 4:25
 4:38(上り)
 4:09(下り)
 4:24
 4:25     後半5km22分11秒

 全然あかんタイムやけど、後半のほうがちょっと速いちゅうのがええねえ。

 

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 あまりものタイムの悪さにガックリしていると、目の前をかわいいワンちゃんが。このワンちゃん見たことあるわー。
 うっすら残っている記憶を頼りに、犬を連れておられた女性に声をかけた。話しているうちに、5月の「小豆島オリーブマラソン」で会ったのを思い出した。

 大事大事にしてもらっているモモちゃん。皮膚病が治ったらいいのにね。

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 2週間前のレース「日置川ハーフ」でも、そこそこいい感じで走れていたのに15kmあたりからガクンと来た。今日も自分ではいい感じで走れていると思っていたのに、去年より2分以上遅いとは・・・。

 一挙に「老化」か?

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 ゴールしたら、うちの出店テントにヨメさんがいない。
 私はランシャツランパン姿で接客。
 そこらを見渡しても見つからないので、ヨメさんの携帯に電話。すると、私のゴール写真を撮るためにずっと待っていてくれたそうだ。

 私はゴールテープを切りたかったので、わざとゴール前で止まり、テープをはってくださるのを待ってゴールした。それなのに、なんで私の姿を見つけられんかったかなあ。

 ヨメさんは「ずっと待ってたのに」と怒っていた。そんなこと言われても・・・。フシギ、不思議。

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 今年も選べるお弁当。
 私の出場分と、プログラム広告分とで2つ。
 私はウインナーの入っている方をいただいた。

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 ハーフスタートから2時間たったので、桑田・村松ペアの応援へ。
 私の予想通りの時間に戻ってこられた。

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 桑田さんは静岡の方なので、岡山の村松さんとは練習なしでの本番であると思われる。それでもすごく息の合った走りに見えた。

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 近道の橋を渡って、ゴールへ先回り。
 いいゴール写真が撮れた。

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 そのあと、私のダウンジョグ。
 今年は知り合いの出場が少ないので、コースを外れたところを走ることにした。

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 オリーブ果樹園の横も走った。

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 小豆島霊場の本部。
 開創1200年とはすごい。
 そんなに前からお遍路さんがおられたということですね。

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 フルスタートの5時間半後の午後3時に競技終了。
 そのころからぼちぼち片付けはじめ、3時半に交通規制解除で車を会場内へ。
 4時20分ごろ片付け終わり、会場出発。

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 いつもの「マルナカ」さんでちょっとだけお買い物。
 「5時半のフェリーに乗れたらめっけもん」というつもりで土庄港へ。港に着いたのは5時10分くらいだったが、余裕で乗れた。

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 岡山に着き、ラーメン屋さんへ。

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 今日は、廉がきくの世話に帰って来てくれているので安心。
 急いで帰る必要もなかったが、私が明日早朝からバイトなんで・・・。

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 三木SAによると、きれいなイルミネーション。
 ヨメさんに「ポーとれ」と言っても、恥ずかしがってしなかった。おもろなー。

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 私はウサギの耳引っ張りポーズ。

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 私の新しいカメラは、思ったようにきれいに撮れない。
 前の壊れたカメラのほうがよかったかな。

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 ヨメさんの携帯で撮ったツーショット。
 ヨメさんが何枚撮っても何枚撮っても「ぶさいく!」と絶叫していた。何枚撮っても何枚撮ってもぶさいくということは・・・。

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 新名神開通で渋滞なし。
 家に着いたのは10時半。
 廉がぎりぎりまで残ってくれたので、きくは大満足。いつもの「さびしかったよー、キュンキュン」はなかった。

 前日売り上げが伸びたので、当日も期待していた。ところが当日分は前年より大幅ダウン。うまいこといかんもんですねえ。

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2018年11月24日(土)

第39回瀬戸内海タートルフルマラソン・前日 [ランニング・出張販売]

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 今日の1枚はこれ。

 「ピース・メス・12歳か13歳」

 岡山港でかわいいワンちゃんを見つけ(「麦・メス・6歳」)、写真を撮らせてもらおうと思っていたがタイミングが合わなかった。
 ガッカリしていたら、土庄港でまたかわいいワンちゃん発見。

 「ワンちゃんの写真撮らせてください。」
 「撮ってもらうほどいい犬じゃないんですよ。」
 「そんなことありませんよ、めっちゃかわいいじゃないですか。」

 ピースちゃんは元保護犬のため、正確な年齢は分からないらしい。でも13歳なら、うちのきくと同い年ですねえ。
 飼い主さんが明日走られるらしい。待ってる間退屈やろうけど、かしこう待っててね。
 また来年も会えるといいね。
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 家を出たのが7時。
 新名神開通で宝塚を通らなくて済む。ひょっとしたら10時30分のフェリーに間に合うかもと思ったが、ちょうど10時半に到着。
 そのおかげで、「麦・メス・11月22日生まれの6歳になったばっかり」に出会うことができた。

 売店でわかめうどん(500円)を食べてゆっくり。
 その次の11時20分に乗船。

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 いつもならフェリーの中でぐっすり寝てしまうのだが、ヨメさんが「ウミネコにかっぱえびせんやりに行こう」と言う。

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 デッキに出ると、もうウミネコたちは待ち構えていた。

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 ヨメさんは左利き。
 コントロールむちゃくちゃ。

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 えびせんを指に挟んで差し出したが、なかなかうまくくわえて行ってくれないようだ。

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 私も挑戦。

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 最初大量に放り投げていたが、ほとんど海に落ちてしまっていた。

 途中から、「指に挟んで差し出す」方法に変更。これはうまくいった。

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 ギリギリまで近づいて取れへんかったウミネコの残念そうな表情が印象的だった。

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 船員さんの帽子をかぶってツーショット。
 近すぎて、何や分かりませんね。

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 12時30分、土庄港到着。
 そのままターミナル前に商品を陳列。

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 スッキリ見やすく出すことができた。

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 ヨメさんが「お腹へったー」と言うので、すぐ近くのコンビニへ。
 肉まん、あんまんが10%引きだった。

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 かわいいワンちゃん登場。
 「名前はピース」と言われたのでオスかと思ったら、お上品な女の子でした。

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 毎年楽しみな、岡山の村松達也さん。
 主催されている「FORESTORAIL」のことを詳しく聞かせてもらった。来年も9月第4日曜開催なら、出場させてもらおうかなあ・・・。
 (「FORESTRAIL」は、岡山の新庄、蒜山地域で行われるロング72km、ミドル25kmのトレイルレース。)

 「私らただ出させてもらうだけで、レースの後にコースの傷みなどを全部点検しておられることとか知りませんでしたわ。」
 「説明会で通ってはいけない個所を徹底しているつもりなんですけど、どうしても守ってくれないランナーがいてねえ・・・。」

 本当に頭が下がります。

 「村松さん、Facebookで外国のをよくフォローされてるじゃないですか。ひょっとして、英語ペラペラ?」
 「ペラペラというわけじゃないけど・・・。」
 そこで横から明日の伴走相手の桑田さんが、「ペラペラですよ。」
 「そらそうやわね、海外のレース行きまくってはるし。」

 来月の「沖縄100K」も、「初めから歩きを挟む」村松流を徹底して完走目指します。

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 5時過ぎから片付け始め、6時半に全部積みこみ完了。このぎゅうぎゅう詰めを、また明日全部出さんなんのですけど。

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 お泊りは、毎年お世話になっている「大師の宿・岡田長栄堂」さん。

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 毎度おなじみ、弘法大師さんとツーショット。

 去年史上最低の売り上げに落ち込んでしまったが、今日の分だけ見ると去年よりちょっと増えていた。明日もこの調子で繁盛するといいんですが。

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2018年11月23日(金)

出張準備に6時間 [ランニング・出張販売]

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 明日から小豆島に出張。
 今日はその荷物の積み込み。

 今回は車から荷物をほとんどおろしていたのと、新しい商品が入ったのとで大混乱。在庫確認をしながらの積み込みになったので、すごく時間がかかった。
 午後3時半から始め、積み終わったのは9時半。なんと6時間もかかってしまって、晩ごはんが9時半過ぎに。早い時は2時間くらいで積み終わるときもあるというのに。

 「瀬戸内海タートル・フルマラソン」も今回で第39回。そのうち、「京都キャロット」は30回近く来させてもらっていると思う。

 以前はすごく売れた大会だが、近年大規模マラソン大会が増え、参加者がだいぶ減ってしまった。
 しかし、今年の申込者数は3128名。去年が2881名なので、250名ほど増えた。これはうれしい。
 大規模大会の参加費が軒並み10000円前後なのに比べ、この大会はフルでも4000円でお弁当付きですから。その点が見直されたのかもしれません。
 
 また、この大会は「毎年必ず出る」とおっしゃるランナーも多い。「キャロットさんで買い物をするのが楽しみで」と言ってくださる方も多い。
 そう言ってくださる方のためにも、ぎゅうぎゅう詰めに積みましたでー。
 明日は土庄港ターミナル前、大会当日は会場内弁当引換所横で出店していますので、必ずのぞいてくださいねー。お願いしまーす。

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【今日のきく】

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2018年11月22日(木)

脅迫に屈す [時事]

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香山さんの講演が中止になった京都府と南丹市など主催の子育て応援フェスタのチラシ

◎京都新聞11月22日(木) 20:04配信

   香山リカさん講演中止 「日の丸の服着ていく」市に妨害電話

 京都府南丹市が24日に開催予定だった精神科医・香山リカさんの子育て応援講演会で、催しへの妨害を示唆する予告を受けて講演者を差し替えていたことが22日、分かった。香山さんは京都新聞の取材に「行政が脅しに屈してはならない。前例を作ってしまうことになりかねず、毅然(きぜん)とした態度を示してほしかった」と憤っている。

 子育て講演会は昨年度から同市と府などが主催する「京都丹波子育て応援フェスタ」の一環。香山さんは「子どもの心を豊かにはぐくむために―精神科医からのアドバイス」と題して、同市園部町の市国際交流会館で講演する予定だった。

 市によると、今月15日以降、子育て支援課に香山さんの講演への抗議が電話で5件、来庁で1件あった。「日の丸の服を着て行ってもいいのか」といった匿名の電話のほか、「香山さんをよく思わない人が行くかもしれない。大音量を発する車が来たり、イベント会場で暴力を振るわれ、けが人が出たら大変だろう」と中止を迫る内容もあり、京都府警南丹署に相談した。

 子育て応援フェスタでは香山さんの講演のほかに、子どもの来場が見込まれるものづくり体験や出産や子育ての相談コーナーなどを実施する予定のため、同課は「本来は警備体制をしいてでもやるべきだが、会場の混乱を避けるためにやむを得ず、講師の差し替えを決めた」としている。

 香山さんによると、講演は、育児に悩む母親と向き合ってきた経験をもとに、子育てに自信を持てるよう励ます内容で、「南丹市の母親に会えるのを楽しみにしていた。安全を考えるのは大切だが警備強化など対策も考えられたはず。市から事前に相談はなく、中止に至った具体的な説明もない」と不信感を募らせる。

 代役の講師は、ジャーナリストの石川結貴さんが務める予定。
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 これはあかん。
 これは最低。
 脅迫に屈したら際限がなくなる。

 南丹市は、なんで脅迫に屈してしまったんやろう。
 京都府警南丹署は、「私たちがしっかり守りますから、安心して開催してください」とは言われなかったのだろうか。

 私も京都府民の一人として、本当に恥ずかしい。

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2018年11月21日(水)

「ザ ブッフェスタイルSARA」 [グルメ情報]

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 映画のあとはランチバイキング。

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【今日のきく】

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【RUN】

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「ガンジスに還る」 [映画]

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◎映画.comより

■解説

インドの新鋭シュバシシュ・ブティアニ監督が弱冠27歳で手がけ、ベネチア国際映画祭などで賞賛されたヒューマンドラマ。雄大なガンジス河を背景に、誰にでもいつか訪れる「死」というテーマを、ユーモアと人情味を交えて描いた。ある日、不思議な夢を見て自らの死期を悟った父ダヤは、ガンジス河の畔の聖地バラナシに行くと宣言する。家族の反対にも決意を曲げないダヤに、仕方なく仕事人間の息子ラジーヴが付き添うことに。安らかな死を求める人々が集う施設「解脱の家」にたどり着き、ダヤは残された時間を施設の仲間とともに心穏やかに過ごそうとするが、ラジーヴとは何かと衝突してしまう。しかし、雄大なガンジス河の流れが、次第に父子の関係を解きほぐしていく。
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 バイトの都合で、私が水曜休みになることはめったにない。しかし今週はもう一人の代行さんの都合が悪く、私が火・木と出ることになった。そのため久しぶりの夫婦そろっての水曜休み。
 「映画行こか」と誘ったら、「『ガンジスに還る』がおもしろそうやわ」とヨメさんが言う。ヨメさんが自分から見たい映画を言うことはめずらしいので、即決定。
 ところが、その日にヨメさんの親友・くーちゃんが遊びに来ることになった。
 予定変更になりかけていたが、映画に興味のないくーちゃんが私らに付き合ってくれることになった。晴れて、3人で京都シネマへ。

 以前京都映画サークルに入っていた時、年に1回はインド映画が含まれていた。そして、そのどれもが印象に残るいい映画だった。

 今回もよかった。
 異文化に触れるだけでも価値がある。
 また「老人の死」がテーマになっていて、私にとっても身につまされるシーンがたびたびあった。ただ、私より6歳下のヨメさんやくーちゃんにはどうだったんでしょう。

 「この映画、日本人がやるとしたら三國連太郎と佐藤浩市やな。」
 我ながら、グッドアイデア!
 ほなら、「解脱の家」で知り合った彼女は・・・。
 息子の嫁は・・・。孫娘は・・・。
 なかなかいい人が思いつかないが、そんなふうに映画を見るのもおもしろい。

 映画の最後に原題が表記された。
 「HOTEL SALVATION」
 直訳すると「救済ホテル」。

 なーんや、「解脱の家」じゃなくてホテルやったんかー。
 「ますみちゃん、別所で『解脱の家』しょうか。別所産の間伐材による火葬サービス付きちゅうのはどう? めっち繁盛すると思うけど・・・。」
 「却下!」

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「ぼけますから、よろしくお願いします。」 [映画]

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◎映画.comより

■解説

自身の乳がん闘病を描いたドキュメンタリー番組「おっぱいと東京タワー 私の乳がん日記」でニューヨークフェスティバル銀賞などを受賞したテレビディレクターの信友直子が、認知症の母親と耳の遠い父親を題材に手がけたドキュメンタリー。広島県呉市で生まれ育った信友監督は、大学進学のため18歳で上京して以来、40年近く東京で暮らし、現在はドキュメンタリー制作に携わるテレビディレクターとして活躍している。呉市に暮らす両親は結婚もせずに仕事に打ち込むひとり娘を遠くから静かに見守っていた。45歳で乳がんが見つかり、落ち込む娘をユーモアあふれる愛情で支える母。そんな母の助けにより、人生最大の危機を乗り越えた信友監督は両親との思い出づくりのため、父と母の記録を撮りはじめる。しかし、信友は母の変化に少しずつ気づきはじめ……。2016年と17年にテレビで放送された作品に追加取材、再編集を加えて、信友監督初の劇場作品として劇場上映。
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 「私が動けんようになっても、アンタはなーんにもしてくれへんやろなあ」というのがヨメさんの口癖。
 「いやいや、その時になってみんと分からんで」と私。
 「わかっとる、わかっとる」とヨメさんは断定。

 今日は徳島からヨメさんの親友のくーちゃんが出てくるので、お昼から3人で映画を見てランチバイキングの予定。
 せっかく映画館(京都シネマ)へ行くので、私は単独先乗りしてもう1本見ることにした。それがこの映画、「ぼけますから、よろしくお願いします。」

 信友直子監督の母87歳、父95歳。
 その母が徐々にぼけて、父が世話をしていくドキュメンタリー。

 お父さんは大正9年生まれらしいので、現在98歳。うちの父の1歳上。毎日、新聞を端から端まで読み、記事の切り取りをするのを日課にされている。そこだけ、私と似てますね。

 「100歳まで生きる」おっしゃっていたが、何も書かれていなかったので、今も元気で、あと2年くらいだいじょうぶなんでしょうね。

 うちの父も、もう27年以上前になるが、病に伏せた母の世話をしっかりとしていた。そのDNAを、私が少しでも受け継いでいたらいいんですけど・・・。

 いい映画だと思いました。

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