2018年11月08日(木)
コンクリトラックで鍛錬 [ランニング]
ちょうど1週間前に行ったコンクリトラックの練習をもう一度。
5時過ぎ、自宅スタート。
まずは宝が池公園のコンクリトラックまで、3km17分09秒。
今日は、今度の日曜の「南紀日置川リバーサイドマラソン」ハーフに向けてペース走をしたい。1時間40分は切りたいので、キロ4分45秒以内のペースで行かなくてはならない。
最初の1km、4分32秒。あかん、速すぎるやん。
でも私の性分として、途中からペースを落とすのは無理。
「ええい、行ってしまえー!」
4分32、4分37、4分37、4分34、4分33で22分54秒。
このペース(キロ4分35秒)でハーフを走れたら、1時間36分42秒。
去年は1時間34分57秒で優勝させてもらったんですが、今年はそんなに甘くはないでしょうね。
帰りはゆっくり遠回り。
5km、36分52秒。
今日は、3+5+5で13km。
ハーフまでの練習としては、これで十分。
去年ほど調子は良くないが、一応1時間35分を目標にしよう。
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【今日のきく】
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2018年11月07日(水)
重い荷物を一緒に負って [沖縄]
◎毎日新聞11月7日朝刊・記者の目
普天間移設 菅官房長官の発言
正確な事実踏まえ説明を=三森輝久(熊本支局・元那覇支局)
10月25日本紙オピニオン面「論点」に掲載された米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設を巡る菅義偉官房長官の言葉に暗たんたる気持ちになった。菅氏が移設の経緯を正しく説明していないからだ。
20年以上ある歴史の中で移設計画は変容したが、菅氏はその過程にあった政府の不誠実な対応に言及していない。国民が菅氏の説明をそのまま信じれば「移設を巡り、沖縄の側が政府との合意を翻した」と誤解するだろう。県内移設を拒む沖縄の人々を「反日」などとおとしめるゆがんだ「沖縄ヘイト」にもつながりかねない危険な言説だ。
菅氏は常々、移設について沖縄の人々に「丁寧に説明したい」と繰り返してきたが、2005年から5年間那覇支局に勤務して移設問題を追った記者として、国民に誤った認識が広がらないよう、丁寧に説明したい。
菅氏は次のように語った。
「22年前(1996年)のSACO(日米特別行動委員会)合意で普天間飛行場の全面返還が決まり、地元の市長と知事の同意を得て辺野古への移設を閣議決定したという経緯があるわけです」「これはもともと地元と話して決めたことじゃないですか。日米合意以来、沖縄や政府の関係者が努力を重ねてきた。辺野古の工事も、地元知事の埋め立て承認をいただいて決まったことをやってきたわけです」
素直に読めば、日米合意を基に政府と沖縄が話し合って移設計画をつくり、政府はその計画に基づいて埋め立て工事を進めている―と受け取るのが普通だ。
■19年前閣議決定 現行計画と違う
しかし、実際はそうではない。菅氏が言う「閣議決定した」計画は、V字形2本の滑走路を備えた現行計画ではなく、その前身、辺野古沖2.2キロの海上を埋め立てて滑走路を造る当初計画のこと。この二つは似て非なるものだ。
当初計画の起点は、日米合意後の98年、稲嶺恵一氏の知事当選にある。稲嶺氏は「苦渋の選択」として「15年使用制限」「軍民共用空港」の条件付きで県内移設を容認し、99年11月、名護市の岸本健男市長(故人)に辺野古沖を移設場所として受け入れを要請した。岸本氏は同年12月27日、15年使用期限や基地使用協定締結など7項目を条件に容認。政府は翌28日、「使用期限については米国政府との話し合いで取り上げる」などとして7条件を受け入れた形で移設方針を閣議決定した。政府と沖縄県、名護市はその後協議を重ね、02年7月に辺野古沖移設計画をつくる。しかし、この計画は反対派の海上での阻止行動などで進まなかった。
■ほごにされた条件付き容認
流れを変えたのは小泉純一郎政権だ。05年、世界規模で米軍配備の再編を進めていた米国と協議し、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ陸上部を造成し、あわせて沿岸部を埋め立てて1本の滑走路を整備する計画に変更した。この計画だと、反対派が入れないシュワブ陸上部から海の埋め立てができる。移設場所は当初計画より辺野古の集落に近くなった。この時、政府は沖縄県や名護市に相談せず、了解を得ないまま米政府と合意した。そして15年使用制限などの7条件も雲散霧消した。
沖縄県からすると、苦渋の選択の末に条件付きで容認し、政府と協議して決めた移設計画を、基地固定化を防ぐためのの綱だった使用期限などの条件とともに一方的に破棄され、計画変更されたことになる。この経緯を那覇支局で取材していた私は、沖縄側のすさまじい怒りを今も覚えている。日米両政府の合意は当時、米軍再編中間報告と呼ばれたが、知事側近は地元を説得してつくった条件付き移設計画をほごにされ「何が中間報告だ」と言い捨て、別の側近は「こういうことに対する沖縄の怒りに、保守も革新もない」と語った。
現行計画に地元同意があったとすれば、中間報告案を現行計画に修正した06年の政府と名護市の協議だろう。だが、当時の島袋吉和市長は岸本元市長の7条件を無視して容認したため支持市議の離反を招き、次期市長選での落選につながった。地元の納得を得たとは言えない合意だった。稲嶺知事も計画を容認しないまま退任している。
埋め立て承認は13年、次の知事だった仲井真弘多氏多によるものだが仲井真氏はその3年前の知事選で「県外移設」を公約に当選し、埋め立てを承認するまで現行計画を容認するとはただの一度も言わなかった。県民の信任はなかったのだ。
政府が沖縄との合意や条件をご破算にした経緯があるにもかかわらず、菅氏は「論点」で一切語らず「地元と話して決めたこと」を「やってきた」ことにした。玉城デニー沖縄県知事が辺野古移設に反対する現状に照らせば、政府と協議して決めた計画を、今になって沖縄が態度を翻したをと誤解されかねない。
沖縄の人々が訴えているのは、米軍基地という重い荷物を、本土も一緒に負ってほしい、なぜ沖縄だけに負わせるのかという、根本的な疑問である。政府は正確な事実経過の上に立って説明を尽くし、その疑問に向き合わなければならない。
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県内移設を拒む沖縄の人々を「反日」などとおとしめるゆがんだ「沖縄ヘイト」人よ、せめてこれくらいの記事を読んでから発言せーよ。
今日の毎日新聞の「記者の目」はよかった。どこかでコピーできるかと探してみたが、この記事は有料記事らしい。
全文2056文字中、非公開の残り1746文字をポチポチと打ち込みましたがなー。多くの人に読んでもらいたいなあ。
それにしても、菅官房長官!
自分にとって都合の悪いことはできるだけ隠して、うまいことごまかしたらええと思っている腹黒人間・・・。
おっ?
それって・・・。
わしや、わしや。
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【今日のきく】
水曜恒例、17時間バイト帰りの深夜お散歩。
「腹黒パオパオ」と「背黒きく」のツーショットを撮ろうと思ったが、きくはあっちを向いてしまった。背黒も写ってませんね。
これが、きれいな「きくの背黒」。
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2018年11月06日(火)
きくの予約 [わんこ・にゃんこ]
「きくちゃん、今日はおばちゃんといっしょに寝よか―。」
昨日の夜、ヨメさんはきくにそう予約していた。ところが、ヨメさんはすーっと寝に上がってしまったので、きくは変な顔をしていた。
「オッサンが2階に上げたるがなー」と言って、きくをだっこして持って上がった。初めはヨメさんのふとんに寝ていたのだが、私がいったん下に下りて歯を磨いたりして上ってくると、私の部屋のふとんにちょこんと寝ていた。
「あれ、オッサンと寝るん? オバサン、おこらへんかなあ。」
そう言って、私のふとんの端に寝かせてやった。
そして朝まで。
きくはほとんど動かず私の横で眠っていた。
なーんでか。
ちょっと前に1回同じ事があった。でも、たいていは私が近づくとガウガウと威嚇するきく。どんな心境の変化があったんでしょうね。よう分からんわ。
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2018年11月05日(月)
採血と父〜病気のおさらい〜 [病院]
おととい「京都丹波ロードレース」で、私の最後の教え子の一人・ともちゃんに久しぶりに会った。私の病気のことを心配してくれているともちゃんは、「5年経過してだいじょうぶなら、もう心配ないんですよね」と言ってくれた。
「いやいやいやそれは一般的な癌の場合であって、甲状腺低分化癌ちゅうのはそれとはちょっとちがうみたいなんやわ。いつ転移するか分からんし、転移したらえらいことになるみたいな・・・。」
「えー、そうなんですか。」
(それにまだ2年で、あと3年生きられるかどうかも確定的ではない。)
甲状腺低分化癌の当の本人である私も、実はもひとつよく理解できていない。もう一回おさらいしましょうか。
■2016年
8.18 胆石胆のう炎+甲状腺腫瘍の診断(CTスキャンによる)
9. 2 首に針(穿刺吸引細胞診)
9.12 甲状腺腫瘍は「5段階の3」との診断、摘出手術を勧められる
10. 3 入院
10. 4 甲状腺右葉摘出手術
10.11 甲状腺低分化癌の告知(遠隔転移の可能性大と言われる)。退院
10.20 PET検査
10.31 PET検査結果、転移なしだったが全摘手術を勧められる。
■2017年
2. 4 セカンドオピニオン(神戸・隈病院)
3.17 再手術決定
4.26 入院
4.27 甲状腺全摘・リンパ節郭清手術
5. 4 退院
5.19 京大病院へ行き、アイソトープ治療申し込み
7. 9 タイロゲン注射
7.10 京大病院入院、アイソトープ治療
7.14 退院
■2018年
2. 8 緊急入院(胆のう炎発作、ステント挿入)
2.17 退院
3.19 入院(ステント除去)
3.24 退院
7.12 入院
7.13 胆のう摘出手術
7.18 退院
8. 5 タイロゲン注射
8. 6 京大病院入院、アイソトープ治療
8.10 退院
※ 1年10か月の間に7回入院。病院とお友だちになってしまいましたわー。
これで一区切り。
次の血液検査で、サイログロブリンの値が「限りなく0に近づいておれば」、あと3年はだいじょうぶでしょう。甲状腺細胞から出るサイログロブリンは、甲状腺細胞がなければ検出されない。これが0に近づくということは、遠隔転移の可能性も0に近づくということ。
その採血が今日で、結果を教えてもらえるのが1週間後の11月12日。ああ待ち遠しい。
私は「ごくまれ」続きなので、「サイログロブリンの値が上がってましたー」てなことにならんやろなあ。心配と言えば心配。
(注)もうちょっと、続きます。
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2018年11月04日(日)
第32回あいの土山マラソン [ランニング・出張販売]
「あかりちゃーん! しっかり―!」
あかりちゃんは、こちらに向かって満面の笑顔。
うれしいねえ。うちの真樹とほぼ同世代ですけど。
京都府立大学陸上部OB、廉の2年後輩。大学院卒業後、滋賀の企業に就職し、地道に練習を重ねているらしい。
朝にあいさつに来てくれた。
「あかりちゃんは初フルじゃないよね。」
「はい、2年前に一度走っています。」
「3時間10分くらい?」
「いえ、3時間40分・・・。」
「えー、そんな遅いん?」
「どうしてですか。(怪訝な顔)」
「ハーフ1時間20分ちょっとやったやろう。それやったら、フルは3時間10分前後で行けるんちゃうん。」
「いえいえ。」
「今日は、あかりちゃんは絶対応援する意気込みやし。」
「そうなんですか。ありがとうございます。」
あかりちゃんも私と同じく、「ハーフまでは速いが、フルはさっぱり」系なんかなあ。
私が土山を走らなくなってから久しいが、今年は「京都府立大学が誇る美人ランナー・あかりちゃん」の応援ができてよかった。
(注)まだまだ、続きます。
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2018年11月03日(土)
2018京都丹波ロードレース [ランニング・出張販売]
今日の一枚は、いろいろ悩んだ末に・・・「美人ランナーさんとの一枚」。
私にとっては、超レアもんですから。
去年4月の「伊江島マラソン」で、3、5、10の3種目に挑戦していた私に声をかけてくださったOさん。今年の「伊江島」では、3と10の2種目に挑戦されたそうだ。
私は都合が悪くて今年は参加できなかったのだが、来年4月の「伊江島」はまた3種目に挑戦しようかなあと思っている。Oさん、いっしょに走りましょうよ!
今日は図らずも、二人は同じ5kmの部に出場。
私は21分40秒で部門2位。Oさんも私の少しあとにゴールされ、部門2位。
いっしょや、いっしょや。同じ2位というのが、なんかうれしいですね。
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6時自宅出発。
今年はいなか周りではなく、沓掛から高速で。亀岡からずっと霧の中の運転。
1時間10分で会場着。
出店業者が減ったようで、ちょっとこの一帯が寂しくなっていた。
8時50分ごろ、受付へ。
「Tシャツ、タオル、しめじ」の中から選べる参加賞。
私はもちろん食べられる「しめじ」。並んでいる人が多いと予想していたが、「しめじ」の前にはだれも。意外だった。
私の5kmは10時55分スタート。
スタート時刻が遅いので余裕がある。
1時間ほど前からアップジョグへ。
「うっ」と小さく吠えるかわいいワンちゃん。
一応吠えてみただけで、人懐っこいかわいいワンちゃんだった。
3kmほどしっかり走れた。
これで準備万端。
うちの出店テントの真ん前に「かんぽ生命」さんが来られていた。
背筋力測定をしておられたので、私らも参加させてもらった。
ヨメさんは、「私は背筋力には自信がある」。
50代女性の平均が78kg。50代女性の平均が78kg。ちょうどそこで止まったのだが、そこから「エイッ」ともうひと踏ん張りで83kg。測定器が浮き上がっていたので、ちょっとずっこしのような・・・。
私のチャレンジ風景もヨメさんが撮ってくれたのだが、「上から撮ったらあかんて!」
恐ろしいハゲ頭封印。
まあそれはいいとして、60代男子の平均97kg近くには行けた。
さて、21分半が目標の私の5kmは・・・。
(以下、お忍び参加のNさんが私のレース展開に重要な位置を占める。画像なしですが、私の描写でレース展開を想像してください。)
スタートは一番左端の前から2列目。
前半は競り合うと思われる大小田さんを探したが見つけられなかった。
最初の200mほどが私の苦手な上り。気が付けば、私の前に大小田さんが。さすがに強い。
しかしそのあとは長い下り。得意の下りで何とか大小田さんを振り切ることができた。
1km、4分06秒。
下り部分が多かったとはいえ、今の私としては上出来。あとは平坦部分を4分15秒前後、上りも4分半を超えないようにがんばれば5km21分半も可。
1kmを過ぎたところで、左側からすっと抜いて行くランナーあり。
「あっ、Nさん!」
「どうも・・・」とかの返事やったかな。
その先にきつい上りあり。
この区間は苦戦し、4分33秒(8分40秒)。
しかし2km過ぎからはほとんどフラットで、最後の1kmは下り。
Nさんの背中を見据え、ポイントごとにその差を測りながらがんばった。前に目標が見えると走りやすい。
3km、12分59秒(4分19秒)。
4km、17分21秒(4分22秒)。
ここまで、Nさんとはだいたい20秒差。
最後の1kmは私の得意な下りなので、すぐ見えるところまで迫れるかもしれない。そう思いながらかなりがんばった。Nさんとの間に挟まっていた2人を抜き、Nさんに続いてゴール。
5km、21分31秒(4分10秒)。
ゴール、21分40秒。(私のGPSでは5.04km。)
ゴール後、Nさんに「21分10秒台ですか」とお聞きすると、「初めて21分切れました」と。なんと、私より44秒速くゴールされ、20分56秒。おまけに、部門優勝。参りました。
ヨメさんにゴール予想タイムを言って、写真をお願いしておいたのだがを間に合わなかったらしい。Nさん、私、大小田さんが続けてゴールしていたのに、残念。
出店テントに戻って休んでいると、「藤井さん・・・」と呼び掛けてくださる美人ランナーあり。私は忘れかけていたのだが、沖縄・伊江島マラソンでお会いしたOさん。
名護の走友・比嘉茂人さんの話なども出て来て盛り上がった。Oさんとお話しさせていただいて、来年4月の伊江島マラソンの楽しみが増えた。
3位までは表彰式があるとアナウンスがあり、競技場へ。
ゆるきゃら「味夢くん」とツーショット。
もう一枚。
表彰式前に1位の福井さんとおしゃべり。
今日は20分09秒。なんと、私と1分半以上の差。勝負になりません。
最近短いのに出ていないのでだいぶ落ちてきている。次は来年1月の「くみやま」5kmに申し込んでいるので、そこで20分半くらいで走りたい。
Oさん、2位の表彰。
大小田さんは、毎度大差の優勝です。
天候もよく、表彰式も晴れやか。
大小田さんは、いつもうちの近所を走ってられるのに遭遇します。地道な練習のたまものですね。
表彰式から戻ると、私の最後の教え子の一人・ともちゃんが来店中。男の子3人のお母さんです。ダンナさんがハーフに挑戦中で、ゴールを待っているところ。
5、6年前にマラソン大会で会って以来。あの時はまだ一番下の子は生まれてへんかった。
ともちゃんも不惑のはずだが、小6のときとまったく変わっていない。家族みんなでお父さんの応援って、うれしいやん。
「1位以外は賞品がなくなった」という噂を聞き、去年は走らなかった。それで、今年は1位狙いで3kmから5kmに転向。
結果は2位だったが、賞品があった。その中でも「しめじ」は、参加賞の「しめじ」より大きくていいものだった。
うれしー、来年も出よう。
いつも通り、ダウンジョグがてら仲間の応援へ。
中島てっちゃん。
中島てっちゃんの奥さん・寛子さん。
京都走ろう会の林さん。
こんなお茶目なポーズができるってことは、余裕の走りということです。
ちょっと遅めに行ったので、知り合いにはあまり会えなかった。
ハーフの制限時間は2時間50分になった。(今年から長くなったらしい。)
10時40分スタートなので、最終は午後1時半。
テントに戻って、最終ランナーが入ったころから後片付け。
3時前に片付け終わり、今年も私が以前ガードマンで行っていた「やまがた屋」さんへ。
今年も「楽善 黒豆」(980円)。
盛りだくさんでおいしかった。
ドーナツを買って、帰りも朝と同じ道で。
渋滞はほとんどなく、明るいうちに帰ることができた。
きくちゃんお待ちかね。
ヨメさんがすぐにお散歩に行ってくれた。
京都精華大の学園祭のタダチケットが、私たちの住む地域に配られている。そのチケットで晩ごはんのおかずになるものが手に入らないかと、ヨメさんが出かけてくれた。コロッケなど、そこそこおかずになりそうなものがあったらしい。
晩ごはんを食べた後、商品の補充。早く寝て、明日の「土山マラソン」に備えなければ。
野菜の自販機には私の大好物・干し柿があり、ヨメさんが買ってきてくれた。2個入り200円。おふろ上がりのビールのあてにした。すごくおいしかった。
明日は走らないので、販売と応援をしっかり!
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