パオパオだより

2010年03月04日(木)

「ほれてまうやろー」 [私の好きな人]

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 「こんなことしてもらったら、ほれてまうやろー」

 これは、今日、うちのヨメさんがある人に送ったメール。
 明日高校受験を控えている真樹に、合格お守りを送ってきてくださった。
 さて、その相手は誰でしょう。

 いっしょに添えてあったお手紙の最後のほうにこう書かれていた。

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 学駅の合格のお守り:徳島県吉野川川島学にあります学駅は、昔、徳の高い僧侶のもとへ各地から大勢の人々が学門を習いに来たという言い伝えから「学」という地名がついたと言われています。
 その学駅の入場券5枚をお守り袋に入れたもので、入場券の右端の「入」の字と学駅の「学」の字が縦に並んで「入学」と読むことができるとともに、5枚で「ご入学」となります。それから袋に入っている砂は、列車が急勾配等で車輪が滑って上れないときに、レールにまく滑らない砂だそうです。蒸気機関車の時代(国鉄時代)は使っていた記憶があるのですが、JRになった今も使っているそうです。
 真樹さんもう少しで入学試験でしたね?少しでもお力になればと思います。

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 「パオパオだより」の愛読者のみなさんは、もうおわかりですよね。

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 今日、大きな段ボール箱が届いた。(本当は昨日届いていたのだが、定休日で留守だったため)
 品名は、「ビデオ、CD他」。

 「食いもん、入ってへんかー。」
 いやしんぼ夫婦は、箱の隅々まで探したが「食いもん」は見つからなかった。
 しかし、添えられていたお手紙に「合格お守り」の文字発見! 
 「ますみちゃん、お守り送ってきてくれはったでー。さがし、さがし・・・」

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 「まー、こんなことまで気ついてくれはるってなあ。20何年も人の先頭に立って旗ふってはった人とは思えんなあ。」

 誰からどんな考えを吹き込まれたのか知らないが、うちのヨメさんは、組合活動に対して偏った印象しか持っていないようだ。今の若い人たちにもその傾向が顕著なので、うちのヨメさんは時代を先取りしてたんかな。

 そう思えば私は恵まれていた。私が入っていた教職員組合の人たちから一番に感じたのは、「教えあい、助け合い、弱い者を支える」という姿勢。そして、その中でみんなをまとめる立場にあった先輩は、自分自身の授業も研究熱心だった。

 最初に出会う人は、どんな場面でもすごく重要。その人の印象によって、付随するさまざまな事柄の印象まで決定的になってしまうこともある。

 真樹や廉にもいい人と出会ってほしいと願う。また逆に、誰かが初めて出会う人が自分であるとき、その人にいい影響を与えられる人間であってほしい。

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 遠く四国から、真樹の高校受験に間に合うようにお守りを送ってくださった人。
 それは、国労闘争団の中野勇人さん。
 私より7歳も下だが、私が一目も二目も置いている人。それは真樹もよーく分かっているようだ。

 ひとの思いやりの言葉もなかなか素直に受け入れることができなかった真樹だが、このお守りは本当にうれしかったようだ。明日の受験に持っていくカバンにちゃんと入れていた。

 中野さん、ありがとうございました。
 私も、12月16日、国会前まで走りに行って本当によかったと思っています。自分が動いて損することなんて何もない。必ず新しい展開がある。それを、うちの子どもたちにもわかってほしいと思っています。これからもいろいろと教えてくださいね。

※ちなみに、うちのヨメさんの「ほれてまうやろー」メールは、不発というか・・・、沈没というか・・・。

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◎「人らしくタオルマフラー」に付けられていた辛淑玉(シンスゴ)さんからのメッセージ。クリックで拡大して見てください。

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2010年02月18日(木)

中野勇人さん、ご来店 [私の好きな人]

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 「赤胴鈴之助・・・、さるとびエッちゃん・・・、クレクレタコラ・・・、レインボーマン・・・」

 1962年、寅年生まれの二人の話ははずんだ。

 私が勝手に「世界一すごい人」と呼んでいる中野勇人さん。東京でのJR不採用問題解決への「2・16中央集会」の帰りに、京都に寄ってくださった。私のお勧めシューズ「サロマレーサーST」を、「京都キャロット」までお買い求めに来てくださったのだ。
 中野さんは、以前「サロマLSD9」を買われたのだが、硬い感じがして使えなかったそうだ。それ以来、柔らかい感じがするアディダスのシューズを愛用しておられた。しかし、私のブログの記事を見られて、「サロマレーサーST」をはいてみようと思われたそうだ。
 「こんな遠くまで来ていただいて、ありがとうございます。」 (このシューズが足に合えばいいのですが・・・。)

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 せっかく来ていただいたので、お昼をいっしょに食べに行った。

 上賀茂橋東詰上ルの「きらきらひかる」。
 オーナーさんが大原で作られた野菜を使った定食を注文。
 まあ京都らしい、お皿にちょびっとだけ。
 たぶん、中野さんはもの足らんかったやろうね。

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 ええかげん人間である私の爆笑ギャグ(?)は、まじめな中野さんにはすべて不発に終わった。

 ?店に遅れてヨメさんがかけつけた時。
 「あっ、これがうちのかわいいヨメです。何のおもてなしもできませんけど、このかわいい顔でかんべんしてください。」
 「・・・」 (ここ、つっこむとこやろー。)

 ?「この人が走りに行って夜遅くまで帰ってこーへんときは、ポックリ死んでくれてたらうれしいのになあと何べんおもたことか」とヨメさん。
 「でも、25年ちかくいっしょにいるということは、何か一つ二ついいところがあるから・・・」 (そんなまじめにフォローしてもろたら、かえってつらくないかい。)

 ?「うちのヨメさんね、ボクの口から出まかせの、財産がいっぱいあるという言葉に目がくらんで結婚したんですわ。そんで、結婚したら財産なんてないことがわかってガックリ。」
 これは真顔で聞いておられて、絶句。 (これこそ爆笑パターンなんですけど・・・。)

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 なんと、くしくも、中野さんは工業高校電気科卒。うちのヨメさんといっしょ。
 女子はクラスで1人だけだった。これもヨメさんといっしょ。
 クラブは剣道部だったそうだ。うちのヨメさんはフェンシング部。似ている。
 それぞれの父親が亡くなった時期もほぼ同じであった。

 北海道と京都。共通点は少ないと思っていたのにけっこうあった。同じ歳というだけで親近感がわくが、それ以上に話が合うという感じ。
 意外なところから意外な話題が広がっていく。きっと、ヨメさんも話していて楽しかっただろう。

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 私が初めて「サロマ100kmウルトラ」に出た年(17年前、寒い雨の大会)、中野さんも出ておられた。中野さんは、マラソン大会への出場経験もなくいきなり「サロマ」に出られたそうだ。それで11時間ちょっとで完走。ほんまに、「どうなっとんじゃー」と言いたい。

 お昼を食べたあと少し時間があったので、元美人バスガイド(?)こと、うちのヨメさんが大原を案内した。(私は用事があっていっしよに行けず。)
 しかし、ここでの写真は中野さんからNGが出た。「遊んでいるように思われるので・・・」
 あっ、このこと自体書いたらまずかったのかな。

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2010年02月15日(月)

松野明美さん [私の好きな人]

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 今日の「徹子の部屋」のゲストは松野明美さんだった。
 この番組を見ることはめったにないのだが、松野明美さんの話を聞いてみたかったので見ることにした。
 松野明美さんを知らない人のために、公式サイトよりプロフィールを。

■プロフィール

松野 明美 (まつの・あけみ)

 1968年、熊本県生まれ。
 駆け足が遅く、いじめられっ子でおとなしい性格だったが、小学校5年生のときに出場した町内陸上大会で優勝。1位でゴールしたときの両親の笑顔がうれしくて、マラソンに目覚め、「いちばんを目指す人生」が始まる。

 高校卒業後、ニコニコドーに入社し、陸上部に所属。
 1987年、全日本実業団対抗女子駅伝に初出場し、12人をごぼう抜きする。これにより一躍注目のランナーとなる。
 1988年、ソウル・オリンピック1万メートル競技に出場。人の2倍、3倍、それでもだめなら4倍の猛練習をし、数々の記録を残す。

 引退後、結婚し、2002年、長男・輝仁(きらと)が誕生。翌年、次男・健太郎がダウン症という障がいを持って生まれる。
 「明るく元気な松野明美」のイメージが崩れてはいけないと健太郎を一生隠そうと決心するが、日々の成長や笑顔が、著者の心を少しずつ変化させる。
 健太郎の子育てを通じて、「人生は人との競争じゃない、いちばんじゃなくてもいい」と気づかされる。
 現在は、自身のマラソンや子育ての経験をもとに、講演、タレント、ゲストランナーなど幅広く活動をする。

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 松野明美さんと言えば、現役ランナー時代、兵庫県の「但東シルクロードマラソン」にゲストランナーとして来られていた時にちょこっとお見かけした。そのときは今の姿からは想像もできないようなナイーブな少女だった。
 オリンピック女子マラソン代表選考の前の、「私を選んでください」会見。あれは強烈に印象に残っている。
 しかし、もっと強烈だったのは、現役引退直前、「走り方が分からなくなった」と言っておられたこと。「歩くことはできるんですけど、走ろうとしても足が前に出ないんです」とおっしゃっていた。
 何が原因なのかよくわからなかったが、「はー、オリンピックにまで出た人でも、こんなことになるんや」と衝撃を受けた。

 そんな彼女も結婚し、いまや二児の母。
 最初の子の出産には24時間もかかったそうだ。そして、次の年の出産は6時間。しかし、その子が障害を持って生まれてくる。

 私は障害のある子に関する知識がほとんどなく、ましてやダウン症についてはまったく知らない。だから、この件のコメントは控えます。
 ただ、今日の番組内で心に残った松野明美さんの言葉がありました。

 健太郎が生まれダウン症だとわかったとき、ある人から、「障害のある子は、親を選んで生まれてくる」と言われた。でも、「どうして私なんだ。どうして、ほかの親のところに生まれなかったんだ」と、子どもに向かって何百回と言いました。

 「何百回も・・・」と今言える松野明美さん。その松野さんの書かれた本も読みたい。

 「いちばんじゃなくて、いいんだね。」 著者:松野明美
  定価:1,400円(税込) 発行:株式会社アスコム 発売日:2月12日(金)

 ダウン症の息子と母の、笑って泣けて元気になれる、感動の物語。

 「人生は勝ってこそ意味がある。いちばん以外は、価値がない」という思いで松野明美は走ってきたが、息子がダウン症という障がいを持って生まれたことで「人生に負けた」と感じるようになる。
 「明るく元気な松野明美」のイメージが崩れてはいけないと息子を一生隠そうと決心するが、日々の成長や笑顔が、著者の心を少しずつ変化させる。
 息子の子育てを通じて、「人生は人との競争じゃない、いちばんじゃなくてもいい」と気づかされる。

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 来週には、ドキュメンタリー番組も放送される。これも、見よう。

 ●2月22日(月)19:00〜19:54
 「ドキュメンタリ宣言」(テレビ朝日系)

 健ちゃん ヨーイドン!
〜松野明美 ダウン症のわが子を抱いて〜


 元マラソンランナーでタレントの松野明美さん。
 テレビで見せる、底抜けの明るさ。その陰で誰にもいえない「秘密」がありました。
 次男の健太郎くん(6歳)ダウン症です。しかも、重い心臓病を患って生まれてきました。
 かつて、松野さんは最愛の息子の存在をひた隠しにしてきました。
「明るいイメージの私が崩れてしまうと。。。」

 他の園児に比べて体はひと回り小さく、言葉もまだ話せません。それでも、よく笑い、遊び、次第に成長していく健太郎くん。
 そんな健太郎くんの入園を機に、松野さんには一つの決意がありました。それは秋に開かれるマラソン大会に親子で出場すること。距離は数キロ程度ですが、体力が不足し歩くこともままならない健太郎くんにとっては、無謀とも思える挑戦です。

 マラソン大会へ向けて、親子で練習に取り組む日々。
 走り方さえ知らない健太郎くんのために松野さんが考えた、独自のトレーニング方法とは!?
 走る距離が徐々に延びて、喜び合う親子!しかし、そんな二人を新たな病魔が襲う…。
 ついに訪れるマラソン大会当日。幾多の試練を乗り越えてスタートラインに立った親子には、誰もが想像しなかった“奇跡”が待っていました。健太郎君が初めて言葉を口に!!

 番組では、マラソン大会までの8カ月に完全密着。生後間もない健太郎くんが、重度の心臓病と闘う当時の入院映像、松野さんの献身的な看護の映像も随所に織り交ぜていきます。
 果たして、マラソンを通じて伝えたい母のメッセージは、ダウン症の我が子へ届くのか!?

 「健ちゃん、ヨーイドン!」。
 ダウン症の息子と歩む、笑いと涙の日々です。


※今日の「徹子の部屋」では、松野明美さんが完全に主導権を握っていた。あの黒柳さんが入り込む余地がないくらい、松野明美さんのトークは炸裂していた。
 黒柳徹子さんも、あんなふうに「ふんふん」と聞き上手な司会もできるんや。新しい発見です。

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2010年01月12日(火)

「自分の心が折れないかぎり・・・」 [私の好きな人]

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 おとといの「武庫川新春ロードレース」のハーフマラソンの途中、「国会前54日間連続フルマラソンアピール行動」を決行された中野勇人さんの言葉を思い出した。
 それは去年の12月16日、国会の周囲1.33kmを32周するうちの31周目であったと思う。バテバテヘロヘロ状態になっていた私に向かって、笑顔で励ましてくださった。

 「藤井さん、なんとか手と足を動かしていれば、少しずつでも前に進むし、ゴールにもたどりつけますよ。」

 その時の私は、もう返事をする元気もなくなっており、ただ照れ笑い(苦笑い)を返しただけ。中野さんを元気づけに来たつもりなのに、反対に励まされている・・・。
 よもや、その時点で45日連続フルマラソンを走っている中野さんから励まされるとは思わなかった。

 その時思ったこと。
 今の自分にできるのは、走ることくらい。それで何かをアピールできたり、誰かを励ますことができればうれしい。「国会前フルマラソン」に来たのも、1日だけならこれくらい軽々とできると思い込んでいた。
 しかし日頃の不摂生から、最後の2周は沈没状態になってしまった。

 これではいかん!
 走ることもできんようでは、まったく値打ちなし!
 いざという時に役に立たんヤツは、役立たず中の役立たずじゃー!

 「練習なしで成果を上げる」がモットーであった私が、今年からちょびちょび練習しているのにはこういうわけがあったのです。
 「今度なんかある時には、しっかり最後まで走り切るぞー!」

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 昨日、タイミングよく中野勇人さんからお手紙をいただいた。
 12月16日に国会の周りをいっしょに走ったときの写真(今日のトップの写真を含め8枚)と、中野さんが発行しておられる「南の国から〜 四国常駐記?51」というお便りが入っていた。

 「昨年はたいへんお世話になりました。
 ブログ読ませて頂いています。過分なるお言葉、恐縮です。これからもよろしくお願いいたします。」

 私はすごく得な性格だ。どんなことでもすぐに感心してしまう。感心したら、その人に会って話をしたくなる。そしていつも思う、会いに来てよかったと。
 逆に、ひとのすることにいちいちケチをつけないと気がすまない人もいる。「あの人にも問題があって・・・」とかゴチャゴチャ言う人がいる。
 きっと中野さんのやられてることに対しても、「そんなことしてなんになる、ムダ!」と言う人もいるだろう。
 そんな時は、私も中野さんといっしょに胸を張って言わせてもらいます。「そう、そのとおりだ」と、ねっ!

※ 「南の国から〜 四国常駐記?51」は以下のとおり。(私のことも少し書いてくださっています。)

PDFファイル(952KB)

(952KB)

PDFファイル(947KB)

(947KB)

PDFファイル(997KB)

(997KB)

PDFファイル(1000KB)

(1000KB)


 
 【54日間を振り返り・・・】の書き出しの部分。

 こういう言い方をしますと叱られるかもしれませんが、企画段階から54日間走りきれるという確信は持てませんでした。ただ、余程のアクシデントがあるか、自分の心が折れないかぎり、手と足を動かしていれば、少しずつでも前に進むし、何とかゴールまで辿り着かせることが出来るのではと思い描いていました。
 しかし、・・・(続きは、PDFをクリックして見てください。)

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2009年12月29日(火)

ごく普通の「世界一すごい人」 [私の好きな人]

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 またまた中野勇人さんネタです。

 こないだ、「ランナーズ9の会」のまっちゃんとメールのやり取りをしている時、中野さんの話題になった。その時、私は「中野さんは、ごく普通の『世界一すごい人』」と表現していた。
 前にも書いたが、「54日連続フルマラソン」を決行するような人だからギラギラの人を想像していた。ところがお会いしてみると、とても感じのいいさっぱりしたごく普通の人。ごく普通の人がここまでやり遂げられるのだから、あらためてすごいと思った。
 JRもアホやど。こんな優秀な人材をクビにするなんて・・・。

 その中野さんからお礼の品が届いた。「北海道のカニとエビ」。
 先日、シューズをお送りしたお返しである。かえって気の毒だった。

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 うちのヨメさんの言葉。
 「行動力のある人はちがうなー。感謝の気持ちを、すぐこうやって表してくれはる。きちんとした常識も持ってはる。アンタとはえらいちがいやなあ。」
 うちのヨメさんは、ひとをほめるとき必ず私をけなすのとセットです。
 でも、おっしゃる通り。トホホー・・・。

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 昨日は、さっそくエビをいただいた。

 うちの家族全員大好物だが、特に廉がバリバリと食べていた。廉は大学も決まったので、このごろちょくちょく走っているらしい。中野さんに、ちょっとは影響受けたかな。

 さあ、今晩はいなか(花脊別所町)に帰ってカニ鍋。
 楽しみじゃー。

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 そして、その続き・・・。
 いなかの家に帰ると、カニ鍋ではなかった。そのまま食べたほうがおいしいらしい。

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 鍋は豆乳鍋。こちらはちょっと甘くてもひとつでした。

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 カニはすごくおいしかったのだが、冷たかった。もうちょっと早めに解凍しとけばよかったのかな。

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 3びきいただいたので、私と廉が1ぴき。ヨメさんと真樹で1ぴきを半分こ。

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 へつへっへっへー。完食です。

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2009年12月25日(金)

今世界で一番すごい人 [私の好きな人]

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 中野勇人さん。
 この前、「今日本で一番すごい人」と紹介した。
 不当解雇された国労組合員1047名のために、「国会前54日連続フルマラソンアピール行動」を決行されていた。
 そして昨日、ついに最終日。見事、54日間完走された。

 記録が目当てではないのでギネス登録はされていないが、実質世界最高記録。やっぱり、「今世界で一番すごい人」です。

 今日の午後4時前、中野勇人さんから電話があった。
 「中野です。」
 「あっ、完走おめでとうございます。」
 「今、徳島に着いたところなんです。タイミングよく、ついさっき、シューズが届きました。ぴったりでした。本当にありがとうございました。」
 「いえいえ、今いいのがなくてすいません。ぶ厚い目のシューズなんで、練習にでも使ってください。」
 「カウンセリング料の代わりって書いてありましたけど、カウンセリング料を払うのは私のほうですよ。」
 「いえいえ。うちのヨメさん、感心してましたわ。中野さんの走りに感心したんじゃなくて、私のしょーもない話によう付き合ってくれはったなあって。」
 「そんなことないですよ。」

 「走り終えられてほっとして、これから疲れがどっと出るんじゃないですか。」
 「いや、そんなヒマもないんです。引継ぎやらなにやら、次々とあって・・・。」
 「そうなんですか。問題解決の日まで、たいへんでしょうけどがんばってください。
 私も、これから毎月24日は、『勝手に国労応援ラン』と名づけて走ろうと思ってるんです。月に一回でも、中野さんたちのことを思いながら走ろうと思って・・・。
 そこでお願いなんですけど・・・。せっかくやしゼッケンつけて走りたいんです。国労を応援できるようなゼッケンをね。中野さんの持ってはるやつ、一枚いただけませんか。できるだけよごれてるやつがいいんですけど・・・。」
 「それなら、国会前マラソンで使ったのを送りましょうか。」
 「いや、そんな大事なやつはあかんでしょう。」
 「2枚あるからだいじょうぶですよ。」
 「いやー、うれしー。」

 実質世界最高記録樹立者のゼッケン、一枚もらえる〜。
 54日のうち1日だけお付き合いさせてもらっただけなのに、ちょっとあつかましかったかな。
 でもその分は、今後の行動でお返しさせていただきます。例のゼッケンをつけて、ね! 

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