2010年08月14日(土)
第2回中古賀クラス会 [学校]
さっき帰ってきたところ。
今、「ヨッパライ、ヨッパライ」状態です。こんな状態でまともな記事が書けるか不安ですが、とにかく早く書かねば。
クラス会の会場は、宝ヶ池のプリンスホテル。
遠くから来てくれる予定の同級生がいたので、京都駅から地下鉄で終点まで来てもらったら分かりやすいやろうと思いここにした。
ところがどっこい、遠くから来てくれる予定だった2人がドタキャン。10人参加の予定が8人になってしまった。2年前の第1回が9人だったので、それを上回るのが今回の目標だったのに・・・。
最初に、前回からこの2年間の状況について、私の知っている範囲のことを説明させてもらった。相変わらず連絡の取れない同級生もいる。
乾杯の音頭は、参加者の中で誕生日が3番目に早い和幸ちゃんに。落ち着いた渋い声で、いい乾杯の音頭だった。
これは、フカヒレスープですよね。
中華料理が嫌いな人はいないだろうという理由で、この店を選んだ。
ここからは、中華料理を食べながらしばし歓談。
和佐男ちゃんがおもしろいことを言っていた。
「こうちゃんは自分ことだけしかせえへん人間やと思ってたのに、クラス会の幹事をみんなのためにするなんて意外やった。」
うーん、そう思ってる人は多いかも。でも、うちの毒嫁の解説。
「あんたは、クラス会の幹事かてみんなのためにやってるんじゃなくて、自分が楽しみたいだけのことやろう。みんなだまされてる。」
さすがです。見抜かれてます。
中古賀先生にはブルガリア時代の写真を持ってきてもらうようお願いしていたのだが、お忙しくてそれどころではなかったようだ。
先生も過ぎ去った過去のことではなく、これからの生活のほうに重点を置かれている。お母さん代わりだった一番上のお姉さんの介護、京都にいる息子さんと名古屋にいる娘さんの子どもたちのこと(先生にとっては孫)などなど。
和幸ちゃんは、このあと別所の家に帰るということでノンアルコールビール。そのほかの者もあまり飲んではいないようだった。これなら「飲み放題プラン」にしなくてもよかったかな。
やっと、中古賀先生の5年間に渡るブルガリア時代のみやげ話が始まった。私は先生と何回も連絡を取り合っていたのでそんなに珍しくはないが、ほかの参加者にとっては興味深い話であったにちがいない。
このあと左回りにそれぞれの近況報告。
周作ちゃん。
独特の間のある話しっぷりで、聞いていておもしろかった。周作ちゃんて、中学の時こんなおもしろかったっけ。
お母さんが元気で、今も田んぼをしてはるらしい。それを聞いたみんながすごくうらやましがっていた。
幸博君。
百井で養鶏の仕事をしている。次々と、鶏やひよこのいろいろな病気が発生して大変らしい。
2年前のクラス会の時、元気な顔を身見せてくれはったお父さんは、1年前に亡くなられたそうだ。
ヤッチン(靖弘君)。
ご両親の介護が続く日々。それぞれが別の施設に入っておられるので、よりいっそう大変らしい。それでもヤッチンのお父さんは、幸博君のお父さんが危篤の時、病院に駆けつけられたそうだ。
和幸ちゃん。
現在兵庫県在住だが、今日は別所から来てくれたらしい。 和幸君もお父さんが倒れられて、週末は4時間かけて京都まで看護にきているそうだ。今は、それが生活の中心になっているというようなことを言っていた。
ここでちょっと休けい。
「ピッカリコンビ」または、「ゆでたまごコンビ」で笑いをとって・・・。
明美ちゃん。
ボクらとは中1の時の1年間だけいっしょだった。それでも、今日は紅一点、よく来てくれた。
お商売をしているので、言葉の端々にシビアな発言がありためになる。ボクみたいな「甘チャン」はバッサリと切られてしまう。
今日もダンナさんのによるお迎えがあるようで、仲良し夫婦ぶりはうらやましい。
さて、私。自分のことは書くのはやめておきます。
2年前のクラス会から2年がかりで計画してたくさんの同級生に来てもらおうと努力したつもりだったが、私のひとりよがりな面もあったかもしれない。
連絡が取れなかった人、急に来れなくなった人もいたが、次にクラス会をするときには今度こそ来てもらえるように働きかけよう。それだけはみんなに言っておいた。
名古屋のゆきちゃんが送ってきてくれたお菓子を披露。富山のよりちゃんの代わりにお詫びの電話をかけてきてくださった小谷屋のおばさんの最後の言葉。「また、よりさだ誘たってな。」(自分でゆっててちょっと泣けてきた。)
うれしいこともあった。2年前はまったく連絡が取れなかったシュウタン(修平君)と電話で話すことができた。何も避けていたわけではなく、仕事が休めず来られなかっただけとのこと。「みんなと会いたい気持ちはある」とはっきり言ってくれた。次のクラス会に希望が持てる返事だった。
これらの仲間には、みんながものすごく会いたがっていることを伝えきれていなかったように思う。これからは、もっともっと小まめに連絡するようにして行こう。
和佐男ちゃん。
私が別所を出て行った3年前くらいに、入れ替わるように別所に帰ってきた。ご両親の体の具合がよくないらしく、長男としての責任感から面倒を見なくてはと思っているらしい。
双子の娘さん達たちは、それぞれちがう大学に進学し元気に活躍しているようだ。
お店のスタッフさんにお願いし、全員集合写真。
私は何回も「わろてー、わろてー」と言っていたのだが、一番笑っているのは私でしたね。
中華料理店での終了予定時刻3時を30分ほどオーバー。
そのあと、すぐお隣りにある喫茶店に場所を移した。
ホテルのロビーの広々とした場所にある喫茶店。
開放的なフンイキの中、話が弾んだ。
2年前から宿敵関係にある(?)明美ちゃんと和佐男ちゃん。というのはじょうだんで、和やかに楽しそうに話していた。
こちらは髪の毛が対象的なヤッチンと和幸ちゃん。
「もう、務めて何年になるん?」
「えーと、36年かな。ん? 二人とも高校出てずっと働いてるんやから同じやろがー。おれだけ20年とかやったらおかしいでー。」
「そら、そうやー。」
明美ちゃんから言われたためになる話。
「ボクなー、ケイタイも出ーへんし、メールも全然見いひんゆうてヨメさんに怒られてばっかりやねん。」
「こうちゃん、それはな、自分に返ってくるっていう自覚がないからやわ。私は商売してるから、電話に出なかったりメールを見なかったりしたら全部自分の身に返ってくるんやわ。何も好きで電話したりメール見たりしてるのとちがうの。仕事やから・・・。」
「うーん・・・。」
周作君とヤッチンは、今でも友だち付き合いが続いているようだ。いなかを出てしまっても、こうして付き合いが続けられるのはうらやましい。
中古賀先生のブルガリアの話で一番おもしろかったのは、向こうで「クルマ」と言えば「オチンチン」のことという話。ついでに「柔軟剤」を表す言葉は、とてもここには書けません。興味のある人は自分で調べましょう。
そして、6時前にお開き。
次回のクラス会は・・・。
A案→中古賀先生がお姉さんの介護に帰られる佐世保に集結。一日だけ時間をとってもらい、先生のガイドによる「佐世保ツアークラス会」をする。これには積み立て金が必要。
B案→私らの下の学年は5名。その下の学年はわずか2名。たぶんクラス会はしにくいはず。この下の2学年7名にも呼びかけて「拡大クラス会」をしてはどうか。こちらのほうが現実みがありそうだ。
どうなるか分かりませんが、みなさん、またよろしくお願いします。
私と幸博君はバスで帰るので、先生がバス停まで見送りに来てくださった。幸弘君は大原までバスで帰り、そこまでお兄さんが迎えに来てくださるそうだ。
同級生の中では、幸博君に一番楽しんで帰ってもらいたいといつも思っている。どうやったかな。
先生もツヤツヤピカピカやし、当分はだいじょうぶそう。これで、70歳だそうです。次のクラス会にも、ぜひ元気な顔を見せてくださいね。
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2010年07月10日(土)
「ゆきちゃん」と「よりちゃん」 [学校]
私の母校、京都市立別所小学校・花背第一中学校(小中併設校)は3年前に閉校になった。
私が小学校に入学した時(48年前)、1年生は12名(男7、女5)。この年の入学生が、この学校の最後の2ケタ学年になった。このあと、5年の終わりに女子1名が転校。6年の終わりにも女子1名が転校。
しかし、中学には一つ峠を越えたおとなりの大原百井町から4名(男3、女1)が入学してくれた。これで、合計14名。しかし、中1の終わりに女子1名が転校。結局、卒業したのは13名だった。
私の中学時代3年間担任をしてくださった中古賀先生が、5年間のブルガリア滞在に終止符を打ち日本に帰ってこられた。2年前一時帰国されているときに、「第1回中古賀クラス会」をした。その時は14名中8名が参加。その会の終わりに、「2年後、今回来られなかった人の都合を中心に考えて第2回を計画する」と約束しておいた。
まずは、名古屋のゆきちゃん(由紀子さん)。
何度電話をしてもまったくつながらない。向こうからも何度もかけてくれていたのだが、そのときは私が気づいていなかった。ところが、昨日、期日前投票に行こうと走っている時に携帯に電話着信。グッドタイミングでした。
ゆきちゃんは、「必ず行く。ただし、仕事は1ヶ月前から届けを出さないと休めないので、ここ2、3日中に日を決めてほしい」とのこと。
次は、富山のよりちゃん(頼定君)。
よりちゃんに電話しようと思ったら携帯の番号が変わっていた。そこで、すぐに小谷屋のおばさんに電話。おばさんは、「番号変っとったな、こうじさんにゆわんならんと思ってたんや。ごめんね。よりさだには、『こうじさんから電話かかってくるで』ってゆうといたし。」
おばさんに聞いた番号に電話。2年ぶりのよりちゃんの声。「お盆やったら休めるし、そこにしてくれたら行く」とのこと。
2人の話から判断して、「第2回中古賀クラス会」は8月14日(土)に決定。すぐに先生にも電話。OKがとれた。
ゆきちゃんとは中学卒業以来39年ぶり。よりちゃんとは、チラッとは見かけたことはあるがきちんと会うのは久しぶり。ほんまに楽しみです。
本当はほかの人ともいろいろと相談したほうがよかったのかもしれないが、前回の終わりの約束重視。前回来れなかった2人の参加の確約を取っただけでも、もう半分以上成功です。
後は残り11人に連絡とって、目標は参加者10人超え。それと、会場ねえ。ええとこないかなあ。
このへんは、誰かに助けてもらおーっと・・・。

※さて、私、ゆきちゃん、よりちゃんは、どーれだ?
ヒント・私→おぼっちゃん?
ゆきちゃん→ちびまる子?
よりちゃん→白いオッサン?
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2010年05月25日(火)
ブルガリアからの手紙・ブルガリアへの電話 [学校]
【ブルガリアからの手紙】
まだまだ ブルガリアでのんびり と願いつつも
寄る年波 諸般の事情により 帰国を決心しました。
5年半の心豊かな いなか暮らしに ピリオドを
打ち ブルガリアン・ローズの花摘みの季節・六月
日本に帰ります。
京都にもどりましたら また よろしくお願い致
します。
2010年5月吉日 中古賀 公隆・美智代
廣司くん
また会えるのを楽しみにしています。
なかこが
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【ブルガリアへの電話】
(ブー・・・ブー・・・ブー・・・、と何回も呼び出し音。たぶん20回くらい。)
「もしもーし、中古賀でーす。」 (うん? 確か、前は「ヘロウー」やったけど・・・。)
「あっ、もしもしー、こうじです。」
「ああー、こうじ君。」
「昨日、手紙着きました。6月に帰って来やはるんですね。」
「そうなんやわー。」
「正確には6月のいつですか。」
「うん、正確には、6月13日に関空に着く。」
「分かりました。そしたら、さっそくクラス会の準備に取りかかります。」
「あー、そうやったねー。」
「2年前のクラス会で約束した通り、今回は前来れへんかった名古屋のゆきちゃんの都合優先ですし。ゆきちゃんの来れる日に、ほかのもんが合わすということでお願いします。」
「うん、分かった。」
「先生、こっちに帰って来はってからも、あっちこっち行かはるんですよね。」
「実はな、佐世保にいる姉の具合があんまりよくなくて、一応その看病ということで帰国を早めたんやわ。」
「はー、そうやったんですか。ということは、京都にはあんまりいやはらへん可能性もありますね。」
「うん。そうなるかもしれん。」
「まあ、今からみんなに連絡とってからやから、クラス会ができるのは夏くらいですね。それまで上手に計画たてましょ。」
「はい、頼みます。」
「とりあえず、名古屋のゆきちゃんに連絡して都合聞かんなん。」
「そやね。」
「先生、前から聞かなあかんと思って聞けてへんかったんですけど・・・」
「なにやー。」
「先生、なんで英語の先生にならはったんですか。話せば長い・・・ちゅう話ですかね。」
「そんなことない。簡単な話で・・・。先生になりたいと思った時、英語の免許しか取れへん状態やったわけや。外大やったから。それで・・・」
「あっ、そうか。そしたらなんで外大に入らはったかを聞かなあかんわけやね。」
「それは、話せば長いことに・・・」
「あかん。長い話は聞いてられん。電話代がなんぼたこつくか分からん。」
「はははー。」
「ほな、その続きは日本に帰って来やはってからということで、楽しみにしてまっさー。
夏にクラス会するちゅうことだけはおぼえといてください。ほな、楽しみにしてますので・・・」
「ありがとうな。よろしく頼みます。」

花脊第一中学校卒業式 (1971年3月)

第1回中古賀クラス会 (2008年5月)
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2009年12月12日(土)
北区教育懇談会 「高校入試どうなってるの?」 [学校]
千本北大路のライトハウスで、新日本婦人の会北支部主催の教育懇談会が行われた。京都市教職員組合の先生に協力してもらって、どんどんややこしくなっている京都の高校入試について話し合う会だった。
この懇談会が行われることは、日本共産党市会議員・玉本なるみさんの議会報告「こんにちは 玉本なるみです」の「アンテナ」というコーナーに告知されていた。
以下の通り
「高校入試どうなってるの?」
最近、高校入試の制度がどんどんややこしくなってきています。そもそも、1つの高校に1類、2類、3類と進学や特進コースなど、学力的に分けて入試をします。しかも、2類は進学コースでどこの学校でも受験できるが、1類は、総合選抜で、バス停方式と言われる近くの高校を受験します。ただ、1類の中には、20%枠という推薦枠があり、これは希望の高校を受験できたり、今年から特色選抜と言って1類の10%は学校独自の裁量で実施される枠もできています。しかし、合否の判定が不明瞭で、よくわかりません。行きたい学校を受験したいという思いもわかりますが、制度が複雑になっています。
そこで、京都市教職員組合の先生と、私も加入している新日本婦人の会北支部で、高校入試をテーマにした教育懇談会を計画しています。
●12月12日(土)1時半〜、ライトハウス(千本北大路下がる西側)です。興味のある方、ぜひご参加ください。
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これは絶対に行かなあかん。
会場に着き、まず参加者名簿に記入。名前と連絡先はすぐに書けたが、「所属」の欄は悩んだ。ヨメさんに食わしてもらっている私には、何にも書くことがない。
「ランナーズ9の会」とでも書こうかなと思ったが、なんのこっちゃ分からんわな。「中3の娘がいる父」と書けばよかったかな。(そんなん、「所属」って言えるんかな。)
大きく変わった京都の高校入試制度を、北区の中3担任の先生がくわしく説明してくださった。そのあと質問タイム。
待ってました!すかさず手を上げた。
「個人的な話で申し訳ないんですが・・・。」
うちの子はいろいろ事情があって、すぐ近くの高校には行きたくない。いろいろ見学してみて、自分に合いそうな高校を見つけてきた。
その高校がいいと思った理由は、
?7時間授業がない。(ほかの学校は、どこも7時間の曜日がある。)
?研修旅行が外国ではなく沖縄。(ほかの学校は、どこも外国。)
?部活がギラギラしていない。(ほかの学校の部活は、どこもしんどそう。)
「私らから見ても、その高校は学校案内の内容がすごくいい感じがする。いい先生が集まっておられるのかなあと思います。」
ここで、注釈が必要だった。一般に、高校のいい先生とは、大学受験対策にたけた先生を言うことが多い。
でも、うちで言ういい先生とは、楽しい学校生活をおくらせてくれる先生のこと。学校の中に、自分の居場所を見つける手助けをしてくださる先生のことです。
ここの学校に何とか入れないかという話をしていた時、「特色選抜」の問題点が浮き上がってきた。「特色選抜」は、各学校の定員の10%。20名から30名程度である。それに対して、応募は4、5倍。ほとんどの子が落ちると思っていい。
「『ほとんどの子が落ちる』と何度説明していても、落ちた子のショックは大きい。ふだんたいていのことにケロッとしているような子でも、大泣きしていることもある。
生まれて初めての試験に落ちるということの重大さを、教育委員会も分かっていない。今、この制度をなくすように運動しているところです。」
ほんまや。この話、聞いといてよかった。真樹は、「特色選抜」絶対ダメ!
何かほかの方法を考えよう。
2時間の話し合いが終わり、玉本なるみさんとちょっとしゃべった。
話の中身は、うちの子のことと玉本さんの中2の男の子のこと。(個人情報バリバリの内容なので、ここには書けません。)
ひとつ、おもしろかったこと。
玉本さんが、上の女の子と下の男の子を比べるような言い方をされていたので、「兄弟は、絶対に比べたらあきませんよ」と私が言った。でも、それをほとんど無視されたかのように話し続けておられた。おもしろいね。あんなしっかりされている方でも、わが子のことになると必死・・・。でも逆に、ほっとした面もある。
生きづらいこの世の中にわが子を送り出さんなん親は、みんなたいへんですにゃー。
この教育懇談会は、定期的に行われているそうだ。こんないい企画なんやから、もっと宣伝せなあかんね。おいそがしい先生方に来ていただいているんやから、10名程度の参加者ではもったいない。
次にあるときは、私のブログでも宣伝さしてもらいますね。
◎今日のおまけ・その1
玉本さんと話していたら、「今日の午前中は、惠藤さんとずっといっしょやったんですよ」とのこと。惠藤さんとは、私の姉・みき江のこと。いっしょに何してたんかなあ。
おまけ・その2
京都市会議員・せのお直樹さん。(うちの店のお客様でもあります。)
12月6日の「NAHAマラソン」に挑戦しておられた。ブログにその結果が書いてなかったので玉本さんに聞いてみると、「30kmあたりの関門は突破できたのだが、そこまでをがんばりすぎてそこでダウン」とのこと。
それで十分ですって。マラソン大会に出られる議員さんというだけで、私らは敬意を払います。
これに懲りず、またフルマラソンに挑戦してくださいね。
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2009年11月11日(水)
雲ヶ畑フェスティバル・続き [学校]
「パオパオー、もっさいジャージ貸してー。」
真樹が劇で中学校教師の役をやることが決まったとき、私にこう言った。
23歳で教師になってから、毎日ジャージ。35歳で退職したあとも、毎日ジャージ。おお、私のジャージ生活はもう30年!
もっさいジャージなら、まかせなさい!
それにしても、真樹のヒゲづら、にあってたね。
「雲ヶ畑フェスティバル・後半」のメインと言っていいくらいだったかも・・・。
おお、なんと、PTAコーラスの指揮をしておられるのは、私の最後の教え子の一人・ともちゃんのおかあさんではないですか。
最後は、「7.劇 『もしも魔法が使えるなら 〜とある生徒会の奮闘記〜』 中学生」。
「私はあなたとはちがうんです。自分を客観的に見ることができるんです。」
私は、自分の娘も客観的に見ることができる。今日の劇では、真樹が一番よかった。よく通るきれいな声。落ち着いたもせりふの言い回し。舞台への出入りさえも、堂々としていた。
「ほんまに、よかったぜ。」
すべてが終わったあと、音楽の I 先生が出てこられた。
「インフルエンザで行くことができなかった合同文化祭で歌う予定だった歌を、この場で歌わせていただこうと思います。」
会場は大きな拍手。それは、アンジェラ・アキさんの「手紙」。
よかったです。臨機応変にこんなことができるのが、小さい学校のいいところ。
真樹も、文化祭に関してなんやかやブツブツと言っていたが、結果は「小さくてもキラリと光っていた」。よかった、よかった。
学校のすぐ近くに、ゆずの木。
学校の周りの山も、こんなに色づいています。
こんな見事な紅葉も・・・。
学校からの帰りには、こんなご立派なおさるさんも・・・。
「雲ヶ畑フェスティバル」、これにておしまい。
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2009年09月03日(木)
いい時も悪い時も・・・ [学校]

私の最後の教え子三人のうちのひとり・千尋さんが9月5日に結婚式をあげる。
7月に、千尋さんの同級生・ともちゃんの二人目の子を見に行ったときにそのことを教えてもらった。知ったからにはお祝いをしなくては。
昨日4時ごろ、お祝いの絵本とお祝いの言葉を書いた手紙を持っていった。千尋さんはちょうど私が伺った直前に出かけてしまったそうで、家にはおばあちゃんだけがおられた。
私のお祝いの言葉は、だいたい次のようなもの。
「最近とても気に入っている言葉があります。
『いい時も悪い時も、人生を楽しんでいたい』
これを私ふうにアレンジすると、
『どんな中でも、ぜったい楽しいことは見つけられる』
そう思い続けて生きていけたらいいね。」
毎日毎日危ない橋を渡っている私なので、これから夫婦になろうしている人にえらそうなことは何も言えない。ただただ、「楽しい日々が続きますように」と祈るだけ。でも、仮に「悪い時」が来ようとも、それも楽しむくらいたくましくなって。
千尋さんは、この5月、私にメールを送ってくれていた。その中に、次のような文があった。
「4月からまきちゃんが来てくれてはること、とっても嬉しく思っています。まきちゃんの転校先に選んでくれはったことが、先生が雲ヶ畑小中学校が嫌いになって退職されたんじゃないことの何よりの証拠になって、何か今更うれしいです。」
元担任が教え子を心配する話はよくあるが、教え子が元担任を心配してくれている・・・。ありがたいことです。
そのメールへの私の返事は次のようなもの。
「雲ヶ畑小中学校については、いやだったのではなく、逆で、『ここが最後ならいいかな』と思えたからやめることができたのです。
雲ヶ畑でいやだったことは一つもない。いい思い出ばかりです。」
18年前小学校を卒業し、その後15年ほどまったく会わなかったのに、今またこうしてお付き合いができる。
「うれしい!」
ちぃちゃん、ともちゃん、こうじくん。三人の笑う顔、また見せてやー。
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