2009年03月24日(火)
三宅愛子さんからのお手紙 [私の好きな人]
昨日、三宅誠孝さんの奥様・愛子さんからお手紙をいただいた。
2月7日のお別れ会のビデオと、印刷された「ご挨拶」、それに手書きのお手紙が添えられていた。私信は公表しないのがルール。分かってはいますが、1行だけ紹介させてください。
「・・・これ以上書くと涙が出ますのでこれで失礼します・・・」
この1行で、こちらが泣けてきました。
うちのヨメさんがその部分を見て言った。「愛子さん、本当に愛してはったんやなあ。」
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印刷された「ご挨拶」の中には、三宅誠孝さんが肌身離さず持ち歩いておられた紙片の内容が披露されていた。(これは、公開させていただいてもよろしいでしょうね。)
「忠怒の精神」 (まごころをつくし他人を思いやる)
人至愚といえども人を責むるときはすなわち明らかに
聡明有りといえども己れを怒するときはすなわち昏(くら)し
ただ常に人を責むるの心もて己れを責め
己れを怒するの心もて人を怒せば聖賢の地位に到らざるを患(うれ)えず
(訳)どんなにバカな人間でも他人を批判する時は頭の回転がよくなり どんな利巧な人でも自分のいたらなさに対して寛大になる(范純仁「言行録」)
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たぶん、どなたもご存じないであろうエピソードを・・・。
もう7、8年前になるでしょうか。三宅誠孝さんがまだ市会議員さんだったときの話。
京都ロードレースに「京都キャロット」が出店しており、夫婦そろって5kmレースに出ることになった。店番は、まだ小さい廉と真樹。「困ったなあ」とあたりを見渡すと、三宅誠孝さんと目が合った。
この際、頼むだけ頼んでみよう。「20分ほどしたら帰ってきますので、店番を・・・」
三宅誠孝さんは、ニコッとしてすぐに引き受けてくださった。
本当に5kmを20分ほどで走り、「ハアハア」言いながらうちのテントに戻ってきた。
「藤井さん、ソックスとグローブ、売っときました。」
あの人懐っこい照れくさそうな笑顔で、そうおっしゃった。(私は、あの笑顔が大好きです。)
「シューズのことで質問されてた方があったんですが、『私では分からないので、またあとでもう一度来てください』と言っておきました。」
あの時は、さすがのあつかましい私も、「あー、現役市会議員さんにただ働きさせてしもうたばい!」と思った。
2時間近くあるビデオは、まだ最後まで見られていない。 三宅誠孝さんは元市会議員さんであるので、当然、所属の共産党関係の方のごあいさつが多かった。
しかし、ちょうど真ん中あたりに親友・高石ともやさんが登場。「陽気にいこう」のモットーのとおり、このような場でも終始笑顔を絶やされなかった。これぞ、大人です。
ただ、思い出話を語られるとき、何回も何回もあごに手をやっておられた。あんな高石ともやさんを見るのは初めてだった。まるで、「こみ上げてくる涙、ここらでとどまってくれ」と念じておられているかのように。
前にも書いたが、三宅誠孝さんを嫌う人はいないと思う。そんな人は信じられない。せのお直樹さん(市会議員)がおっしゃっていたように、三宅誠孝さんは、初対面で「強烈な好感」を感じる人です。
あとにも先にも、私が尊敬できる人は、三宅誠孝さんただ一人。これから先も、ずっと勝手に尊敬させていただきます。
私が一番覚えている三宅誠孝さんは、走っておられるときの笑顔。
私は、「死んだらすべておしまい」だと思っています。だから、天国から三宅誠孝さんが見てくれているとは思わないようにします。
ただ、万一見てくださることがあっても恥ずかしくないように、一番の教え「平和を守る」ことだけは忘れないでいたい。
これからも、走っているとき、時々空を見上げます。
「空の雲が、三宅誠孝さんに見えたらいいのになあ。」
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
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コメント
みきさん、コメントありがとうございます。
実は、私は人づきあいが大の苦手で、人と普通にしゃべれるようになったのは3年前くらいからです。だから久しぶりに会う人は、私の変身ぶりに戸惑われます。(去年ブログに登場してもらった谷村守茂さんや灰山由美さんなど)
去年みきさんから話しかけられた時も、ちょっと前の私なら「そうですか」でおしまいだったと思います。何の話の発展もなく・・・。
しかし、今や何でもかんでも「いっちょかみ」のオッサンに成長(?)しました。歳とって、ちょっとやそっとのことでは落ち込まないようになったからでしょうか。
いつも「ニタニタ」している私の顔が、少しでも三宅誠孝さんようなさわやかな笑顔に近づけられるよう努力したいです。
私が三宅誠孝さんとお会いしたのは、私の記憶では、京都ランナーズの懇親会で一度きりだったと思います。
終始穏やかな笑顔だったことはなんとなく記憶しています。
しかし見慣れないお顔だったのでどういう方かもよくわからず、ほんの少し言葉を交わしただけでした。
亡くなられてから、三宅さんのことをランナーズの会員の人たちから聞いたり、パオパオだよりで読んだりして、「ああもっといっぱいお話すればよかった」と後悔しています。
後悔先に立たず・・・