2010年05月25日(火)
ブルガリアからの手紙・ブルガリアへの電話 [学校]
【ブルガリアからの手紙】
まだまだ ブルガリアでのんびり と願いつつも
寄る年波 諸般の事情により 帰国を決心しました。
5年半の心豊かな いなか暮らしに ピリオドを
打ち ブルガリアン・ローズの花摘みの季節・六月
日本に帰ります。
京都にもどりましたら また よろしくお願い致
します。
2010年5月吉日 中古賀 公隆・美智代
廣司くん
また会えるのを楽しみにしています。
なかこが
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【ブルガリアへの電話】
(ブー・・・ブー・・・ブー・・・、と何回も呼び出し音。たぶん20回くらい。)
「もしもーし、中古賀でーす。」 (うん? 確か、前は「ヘロウー」やったけど・・・。)
「あっ、もしもしー、こうじです。」
「ああー、こうじ君。」
「昨日、手紙着きました。6月に帰って来やはるんですね。」
「そうなんやわー。」
「正確には6月のいつですか。」
「うん、正確には、6月13日に関空に着く。」
「分かりました。そしたら、さっそくクラス会の準備に取りかかります。」
「あー、そうやったねー。」
「2年前のクラス会で約束した通り、今回は前来れへんかった名古屋のゆきちゃんの都合優先ですし。ゆきちゃんの来れる日に、ほかのもんが合わすということでお願いします。」
「うん、分かった。」
「先生、こっちに帰って来はってからも、あっちこっち行かはるんですよね。」
「実はな、佐世保にいる姉の具合があんまりよくなくて、一応その看病ということで帰国を早めたんやわ。」
「はー、そうやったんですか。ということは、京都にはあんまりいやはらへん可能性もありますね。」
「うん。そうなるかもしれん。」
「まあ、今からみんなに連絡とってからやから、クラス会ができるのは夏くらいですね。それまで上手に計画たてましょ。」
「はい、頼みます。」
「とりあえず、名古屋のゆきちゃんに連絡して都合聞かんなん。」
「そやね。」
「先生、前から聞かなあかんと思って聞けてへんかったんですけど・・・」
「なにやー。」
「先生、なんで英語の先生にならはったんですか。話せば長い・・・ちゅう話ですかね。」
「そんなことない。簡単な話で・・・。先生になりたいと思った時、英語の免許しか取れへん状態やったわけや。外大やったから。それで・・・」
「あっ、そうか。そしたらなんで外大に入らはったかを聞かなあかんわけやね。」
「それは、話せば長いことに・・・」
「あかん。長い話は聞いてられん。電話代がなんぼたこつくか分からん。」
「はははー。」
「ほな、その続きは日本に帰って来やはってからということで、楽しみにしてまっさー。
夏にクラス会するちゅうことだけはおぼえといてください。ほな、楽しみにしてますので・・・」
「ありがとうな。よろしく頼みます。」

花脊第一中学校卒業式 (1971年3月)

第1回中古賀クラス会 (2008年5月)
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2009年12月12日(土)
北区教育懇談会 「高校入試どうなってるの?」 [学校]
千本北大路のライトハウスで、新日本婦人の会北支部主催の教育懇談会が行われた。京都市教職員組合の先生に協力してもらって、どんどんややこしくなっている京都の高校入試について話し合う会だった。
この懇談会が行われることは、日本共産党市会議員・玉本なるみさんの議会報告「こんにちは 玉本なるみです」の「アンテナ」というコーナーに告知されていた。
以下の通り
「高校入試どうなってるの?」
最近、高校入試の制度がどんどんややこしくなってきています。そもそも、1つの高校に1類、2類、3類と進学や特進コースなど、学力的に分けて入試をします。しかも、2類は進学コースでどこの学校でも受験できるが、1類は、総合選抜で、バス停方式と言われる近くの高校を受験します。ただ、1類の中には、20%枠という推薦枠があり、これは希望の高校を受験できたり、今年から特色選抜と言って1類の10%は学校独自の裁量で実施される枠もできています。しかし、合否の判定が不明瞭で、よくわかりません。行きたい学校を受験したいという思いもわかりますが、制度が複雑になっています。
そこで、京都市教職員組合の先生と、私も加入している新日本婦人の会北支部で、高校入試をテーマにした教育懇談会を計画しています。
●12月12日(土)1時半〜、ライトハウス(千本北大路下がる西側)です。興味のある方、ぜひご参加ください。
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これは絶対に行かなあかん。
会場に着き、まず参加者名簿に記入。名前と連絡先はすぐに書けたが、「所属」の欄は悩んだ。ヨメさんに食わしてもらっている私には、何にも書くことがない。
「ランナーズ9の会」とでも書こうかなと思ったが、なんのこっちゃ分からんわな。「中3の娘がいる父」と書けばよかったかな。(そんなん、「所属」って言えるんかな。)
大きく変わった京都の高校入試制度を、北区の中3担任の先生がくわしく説明してくださった。そのあと質問タイム。
待ってました!すかさず手を上げた。
「個人的な話で申し訳ないんですが・・・。」
うちの子はいろいろ事情があって、すぐ近くの高校には行きたくない。いろいろ見学してみて、自分に合いそうな高校を見つけてきた。
その高校がいいと思った理由は、
?7時間授業がない。(ほかの学校は、どこも7時間の曜日がある。)
?研修旅行が外国ではなく沖縄。(ほかの学校は、どこも外国。)
?部活がギラギラしていない。(ほかの学校の部活は、どこもしんどそう。)
「私らから見ても、その高校は学校案内の内容がすごくいい感じがする。いい先生が集まっておられるのかなあと思います。」
ここで、注釈が必要だった。一般に、高校のいい先生とは、大学受験対策にたけた先生を言うことが多い。
でも、うちで言ういい先生とは、楽しい学校生活をおくらせてくれる先生のこと。学校の中に、自分の居場所を見つける手助けをしてくださる先生のことです。
ここの学校に何とか入れないかという話をしていた時、「特色選抜」の問題点が浮き上がってきた。「特色選抜」は、各学校の定員の10%。20名から30名程度である。それに対して、応募は4、5倍。ほとんどの子が落ちると思っていい。
「『ほとんどの子が落ちる』と何度説明していても、落ちた子のショックは大きい。ふだんたいていのことにケロッとしているような子でも、大泣きしていることもある。
生まれて初めての試験に落ちるということの重大さを、教育委員会も分かっていない。今、この制度をなくすように運動しているところです。」
ほんまや。この話、聞いといてよかった。真樹は、「特色選抜」絶対ダメ!
何かほかの方法を考えよう。
2時間の話し合いが終わり、玉本なるみさんとちょっとしゃべった。
話の中身は、うちの子のことと玉本さんの中2の男の子のこと。(個人情報バリバリの内容なので、ここには書けません。)
ひとつ、おもしろかったこと。
玉本さんが、上の女の子と下の男の子を比べるような言い方をされていたので、「兄弟は、絶対に比べたらあきませんよ」と私が言った。でも、それをほとんど無視されたかのように話し続けておられた。おもしろいね。あんなしっかりされている方でも、わが子のことになると必死・・・。でも逆に、ほっとした面もある。
生きづらいこの世の中にわが子を送り出さんなん親は、みんなたいへんですにゃー。
この教育懇談会は、定期的に行われているそうだ。こんないい企画なんやから、もっと宣伝せなあかんね。おいそがしい先生方に来ていただいているんやから、10名程度の参加者ではもったいない。
次にあるときは、私のブログでも宣伝さしてもらいますね。
◎今日のおまけ・その1
玉本さんと話していたら、「今日の午前中は、惠藤さんとずっといっしょやったんですよ」とのこと。惠藤さんとは、私の姉・みき江のこと。いっしょに何してたんかなあ。
おまけ・その2
京都市会議員・せのお直樹さん。(うちの店のお客様でもあります。)
12月6日の「NAHAマラソン」に挑戦しておられた。ブログにその結果が書いてなかったので玉本さんに聞いてみると、「30kmあたりの関門は突破できたのだが、そこまでをがんばりすぎてそこでダウン」とのこと。
それで十分ですって。マラソン大会に出られる議員さんというだけで、私らは敬意を払います。
これに懲りず、またフルマラソンに挑戦してくださいね。
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2009年11月11日(水)
雲ヶ畑フェスティバル・続き [学校]
「パオパオー、もっさいジャージ貸してー。」
真樹が劇で中学校教師の役をやることが決まったとき、私にこう言った。
23歳で教師になってから、毎日ジャージ。35歳で退職したあとも、毎日ジャージ。おお、私のジャージ生活はもう30年!
もっさいジャージなら、まかせなさい!
それにしても、真樹のヒゲづら、にあってたね。
「雲ヶ畑フェスティバル・後半」のメインと言っていいくらいだったかも・・・。
おお、なんと、PTAコーラスの指揮をしておられるのは、私の最後の教え子の一人・ともちゃんのおかあさんではないですか。
最後は、「7.劇 『もしも魔法が使えるなら 〜とある生徒会の奮闘記〜』 中学生」。
「私はあなたとはちがうんです。自分を客観的に見ることができるんです。」
私は、自分の娘も客観的に見ることができる。今日の劇では、真樹が一番よかった。よく通るきれいな声。落ち着いたもせりふの言い回し。舞台への出入りさえも、堂々としていた。
「ほんまに、よかったぜ。」
すべてが終わったあと、音楽の I 先生が出てこられた。
「インフルエンザで行くことができなかった合同文化祭で歌う予定だった歌を、この場で歌わせていただこうと思います。」
会場は大きな拍手。それは、アンジェラ・アキさんの「手紙」。
よかったです。臨機応変にこんなことができるのが、小さい学校のいいところ。
真樹も、文化祭に関してなんやかやブツブツと言っていたが、結果は「小さくてもキラリと光っていた」。よかった、よかった。
学校のすぐ近くに、ゆずの木。
学校の周りの山も、こんなに色づいています。
こんな見事な紅葉も・・・。
学校からの帰りには、こんなご立派なおさるさんも・・・。
「雲ヶ畑フェスティバル」、これにておしまい。
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2009年09月03日(木)
いい時も悪い時も・・・ [学校]

私の最後の教え子三人のうちのひとり・千尋さんが9月5日に結婚式をあげる。
7月に、千尋さんの同級生・ともちゃんの二人目の子を見に行ったときにそのことを教えてもらった。知ったからにはお祝いをしなくては。
昨日4時ごろ、お祝いの絵本とお祝いの言葉を書いた手紙を持っていった。千尋さんはちょうど私が伺った直前に出かけてしまったそうで、家にはおばあちゃんだけがおられた。
私のお祝いの言葉は、だいたい次のようなもの。
「最近とても気に入っている言葉があります。
『いい時も悪い時も、人生を楽しんでいたい』
これを私ふうにアレンジすると、
『どんな中でも、ぜったい楽しいことは見つけられる』
そう思い続けて生きていけたらいいね。」
毎日毎日危ない橋を渡っている私なので、これから夫婦になろうしている人にえらそうなことは何も言えない。ただただ、「楽しい日々が続きますように」と祈るだけ。でも、仮に「悪い時」が来ようとも、それも楽しむくらいたくましくなって。
千尋さんは、この5月、私にメールを送ってくれていた。その中に、次のような文があった。
「4月からまきちゃんが来てくれてはること、とっても嬉しく思っています。まきちゃんの転校先に選んでくれはったことが、先生が雲ヶ畑小中学校が嫌いになって退職されたんじゃないことの何よりの証拠になって、何か今更うれしいです。」
元担任が教え子を心配する話はよくあるが、教え子が元担任を心配してくれている・・・。ありがたいことです。
そのメールへの私の返事は次のようなもの。
「雲ヶ畑小中学校については、いやだったのではなく、逆で、『ここが最後ならいいかな』と思えたからやめることができたのです。
雲ヶ畑でいやだったことは一つもない。いい思い出ばかりです。」
18年前小学校を卒業し、その後15年ほどまったく会わなかったのに、今またこうしてお付き合いができる。
「うれしい!」
ちぃちゃん、ともちゃん、こうじくん。三人の笑う顔、また見せてやー。
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2009年08月18日(火)
別所小学校・花背第一中学校閉校式 [学校]
8月16日、「花背山の家」で閉校式があった。
130年を超える歴史の「別所小学校」、60年を超える歴史の「花背第一中学校」が閉校になってしまった。
何名かのごあいさつの中では、克己のおっちゃん(私のまたいとこ)のがピカイチだった。(決して、頭のことではありません。)
「私の頭は光輝いていますが、別所町の将来はどうでしょう」くらいまで言ってほしかったなあ。話の中で、「くすっ」と笑うところもないとね。
でも、オリジナリティがあってよかった。ほかの方のごあいさつは、誰が言っても・・・という内容でたいくつだつた。
途中で、「なんか聞いたことある声やなあ」と思ったら、同級生の和佐男ちゃん。
「司会、じょうずやん。」
最近一人で別所に帰ってきているとは聞いていたが、もう町の役をやるくらい溶け込んでるんや。
私の父は、80年ほど前の在校生。
父の年代は、子どものころは病死、青年時代は戦死で同級生が少ない。生き延びた人も、もう88歳。話し相手がいないのがかわいそうだ。
式典のあとは、お弁当を食べながら自由に歓談。
プログラムには書いてなかったのに、父のあいさつもあった。
私の同級生は、出入りを含めると16人。
閉校式参加は、物部和佐男、藤井和幸、林幸博(百井)、中山琴美、藤井鑑子、私の6人。ちょっとさびしいね。
中学校のとき、めっちゃこわかった楠先生(数学)が来てくださった。
「楠先生、よう来てくれはりました。こうじと林幸博です。お元気そうですね。」
「いやー、ひざの調子が悪うて、あかんにゃわ。」
「88歳ですってね。うちの父と同い年です。大正10年生まれですよね。」
それにしても、先生の参加者が多いのにびっくりした。楠先生のようにお体の調子がよくない先生も来てくださった。それは、この日が別所に来る最後の日と思っておられる先生が多かったからだろう。
壁には、学校にかかわる写真が年代ごとに分けてはられていた。
私の母は、昭和20年から21年にかけて別所小学校の教師だった。どこかに写真がないものかとつぶさに見てみてたが、見つからなかった。
その代わり、私の叔父・清作さんのかっこいい写真を見つけた。みんなが白いシャツ黒ズボンでいるのに、一人だけカラープリントのシャツにつりズボン。どうなっとるんじゃー。今やったら、親呼び出しですか。
「学校がなくなったとき、その地域は死ぬ」
私は本気でそう思っている。そういう意味で、この閉校式は、「地域のお葬式」と言ってもいいのかもしれない。
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2009年08月12日(水)
伊藤さんとの対話 [学校]
「ずーっと、学校の好きな先生でいてくださいね。」
「はい。」
森之宮駅前で伊藤千尋さんとお別れするとき、もう一度念を押しておいた。
8月8日大阪城公園での「夕涼みRun」で、伊藤さんにもう一度追いついたらまたしゃべらせてもらおうと思っていたが追いつけなかった。その代わり、ゴールしてそのちょっと先で「ゼイゼイ」言っている私を見つけて話しかけてきてくださった。
「相談とかに答えたりしておられるんですか?」
うん?
カウンセラーでもあるまいに、私が何でと思ったが、よーく聞いてみると「京都キャロット」に来られたお客様にアドバイスをしてるのかという問いだった。
「いっつもヨメさんに言われてますねん。アンタのええかげんな話は逆効果やから、絶対お店には来んといて。頼むし、ほかの仕事探して、とっととどっか行って・・・、って。ほんま、仮面夫婦はたいへんなんやから。」
「そうなんですか。でも、ブログに出ている奥さんの写真、すごくいい感じじゃないですか。」
「そうでしょう。」
うちのヨメさんは顔はかわいいんやけど根性はババ、と言いかけてやめておいた。「アンタのブログのせいで、私をこわがる人が多なってかなん」と、またおこられる。
20分ほどしゃべったと思うが、伊藤さんのほうから話されたのはこれだけ。あとは、ほとんど私の話を聞いてくださった。
家族以外では私のブログに最多登場であると思われる伊藤さん。私の娘でもおかしくない歳だが、落ち着いておられる。
私は自分が教師を辞めてから、現役の教職の方は避けていた。いろいろなトラウマのようなものがよみがえってくるのがいやだったからかな。
でも、伊藤さんが自分から教師であることを話されたとき、なぜか「ふつうに、スッと」受け入れられた。なーんでか。
私が帰る道々、彼女に話したことは三つ。
?「子どもが好きな先生じゃなく、学校が好きな先生でいてほしい」
子どもが好きという人は、大人が嫌いなことが多い。学校が大好きな先生は、子どもも保護者も同僚の先生もみんな好きになれる。
?「学校べったりじゃなく、広くいろいろなところへ出ていろいろなことを体験してほしい」
至れり尽くせりの先生をありがたいと思う人は多いかもしれないけれど、学校べったりで視野のせまい先生は困る。(そんな先生ばかりにしてしまったのは、我々保護者の責任でもある。)
こうして走りに来ておられるのもすごくいいこと。そのとき出会ったいろいろな方としゃべってかえってほしい。
?「自分が体験したことは、必ず学校で話してほしい」
いろいろな制約がありむずかしいとは思うが、自分が体験したことそのとき感じたことを子どもたちに話すことは、すごく大事なことだと思う。
私ももし教師を続けていたら、「鯖街道ウルトラ」の賀茂川パートナーズのお二人のことは、次の日の朝一番に絶対に子どもに話していたと思う。
「無関心な子もいるかもしれんけど、きっと一生懸命聞いてくれる子もいるし・・・」
私のお願いみたいなことばっかりになってしまいました。聞き疲れたでしょう。すいません。
でも、いつまでも、「学校が大好きな先生でいてくださいね。」
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