2009年10月06日(火)
まっちゃんに、電話 [私の好きな人]
今日、「ランナーズ9の会」のまっちゃんに電話した。
まっちゃんは、兵庫県で「ゆめさき舎」という障害者作業所の所長をしておられる。私より5歳ほど年下である。
今月の7日か14日に、その「ゆめさき舎」を訪問させていただく約束をしていた。
しかし、明日は娘の学校行事が入ってきたので、そのことを連絡せねば。
でも、どうして私が障害者作業所に?
話は、一挙に40年前。当時、私は中学生。
京都で若者の服といえば「長崎屋」(今はもうありません)。私は、高校生の姉に連れていってもらった。店を出たときの姉の言葉。
「今の店員さん、かたっぽの手、なかったな。」
「えー、全然気ーつかんかった。」
そして、今。
ヨメさんの言葉。
「こうじさん、今のお客さん、目の見えへん人て分からんと応対してたやろ。」
「えー、全然気ーつかんかった。」
私は、こんなやつです。あまりにも注意力散漫。よく言えば、細かいことにこだわらない。
こんなこともあった。
出張販売先でのお客様。ヨメさんが応対するがまったく話がかみ合わない。それがあまりにも極端な場合は、ヨメさんはお手上げ。
そこで、私が登場。何でも楽しんでしまうくせのある私は、そのめちゃくちゃな会話さえ楽しんでしまう。
「あの応対ぶりだけは、負けるなー」と、ヨメさんに言われたことがある。
また、こんなこともあった。
伴走者付きの全盲ランナー。
「写真撮らせてもらいました。私のブログに載せさせてもらいます。」
「ありがとうございます。見ておきます。」
うん?
「見ておきます」って、どうゆうこと?
障害(障がい、しょうがい)のある方は、奥が深い。
ということで、以前から障害のある方に関心はあった。しかし、今やただのスポーツ用品店のオッサンである私には、そんな施設との接点がない。
そんな時、「ランナーズ9の会」のまっちゃんと出会った。ご迷惑でなければ、訪問させていただこう。
まっちゃんとは知り合ってまだ日が浅いのに、これも私のブログのおかげか、私には好印象をもってくださっていたようだ。まっちゃんは、こんな私の申し出をすんなりと受け入れてくださった。
ということで、こういう展開になった。
以前まっちゃんに送っていただいた「ゆめさき舎」のお便りの中に、気になった一文があった。
「自傷行為の激しい入所者がおられる。なにもできなくてもいい。その自傷行為を見つけていただけるだけでもいいから、手助けしてほしい。」
そっかー。そういう入所者もいて、自傷行為を見つけるだけでも役に立つんやー。
できるだけ長い時間、「ゆめさき舎」にいんとあかんね。
お昼のお弁当も予約してもらったし、10月14日が楽しみ。
◎京都新聞・7月7日朝刊
「壁を破る 障害者と映像表現(中)
参加と改革 “良い人"美化しない番組模索」
NHKの福祉番組「きらっといきる」(大阪放送局制作)。チーフプロデューサーの嘉悦登(当時)は、何か引っ掛かるものを感じていた。番組は週1回、前向きに生きる障害者を紹介する。担当して3年がたっていた。
「感動した」「勇気をもらった」という手紙やメールが数多く届く回がある。たが、大半は健常者から。それも、障害のある子どもが努力して困難を克服するといった「ちょっと美談的な感じの時」に集中した。
昨年6月、嘉悦の抱く違和感の正体を言い当てるような手紙が匿名で届いた。
「出演する障害者のレベル、ハードルが高い。この番組は理想にすぎない」。そう書かれていた。
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「障害者からの反響が少ないのは、番組が“きれいごとを描いている"と思われているからでは」
そう思った嘉悦は2ヶ月後、特別編「これがほんまのありのまま!? 『きらっと』改革委員会」を放送する。過去に出演した障害者ら5人をスタジオに招き、番組について自由に語ってもらった。
「きれいに作ることはやめませんか」「ありのままを出してもいいんじゃないか」。描き方への違和感を述べる意見が相次いだ。
番組では実験も行った。ある脳性まひの青年に3日間密着してカメラを回した。制作側の狙いに合わせる従来の編集をやめ、時系列で並べた映像を放映した。
ヘルパーに助けてもらいながら暮らす様子や症状に加え、仕事の手を抜く、しかられてやけ酒を飲む・・・。これまでならカットしたであろう部分も伝えた。
反響は大きく、賛否さまざまな意見が寄せられた。
「目からうろこ。『ああ、一緒なんだ』って初めて思えた」「がっかりした。この番組から勇気をもらってきたのに」
特別編は二ヶ月ごとに続いた。番組は今、▽失敗ばかりでもええやん!と、いろいろな“きらっと"を見つける▽どんな制度を使っているのか、主人公の活動の“舞台裏"も紹介する▽主人公が「きらっとしたいが難しい」と感じている社会の仕組みも放送し、変えようと呼びかけるーと新しい方針(要約)を掲げる。
「テレビでは、健常者が共感しやすい“良い人"に障害者を描こうという文脈が1980年代からあった。障害者を撮るのは常に健常者。番組を作るメディアの側に障害者がいないために、この流れが変わらなかった」(嘉悦)
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嘉悦は今年6月、異動で「きらっと生きる」の担当から離れた。番組では 今、アルコール依存症など重いテーマも扱う。今月17日には、知的障害者たちがトレーニングジムの運営を任された話を放送する。なかなか独り立ちできない様子、進まない会議も時間をかけて撮った。担当したディレクターは全身の筋力に障害があり、車いすで生活する若手だ。
障害者に力を与えるという番組の根幹は変えない。だが、「改革」以後、大きく変わった点が一つある。反響の9割が障害者からになった。番組への意見だけでなく、自分のことをつづったものが増えている。
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この記事には、うなった。
何でもかんでも、「美化」は変。
だらしない人間が普通にいるように、だらしない障害者がいても何の不思議もない。
いろいろなことが、普通に見られるようになれば一番いいと思う。
※「壁を破る 障害者と映像表現」は、今年7月6日より3回にわたって連載された。
(上) 脱モザイク 「記号化」拒否、素顔をさらす
岡山の精神科クリニックを撮ったドキュメンタリー映画「精神」を取り上げた記事。私はこれを読んで、映画「精神」を見に行こうと思った。
(中) 参加と改革 “良い人"美化しない番組模索
上に紹介したとおり。
(下) 殺人犯役 制約なく演じる自由 求めて
身体障害者が連続殺人犯を演じた映画「おそいひと」を取り上げたもの。
主演は、脳性まひの重度障害者である住田雅清さん。住田さんが寄せた一文。
<障害者というだけで、過激な表現が暗黙の了解のもとに制約されてきた日本映画界において、障害者が常軌を逸した人物として登場するこの映画は、強いメッセージ性を持ち、且つすぐれた作品だと誇りを持って言えます。困難なことかもしれませんが、障害者が自分たちの文化を取り戻す作業が必要だと思います>
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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