2020年10月13日(火)
五十嵐ぴゅー太 [私の好きな人]
◎スポニチアネックス10月12日
ヤクルト五十嵐、15日に引退会見 剛球リリーバーが現役生活に別れ
ヤクルトは12日、五十嵐亮太投手(41)の引退会見を15日午後に都内で行うと発表した。
五十嵐は97年ドラフト2位でヤクルトに入団すると、代名詞でもある剛速球を武器に、抑えやセットアッパーとして活躍。石井弘(現投手コーチ)とのコンビで「ロケットボーイズ」とも呼ばれ人気を集めた。高津(現監督)のメジャー移籍後に抑えに指名された04年には、当時の日本最速タイとなる158キロを計測。37セーブを挙げ、最優秀救援投手にも輝いた。
09年オフには海外FA権を行使し、メジャー移籍。メッツやヤンキースなどでプレーし、自己最速も159キロまで更新した。ソフトバンクを経て昨年から古巣のヤクルトに復帰。8月には、日米通算ながら史上4人目の900試合登板を達成した。今季は2軍で22試合に登板も1軍登板なしだったが、実績を含めて、ひたむきに練習に励む姿は、若手の手本となっていた。
-----------------------------------------------------------------------------
また一人、私の大好きなヤクルトの選手が引退する。
五十嵐亮太投手。
五十嵐と言えば、速球。
2004年6月3日の対阪神タイガース戦で、当時の日本プロ野球最速タイ記録となる158 km/hを今岡誠に対して記録。
うちの家族は、その五十嵐の速球に敬意を表し「五十嵐ぴゅー太」と呼んでいた。
しかしあらためて五十嵐投手の経歴を調べてみると、すごいことが分かった。
高卒でプロ野球に入り、新人の年(1998年)とトミージョン手術をした翌年(2007年)以外は一線で活躍。
ヤクルト12年。
大リーグ3年。
ソフトバンク6年。
ヤクルト2年。
高卒から23年。
日米通算905登板すべてが中継ぎで、70勝41敗70セーブ167ホールド。939イニング投げて992奪三振。
よくがんばりました。
「五十嵐亮太引退」がけっこう大きなニュースになっていた。
そのとき「そんなたいした選手やったかなあ」と思った。調べてみると、五十嵐は「五十嵐が投げると勝てる」とまで言われた投手らしい。
入団3年目の2000年には中継ぎのみでオールスター戦前だけで11勝を記録。ハーラーダービートップを走り、監督推薦で自身初のオールスターゲームにも出場した。
中継ぎで勝利投手になるには、同点かビハインドの状態で投入され、しっかり押さえて味方の勝ち越しを待つ。
「五十嵐が投げたら勝ち越せる」と思わせる投手ってすごい。あの小気味いい投げっぷりで、味方に勝ち越せるという勢いを与えるんでしょうね。
そう言えば、去年ソフトバンクからヤクルトに帰って来てくれて、4月に中継ぎだけで5勝0敗。「五十嵐が投げたら勝ち越せる」を実証してくれた。なんで月間MVPをやらへんかったんかなあ。こんなこと、先にも後にもないと思う。
◇ ◇ ◇
端正な顔立ちでアイドル歌手グループSMAPの木村拓哉に顔が似ているとされ、『球界のキムタク』という異名をつ。
『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)出演時にて語ったエピソードによれば、妻と買い物に行った際、他人とエスカレーターですれ違うときに「(横にいるのが)静香(工藤静香)じゃない!」と言われたこともあったという。ただ、本人は常に似ていないと言っている。『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ)に古田敦也と共に出演した後、実際に木村拓哉と対面も果たしている。
◇ ◇ ◇
うちの家族はみんな「五十嵐ぴゅー太」が好き。
引退試合、見にいきたいなあ・・・。
Posted by パオパオ トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
トラックバック
トラックバックURL
http://blog.kyoto-carrot.com/tb.php?ID=5091